「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

日本サッカー発祥の地・神戸にて

2014年08月25日 17時41分52秒 | サッカー文化

先週、大阪と神戸に仕事で出かける機会があった。ちなみに当「サッカー文化フォーラム&アーカイブ」夢追い人は、サッカー関係では一銭の収入もなく、逆にサッカー関係の費用はすべて自腹という状況だ。

したがって、なるべく自腹持ち出しを少なくするために、仕事で出かける機会を最大限利用して、空き時間を作りサッカー関係の活動をしている。

今回の機会にも、大阪・神戸でサッカー関係で、どこか訪ねられるところはないかと思っていた。

以前「日本サッカーアーカイブ」という、web上で日本のサッカー史を辿れるサイトを立ち上げた、高名なジャーナリストの賀川浩さんという方の、web構築を手がけた会社が大阪にあるということで、5年ほど前に一度会社代表の方と、メール交換させていただいたことがある。

そこで、その方にお会いできないかと、コンタクトをとろうとしたが、うまく連絡がとれず、あきらめかけていたところ、実は、その賀川さんの蔵書類が、神戸市立図書館内に「神戸賀川サッカー文庫」として閲覧可能な状態にあることがわかった。

さっそく、神戸市立中央図書館に閲覧希望を申し込んだところ、希望日には、当の賀川浩さんも文庫に来られるだろうとのことで、図書館の方から「引き合わせてあげますよ」というご配慮をいただいた。

お聞きしたら、賀川浩さんは90歳に届こうかというお年ながら、いまなお文庫に可能な限り詰めておられるとのことで、まず、それに驚いてしまった。

その賀川さんが、文庫の開設にあたってweb上にメッセージを寄せているが、読ませていただくと、神戸には別のサッカー文庫があるとのこと、驚きの連続だ。

それは、神戸フットボールクラブ(神戸FC)事務局内にある「田辺文庫」というのだそうだ。こちらもお訪ねしたいと思い、FC事務局に訪問の件をご相談して、こちらも快諾いただいた。

まず神戸市立中央図書館の「神戸賀川サッカー文庫」、図書館の方にご案内いただいて部屋を見せていただいていると賀川浩さんも来られた。本当にお元気にされていて、今週は東京地区に取材活動で数日間いらっしゃると伺い、もはや驚きを通り越して感動してしまった。

人生かくあるべしだ。こうしてお会いして、私のほうがパワーをいただき、あらためて自分の志を果たすべく思いを新たにさせていただいた。

賀川さんは東京でご講演予定もあるようなので、ぜひ拝聴したいと思う。

「神戸賀川サッカー文庫」でのもう一つの驚きは、結構ご年配の方々だが5~6人の方々がお見えになって、いわばお手伝い作業をされているとのこと。

その場ではどのような皆さんかよくわからなかったが、次にお伺いした神戸FCの方に教えていただいたところ、いずれもサッカーではずいぶん活躍された、地元サッカー界の重鎮の方々とのこと。皆さん立派なお立場なのだろうけれど、賀川さんとは親子のような年齢差だから、さながら「賀川さんとその教え子たち」といった様子だった。

この神戸市立中央図書館「神戸賀川サッカー文庫」の訪問でわたしが痛感したのは、サッカー資料の保存と広く利用していただく、一つのカタチが、すでに、ここにはあるんだなぁ、ということだ。

私が描いていたカタチがすでに現実にある。これは衝撃だったし、今後に光が見えた感じで、希望が湧いてくる訪問だった。

とにかく、辛抱強く保存・整理作業を続けていれば、きっと可能性が開けてくる。決意をあらたにさせていただいた。

もう一つの訪問先、神戸FC内「田辺文庫」、こちらも貴重な資料類だ。私の見立てでは、いずれ、日本サッカーミュージアムが、付属図書館を併設する時が来るに違いない。何年後かわからないが、日本のサッカーを文化的に継承していくには、どうしても文献類の体系的整理・保存と、公開が欠かせない。

いまは、神戸FCのような、地方の志ある方々によって辛うじて保存・継承されているが、特に紙媒体の保存には専門的な手をかけないと、100年、200年といった継承は難しい。もし万が一、日本サッカーミュージアムが、そのようなことにエネルギーを割かないとしたら「田辺文庫」の維持・保存を地元の皆さんが、手を差し伸べて進めるに違いない。

神戸が「日本サッカー発祥の地」だということは知っていた。けれども今回、その歴史は単なる歴史ではなく、地域の皆さんが、それを行動と連帯で守り育てていることを心底感じて、神戸に対する見方が180度変わってしまった。

訪問するまでは「神戸が発祥の地には違いないが、その後『サッカーどころ』と言われるところは、清水とか浦和とか変わっていると思うし、現在の神戸が『サッカーどころ』のような気はしない」と思っていたが、それは全くの誤りだった。

むしろ、サッカー発祥の地にふさわしい歴史と伝統を資料保存などの形で引き継いでいる「サッカー文化の熟成度」という点では、抜きん出ているかも知れないとすら感じた。神戸市立図書館の取り組みは、そういう文化度の高さなくして出てこない取り組みだから。

「田辺文庫」を保存継承しておられる神戸FCの事務局を訪ねて驚いたのは、指導コーチをはじめとした常勤スタッフが何人もおられて、サッカースクールなどの事業活動をされている事業体であり、事務局も、いわゆるオフィス、つまり職場となっている立派なところだった。

お会いした方によれば「いわゆる町クラブ」経営の難しさがあるとのことだが、この町クラブには、長い歴史の重みがある。各界で活躍されている多くのOBの皆さん、そして親子二代もしかしたら祖父から孫まで三世代がクラブ育ちという人たちの支えがある。

日本初の社団法人サッカークラブ「神戸FC」の設立から来年で45周年とのこと。小学生から世代ごとに50歳以上のベテランズまで、そして当然のことながらレディースチームも持ち、クラブメンバーが1000人ほどもいるフットボールクラブ、これはもう立派なヨーロッパに数あるクラブに肩を並べる存在だ。

お会いした方からお聞きしたもう一つの悩み、それは大都市が抱える用地問題だ。ヨーロッパのクラブには広大な緑のピッチを持つ風景がイメージされるが、特に神戸は六甲山系が迫る平地の少ない土地柄だ。自前のグラウンドを持てない現状で、練習場確保が事務局の大きな仕事になっているとお聞きした。

加えて私が衝撃を受けたのは、あの阪神・淡路大震災のあと、クラブの構成員が大きく減少したこと、その後も、各地域ごとのミニクラブが増えて神戸FCの構成員数が回復しないという。街の復興は進み、むしろ震災前より大都市になった感のある神戸だが、震災の傷跡はこういうところに長く響いていることを痛感した。

このように、今回の神戸訪問は、私にいくつもの示唆と新たな思いを湧きあがらせた。貴重なお時間をいただき、さまざまなお話しをさせていただいた方々にあらためて感謝申しあげながら、神戸のレポートを終わりたい。

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サッカー文化アーカイブ、まだ道筋が見えません

2014年08月08日 13時49分09秒 | FIFA、サッカー協会

ブラジルW杯が終わって約1ケ月、祝祭のあとの虚脱感も少しづつ薄れ、世界も日本もサッカーシーンは、次々と新たなニュースを発信し続けている。

そんな1ケ月の中から、面白かったこと、凄いと思ったことなど幾つか忘備録にしたい。

①C・ロナ、ネイマール、相次いで来日、フジテレビだけが出演番組独占。これには驚いた。いまをときめくスーパースター3人の中で、来なかったのはメッシだけ。2人も相次いで来日するなんて、どうしちゃったの? という感じ。

かつて経済大国と呼ばれた時期に、似たようなことがあった気がして、嬉しいやら、いつか来た道? と思ったり複雑だった。それにしてもフジテレビの、しかも安藤優子さんのスーパーニュースに2人相次いで出演した。これにも驚いた。

②C・ロナは、とんねるずの「新・食わず嫌い王決定戦」に出演した。その時のノリさん(木梨憲武さん)のデジカメ・ツーショット撮影が笑えた。そういえば、ノリさんの、これまでのツーショット履歴は、相当な数ではないだろうか? 来日したサッカー界のスーパーな人たちを辿れるという意味で、ノリさんのツーショット写真は、そのまま展覧会ができるのではないかと感じた。

当方の「サッカー文化フォーラム」という施設が実現した暁には、ぜひ企画展をさせていただきたい。

③日本代表監督にアギーレ氏が決まったことに関連して、日本サッカー協会のあまりに自己保身主義なやり方を、いろいろな人たちが舌鋒鋭く批判している。日本サッカー協会は、まだサッカー界のジャーナリズムだけの間で批判されているうちは、いくら言われようが痛くも痒くもないそぶりだ。

日本サッカー協会の最上層部にいて、多額の予算を仕切り、何事も自分たちが決めれる立場にいる快感は、一度握ったら手放したくないし、後は自分の息がかかった連中に譲って恩を売れることを考えれば、それ以外の連中には入り込んできて欲しくない、そう思うのが一握りの協会貴族の心理だし、そこまでに内部で激しい派閥抗争も繰り返した結果の、勝利者たちの態度だから、始末が悪い。

なにせ、世界の総本山たる国際サッカー連盟自体が、一握りの権力者による私物化のお手本のような状態なのだから、日本のありさまなんか、かわいいぐらいのレベルかも知れない。

それにしても、私たちはサッカーというスポーツ自体の限りない素晴らしさを楽しむ一方で、こうした問題への無力感にさいなまれながら日々を過ごさなければならない。なんとも悲しい背中合わせの心情を抱いてサッカーの世界と向き合っている。

④インターナショナルチャンピオンズ杯という名称の、プレシーズンマッチにしては豪華な顔触れの大会が行われた。アメリカでの開催とのことで、これも経済力のなせる技であろう。私たちにとって嬉しいのは、本田圭祐、香川真司、長友佑都各選手の所属チームが参加して、それぞれの選手が同じピッチに立つ場面が見れたということ。

このあと、シーズン開幕までのあいだに、香川真司と本田圭祐は移籍可能性もあるので、貴重な試合になる可能性もあるからだ。各選手の出来不出来という議論もあろうが、私はそんなことは抜きにしている。

ちなみに、あとで、参加したチームの名前が出てこないのでは残念なので、書いておくと、マンU、リバプール、マンC、レアル・マドリー、ACミラン、ASローマ、インテル、オリンピアコス。

これに、バルセロナ、チェルシー、バイエルン、ユベントスが加わるとしたら、セリエAから1~2チームとオリンピアコスが退席しなければならないかも。

以上が、この1ケ月のまとめだ。

さて、私は、というと、「夢はあきらめたその時に終わってしまう。決してあきらめずに夢を追い続けることが、夢を叶えるための絶対条件」という言葉を胸に、今日も生きていて、明日も生きていく。そんな日々だ。

この1ケ月の中で、2つのアプローチを試みている。

一つはもう答えが出た。それは、日本国内に「サッカーミュージアム」という名称がついている施設はごく僅かしかないのだが、その中の一つに対してアプローチした結果の答えだ。

そのミュージアムは、私の目には、なんとももったいない施設に映っている。せっかくこれだけの施設でありながら、知る人ぞ知るといった感じの、ひっそりとした施設だ。

これほどの施設であれば、いろいろな企画展が開催できる。私の保有するサッカー情報資源を、いろいろ加工して、楽しいサッカー展示企画ができる、かねて、そう考えていたことから、その施設の管理者である団体に、「私を、その施設の学芸員のような立場で働かせていただけないだろうか? もちろん個人として報酬を得ようとか、イベント企画会社のようにコンサル料を出して欲しいという趣旨ではなく、自分がこれまで収集・収録してきたサッカー情報を活用して多くの人々に楽しんでもらいたい、そういう場が欲しいので使わせて欲しい」と要望した。

この場合、一つだけ施設側に希望したのは、例えば、ある企画テーマの展示会を実施するとなれば、パネルを作成したり、資料を拡大コピーにしたり、いわば展示物作成の予算が必要なこと、そして展示会について多くの人に知らせる何らかの宣伝が必要になる。その面倒を見てもらいたいという希望だ。

最初に郵便で資料を同封して趣旨説明文を送り、そのあと電話をさしあげて、あらためてお願いしてみた。

結果はバツだ。いろいろ施設側のご事情もお聞きした。少なくとも、同じことを同じ窓口の方に再度お願いしてみてもダメだろうと思うので、このアプローチは一旦終了と考えなければならない。先方の窓口の方が、当方の資料を別の方に見せる機会があって、その方が「面白いプランだから、ぜひ話を進めよう」とでも言ってくれない限り無理だろうし、そんなことを期待すること自体、妄想だろう。

一つの答えが出たのだから、次に進まなくてはならない。

たまたま、今月、大阪・神戸に出かける予定が発生した。大阪・神戸で思い当たるのは「日本サッカーアーカイブ」というwebサイトだ。5年近く前、このサイトを知り「考え方は私と同じだ」と感じた。ただ、このサイトは、私が扱っているJリーグスタート以後の時代ではなく、ちょうど、その前までの時代を網羅しようとしているサイトだ。

5年近く前はそう考えていたが、まてよ、という気がする。Jリーグ以前の時代とJリーグ以後の時代を合体できれば、それこそ時代が線でつながるのではないか、と。

なぜ、そう考えるようになったかというと、アーカイブ作業は、どこかの時代だけを切り取って終わるのではなく、過去、現在、未来をアーカイブというキーワードで線として繋ぐことで意味があるのであり、どこかの時代を手がければ、それは第一走者か第二走者かという順番の違いなのであり、駅伝のように未来に向かってタスキをつないでいくことが大切だと気がついたからだ。

それこそ、私は「アーカイブ作業は100年先のサッカーファンに100年前のサッカー文化を生き生きとした内容で伝えるためにやるもので、私はその第一走者、これから引き継いでくださる方が第二走者、第三走者になっていただくことです」と申しあげているが、神戸で、これまで手がけてこられた方が、実は第一走者、第二走者であり、私は、第三走者という感じなのだ。

このことについて、今度の大阪・神戸出張の際に、アプローチを試みたいと思っている。結果がまたバツになるか、何か新しい局面になるか、またご報告したい。

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