か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

松橋事件(まつばせ・じけん)

2016年07月02日 | 裁判

1985年1月8日、松橋町(現・宇城市松橋町)の団地で男性(当時59)が遺体でみつかった。県警は同月5日夜に男性と口論していたとされた知人の宮田浩喜さん(83)が殺害を認めたことから、殺人容疑で逮捕。熊本地裁は懲役13年の実刑判決を言い渡し、90年に確定した。宮田さんは刑期を終えた後の2012年3月、熊本地裁に再審請求を申し立てた。

(2016-06-29 朝日新聞 朝刊 熊本全県・1地方)

 

福岡高裁にきわめて親しい友人がいた。高裁判事ともなると仕事量は地裁の1/5になる。その分内容が濃い事件が来る。

彼が言うには、ちょっとおかしいなと思う事件も地裁であれほど審議を尽くし警察検察であれほど調べたのだからよもや間違いなどあるまいぞ、と思いがちになるそうだ。

つまり、1審が2審の先入観になり、2審は最高裁の・・・ そうなると3審制は意味がなくなる。貧乏国ほど1回か2回の裁判で結審する。カネがなく犯罪率が高い国では、見せしめ裁判として秩序維持を図る。

しかし人間の行動身体の自由を奪うこと(収監)を軽々に憲法の例外には出来ない。わが国は3回裁判をし、なおかつ拷問を防止する観点から自白の証拠価値を低くしている。

この事件の論点は多いが、自白証拠だけで、他にまったく証拠も無いのに、検察側は事件を捏造したことが犯罪の構成要件を崩すポイントだ。

現在なら、それと熊本ではなかったら、証拠不十分で無罪になっていた。熊本県民は選挙の意味も分からずAKBの総選挙のつもりでいるし、明治維新があったことに気がついている人は少ない。

免田事件がそうである(冤罪)ように、お上に逆らうことは犯罪であるからお上の判断に盾つく奴は死刑だと思う人が多数だ。

 

ところが、世の中は、低能ばかりが迷惑な存在ではない。変人がいるのだ。今頃になって、さも宮田さん(元服役囚)の人権が心配だ、余命がいくらあるのか、一刻も早い再審を、とよいこぶって運動するのが出てきた。一回は罪を認めたとき弁護士はサボっていた。だから話がこじれた側面がある。

無実の囚人の釈放運動は人権の実質化に欠かせないことだ。が、今回場合が違う。本人は出所している。じつにお気の毒だが、意識は無い。意思表示が出来なくなった責任は安易な裁判をし誤判をした熊本地裁にある。

だからといってそれを責めても、宮田さんの現状がどう変わるか。14年もムショ暮らしをしたんだ、静かにしてくれと、僕なら思う。

植物状態を集会に引きずり出し、戦うぞーというシュプレヒコールの中に寝かせるのは。むごい姿だった。

人権運動とはとってつけたように、あるいは思い出したように、あるいは感情的になってするもんじゃあない。

 

 

 

 

 


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