「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

日々こつこつ、その中で起きるハプニング

2015年01月27日 10時36分45秒 | サッカー文化
ブログをできるだけ書き込みたいと思っているが、日々こつこつ作業も続けているので、なかなか書き込みに時間が割けないことも多い。

そんな、日々の作業の中で、いろいろなハプニングも起きる。一つふたつご紹介したい。

1月23日にフェイスブックページをはじめました。サッカー文化フォーラムとしての情報発信と情報交換の機会をより増やすためです。

フェイスブックページは、ご存じのとおり個人が実名で登録するフェイスブックの枝ページにあたるので、最初はフェイスブック登録が前提となる。

前にも書きましたが、一度2010年当時にも登録したので、わかっていたのですが、登録後すぐフェイスブックのほうから「こういう方とお友達になりませんか」と数人の方をご紹介される。

2010年当時も、ずいぶん登録者が増えているのだろうなと思ったが、あれから5年、おそらく日本全国で数百万人の人が登録しているのではないだろうか。

だから、紹介いただいても、まずは見ず知らずの方ということになるのが普通だ。
ところが、今回、思いがけないことがあった。紹介があった数人の方のお名前の中に、私が仕事で大変お世話になり、いまも連絡を取り合っている方が含まれていたのだ。

これには驚いた。こういうこともあるのだ。私は一も二もなく「お友達になる」をクリックした。昨日、先方からも「確認しました」というシグナルが届いたので、このブログなども目にされるだろう。

数百万人の中からの、思いがけない出会いだった。似たようなことがあるとすれば、銀座の大通りで地方から出張で出てきた方と、バッタリ会うような感じだろうか。

二つ目のハプニングは、連鎖的なトラブルの話だ。
日々、これまでビデオテープに収まっていたサッカー関連の映像をパソコンを通じてハードディスクに保存し直す作業を続けているわけだが、それには4種類の機材が必要になる。パソコン、ビデオデッキ、ビデオテープそのもの、そしてビデオキャプチャという変換機器である。

この作業を始めてから、すでに2年半経過しているが、慢性的に悩まされているのがビデオテープのカビの問題で、1998年分のテープまで進んでも、カビはどころか増えていると感じるほどだ。

それでも、他の機材が順調であれば、カビ取りしたものを次々とビデオデッキにかけていけばいいが、この年末から年始にかけて、なぜか、他の機材にも次々とトラブルが発生して、そのリカバリーに追われ、ほぼ1月を台無しにしている。

まずビデオデッキが思わしくない。デッキを2台から4台に増やし作業ペースをあげようとしたが、安物に手を出したのがいけなかったようだ。「安物買いの銭失い」そのものだ。買ったばかりのビデオデッキ2台をあきらめることにした。

次にパソコンに波及した。パソコンも4台あるが、そのうちHDD取り込み作業専用にしているパソコンかおかしくなってしまった。何度もメーカーのサポートセンターに電話をして、あれやこれやとリカバリー作業を行ない、昨日、やっとリカバリーに成功した。

パソコンがおかしくなった同じ時期に、それに接続していたビデオキャプチャ機器もおかしくなってしまった。おそらくパソコンがおかしくなったのと、ビデオキャプチャがおかしくなったのは相互関連があったと思う。

昨日、そのビデオキャプチャにもあきらめがついて買い換えることにした。

やはり、日々、作業の連続だし機械にも故障はつきものだが、たまたま、この1ケ月は連鎖反応的に、どれもこれもダメみたいになって、気持ちが相当折れそうになった。

それでもブログの書き込みで気分転換したり、日本代表の活躍に一喜一憂したり、取り込み作業をしなかせら以前のテレビ番組を見て、いろいろ発見したり、スポーツ紙の論調にあれこれ口を出してみたり、なんとか作業を続けられている。

そして、いま、一昨日の書き込みでもご紹介したが「いろいろなテーマを設定して、それについて掘り下げ、テキスト、動画、静止画を織り交ぜて10分なり20分のレポートにして発表する」という作業にも着手することにしている。

とにかく、日々、こつこつ、日々、目いっぱい、続けていきたい。このブログを閲覧してくださる方も、いつの間にかずいぶん増えたようで、励みになっています。これからも、時々読みにきてください。

では、また。
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チーム応援番組にみるクラブのチカラ・G大阪編

2015年01月25日 21時32分51秒 | Jリーグ・三大タイトル
いま、サッカー文化フォーラムの、20数年におよぶサッカー情報の蓄積をひもとき、日本サッカーの進化・発展の姿を浮き彫りにしていこうと、具体的な作業を始めている。

それは、いろいろなテーマを設定して、それについて掘り下げ、テキスト、動画、静止画を織り交ぜて10分なり20分のレポートにして、ウェブサイトである「ようこそサッカーの世界へ」にアップしていく方法を考えている。

最初に取り上げる予定は、ウェブサイトのトップページにもある「伝説」をキーワードにした掘り下げだ。「伝説のあの年」「伝説のあの試合」「伝説のあのチーム」「伝説となったあの選手・指導者たち」の各シリーズのうち「伝説のあの年から始めることにしている。

そして、その①は「1986年」を掘り下げる。

その前に、他に予定しているテーマを一つふたつ紹介したい。

まず「チーム応援番組にみるクラブのチカラ」というテーマを予定している。チーム応援番組というのは、Jリーグがスタートしてから各チームが放送を始めた応援番組のことだ。

1993年には、すでに横浜マリノスの番組「キックオフ・マリノス」が日本リーグ時代の「日産FCサッカーアワー」という番組を引き継いで放送されていたのをはじめ、1998年頃には関東地区だけで、UHF局を中心に8チームの番組が放送されていた。

当時から放送時間はまちまちで「GOGOレッズ」のように毎週30分を費やしていたチームもあれば、始まってまもなかった川崎フロンターレの番組は月1回15分という具合だ。

当時は、各チームのホームタウン地域のテレビ局が地域限定で放送していたので、全国的に人気の高かったジュビロ磐田や横浜マリノスの番組は、多くの方から何とか見たいという要望を受けていた。

ずいぶん前置きが長くなったが、今日、たまたまスカパーで「ガンバファミリー」という30分のチーム応援番組を昨年8月分から12月分まで5回まとめて放送してくれた。

Jリーグのシーズン中だと月1回の放送だから、断片的に見る感じになるが、今回は5回分連続放送なので、ちょうどブラジルワールドカップによる中断明け後のガンバの快進撃を追える形になっていて、見ごたえがあった。

しかし、私は、ガンバ三冠への足どりより、チームとしてどういう番組づくりをしているのかを注目して見ていた。というのも1998~2000年頃にも稲本潤一選手や播戸竜二選手などの人気選手の様子が知りたいと、関西地区で放送されていた応援番組を入手していたことがあるからだ。

当時の番組は、まさに関西のノリそのもので、お笑い番組かと間違うぐらいの軽妙さだったが、今回見たスカパーの番組はまるで違っていた。それは、面白く楽しければいいというサポーターやファンにすれば、物足りないぐらい、しっかりした番組になっていた。

もちろんシーズン中の放送なのでゲームレビュー中心の番組ではあるが、何回かの連続企画で、岩下敬輔選手を司会役にして3~4人の選手が、クラブが考えていかなければならないことをフリップにして示し、各自がそれに対する考えを発表するといった趣きのコーナーがあることを知った。

「ガンバスピリット」というコーナーのようで、毎回の放送でフリップ1枚、たとえば昨年9月放送分のフリップには「ガンバ大阪を支えるパートナーについて」というテーマが示されていた。この日は、岩下選手、阿部浩之選手、今野泰幸選手そして、名前はわからないが若手のもう一人だった。わずか5分ぐらいのコーナーだが、選手がキチンとした考えを話さなければならない場であるという点で、ガンバ大阪のクラブとしての考え方がかなり感じ取れるコーナーだと思う。

まさに「ガンバスピリット」とは何なんだということを、しっかりと選手に考えさせ浸透させる意図そのものだ。以前、似たような番組作りだと感じたクラブが一つあった。それは鹿島アントラーズの番組「フォルサ・アントラーズ」だ。1997年頃からCS放送で始まった番組で、その後数年で終了したように思うが、同じ時期の他チームの応援番組とは、かなり異質の番組作りだと思ったが、その後の鹿島アントラーズの軌跡を辿れば、まさに「鹿島スピリット」を涵養していくんだという意図を持った番組作りだったと思う。

今回のガンバ大阪の番組にしても、かつての鹿島アントラーズの番組にしても、楽しく見せて欲しいというサポーター・ファンには物足りなく映るに違いない。クラブがどういう考え方で番組を作るかは、それぞれ違っていていいと思う。かつてのジュビロ磐田の番組「フォルツァ・ジュビロ」は、強いのに番組も楽しいといった時期が続いた。欲を言えばそういう番組がいいのかも知れない。

しかし、時が流れても選手が変わっても脈々と受け継がれるクラブのスピリット・魂といった部分を決して失わないのだという考え方が、その時々の選手たちに浸透しているチームが真のビッグクラブに成長していけるのではないだろうか。

余談になるが、今日はもう一つガンバ大阪の試合を見た。それは1998年クラブユース選手権決勝、ガンバ大阪ユースvsジェフ市原ユースという試合だ。
この試合には、ガンバ大阪に二川孝広選手、大黒将志選手が、ジェフ市原には阿部勇樹選手、佐藤寿人・勇人選手が出ていた。決勝に進むチームらしく、後に長く活躍する選手たちのユース時代の試合である。

この試合、大黒将志選手の活躍などでガンバ大阪が優勝したが、驚いたのは、さきにあげた選手たちのその後である。二川選手はいまなおガンバ一筋。大黒選手は海外に出たこともあり帰国後は別なチームに移っているが、驚きはジェフ市原だ。いまも活躍している阿部勇樹選手、佐藤寿人選手をチーム一筋にしておけなかったということになる。

ジェフ市原、現在のジェフ千葉、いわゆるオリジナル10のチーム(Jリーグスタート時の10チーム)である。しかし、ここしばらくJ2からJ1に戻れなくて苦しんでいる。一年でしっかりとJ1に戻ったガンバ大阪にチーム一筋の二川選手がいて、そして国内最多の16冠を獲得して最強クラブに君臨する鹿島アントラーズには同じくチーム一筋でユニフォームを脱ぎますといって引退した中田浩二選手がいた。

ジェフ市原・千葉と、それらのチームとの差はなんだろうか、10年先、20年先を見据えた、ゆるぎないチームスピリットを持っているか否か、といったら間違いだろうか。

こうした「クラブのチカラ」といった点について、ぜひ、多くの皆さんのご意見をお聞きしたい。このプログへの意見投稿でもいいし、左側の欄のブックマークについているFacebookのリンクから入っていただいてコメントしていただいてもいいです。お待ちしています。

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宇佐美貴史選手が本田圭祐選手のように心の強いスーパーな選手に

2015年01月24日 19時34分28秒 | サッカー日本代表
2つ前の書き込みのタイトルが「本田圭祐選手のキャリアがピークから下降局面に入った日として記憶されるでしょう」ということで、やはり心配なのは、今後、誰が本田選手の後継者になれるのかということだ。

もう20年近く前の1997年、中田英寿選手がカズ選手に代わる代表の軸となって、以来2006年まで9年間、強靭な精神力と抜きん出た力量でカリスマ的に日本代表を牽引してきた。そして2010年、本田圭祐選手も同様に代表の軸となって以来5年間、強靭な精神力と抜きん出た力量でカリスマ的に日本代表を牽引してきた。

やはり、こういう選手がいるのといないのでは、代表チームに対する信頼感、安心感がまるで違ってくる。2006年から2010年まで、中村俊輔選手がその役割を期待され、彼なりに頑張ったと思う。抜きん出た力量があったことは確かだが、強靭な精神力がもたらすカリスマ性という点で、彼本人も力不足を感じていたのではないか。

私は、さきの書き込みのあと、寝床に入りながら、つらつらと思いをめぐらせた。すると一人の選手に行き当たった。宇佐美貴史選手である。力量の抜群さは楽しみだ。あとは強靭な精神力を宿しているかどうかだ。これまでの挫折と栄光が、彼を一層逞しくしたことは疑いない。あとは、彼が日本代表を牽引する困難な役割を自ら進んで引き受けるかどうかだ。

本田圭祐選手は、何度か、この場面を乗り切れなかったら先がないかも知れないという修羅場を自ら進んで引き受け、それを乗り切ってきた。つまり、そういう逃げられない場面を引き受けられるかどうかが、真に日本代表を牽引できる選手ということになる。

もしも願いが叶うなら、宇佐美選手が、ここ2~3年のうちに、見違えるような強靭な精神力を持った選手になっていって欲しい。これは、ある意味、資質の部分なので、ないものねだりをしても仕方がないが、願望である。

もし彼がそういう選手になって、そこに今回、見事に才能を見せつけた柴崎岳選手が、いまの遠藤保仁と長谷部誠キャプテンを足して2で割ったような立場で絡めば、この先6~7年ぐらいのチームの骨格ができるように思う。

私が楽しみにしているのは、今後のディフェンス陣、特にセンターバックを張れる選手に、海外でも十分やれそうな選手が数人いるように思う点だ。
したがってチームの軸となるカリスマと不動のキャプテンが生まれてくれれば、かなり安心度が回復する。
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本田、香川そろい踏み、悲しみのPart.2

2015年01月24日 18時24分12秒 | サッカー日本代表
今朝のスポーツ4紙の1面は、すべて、アジアカップ準々決勝の敗戦を伝えている。

4日前のグループ第3戦、ヨルダン戦で本田選手と香川選手が得点をあげたことで、翌日のスポーツ紙は、すべて1面トップにこの勝利をもってきたが、2紙は本田選手を見出しに、2紙は香川選手を見出しにした。それを、私は「本田、香川そろい踏み」と表現して、紙面の画像をつけた。

そして、今朝、3日前と同じ「本田、香川そろい踏み」となったのだが、なんとも切ないそろい踏みだった。ご存知のとおり、PK戦となって、その二人がPKを外したのだ。





スポーツ紙の見出しもふたたび「そろい踏み」となったが、悲しみのPart.2となった。今回は、本田、香川を大きな見出しにしたのが2紙、あとの2紙は本田、香川を小さな見出しにしてアギーレを大見出しにした。

アギーレを大見出しにした2紙のうち、スポーツ報知は、3つの「まさか」を絡めていた。本田、香川がまさかのPK失敗、1996年以来まさかの8強止まり、そして大仁会長がまさかのアギーレ続投明言、というわけだ。

このうち、大仁会長がまさかのアギーレ続投明言には、私もまさかと思った。
もちろん、アギーレ監督の力量は私も感じている。1月20日の書き込みでも述べたように「守備の整備」をキチンとチーム作りに落とし込んでいるのが、よくわかる。

しかし、この続投明言はどうだろう。当事者責任を放棄していると受け止められる、そう感じないのだろうか?

以前から、このブログでも時々皮肉を言っているが、マスコミや一般人が何を言おうが、痛くも痒くもないのではないか。決める権限を自分たちが握っている、その点は滅多なことで揺らぐことがない。そう思っているのではないか。

この人たちは、世論がスポーツ紙や専門誌だけで騒がれているうちは、痛くも痒くもないと考え、新聞の一般紙やテレビが取り上げる騒ぎになるのは恐れている。これも前に書いたことがあるが、そうなると役所や国会筋が問題視する可能性が高まるからだ。なので、そこまで騒ぎが大きくなる可能性があるかどうか、だけは常に神経を使っている。

まぁ、アギーレ監督については、八百長問題の状況をみながら、そこまでの騒ぎになるかどうかだけを考えていくのだろう。スポーツ紙の記者の皆さん、系列の一般新聞紙とも連携がとれるかどうかでしょうね。

それともう一つ、肝心なことだが、アギーレ監督の疑惑が早く晴れて「八百長問題の」という枕詞がつかないようになることも願っている。果たしてどうなることやら。



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本田圭祐選手のキャリアがピークから下降局面に入った日として記憶されるでしょう

2015年01月23日 22時57分24秒 | サッカー日本代表
アジアカップ準々決勝日本vsUAE戦、PK戦の末、日本の戦いが終わりました。
PK戦で本田圭祐選手と香川真司選手が外したのですから、敗戦は必然といえるでしょう。

この試合は、長らく日本代表の絶対的エースとして、日本代表ファンの多くが認める存在だった本田圭祐選手のキャリアがとうとうピークを過ぎて下降局面に入っていることを、いやがうえにも知らしめる試合でした。

もちろん、この大会に入ってから本田選手自身も認めているように、どうも、これまでの本田選手とは違う出来でした。私たちはそう簡単に認めたくないもので、単なるコンディション不良ぐらいに考えたかったわけですが、やはりこういう結果が出てしまえば、一つの時代の終わりを受け入れなければなりません。

これでアギーレ監督が、監督を続けることは100%なくなりましたから、次の監督は、次のワールドカップアジア予選を見据えたチーム作りをすることになります。

これは容易なことではありません。誰を軸に据えるか、まったく展望がないからです。本来なら本田圭祐選手の次は香川真司選手でいきたかったところですが、彼も代表落ちの可能性があります。

近年では、ジーコ監督がドイツワールドカップで惨敗して、中田英寿選手が引退し、2007年アジアカップでも準決勝敗退に終わった時期と似ている感じです。あのときは2010年を見据えてオシム監督が微動だにしないチーム作りを進めましたが、アジア出場枠4.5の恩恵をかなり受けた感じです。

今回のアジアカップを見ていると、日本を破ったUAEを始め、オーストラリア、韓国などが順調に若返りを図っており、次のワールドカップアジア予選で選手層をピークに持っていけそうです。そこに出場枠減があったりすると、日本はかなり厳しい立場になる可能性があります。

そこで頼りになるのが監督です。正直なところ、日本代表監督は2002年の韓国代表監督フース・ヒディングのような頼りになる監督には、まだ恵まれていません。イビチャ・オシム監督が健康だったなら、といっても始まりません。

日本代表が生きるも死ぬも、次の代表監督選びにかかっていますが、肝心の協会が頼りになりません。果たしてどうなることやらです。

本田圭祐選手のキャリア下降線を考えると、どうしても日本代表の今後、そして代表監督選びに話しが行ってしまいます。

おそらく、明日から、サッカー関係者そして多くのサポーターたちの間では、その議論が沸騰するでしょう。
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フェイスブックページを開設しました

2015年01月23日 22時42分07秒 | サッカー情報
昨日、都内・錦糸町の「フットボールサロン4-4-2」を訪ねました。さきほどアジアカップ準々決勝日本vsUAE戦が終わりましたが、今日は大型プロジェクターの前で大勢のサポーターが声援を送っていたでしょう。

私は、意見交換のためだったので、むしろ静かな昨日がよかったのです。

そこで、サロンの支配人の方と、いろいろお話しをしたのですが、初めてFacebook Pageのことを知りました。

フェイスブックは、一度2010年当時登録したのですが、あまり意義を感じることができず、辞めました。その後の4年で、私の周りの人たちもどんどん登録していきましたので、サッカー文化フォーラムとして、どう活用していくか考え始めていたところでした。

要するに、会社・団体向けのページとして使えるのがFacebook Pageだということを教えていただきました。

さっそく今日開設しました。まだ何も内容を加えていませんが、このブログの「ブックマーク」にリンクを貼っておきましたので、よろしくお願いします。

サロンの方からは、これからの取り組みとして、いろいろ興味深いプランをお聞きしました。
皆さんも、フットボールサロン4-4-2の取り組みをウォッチしておかれたほうがいいと思います。yahoo検索などで「フットボールサロン4-4-2」と入力してください。
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本田、香川そろい踏み、百聞は一見にしかず

2015年01月21日 22時41分05秒 | サッカー情報
昨日20日、アジアカップ・ヨルダン戦に2-0で勝利、そして今日、また、それを話題にして、しかも「本田、香川そろい踏み」というタイトルをつけるということは・・・・。

百聞は一見にしかず



はやくアップしたいと思い、カメラの位置がいいかげんになってます。
でも、素直にうれしい限りです。

アジアカップの盛り上がり、錦織選手が応援にきてくれたここまでか・・・。なかなか優勝までは願望すら難しいと思うが、NHK-BSで解説に来てくれた岡田元監督は「決勝トーナメントに勝ち上がったチームを見比べてみると、結構、日本はいい感じ」とコメントしておられた。

それでも、この先、なかなか楽観的に見れないが、ここまで、十分楽しませてもらっている。そして、この4紙の紙面だ。それぞれ打ち合わせて半々にしたわけではないと思うが、本田、香川そろい踏みだ。


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守備意識が戻ってきた日本代表

2015年01月20日 21時32分17秒 | サッカー日本代表
今日はアジアカップ・ヨルダン戦、2-0で勝利した。いろいろ話題になる要素があったが、私が一番印象に残ったのは、試合後の長谷部キャプテンへのインタビューだった。

長谷部キャプテンは「無失点3連勝の一番の要因はどのあたりでしょう?」と問われて「監督からしつこいぐらい後ろはゼロでと言われてますし、全体的に守備の意識も高くなっていると思います・・・」と応じていた部分だ。

意識していないと聞き逃すコメントだが、ここにアギーレ監督になってからの違いが凝縮されていると思う。

ザッケローニ監督は「ゼロで押さえろ」と指示したことはあっても、しつこいぐらい指示することはなかっただろう。私は、そこがブラジルワールドカップで惨敗した要因だと確信している。

しつこいぐらい指示するということは、局面局面の守り方、前の選手のプレスと後ろの選手の連携など、ディテールにこだわって指示されているということを意味する。

選手にしてみれば、別に初めて聞く話ではないから、しつこいぐらいと感じるぐらいなのだか、やはり繰り返し指示されれば「これまでのやり方は、少し足りなかったのかも・・」と、意識が自然と高まるものだ。

少なくとも世界の強豪チームを目指すなら、守りを整備しないことには始まらない。日本は、これまで4年間、日本人らしい攻撃サッカーを突きつめようとか、攻めの部分にばかりに目を向けてきたが「そもそも論」をおいてけぼりにしてきたのではないか?

私が言う「そもそも論」とは、そもそもサッカーとは相手があってのサッカーだということだ。日本の攻撃力のことばかり論じているけど、相手は攻めてこないの?ということ。攻めてくるでしょう。それに対してどうするの? その部分をおいてけぼりにしていませんでしたかということだ。

1998年のフランスワールドカップに初出場して以来、このかた、日本のサッカーでは、常に守備重視でいくべきか、攻撃重視でいくべきかという、二者択一の議論ばかりしてきたように見える。

岡田監督とトルシエ監督は守備を絶対おろそかにしないチーム作りを進めた。ジーコ監督とザッケローニ監督は守備を整備しようとしないチーム作りだった。そう断言していいと思う。

その結果がドイツワールドカップでの1分2敗であり、ブラジルワールドカップ3連敗、それが守備を整備できなかった2人の監督の帰結だと思う。

長谷部キャプテンのコメントで「後ろはゼロでと」という言い方があったが、決して守備陣だけの問題ではないのだ。前線の選手の不用意なパスミスやプレスの怠慢も含めてチーム全体としての守備意識のトータルが試合結果に出る。

世界の強豪チームは目立たないようで前線の選手もそのレベルが高いのだ。
アギーレ監督がアジアカップ後も指揮をとる可能性が低くなったが、問題は監督選びで、守備を整備できない監督だけは、もうゴメンだということだ。

私にしては珍しくテクニカルなことについて論じてしまった。「サッカー文化」を語ることにはこだわりのある私だが、テクニカルな分野の話題は極力控えることにしている。

でも、この程度のテクニカル論なら「わたしにも話せます」
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「サッカーは文化だ」先人の言葉をかみしめて

2015年01月19日 21時10分08秒 | サッカー文化
手元に、2013年8月6日あたりだと思うが、産経新聞の「スポーツ茶論」というコラム記事の切り抜きがある。この日の担当は津田俊樹さんという方だ。編集委員の方だろうか?

コラムの見出しは「先見の明『サッカーは文化だ』」、筆者が取材等で接した多くの方の中で、三菱商事の社長、会長を歴任された諸橋晋六さんについて触れている。ちなみに諸橋さんという方は、その記事が掲載された少し前、90歳で逝去されたとのこと。

諸橋さんという方がサッカー界に果たした貢献は「日本サッカー殿堂」入りという形で評価されている。この方の業績については、ウィキペディアですぐ検索できるので、ここでは省きたいが「サッカーは文化なんだ。おまえ、わかるか」と喝破された話だけは取り上げたい。

津田さんも、2002年W杯招致に携わった関係者が諸橋さんの一家言について語る、として紹介している。諸橋さんは1970年代から、そう周囲に語っておられたという。諸橋さんは三菱商事ロンドン支店長当時、テレビ東京が始めた「三菱ダイヤモンドサッカー」の試合映像を買い付けされたのだ。テレビ東京が始めたというより、諸橋さんが紹介したから始まったという感じらしい。

フットボールの母国イングランドの地で、諸橋さんは自らが学生時代熱中したサッカーが、実は、その国の歴史、伝統、民族性、つまり、その国の文化が反映されるものなのだと痛感したに違いない。それを「サッカーは文化なんだ。おまえ、わかるか」と説いておられたのだろう。

諸橋さんは、そのことに気付いたことで、日本でもワールドカップを開こうという思いに至り、その後の招致活動でも大きな貢献を果たしたとのことだ。
津田さんは、それを「先見の明」と評している。

私たちは、諸橋さんが説いて回り、その薫陶を受けた人たちが、さらに周囲の人たちに説いて回り、その輪が幾重にも広がった末に得た至言として知ることになったのだ。

先人の先見性と情熱、行動力は凄い。2015年のいま、私たちが日本代表の活躍に心躍らせているのは、スポーツとしての魅力もさることながら、日本人として生まれ、日本人として育った選手たちがピッチの中で体現している姿そのものに対してなのだ。

だからこそ、結果として勝ちたい、大会では優勝したいと願うのだ。

日本の選手たちのピッチ上のパフォーマンスについては、いろいろな部分について「日本人の特質」といった形容がなされている。

たとえば試合の進め方が組織的である、たとえばチーム全体として規律正しい、たとえばゴールに向かう姿勢にわがままさが足りない、たとえばゴールマウスが見えていてもなかなかシュートを打たない等々。

それらの功罪すべてひっくるめて日本代表であり、それを踏まえて勝って欲しい、優勝して欲しいと願う。

では、これから将来、勝てない日本、W杯に出られなくなった日本という現実がきた時も日本代表を愛し続けていけるだろうか?。私たち日本のサッカーがより成熟していくには、その時でも愛し応援し続けていく必要がある。

1月7日のこの欄で「リバプールの赤と青」というタイトルで、イギリス・リバプールにある2つのサッカークラブ、リバプールFCとエバートンについて書いた。

エバートンはリバプールに比べて成績がよくないが、エバートンを応援し続けているサポーターの数はリバフールFCのそれと遜色がない。勝ち負けだけが応援する基準ではない、では何がそうさせるのか、エバートンを応援し続けるもの、それはエバートンの持つ文化を応援しているからなのだ。

日本でも、クラブチームレベルでは少しづつ、そういうサポーターが増えているように思う。けれども、日本代表に対して日本全体が、苦難の時代を迎えても応援し続けるようになるには、もう少し時間が必要な気がする。だとすれば、日本代表には、あとどれだけの期間かわからないがW杯連続出場記録を続けてもらいたいと願うしかない。

その間、私たちは「サッカーは文化だ、勝ち負けでどうこうではない」と発信しつづけ、多くの人たちに共感を得ていかなければと思う。「サッカー日本代表は日本という国の歴史、伝統、民族性、つまり、その国の文化の上にある存在なのだ」ということを。

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スポーツ紙、見出しはカズでなく、どうしても本田か

2015年01月18日 22時32分29秒 | サッカー情報
昨日の書き込みで、阪神淡路大震災チャリティマッチでのカズ選手2ゴールとカズダンスパフォーマンスがテレビでも取り上げられたことから「明日のスポーツ紙の1面トップはカズかな」と締めくくったが、今朝、サッカーを1面トップにもってきてくれたスポニチとスポーツ報知の2紙、いずれも見出しは「本田」だった。

私たちが何を言っても、変わらないのだろうが、要するに「カズでは売れない、サッカーなら本田しか売れない。野球、錦織、競馬、サッカー、その他のうち、明日のトップをサッカーで行くなら見出しは本田しかない」という考えが見え見えだ。

ちょうど同じ豪州で、テニス錦織選手の全豪オープンが始まるのとセットの見出しにしてある。どちらかというと本田と錦織のダブル見出しかも知れない。

それで本当にいいのだろうか? 「明日はカズではないのか、カズでは本当に売れないのか」そういう議論は出ないのだろうか? それとも編集デスクの鶴の一声なのだろうか?

私は、一般市民の目線で見た読者感覚からずれていると思うが、どなたか、そのへんの業界事情的なことがわかる方からコメントをいただければ幸いだ。

ちなみに、カズ選手は、スポニチでは5面に大きく、スポーツ報知では2面に小さくという扱いだった。一般市民目線での感覚についても、これをお読みになった方からコメントをいただければと思う。

せっかく1面トップにサッカーを持ってきてくれた2紙に対する感謝の気持ちは、いささかも変わらないし、上げ足取りみたいな議論で申し訳ない気持ちもあるが、かといって遠慮するのも何かと思う。

よくマスコミの論調に「マスコミが委縮して自己規制してしまうのは自殺行為だ」というのがある。まぁ、それにならって、一つの議論のネタにしたい。

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4ケ月ぶりにスポーツ4紙1面トップそろい踏みです。明日の1面はカズ?

2015年01月17日 19時34分41秒 | サッカー情報
昨日、アジアカップグループリーグ第2戦、イラク戦に勝利した日本、今朝のスポーツ紙は主要4紙とも、1面トップにその記事をもってきました。(4紙だけではなかったのですが)

1月10日の書き込みでもご紹介しましたが、アギーレ問題でスポーツ紙のうち3紙がトップに持ってきた日は何日かあったのですが、4紙まではなかなかいきませんでした。

一応、当サッカー文化フォーラムが継続チェックの対象にしているスポーツ紙は、日刊スポーツ、スポーツニッポン、サンケイスポーツ、スポーツ報知の4紙です。



では、どれぐらい久しぶりかといいますと、前回4紙そろい踏みだったのは、昨年9月6日(土)です。では、この前日の話題は何だったか覚えていらっしゃいますか?

実はアギーレ監督としての初戦、ウルグアイ戦のニュースでした。試合は0-2で負けたのですが、一応、初戦ということで各紙とも本田の写真をつけるなどして「よいしょ」的な論調でした。

それ以来、4ケ月以上、4紙そろい踏みがなかったのです。まぁ、ここしばらくはアギーレ問題が絡んでの論調になるでしょうから、少し複雑ではありますけど。

ちなみに、画像につけた4紙のうち、最後のスポーツ報知だけは、画像の下に英単語らしき活字が映っています。新聞を二つ折りにして写したので下が切れて申し訳なかったのですが「TRUST!!」と印刷されています。

記事によれば「試合後、外国メディアから英語で矢継ぎ早に(アギーレ問題について)質問が飛んだ。エースは表情を引き締めて言い放った。『TRUST!!(信頼している)』。指揮官を信じ、自身のゴールと日本の勝利を疑わない、決意表明だったのかも知れない。」とあります。

読者をこの本文まで誘導した、この見出しは出色の出来です。外国メディアは容赦してくれません。そんな中で、メディアを黙らせる的確な対応ができる本田圭祐選手は、ただの選手以上の価値を持っています。

そのことを、この記事は伝えてくれていますし、この見出しがそれを可能にしています。当「サッカー文化フォーラム」がスポーツ紙を大切にしているのは、それぞれの紙面に、それぞれの思いが込められていることを知っているからです。


ところで、ガラリを話題を変えますが、アギーレ監督の初戦が昨年9月5日だったと書きましたが、今日たまたま、トルシエ監督の初戦という映像をビデオテープからパソコンに取り込みました。1998年10月28日に行われたエジプト戦です。

この試合は1-0で勝利したのですが、なぜ、この試合のことを書きたかったかと言いますと、試合後の監督インタビューで通訳していたのが、おなじみのフローラン・ダバディ氏ではなかったからです。

つまり、ダバディ氏が最初から通訳として前面に出ていたわけではないということに気付いたからです。ちなみに、この時の通訳は日本人でした。おそらく協会が手配した方でしょう。まぁ、どうでもいい雑学かも知れませんが、トルシエ監督とフローラン・ダバディ氏のコンビは、日本代表史の中でも、研究に値するコンビだと思うので取り上げました。

今日は、1995年の阪神・淡路大震災から20年、チャリティマッチが神戸で開催され、キング・カズが2得点で、カズダンスも2回披露とのこと。絵になり華がある選手がヴィッセル神戸に在籍経験があるというのも、主役の主役たる所以です。明日のスポーツ紙は、何紙がカズを1面にもってきてくれるでしょうか?

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ジーコつば吐き事件のルーツとなった試合を振り返ります

2015年01月15日 22時34分41秒 | Jリーグ・三大タイトル
「ジーコつば吐き事件」というのを覚えておられるでしょうか?

Jリーグがスタートした年、1993年、前期を制覇してJリーグ始めてのステージチャンピオンとなった鹿島、その中心がジーコでした。

後期はヴェルディ川崎が制し、年間王者を決するチャンピオンシップは、年が明けて1994年1月に行われました。

第1戦をヴェルディが制し第2戦、レフェリーの判定にフラストレーションをため続けていたジーコは、ヴェルディに与えられたPKでペナルティスポットに置かれたボールに、つばを吐きかける行為に出たのです。

あのジーコが、そのような行為に出たのです。ジーコはレッドカードを受けて退場処分を受けたのですが、つばを吐いたからレッドカードを受けたのではなく「PKを蹴ってよし、という主審の笛が鳴ってからペナルティーエリア内に入ったことに対して警告され、それが2回目の警告だったので、自動的に退場になったということのようです。

そして、つばを吐き、主審を侮辱する態度をとったことで、4試合の出場停止という処分をJリーグ規律委員会が下したのです。

ジーコは退場処分によって、事実上、チャンピオンシップは決したといっていいでしょう。

ジーコの行為に対して、激しい非難が浴びせられました。しかし、シーコが、そのPKの判定だけに不満でその行為に出たわけではないことを、多くのサッカーファンは知っていました。

1993年シーズン全体を通しても、ジーコは審判の判定に対してフラストレーションをためていました。その不満を「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」などと公言もしていました。

実は、その不満は、すでにJリーグスタート前の1992年から溜まり始めていたのです。そのルーツとなった試合は、Jリーグとして初めてのタイトル戦となった1992年ナビスコカップ準決勝の対ヴェルディ川崎戦です。

1992年10月16日に行われたこの試合でもジーコは、イレブンを鼓舞しながら勝利への執念に溢れたプレーを見せていましたが、個々の選手の力量に勝るヴェルディ川崎が後半19分、ラモス、武田とわたったパスからカズが見事にゴールを決めて先制しました。

その直後、ジーコが奇策に出ます。ヴェルディの選手たちが先制点に歓喜している隙をついてジーコがキックオフして鹿島の選手がゴールを陥れたのです。

しかし、主審はゴールを認めませんでした。自分はキックオフの笛を吹いていないという訳です。ジーコは激しく抗議します。「なぜ、そんなにヴェルディの選手たちに時間を与えるのか、世界のサッカーの常識では、そんなに長く待っている必要はない」というわけです。



ジーコが「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」などと公言するようになったのは、この試合がルーツといっていいし、有名なチームとは、特にヴェルディ川崎を指していると考えるのが自然です。

1993年前期は、そうした審判の判定に悩まされることなく優勝を果たした鹿島とジーコだったのですが、チャンピオンシップで、またしても審判の判定という悪夢の前に、とうとう怒りを爆発させてしまったのです。

その後、Jリーグの歴史は、鹿島とジーコ、そしてヴェルディ川崎に対して、いわゆる「歴史による審判」を下していきます。鹿島は現在、常勝軍団の名を欲しいままにして、Jリーグに君臨しており、ジーコも日本代表監督を務め、Jリーグ、日本サッカーの功労者として不動の評価を得ています。

一方のヴェルディ川崎は、チーム名に企業名を冠することができないことへの不満、ホームタウンの東京移転に際してのわがまま問題など、Jリーグの理念とは程遠い経営姿勢をとりながら、次第にチーム力を弱め、すっかりJ2が定位置のままとなってしまいました。

ヴェルディ川崎がJリーグ初代チャンピオンに就いた頃、20年後に、両チームがこれほどまでに対照的な軌跡を描くとは、誰が予想できたでしょうか?

また、あの1992年から1994年にかけて、ジーコから「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」と言われるジャッジをした何人かの審判たちは、この歴史が下した審判をどのような気持ちで受け止めているのでしょうか? 機会があったらぜひ語って欲しいと密かに思っています。




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牛木素吉郎先生から「映像記録の収集保全と公開について」コメントをいただき光栄です。

2015年01月14日 23時17分39秒 | サッカー情報
先月12月29日の書き込みで「スポーツ文化ネットワーク『サロン2002』」のことをご紹介した。その前日に忘年会があって、各自、自己紹介する機会を得たことから、私は、いま進めているサッカー情報のアーカイブ化、特に映像のHDD化の作業のことをお話しした。

その日は、メンバーでいらっしゃる著名なジャーナリストの牛木素吉郎先生も参加されていた。牛木先生のことは、日本で何らかのサッカー関連に携わっておられれば、知らない人がいないだろうと思う、ジャーナリストの大御所のお一人だ。

現在も「ビバ!サッカー研究会」や「日本サッカー史研究会」といった勉強の場を作られ、旺盛な活動を続けておられる。まだ、ご存じない方はぜひyahooのキーワード検索で「ビバ!サッカー研究会」や「日本サッカー史研究会」と打ち込んでいただき、ご覧いただきたい。

私も「サロン2002」でご一緒するまでは面識がなかったが、サッカー専門誌をはじめ、さまざまな場で執筆活動をされていたので、お名前は存じ上げていた。

その牛木先生が「サロン2002」に参加された感想をコメントの形でメンバー宛てのメールシステムに寄せてくださった。

それを読ませていただいたら、「映像記録の収集保全と公開について」という項目を起こしてくださり、私が紹介した取り組みについてコメントしてくださった。

それによると、まずもって、私の取り組みに驚かれたとのこと。
そして日本サッカー協会でも小倉純二会長当時、90周年記念事業として映像収集を指示された経緯があり、その後どうなっているだろうか?と感じていらっしゃるという。

最後に、集めた映像を公開の場で観覧するときに、著作権、映像権などの問題をどう処理するのだろうか? と指摘してくださった。

なんと光栄なことか。牛木先生ほどの著名なジャーナリストの方に関心を示していただいただけで、お話した甲斐があったというものだ。

先生がご指摘のとおり、公開に際しての、著作権、映像権などの問題は、現時点では、何も手つかずの状態だ。いまはまだ、映像資料をデジタル変換してデータベースにすることで精一杯なのと、なんといっても前例のないことなので。

ただ、スポーツ文化、とりわけサッカー文化の成熟度をあげていくにも、いずれは、前例のないことだからこそ、手続き的に制度化して、法的処理ができるようにしたいと思っている。

皆さんのお知恵もお借りしながら前進させたいと思う。

ちなみに牛木先生は、昨年8月下旬、テレビ東京の番組「FOOT×BRAIN」で2週にわたり、今回FIFAバロンドール会長賞を受賞された賀川浩先生と対談企画に出演されている。ご紹介しておきたい。
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FIFAバロンドール会長賞、賀川浩さんの授賞式見ましたぁ、ばんざいです。

2015年01月13日 11時06分03秒 | FIFA、サッカー協会
日本時間の夜中に行なわれたFIFAバロンドール授賞式をWOWOWが放送してくれていましたので、録画していたものを見ました。

90歳の現役ジャーナリスト、神戸在住の賀川浩さんの受賞の様子を見ました。FIFAブラッター会長に招かれて壇上に上がる時、会場の拍手に合わせて、思わず大きな拍手を送ってしまいました。

その歩みの映像が会場はもちろん、全世界に流れ、賀川さんの受賞スピーチに聴き入る会場の選手たちの、敬意に満ちた表情をみた時、なんと誇らしい日本の誉れだろうかと思いました。



心の中だけですが、ばんざいと叫びました。

賀川さんの長いサッカー取材活動、それらの雑誌・新聞での表現活動、さらには、そういう場を提供してきた雑誌・新聞・テレビなどのメディアの事業がベースになって、1990年代以降は、地上波テレビはもちろん、WOWOW、スカパーなどの衛星テレビでサッカーのより幅広い情報発信につながってきました。

そして、私たちはいま、Jリーグアウォーズはもちろん、こうしてFIFAバロンドール授賞式のようなイベントもテレビを通じて楽しむことができる時代に生きています。

サッカーを愛する一人として、なんと幸せな時代に生きているのでしょう。
私も、こうしたサッカーが持つ世界共通の魅力、サッカーが持つ地球規模の影響力を自分でできる方法で、より広く伝えていこうと思います。

私のように若い時の選手経験もなく、仕事でのサッカー関連のビジネス経験もなく、子供たちの指導経験がなくても、サッカーというスポーツが持つ魅力、サッカーというスポーツが世界規模で愛されるわけ、といったものを知る幸運に巡り合えることができます。

私のような立場の人間は、日本の中でサッカーに関わる何百万の人たちの輪の一番外側にいるに違いありません。でも、その輪の一番外だろうがどこだろうが、輪に加わっていることがアイデンティティだと思っています。

一番外側にいる人間なのだから、とるに足らないかも知れませんが、一人の人間のアイデンティティがあることだけは確かです。

そう思いながら、取り組みを続けていこうと思います。

賀川浩さんの授賞式を見ながら、あらためて、一度お目にかかる機会を得たわが身の幸運を思いました。
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「花燃ゆ」とサッカー文化フォーラムの関係

2015年01月11日 20時11分58秒 | サッカー文化
少し堅苦しい話しになって申し訳けありませんが、おつきあいください。

今月からNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が始まり、今日は2回目、私は午後6時からのBSプレミアムでの放送を見ることにしているので、さきほど45分間、テレビにかじりついてました。

明治維新に大きな役割を果たした吉田松陰、大河ドラマでは、主人公そのものではないが、松陰が獄死するまでは実質的な主役となるに違いない。

私が吉田松陰のことを本格的に知りたいと思うようになったのは、ちょうど3年前の1月、伊豆の下田を訪ねてからだ。下田には「下田開国博物館」というのがあり、ペリー来航、ハリス領事滞在などの資料と合わせて、ペリー艦隊の船に乗り込もうとして失敗した吉田松陰の資料も展示されている。

そこで、驚くべきことを2つ知った。一つは吉田松陰について初めて書物にしたのが、日本人ではなく英国人のスティーブンソンだったということ。もう一つは、私が住んでいる東京都内に吉田松陰に関する史跡がいくつかあり、その代表的なものとして、中央区小伝馬町の獄死の地、そして世田谷区の松陰神社があるということ。

そこから、私は猛烈に吉田松陰に関心を持つようになった。日本では、しばしば、日本人に評価されないうちに海外から評価され、その評判が逆輸入されることがあるが、明治の時代にもそういうことが起きていたのだ。

下田を訪ねてから3年、吉田松陰の生涯も、その家族のこともある程度知ったので、今年の大河ドラマはとてもスンナリ見れる。しかし、実は吉田松陰が、松下村塾で教えた事柄、その内容がどういうものかについては、まだ、詳しく知らない。

今年の課題は、吉田松陰が何を考え、何を伝えたのかを知ること、ということで、まず手にとったのが「新釈・講孟余話・・・吉田松陰、かく語りき」という本だ。



本の題名だけでは、なんの本か良くわからないが、これは、吉田松陰が、松下村塾で、孟子の教えを講義した時の、自分の考えを記録した「講義録」のようなもので、それを大学教授の松浦光修氏が現代語版にしたものだ。

ここまでは、いわば前置きで、ずいぶん長くなったが、「花燃ゆ」に合わせて手にとった、この本の一節が「サッカー文化フォーラム」に取り組んでいる私の心に、もっとも響く一節なのだ。

その一節というのは、
「思えば、松陰という人は、間違いなく天から「大任」を降ろされて(与えられて)いた人です。そして、松陰という人は、生涯をかけて、その「大任」をまっとうしています。
おそらく、今を生きる私たち一人ひとりも、何かしらの「大任」を降ろされて(与えられて)いるにちがいありません。ですから、たぶん天は、私たちが生涯をかけて、その「大任」を果たすことを”期待”しているはずです。」
という部分だ。

私が取り組んでいることは、とても「大任」と言えるほどのものではないが、いまサッカー文化フォーラムとして、各種メディアに記録された一つひとつの動き・変化をサッカー文化事象として100年先に繋ぎ伝えていくんだと決意している。

それこそが、まさに「たぶん天は、私が生涯をかけて、その「任務」を果たすことを”期待”しているはず」のことだと、あらためて思う。

私は、この吉田松陰の教えを忠実に守り、自分の役目をまっとうしたいと思うのです。

大河ドラマ「花燃ゆ」とサッカー文化フォーラムは、そんな風に関連しているのですと、ちょっと乱暴な結びつけだったかも知れません。

人生66年にして、最も尊敬する歴史上の人物になりつつある吉田松陰のことを話題にしたかった気持ちに免じてお許しください。

それにしても、人生を懸けてやるべきことはこれだ、と言える幸せを得られたのは幸運なことですが、それが66歳になってからというのは、少し恥ずかしいものです。多くの人々は、早い人であれば20歳台、遅くても30歳台、40歳台で、自分の天職を見出して人生に励むのでしょうけれど、私は60年かかりました。

でも、言い換えれば「60年かかって見つかるということもあるので、焦らずコツコツと探し続けてください」とエールを送れるということかも知れません。よく言うではありませんか、早熟な人もいれば晩生(おくて)の人もいると・・・。

しかも、この歳になってからでは、あと何年も続かないかなと思っていた気持ちをガラリと変えてくれた出会いもあった。そう昨年夏にお会いした神戸在住のレジェンドジャーナリスト・賀川浩さんだ。

あの方のお元気な様子に接して、年寄じみたことを考えている自分が恥ずかしくなった。今年90歳を迎えられる賀川さんと同じぐらい続けられるとしたら、あと20年以上の時間をいただけるいうことになる。あとは自分が、どれだけ気持ちに張り合いをもてるかだけのことだ。

その賀川浩さんは、日本時間の今夜遅くに行なわれるFIFAバロンドール授賞式で、栄えあるFIFA会長賞を受賞するため、スイスのチューリヒに出かけられている。(はずだ) WOWOWが、その様子を放送してくれるので、明日起きてから録画をみるのが楽しみだ。

最後に、新しい年でもあるので、サミエル・ウルマンの「青春の詩」の最初のほうを、読み返してみましょう。

「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ・・・・・」

さきほど「日本では、しばしば、日本人に評価されないうちに海外から評価され、その評判が逆輸入されることがあるが・・・」と書いたが、ウィキペディアによれば、この詩は「日本で有名になり、アメリカにお里帰りした」詩だという。2つのエピソードは、世界中の人々が、よいものをよいと評価して取り入れる、その気持ちが大切だということをよく示している。

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