先週、大阪と神戸に仕事で出かける機会があった。ちなみに当「サッカー文化フォーラム&アーカイブ」夢追い人は、サッカー関係では一銭の収入もなく、逆にサッカー関係の費用はすべて自腹という状況だ。
したがって、なるべく自腹持ち出しを少なくするために、仕事で出かける機会を最大限利用して、空き時間を作りサッカー関係の活動をしている。
今回の機会にも、大阪・神戸でサッカー関係で、どこか訪ねられるところはないかと思っていた。
以前「日本サッカーアーカイブ」という、web上で日本のサッカー史を辿れるサイトを立ち上げた、高名なジャーナリストの賀川浩さんという方の、web構築を手がけた会社が大阪にあるということで、5年ほど前に一度会社代表の方と、メール交換させていただいたことがある。
そこで、その方にお会いできないかと、コンタクトをとろうとしたが、うまく連絡がとれず、あきらめかけていたところ、実は、その賀川さんの蔵書類が、神戸市立図書館内に「神戸賀川サッカー文庫」として閲覧可能な状態にあることがわかった。
さっそく、神戸市立中央図書館に閲覧希望を申し込んだところ、希望日には、当の賀川浩さんも文庫に来られるだろうとのことで、図書館の方から「引き合わせてあげますよ」というご配慮をいただいた。
お聞きしたら、賀川浩さんは90歳に届こうかというお年ながら、いまなお文庫に可能な限り詰めておられるとのことで、まず、それに驚いてしまった。
その賀川さんが、文庫の開設にあたってweb上にメッセージを寄せているが、読ませていただくと、神戸には別のサッカー文庫があるとのこと、驚きの連続だ。
それは、神戸フットボールクラブ(神戸FC)事務局内にある「田辺文庫」というのだそうだ。こちらもお訪ねしたいと思い、FC事務局に訪問の件をご相談して、こちらも快諾いただいた。
まず神戸市立中央図書館の「神戸賀川サッカー文庫」、図書館の方にご案内いただいて部屋を見せていただいていると賀川浩さんも来られた。本当にお元気にされていて、今週は東京地区に取材活動で数日間いらっしゃると伺い、もはや驚きを通り越して感動してしまった。
人生かくあるべしだ。こうしてお会いして、私のほうがパワーをいただき、あらためて自分の志を果たすべく思いを新たにさせていただいた。
賀川さんは東京でご講演予定もあるようなので、ぜひ拝聴したいと思う。
「神戸賀川サッカー文庫」でのもう一つの驚きは、結構ご年配の方々だが5~6人の方々がお見えになって、いわばお手伝い作業をされているとのこと。
その場ではどのような皆さんかよくわからなかったが、次にお伺いした神戸FCの方に教えていただいたところ、いずれもサッカーではずいぶん活躍された、地元サッカー界の重鎮の方々とのこと。皆さん立派なお立場なのだろうけれど、賀川さんとは親子のような年齢差だから、さながら「賀川さんとその教え子たち」といった様子だった。
この神戸市立中央図書館「神戸賀川サッカー文庫」の訪問でわたしが痛感したのは、サッカー資料の保存と広く利用していただく、一つのカタチが、すでに、ここにはあるんだなぁ、ということだ。
私が描いていたカタチがすでに現実にある。これは衝撃だったし、今後に光が見えた感じで、希望が湧いてくる訪問だった。
とにかく、辛抱強く保存・整理作業を続けていれば、きっと可能性が開けてくる。決意をあらたにさせていただいた。
もう一つの訪問先、神戸FC内「田辺文庫」、こちらも貴重な資料類だ。私の見立てでは、いずれ、日本サッカーミュージアムが、付属図書館を併設する時が来るに違いない。何年後かわからないが、日本のサッカーを文化的に継承していくには、どうしても文献類の体系的整理・保存と、公開が欠かせない。
いまは、神戸FCのような、地方の志ある方々によって辛うじて保存・継承されているが、特に紙媒体の保存には専門的な手をかけないと、100年、200年といった継承は難しい。もし万が一、日本サッカーミュージアムが、そのようなことにエネルギーを割かないとしたら「田辺文庫」の維持・保存を地元の皆さんが、手を差し伸べて進めるに違いない。
神戸が「日本サッカー発祥の地」だということは知っていた。けれども今回、その歴史は単なる歴史ではなく、地域の皆さんが、それを行動と連帯で守り育てていることを心底感じて、神戸に対する見方が180度変わってしまった。
訪問するまでは「神戸が発祥の地には違いないが、その後『サッカーどころ』と言われるところは、清水とか浦和とか変わっていると思うし、現在の神戸が『サッカーどころ』のような気はしない」と思っていたが、それは全くの誤りだった。
むしろ、サッカー発祥の地にふさわしい歴史と伝統を資料保存などの形で引き継いでいる「サッカー文化の熟成度」という点では、抜きん出ているかも知れないとすら感じた。神戸市立図書館の取り組みは、そういう文化度の高さなくして出てこない取り組みだから。
「田辺文庫」を保存継承しておられる神戸FCの事務局を訪ねて驚いたのは、指導コーチをはじめとした常勤スタッフが何人もおられて、サッカースクールなどの事業活動をされている事業体であり、事務局も、いわゆるオフィス、つまり職場となっている立派なところだった。
お会いした方によれば「いわゆる町クラブ」経営の難しさがあるとのことだが、この町クラブには、長い歴史の重みがある。各界で活躍されている多くのOBの皆さん、そして親子二代もしかしたら祖父から孫まで三世代がクラブ育ちという人たちの支えがある。
日本初の社団法人サッカークラブ「神戸FC」の設立から来年で45周年とのこと。小学生から世代ごとに50歳以上のベテランズまで、そして当然のことながらレディースチームも持ち、クラブメンバーが1000人ほどもいるフットボールクラブ、これはもう立派なヨーロッパに数あるクラブに肩を並べる存在だ。
お会いした方からお聞きしたもう一つの悩み、それは大都市が抱える用地問題だ。ヨーロッパのクラブには広大な緑のピッチを持つ風景がイメージされるが、特に神戸は六甲山系が迫る平地の少ない土地柄だ。自前のグラウンドを持てない現状で、練習場確保が事務局の大きな仕事になっているとお聞きした。
加えて私が衝撃を受けたのは、あの阪神・淡路大震災のあと、クラブの構成員が大きく減少したこと、その後も、各地域ごとのミニクラブが増えて神戸FCの構成員数が回復しないという。街の復興は進み、むしろ震災前より大都市になった感のある神戸だが、震災の傷跡はこういうところに長く響いていることを痛感した。
このように、今回の神戸訪問は、私にいくつもの示唆と新たな思いを湧きあがらせた。貴重なお時間をいただき、さまざまなお話しをさせていただいた方々にあらためて感謝申しあげながら、神戸のレポートを終わりたい。