眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

カフェの中の異世界/素敵な子供だまし

2023-11-12 18:23:00 | コーヒー・タイム
 テーブルには8割入ったままのアイスコーヒーが置かれたまま、主の姿はない。もうずっと喫煙ルームにこもっているのだ。僕は好きな昔話『浦島太郎』を思い出していた。喫煙ルームは竜宮城というわけだ。どういう経緯であったかはよくわからない。だが、気がつくと竜宮城暮らしの方が長くなった。もはや、地上の社会での生活よりも、あちらの世界の方が長いのだ。大半の時間があちら側となると、心を占めるのがどちら側なのかというのは、興味深い問題だ。『浦島太郎』とは、そういうお話ではなかったろうか。
 現代社会は、喫煙者に冷たい側面がある。本当は別に飲みたくもないコーヒー代を払った後は、喫煙ルームにとことん入り浸っているというのも、カフェの利用のあり方の内なのかもしれない。カフェは寛容だ。たとえ注意書きのようなものが壁に貼られていたとしても、よほどのことがない限り、利用者の自由が認めれているものだ。コーヒーと煙草。あるいは、お話、読書、スイーツ。何がメインで何がサブかは、それぞれの価値観ではないだろうか。

 昔、僕が店から追い出されたのは、(イタリアンの)ファミレスだった。ドリンクだけで夕暮れをすぎてもずっと粘っていたのだ。突然、肩越しに声をかけられて、驚いた。もういいでしょうみたいなことだったと思う。まあ、そういうこともあるか。気を取り直して、僕はもう一度創作活動に精を出した。するとしばらくしてまた男性店員がやってきた。(店長だろうか)

「お食事を楽しまれるところになりますので」

 酷いカルチャー・ショックだった。僕は全く食事も注文せず、創作活動を楽しんでいたのだ。しかも、それをよいことのように思っていたのだから、おめでたい。(その活動によって、まだ見ぬ人々を喜ばせ楽しませ幸せにすることができると信じて疑わなかったのだ)なのに、まさか自分が迷惑者だったとは……。そう思うと人々が自分を、哀れなものを見るような目で見ているような気がしてきた。イヤホンを外してわかるのは、どこでも食器が音を立てていること。確かに彼の言う通り、ここは食事を楽しむところ。(場違いなのは僕だった)僕はレシートを引いて席を立った。そして、逃げるようにレストランを出た。

 喫煙ルームから、彼女は戻ってきた。現実に存在するのだとわかり、僕は少し安心した。けれども、またしばらくすると姿を消していた。コーヒーが減った様子はない。やはり、本来の居場所はここではないと悟り、あちら側へ戻って行ったのだろうか。自分の居場所を知っている者、確かな楽しみを持つ者は強いと思う。(今の自分に確かにそれと示せるものはあるだろうか……)例えば、それは鼻先の人参のようなものでもいいと思うのだ。
 生きていく理由、生きる値に、正義や倫理なんかがどれほど役に立つだろうか。(誰がそれを説明できるだろう)ささかなものでもいい。一歩先に見える美味しげなもの、楽しげなこと、それでも一歩進むには十分な力になる。そうして、一歩、一歩と進む内に、気も紛れたり、新しい発見もあるではないか。

 コロコロ・コミックや少年ジャンプが、そういう存在だったのではないか。追い込まれると人は視界が狭くなる。楽しいことは1つもなく、苦しいことばかりに囲まれる。周りに心から信頼できるような友達や大人は誰もいない。そういう時だからこそ、小さくてもはっきりと手に取れる確かな「楽しみ」が大きな力になっていたのではなかったか。物語には、現実の不条理(死も哀しみも暴力も)すべてを忘れさせる力があった。ほんの短い間でも我が身を顧みることなく、夢中にさせる力。そして、「世界は1つではない」可能性に満ちているものだと勇気づけてくれたのだ。本を閉じれば、また辛い現実が戻ってくる。だが、希望はつづく。また、月曜日になれば主人公に会えるから。そうして、一週間、一週間、不条理と希望の間で生きていたような気がする。大人になって考えてみれば、当時の作者がどれほど確信を持って描いていたのかは、わからないとこもある。(作者自身も確信なんてなく、いっぱいいっぱいだったり、迷い迷いだったこともあるかもしれない)でも、そんなこともどうだっていいと思える。「生きる力」になっていたことを思えば、どうだっていいのだ。一週間を、「楽しみ」を、引っ張ってくれる作者/製作者の方々の努力によって、僕は少年時代を乗り越えることができたのだから。

 あちら側の世界から彼女は戻ってきた。やはり、現実に存在する人なのだ。僕は安心してポメラを開いた。認証とか起動とか、そんなことを意識する必要もなく、ポメラは気楽に開くことができる。まるで紙のノートのように身近に感じられる、そこが根強い人気の秘密なのか。僕はポメラに触れながら、時々コーヒーを飲んだ。周りには、コーヒーを飲みながら会話を楽しむ人、会話をしながら食事を楽しむ人がいる。何かと何かを同時にこなすことが、人生を楽しむコツなのだろう。僕は、コーヒーを置いて、ポメラに打ち込んだ。目の前を通り過ぎる人のこと、コーヒーのこと、ポメラのこと……。取るに足りないことを拾い上げる内に、電池が減って、空っぽに近づく。
 テーブルの上のアイスコーヒーが消えて、彼女もいなくなっていた。ほとんどの時間、彼女はここにいなかったのでは? あるいは僕の思い過ごしだろうか。

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