山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

憲法第9条について

2013-05-08 | 政治・経済・社会

 憲法改正議論の最大の争点はやはり、憲法第9条であろうと思います。憲法擁護/改正の両陣営の主張が最も先鋭的にぶつかるところです。

 先の大戦後に第9条が果たしてきた一定の役割は評価すべきことであろうと思います。しかし、第9条擁護の立場からの主張は、私が見聞きする範囲では余りにも理想主義的であろうと思われるところがあります。例えば討論番組などで、外国からの脅威に対してどのように対応をするのかといった問いに対して「先ずは外交交渉で・・・」とか「そのようなことが起こらないように・・・」とか「国連で・・・」とかいった決まり文句しか聞こえてきません。質問者は、そのようなことが行われることは前提の上で、それでも脅威となるようなことが発生した場合にどうするのだといった現実的問題について質しているのに対して、観念的な答えしか返さない擁護派の議論にその限界を見てしまいます。せめて「万が一そのようなことが発生したら自分自身が銃を持ち民兵として闘う。」とか「理不尽な侵略に対してはレジスタンスとして徹底的に戦う。」とかいった気概でも見せてくれればと思うのですが・・・。

 第9条擁護の立場では、軍隊の存在を否定します。主張の中には、全世界から軍隊がなくなれば平和な世界が訪れるといったものがあります。しかし、警察の存在までも否定されることはありません。警察がなければ犯罪の無い社会が訪れると言っていることと同義であろうといった指摘に対して、明確な反論は期待できないでしょう。ましてや軍隊は世界中に存在しているのは厳然たる事実です。このような国際環境の中で、どのように対処できるかといった議論に最適解を提示できないでしょう。このように第9条擁護派の議論が観念的にならざるを得ないのは、その中に軍事の専門家がいないことに起因しているものと思います。平和憲法で軍隊を否定しているのだから、軍事を研究することは不必要なことであるとお考えのようです。ですから現実的な問題に対して、的確な反論が出来ないのも当たり前です。

 また、現に自衛隊という組織が存在しております。これは解釈改憲の範疇を超えているものと考えられますが、その矛盾を解決するために違憲合法論なる考え方が生まれました。しかし、このことを突き詰めると違憲であるけれども一般法で立法し現実的な解決が図れるならば合法的な存在として認めようといったこととなり、結果的に憲法の規定を否定してしまえるこになってしまいます。憲法を守りたいが為に、かえって憲法を軽視することとなってしまいます。

 これらのことは原発事故にも似ていると思います。安全神話を拠り所に、原発事故は発生しないと思い込んでいたところに最大の問題があったのです。地震や津波への備えを指摘されても、それでも原発は安全だと耳を貸そうとしない。指摘を受けても安全基準が見直されることはなく、挙句の果ては想定外の事象が発生したといったことで正当化を図ろうとする。そして地元住民は辛酸をなめさせられ、現場の作業員は命がけの作業に従事させられる。

 外国からの脅威を同列に扱うことは出来ないとは思いますが、一方では現実的脅威に対してどうするかといった切実な問題提起をしているのに、方やそのようなことは起こりえないことだと思い込んでいる両者の間では、議論が噛み合わないのも当然だと思われます。

 自民党草案では、第9条を改正して、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」ということになっております。また、第98条、99条で緊急事態に関して規定されております。これらの規定により、戦争状態その他の緊急事態が発生した場合には、憲法が保障している国民の権利が制限されることになりますが、これらについては別途法律によって定められることとなっております。これらの権利の制限を全て法律に白紙委任してしまってよいものか、それともこれらの法律によっても制限できない国民の権利を憲法上で規定しておく必要があるのでないかといった議論もあろうかと思います。

 憲法擁護派も憲法改正規定が厳しいことに胡坐をかいて理想主義的な主張を繰り返すばかりではなく、現実的な問題提起に対して現実的な主張で対抗できるようにしていただきたいものです。憲法改正の議論すらも罷りならぬといった姿勢では建設的な議論はできません。頑なに拒むことが結果的に将来の国民を苦しめることにならないように願いたいものです。