遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『強襲 所轄魂』  笹本稜平  徳間文庫

2021-10-25 19:52:32 | レビュー
 所轄魂シリーズの第3弾。2015年7月に単行本が刊行され、2018年6月に文庫化された。

 あることがきっかけとなり警視庁捜査一課の敏腕刑事、葛木邦彦は所轄への異動を希望した。願いは受理され、城東署の刑事・組織対策犯罪課強行犯捜査係長となる。所轄では犯罪と名の付くものなら、何でも扱うことに。
 城東署の管区でアパートに住む女性が人質となる立て籠もり事件が発生した。女性は元の夫との間で離婚調停が成立したものの、接近禁止の保護命令が3ヵ月前に切れたという状況で、しばしば恐怖を訴えていたという。事件を起こしたのは元の夫。犯人の西村國夫、35歳は元警察官で3年前まで特殊犯罪係(SIT)に所属していたと判明する。覚醒剤の常習が発覚。初犯であり警察を辞職することで執行猶予となった経緯がある。

 この立て籠もり事件に、本庁からSITのチームがすでに現場に臨場していた。だが、立て籠もりの犯人が元SITであることから、手の内は知り尽くされていることになり、うかつに突入もできない。
 西村は、当初巧妙にも本庁との間にホットラインを用意させて、その電話だけで交渉するという態度に出た。そのため、事件を扱う本部は警視庁内に置かれ、事件現場とは遊離する。現場で状況を見ながら判断する指揮官不在の状況に置かれる。現場に臨場するSIT隊長の川北は本庁の本部の指示を仰ぐ形になる。所轄の城東署に対策本部が設置されない。

 西村はSITに着任して2年後、ある暴力団組員の自宅ガサ入れにおいてSITの応援要請があった。短銃を所持していることと覚醒剤の販売をシノギとし本人も常習しているという情報が伝えられていた。ドアを破り、先輩の同僚が最初に踏み込み、西村が続いた。同僚が男に近づいた時、男は後ろ手でテーブルの上をまさぐり黒っぽい金属光沢のものを手に取り、同僚に向き直った。そのとき、西村は掩護としてその男の肩あたりを狙って撃ったのだが射殺してしまうことになった。この事件は、正当防衛として闇に封じられてしまった。

 所轄側としては、現場近くに、刑事・組織犯罪対策課の大原課長と別の事件捜査中に急遽呼び戻された葛木が張り付くことになる。大原と葛木はSITの川北隊長と西村について情報交換を行うことで、事件の背景をできるだけ明らかにしていこうとする。彼等は現状から判断すると、事の発端は誤射隠蔽事件以外には考えにくいという判断した。

 事件の発生を知った葛木の息子、俊史は警察庁から父親に電話を入れてくる。2人は情報交換し、俊史は警察庁に報告されている情報と状況を掴むとともに、上司に働きかけて現場に張り込む所轄とSITをサポートすると約束する。
 そんな矢先に、西村が葛木の携帯電話に連絡をしてきた。葛木に交渉の窓口になって欲しいと要求してきたのだ。葛木には面識がない。本人がアパートの窓のカーテンを少し開き葛木に顔を覗かせ、軽く敬礼をする行動を取った。間違いなく本人であることを証明したのだ。勿論、即座に葛木は大原に交渉役に指名されたことを報告する。
 このストーリー、葛木がこの立て籠もり事件の実質的な交渉人にならざるをえなくなった時点から、事件解決への紆余曲折のプロセスが始まる。

 現場に張り付いている葛木と事件を引き起こし立て籠もる西村との電話による交渉のプロセスがメイン・ストーリーになっていく。
 西村はSIT隊員だった経験を踏まえて、己の目的達成のために周到な計画をたてて行動している。人質を取る。猟銃の準備。自爆の準備を調えている。警視庁の上層部を引き出した上で、葛木を直接の交渉相手に指名。インターネットの活用を準備・・・等。
 葛木は警察組織に暗部が潜む実態を憤りそれを排除していきたいという思いを抱く一方、現状の警察組織内に踏みとどまる己に忸怩たる意識を抱いている。西村についての情報を部下の池田らに調べさせる。葛木は刑事として西村が事件を起こしたこと自体法的に当然の制裁を受けるべきという立場を堅持する。一方で、情報が累積していくにつれ、西村の意図と行為の一端に共感し始めて行く。
 2人の交渉のプロセスで、例えば次の様な会話が生まれる。
西村「いいんですか、そんなことをして。職務に対する背任になりますよ」
葛木「いいんだ。肝心なのはその職務が人の道として正しいかどうかだよ。私は組織の論理に魂を売るより、警察官としての誇りに殉じたい」(p134)
 葛木が交渉人としてどのような心理的葛藤を抱き、どのように判断し、どういう行動を取るか。葛木との交渉・対話の中で、西村に変化が生まれるのか。交渉人葛木のスタンスと行動描写が読ませどころとなる。

 メイン・ストーリーに絡まる形で、因果関係や事件対応策に関わる様々なサブ・ストーリーが織り込まれて行く。どういうサブストーリーが絡んでいるか、少しご紹介しておこう。
*西村がホットラインを指定したことにより、警視庁内に本部が置かれた。本庁の上層部がこの事件に引き出される。その本部の立場と方針がいかなる状況で動いていくか。
 事態の推移とともに、城東署に現地本部も設置されることとなる。途端に署長の行動が変化していくという描写もおもしろい。こちらは少し皮肉な視点で捕らえられている。
*葛木は、誤射隠蔽事件が事件の根底にあるとみた。当時の真相はどうだったのか。それがこの事件とどう関わるか。池田らに調べさせる。息子の俊史も事実解明に側面から協力する。
*本庁の対策本部内は、事件の解決方法に対し必ずしも一枚岩ではない。しかし、現場にSITが臨場しているにもかかわらず、警備部長の指揮下にあるSATが現場に送り込まれる。刑事部長は公安キャリアの定席である。刑事部長直下に捜査一課があり、SITは捜査一課に所属する。つまり、刑事警察の元締めである刑事部長、捜査一課長の意見は外されたといえる。SATは鼻から西村を射殺する意図を示している。SAT利用に反対する所轄魂が燃え上がる。現場で事件解決への対応に確執が生じる。
 SITとSATの役割・機能の違いがわかり、この点興味深い。
*立て籠もり事件に対して、警察庁と警視庁がどういう関係にあり、どう対応していくのか。それが現場にどのような影響を与えるか。警察庁に所属する葛木俊史は上司を巻き込み、どういう行動をとって行くのか。ここでも組織内の勢力関係の確執が関わって行く。それは警察庁と警視庁の組織の繋がり方にも関係している。
 警察組織の政治力学を知る上でもおもしろい。

 立て籠もり事件を引き起こし、自ら犯した誤射事件が嵌められたものと認識し、隠蔽された背景の真相を暴き出そうとする捨て身の西村。警察組織が自らの手で犯罪の黒幕を含め関与した人間を摘発せよと迫る。葛木は彼の意図に注意を払い対応して行かねばならない。それ自体が事実なのか、西村の妄想による絵空事なのか。葛木もまた捨て身の行動をとることになる。

 交渉がどのように進展して行くのか。交渉の膠着状態をどのように打開していけるのか。先の読みづらい交渉のプロセスが、読者を惹きつける。ストーリー展開の紆余曲折をお楽しみいただけると思う。

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『希望の峰 マカルー西壁』  祥伝社
『山岳捜査』  小学館
『サンズイ』  光文社
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『駐在刑事 尾根を渡る風』   談社文庫
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
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『破断 越境捜査』  双葉文庫
『挑発 越境捜査』  双葉文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
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