か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 66

2020年04月20日 | 韓国

<前回の続き> ( 以下の文章は韓国人が韓国で命がけで書いたものであり多くの韓国人の賛同を得ています  からけん )

 

今日、日本の問題は反省と謝罪がないという点にあるのではなく、過去に対する清算があまりにも度を過ぎているということにある。日本は戦後独立し新しい国家を成立させたのであり経済大国になったがその精神においては相変わらずアメリカの植民地時代の精神から抜け出せずにいる。

私は少し前、日本人に出会い聞いたことがある。「強大国」の日本人が「こんなに小さい国だから…」というのを聞いて驚きを禁じ得なかった。彼らはちょっと見ると日本はアメリカや中国、ロシアみたいな国と比べると土地も狭く人口も少ない、などなどあまりにも小さい国であるかのように思っているのだ。

謙遜というよりは自虐に近いこのような考え方はすべてアメリカによって強要された植民地史観と自己卑下行動の結果生まれたものである。日本の経済のみならず政治、文化、軍事的にも堂々たる自主独立国家になるためには歴史に対する自負心を回復することが何よりも喫緊の先決課題であるといえよう。

 

そういうことからして最近日本で行われている歴史見直し運動は、間違っているものを正しいものに置き換えようというだけのことであり、韓国でいわれている右翼の蠢動とは異なる。彼らは右翼でもなくただ日本を愛する愛国者であるというだけだ。

最近の教科書騒動をして韓国政府は日本の歴史見直し運動に対し言いがかりをつけ分別のない行動をしている。そのことにより国際的評価の破滅をみずから招いている。

これは韓国政府当局者と韓国国民の間にわき上がっている低劣な歴史認識と利己主義的な考え方に原因があるのである。「韓国はこのような日本の無礼な言動にまともに対応しないのだ」として、それを根拠に自分が正しいと信じ込む愚を犯してはならないのだ。

日本の悠然たる対応は、まともに正面から相手に敵対しないという日本的文化に基礎を置くものであり、また長い歴史の中で固まってしまった敗戦国としての自己卑下習性の結果であるのだ。日本の自己表現方法がいっそ西洋式であったなら少なくとも今日のような日韓関係の葛藤はもう少しすっきりしていただろう。

 

19世紀初め、ナポレオンの軍隊がドイツに侵攻したとき哲学者フィヒテは<ドイツ国民に告ぐ>という演説を通じナポレオンを侵略者と規定しドイツ民族の団結闘争を訴えた。同じ時期ドイツのドイツの哲学者ヘーゲルは、ナポレオンの軍隊がプロイセンの古い官僚体制を徹底的に清算し革命精神をもたらしたことを見てナポレオンこそ歩く世界精神だ、ドイツ国民はむしろフランス革命軍の側に立ち旧体制と闘わなければならないと主張したのである。

フィヒテは実のない民族主義に重きを置いたがヘーゲルはその侵略により現実に起こっている内容がなんであるかに重きを置いた。

 

100年前、朝鮮の現状からしてフィヒテの立場に立っていた人は安重根とか金九のような者たちでありヘーゲルの立場にいた人たちは李完用とか金玉均、朴永浩、チェナムソン、イグァンスらのいわゆる親日派と呼ばれる人物たちであったのだが、今日世界の歴史家たちはヘーゲルの立場に立ちナポレオンを偉大なフランス革命の守護者とみて彼の征服戦争を歩く世界精神の発露だと解している。

 

 

(次回用メモ 1-1] 쇼비니즘의 광풍을 뚫고 p27 下段部分  【 새 친일파를 위한 변명 】 김완섭 (46) ©からけん 転載自由 )

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 



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