花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

サン・ロレンツォ礼拝堂

2008-03-01 01:27:17 | 海外旅行
サン・フランチェスコ・ダッシジ教会の左隣が問題のサン・ロレンツォ礼拝堂(Oratorio di S.Lorenzo)だ。

 

1969年10月16日、《聖ラウレンティウスと聖フランチェスコのいる生誕》所謂《パレルモの生誕》はここから盗まれた。盗んだ犯人は土地柄マフィア説も囁かれているが、未だ絵の行方はわからない。

この前に立つと《パレルモの生誕》のシーンに何故二人の聖者がいるのかが了解される。聖母子を挟んで、向かって左に聖ラウレンティウス(=サン・ロレンツォ)、右に聖フランチェスコ(=サン・フランチェスコ)。
この構図は依頼主の注文なのか。それとも画家の提案だったのだろうか? 研究者の中にはカラヴァッジョのパレルモ滞在を疑う説もあるという。しかし、私的には画家がこの二つの建物の前に立ったことがあると思えるのである。また美術ド素人の暴走だろうか?(^^;;

拡大はここ

残されたカラー写真を見ると、シチリア逃亡時代の作品としては温和な雰囲気が漂い聖母マリアもナンシー《受胎告知》やメッシーナ《羊飼いの礼拝》よりも写実的である。上空から祝福する天使もカラヴァッジョらしく、「グロリア」が素直に受け入れられる祭壇画なのだ。他のシチリア作品が感じさせる悲痛な緊張感がここには感じられない。同じ「生誕」を祝うべき《羊飼いの礼拝》でさえ、メッシーナで初めて観た時、藁を描く筆致に画家のどこか神経質で鬱積した気持ちが感じられたのだ。

今回のCARAVAGGIO「聖なるイメージ(聖者→「聖なる」は勝手な訳)L'immagine del divino」展のポスターや図録表紙はこの失われた《パレルモの生誕》を使用している。多分パレルモの人々、シチリアの人々こそが一番胸を痛め、返還を待ち望んでいるのだと思う。



さて、泣きたくなるのだが、時期が悪かったのか、それとも私の普段の行いが悪かったのか、この礼拝堂も午前と午後に行ったのだが閉まっていた。中を見ることが適わなかったのが心から残念だ。礼拝堂の中には失われた絵の写真が飾られているという。
パレルモはシーズン・オフの改修で何もかもが閉じていた(>_<)。よく考えれば、何故カラヴァッジョ展が州都パレルモではなく西端のトラパニで開催されたのか…この辺の事情もあるのかもしれない。