眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

メルヘン・ショット・バー

2024-07-30 23:19:00 | ナノノベル
 人の視線に対しては敏感だった。鴉に見られているとしても別に気にならない。猫だとしたら強く見つめ返すこともできる。猫が動かないなら、ずっと気が済むまで目を逸らさないでいるかもしれない。問題は人の場合だ。人の視線に限定した場合、なぜか急に嫌な感じ。心穏やかではいられなくなる。男の視線を感じて私は歩道を横断することをやめた。

「何か? ずっと見てますよね」

「お急ぎですか?」

「いいえ。そんなことはないですが」

「今日は早く帰らない方がいい。あなたのマンション、エレベーターが爆発しますよ。だから……」

「そういうのはよくないですね。やるならちゃんとアプローチした方がいい」

「ごもっともです。軽く1杯どうですか? 新しくできたばかりの店で、ワンコインでメルヘンつきですよ!」
 黒服の男はあっさりと非を認めた。誘うにしてもハッタリやデタラメはよくない。商売なら正々堂々とするべきだろう。

「メルヘン?」

「そうです。メルヘンはお嫌いですか」

「いいえ。子供の頃は好きでした」
 本当は好きだったかどうかもわからない。懐かしさだけが身体に染み着いているような感じだ。

「みなさんそうおっしゃいます。ひと時子供に戻ってみませんか」

「はあ」

「騙されたと思ってさあ……」
 誘いに乗ってみるのも悪くはない。まっすぐに帰ったとしても、特別によいことは待っていないのだから。

 階段を下りて何もなさげな場所の前に立ち止まると壁が開いてそこが入り口なのだとわかった。足を踏み入れた店内は薄暗かったが、それなりに人の気配がして、あちらこちらで何かを読み聞かせるような声が交錯していた。壁にある複数の語り手の中から一人のおばあさんを選択して、カーテンを潜る。おばあさんは姿を見せなかった。けれども、暗がりの向こうでおばあさんは穏やかに話し始めた。それから店内は不思議なほどに静かになり、おばあさんの声の他は聞こえなくなった。少ししゃがれて優しげな声だった。


 昔々あるところに眼力の強い蛇がいました。蛇が一睨みするとたちまち蛙は固まって置物となりました。それはそれは素晴らしい置物だったために、雑貨屋と専属契約を結ぶことになりました。気をよくした蛇は、睨みを連発して蛙の置物を量産しては、店の主人を喜ばせました。客の評判もよく売れ行きは順調そのものでした。
「もっと他の置物もつくれる?」
 主人は欲をかいて商品のラインアップを充実させようとしました。蛇は睨みの角度を広げ、ハエや蟻、カナブンなどの置物を店に届けました。
「虫かー。虫ねー」
 蛇の新たな作品は、思ったほど店の主人を喜ばせることができません。蛇は路線を変えて石を睨みました。十分に固まったとみるやぐるぐると体に巻き付けて店に運びました。こういうのが好きに違いない。蛇の推測は当たりませんでした。
「石かー。こういうのはやる人がいるからね。もういいや。無理言って何かわるかったね」
 それを聞くと蛇は肩を落として歩いて行きました。何がそんなに気にくわないというのか……。もう蛙なんて届けてやるものか。蛇はふてくされながら4丁目から5丁目へと南へ歩いて行くと廃れた街角のコンビニの駐車場の角の茂みにまでたどり着いたところで一休みすることにしました。それから15分、小一時間、まる一日とも思える時間、蛇は途方に暮れていました。
「何? 固まってない?」
 見かねた猫が木から下りてきて蛇に言いました。
「君はもっと広い世界を知るべきなんだ」
 そう言うと猫は沈んだ蛇を森の奥深いところへとつれていきました。
「滅多にこんなところまで来ないんだけど」
 そこには蛙でも人間でもない新しい生き物たちがあふれています。馬、鹿、羊、象、キリン、カバ、狼、ハイエナ、ヒョウ……。蛇はその中のある一頭の獣に目をつけると今までにないほど強く強く睨みつけました。蛇が近づいていったもの、そして視線を定めたものを悟った瞬間、猫は慌てて蛇のそばに駆けつけました。
「いけない! あれは駄目だ! 食われちゃうって!」
 蛇の視線の先に佇んでいるのは、他ならぬ獅子だったのです。猫の助言に蛇は少しも動じる素振りをみせませんでした。
「いいえ。私の想いは、あの方には少しも届いていないようです」
 それは蛇にとって初めての憧れ。憧れの視線だったのです。
 めでたしめでたし。






 そうしておばあさんの声は途切れた。話が終わったことを確信したのは、それからしばらく経ってからだった。王女の救出も魔法使いの活躍もない。期待していたメルヘンとはかけ離れたお話だった。きっと明日になればすべて忘れている。自らすすんであの店に再訪することはないだろう。1杯飲んだだけにしては私はほろ酔い気分だった。
 深夜帰ってきたマンションのエレベーターには手書きの文字が書かれた紙が貼られており、完全に止まっていた。

「冠水のため調整中」
 その後、エレベーターは3日間停止したままだった。








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