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『孟子』巻第五藤文公章句上 四十七節

2017-03-31 10:11:08 | 四書解読
四十七節

藤の文公がまだ太子であったとき、楚に行こうとして途中宋の国に立ち寄り、そこで孟子と会見した。そのとき孟子は人間の本性は善であると説き、説くたびに聖天子の堯・舜を引き合いに出した。太子は楚よりの帰途、再び孟子の言を聞きたく思い、宋に立ち寄り孟子と会見した。孟子は言った。
「太子は私の言葉をお疑いなさいますか。天下の道は唯一つ、善を行うだけです。昔、勇者の成覸(ケン)は齊の景公に、彼は一個の男、私も一個の男、同じ一個の男どうし、どうして彼を恐れましょうか、と言い、孔子の弟子の顔淵も、舜はどんな人間なのか、私はどんな人間なのか、同じ人ではないか、為そうとする意志があれば私でも舜のようになれるのだ、と言い、昔の魯の賢人である公明儀は、文王は私の師匠である。文王を称える周公の言葉は信ずるに足る、と言っている。今、藤の国土の長い所を切り取り短い所に足して方形にすれば、五十里四方の国土になるでしょう。たとい小国と雖もあなたの決心次第では立派な国にすることが出来ます。『書経』にも、めまいを起こさせるほどの劇薬でなければ、其の病は治らない、とありますように、それにはよほどの決心が必要でございましょう。」

滕文公為世子、將之楚、過宋而見孟子。孟子道性善、言必稱堯舜。世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。成覸謂齊景公曰、彼丈夫也。我丈夫也。吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也。予何人也。有為者亦若是。公明儀曰:、文王我師也。周公豈欺我哉。今滕絕長補短、將五十里也。猶可以為善國。書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳。

滕の文公、世子為りしとき、將に楚に之かんとし、宋に過ぎりて孟子を見る。孟子、性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。世子、楚自り反りて、復た孟子を見る。孟子曰く、「世子は吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ。成覸(ケン)、齊の景公に謂いて曰く、『彼も丈夫なり。我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや。』顏淵曰く、『舜何人ぞや。予何人ぞや。為す有る者亦た是の若し。』公明儀曰く、『文王は我が師なり。周公豈に我を欺むかんや。』今、滕、長を絕ち短を補わば、將に五十里ならんとす。猶ほ以て善國と為す可し。書に曰く、『若し藥瞑眩(メン・ゲン)せずんば、厥の疾瘳(いえる)えず。』」

<語釈>
○「世子」、朱注:世子は太子なり。○「性善」、人間の本性は善であること。○「夫道一」、趙注:天下の道は一つ言うのみ、唯だ善を行うのみ。○「有為者亦若是」、この句は顔淵の言葉とする説と、孟子の言葉とする説とがある。安井息軒氏や服部宇之吉氏らは孟子の言葉とするが、文章の流れから、私は顔淵の言葉とする方がよいと思うので、そのように解釈した。○「公明儀」、朱注:魯の賢人なり。○「書曰」、『尚書』の説命上篇にこの句は在るが、趙注でも、逸篇なりと述べているように、この篇は後世の偽作である。○「瞑眩」、我が師白川静先生の「字通」に、毒薬などで目がくらむことを瞑眩という、とある。

<解説>
この節は孟子の持論である「人間の本性は善である」という性善説を述べているが、私はまだ最後まで読んでいないので分からないが、「性善」と言う言葉が出てくるのはこの節だけらしい。だがその内容については、この先の離婁章句や告子篇に出て来るので、そこで更に理解を深めることが出来るだろう。

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