暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

アルジェリア

2013-01-26 19:57:30 | 日記
アルジェリアで起きた人質事件のご遺体と被害に遭われた方々がご帰国された新聞記事を
読むと、胸がいっぱいになって、眼に涙があふれてきます。

危険な地域でも、開発のために、家族とも離れ、プラント建設に力を注いでこられた
日揮とその関係会社の社員のかたが、このような悲しい、残酷な目にあわれたことは
本当に悔しい気持ちです。


私と夫が知り合ったのは、あるメーカーのヨーロッパ・アフリカ地域への通信機器の
輸出の部門でした。

夫は、その中でもアフリカ担当でした。


アルジェリアやモロッコの地図に入力する仕事が私にくることもありました。


夫は、仕事でよく目にしたアルジェリアの地名が、この事件に出てきて、そのような所で
起きるとは、と 言葉もありませんでした。

アルジェリアの研修生を受け入れたときには、フランス語を話せない夫が、
詳しい人に書いてもらったフランス語の文章を暗記して、アルジェリア人の方々を
歓迎するために、フランス語で挨拶をしたというエピソードも、在職中に
聞きました。

夫はアルジェリアに行くことはありませんでしたが、とても他人ごととは思えません。


亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、事件に遭われた日揮関係者の方の
おからだとお心が早く癒えますようにと、願うばかりです。

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家計簿

2013-01-25 21:07:05 | 日記

今日も、午前中から大掃除です。

押し入れの中の段ボール箱に着手しました。

おとといの日記に書いた通り、家計簿と年賀状の処理です。


家計簿は、日ごとに費目別に記入するタイプの帳簿と、使用済みのノートに
領収書やレシートを貼り付けたものの両方があります。

さらに、品名ごとにレシートからパソコンの家計簿ソフトに入力もしています。


  --- 私は会計事務所で約8年働いていました(笑) ---


そこで、今回、家計簿を廃棄するのは、新婚当時と直近10年くらいを残し、間の
家計簿と領収証ノートのみと決めました。

それから、年賀状は最も古いものから、6,7年前のものまでを廃棄にしました。

亡くなった方から頂いたものは、捨てられず、小さなボール箱にまとめて、
段ボール箱に残しました。

一枚、一枚、斜め読みにしてから、シュレッダー行きの紙袋に。

年賀状を読むと、いろいろな人の顔が浮かんできます。


結局、押し入れの段ボール箱は、2箱空きました。


エレクトーンの楽譜は、久しく楽器に触っていないのに、あらためて楽譜を購入するほうが
もったいないので、いるかどうかもわからないのですが、残しました。

簿記の試験関係の書籍類も残しました。

また、経理のパートにでも出ることになると、派遣会社では、試験がありますし、
そうでなくても、ざっと復習してから面接にいかないと、質問に即答できません。

今後働きにでるかどうか、たぶん、働かないだろうとは思うのですが、問題集などは、
今回は、捨てないでおくことにしました。



夕食は、夫とファミレスのガス●に行くことになっていましたので、夕方から
行きました。

金曜の夕方、すいてました。

ドリンクバーの飲み物も元を取るくらいは、飲みました。

最後に追加したフィッシュ&チップスが、効いて、家に着いたら、おなかが
いっぱいで苦しくなりました。

ポテトが水を吸って膨張??


夫婦で早食いなので、満腹中枢が満腹ですよ、と、言う前に、おなかに詰め込んで
しまうため、いつも食べ過ぎになってしまうのです。

真っ暗な中、2台の自転車で走って帰り、さっそくパソコンにへばりついています。




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松花堂弁当

2013-01-24 19:50:31 | 料理
青果市場の組合で働いていた頃、市場の関連事業者棟があり、飲食店の業者さんが買いに来る
食材や業者用の物品を置く店がありました。

そこで、松花堂弁当の弁当箱を3個買いました。

うちの夫婦の分と、もうひとり親戚が遊びに来たら、と思って、3個買ったのです。

久しく出番がなかったですが、キッチンの棚を整理した時、本体とふたが別々の場所から
出てきたので、一緒にそろえてしまっていました。


昨晩、松花堂弁当の夕食にしました。

少しずつ幾種類もおかずを作って、ちょっとずつ盛り付けて、最後に温かいごはんを
よそって、ふたを閉め、

「ごはんですよ~」

と夫を呼びます。

ふたを開けて、「おおおーーー!」

ふだんの夕食とも違って、目新しいので、好評でした。


というわけで、今夜も食べたいというので、松花堂弁当にしました。

おかずは、また違うものを、少しの量ずつ作ってみました。

写真を載せるほどのものは入ってないので、撮影はしたのですが、写真はなしです <(_ _)>

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郵便物の整理

2013-01-23 19:42:27 | 日記

今年に入って、うちじゅうの書類整理を始めました。
もう、何日もやっています。

きのうまでは、パソコンで印刷した資料や、各企業から届く書類を保存していたものを、
「残して置くもの」、「捨ててしまっていいもの」とに分別して、処分しました。

部屋にいて、見える部分の処分はだいたい終わりました。


次は、押入れの段ボールです。

ここへ引っ越してくるときに、収納できる部分が少ないため、ずいぶん処分して移り住んだので、
その後、これまでにも、押入れの中の処分は、何度かして、残っているものは捨てたくないものが
ほとんどです。

今回、押入れに手をつけるとなると、段ボール箱 数箱に長年とっておいたものの処分になります。


それは、主に、手紙と年賀状なのです。


必要になったらまた買えばすむものは、これまでにも数年に一度くらいは処分してきました。


処分できないもの・・・家族が若かったときに届いた手紙、幼かった甥・姪からのかわいい手紙や絵、
15年以上前から残しておいた年賀状、若いころ親しくしていた友人からの手紙・・・。

電子メールがないころですから、電話以外のつながりは、手紙でしたので、思い出がつまっています。

年賀状も、ここで処分してしまっては、もう連絡がとれなくなってしまうだろうと思われる人からの
ものは、残しました。

なんとか、段ボール2箱が1箱に減りました。

処分は夫がシュレッダーをかけます。


次に押入れで場所を取っているのは、家計簿、領収書を貼ったノート、手帳、メモ帳です。

家計簿は平成元年の結婚当初から残っています。

手帳もほぼそのくらい残してきました。


体力と気力と、時間がある今、これらの処分をしていかないと、また5年、10年とたまり、
次は自分でできないかもしれません。

自分で捨てるという判断ができなくなれば、いつか誰かほかの人が処分することになります。


古い預金通帳もほとんど今回シュレッダーにかけました。


家計簿も新婚当初のは残して、間の数年分はシュレッダー行きがいいのでしょうか。


手帳も、思い出のある日記のようなものです。

ときおり、「あれは、いつごろのことだったろう」と調べなければならないときに、
手帳やメモ帳は、ひっぱり出してきて、役に立ったものです。



明日は、処分の決断が必要です。

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日中・草の根交流

2013-01-22 21:19:26 | 日記
先ほど、NHKの「クローズアップ現代で」、「日中・草の根交流」を放送していました。

中国の日本大使館で行われた、中国人による日本語の弁論大会で、大学生が日中の友好に
ついて、じょうずな日本語で日本への心情を語っていました。

日本への留学や、日系企業への就職を希望しています。

サッカーの日本代表の元監督の岡田武史さんが、中国の弱小のクラブチームの監督として
中国に渡り、指導され、実力主義で選手の起用をするなど、クラブは変わっていったと
いうことです。

スタジオでは、中国人のゲストの方が、領土問題などで中国の反日のデモや日系企業を
襲撃する場面ばかりを、日本の報道が取り上げているが、実際には中国の大学生では
70%くらいの率で日本に対して友好の意識があると話していました。


私には、中国の友人がいます。

平成になる少し前、実家の近所の国立大学の留学生会館に寄宿している中国の留学生たちと
知り合いになり、互いの部屋を訪れたり、一緒に観光に行ったりしました。

最も親しくしているひとりの女性は、中国で国費留学生に選ばれたので、新婚の夫を中国に残し、
単身、日本の国立の工業大学の修士課程に留学してきました。

修士課程を修了すると、帰国後、南京の大学の先生に戻り、そのあと、女の子が生まれました。

私と父が上海に旅行に行ったときは、南京から鉄道で上海のホテルまで、来てくれて
10年ぶりに再会しました。

お互い、少し太っていました。


その後、彼女のお嬢さんは、成長して、日本に興味を持ち、高校では日本語科に学び、日中の
高校生友好親善のための代表の中に選ばれ、来日しました。

そのとき、私は、東京の芝のホテルに会いにいきました。

じょうずな日本語を話していました。


そして、お嬢さんは高校生の時と、大学生の時と、二度、日本に短期留学しました。

今は、北京の外国語大学で日本語を学び、今年の7月に卒業するそうです。

友人とは、今でも、メールや年賀状でお互いの近況を伝えあっています。


中国の一般の人は、日本を敵視した感情はテレビでいうほど、激しいものではないのではないかと
思うのです。

もっと中国の親日の部分を日本で報道していくべきだと思います。

中国とは文化の交流の歴史は長いですが、近代でも、現代でも、両国相互に深くかかわってきた
国であり、これから、さらにいっそう友好国としておつきあいしていかなければならないと
思っています。
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