遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『晩夏 東京湾臨海署安積班』 今野 敏  角川春樹事務所

2013-11-16 10:09:18 | レビュー
 私は今野敏の作品の中で、特にこの安積班シリーズが好きである。東京ベイエリア分署シリーズから始まり、神南署シリーズができ、ベイエリア分署が東京湾臨海署として組織拡大した形で復活したシリーズだ。東京湾臨海署シリーズもこの『晩夏』で8冊目になるようだ。2013年2月の出版である。
 安積班シリーズを必ずしも出版の時系列で読み継いできた訳ではない。かなり前後しながら、気がついた時に一冊一冊と手にとってきた。読後印象をブログに書き始めてから読んだのは東京湾臨海署の『陽炎』であり、この読後印象を載せた時に、安積班のメンバープラス交機隊の早速についてそのプロフィールを冒頭に書き込んだ。『陽炎』の印象記冒頭をお読みいただけるとありがたい。
 http://blog.goo.ne.jp/kachikachika/e/420c276e6e99fa7c5ff253279d7e5f70
 この晩夏では、安積班に新しいメンバーが加わっている。安積班の新顔、巡査部長の水野真帆だ。村雨秋彦、須田三郎と同格になる。「旧庁舎から、今の新庁舎に移る際に、刑事かが増強された。強行犯も、第一と第二に分かれて、人員が補充された。その際に、東京湾臨海署にやってきたのだ。すらりとした見事なプロポーションをしており、誰もが認める美人」(p5)なのだ。この水野が元鑑識係員だった。その経験が本書では安積班に重要な捜査上での貢献に繋がる発言を加えることになっていく。この作品で華々しく活躍する訳ではないが、結果的に要の一つを押さえているという登場である。

 さて8月の終わり、台風一過の月曜日に水上安全課から連絡が入ることで安積班(強行犯第一係)は事件に関わっていく。東京湾臨海署が新庁舎に移る際に組織が拡大されて、水上署が統合されたのだ。海域での事件も安積の管轄になる。漂流していたクルーザーの中から死体が発見されたのだ。クルーザーは曳航されて別館の船着き場に戻ってくる。
 船はポエニクス号。警備艇が発見し、船室内で人が倒れているのを発見。船室は施錠されていたので、人命救助最優先で船室の鍵を壊して船室に入ったが既に死亡していた。原因は絞殺。発見時点で死後約5~7時間が経過するという。被害者は船舶の所有者で、加賀洋、42歳。船舶登記によると会社役員である。船には他に誰もいなかった。台風到来の最中に海上に船がいたことになる。須田がふとつぶやく。「鍵がかかっていたということは、密室殺人ですかね・・・・」
 一方、前日の夜、新木場のクラブの店内で変死体が発見される。台風の最中、クラブのVIPルームを借り切って、パーティが行われていたのだ。連絡を受けて、相楽啓係長率いる強行犯第2係が未明から捜査に着手している。署内で同時期に2つの殺人事件が発生していたのである。
 
 東京湾臨海署で2件の殺人事件発生により捜査本部が2つ立つことになる。安積が関わった加賀洋殺人事件は別館の方に捜査本部が設置されることになる。署内には相楽係長が関わる新木場クラブ殺人事件の捜査本部が立つ。安積たちが再度別館に行こうとしたとき、交機隊の小隊長早速が現れ、安積を別館までパトカーで送ってくれるという。早速は騎士道精神を発揮し、水野も便乗させるという。別館に二人を送りとどけた早速が、なんと新木場の件で身柄を拘束されてしまうのである。
 安積は榊原課長から、早速の身柄拘束について連絡を受ける。安積は呆然となる。
 安積は相楽から、変死体は毒殺によるもので、毒物が入っていたと思われるグラスに、いくつか指紋が残っていて、照合の結果早速の指紋と判明したのだという。そのため、早速は参考人として一旦身柄を拘束され捜査一課の捜査員から事情聴取されているのだ。

 初任科の同期だった早速直樹をよく知る安積は、早速のことが気にかかるが、自分の関わる捜査本部の件を優先させねばならない。安積は警視庁捜査一課の若手捜査員、矢口と組んで捜査にあたるこになる。マリーナへの聞き込みに出かける際、矢口が一人でも大丈夫という言葉により、気がかりな早速の状況を知るために、安積は新木場クラブ殺人事件の捜査本部に行くという選択をする。そのことについて、捜査本部の池谷管理官から渋い顔をされる羽目になる。
 
 安積は矢口と組み、改めてマリーナへの聞き込みに出かけるが、そのプロセスで矢口のエリート意識及び捜査方法に問題点を見いだしていく。この捜査本部での捜査のプロセスにおいて、安積は、自分の部下でもないエリート意識ばかり強い捜査一課の若手を再教育しなければならない立場になるのだ。捜査に対する安積の信念が放っておけないのだ。結局、池谷管理官からは暗にそれを期待され、捜査の途中段階からは捜査一課の佐治係長からも頼みこまれることになる。

 安積にとってはいつものことだが、安積班のメンバーとは捜査情報のコミュニケーションを十分に行い、互いの疑問点を共有しながら犯人究明を行い、捜査本部内での情報の共有化を心がける。水上安全課の吉田係長から得た憶測だがという手がかりも、捜査本部での情報共有を進めようとする。吉田係長は言う。「欲がないんだな、ハンチョウ・・・・」「自分の手柄につながるかもしれないネタだ。それを、佐治なんかに教えちまうってのか?」安積は答える。「手柄なんてどうでもいいことです。一刻も早く、犯人を特定して、身柄を拘束したい。それだけです」
 私はこういう安積の捜査スタンスでのストーリー展開に魅力を感じてこのシリーズを、楽しみながら読み継いでいる。

 早速は捜査一課の捜査員には一切質問に答えないが、安積を指名して話をするという。それに対応し、早速から安積は事情を聞くことになる。その結果、参考人としての任意取り調べであったので、安積の働きかけもあり、その後早速の身柄拘束は解かれることになる。その結果、早速は安積の捜査にパトカーを提供するという形で間接的に捜査に関わり、ある段階から安積の関わる捜査本部の捜査の一員になっていく。
 なぜなら、改めてマリーナで聞き込みをしたことの延長での聞き込み捜査から2つの殺人事件に関連性が見え始めるからだ。早速にとっては、自分が事件の中でなぜかはめられた理由を解明し、事件解決により己にかかった嫌疑を払拭するチャンスとなる。

 安積は矢口と組んでいる。そこに早速が加わる。安積が感じている以上に、早速は矢口の意識と行動に問題を感じる。交機隊で暴走族の若者達を縦横に扱ってきている早速は、早速流の指示命令で、矢口の意識や行動を鍛え直してやろうとする。捜査方法は徹底して安積のやり方を見て学べというのだ。安積は安積で、早速が矢口に対応するやりかたから様々に学んでいくところがあるという展開がみられる。この辺りの再教育の進展が実におもしろくて楽しい。矢口のもつエリート意識とスタンスに対しても、安積の当初の理解と早速の理解は異なるのだ。躊躇する安積に対し一切躊躇をみせず踏み込む早速。この対照的なところもおもしろい。本書を読みながら、この点も楽しんでいただくとよいだろう。
 なぜ、クルーザーは台風接近で嵐がくるかもしれない状況で海に乗り出して行ったのか? 
 そのクルーザーがマリーナーを出航するときには燃料が一杯入れられていたのに、クルーザーが発見されたとき、燃料が空だったのはなぜか? 
 船室に鍵がかかっていた上に、船の所有者は絞殺されていた。誰が船に乗っていたのか、いつどこで船は死体だけになったのか?
 吉田係長との会話、安積班メンバーとの情報共有が基盤となり、マリーナでの安積の聞き込みが次々に疑問解明に結びついていく。

 なぜ、早速は場違いなパーティに出席していたのか? 出席できたのか?
 早速は安積に言う。元都内の暴走族の親衛隊長をやっていた新藤秀夫が早速に招待状を届けたのだ。早速は更正しようとしている元暴走族の面倒見のよさは半端ではないのだ。新藤はあるIT会社の社長の運転手として就職し、気がよく利き、度胸も忠誠心もある点を見込まれて、社長の秘書に出世しているのだ。その社長のコネでその社長も出席予定のパーティの招待状を得たのだという。新藤には社長の発案に従い、かつ世話になった早速への恩返しのようなものでもあったのだ。有名人やセレブの集まるパーティなのだから。 しかし、結果的にグラスに残った早速の指紋が、早速を被疑者という窮地に追い込むことになる。当の社長は嵐がくるからと新木場クラブのパーティには出席しなかった。

 冒頭から2つの捜査本部が立つという筋だったので、ひょっとしたらこの2つはつながっていく展開ではないか・・・と思ったが、どう繋がるかは予測できなかった。やはりうまく仕組まれたストーリーである。
 嵐の海上で、施錠された船室での密室殺人、船舶運転という特殊技術の必要性、嵐の中の出航という非日常性、セレブのパーティという特殊性、現職警察官の指紋が残されているだけという異常性、関係者のアリバイがあるという供述・・・・なかなかおもしろく組み立てられている。そこに優秀だが問題児である若手捜査員の再教育が絡められていく。捜査の原点、基本は何か? 問題の若手捜査員はスマートフォンを駆使したITスキルによる情報収集には長けているが、現場捜査は身についていない。若手捜査員は馬鹿ではない、安積と早速に学び、成長していくのだ。そこがいい。

 あとは本書をお読みいただき楽しんでいただければよいが、少し著者の発想の根っ子ではないかと思える背景に触れておこう。
 「恩を仇で返す」というフレーズのひねりと発想転換。竹取物語のかぐや姫への貴公子の求婚とかぐや姫の難題提示というこのお話の換骨奪胎、発想のひねり。第一印象の思い込みという障害・盲点崩し。アリバイ崩し、など。
 こういう観点は、読後の後智慧でしかないけれど・・・・。
 これを読んでいただいた上で、ストーリー展開の途中で、論理的推論により犯人を当てることができるだろうか。挑戦してみて欲しい。

 最後に、本書の惹かれる文章をご紹介して印象記としたい。
*今の捜査一課の捜査員たちは、探偵というよりも兵隊だと、安積は感じていた。個性を打ち消し、指揮官の方針に盲従する。
 犯罪は複雑化していく。地域社会の崩壊とネットや携帯電話、スマートフォンなどの通信の多様化とスピードアップがそれに拍車をかける。
 そういう時代にあって、探偵的な刑事のあり方はもう古いのかもしれない。だが、それで本当に犯罪者と対峙できるのだろうか。
 社会のゆがみが犯罪を生み出すという人もいるが、突き詰めていけば、やはり人が犯罪を犯すのだ。    p111
*もともと刑事は疑うのが仕事だ。そう言いながらも、どこか人の営みを信じているところがあった。
 だからこそ、人の痛みが理解でき、犯罪者の心理が理解できたのだ。
 矢口は、性悪説から出発している。他の捜査一課の刑事たちもそうなのだろうか。安積は、思った。いや、きっとそうではない。それでは、刑事という仕事があまりにつまらない。  p127
*管理官に言われるままに動いているだけでは、捜査感覚が育たない。近代的な捜査に探偵はいらないと公言する捜査幹部もいるらしい。
 だが、刑事にとって重要なのは、やはり捜査感覚と筋を読む能力だと、安積は思っていた。それがなければ、凶悪な犯人や頭の回る知能犯と渡り合うことなどできない。 p270
 本書では、安積自身が捜査の第一線で行動し、早速が脇役としてサポートする。安積班のメンバーは様々な観点での情報提供、安積班での情報共有に徹した形になっている。安積の捜査行動、管理官たちとのやりとり、実に楽しい。読後はシンプルな構図が見えるのだが、その肉付けはおもしろい。これもマジックの一種かもしれない。

 ご一読ありがとうございます。


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今野敏 作品読後リスト

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『欠落』 講談社
『化合』 講談社
『逆風の街 横浜みなとみらい署暴力犯係』 徳間書店
『終極 潜入捜査』 実業之日本社
『最後の封印』 徳間文庫
『禁断 横浜みなとみらい署暴対係』  徳間書店

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===   更新1版


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