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『孟子』巻第七離婁章句上 七十九節、八十節

2017-12-18 11:03:52 | 四書解読
七十九節

公孫丑は言った。
「君子といわれる徳の高い人でも自分の子供は教えないと聞きますが、それはなぜですか。」
孟子は言った。
「それは自然のなりゆきで、うまくゆかないからだ。教える者は必ず正しい道を教えようとするものだが、子供がそれに従わないと、しかりつけることになる。子供を善道に導こうとして教えて入ながら、それが出来ないからと言ってしかりつけるようでは、反って子供を傷つけることになる。子供の方も、お父様は私に正しい道をお教えになるけれど、お父様もその正しい道が行われていない、と考えるのが自然のなりゆきだ。これでは親子互いに傷つけあうことになる。親子が互いに傷つけあうことはよくない事だ。だから昔は、子供を取り換えて教えたのである。父子の間では善の実行を求めて責めるものではない。それを責めれば親子の心が離れてしまう。親子の心が離れてしまっては、これ以上の不幸はないのである。」

公孫丑曰、君子之不教子、何也。孟子曰、勢不行也。教者必以正。以正不行、繼之以怒。繼之以怒、則反夷矣。夫子教我以正,夫子未出於正也。則是父子相夷也。父子相夷則惡矣。古者易子而教之。父子之間不責善。責善則離。離則不祥莫大焉。

公孫丑曰く、「君子の子を教えざるは、何ぞや。」孟子曰く、「勢い行われざればなり。教うる者は必ず正を以てす。正を以てして行われざれば、之に繼ぐに怒りを以てす。之に繼ぐに怒りを以てすれば、則ち反って夷(そこなう)う。『夫子、我に教うるに正を以てするも、夫子未だ正に出でざるなり。』則ち是れ父子相夷うなり。父子相夷えば、則ち惡し。古は、子を易えて之を教う。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥、焉より大なるは莫し。」

<解説>
古は、子を易えて之を教う。これは昔も今も変わらない。親が子供を教えると、とかく感情的になり、子供も反抗的になる。このことは無下に否定することはない。これこそが親子の情である。


八十節

孟子は言った。
「仕えることでは、何に仕えるのが一番大切であるか、それは親に仕えることである。守ることでは、何を守るのが一番大切であるか、それはわが身を守って不義に陥らないことである。わが身を不義に陥らないように守って、親に善く仕える者は聞くが、不義に陥っていて、親に善く仕える者は聞いたことがない。仕える人は沢山いるが、誰に仕えるのが本当に仕えていると言えるか、それは親であり、親に仕えることは仕えるということの根本である。誰を守るのが本当の守りだと言えるか、それはわが身であり、我が身を守って不義に陥らないようにするのが、守りの根本である。孝で有名な曾子が父の曾皙に仕えたときは、食膳には必ず酒と肉とを供え、膳を下げるときは必ず『残りは誰にやりましょうか』と尋ねた。又余分にまだあるかと尋ねられたら、たとえなかったとしても必ず『ございます』と答えたそうだ。曾皙が死ぬと、今度は子供の曾元が曾子を養うことになったが、食膳には必ず酒と肉とを供えたものの、膳を下げるとき『残りは誰にやりましょうか』と尋ねもせず、余分に有るかと尋ねられると、たとえ有ったとしても、『ございませんが、お望みならば今からお作りしましょう』と答えたそうだ。これは飲食の欲を満足させるだけのお世話であり、曾子の場合は、親の心を満足させる養いということが出来る。親への仕え方は、曾子のようにするのが良いのだ。」

孟子曰、事孰為大。事親為大。守孰為大。守身為大。不失其身而能事其親者、吾聞之矣。失其身而能事其親者、吾未之聞也。孰不為事。事親、事之本也。孰不為守。守身、守之本也。曾子養曾皙、必有酒肉。將徹、必請所與。問有餘、必曰有。曾皙死。曾元養曾子、必有酒肉。將徹、不請所與。問有餘、曰亡矣。將以復進也。此所謂養口體者也。若曾子、則可謂養志也。事親若曾子者可也。

孟子曰く、「事うること孰れか大なりと為す。親に事うるを大と為す。守ること孰れか大なりと為す。身を守るを大と為す。其の身を失わずして、能く其の親に事うる者は、吾之を聞けり。其の身を失いて能く其の親に事うる者は、吾未だ之を聞かざるなり。孰れか事うると為さざらん。親に事うるは、事うるの本なり。孰れか守ると為さざらん。身を守るは、守るの本なり。曾子、曾皙を養うに、必ず酒肉有り。將に徹せんとすれば、必ず與うる所を請う。餘り有りやと問えば,必ず有り、と曰う。曾皙死す。曾元、曾子を養うに、必ず酒肉有り。將に徹せんとするも、與うる所を請わず。餘り有りやと問えば、『亡し。將に以て復た進めんとするなり』と曰う。此れ所謂口體を養う者なり。曾子の若きは、則ち可志を養うと謂う可きなり。親に事うること、曾子の若き者は可なり。」

<語釈>
○「守身」、趙注:身を守るとは、不義に陥らざらしむるなり、不義ならば、何ぞ能く父母に事うるや。○「曰亡矣。將以復進也。」、曰くが、どこまでかかるかで、説が分かれている。朱子は曰亡矣。までで、下句は説明文と見ている。焦循は、「將以復進也。」まで曰くの内容としている。これを採用して解釈しておく。

<解説>
趙岐の章指に云う、
「上孝は志を養い、下孝は體を養う、曾參の親に事うること、至と謂う可し、孟子、之を言うは、後人をして曾子に則らしめんと欲するなり。」

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