か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

<5歳児放置餓死>被告が唯一の命綱だった…

2015年10月24日 | 事件事故
引用開始

 神奈川県厚木市下荻野のアパートで当時5歳とみられる斎藤理玖(りく)君を虐待死させたとして殺人罪などに問われた父親の元トラック運転手、斎藤幸裕被告(37)の裁判員裁判で、横浜地裁は22日、懲役19年(求刑・同20年)を言い渡した。伊名波宏仁裁判長は「子供の命をあまりに軽視し、(自分が)唯一の命綱との自覚が欠如していた」と指摘した。       <毎日新聞10月22日(木)

引用終わり

(理玖君、腹いっぱい食べたかったろう 気づかずにごめんなさい)

僕はとても悲しい。たしかに、オマエは絶対人を殺さないかといわれれば僕は「殺す」と答える。クルマの運転中、目の前に飛び出した人を撥ね殺し僕の上司は刑務所に行った。

それが僕の身の上に起こらないとは限らない。

だがことの本質から目をそらさぬようにしなければならない。裁判員の中にはかならず出てくる意見だが、乳児院や児童相談所、・・・に早めに相談できなかったのか、とか、行政側も放置した責任がある、とか・・・

それは、ちょうど台所に包丁があったので殺人事件が起きたのだからその家の主婦にも責任があるというものだ。

(理玖君、スープも飲めや)

 

法律の研修を受けているとき、北海道で似たような事件が起こった。幼い兄弟を家に閉じ込め自分は逃げた女房を追い残されたその幼い兄弟は餓死した事件だ。僕は不作為犯(必要なことをしなかった罪)で殺人罪だといったが、不正解とされた。正解は、未必の故意(どうなるかわからんけどやっちゃった)による殺人罪だと習った。未必の故意とはほとんど過失に等しい。

それからすると若干の子供の権利の保障に進展はある。だが40年かかった。

グダグダへ理屈はやめよう。これは殺人だ。

子供が嫌いで子供を作るのが好きな人間は、かならず多くの人生をだめにする。

19年(懲役)の判決には僕は不満だ。被告はだめもとで控訴、上告する。接見や外部資料の入手に多くの特権がある。まあ確定までに5年かかったとしよう。懲役のカウントは判決のときからではない。逮捕時からだ。

平成があと19年も続かない。次の年号は分からないが、御大典の大恩赦がある。オリンピックの恩赦もある。初犯は刑期の2/3で仮釈放になることもある。馬鹿でない限りいい子にして刑期を過ごす。

言いたいのは、何が19年だということだ。殺しても足りないが、犯人はどう転んでもあと10年でシャバに出る。

斎藤理玖(りく)君の最後の言葉は「パパ」だった。それを犯人は平然と法廷で言うなんて悪人以外の何だろう。

こう言う鬼をうろつかせる社会は、僕の望む日本じゃない。僕は犯人に会えば理玖君の仇をとる。

みんなで仇とろうじゃないか。

 

 

 

 


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