か ら け ん


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懲役50年に冷静になろう

2013年01月08日 | 裁判

 静岡県東部で01~10年に9人の女性を乱暴したとして強姦(ごうかん)傷害罪などに問われた同県長泉町下長窪、無職、小沢貴司被告(35)の裁判員裁判で、静岡地裁沼津支部は5日、01~08年の5件について懲役24年(求刑・懲役30年)、09~10年の4件について同26年(同)と、合計で同50年の判決を言い渡した。         静岡地裁支部判決(一部)

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事実上の死刑判決だが、平成が終わっても被告が恩赦や特赦になることはなかろう。いつの間にか被告は朝鮮人にされて、本名を名乗れとか言われている。根拠はないだろ。

僕は今回のポイントは、併合罪の成立を検察が起訴事実の構成の中からわざと落としている点だと思う。

容疑者小沢は08年に窃盗罪をはたらいて執行猶予中であったため、いったん彼の罪をそこで切りそれまでに犯した5件の強姦について判決を出した。それが24年。それ以後の彼の罪は26年。

たしかに検察は事件に対して起訴順序や併合については権限がある。被告は途中で窃盗をおこしているからそれ以前以後で区切りをつけたようだ。

ところがもし窃盗という微罪さえなければ、確実に併合罪が成立した。犯人には自首の機会さえあったことになる。僕はほんの偶然や、恣意的な検察官の考えた犯罪構成や、刑事事件に馴れない裁判員たちによって、あまりにも形式的な判決が下されたと思う。自首して併合審理したら30年ですんだはずだ。

01~08年の5件の強姦と09~10年の4県の強姦を遮断して考える必要は全くなかった。間(あいだ)にあった執行猶予中の窃盗により被告は二つの判決を受けることとなった。

本来大きく一つの色魔の行状をさばく事件だ。分離されようと併合されようとその判決に大きな差があるのはおかしい。あきらかに重罰すぎる判決だ。

他にもやっていただろうと悪魔のように囁く人がいる。それは思慮に欠ける。ほかにやっていただろうから、という判断は「疑わしきは被告人の有利に」という判例に違反する。

窃盗犯であれば100や200の余罪があると推定される。しかし、その罪を小出しにされて一つ一つに対して懲役一年という「妥当な」判決があった場合、併合されなけれは被告は200年も300年も刑務所にいることになる。だがたしかに、この併合罪つまり「合わせ技一本」という考え方は、被告の罪を総体として考えるべき裁判所が絶対に看過してはならない考え方だ。

僕はこういうときのため形式的な犯罪の構成要件に縛られる検事に対し、裁判員が期待されたのではないかと思う。強姦犯の罪をむりに軽くする必要はない。ただそれには合理的な説得力ある条理というものがなくてはならない。マスコミがあおったら死刑判決も出かねなかった。

執行猶予中の犯罪は法廷の心証を著しく悪くした。これは併合せず分離審理をした傍証となっている。後半の強姦は過酷な罪になっている。これは一時不再理にも反することだ。つまり同じことが仮釈放を前後して軽くも重くも裁かれている。悔悛の情がなかったから重罪化した、との一文に残虐性を見る。不良は絶対に悔悛しない。悔悛しないから刑務所を出て5年後に80%の囚人が舞い戻っている。悔悛しないのを見越してお前は悔悛の情がないから強姦4人で26年の刑だ、とは量刑不当だ。

併合罪の成立を裁判官は法廷の指揮をするうえで実行できなかったのか。チンピラを50年ぶち込む前に。

昨日女性法曹関係者と話したら「こんな極悪非道な奴社会に出て来ないようにしてほしい」と言っていた。ばか。そんなことなら素人でも言える。素直な感情であることは認めるが、それと法理とのはざまで苦悩するのが法曹の仕事じゃないか。法科大学院は成功だったのか。

 
Posted at 2012/07/01
 
 
 
 
 
 

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