かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2008.11.8 筑紫哲也さん、最後までジャーナリスト。

2008-11-08 23:12:04 | インポート
筑紫哲也さんが、昨日お亡くなりになった。73歳、まだまだ早すぎた死だ。

筑紫哲也さんは朝日新聞記者をスタートに、現テレビ朝日系「こちらデスク」キャスター、朝日ジャーナル編集長、TBS筑紫哲也News23キャスター。リベラルなジャーナリストとして最後まで少数派を擁護し続けた人だった。

     
     旅の途中-巡り合った人々 1959-2005  著・筑紫哲也 発行・朝日新聞社

筑紫さんに初めてお会いしたのは25年位前だったと思う。現在は衆議院議員で活躍している辻元清美さんが主宰するピースボートの勉強会。

話の内容より、タバコ吸ってるおじさんというイメージ。学生の前だからか、結構厳しい言葉も。「ぼくは、若者を支持するけど甘やかさないよ。」と言っていたとおぼろげに覚えています。

その後、憲法、選挙制度改革、平和など様々な政治イベントで私は裏方として、お会いさせていただいた。

忙しいせいか私の前ではいつも不機嫌そうだった。しかし女性にはTVでおなじみのあの笑顔で二コリ。優しかったような気がする。

最後にお会いしたのは3年前の市民版憲法調査会の小さな集いだった。

筑紫さんは同席していたパネリストの、前原誠司民主党前代表に、「あなたは沖縄のことが、どれだけわかっているのか。沖縄の現実や人々の声を聞くべきだ。」と、えっと思うくらい激しく詰め寄っていたのが印象に残っている。

政治学者の故丸山眞男先生の実践的門下生が次々とこの世を去っていく。

現代の理論編集長であった、安東仁兵衛さん、朝日新聞記者であった石川真澄さん、そして筑紫さん。みなガンで死んでいった。

安東さん、石川さん、筑紫さんは、「戦後」を信じ、戦争だけはだめだという戦後政治、永久革命としての民主主義の実践者だったと思う。

安東さん、石川さんの送る会の司会はともに筑紫さんだった。その筑紫さんが送られる側になってしまった。

オバマ新大統領の誕生は、筑紫さんの意識に届いたのかどうか。もう少し世界を、日本を見守って欲しかった。

筑紫さんのご冥福をお祈りします。

       

11月7日は県議会県外視察3日目。島根県江津市桜江町にある桜江町桑茶生産組合を視察。代表の古野俊彦さんは、福岡県のIターンで桜江町に。

かつて米と養蚕の農村であった桜江町に着目し事業化。桑茶をはじめとして様々な機能性食品を開発している。

過疎化の進む3500人の桜江町で仕事を作っていくためには、原料費の安い桑葉を基点にし、生産、加工、流通を一貫して自力で行うことが重要と強調されていました。



使える地域資源はすべて使っていく。加工まで行きつけば、生産雇用者の5~10倍の雇用が創出できるとのことです。

「群馬県は選択肢がたくさんあって羨ましい。東京にも近いし。」と。ドキリとした発言です。同じ中山間地域をかかえる県でも、群馬と島根では条件が違うのです。

古野さんは、「群馬は好条件に甘えているのでは」と本当は言いたかったのでは。

県内中山間地域再生にむけて大いに参考になりました。12月議会にむけて大変勉強になりました。