か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

One morning I awoke to find I should reset my life.

2019年10月18日 | 思想

散髪にしろ、食事にしろ、旅にしろ、一度気に入るとなぜかそこに通ってしまう。

それはそれで楽しいから、それでよい目にあうのだから、何もあえて見知らぬ床屋で気に入らない刈り方をされる危険を冒すことはない。見知らぬ食堂であえてまずい飯を食うこともない。紅葉がきれいで年中行事のように出かけた山に登るのをやめて、あえて見知らぬ山に登ることもないわけだ。

 

ただそれでは、結果の見えた楽しみしかえられない。

 

年齢に関係なく、わざわざ海外旅行をしてもおなじ場所に行って安心したり懐かしがってる。

ぼくは若いころから、わざとにでも同じことを避ける生き方を良しとしてきた。失敗することが多くてもたまに得難いものに出会うワクワク感に期待していたのだ。

たしかに少し無理をしていた感もある。だが、何年もボロボロになった講義ノートを口述筆記させて飯を食ってるぼんくら教授にだけはなりたくなかったから、納得したうえでの覚悟の「無理」だった。

 

こういった冒険をしない人間の習性は、長年のあいだにDNAに刻まれ続けてきたのだろう。そういいつつもよく考えると、ふと、ぼく自身が軽蔑してきた人間に収まりかえっているではないか。

そんなぐうたら人生観に納まっては、人類は🐵に戻ってしまう。・・・なんて悲壮な義務感ほどはないにしても、この頃ぼくの人生にはたしかにスパイスが足りない。

ウエストと銭だけは着実に増えるが、死なない程度のリセットをしてみることにした。

 

独りぼっちがなんともない人もいれば、さみしがり屋の人もいる。友達を亡くすことを殉死せんばかりに悲しむ人もいる。あるいは、だれでも朋が遠方より来れば、そりゃあ孔子じゃなくてもうれしい。

そこで臆病な話だが、できることからリセットすることにした。住所録をリセットすることから始めた。年賀状、暑中見舞いはもとより出さない。手紙の返事は習慣としてその日のうちに書くが、虚礼は廃止することにしていた。

 

今回は住所録を抹消することにした。どこからでもよかったが、ぼくは知人の半数が韓国人だから、まず韓国関係の人脈を切った。電話からもパソコンからもノートからも。すべて。韓国でコネクションを切ることは本当に死を意味する。

「消去しますか」と、ぼくの迷いを見透かしたようにパソコンが聞いてくる。「はい」をポチッとするときさすがに指に電気ショックがあった。

 

その日はなんかとモヤモヤしていたが、数日後にさわやかな気分がしてきた。

決して終活ではない。終活の逆だ。いわば始活、生活。

長い人生経験によって得られるものは得難いものが多い。多い一方で、消したくてもしつこく思い出す邪魔なものもある。連絡できなくするとはその関係を殺すことである。それを死ぬ準備と考える意気地なしはそもそも生きる価値がない人だ。

賭けに出たのだ。パソコンというスイッチの集合体ですらメモリーに余裕がなくなると動作が遅くなる。「ディスクのクリーンアップ」だ。

 

なんだか脳がパキパキ動き出しそうで楽しい。いろんな残骸で無駄にメモリーを使っていた。

不思議なもんだ。新たな出会いとはあり得ないことだとか、あってもしょうがないことだと考えていたが、それは出会いの問題ではなく出会う僕の脳の活性度の問題だった。

 

さて、次は何を捨てようか。人生の精選をするのだ。終活はぐうたらがする。生活だ。

 

旅行編

その名もThe Beach Hotel. 海雲台(ヘウンデ)のど真ん中で一泊7万円もあれば3千円もある。ただ、部屋は同じ。日本人は「イイね」じゃなくて「言い値」で泊まる。バカにされてるよ。

着いたその日に何人もの人と友達になり、The Beachにとまり、S席で演劇を見た。ほんの数時間前まで福岡の自宅で旅行に行くか行くまいか悩んでいたが、今、知り合ったばかりの人と最前列で劇を見ている。タダで。夢かもと思った。

ちょっと探しにくいがぼくはどこでしょう?

 

眠らない海雲台 町は人生を楽しむ人であふれていた。大事なことは、人と仲良くできる能力だな。

 

相変わらず荒っぽい工事。 塩ビが折れるのは間もなくだ。「ベテランだから安全か?」と横断幕にある。やっつけ仕事の塩ビ管からはすでに下水が漏れはじめていた。

 

この初任給を見ろ、景気はいいぞ

上から目線で同情する日本のリベラルよ、おまいらのほうが貧しいから。

 


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