小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

列車でハジャイへ

2013-02-04 23:43:40 | タイ
2/4(日)晴薄曇り
 13時に宿をチェックアウトした。センチュリーモール(ビクトリア駅)まで歩き29番バスでファンランポン駅に向う。これから列車でタイ南部最大の商業都市ハジャイに行く。まだ発車まで1時間半も有るので、駅前の食堂に腹ごしらえをと入った。奥のテーブルに迷彩服姿の軍人が数人、女の子を連れて飲んでいた。休暇で息抜きに来たのかと思っていた。
 1時間程前に駅に行きハジャイ行きの列車のホームを確かめ、9番ホームに行った。列車は既に入線していて、自分の乗る寝台車を探した。

        2等寝台列車(列車清掃中)
ハジャイまでは急行で18時間、一晩過ごすので寝台列車にした。3等車の所に、先程食堂に居た軍人達が荷物を入れ乗り込んでいた。休暇だと思ったのは間違いで、これから南部へ派遣される為に、時間待ちをしていたのだった。南部ハジャイ方面はイスラム色が強く、武装勢力も活動している。タイ政府も警戒地域として、国軍を派遣して治安の維持に努めている。そんなちょっときな臭い匂いのする地域でもある。
 列車は定刻に発車、暫くは北に向かい分岐点で西に向い、そしてマレー半島に入って行く。タイの列車もイギリス式なのか、発車のベルの合図もアナウスも無い。時間になると黙って発車する。始発駅では見送りの人等が一緒に居たので、結構乗っていると思ったが発車してみると、可成り空いて居た。しかし途中駅を幾つか過ぎてバンコクエリアを抜ける頃にはほぼ満席に成っていた。やがて検察が来て切符と座席をチェック。2等寝台車は昼間は対面の二人席で、夜は二段のベッドとなる。上段ベッドの向いの席には青年が恋人とやって来て名残を惜しんでいた。
 車窓を眺めながら過ごしていると、途中の駅で物売りが次々に乗り込み、飲み物や食べ物、土産物などの売り声を響かれながらやって来る。夜7時頃乗務員がベッドの作成にやって来て、座席を二段ベッドに作り替えた。横になって、やる事も無いので早いが寝る事にした。何度か夜中に目を覚ましたが、何処を走っているか検討が着かない。どうせ夜明けまで外の景色は見られないので、そのまま寝続けた。

           途中の駅

          途中の駅で待ち合わせ
 朝6時半頃からようやく薄明るくなって、外の景色が見える様に成った。ゴム園や田圃の続く田園の中を走っていた。停まる駅名で時刻表と比較してどの辺りか探したが、時刻表に無い。途中の小さい駅名は表には載っていなかった。ようやく表に有る駅に来たので時間を比較すると既に1時間半程の遅れだった。この分だとハジャイには9時15分到着が10時45分頃に成る。途中の駅に着くと、車内放送は勿論無く、乗務員が駅名を告げながら歩くだけ。途中の駅で下車する場合気をつけないと、寝過ごして乗り過ごす危険が有る。予め乗務員に下車駅を知らせて置き、起して貰わないといけない。

          ゴムのプランテーション

            田圃(稲は直播き)
 それまでは田園地帯で市街地等は殆ど見かけなかったが、高層ビルが見え市街地が現れるとハジャイだった。ホームに降りると迷彩服の銃で武装した兵士が多数居て、他の駅とは感じが違う。バンコクからの兵士達もここで下車していた。駅を出て駅前の通りを少し行った所にゲストハウスの看板があった。他のホテルを予定していたが、入って部屋を見せてもらった。通り沿いダブルベッド、ファン呑み、シャワートイレ付きと一般的な部屋。一泊400B(¥1200)と言うのでルイス・ゲストハウス(金吉大旅社)にチェックインした。

          ハジャイ駅ホーム

           ハジャイ駅



        ルイス・ゲストハウス(金吉大旅社)
 初めての街なので早速周囲を歩き廻った。駅前の東西通りには金行が軒を連ね、その先におおきなショッピングモールが建って居る。これと直角に交わる南北に走る通りが5本あり、南のスリポーオバナルトに行き当たる。この一帯がハジャイノ中心市街で最も賑やかな所。駅前通りより2本北側の大通りの北側一帯がキムヨン市場で小売店鋪が犇めき合って活況を呈している。素食(ブッフェ)形式の食堂も有り、食事をここでした。

         ショッピングモール

          ノボテル

         キムヨン市場
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