遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『探偵ガリレオ』 東野圭吾  文春文庫

2020-04-24 11:36:56 | レビュー
 「オール読物」の1996年11月号に載った短編から連作ミステリーとして新シリーズが始まり5篇発表された。それらが1998年5月に単行本として出版され、2002年9月に文庫本となっている。これがガリレオ・シリーズの始まりである。
 
 本書にまとめられた段階で、タイトルが『探偵ガリレオ』とネーミングされたのだろうか。本書では初出の短編のタイトルがそのまま発表順に各章のタイトルとされている。
 第5章の本文に以下の文が出てくる。
 「例のガリレオ先生に相談してこい、といったのは係長の間宮だ。草薙に物理学助教授の親友がいて、これまでにも不可解な事件に遭遇した時には、その人物から貴重なアドバイスを貰っていることは、草薙の所属する班では有名な話だった。」(p285-286)
である。本書のタイトルはここに由来するのだろう。ここに至るまで、ガリレオという名称は出て来ない。
 余談だが、ここにも時代感が出ている。助教授という言葉。かつては助教授といった。今は「准教授」という言葉が使われている。あるとき、この変化に気づいた。調べてみると、2007年4月の法改正による。

 この文に、既に基本的な設定が凝縮されている。少し補足して、この新シリーズの2人の主要な登場人物のプロフィールをまず紹介しておこう。

 草薙俊平は警視庁捜査一課に所属する刑事である。直属上司が間宮係長。その上に課長が居る。独身。愛車はスカイライン。
 ガリレオ先生というのは、草薙の親友であり、名前は湯川。帝都大学理工学部物理学科第十三研究室を運営する助教授である。湯川も独身。そして子供嫌いだという。
 草薙は同じ帝都大学の社会学部で学び、共にバドミントン部に所属していた仲間だった。草薙が担当する殺人事件で、犯行方法などについて不可解な状況・事象に遭遇すると、湯川を訪ねて物理学者の立場からの分析とアドバイスを得るということをしてきた。草薙は湯川のアドバイスによって、事件を解決に持ち込んでいくことができた。

 この第1作は、短編の連作であり、各ストーリーの展開パターンはすごくストレートである。殺人事件が起こると、捜査本部が立つ。草薙は捜査本部に組み込まれ、捜査員として事件に取り組む。事件発生の状況が大凡把握される。事件の核心部分、つまり犯行方法などに不可解な謎が壁として立ちはだかる。草薙が研究室を訪れ、湯川に不可解な謎部分を説明する。そして、湯川は現場に草薙と一緒に赴く。草薙の捜査でわかった事実関係の説明と犯行現場等の実見を合わせて、湯川が分析し謎解きを試みる。研究室で実験を行い草薙に謎を解明し立証を行う。湯川のアドバイスを得て、草薙が犯人を逮捕する。こんな流れが進展していく。
 草薙にとっては不可解な謎の壁となっているところを、物理学等の知識や科学技術を背景として、研究者の分析力で、いわば犯行マジックのネタを解明する。それを実験で立証するプロセスを織り込んでいくのだから、納得性が高まる。ちょっと思いつきにくい意外性のある知識・技術の応用という点がミソである。結構楽しめるミステリーの謎解き連作と言える。
 それでは5つの短編について、簡単にご紹介しておこう。

  第1章 燃える もえる
 道路の突き当たりにバス停があり、その傍に自動販売機がある。バイクで来た数名の若者たちが毎週のようにその場所に夜たむろし騒がしい。その夜は、19歳の向井和彦と他に4人が、楽しいことをする仲間くらいの関係でたむろしていた。騒いでいる最中に、山下の後頭部から炎が上がった。彼は前方にゆっくりと倒れた。その後、自販機の横に4段に積まれていたプラスチックケースの上の新聞紙の包みが燃え始め激しい爆発が起こる。山下は焼死、他の仲間も大火傷をする羽目に。草薙は事件現場に向かいかけた時、前方から来て躓いた少女を助け起こした。母と一緒に火事場見物に来ていたようだ。その少女は母親にしきりに、すごく長い赤い糸を見たと訴えていた。草薙はガソリン臭を嗅ぎ取る。間宮係長の指示を受け、草薙は現場近くの聞き込み捜査を始める。
 草薙は湯川の研究室を訪れ、事件の状況、怪奇現象について説明する。湯川は草薙の案内で事件現場とその周辺を実見に行く。そして発火原因と方法を解明し、犯人逮捕に至るヒントも見つけていた。それが草薙の聞き込み捜査とリンクする。
 少女の発言が湯川には重要な手がかりとなった。そこからは湯川の明晰な分析力と物理学等の知識の応用だった。ガリレオ先生の鮮やかな登場となる。
 
  第2章 転写る うつる
 自然公園のひょうたん池に鯉釣りに行った2人の中学生が、鯉の代わりに奇妙なものを釣り上げる。それが死体発見の発端になる。
 草薙は中学生の姉娘の文化祭で、娘の出演する舞台のビデオ撮影担当として姉にかり出される。その折り、暇つぶしを兼ね『変なもの博物館』の看板を掲げる部屋に入ってみる。そこには『ゾンビのデスマスク』と題する石膏の人間の顔があった。草薙は、そこにリアルな死者独特の表情を見つける。突然2人の女性が入ってきて、その内の一人が、兄の顔に間違いがないと断言する。草薙は聴き取りを進めた。中学生がデスマスクを作るのに使ったアルミ製マスクの出所を突き止め、ガラクタの廃棄場所になっているひょうたん池から死体を発見するに至る。
 殺害し死体遺棄する犯人がデスマスクとしてアルミ製マスクをわざわざ作り捨てる訳がない。では、誰が作ったのか。一方、被害者は誰になぜ殺されたのか。偶然の組み合わせと物理的な因果関係の巧妙な結合が生み出すストーリーがおもしろい。

 第3章 壊死る くさる
 スーパーマーケットの経営者で、身の回りの品に驚くほど金をかけない吝嗇家の高崎邦夫が自宅の浴槽で死んでいた。大学生の息子がほぼ5ヵ月ぶりに、いくつかのパソコンソフトを取りに帰って来て発見したのである。玄関のドアに鍵は掛かっていなかった。母親は早死にしていた。
 高崎邦夫は心臓が弱かったのだが、馴染みの医者が死体を見て奇妙に思い警察に届けた。その奇妙さというのは、右胸に直径10cmほどの灰色の痣ができていて、その部分の細胞が完全に壊死していたのである。それらの細胞は瞬間的に破壊されたらしいのだ。死体から薬物は発見されなかった。感電死と仮定しても、今回みたいな痣にはならないと専門家はいう。警察の扱う事件となるのかどうか、お手上げの草薙は湯川に相談を持ちかけた。
 草薙は湯川を誘い、高崎が行きつけとしていた店に行ってみることにした。そして、高崎が馴染みとしていたホステスが誰かを調べてみる。それが事件解決への第一歩だった。湯川は、草薙に科学者は考え出すというより見つけ出す方が多いと言う。そして、草薙の求めに応じて、同行することから、壊死を起こさせた原因を発見し、謎を解く。
 手術用のメスが殺人の凶器にも使えるように、進歩した現代科学技術が、殺人道具に転用できるという発想転換が、鮮やかな意外性を生み出している。

  第4章 爆ぜる はぜる
 結婚して約1年の梅里律子は、9月の日曜日に湘南の海に来ていた。ピンク色のビーチマットに摑まって海に泳ぎに出た。マットの下に何かが当たった。すぐ下に潜っていた若い男だった。その男が謝って、どこかへ泳ぎ去った。沖に流されていたので、戻ろうと方向を変えた時、何かが彼女を襲った。浜辺ではパニック状態が発生する。
 夫の梅里尚彦は、ピンク色のビーチマットを目印にして眺めていたので、その瞬間を目撃した。轟音とともに妻の姿が火柱に変わったのだ。
 この湘南海岸での爆発事件の報道記事をネタに、研究室で学生を相手に合理的な説明をつけようと言う知的ゲームをしている湯川のところに、草薙が訪問する。
 草薙は、三鷹のアパートで発見された他殺死体事件の件で、大学まで聞き込みに来て、まず湯川のところに立ち寄ったのだ。事件現場の部屋から見つかった直近に撮られた写真が草薙の見知っている建物だった。かつ被害者の元会社員藤川雄一は帝都大学理工学部エネルギー工学科の出身だった。藤川が所属していた研究室の助手は湯川の同期だという。そこで湯川が松田のところに案内する。この時点から湯川が事件解決に協力していくことになる。
 この事件では、湯川が更なる犯罪の発生を阻止し、犯人の逮捕に重要な役割を果たす。その一方で、心の揺らぐ瞬間を草薙に感じさせる局面を見せるというところが興味深い。
  第5章 離脱る ぬける
 生まれつき病弱な小学2年生の植村忠広は、風邪を引き熱を出して寝ていた。フリーライターである父の宏は息子の看病をしながら、期限の迫った原稿書きをしていた。近所に住むクラスメートの母親が、忠広を心配して訪ねてくる。彼女は、枕元のスケッチブックに目を留めた。絵の得意な忠広にしては、何を描いたのか不明な絵が描かれていた。忠広は、急に身体が浮くみたいな感じがして、窓の外を見た時に見えたものを描いたという。上村はその絵を凝視し、窓の外を見る。アパートの2階の窓のすぐ正面には、食品工場の大扉が見えるだけだった。
 この絵が、草薙が捜査する殺人事件で、被疑者が犯行時間帯のアリバイとして主張した場所に車を駐めていたという事実の証拠になり得るかという点でリンクしていく。杉並で起こった殺人事件に関連して、息子が重要な証人になりうる可能性があり、幽体離脱して描いた絵だという写真を入れた文書を作成し、上村宏が捜査本部に送ったことによる。その文書を受け取った捜査本部は捜査に混乱を来す。
 被疑者の主張するアリバイを崩せるのか。聞き込みでは目撃者は見つかっていない。一方、小学生の描いた絵は本当に見たものなのか。父親の言うように、幽体離脱で見たということを信用できるのか。草薙に同行した湯川は、車が駐められていた場所、上村の住むアパート、食品工場とその周辺を実見する。そして、あることに気づく。
 科学者のするどい観察と発見が、事実を解明していき、分析結果を実験で証明していく。事件そのものと幽体離脱により見たという絵は、意外な展開を遂げることになる。
 最初に記した通り、捜査一課の連中も、ガリレオ先生の力を頼りにするというおもしろいストーリーである。

 このシリーズ、直近の『沈黙のパレード』まで、現在合計9作品が出版されている。読み継いでいきたいと思っている。
 お読みいただきありがとうございます。

補遺
准教授 :ウィキペディア

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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社