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『孟子』巻第十一告子章句上 百五十一節、百五十二節

2019-01-19 10:26:22 | 四書解読
百五十一節

孟子は言う。
「仁は人間にもともと備わっている本心である。義は人が進むべき正しい道である。ところがその正しい道を歩まずに棄ててしまう、その本心をどこかへ失くしてしまっても、探し求めようとしない。誠に哀しいことだ。人は鶏や犬が逃げ出してどこかへ行けば、探そうとするだろう。それなのに本心なら見失っても探そうとしない。学問の道は外でもない、その見失った本心を探し求めるだけのことなのだ。」

孟子曰、仁人心也。義人路也。舍其路而弗由、放其心而不知求。哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣。

孟子曰く、「仁は人の心なり。義は人の路なり。其の路を舎てて由らず、其の心を放して求むるを知らず。哀しいかな。人、雞犬の放すること有れば、則ち之を求むるを知る。心を放すること有りて、求むるを知らず。學問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。」

<解説>
学問は単に知識を得る為のもではない。孟子は言う、「其の放心を求むるのみ。」と。趙岐も云う、「路に由り心を求むるは、其の本を得る為なり。」

百五十二節

孟子は言う。
「今かりに、薬指が曲がって伸びない人がいるとしよう。別に痛みを感じたり仕事に差障りがあるわけでもないが、これを伸ばしてくれる人がいたとしたら、その人が秦や楚の遠方の国の人でも、ものともせずに出かけるだろう。それは指が人並みでないのが恥ずかしいからだ。指が人並みで無ければ、恥ずかしいということは知っているのに、心は人並みでなくても、それを恥ずかしいことだとは知らない。こういうのを、物事の比較軽重を知らぬというものだ。」

孟子曰、今有無名之指屈而不信。非疾痛害事也。如有能信之者、則不遠秦楚之路。為指之不若人也。指不若人、則知惡之。心不若人、則不知惡。此之謂不知類也。

孟子曰く、「今、無名の指、屈して信びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ばす者有れば、則ち秦楚の路をも遠しとせず。指の人に若かざるが為なり。指の人に若かざるは、則ち之を惡むことを知る。心の人に若かざるは、則ち惡むことを知らず。此を之れ類を知らずと謂うなり。」

<語釈>
○「無名之指」、高注:無名の指は、手の第四指なし、蓋し其の餘の指は皆名有り、無名の指は手の用うる指に非ざるを以てなり。薬指の事。○「類」、朱注:類を知らずとは、其の軽重の等を知らざるを言う。安井息軒氏は、類は比なりと謂う。比較軽重の意。

<解説>
人の目につくものは恥ずかしく思うが、目に見えないものはおろそかにする。人の心の弱点である。

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