古代歴史小説。飛鳥時代末期に生きたに額田王(ぬかたのおおきみ)が主人公である。歴史年表風に言えば、斎明天皇(皇極重祚)の末期、「660年10月:百済、唐・新羅に敗れ、救援を求めるが、百済滅亡。661年1月:新羅征討の軍進発、斉明天皇親征。同年7月:斉明天皇没」の時期から始まり、天智天皇・弘文天皇の時代に活動し、「672年:壬申の乱」の過程を生きた額田王を中心にしてこの時代の王朝内部の政治的確執の実態を描く。史実を踏まえその空隙に想像力を羽ばたかせて、フィクションとして額田王と主要登場人物を織りなした作品となっている。飛鳥時代への興味が高まることだろう。
「毎日新聞」(2020年5月16日~2021年6月30日)の連載も加筆修正されて2022年7月に単行本が出版された。
本書の後半に、「古しへに 恋ふらむ鳥は 杜鵑(ほととぎす) けだしや鳴きし 我念(おも)へるごと」という歌が詠まれている。本書のタイトルは、この歌に由来する。そして、著者は額田にはこの歌について「誰に求められたものでも、誰に捧げるものでもない。これは自分だけの歌だ。」(p531)と言わせている。
額田は最終ステージで「わたしは歌詠みなのだから--」(p529)と唇だけで呟くに至る。額田にそう認識させるに至らせたのはなぜなのか。それがこのストーリーで語られることになる。
「讃良は額田を敗者と嗤っていよう。だが、そんなことはどうでもいい。自分が何を成したかは、すべて歌に刻まれている。何を感じて生きたかは、歌だけが知っている。それだけが、誰にも侵しようのない事実だ」(p559-560)と。
ストーリーは額田王を中軸にして、額田の視点から主な登場人物が鮮やかに描き込まれていく。まず、主な登場人物の人名と歴史年表で目にする人名表記について対比しておきたい。
宝女王(たからのおおきみ、斉明天皇)
額田(額田王)
葛城王子(かつらぎのみこ、中大兄皇子・天智天皇)
大海人王子(おおあまのみこ、大海人皇子・天武天皇)
伊賀[大友]王子(弘文天皇)
讃良王女(ささらひめみこ、天武天皇の皇后・持統天皇)
漢王子(あやのみこ) ⇒ 葛城と大海人の異父兄
学習参考書の歴史年表には登場しないが、宝女王と高向王との間の子
中臣鎌足 葛城王子の内臣
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(万1-20)
額田王が詠んだこの歌はよく知られている。
この歌に対して、大海人王子は、
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
と応じたとされる。
私は何となくこれらの歌を相聞歌と思い込んでいたのだが、この額田王の歌には「天皇の蒲生野に遊猟したまへる時、額田王の作る歌」と詞書が付き、雑歌として収録されているので、宴の中で交わされた歌だという。その意味合いが全く変わることになる。本書ではこの二首の歌が、ナルホドと思える場面で効果的に織り込まれている。
『万葉集』には額田王の歌が様々収録されている。これらがどのような状況下、場面で詠まれたのか。著者はそれらの歌をストーリーの要所要所に適切に織り込んでいく。
額田自身の意思による主体的な行動の結果として詠まれ、最後は上記のとおり、額田の自己認識にリンクしていく。「歌詠み」に額田の万感の思いが込められて・・・・。
額田は、宝女王・葛城王子が新羅征討軍を率い兵士を徴募しつつ国内を西に向かい移動する中に付き従っていた。移動途次に、大海人の妻・大田王女が女の子を出産する時、額田が介助するという場面からストーリーが始まって行く。
額田はこの時、31歳。大海人王子と離別し、宮城で宮人として宝女王に仕えて働き、10年以上を経ていた。大海人との間に十市という娘を産んでいたが、大海人に見切りをつけ離別し10年以上が経っていた。
新羅征討軍は四国で兵を徴し、船団が熟田津から出航していく。この時額田が「熟田津に船乗りせむと・・・・」の歌を詠む。この船団の出発前に、百済に戻る豊璋王子に対して、倭国と百済の紐帯を強める縁組が進められる。珠羅が縁組の相手として俎上に上がる。葛城がその縁組を主導するのだが、額田はそれに関わって行く。このエピソードが後々に一つの因となる。
この親征中、7月に宝女王は筑紫国朝倉宮(福岡県朝倉市)で没する。この後、額田は葛城王子に仕える宮人として働くことになる。今風にいえば、額田は葛城に仕えるキャリア・ウーマンとして、葛城が目指す政治体制づくりを支えて働く役割を担うことを目指す。このストーリーは、葛城の指示を受けつつ、己の才覚を存分に発揮したくてうずうずしている額田の行動、時には空回りになりかねない額田の行動を時代背景とともに描いてく。額田の前に現れるのは中臣鎌足である。葛城の内臣として陰で葛城を支え続け、額田との関わりを深め、額田に助言し協力していく。時に牽制もする。
新羅征討軍は白村江の戦いで敗れ、失敗となる。百済からの倭国への亡命者が増大する。葛城は唐新羅軍への防衛拠点づくりと国内体制づくりに邁進していく。さらに近江京遷都に踏み出す。
ストーリーの進展につれ額田が関わって行く事象を点描風に大凡列挙してみよう。
*飛鳥にある宮の倉や島の管理
*難波津で百済からの亡命者の管理に当たる百済司への関与
葛城・大海人の異父兄になる漢王子が百済司の長となっている。
漢王子と仕事上の関わりが深まっていく。額田は漢王子の評価を変えて行くことに。
額田は百済司を介して、葛城の政治への関わりを深め、視野を広げることになる。
そこには、中臣鎌足の目が光っていることも徐々に見えて来る。
*亡命百済人間での不和が、倭国の火種に。額田はその渦中に入り、関与していく。
*近江京への遷都計画に関わって行く。遷都への人々の心を促す歌を詠む。
*葛城と大海人の兄弟間での確執。額田はその中に捲き込まれていくことに。
葛城の娘であり、大海人の妃の一人となった讃良が常に大海人の陰で糸を引く。
讃良は、葛城から大海人に皇統を引き継がせることを狙う黒幕的立場とみなされる。
*新羅使の来日。その饗応の席で額田は重要な役割を担うことになる。
*壬申の乱の発生とその経緯。
額田は瀬田大橋での戦況を間近で眺める行動をとる。
近江京の滅び行く姿を傍観する立場になっていく。
*漢王子の死、その殯宮・奥津城に向かう。
額田の行動の動機と行動中の心理描写が読ませどころといえる。このストーリーでは、額田にとって重要な秘密が隠されているという設定になっている。その秘密が額田の行動と心理に大きな影響を与えていくことになる。その秘密とは、額田の目に映じる外界はモノトーンの世界。額田は生来、色覚に異常を持っていたという。巻末の主要参考文献を見ると、額田の色覚異常について論じている書も実際にあるようだ。
額田のこの秘密に気づいているのは、夫となった時期がある大海人王子、そして、何かの契機により、漢王子だけがその事実に気づいたという設定でストーリーが展開する。この設定が、このストーリーでは重要な要素として、額田の行動に絡んでいく。色が識別できない苦しみが様々な場面に反映していく。
己の色覚異常の秘密を逆にバネとして、己の能力を発揮できる場を築いて行こうとするまさにキャリア・ウーマン的な芯の強い女性というイメージ。これは、初めて『万葉集』で、「あかねさす紫野行き標野行き・・・・」を読んだ時の印象での額田王のイメージとの間に大きなギャップがありすぎた。それがかえってこのストーリーで、額田が活躍するのだろうかという興味への出発点にもなった。
最後に、印象深い一節を引用しご紹介しておこう。
*余人とは異なる己の眼と、中臣鎌足の才知には遠く及ばぬ己の身を自覚しているがゆえに、額田は葛城の役に立とうと常に足掻き続けている。・・・・一旦、己に足りぬものを知ってしまった者は、激しい渇望とともにそれを埋めようと悶えるのだ。 p215
*(鎌足の言として)臣がいなくなろうとも、臣の成したこと、語ったことまでが消え去るわけではありません。加えて、誰が死に、誰が生まれようとも、日月は変わらず昇り、年月は流れるものです。・・・・だからこそ、この世にある限り、我々は懸命に生きねばなりませんし、同時に死や滅びを恐れてもなりません。すべてはいつか、流れ去るのです。 p297
*(鎌足の言として)人は大なり小なり、誰かに認められ、褒められたいと願うものです。・・・・誰かと向き合わねばならぬ際は、その相手が周囲にどう振る舞っているかをなぞるのです。 p317
*葛城も大海人も、所詮は人。怒りもすれば我欲のままに生きもする人々によって、この世は成り立っている。そんな中で心地よい場所がどこかにあるはずと夢見た己が、そもそも愚かだったのではあるまいか。人の世とはつまりは、人同士がぶつかり合い、悶着を起こす諍いの世なのだから。 p376
*同じ場所に立ち、同じものを見ながらも、色が分かる他の人々と自分が異なる光景を捉えているように、自分は余人のように考えられぬことが多のだ。
その事実はあまりに哀しいが、だからといてどう足掻いても、色の見える人々の如く生きられるわけではない。 p423
*今ならば分かる。人が誰にも増して信じるべきは、己自身なのだ。そうすれば仮に他人から裏切られたとて、己の魂まで損なわれはしない。 p434-435
*遠い古しえの蜀王・望帝はゆえあって帝位を降りたことを悲しむあまり、死後、杜鵑に生まれ変わって、去りし昔が恋しいと啼いたという。
漢(王子)は末期の苦しみい遭ってもなお、己の所業を悔いはしなかっただろう。だがそう分かっていてもなお、この世に残された者は過去を恋い、顧みずにはいられない。
・・・・・事ここに至っては、自分はあるがままを見、歌に詠むしかできぬのだから。 p455-456
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し、ネット検索した事項を一覧にしておいたい。
額田王 :「千人万首」
額田王 :ウィキペディア
額田王 :「コトバンク」
天智天皇 :「ジャパンナレッジ」
天武天皇 :「ジャパンンレッジ」
漢皇子 :ウィキペディア
大友皇子 :「コトバンク」
番外編「大友皇子伝説」 :「飛鳥の扉」
白村江の戦い :「飛鳥の扉」
倭国の防衛 :「飛鳥の扉」
天智天皇と大津京 史跡と伝承 :「近江神宮」
近江大津京のページ :「近江勧学館」
近江大津宮 :「大津市歴史博物館」
壬申の乱 :「コトバンク」
壬申の乱 :「飛鳥の扉」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 澤田瞳子 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.10.27 現在 21冊
「毎日新聞」(2020年5月16日~2021年6月30日)の連載も加筆修正されて2022年7月に単行本が出版された。
本書の後半に、「古しへに 恋ふらむ鳥は 杜鵑(ほととぎす) けだしや鳴きし 我念(おも)へるごと」という歌が詠まれている。本書のタイトルは、この歌に由来する。そして、著者は額田にはこの歌について「誰に求められたものでも、誰に捧げるものでもない。これは自分だけの歌だ。」(p531)と言わせている。
額田は最終ステージで「わたしは歌詠みなのだから--」(p529)と唇だけで呟くに至る。額田にそう認識させるに至らせたのはなぜなのか。それがこのストーリーで語られることになる。
「讃良は額田を敗者と嗤っていよう。だが、そんなことはどうでもいい。自分が何を成したかは、すべて歌に刻まれている。何を感じて生きたかは、歌だけが知っている。それだけが、誰にも侵しようのない事実だ」(p559-560)と。
ストーリーは額田王を中軸にして、額田の視点から主な登場人物が鮮やかに描き込まれていく。まず、主な登場人物の人名と歴史年表で目にする人名表記について対比しておきたい。
宝女王(たからのおおきみ、斉明天皇)
額田(額田王)
葛城王子(かつらぎのみこ、中大兄皇子・天智天皇)
大海人王子(おおあまのみこ、大海人皇子・天武天皇)
伊賀[大友]王子(弘文天皇)
讃良王女(ささらひめみこ、天武天皇の皇后・持統天皇)
漢王子(あやのみこ) ⇒ 葛城と大海人の異父兄
学習参考書の歴史年表には登場しないが、宝女王と高向王との間の子
中臣鎌足 葛城王子の内臣
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(万1-20)
額田王が詠んだこの歌はよく知られている。
この歌に対して、大海人王子は、
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
と応じたとされる。
私は何となくこれらの歌を相聞歌と思い込んでいたのだが、この額田王の歌には「天皇の蒲生野に遊猟したまへる時、額田王の作る歌」と詞書が付き、雑歌として収録されているので、宴の中で交わされた歌だという。その意味合いが全く変わることになる。本書ではこの二首の歌が、ナルホドと思える場面で効果的に織り込まれている。
『万葉集』には額田王の歌が様々収録されている。これらがどのような状況下、場面で詠まれたのか。著者はそれらの歌をストーリーの要所要所に適切に織り込んでいく。
額田自身の意思による主体的な行動の結果として詠まれ、最後は上記のとおり、額田の自己認識にリンクしていく。「歌詠み」に額田の万感の思いが込められて・・・・。
額田は、宝女王・葛城王子が新羅征討軍を率い兵士を徴募しつつ国内を西に向かい移動する中に付き従っていた。移動途次に、大海人の妻・大田王女が女の子を出産する時、額田が介助するという場面からストーリーが始まって行く。
額田はこの時、31歳。大海人王子と離別し、宮城で宮人として宝女王に仕えて働き、10年以上を経ていた。大海人との間に十市という娘を産んでいたが、大海人に見切りをつけ離別し10年以上が経っていた。
新羅征討軍は四国で兵を徴し、船団が熟田津から出航していく。この時額田が「熟田津に船乗りせむと・・・・」の歌を詠む。この船団の出発前に、百済に戻る豊璋王子に対して、倭国と百済の紐帯を強める縁組が進められる。珠羅が縁組の相手として俎上に上がる。葛城がその縁組を主導するのだが、額田はそれに関わって行く。このエピソードが後々に一つの因となる。
この親征中、7月に宝女王は筑紫国朝倉宮(福岡県朝倉市)で没する。この後、額田は葛城王子に仕える宮人として働くことになる。今風にいえば、額田は葛城に仕えるキャリア・ウーマンとして、葛城が目指す政治体制づくりを支えて働く役割を担うことを目指す。このストーリーは、葛城の指示を受けつつ、己の才覚を存分に発揮したくてうずうずしている額田の行動、時には空回りになりかねない額田の行動を時代背景とともに描いてく。額田の前に現れるのは中臣鎌足である。葛城の内臣として陰で葛城を支え続け、額田との関わりを深め、額田に助言し協力していく。時に牽制もする。
新羅征討軍は白村江の戦いで敗れ、失敗となる。百済からの倭国への亡命者が増大する。葛城は唐新羅軍への防衛拠点づくりと国内体制づくりに邁進していく。さらに近江京遷都に踏み出す。
ストーリーの進展につれ額田が関わって行く事象を点描風に大凡列挙してみよう。
*飛鳥にある宮の倉や島の管理
*難波津で百済からの亡命者の管理に当たる百済司への関与
葛城・大海人の異父兄になる漢王子が百済司の長となっている。
漢王子と仕事上の関わりが深まっていく。額田は漢王子の評価を変えて行くことに。
額田は百済司を介して、葛城の政治への関わりを深め、視野を広げることになる。
そこには、中臣鎌足の目が光っていることも徐々に見えて来る。
*亡命百済人間での不和が、倭国の火種に。額田はその渦中に入り、関与していく。
*近江京への遷都計画に関わって行く。遷都への人々の心を促す歌を詠む。
*葛城と大海人の兄弟間での確執。額田はその中に捲き込まれていくことに。
葛城の娘であり、大海人の妃の一人となった讃良が常に大海人の陰で糸を引く。
讃良は、葛城から大海人に皇統を引き継がせることを狙う黒幕的立場とみなされる。
*新羅使の来日。その饗応の席で額田は重要な役割を担うことになる。
*壬申の乱の発生とその経緯。
額田は瀬田大橋での戦況を間近で眺める行動をとる。
近江京の滅び行く姿を傍観する立場になっていく。
*漢王子の死、その殯宮・奥津城に向かう。
額田の行動の動機と行動中の心理描写が読ませどころといえる。このストーリーでは、額田にとって重要な秘密が隠されているという設定になっている。その秘密が額田の行動と心理に大きな影響を与えていくことになる。その秘密とは、額田の目に映じる外界はモノトーンの世界。額田は生来、色覚に異常を持っていたという。巻末の主要参考文献を見ると、額田の色覚異常について論じている書も実際にあるようだ。
額田のこの秘密に気づいているのは、夫となった時期がある大海人王子、そして、何かの契機により、漢王子だけがその事実に気づいたという設定でストーリーが展開する。この設定が、このストーリーでは重要な要素として、額田の行動に絡んでいく。色が識別できない苦しみが様々な場面に反映していく。
己の色覚異常の秘密を逆にバネとして、己の能力を発揮できる場を築いて行こうとするまさにキャリア・ウーマン的な芯の強い女性というイメージ。これは、初めて『万葉集』で、「あかねさす紫野行き標野行き・・・・」を読んだ時の印象での額田王のイメージとの間に大きなギャップがありすぎた。それがかえってこのストーリーで、額田が活躍するのだろうかという興味への出発点にもなった。
最後に、印象深い一節を引用しご紹介しておこう。
*余人とは異なる己の眼と、中臣鎌足の才知には遠く及ばぬ己の身を自覚しているがゆえに、額田は葛城の役に立とうと常に足掻き続けている。・・・・一旦、己に足りぬものを知ってしまった者は、激しい渇望とともにそれを埋めようと悶えるのだ。 p215
*(鎌足の言として)臣がいなくなろうとも、臣の成したこと、語ったことまでが消え去るわけではありません。加えて、誰が死に、誰が生まれようとも、日月は変わらず昇り、年月は流れるものです。・・・・だからこそ、この世にある限り、我々は懸命に生きねばなりませんし、同時に死や滅びを恐れてもなりません。すべてはいつか、流れ去るのです。 p297
*(鎌足の言として)人は大なり小なり、誰かに認められ、褒められたいと願うものです。・・・・誰かと向き合わねばならぬ際は、その相手が周囲にどう振る舞っているかをなぞるのです。 p317
*葛城も大海人も、所詮は人。怒りもすれば我欲のままに生きもする人々によって、この世は成り立っている。そんな中で心地よい場所がどこかにあるはずと夢見た己が、そもそも愚かだったのではあるまいか。人の世とはつまりは、人同士がぶつかり合い、悶着を起こす諍いの世なのだから。 p376
*同じ場所に立ち、同じものを見ながらも、色が分かる他の人々と自分が異なる光景を捉えているように、自分は余人のように考えられぬことが多のだ。
その事実はあまりに哀しいが、だからといてどう足掻いても、色の見える人々の如く生きられるわけではない。 p423
*今ならば分かる。人が誰にも増して信じるべきは、己自身なのだ。そうすれば仮に他人から裏切られたとて、己の魂まで損なわれはしない。 p434-435
*遠い古しえの蜀王・望帝はゆえあって帝位を降りたことを悲しむあまり、死後、杜鵑に生まれ変わって、去りし昔が恋しいと啼いたという。
漢(王子)は末期の苦しみい遭ってもなお、己の所業を悔いはしなかっただろう。だがそう分かっていてもなお、この世に残された者は過去を恋い、顧みずにはいられない。
・・・・・事ここに至っては、自分はあるがままを見、歌に詠むしかできぬのだから。 p455-456
ご一読ありがとうございます。
本書に関連し、ネット検索した事項を一覧にしておいたい。
額田王 :「千人万首」
額田王 :ウィキペディア
額田王 :「コトバンク」
天智天皇 :「ジャパンナレッジ」
天武天皇 :「ジャパンンレッジ」
漢皇子 :ウィキペディア
大友皇子 :「コトバンク」
番外編「大友皇子伝説」 :「飛鳥の扉」
白村江の戦い :「飛鳥の扉」
倭国の防衛 :「飛鳥の扉」
天智天皇と大津京 史跡と伝承 :「近江神宮」
近江大津京のページ :「近江勧学館」
近江大津宮 :「大津市歴史博物館」
壬申の乱 :「コトバンク」
壬申の乱 :「飛鳥の扉」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
=== 澤田瞳子 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.10.27 現在 21冊