農地を集約して生産コストを低減させようといった政策があります。識者からもこのような主張が度々なされております。いわば、これはこれからの農業政策の主流であろうと思われます。しかし、このような考え方は、遥か昔からありますし、大規模化や集約化は、これまでの農政そのものと言っても良いことであって、何を今更の感があります。これまでは、やり方が拙かったとのことで、これからは上手くやるそうです。
この農地の集約化という言葉は何を指しているのでしょうか。漠然とした意味は理解できるとしても、私には具体的にどのようなこのとなのか正直言って良く判りません。私自身も大規模集約農業とか何気なく使ってきましたが、集約を色々な意味で便利な言葉として使っております。
集約農業の場面では、資本や労働の集約といった意味で用いておりますし、農地の集約化という場面では、農地を単一の耕作者に集中するとか単一の場所に集中するとかいった意味で用いております。
農水省は単一場所に農地を集めることを集積化と呼んでいるようにも窺えますが、集約化とも呼んでいるようでもあります。何となく集約化とはいうもののチャントした定義はないのではないかと思ったりしております。
のっけから脇道に逸れてしまいましたが、農地の集約化といった場合には、次のような場合が考えられるのではないでしょうか。つまり、単一の耕作者に農地を集中させることと単一の場所に農地を集中させるといったことになります。
前者の場合には、単一の耕作者に集中することとなり、経営の大規模化といったことになりますので、経営の安定化に資するといったことになろうかと思います。後者の単一場所に集中させるということは、点在している耕作地を耕作者毎にまとめ、一枚の田んぼの面積を広くするということになり、生産性の向上に資することとなります。しかし、土地を動かすことは出来ませんので、土地の耕作者間での権利の移動(所有、賃貸借など)が伴います。農地の権利関係は、相対で行われることを通例としておりますので、なかなか集約化が進展しないのが現状です。そこで、農地集約化のための機関を創設しようといった政策が進行中で、これが実現すればそれなりの効果があるのではないかと考えます。
めでたく農地の集約化が出来たとした場合、果たして如何ほど生産性が向上するのでしょうか。一枚の田んぼの面積が広くなれば、水管理などは格段に省力化が出来るものもあるでしょうし、大型機械で効率的に作業が出来るようになります。しかし、農作業全般でみれば、様々だといわざるを得ません。一台の機械の能力には、自ずと限界があります。農作業は時間との勝負ですから、足りないとなれば機械の台数を増やさざるを得ません。それと共にオペレーターも必要になります。ということで生産性は一定面積を超えると頭打ちになるような性質を持っております。例え、機械操作を完全自動化したところで、頭打ちになる面積が広くなるだけで事情は同じです。また、肥料や農薬の使用量は、面積に比例しますので面積の広狭による生産性にはあまり影響しないものと考えられます。
ですから集約化するにしても広ければ広いほど良いといった考え方は如何なものでしょうか。集約するにしても適正規模があってしかるべきだと考えます。それが1haなのか20haなのかは判りません。それは農業経営者が決定することであって、政府は農業者が集約し易い環境整備をすることが重要だと考えます。但し、中小零細農家に皺寄せが行かないような配慮も同時に行う必要があります。
以上から、農地の集約化による生産性の向上には限界があります。技術革新によってこの限界面積を広くしていくことは可能でしょう。しかしながら、常に生産性の向上と投資のトレードオフを意識しなければなりません。
一方で、単位面積当りの生産量自体にも当然限界があります。これはむしろ小面積の零細農家の方が高い場合が多いでしょう。大規模農家の場合には、効率を追求するあまり作物管理が希薄になる可能性があります。従って、農地の集約化と生産量との間には相関性が低いのではないかと推測されます。このように農地の集約化によって販売量はさして増大するとは考えられません。結局、販売額は販売単価に依存することになります。
結論として、生産性の向上は頭打ちとなり、販売額は単価次第ということになれば、農業経営的には米価に依存しているといわざるを得なくなってしまいます。貿易が自由化されれば、米価は低落するでしょうから、いくら生産性が向上しても太刀打ちできない局面が必ず訪れます。政府としては、そのような場合をこそ想定して農業政策を策定しておく必要があるのではないかと考えます。
<参考> 「TPPについて(17)-農業の経営規模拡大の行き着く果ては?」