か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

勝っても負けても努力の分だけ強くなる

2016年04月10日 | 思想

引用開始 

競泳平泳ぎで五輪2大会連続2冠を達成した北島康介(33)(日本コカ・コーラ)は、10日に東京辰巳国際水泳場で臨んだ引退記者会見で、すがすがしい表情で心境を語った。

                                         読売新聞 4月10日(日)

 

北島は勝ち続けてきた男だ。負けても明るい表情が素直に出てくるのは、限界までがんばった人の特徴だ。

本当は、勝つことはさほど困難なことではない。何回もぶつかっていけば、下手な鉄砲みたいに、いずれ当たるかもしれない。

困難なのは勝ち続けることだ。邪念が入る。

ここらで止めておいたが有終の美といってもらえそうだとか、次に勝つとは限らないしとか、指導者の席も空いたことだしとか、散々な負け方をして酷評されれば、聴衆は自分をすぐ過去の人にしてしまう。ピークは今に違いない、来年もやって水泳に執着し、無様な負け方をし、コーチの職を逃し、泳ぎしか知らなかった男になるのは怖いことだ。

この邪念は、じつは誰にでもやって来る悪魔のささやきだ。

しかし悪魔は限界まで努力している人にはささやかない。僕は、個人としての、というか男としての努力とか勝負とかに関しては、あまい考えは持たない。

僕が常々、「むやみに頑張るな」というのは、社会全体が個人を奴隷化しようとする日本の風潮に関してわざわざ火の中に飛び込むことはするなといっているだけだ。

勝負に際し最後の血の一滴まで搾り出して勝利に捧げたとき、思いどおりにいかなくとも悔しさはない。

低能どもが得意の弁明をする。ああすればよかった、こうすればよかった。

聞きたくない。努力が足りないから負けたり落ちたりする。悔しさが消えず劣等感となって定着する。

 

精一杯、「人事をつくして天命を待て」。そうすれば、合格であれ不合格であれ、採用であれ不採用であれ、後に尾を引くことは絶対にない。いいわけを考えるのはよせ。負けたときの予防線を張るな、そしたらどんな結果でも悔しくない。努力が不足した分だけ悔しさがくすぶる。

僕は落ちた試験はたくさんあるが、これ以上1分でも勉強したら死ぬと思うまで頑張ったので落ちた試験に対してはまったく悔しくない。

合格した試験に関しては、ずっと僕の人生を支える自信になってきた。

その結果、どういう地位につこうが、どういう資格を持とうが関係ない。

若者よ、君達にはもはや無鉄砲である自由は無くなった。いつも何かにおびえへつらい、自己を矮小化する「自己責任」というクソみたいな言葉に惑わされている。怖い物だらけで生きているはずだ。

とくに、この社会ではそうだ。努力は報われず、正直者は馬鹿を見る。

しかし、だからなんだ。男が勝負をかけたとき、留保条件付の戦いはするな。競争相手に失礼だ。

人間はそうであってはいけない。

 

 

 

 


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