Pのlog ( 大阪と上海のChouChou)

通称P。shushu(照れちゃう)ような稚拙きわまりない文面で、上海や大阪のchouchouを綴ります。よしなに。

まだ勉強中

2010年08月21日 | 日本つれづれ。

 家について浴衣を片付けて、お風呂にはいるとRinNonは宿題を
    やりはじめた。

  根っこはまじめで、海外暮らしのせいか反抗期らしいものがないままきている
  2人なのだから、やっぱりまじめに宿題もするのだ。流されてるだけで。

  (海外に暮らすと反抗期がないというのはぼくの持論だ。またそれはどこかで)

  Rinはかなり進んでいて、今日の日付でやっておくべきラインに達していた。
  日記もあと何日か残すだけでよかった。

  Nonはそういかなかった。あまりきつく言ってもしかたないので、そのままそっと
  宿題をするままにさせておく。

  分数の足し算はすっかりできるようになっていた。ようは量をこなしていない
  だけなのだ。2人の学校では、日記が10日分でよくって数学が毎日やるように
  プログラムされている。数字で一日を評価しようというのだろうか。

  それはそれでGDP2位に躍進するだけのことはある。数値評価の国。 
    
  22時になるとRinがとても眠そうにしていた。Nonにつきあって起きているのが
  つらそうだ。彼女も彼女で実はマイペースなのだ。
  先に寝てもいいよ、というと うん  と言って歯を磨いて3Fに上がっていった。

  Nonはそのまま宿題をやっている。彼女もマイペースなので、相棒が寝ても
  あまり気にならない様子で、プリントを続けている。
  
    結局Nonは23時すぎまでがんばって電池がきれたように動きがにぶく
    なって、ぼくの「寝るかい?」という提案にこくんとうなずくと、もぐりこむ
    よにRinの隣で眠ってしまった。その間、ほんの数分だった。


   

     2人が寝たあと、ぼくはテレビを小さな音でつける。
     カップヌードルのCMでJamiroquaiが自分の歌を自分のPVで
     替え歌で歌っている。

     Jamiroquai

     ジャミロクワイになにさせんねん  と思ったけれどそれはそれで
     出来の悪くないCMだった。

     ジェイ・ケイは歌詞を変えて日本語で「ハラヘッタ、ハーラヘッタ 
     と歌っている。
     

Jamiroquai - カップヌードルがいいよ~


     原曲はこんな感じなのだ。

       And nothing's going to change the way we live
       Cos' we can always take but never give
       And now that things are changing for the worse,
       See, its a crazy world we're living in
       And I just can't see that half of us immersed in sin
       Is all we have to give these -

       Futures made of virtual insanity now
       Always seem to, be govern'd by this love we have
       For useless, twisting, our new technology
       Oh, now there is no sound - for we all live underground

       And I'm thinking what a mess we're in
       Hard to know where to begin

       ここのところの物事はもっと悪い方へ変わりつつある
       発狂した世界なのさ、僕たちが暮らしてるのは
       僕が全く納得行かないのは罪に手を染めてる半数の奴らに
       僕たちみんなが捧げなきゃいけないことさ、
       この仮想狂気でできた未来、いつだって振り回されてるのさ
       用無しのねじくれたニューテクノロジーにご執心な人類にね
       もう音もない、みんな地下で暮らしてるからだ
       考えてるんだ、僕たちはなんて酷い混乱の中にいるんだって 
 

    替え歌でハラヘッタと歌うことが彼らの逃避なのか脱出なのか
    それはよくわからない。
    けれど肩の力が抜けた感じで歌っているのはかわらない。
    この曲がでたのは1996年。すでに14年を経過して、なにかがまた
    変わったのかもしれない。

    ともかくは世界は14年たっても住みよくなったわけでも、みんなの
    心の距離が縮まったわけでもなく、むきだしの感情をぶつけやすく
    なったというただそれだけなのかもしれない。
    
    そうだとしたら、ハラヘッタと替えて歌うジェイ・ケイのほうが
    なんだか救いがあるようにすら思えてくる。    
    そう、カップヌードルを夜中に食べたり、CMをみて目を丸くする人の
    大半はacid jazzってなんだっけ?というくらいの気分なのだから。

  
    そうであるなら、RinNonが眠い目をこすりながらでも理解して一歩
    ずつそれぞれのペースで宿題をこなす意味もある。

    


夏祭り

2010年08月21日 | けいはんな(精華木津・奈良押熊)chouchou

 夜19時すぎにお祭りの小学校横公園で、現地集合。それが約束だった。

  

  少し早めについたぼくは、車を停める場所がないだろうと想定して
  いちばん近いけれどちょっと遠い場所にあるコンビニに車を停めて、
  木が生い茂る小路を歩く。

                  

  そろそろ近所の子供たちがみんな集まっていて、自分にもそんな時代があった
  ことをうっすらと思い出す。RinNonは浴衣を着ていくといっていたけれど…

     

  何周まわっただろう。坂の下の公園の遊具のあたりとか、トイレのあたり
  丘になったあたりに陣取る家族連れやら…いろいろさがしてみて
  30分以上。最後は電話で場所を教えてもらってやっと出会うことができた。

                  

   RinもNonも大人になっていた。ぼくは少し遠目にほーっとみてしまった。

    

   知らないうちに、ほんとうに知らないうちに子どもは大きくなっている。
   親の思う速度よりもずっと早く、そしてある面はずっと遅く。

   大きくなって応対に悩むところをみせるわけにもいかず、まごついている
   親はとても多くって、ぼくのまわりでも…いや自分の親だってそうだったと
   思う。そんなのを見るにつけ、どうして気持ちがわからないんだろう?
   伝わらないんだろうって思っていた。

   でも、こうやってすごいスピードで成長するRinNonを見たら、それだけで
   圧倒されてまごつく部分もあるんだなって…なんだかわかる気がした。
   そしてまだ成長していない部分に子どもとしても拠り処を求める親は
   いつかそれもすぐに打ちのめされて、とっかかりと失っていくんだなと。

           

   今回は、なにもここに住んでいるわけではないので、とくに何の分担も
   ないかわりに買うものもなにもないので、すっかり他人行儀に眺める
   このお祭りは、いまはすっかり暗くなった夜の帳の中で、ぼーっとテントが
   浮かび上がっていたり、

       こうしておもちゃの蛍光色が浮かび上がって

  

   その色と光の数と、それを眺める家族連れが何倍もいるってことがなんだか
   とても他人行儀にみえた。その状況のおかげで、ぼくはRinNonといがみ合う
   こともないかわりに、会う日数を抑えている。

   どちらがいいのかなんて誰にもわからないし、当事者のぼくらにしたって
   Best Practice であろうとも思わないけれど、そのstyle はそれはそれで
   「ひとつのかたち」なんだって、だれかにわかってもらいたい気がした。



JITTERIN' JINN / 夏祭り


   たぶんその願いはとても、むずかしいことは この熱さがいつまで続くの?
   と問われたときに偏西風の流れが変わるとき、としか答えられないのと
   同じくらいむずかしいんだって

   わかっているので


        この前のKorean Dinner を苦く思い出しながら、遠くにみえる
        生駒山とか、ぶんぶん振り回す姪っ子のおもちゃの光とかを


   ずっと眺めていた。



                

   Nonは浴衣を自分で色を選んだらしく、とてもよく似合っていた。
   大人にみえるとしたら、よりNonのほうがそうなのだけれど、残念なことに
   宿題をさっぱりしていなかったらしい。
   それを責められていたので、「本当?」と聞くとそれだけに涙をぽろぽろ
   流して、そうなんだと口に出さずに主張しづらそうにしていた。

         そう。まだ11歳なんだもの 

      

   RinはKYOKOさんの昔の浴衣を羽織っている。RinはいつもKYOKOさんを
   追いかけているようにみえる。けれど感覚で生きているKYOKOさんと
   理詰めで前に進もうか考えるRinでは外観は同じでも、なかなかお互いを
   理解して手本にするには難しいことがある。

   そのせいか、Rinはいつも中であがいているわりには外からみると無気力に
   みえている。11歳ではどうしていいかわからないのだろう。
   難しいところだ。いつか目の前に答えがぼーっと見えてくるのを待つだけ
   しかないのだろうか。

   もしかしてほかの人には「KYOKOにそっくりになって…」と言われて
   ほめられていたとしても。難しいものだ。

    

    宿題してないならそろそろ帰ろっか

      うん

    RinNonが答える。宿題はぼくの家でやるものだと思ってるのかも
    しれない。それはそれで悪くない。

          

  コンビニまでの路は暗くて、でも間接照明の如く、ぼーっと白い灯りが
  続き、ふだんは頼りない灯なのかもしれないけれど、今夜はお祭りだけに
  却って、こんな灯のほうが風情があって、いいような気がした。

    

     それはゆっくり歩くからかもしれない。そうだろう。
     きっとくらいか明るいかの境が、気持ちの問題なのだとしたら
     それはゆっくり歩くかせかせか歩くかのsituation に依存するからだ。

                            

     手前のおうちで、義父母や義妹の一家にさようならを言って
     ぼくらはその近くにあるコンビニまでいく。

     停めさせてくれたお礼でもないけれど、車中30分ほどかかるあいだの
     飲み物を買う。

     明るいなかで、改めて2人の浴衣姿を眺めてぼくは目を細める。


       


   以上が、ずっとずっと毎日暑い、変な年の夏祭りのできごとだ。
   お盆だし夜は涼しくなったね、とか季節の変わり目を意識して切なくなる
   例年の「ハレとケ」的な、節季に基づくできごとではなく、すっかり別の
   事柄のせいで、ぼくには特別な夏祭りとして記憶していくことになった。



      そう、心中はおろおろしてしまうような夏だったのだ。 


ステーキをつくってみた

2010年08月21日 | 日本つれづれ。
 土曜日。

   夜にはRinNonを迎えにいくので、昼ごはんに少し料理をすることにした。
   一度やってみたかったことがある。

   安いステーキ肉を買って、旨く食べられる方法はないだろうか?

   スーパーで外国肉の安いのを買って、一緒に買ったビールに浸す。
   約20分。ビールを吸って柔らかくなったはずの肉をフライパンでジュっと
   焼いてみた。

                    

    肉は旨くなってきたけれど、なんだかスジが多くて食べにくかった。
    よく考えるとナイフとフォークをちゃんと持っていなかったので
    コンビニでくれるプラスチックのフォークと、包丁でカットした。

    だいたい、あまり組み合わせがよくないかと思っていたけど
    こう書いてみると、ぼくとステーキという組み合わせがアンマッチだった
    のかもしれない。


    でもひさしぶりにステーキを食べて少し満足した。もう少しスジのない
    肉ならうまくいくことがわかっただけでも、なんだか収穫だから。