ここでは日常のことについて書いていこうと思います。日常を笑う者は日常に泣くと言った人がいます。僕はその人のことを知りません。けれども、日常の中では様々な名言が生まれ、人々の生きる支えとなったり、深く記憶の奥に眠っていたりします。
日常、それはかけがえのない時間。日常、それはかけがえのない風景だ。
ここでは日常のことについて書いていこうと改めて思います。改めて言うまでもないことですが、人は日常の中に生きています。
「人は日常の中に生きている」
書くべきことは日常の中にある! 日常を否定しては何も始まりません。なぜなら、あらゆる偉業、お祭り、ファンタジーは、日常の向こう側にあるものだからです。
もう一度言おう。
「僕らは日常の中に生きている!」
とんでもないところへ行き着くために、ぽつりぽつりと日々を積み上げていく。どこまでも、どこまでも、果てしなく……。
日常、それは旅の始まりだ。大それたナンセンスも、途方もないファンタジーも、日常の裏返しだと言うことができる。だからこそ、ささやかな日常の中での発見、気づき、想像といったものが大事になってくるのではないでしょうか。
もう一度言おう。
「僕らは日常の中に生きている!」
どこにでもあるような日常というものが、本当はそこにしかない奇跡の瞬間なのだということを知るのは、ほとんどの場合それを手放した後のことでしょう。それは半分仕方のないことだとしても、少し残念なことでもあります。
僕らはもっと日常を意識することもできます。それを可能にしてくれるものの一つが、物語の力じゃないかな!
僕はぼんやりとそんなことを考えながら、ここに生きています。
ここでは一つ日常のことについて書いていこうと思います。
僕は情けないほど誘惑に弱かった
甘い匂いにホイホイと引き込まれて
小箱の中で死にかけた
「あー、ほんとにやばかったよ」
夜更けに少し歩いただけで
悲鳴にも似た声を出されて
「出たー!!」
って
僕はお化けじゃないっつうの
大女に「撃退」という名のついた
スプレーを向けられた時
恐怖のあまり動けなくなってしまった
(くそーっ。存在の否定かよ)
ピンポーン!
チャイムが鳴って
「はーい!」
女の関心が日常にかえった瞬間
僕はまた救われた
救世主は突然やってくるものだね
そうそう
夕べは猫に遭遇して
好戦的でしつこい猫だった
僕は不覚にもパンチをあびて
隅っこに追いやられて
一瞬覚悟までしたけど
どうにでもなれ!
やけくそみたいに羽を広げたら
ピューン!
僕って飛べたんだ!
あの猫ときたら驚いてたみたい
(ざまあみやがれ)
ああっ!
「生きてる!」
語気を強めて 僕は言いたかったの
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