山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

TPPについて(16)-高付加価値農産物について

2013-05-03 | 農業

 TPPに関連して、高付加価値農産物が語られます。何を意味しているのか良く分かりませんが、少々高くても買ってもらえる農産物のことのようです。例えば、マンゴーだとかイチゴだとか、値が張っても「美味しくて・・・」などといった理由で欲しくなるようなものなのでしょう。

 他の農産物のことは知りませんが、イチゴのことなら少々語らせていただくことができるかと思います。と言いますのも、1960年代の後半から、福岡県大木町で私の父がイチゴの栽培をしていたからです。確か最初に栽培したのは、ダナーといった品種だったと思います。現在のような立派なビニールハウスではなく、竹を割って作ったトンネルにビニール掛けしたものですから、温度管理の作業も大変でした。ダニやうどん粉、灰色カビ病などの病害虫も多く、栽培には相当の困難が伴うものでした。その後、宝交や促成4号(はるのか)などの品種を手がけ、文献を調べたり、園芸試験場などと協力し試行錯誤しながらの手探りで栽培技術を確立させていました。今では夏場に冷蔵庫に入れて、花芽分化を促進させ、クリスマス前に収穫するといったことは、当たり前みたいに行われております。当時は苗をポット上げして高冷地(城島高原など)へ運び、依託管理してもらったりするなどの取り組みをしたこともあります。

 また、現在のような確立した販路もなく、地場の市場開拓の他に東京市場の開拓などにも力を尽くしておりました。そのお陰で父は不在のことが多く、農作業のほとんどが母にのしかかっているような状況でした。ですから、私も一定の役割を担わされることになるのは必然なことでありました。

 その後、栽培方法は確立し、現在のような大きなビニールハウスで栽培されることとなっていきました。その間、約10年くらい私もイチゴ栽培に間接的に携わっていたことになります。

 イチゴ栽培というと傍目には楽そうに見えますが、物凄い労働集約型の産業です。年間を通して、暇な時期はほとんどありません。極めつけは出荷の時期です。摘み取り、パック詰、出荷を短時間で行わなければなりません。最盛期は寝る時間が無いくらいになってしまいます。私もパック詰め作業を相当手伝ってきました。受験間際でも父が不在の時には無言の圧力がかかってきます。母一人では徹夜しても終わらないことは一目瞭然です。孝行息子(?)としては見るに忍びず、泣く泣くというか、勉強したくない言い訳として深夜までパック詰めに勤しむのでありました。

 こんなに苦労したイチゴですから、さぞかし儲かるのではないかと思われるでしょう。確かに、米麦などに比べれば売上は上がります。しかし、その分の経費が掛ります。ビニールハウスなどの資材、農薬・肥料、冬期の暖房設備や燃料費、そして一番高いのが人件費です。最盛期には、摘み取りやパック詰めには、近所の方々に手伝ってもらいます。結局何やかんやで、所得を計算すると公務員の平均給与(当時の公務員の給与水準は低かった)に遥かに及ばないものでした。はっきり言って、馬鹿馬鹿しくてやってられないと子供心に思ったものでした。

 父曰く、「結局は農協や農薬・肥料会社、農機具・農業資材会社などを儲けさせてやっているようなものだ。」と。しかし、他の作物を作るより収益が挙がりますので、止めてしまうわけにはいきません。結局は、齢だけを重ねるといったことになります。

 時は流れ、私も無事大学に進学し、憧れの会社員となることになり、花の東京でソフト開発の仕事をすることになりました。やっとのことで、百姓から逃れた訳です。その後、家庭の事情で連れ合いの実家に住まうこと(いわゆるマスオさん)になりました。何の因果か、そこでもイチゴに関わることとなってしまいました。一緒に住む条件として、イチゴは一切手伝わないということにしておりました。しかしながら、この約束は、ビニール掛けやなんやかやと人手が必要なときには反故にされてしまいました。

 一旦、イチゴとの係わりを絶ってから10年の年月を経ても、イチゴ栽培の実態は大して変っておりませんでした。品種改良されたブランド品種、栽培技術の確立とともに作業標準化したせいもあるのでしょうが、やたらと肥料や農薬に頼っているように見受けられました。一旦、ビニルハウスを立てると毎年同じ農地での連作栽培となります。つまり連作障害が発生するようになります。これを予防するために、土中微生物を殺菌してしまいます。機械で土中に穴を穿ち、高圧で殺菌剤を注入します。その後、有機資材を投入して、土壌改良を行います。農家によっては、無機肥料だけに頼っているケースもあります。また、相変わらず病害虫は多発します。また、液肥などを多用します。

 このようにして栽培される高付加価値農産物は、私の目指す「自然農法」と対極にあるものといえるでしょう。ここで高付加価値農産物の是非を議論するつもりはありませんし、議論しても無意味でしょう。農業を産業として捉える限り、利益追求は致し方ないことですから。ただ、本来の農業は、安くて安全な食料を供給することが重要な役割であろうと思います。そこに産業といった役割は、そぐわないのではないかとも思ったりします。

 余談ですが、私は高校卒業以来、イチゴを食べたいと思ったり、自ら購入したことは一度もありません。何かにくっついてくるから仕方なしに口にするだけです。人が一生かかって食べる分以上のものを食してしまったからでしょう。あの芳しい香りも、私にとっては単なる悪臭にしか過ぎません。パック詰めされる前の大量のイチゴが置かれた部屋に入った時の匂いを嗅ぎ過ぎたからでしょう。