著者は、関東圏内にあり、海に面し桜宮岬のある仮想近郊都市・桜宮における医療トピックをテーマに、さまざまな人物に光をあてながら、一つの小宇宙を紡ぎ出していく。桜宮とそこに住む、あるいはそこに関係する人々の過去、現在、未来を縦横につなげていく。それはあたかも、一つずつの作品が、過去・現在・未来という三次元世界にあって、ジグシーパズルのピースが結合されていく感じである。第1作が生み出された時点から、時は進行しているので作品の舞台は、大きくは過去のある時点から現在・未来へと進行している。一作ずつのトピック、テーマが異なりながら、登場人物の生き方として、過去から未来の時間軸へと繋がっていく。
ところが、突然ある作品が、時として過去のある時点に舞台を引き戻して、過去のテーマにスポットがあたり、現時点での登場人物たちが過去に立ち戻った形で、物語が進行する。我々を登場人物の過去の行動の軌跡を、今、知ることになる。本作品はこの類のものである。
2011年6月から2012年8月にかけて「週刊現代」に連載され、2012年10月に単行本化されたものである。しかし、本書の舞台は1991年4月の春から11月冬にかけての物語であり、1992年2月、春の到来を待つ時季で終わる。
桜宮ワールドには不可欠の高階権太が総合外科学教室、通称佐伯外科を支える重鎮の一人だが講師の立場で登場する。『螺鈿迷宮』『輝天炎上』の段階では、病院長を退くというステージにまで行った高階病院長が30代後半での物語になる。だが、高階講師が主役ではない。主役は、佐伯外科3年目の若手外科医・世良雅志である。世良は『極北ラプソディ』に病院閉鎖騒動の最中に救世主の如くに登場する。また、『極北クレーマー』では、再建途上の極北市民病院長として描かれている。本作品で彼は半ば黒子のような形でありながら、物語の主役を演じる役回りである。しかし、人生の重要な転機となる。本作品の実質的で華やかな主役は天城雪彦だろう。ただし、見方をずらせると高階と逆転する。
天城はモンテカルロのエトワール(星)と尊称され、誰も真似ができない神がかり的な手術の技量を持つ外科医なのだ。心臓外科において、ダイレクト・アナストモーシス(直接吻合術)という、最先端の動脈バイパス術のさらに一歩先を行く高度な技術を持っている。この術式ができるのは世界で天城一人なのだ。モナコ王国のモンテカルロ・ハートセンターで上席部長の職だったのだが、その天城が佐伯教授の招聘に応じて、桜宮の東城大学医学部付属病院にやってきた。その目的は、桜宮岬にスリジェセンターを開設するということにある。スリジェというのはフランス語で「桜」のことである。天城は桜並木のあるハートセンターを創設するという目標のもとに、1990年に胸部外科学会シンポジウムで公開手術を実施している。そして、今、桜宮の名士、ウエスギモーターズの会長の手術を東城大で公開手術として実施しようとしている。その手術の代償に3億円の寄付を条件にしようとしているのである。スリジェセンター創設への資金として。公開手術は佐伯教授の要請だとする。
世良は総合外科の高階研究室の研究員であるが、総合外科の医員として、スリジェセンターに出向している。スリジェセンターの総帥・天城の配下という立場に置かれている。
そこで、本書のストーリーの図式はどうかということになる。
1991年4月、医療業界の社会的状況は、厚生省官僚が「医療費亡国論」を発表しようとしていたという背景になっている。その渦中でスリジェセンターの創設を目標とする天城総帥のポリシーは、大金を出せば世界最高の手術を受けられるというもの、カネがすべての医療施設である。モンテカルロにおいて、「手術を受けたいなら全財産の半分を差し出せと言い放つ。ルーレットに天運を尋ね、患者がギャンブルに勝利した場合のみ、その勝ち分を報酬として術者を引き受ける」(p9)というやりかたをとっていたのである。
高階は天城の方針に反対の立場を表明する。命よりカネを優先させる天城のポリシーは医師として容認できないとし、全力を挙げてスリジェセンター創設を阻むと宣言する。
佐伯教授は、自分が招聘した天城をスリジェセンター創設後も己がコントロールできると自信を持っている。東城大学医学部付属病院の病院長として絶対の権力を掌握していると思っているのだ。その佐伯は公開手術で医療業界の認知度を一層高め、スリジェセンター創設の資金集めもできるともくろんでいる一方、大学付属病院の大々的な機構改革構想を突然発表し、次期の病院長選挙に再選を目指して立候補すると宣言する。
佐伯病院長の機構改革構想は、今まで以上に絶対的権限を病院長に集約し、組織的にはフラットなものにするというもので、入院治療の特別室の存在を公然化かつ一本化するというものだった。
高階は佐伯外科の講師として配下に居ながら、佐伯教授に叛旗翻す立場を選択していく。ここから次期病院長に立候補し、病院長の地位を狙う循環器内科の教授である江尻副病院長、特別室の存在に反対する榊総看護婦長などの間で政策的な駆け引きを高階は初めていく。スリジェセンター創設反対、佐伯病院長の機構改革構想そのものには反対であり、独自の構想を秘める高階の裏工作が始まるのだ。
一方、見かけの主人公である世良は微妙な立場に置かれていく。スリジェセンター創設のため佐伯外科の医員として2年半という約束で出向させられた世良は、高階研究室に一旦所属を戻し、佐伯外科の医局長に任命されるのだ。そして、天城が目標としているスリジェセンター創設の手伝いをするという立場になる。
総合外科の一翼である心血管外科の黒崎助教授の配下にあって、心血管外科ナンバー2である垣谷講師がそれまで医局長を務めていたのだ。高階研究室の先輩を飛び越し、世良が医局長に指名されることから、世良の悪戦苦闘が始まっていく。
天城が行おうとする公開手術を阻止せんとする権謀術数が、大学病院の主導権争いのための権謀術数と微妙に絡み合いながら進展していく。天城は天才的手技を持ち、天翔るナイトであり、独自の高みから、世良を手足に使いつつ公開手術の実施、スリジェセンターの創設を進めて行こうとする。ここに様々な障害が発生してくるという展開である。かなりおもしろい展開となっていく。これまでのいろいろな作品に登場した高階病院長の全くちがった局面が描かれていておもしろい。佐伯教授が高階を小天狗と呼ぶが、まさに面目躍如というニックネームである。
田口先生の愚痴外来に登場する藤原さんが、本書では榊総看護婦長配下の婦長の一人として重要な役割で登場し、一方、あの早速晃一が渡海教授の申し子と目されつつ、医局新入生として登場する。その若き日のエピソードが挿入されている。また、上杉会長の天城による施術前のこの手術に関する授業に、医学生として、あの彦根新悟が顔を出すのだ。若き日の彦根の思考と行動が描き込まれてくる。
海堂ワールドの諸作品を読み進めている人には、ジグソーパズルの1ピースがまたもぴちっとはまった感じを受けるに違いない。
高階、早速、彦根、藤原婦長、猫田、花房など、馴染みの深い人々の1990年代初頭の姿が見えてくる。そして、世良の人生観と生き方を決定づけて行く1991年の悪戦苦闘。
1992年2月の「冬の手紙」、終章「スリジェの花咲く頃」、世良の人生が大きく変わっていく。この後の世良、つまり、この1991~1992年と極北市での病院再建屋としての空隙に、つぎはどんなジグソーパズルのピースがあるのだろうか? ジグソーパズルはまだまだ終わりそうにない。
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる用語をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医療費亡国論 :ウィキペディア
吉村 仁 北村健太郎氏
医療費亡国論が医療崩壊をもたらした 小松満氏
医療費は本当に高騰しているのか―その4―医療費亡国論の虚妄
:「眠れぬ夜に思うこと-人と命の根源をたずねて-」
心血管疾患 :ウィキペディア
冠動脈 :ウィキペディア
パルスオキシメーター :ウィキペディア
パルスオキシメーターの原理 :「KONICA MINOLTA」
血管造影検査室 :「中央放射線技術室」(慶応義塾大学病院)
静脈瘤 :ウィキペディア
下肢静脈瘤のお話 :「ゼリア新薬」
グラフト :「看護用語辞典」
手術用縫合糸の種類とその選択 -1-
「溶ける糸」って何日くらいで溶けてなくなるの? :「オペ・ナース養成講座」
人工心肺装置 :ウィキペディア
ダントロレン :ウィキペディア
ダントロレンナトリウム :「おくすり110番」
タンデムシートって何ですか?? :「YAHOO! 知恵袋」
限定解除審査 :ウィキペディア
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海堂 尊 作品読後リスト
今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』 宝島社
『玉村警部補の災難』 宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』 朝日新聞出版
ところが、突然ある作品が、時として過去のある時点に舞台を引き戻して、過去のテーマにスポットがあたり、現時点での登場人物たちが過去に立ち戻った形で、物語が進行する。我々を登場人物の過去の行動の軌跡を、今、知ることになる。本作品はこの類のものである。
2011年6月から2012年8月にかけて「週刊現代」に連載され、2012年10月に単行本化されたものである。しかし、本書の舞台は1991年4月の春から11月冬にかけての物語であり、1992年2月、春の到来を待つ時季で終わる。
桜宮ワールドには不可欠の高階権太が総合外科学教室、通称佐伯外科を支える重鎮の一人だが講師の立場で登場する。『螺鈿迷宮』『輝天炎上』の段階では、病院長を退くというステージにまで行った高階病院長が30代後半での物語になる。だが、高階講師が主役ではない。主役は、佐伯外科3年目の若手外科医・世良雅志である。世良は『極北ラプソディ』に病院閉鎖騒動の最中に救世主の如くに登場する。また、『極北クレーマー』では、再建途上の極北市民病院長として描かれている。本作品で彼は半ば黒子のような形でありながら、物語の主役を演じる役回りである。しかし、人生の重要な転機となる。本作品の実質的で華やかな主役は天城雪彦だろう。ただし、見方をずらせると高階と逆転する。
天城はモンテカルロのエトワール(星)と尊称され、誰も真似ができない神がかり的な手術の技量を持つ外科医なのだ。心臓外科において、ダイレクト・アナストモーシス(直接吻合術)という、最先端の動脈バイパス術のさらに一歩先を行く高度な技術を持っている。この術式ができるのは世界で天城一人なのだ。モナコ王国のモンテカルロ・ハートセンターで上席部長の職だったのだが、その天城が佐伯教授の招聘に応じて、桜宮の東城大学医学部付属病院にやってきた。その目的は、桜宮岬にスリジェセンターを開設するということにある。スリジェというのはフランス語で「桜」のことである。天城は桜並木のあるハートセンターを創設するという目標のもとに、1990年に胸部外科学会シンポジウムで公開手術を実施している。そして、今、桜宮の名士、ウエスギモーターズの会長の手術を東城大で公開手術として実施しようとしている。その手術の代償に3億円の寄付を条件にしようとしているのである。スリジェセンター創設への資金として。公開手術は佐伯教授の要請だとする。
世良は総合外科の高階研究室の研究員であるが、総合外科の医員として、スリジェセンターに出向している。スリジェセンターの総帥・天城の配下という立場に置かれている。
そこで、本書のストーリーの図式はどうかということになる。
1991年4月、医療業界の社会的状況は、厚生省官僚が「医療費亡国論」を発表しようとしていたという背景になっている。その渦中でスリジェセンターの創設を目標とする天城総帥のポリシーは、大金を出せば世界最高の手術を受けられるというもの、カネがすべての医療施設である。モンテカルロにおいて、「手術を受けたいなら全財産の半分を差し出せと言い放つ。ルーレットに天運を尋ね、患者がギャンブルに勝利した場合のみ、その勝ち分を報酬として術者を引き受ける」(p9)というやりかたをとっていたのである。
高階は天城の方針に反対の立場を表明する。命よりカネを優先させる天城のポリシーは医師として容認できないとし、全力を挙げてスリジェセンター創設を阻むと宣言する。
佐伯教授は、自分が招聘した天城をスリジェセンター創設後も己がコントロールできると自信を持っている。東城大学医学部付属病院の病院長として絶対の権力を掌握していると思っているのだ。その佐伯は公開手術で医療業界の認知度を一層高め、スリジェセンター創設の資金集めもできるともくろんでいる一方、大学付属病院の大々的な機構改革構想を突然発表し、次期の病院長選挙に再選を目指して立候補すると宣言する。
佐伯病院長の機構改革構想は、今まで以上に絶対的権限を病院長に集約し、組織的にはフラットなものにするというもので、入院治療の特別室の存在を公然化かつ一本化するというものだった。
高階は佐伯外科の講師として配下に居ながら、佐伯教授に叛旗翻す立場を選択していく。ここから次期病院長に立候補し、病院長の地位を狙う循環器内科の教授である江尻副病院長、特別室の存在に反対する榊総看護婦長などの間で政策的な駆け引きを高階は初めていく。スリジェセンター創設反対、佐伯病院長の機構改革構想そのものには反対であり、独自の構想を秘める高階の裏工作が始まるのだ。
一方、見かけの主人公である世良は微妙な立場に置かれていく。スリジェセンター創設のため佐伯外科の医員として2年半という約束で出向させられた世良は、高階研究室に一旦所属を戻し、佐伯外科の医局長に任命されるのだ。そして、天城が目標としているスリジェセンター創設の手伝いをするという立場になる。
総合外科の一翼である心血管外科の黒崎助教授の配下にあって、心血管外科ナンバー2である垣谷講師がそれまで医局長を務めていたのだ。高階研究室の先輩を飛び越し、世良が医局長に指名されることから、世良の悪戦苦闘が始まっていく。
天城が行おうとする公開手術を阻止せんとする権謀術数が、大学病院の主導権争いのための権謀術数と微妙に絡み合いながら進展していく。天城は天才的手技を持ち、天翔るナイトであり、独自の高みから、世良を手足に使いつつ公開手術の実施、スリジェセンターの創設を進めて行こうとする。ここに様々な障害が発生してくるという展開である。かなりおもしろい展開となっていく。これまでのいろいろな作品に登場した高階病院長の全くちがった局面が描かれていておもしろい。佐伯教授が高階を小天狗と呼ぶが、まさに面目躍如というニックネームである。
田口先生の愚痴外来に登場する藤原さんが、本書では榊総看護婦長配下の婦長の一人として重要な役割で登場し、一方、あの早速晃一が渡海教授の申し子と目されつつ、医局新入生として登場する。その若き日のエピソードが挿入されている。また、上杉会長の天城による施術前のこの手術に関する授業に、医学生として、あの彦根新悟が顔を出すのだ。若き日の彦根の思考と行動が描き込まれてくる。
海堂ワールドの諸作品を読み進めている人には、ジグソーパズルの1ピースがまたもぴちっとはまった感じを受けるに違いない。
高階、早速、彦根、藤原婦長、猫田、花房など、馴染みの深い人々の1990年代初頭の姿が見えてくる。そして、世良の人生観と生き方を決定づけて行く1991年の悪戦苦闘。
1992年2月の「冬の手紙」、終章「スリジェの花咲く頃」、世良の人生が大きく変わっていく。この後の世良、つまり、この1991~1992年と極北市での病院再建屋としての空隙に、つぎはどんなジグソーパズルのピースがあるのだろうか? ジグソーパズルはまだまだ終わりそうにない。
ご一読ありがとうございます。
本書に出てくる用語をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
医療費亡国論 :ウィキペディア
吉村 仁 北村健太郎氏
医療費亡国論が医療崩壊をもたらした 小松満氏
医療費は本当に高騰しているのか―その4―医療費亡国論の虚妄
:「眠れぬ夜に思うこと-人と命の根源をたずねて-」
心血管疾患 :ウィキペディア
冠動脈 :ウィキペディア
パルスオキシメーター :ウィキペディア
パルスオキシメーターの原理 :「KONICA MINOLTA」
血管造影検査室 :「中央放射線技術室」(慶応義塾大学病院)
静脈瘤 :ウィキペディア
下肢静脈瘤のお話 :「ゼリア新薬」
グラフト :「看護用語辞典」
手術用縫合糸の種類とその選択 -1-
「溶ける糸」って何日くらいで溶けてなくなるの? :「オペ・ナース養成講座」
人工心肺装置 :ウィキペディア
ダントロレン :ウィキペディア
ダントロレンナトリウム :「おくすり110番」
タンデムシートって何ですか?? :「YAHOO! 知恵袋」
限定解除審査 :ウィキペディア
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海堂 尊 作品読後リスト
今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』 宝島社
『玉村警部補の災難』 宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』 朝日新聞出版