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『孫子』巻四計篇

2018-11-05 10:19:28 | 四書解読
巻四 形篇

孫子は言った、昔の戦争上手な者は、守りを固めて敵が勝つことが出来ないようにして、敵が隙を見せるのを待ったものである。敵が勝つことが出来ないような形は己がつくるものであり、敵側に隙が有るのは敵が作り出す形である。だから戦に巧みな者は、負けないように守りを堅くすることはできるが、敵に隙を作らせて勝てるようにはできない。それ故に敵に勝つ形を知ることは出来ても、敵に勝つ形を作り出すことはできない、と言われている。敵に勝たせないということは守備力であり、敵に勝つということは攻撃力である。守備を強固にすれば兵力は足りないが、攻撃に専念すれば兵力に余裕ができる。そこで守備に巧みな者は、戦力や行動を深く隠して敵に分からないようにする。攻撃に巧みな者は、高い所から見渡すように敵の守備や行動を把握する。だから自軍を損なうことなく勝ちを完全なものにする。勝利の見通しが人と同じようでは上策とは言えない。戦いに勝って天下の人々が称えるのはその智謀勇猛であって、最上の勝ちとは言えない。それは動物の細い毛を手で持ち上げたからと言って力持ちだと思わないし、太陽や月を見ることが出来るからと言って、目が鋭いとは言わないし、雷のとどろきが聞こえるからと言って、耳が聡いとは言わないのと同じである。昔の戦いが巧みだと言われた人は、勝ち易いところに乗じて勝った人である。だから戰が上手な人には、智謀の名声も無く武勇の功績も無いが、戦えば必ず勝つことは間違いない人である。間違いがないと言うのは、戦うと決めた戦いは必ず勝つということである。敵が既に敗れているのを見て攻めて勝つのである。それゆえに戦いに巧みな者は、敗られない立場に立って、敵が敗れる時期を見逃さない。そんなわけで、敵に勝つ軍とは事前に謀計を立てて、敵に勝つ見込みがあると戦うもので、それと反対に敗れる軍は見通しも無く戦って勝を求めようとする。戦争に巧みな者は敵に勝つための道を修め、敵が攻められない兵法を守るので、勝敗の左右を決することが出来るのである。兵法には次のようなものが有る、一つ目は戦場の地形を測定すること、二つ目は食料の過不足を計算すること、三つめは食糧の輸送など戦争を支える人員を定めること、四つ目は彼我の力を比較すること、五つ目は勝つことである。すなわち戦場の地形を先づ測定し、険易・遠近・高低・曲直などを知ることであり、それが分かれば必要な物量を計算することが出来、計算できれば、それに必要な人員を定めることが出来、必要な人員が分かれば、敵との力の差を比べることが出来、力の差が分かれば勝敗の行方を知ることが出来る。それゆえに敵に勝つ兵とは、鎰の重いおもりで、銖の軽い物をはかるようなもので、反対に敗れる兵とは銖の軽いおもりで、鎰の重いものをはかるようなものである。初めから実力差がはっきりしているのである。戦いに勝つ者が民を戦わせるのは、蓄えた水を一気に千尋の谷底に落とすようなもので、その勢いを止めることはできない。それは地形に因りもたらされるものなのである。

孫子曰、昔之善戰者、先為不可勝、以待敵之可勝。不可勝在己、可勝在敵。故善戰者、能為不可勝、不能使敵必可勝。故曰、勝可知、而不可為。不可勝者、守也。可勝者、攻也。守則不足、攻則有餘。善守者、藏于九地之下、善攻者、動于九天之上。故能自保而全勝也。見勝不過衆人之所知、非善之善者也。戰勝、而天下曰善、非善之善者也。故舉秋毫、不為多力。見日月、不為明目。聞雷霆、不為聰耳。古之所謂善戰者、勝于易勝者。故善戰者之勝也、無智名、無勇功。故其戰勝不忒。不忒者、其所措必勝。勝已敗者也。故善戰者、立于不敗之地、而不失敵之敗也。是故勝兵先勝、而後求戰、敗兵先戰、而後求勝。善用兵者、修道而保法。故能為勝敗之政。兵法、一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝。地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝。故に勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰。勝者之戰民也、若決積水于千仞之谿、形也。

孫子曰く、昔の善く戰う者は、先づ勝つ可からざるを為して、以て敵に之れ勝つ可きを待つ(注1)。勝つ可からざるは己に在り、勝つ可きは敵に在り(注2)。故に善く戰う者は、能く勝つ可からざるを為すも、敵をして必ず勝つ可からしむる能わず。故に曰く、勝は知る可くして、為す可からず、と。勝つ可からざるとは、守るなり。勝つ可しとは、攻むるなり。守れば則ち足らず、攻むれば則ち餘り有り。善く守る者は、九地の下に藏れ、善く攻むる者は、九天の上に動く(注3)。故に能く自ら保ちて、勝を全うす。勝ちを見ること衆人の知る所に過ぎざるは(注4)、善の善なる者に非ざるなり。戰い勝ちて、天下善と曰うは、善の善なる者に非ざるなり。故に秋毫(注5)を舉ぐるは、多力と為さず。日月を見るは、明目と為さず。雷霆を聞くは、聰耳と為さず。古の所謂善く戰う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戰う者の勝つや、智名無く、勇功無し。故に其の戰いに勝つこと忒(たがう)わず。忒わずとは、其の措く所必ず勝つなり(注6)。已に敗るる者に勝つなり。故に善く戰う者は、不敗の地に立ちて、敵の敗を失わざるなり。是の故に勝兵は先づ勝ちて、而る後に戰いを求め、敗兵は先づ戰いて、而る後に勝ちを求む(注7)。善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ(注8)。故に能く勝敗の政を為す。兵法に、一に曰く度、二に曰く量、三に曰く數、四に曰く稱、五に曰く勝。地は度を生じ(注9)、度は量を生じ、量は數を生じ、數は稱を生じ、稱は勝ちを生ず。故に勝兵は鎰を以て銖を稱るが若く(注10)、敗兵は銖を以て鎰を稱るが若し。勝者の民を戰わすや、積水を千仞の谿に決するが若きは、形なり。

<語釈>
○注1、この句の解釈は諸説あるが、十注:曹公曰く、自ら修理して以て虚懈を待つ、と有るのに基づいて解釈した。「先為不可勝」とは、十注:杜佑曰く、先づ之を廟堂に咨り、其の危難を慮り、然る後壘を高くし、溝を深くし、兵をして練習せしめ、此の守備の固きを以て、敵の闕を待たば、則ち之に勝つ可し、とある。○注2、十注:張預曰く、之を守る、故に己に在り、之を攻む、故に彼に在り。○注3、「九」は、「窮」に通じ、数の窮まりを謂う。十注:梅堯臣曰く、九地は、深くして知る可からざるを言う、九天は、高くして測る可からざるを言う。張預曰く、「藏于九地之下」とは、幽にして知る可からざるを喩う、「動于九天之上」とは、來たりて備う可からざるを喩う。○注4、「見勝~」の「見」は衍字であるとし、この句は勝利の内容について述べているとする説があるが採らない。○注5、動物の細い毛。○注6、杜牧曰く、措は措置なり、忒は差忒なり、我能く置きて勝つこと忒わざるとは何ぞや、蓋し先づ敵人已に敗るるの形を見、然る後之を攻む、故に能く必勝の功を制すること、差忒せざるなり。○注7、十注:何氏曰く、凡そ兵を用うるには、先づ必勝の計を定め、而る後軍を出だす、若し先づ謀らずして強きに恃まんと欲すれば、勝つこと未だ必ならざるなり。○注8、十注:張預曰く、戦いを為すの道を修治し、敵を制するの法を保守す、故に能く必ず勝つ。○注9、十注:杜牧曰く、度は計なり、我が國の士大夫・人戸の多少、征賦の入る所、兵車の籍する所、山河の険易、道里の迂直を度るを言う、自ら此の事の敵人と如何なるかを度り、然る後兵を起こす、夫れ小は大を謀ること能わず、弱気は強きを撃つこと能わず、近きは遠きを襲うこと能わず、夷らかなるは険なるを攻むること能わず、此れ皆地に生ず、故に先づ度るなり。○注10、鎰・銖共に重さの単位、一鎰は二十四両、二十両の説もある、約384グラム、一銖は一両の二十四分の一、約0.67グラム。

<解説>
十注:曹公曰く、軍の形なり、我動けば彼應ず、兩敵、情を相察す。張預曰く、兩軍の攻守の形なり、中に隱れば、則ち人、得て知る可からず、外に見わるれば、則ち敵、隙に乗じて至る、形は攻守に因りて顕わる、故に謀攻に次す。
戦いに巧みな者は、勝ち易きに勝つ者であり、不敗の地に立ちて、敵の敗を失わない者であり、道を修めて法を保つ者である。これらの事を為し遂げようとすれば、彼我の軍の形を知り、戦場の地形を知り、其れに基づいて謀を立て、勝つ可からざるを為して、以て敵に之れ勝つ可きを待つのである。

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