遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『まりしてん千代姫』 山本兼一   PHP

2013-01-12 23:35:37 | レビュー
 ウィキペディアの「立花ぎん千代」の項を読むと、「柳河(現・福岡県柳川市)移転後に宗茂と別居(事実上の離婚)するなど、夫とは不仲であったと言われ、夫婦の間に子供はいなかった。」と「略伝」の末尾近くに記されている。そして注記で、”ただし、彼女と夫を巡るエピソードには必ずしも「不仲」と呼べないものも多く、戦国時代どころか近現代ですら夫婦間に子が無いだけで「性交渉が無い=夫婦仲が悪い」と見なされがちな風潮が存在していた事に留意する必要がある。ちなみに、宗茂は千代と別れた後に後妻(瑞正院・長泉院)を迎えているが、遂に実子を設ける事は無かった。”とも記す。

 本書は、立花千代の生涯をテーマにした作品だが、著者の千代姫に対する視点は温かい。千代と宗茂には、いまで言う相思相愛の関係が築かれ続け、千代が別居したのは武家の家系存続という時代の価値観に従う一つの彼女流のやりかただったと描き出している。「まりしてん」というキーワードを基軸にした著者の思いがそこに反映していると思う。現存する文書は「千代が七月より瘧疾にかかり十月十七日に亡くなった」と記しているという。しかし、著者は独自の展開を試み、異説を語っている。小説としてはこの作者の描き方にロマンを感じる。読後感に広がりが残る。

 「まりしてん(摩利支天)」とは、「勝利をもたらす軍神ながらも、陽炎のごとく光に満ちた美しい女神」(p7)である。姫の誕生からほぼその生涯にわたり、傍近く仕えた侍女・みねは千代姫を「まりしてん」の化身ととらえたのだ。そのみねが千代姫について述べる語りの部分と本作品の地の文が交互に織り成されて、千代伝、言い換えれば立花家の創成期が描き出されていく。
 立花家の事跡を調べて家譜をつくるという使命から、年老いたもと侍女に千代姫のことを尋ねるために訪れた若い人々がいる。その問いに対し、「わたしが死んでしまえば、ほんとうのことを知っている者がいなくなってしまうのを恐れたから」、「包み隠さず真実をお話しました」(p429)というのがこの語りの部分なのだ。傍近く仕えたみねの目からとらえた千代姫譚である。そういう語りだったのか、ということがみねの最後の語りの言葉からわかる。
 立花家は千代姫の菩提寺として柳河に良清寺を建立した。立花家としての法要はそこで行われている。それはそれでよし。しかし、慈しみのこころにあふれていた千代姫には、腹赤村の墓にこそまことの姫の気持ちがこもっているのだとみねは言う。
 本書末尾の三行の文章がいい。ここに、千代姫の生涯がシンボライズされている。つまり、侍女・みねの最後の語りを通して、著者の視点が表出されていると私は受け止めた。
 「こここそ、姫様の美しくも悲しいおこころが安らぐ場所でございますとも。
  千代姫様は、摩利支天のごとく猛くまっすぐなこころをお持ちでございました。
  いえ、まことの摩利支天の化身でございました。」

 生身の女子・千代姫が父・別次(べつき)道雪から7歳のときに、立花城の城督の立場を譲られる。70歳を目前にし、世継ぎの男子がいない道雪は、一人子の千代姫に、守護大名大友宗麟から許しを得て、「城とすべての領地、蔵のなかの刀剣や武具、食料まで、財産のことごとくを譲り状に記し、正式に相続させた」(p15)のだ。千代姫は子供の頃から武の鍛練をし、体術も身につけている。人としての心の強さは父・道雪ゆずりであり、男まさりなのだ。人前では凜冽な女大将としての姿を見せる。一方で、「女子ならばこそ、胴丸を着けていても、山に咲く花を摘んで愛でることができる」(p11)というこころを素直に享受できる姫だ。
 そんな千代姫が、子供の頃から知っていて、2歳年上だが頼りがいを感じていなかった千熊丸と祝言することになる。この千熊丸が統虎(後の宗茂)と改名する。祝言後の二人には、戦国の世の習い、次々に合戦が続いて行く世にあって、城主としての生き残りを迫られる。筑後・井上城主が秋月に寝返ったことによる大友軍への援兵要請による出陣、肥前・鳥栖勝尾城主筑紫広門の隙をねらった侵略・略奪への対処、統虎の実家・高橋家の岩屋城の合戦、高橋家の本城・宝満城の落城、大友家が秀吉軍に加わることに伴う島津軍との戦いへの出陣。著者は、当時の北九州の状況を立花家・高橋家を軸に描いていく。そして、秀吉による九州討伐が進み、島津勢への攻略が残るという段階で、秀吉の命令により立花家は立花城から柳河へと国替えになる。
 7歳で立花城の城督となった千代が立花城を去らねばならないという戦国の理不尽さを千代姫の目、立場から描き出すところが、本書の一つの大きな山場である。千代姫がどのように自らの思いに区切りをつけるか。それは後の千代姫の生き方の転機ともなるのだ。そして、千代姫は自らの髪を切るという行為に及ぶ。このあたり、やはり読みどころだろう。

 柳河城に移った千代姫は、統虎出陣後の守りを固める一方で、新しい国での内政に力を尽くしていく。そして朝鮮の陣への統虎の出陣。出陣中に、千代姫は肥前名護屋城に出向かざるを得なくなる。留守大名の奥方たちをねぎらうという秀吉の呼び出しだ。ここで秀吉に再び対面する千代姫。名護屋城における千代姫のパフォーマンスも痛快だ。これが著者のフィクションなのか史実なのか・・・。
 伏見城が築城された後、千代姫は宗虎(=統虎:改名)と秀吉から拝領した立花屋敷に出向く。しかし、これは子を成さぬ千代姫にとっては、細川藤高の勧めで宗虎が側室を設けるというステップへの始まりでもあった。伏見城と京の町を見聞した千代姫にとっては、生き様に新たな視点を得る機会となる。一方で、己の存在を突き詰めていかざるを得ない二度目の転機とも言える。柳河城に戻った後、千代姫は本丸を宗虎と側室・八千代の館とし、自らは宮永の地に居を構えることを選ぶ。千代姫の人生観・処世観が再び変革されていく段階だといえよう。
 宗虎の朝鮮再出陣、秀吉の死、そして、関ヶ原の戦いに至る過程で宗虎は大阪方・西軍に加担する、それが柳河城の開け渡しへと繋がって行く。千代姫は、城を去った後、腹赤村のはずれにある阿弥陀寺に住むことになる。千代姫の心境は宮永館から阿弥陀寺へのプロセスで、一層純化されていくといえようか。この最終段階の千代姫の心のうごき、それと照応する形での宗虎の立場と心境を描き出すその展開は、やはり最後の読ませ所といえる。

 本書で千代姫のエピソードがいくつも綴られていく。そのところがおもしろく、興味深い点でもある。こんなエピソードが次々に出てくる。
 千熊丸との祝言の条件は、千熊丸が千代の手勢で守る立花城を合戦のつもりで一人で登ってきて取る事。この合戦試合、なかなかおもしろく読める。
 父道雪に所望して、女子でも撃てる鉄炮を得て、女子組を組織する。道雪と統虎が出陣後、城を守るのは我らという気概とその力を築いていく。自ら鉄炮に習熟するというのは、まさに当時としては例外的な女性だったのでは・・・女傑の一人か。
 大阪城へ人質として出むく千代姫と女子組。大阪で千代姫の情勢を見る目が培われ、独自の振る舞いをし、さらに秀吉が千代姫と対面する描写がおもしろい。
 統虎が朝鮮に出陣するにあたっての統虎ならびに出陣部隊の出陣装束に対して、千代姫がアイデアを出す話も楽しいところ。統虎のおもしろいところでもある。
 柳河城を明け渡すことを決した宗虎が、加藤清正の陣に挨拶のため訪ねることになる。加藤の陣所の方角から、甲高い馬の嘶きを聴き、千代姫が薙刀を持って駆けつけるというシーンも見物である。戦国の世にこんな女性が何人いただろう。まさに痛快だ。

 最後に、千代姫は秀吉と宗茂という戦国の世に立った二人を、城督の視点と女心の視点から客観的・分析的に眺める。時には両者の比較を交えながら。その人物評価が変化していく状況を、要所要所に著者は書き込んでいく。この変化が読んでいて興味深いと思う。

印象深い章句を引用しておきたい。
*家来が悪いのは、大将が悪いからでしょう。いつもおっしゃっているではありませんか。 p12
*みんな気張ってくれ。みながおるから、この城がやっていける。この城は、みなの城じゃ。 p64
*城はひとつでなければなりません。新しく立花を名乗れば、譜代も寄騎も、豊後衆も筑前衆も、みな等しく立花の一門になります。 p112
*かしこまりました。それでは、冽の最後にお並びくださいませ。お腹を空かせているのはみな同じでございます。  p119
*強く生きねば、殺される。強く生きねば、踏みにじられる。逃げた者が殺されるのがこの世の掟ならば、逃げない強さが欲しい。孝行のために戦場を離れた者でも殺されるのがこの世の掟なら、その掟を変えさせる強さが欲しい。  p140
*どんな世になるかより、そなたが、どんな世にしたいかを考えたらどうかな。わしは、いつもそうしている。 p159
*天から力を授かるためには、大義ある戦いをせねばなりますまい。義の王道をゆくかぎり、あなたは天の名代です。 p213
*人の上に立つ者には、国と民に対してそれだけの責務があるはずだ。ただ、人を従わせるのを面白がっているだけでよいはずがない。そんな主に、人はついてこない。 p229
*人はな、望んだようにしか生きられぬ。望んだように生きていく。望んだことに周到に取り組めば、かならず実現できる。  p231
*安心して泣ける場所のあることが、女にとってはとても大切なのだと知った。 p252
*どこに住んでも、肝心なのは、その者のこころ、どこに住んでいるかが大事ではない。 p259
*愛する強さがほしい。  p301
*むしろ、思い煩うことがなくなった分、清々しく生きていける。 p404
*わしは、いま、待っておるのだ。長い人生には、待たねばならぬときもあろう。 p410


ご一読ありがとうございます。

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この作品に関連する人名、地名などの語句をネット検索して、いろいろ学べた。以下、一覧にしておきたい。

立花山城 :「筑紫のしろのき」
岩屋城  :「筑紫のしろのき」
柳川城  :「筑紫のしろのき」

立花宗茂 :ウィキペディア
立花宗茂と柳川 立花家十七代が語る 
戦国戸次氏年表 
別次道雪 → 立花道雪 :「インターネット戦国歴史事典」
千代 → 立花ぎん千代 :ウィキペディア
立花千代姫 :「紹運無双」

摩利支天 :ウィキペディア
摩利支天  日蓮宗事典より :
イノシシに乗った女神1 【飯田市美術博物館学芸員】 織田顕行氏 :「開善寺の花

「ぼたもちさん」(立花宗茂公夫人の墓) 長洲町史を読む! 第1回
宮永様跡とぼたもちさん :「立花宗茂と柳川」
良清寺  :ウィキペディア
瑞松院 → 水郷柳川(旧寺町)をゆく :「千寿の楽しい歴史」
 このサイトの同じページに良清寺も載っています。

大友宗麟 :「インターネット戦国歴史事典」
大友義統:ウィキペディア
高橋紹運 :ウィキペディア
十時連貞 :ウィキペディア

龍笛  :ウィキペディア

宝満城 → 筑前宝満城 :「菊池玲瓏」
 宝満山城 :「九州の城」
名護屋城 :ウィキペディア
名護屋城 :「九州の城」

秋月氏  :ウィキペディア
筑紫氏  :ウィキペディア
宗像氏  :ウィキペディア
宗像氏 :「戦国大名探究」武家家伝
竜造寺氏 :「戦国大名探究」武家家伝

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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

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