「若き薩摩の群像」に見送られ、午前8時、鹿児島中央駅発の路線バスで知覧へ向かいました。
1時間半余りかかります。
この日、夫は「いぶすき菜の花マーチ」で40㎞を歩くので、一日中、別行動です。
知覧観音入口で下車、知覧特攻平和会館までの桜並木に鎮魂の灯篭が並んでいます。
出撃前の特攻隊員の像「とこしえに」(右奥)、それを見送るように立つ母の像「やすらかに」、やさしい自愛に満ちた表情ですが、胸の内を思うとたまりません。
知覧特攻平和会館に行く道に並行して知覧護国神社への道があり、境内の灯篭には、半身像が彫られています。
同じものもありますが、すこしづつ違った容姿のものもあり、命を奪われたひとりひとりの若い人たちの姿かたちと重なって見えました。
会館の入口、館内は写真撮影禁止です。
建物の外観、周辺には三角兵舎や慰霊碑なども見られました。
入場券とリーフレットです。
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知覧特攻平和会館には、写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されています。
その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長 板津忠正(元特攻隊員)さんが集められたそうです。
若い頃から一度は訪ねないとと思い続けてきた知覧、会館に足を踏み入れると、遺影と遺書がど~んとした重さでせまってきます。
とても全員の遺書には目を通せませんが、すこしづつ読んでいきました。
短い言葉のなかに凝縮された両親や兄妹に寄せる思い、こんなやさしい若者たちを死に追いやった責任者たちを許すことができません。
映画「月光の夏」のモデルになったのと同じ型のピアノ、戦闘機なども展示されています。
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心に刻みながら何通かの遺書を書きとめましたが、そのなかから、早稲田大学から学徒動員され、第165振武隊隊長を務めた枝幹二大尉の出陣当日の詩を紹介します。
原稿用紙にきちんとした字で書かれていました。
あんまり緑が美しい
今日これから
死に行く事すら
忘れてしまひさうだ。
真青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
六月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思はせる。
作戦命令を待っている間に 6.5
小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは
小鳥になるよ」
日のあたる草の上に
ねころんで
杉本がこんなことを云ってゐる
笑はせるな 6.5
本日一三・三五分
いよいよ知ランを離陸する
なつかしの祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を“かたみ”に
送ります
家族にとってこの詩はたまらないです。
戦争の負の遺産ですが、今の政治の危なさも踏まえ、しっかりと受け止めなければならないことだと思います。
遺書を真剣に読む若い人たちの姿もたくさん見られ、これからの世代にきちんと伝えていく力強さも感じることができました。
以前沖縄の「ひめゆりの塔」を訪れた時も、遺書の中に「お母さん、お母さん」と言う文字がたくさんあり何度も涙をぬったのを覚えています。
ずっと前になりますが映画「月光の光」観ました。
そうですね、私は5歳のときの西宮での空襲体験がありますが、もう戦争体験のない人たちがほとんどですね。
想像よりはるかに悲惨ですが、できるかぎりの想像力で思いをはせないと、またふたたび戦争の道に進む危険性があります。
「月光の夏」で二人の特攻隊員が弾いたピアノとここに展示されているピアノが同じ型で、いまの日本で残っているのはこの2台だけだそうです。
特攻基地があったのですね。
今度行く機会があったら寄ってみます。
今住んでいるところは、戦時中は飛行場だったところです、ここからは特攻出撃はなかったようです。
終戦後直ぐに畑に、田んぼにと姿を変えてしまったので、飛行場があったと知っている人は少ないでしょう。
通称「飛行場田んぼ」と言います。
開聞岳は登られましたか。
私は日本最南端の駅「西大山」から見ただけです。
知覧には鹿児島中央からよりも指宿から行った方が近いようです。
戦時中はいろんなところに飛行場が作られたようですが、終戦後、田んぼや畑に変わっても、通称「飛行場田んぼ」として名前が残っているのですね。
会館の入り口に「ユネスコ世界記憶遺産登録を目指して!」と看板がありますね、登録される時がそう遠くない未来に来ると良いなと思います。
想像力はとても大事なことです。
高校時代からのファンである作家の大江健三郎さんは「受容」と「想像力」の大切さを語っていらっしゃいます。
経験がなければなにも語れないのというのでは、悲惨な戦争の体験、歴史の教訓は継承されていきません。
想像をするということは、ディオさんがおっしゃるように自分のこととして考えるということだと思います。
きちんと受け止めていただいて、ありがとうございます。
長崎と沖縄は家族旅行で行った事もあり、戦争にまつわる記念館には行くことが出来ました
私もいつか知覧に行きたいと思ってます
特攻隊員の遺書はせつなくて悲しいですが、なんて美しい文章であり繊細なんだろうと思います
広島、長崎、沖縄、知覧は、戦争に着いて学べる大事な場所ですね。
九州新幹線ができて近くなりましたから、いつかお出かけになれるといいですね。
こんなやさしい遺書がほとんどなんです。
やさしいからこそ、心に迫るものがあり、彼らの命を奪った当時の政治家を許すことができません。