眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

カゴの中のミッキーマウス

2009-02-06 18:39:58 | 幻視タウン
小さな港町で、車を拾った。
「とりあえず行ってください」
「急いで」
車は行き先も決めずに進み始めた。
「追われているんです」
しばらく行くと、長い橋に差し掛かった。
橋の真ん中で、あるいは海の向こうで女の声が聞こえた。


   *    *    *


「取りに来たの?」
驚いて声の方に目をやると、ケータイを片手におばちゃんがこちらを見ていた。
少しの間と思って置いていた鞄は、忘れ物コーナーに片付けられている。
「それを取りに来たの?」
おばちゃんの指差す方を見ると、ミッキーマウスが不自然に体を折りながらカゴの中に押し込まれていた。
「それは違います」
否定すると、おばちゃんはまたケータイの向こうの人と話し始めた。
「明日、病院に行かなくちゃならないのよ」
腰の辺りをしきりに触りながら、話し続けた。

葉書が宙を舞っている。
「僕たちは行くべきところがわからないんです」
雪のように、葉書の群れが舞っている。
「僕たちはずっと彷徨っているんです」
一枚の葉書が、たまたま通りかかった蝶に言った。
蝶は、一瞬耳を傾けて雪の間に静止していた。
「みんなそうかもしれない」
けれども、蝶は急いでいるようだった。旅の予感を帯びて羽根が、光り輝いている。
「私たち薄いものは、飛び続けなければならない」
「あなたは、どちらまで?」
「台湾まで」
短く言い残して、蝶はその場を離れた。太陽と一体になりながら、消えたり現れたり浮いたり沈んだりして、やがて本当に見えなくなった。葉書はなおも彷徨っている。

おばちゃんは、いなくなっていた。
ミッキーマウスは、相変わらず窮屈そうにカゴに押し詰められていて両方の腕だけがバンザイをするように伸びている。
「僕は忘れられたのかな?」
どこからか声が聞こえた。
「そうね。忘れられたのね」
「忘れたというだけだよね?」
「ええ。忘れたというだけよ」
「忘れるなんてひどいよ」
「誰でも忘れることはあるのよ」

地上から三メートルのところにその紫色の花はあった。
ようやく見つけた花の上で、蝶はひとときの間羽根を休めた。
それは蝶が唯一落ち着くことのできる花だったのである。

いつの間にかミッキーマウスはカゴの縁に両手を乗せてその上に顎を置いてぼくやりと窓の外を眺めていた。
「どうなるのかな? 忘れられたものは」
「忘れたものはいつか思い出すものよ」
「他人事だと思って」
「覚えていないものは忘れることもできないのよ」
「忘れるなんてひどいよ」
「誰でもいつかは忘れるの」

私は荷物をまとめて、出ようとすると赤毛の少女が風のように入り込んできた。
カゴの中から、ミッキーマウスを手荒く救出して出て行った。
入り口のところでは大きな犬が白い息を吐きながら待ち構えていて、ミッキーマウスが来ると容赦なく飛び掛った。その耳は、ミッキーマウスの耳と同じほど大きかった。


   *    *    *


「お客さん、この辺りでよろしいですか?」
運転手が話しかけているが、私はここがどこかまるでわからない。
「台湾には、着きましたか?」
しばらくの間、沈黙が流れた。
「すみません。もう一度」
私は、もう一度訊かなければならなかった。

コメント
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