「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

岡田監督の長く壮大な取り組みと1998年5月末の「あの事」について

2022年02月20日 14時06分11秒 | サッカー情報
2月26日のサッカーダイジェストwebに「成果を見せ始めた「岡田メソッド」・・・」というフリーライター・大中祐二氏によるレポートが掲載されました。

岡田武史監督は、8年前から中国の杭州緑城クラブのU-12世代に「岡田メソッド」による指導を続けてきたとのことで、その世代が8年後、U-20世代となって参加した中国版全国大会で優勝し、見事に成果を実証した形になったそうです。

この「岡田メソッド」という指導方法は、2年ほど前に書籍化されて話題になりましたが、今度はYouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として紹介されるとのことです。

こうした岡田監督の取り組みと、今治FCでの取り組みは一見別物のように見えていましたが、ここにきて、実はトップチームにも活かせるメソッドだということで、いまは今治FCが実証の場となりつつあるといいます。

岡田監督の、この長く壮大な取り組みの根っこにあるのは「どうして日本のチームは、強いと思っていても何かの拍子にガタガタと崩れてしまうのか」という根源的な問題に対する解を見出したいという渇望だと思います。

よく語られる日本人の精神性の部分ではないかと思うのですが、ことチーム強化においては育成年代でどう指導すべきか、トップチームではどう指導すべきかを、メソッドとして論理的に、体系的に組み立て、それを現場で実証していく必要があるということで、中国の杭州緑城クラブの取り組みがあり、今治FCでの取り組みがあるというわけです。

こうした岡田監督の取り組みを追い続けるたびに、やはり、私は1997年以降、岡田監督の身に降りかかった一連の出来事を思わずにはいられません。

1997年、フランスW杯アジア最終予選のさなか、突然、岡田監督は表舞台に立たされました。何の心の準備もないまま修羅場に立たされたわけです。

それを「ジョホールバルの歓喜」という形で凌ぎ、次はフランス本大会の指揮をとることになります。そして1998年5月末、いよいよ本大会メンバーとして最終エントリーする23名の中からカズ・三浦知良選手を外すという決断を下します。(ほかにも二人外されましたが)

しかもフランスでは3連敗で終わり、岡田監督に対するバッシングは強烈な形で降りかかってきました。
当時のことを、岡田監督が学んだ経営塾の主宰者・天外伺朗氏が、雑誌の取材に答える形て「自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きという状況になる中、『マスコミ』は私たちと違って『結果』に対して何の責任も持っていないのに・・(中略)つまらない批判、いい加減な報道を繰り返している・・と話していた」と紹介しています。

岡田監督のマスコミ不信、世間不信、ここに極まれりという感じです。

カズ選手を外した決断については、私も当ブログで「いまなお正しい決断だったのか?」と疑問を投げかけ続けていますので、岡田監督に同じことを指摘されそうです。

ご自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きというような事態は、ご家族にしてみたら、恐怖の日々でしたでしょうし、何かを書いてモノ申す的な立場の人間は、厳格に自らを戒めなければらないと思います。

その後の岡田監督は、Jリーグチームの札幌、横浜で成功を収め、オシム監督が病魔に倒れた後の日本代表監督を急遽登板のリリーフ投手のようにして引き受け、2010南アW杯で、決勝トーナメント進出に導くという結果を出して、まさに唯一無二の指導者となりました。

岡田監督は、これほどまでに優れた指導者だったのだと、驚嘆と絶賛の思いを強くしました。
ですから、将来には、さまざまな形で処遇される成功者の道が用意されていくであろうと考えていたのですが、それは私の浅はかさでした。

岡田監督は、協会役員などの名誉ある立場に目もくれず(とはいえ、そのまま在野の人にしておくわけにはいかない日本協会の推薦で、その後、副会長を1期つとめたが)、今治FCのオーナーに就任したことで、クラブ経営の道を選んだかにも見えましたが、それも正確な見立てとは言えませんでした。

ここにきて「岡田メソッド」というプレーモデルの指導法が徐々に認知度を高め、YouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として広まったことで、やっと岡田監督の長く壮大な取り組みの姿が理解できるようになったのです。

岡田監督にとっても、長年の日本チームの課題を解決する土台が作れそうだという手ごたえが出てきたのではないかと思います。

しかし、それにしてもです。
1998年5月のあの日、因縁が交錯した岡田監督と、その対象となった三浦知良選手、その二人は、いまなお日本サッカー界で際立った存在であり続けています。他の選手・指導者たちと比べても、本当に際立った存在だと思います。
こうなったのは、歴史の必然なのかどうかわかりませんが、本当に驚くべきことだと思います。

二人は世界に対しても誇れる日本サッカー界の輝かしい巨星です。
この二人は、おそらく100年経っても語り継がれる対象ではないかと思います。

※なお、本稿は投稿の翌日2月21日に、タイトルも含めて訂正と加筆させていただいております。

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露出減少のスポーツ紙サッカー担当記者の記事に思う

2021年05月30日 12時58分10秒 | サッカー情報
久しぶりにサッカー日本代表の試合が続きました。カタールW杯アジア一次予選のモンゴル戦とミャンマー戦です。
3月30日のモンゴル戦は14-0、一昨日5月28日のミャンマー戦は10-0。これでアジア一次予選突破は決まり、あとの一次予選ゲームは、いろいろなことを試せる試合となりました。

3月30日のモンゴル戦の翌日のスポーツ紙、どれか1紙ぐらいは一面に持ってきてくれているかと思いましたが、どこもなく、終面を確認もせず、したがって保存しませんでした。
今回のミャンマー戦翌日のスポーツ紙は? と思い確認しましたところ、これまた一面扱いはどこもなし。わずかにサンスポ紙だけが終面で大迫選手の写真をあしらい報じてくれていました。

サンスポ紙の中面のほうの記事はどの程度かと見ましたが、ちょこっとだけという感じでした。
まぁ、いまはもう、アジア一次予選突破を決めたぐらいでは誰も驚かないでしょうからニュースバリューもないということでしょう。

それでも、一次予選とはいえ親善試合とは違うわけで、前回は日本の「W杯アジア予選」での最多得点記録だったそうですし、今回も連続の二桁得点ですから、それなりの価値はあると思うのですが、他のスポーツとの相対的な関係もありスポーツ紙面での露出減少はかなり進んでいるように感じました。

なぜそう思うかと言いますと、昨年暮れあたりから、Jリーグスタート以来ウォッチし続け、一面扱いのものは全て購入・保存、終面扱いだけの場合でも、かなりの場合購入・保存を続けダンボールに収まったままのものを、一旦すべて開梱して、時系列的に整理し直し、サッカー記事以外のページしすべて廃棄して、保存スペースを大幅に減らすという作業を続けてきた中で、1990年代、2000年代のスポーツ紙におけるサッカー記事の分量の多さをあらためて実感したため、それとの比較で感じたわけです。

5月半ばまで続けてきて、2010年ぐらいまでのスポーツ紙の開梱を全て終え、不要なページの廃棄と各年毎に1月1日から12月31日までの時系列に並べ直して整理したところ、かなりのダンボール数が減り、その分のスペースが広がり、いわゆる断捨離感を味わっております。

2018年ロシアW杯で日本代表が日本中を感動させてくれて以降、ほとんどスポーツ紙でサッカー関係の記事が一面を飾ることがなくなりましたから購入・保存の量も、スペーすのことを心配する必要がない程度です。

そのような中での今回の2試合の扱いぶり。つくづく思うのはスポーツ紙でサッカー担当として張り付いている記者さんのことです。これだけ露出が減少しているということは、書けども書けどもボツにされていることが多いということを意味しており、虚しさ感もひとしおではないかと思うからです。

日本サッカー協会が使っている「サッカーファミリー」という場合、対象となるのはサッカーとフットサルの登録選手・指導者・審判のことだそうですが、当「サッカー文化フォーラム」が使う「サッカーファミリー」は、それら日本サッカー協会の定義したファミリーに加え、スポーツ紙の記者も含めたサッカーライター・ジャーナリスト、サッカーに関する作品の多い作家・まんが家・フォトグラファー・映像カメラマン、そして試合放送で実況を担うアナウンサー、解説者陣、さらにはサッカー番組等でキャスター、レポーターを務めている人たち、サッカー大好き芸能人・著名人、さらにはサッカーショップ、サッカー中心のスポーツバーの関係者など、日本のサッカー文化を担うあらゆる皆さんのことです。

その我らが「サッカーファミリー」において、スポーツ紙の記者も含めたサッカーライター・ジャーナリストの皆さんは、サッカーの素晴らしさ、感動や悲哀、選手たちの表情など、サッカーに関する、ありとあらゆることを伝えてくれる大切な方々で、その彼らもまた、伝えることができる場としてのメディアの露出度合が、やりがいにつながっていることと思うのです。

おそらくスポーツ紙の記者さんたちも、紙面本体ではボツになっても、SNSなどネット時代のさまざまなツールを使って発信しているとは思うのですが、私たちマスメディアの時代に育った人間から見ると、どうしても紙面での露出が少なくなると寂しく感じます。
電波メディアも、テレビ中心からネット中心に移行している中、さらにアナログな紙メディアからの発信というのは、紙メディアからの情報依存度の高い人たち向けにのみ役割が限定されていくのかも知れません。

1990年代から蓄積してきた紙メディアのスポーツ紙でのサッカー記事、PDF化によってデジタル保存・記事検索が可能になっていますので、当「サッカー文化フォーラム」は、次の作業として整理を済ませた紙面を大型プリンタでスキャンして原寸大でPDF保存することです。
サッカー専門誌は見開きでもA3判に収まりますので対応するプリンタを使用していますが、スポーツ紙の見開きは、いわゆるA1判の大きさです。市販のA1判対応プリンタもちらほら出ていますが、まだ購入には高すぎるようですし、まだスポーツ紙の見開き面のPDF化作業の順番がこない感じなので、もう少し先になりそうです。
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サッカー記録のデジタル化、徐々に作業が加速してきました。

2020年05月22日 11時22分42秒 | サッカー情報
前回、サッカー記録のデジタル化について書き込んだのが、ちょうど2ケ月前、3月22日でした。 

それまで、1998年頃まで完了していたサッカー試合映像、サッカー番組映像などのビデオテープから、ビデオキャプチャーを使ってデジタル変換して、パソコンの外付けHDDに取り込む作業を、細々と再開して、いつ終わるとも知れない膨大なビデオ映像の山にため息をつきながら日々を過ごしていました。

そこに、3月22日の書き込みでご紹介した「援軍」の出現だったのです。やはり人は、誰かと繋がってこそ、力も湧くというものです。その後、取り組んだことが3つあります。

一つは、ビデオ映像の変換作業の量を増やすこと、これについては、ビデオキャプチャーによる変換を2台体制にすること、加えてビデオテープのカビ取り作業を行なうビデオデッキも2台体制にしました。

その結果、作業量がグンと増え、一日最大10本のビデオテープを変換することができる状態になりました。120分テープを平均8本、毎日変換していくと、1週間で56本、1ケ月で240本変換できることになります。まぁ、現実には毎日毎日、それだけに没頭できるわけではありませんが、それでも1ケ月で150~200本程度は処理できそうです。

ビデオテープの変換に関しては、もう一つ負担が軽くなりました。それは海外サッカー関係を、その援軍の方にすべてお任せすることにしたからです。その方は、いわば海外サッカー専門の映像情報保有者で、そのライブラリーは驚異的です。今回、デジタル化作業を一緒に進めることになって、あらためて、その方のライブラリーリストを送っていただいたのですが、そのタイトル数は20000タイトルをはるかに超えているようです。

私のところでも海外サッカーを収録してきましたから、その多くの部分は重複していることになり、今回、1998年頃まで進めた海外分の作業をストップしました。1998年というのはご存じのとおり日本がW杯初出場を果たした年ですので、海外サッカーに対する国内での関心が急速に増し、CS放送でのサッカー専門チャンネルも飛躍的に増えました。ですから、1998年以降はビデオテープによる収録量も激増してビデオテープの山がなかなか減らない状況だったのです。 ですから、気持ち的にもずいぶん楽になった感じがします。

その海外サッカー専門の方のほうでも、デジタル変換に関しては悩んでおられたようで、実はビデオキャプチャーを使用せずにビデオデッキからブルーレイレコーダーの内蔵HDDに取り込み、それをDVDディスクに取り出すという手法をとっていたらしいのです。それでもビデオテープからDVDに変われば保管量がずいぶん減量になりますが、あと、どうしたものか? と悩んでいたようです。当方からビデオキャプチャを使ってHDDに取り込む方法をお知らせしたら「もっと早く、これでやっておけば・・・と後悔しています。」とのことでした。

その方は、まだ1994年頃までしか変換作業が進んでいなかったみたいですが、当方は1998年頃まで進んでいるということで、この間を作業すると重複データが多数発生して、いわば時間のムダになります。ですから、一旦99-00シーズンあたりに飛んで変換作業をしてもらい、あとで双方のデータの突合せをして足りない分だけ収録しましょうと打ち合わせしています。

こうして、物事が進んでいる状況を書き込むのも、楽しいことです。

ビデオテープのデジタル変換の話が長くなりましたが、二つ目の取り組みは雑誌・新聞といった紙媒体のデジタル化です。これも実は気の遠くなるようなデータ量なのですが、スキャンしてPDF化する作業がルーティンとして定着してきました。まだ全体の1%未満の量だとは思いますが、日々着実に進んでいる感覚は得られています。

そして三つ目が、それら動画や雑誌・新聞のタイトルや内容をカードに記載したデータベースの作成作業です。いわば図書館の蔵書カードのデジタル化のような作業です。これに関しては、つい先日、危ない出来事がありました。データベースソフトとして「ファイルーカー」という商品名のものがあり、それを専用のノートパソコンで入力作業をしながら内蔵ハードディスクに積み上げていたのですが、突然ノートパソコンが起動しなくなったのです。

パソコンもフリーズしたわけですが、それ以上に私も凍り付いてしまいました。 いままでコツコツと入力してきた10000タイトルを超える動画データが消失してしまったら、泣くに泣けません。それこそ「だから必ずバックアップをとっておかないとダメなんです」というお叱りを受けそうですが・・・・

数日間ネットでいろいろと調べて出た結論は、パソコンはあきらめるにしても、データ救出サービスをしてくれる業者さんに駆け込んで作業してもらえば、データは取り出せそうということで、さっそく都内の業者さんに連絡しました。

そして渋谷の事務所をおたずねして作業をしてもらったところ、見事に外付けHDDに移してもらったデータが帰ってきました。 今回、痛い目に合いながらもデータが戻ってきましたので、いくつか対策を講じて、次のステップにも進もうと考えています。 対策の第一は自動的にバックアップをとってくれるサービスに加入すること、二つ目はファイルメーカーソフトをバージョンアップして、データを「サッカー文化フォーラム」webサイトの「データパピリオン」に公開することです。データをいつまでもクローズド状態で抱え込んでいて、いいことは何一つないというところまで来た感じです。

このwebサイトへのデータ公開については、援軍を申し出てくれた方からも提案があり、その方からのリストも届きました。それも含めてファイルメーカーのデータと一体化して、検索機能を持たせ、webサイトを訪れた方が自由に検索してデータベースからリンクされた実際の動画にアクセスできるようにしようと考えています。

そこまで進めるには、ファイルメーカー専用のサーバーや、webサイトからアクセスした場合でもリンクが有効になるよう、PHP処理などが必要で、多少の投資を伴います。ただ、ある程度、先が見えてきたことは確かです。これも時の流れがそうさせてくれた面があり、私がファイルメーカーを使ってデータベース入力を始めた頃は、web公開も、専用IPアドレスの取得が必要だったり、結構制約が多く、しかも一度に閲覧できる人数にも制限があるなど、不自由な頃でした。

いまは、そんな心配もなく公開できることがわかり、あとは投資する時期をいつにするかだけのところまで来ました。

「サッカー文化フォーラム」のサイト構築に向けて動画の取り込み、文字データの取り込み、取込みデータのデータベースファイルへの登録といった作業に、生活のすべてをかけられていると、かえって、web公開を、面倒な不便な形で行なうことになってしまい、それをまたリニューアルとかバージョンアップしなければならないことを考えれば、これまで、なかなか手付かずで、ジリジリ時間が過ぎることに感じていた焦りも、存外、損なことばかりではなかったのかも知れません。

特にネット技術は進化、進化の連続で、わずか1~2年で、それまでのものが陳腐化してしまう世界です。YouTubeにしても、いまは個人が動画発信基地としてYouTubeを活用する時代になりました。ネットにはサッカーの試合も、ありとあらゆる試合がアップされているのではないかと思うぐらいの量です。

それでも実は、我々のような、いわば図書館機能を果たそうとしているところには、それなりの存在価値はあるもので、大切なことは、それを100年先まで繋いで継承していく、文化財保存のような取り組みだと思うのです。

今回の書き込みは、久しぶりに、いろいろなことに触れましたので、長い書き込みになりました。もし、ここまでお読みいただいた方がいらっしゃったのでしたら、本当に感謝申しあげます。



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遅々として進まないサッカー記録のデジタル化作業にも「一筋の光」が。

2020年03月22日 10時59分21秒 | サッカー情報
前回の書き込みで、「テレビ東京『FOOT☓BRAIN』の番組で紹介された、Jリーグ理事・米田恵美さんのプロジェクトが、私の考えているプロジェクトを実現できる可能性を見ました。『一筋の光』を見た思いです」と書きました。

そうはいっても、これまで収録・収集したものをデジタル記録化する作業が遅々として進まない現状ですので、まだJリーグには何のコンタクトもとっていないのですが、今月に入り、その「デジタル化作業を一緒にやりませんか」と声をかけてくれた方が出現しました。

なんという心強いご連絡でしょう。このブログで、もう、かれこれ6~7年前から「日本にサッカー文化が芽生え、広がり進化した姿を、あらゆる情報から記録して、100年先まで繋ぎ伝えるという「サッカー文化フォーラム」の取り組みに共感していただき、アナログ情報のデジタル化という地味な作業に協力してくださる方を探しています。ご連絡をお待ちしています」と呼び掛けてきました。

そのことを、以前から気にかけてくださり、ここにきて名乗り出てくださったのです。

そして、その方は、実は見ず知らずの方ではなく、1990年代からおそらく10年ぐらいは交流を続けていた方だったのです。つまり、共感してくださっていた方は身近にいたのです。
その方から、久しぶりに連絡をもらったのですが、その内容が「「サッカー文化フォーラム」の取り組みを一緒に進めたい」という協力の申し出だっのですから、ビックリするやら感激するやらという感じでした。

その方との協力関係が、具体的に始められるかどうか、これからのことですが、ここ数年間、遅々として進まなかったサッカー記録のデジタル化作業にも「一筋の光」が射したことは間違いありません。これからも、随時、ここでレポートしていきたいと思います。

久しぶりの連絡といえば、重なる時は重なるもので、YouTubeに乗せておいた映像に、久しぶりにコメントも届きました。当方の映像はレアですので、なかなかコメントされることはないのですが・・・。最終的には映像にしても記事系の記録にしてもネットに乗せてこそ、陽の目を見ることを実感しています。
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サッカービデオ無料で差し上げます。ご希望の方はご連絡ください。(1月31日まで)

2020年01月03日 13時18分44秒 | サッカー情報
1990年代に販売されたサツカービデオを無料(送料着払い)で差し上げます。欲しいものだけでも、全部でも構いません。ご連絡の早い方に限らせていただきます。
ビデオテープには、カビ取りをしたため分解痕があります。
(Jリーグ)
・1993年Jリーグサントリーシリーズ第1節~第2節(Jリーグ開幕セレモニーフルバージョン付き)80分
・1993年Jリーグサントリーシリーズ総集編80分
・1993年Jリーグニコスシリーズ総集編80分
・1993年Jリーグコダックオールスターサッカー110分
・1996年Jリーグ前半戦ハイライト93分
・1996年Jリーグ後半戦ハイライト94分
(日本人選手)
・ストライカー列伝(釜本、杉山からカズ、武田まで)55分
・Jリーグの若き勇者たち(アトランタ五輪出場を成し遂げた前園、川口ら若きヒーローたち)39分
・小倉隆史18歳の挑戦42分
(サッカースーパースター)
・超人マラドーナ 世界No.1の人と技、飛翔29年50分
・パワーストライカー ロナウド(ブラジル)驚異のゴールシーン60分
・1990イタリアW杯きらめきのビッグネームたち(バッジョ、スキラッチ、クリンスマン、マラドーナほか)58分

市販品以外のビデオ
・1993年Jリーグ開幕戦 ヴェルディ川崎vs横浜マリノス(放送NHK)家庭用ビデオ収録

ご希望の方投稿欄からご連絡ください。
ご希望内容とご連絡先がわかる情報をお願いします。

この情報の受付期間は2020年1月31日までです。
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サッカーのビデオ画像、紙媒体情報、パソコン取り込み再開です。

2019年01月28日 21時20分09秒 | サッカー情報
いまを去ること6年半まえ、それまでビデオテープとDVDディスクに録画してきた試合映像、番組映像をパソコンに取り込む作業を開始しました。

そして1998年分までの取り込みを進め、その取り込みデータは5200タイトルに積み上がりました。とはいえテレビ放送のデジタル化で、録画をH D Dに切り替えた2011年まで12年分を残したまま、2015年夏以降、作業を中断してしまいました。

理由は明快。日々食べていくためにH D D化作業に時間を費やせなくなったからです。そして今年、年が明けた2019年1月から、作業を再開しました。

3年半ぶりの再開です。

再開するといっても、すぐ始められるわけではありません。ビデオデッキ、映像をビデオからパソコン動画に変換するビデオキャプチャー、そして専用パソコン、さらには動画を収納するH D D、これらを揃え動作確認を終えて実際に開始するまで3週間かかりました。

他のことをせずに、かかりきりでやれは、数日で開始できたのですが、機材一つ買うにも、動作確認が不調で製造元のカスタマーサポートから答えをもらうにも、それだけで数日費やし、あっという間に3週間です。

それでも始まると、各ビデオに記録されていた映像が生き生きと蘇り、一人笑みを浮かべています。それぞれの選手が、指導者が、解説者が、そしてキャスターたちが、皆、若々しく画面に映し出されるからです。

今回の再開においては、もう一つ作業を始めました。それは新聞・雑誌といった紙媒体情報をスキャナーにかけて、やはりパソコンデータに取り込むという作業です。これが始められるようになったのは、 A3版用紙対応のプリンタ価格が手の届くところまで下がったからです。

年末のバーゲン時期を狙って、とうとうプリンタを仕入れました。 A3版用紙対応ですから機材自体も大きく、作業スペースをキチンと確保しての購入でした。

これを使うと、スポーツ紙の一面見出しの上半分をスキャンできますし、サッカー専門誌の見開きページをスキャンできます。紙媒体の保管量も膨大です。なにしろ1993年のJリーグスタート以来、ほとんど手付かずでしたから、これから、この山を崩していけるかと思うとワクワクします。

ビデオテープからH D Dへの変換、新聞・雑誌のスキャン取り込みだけで終わりかというと、そうではありません。冒頭でもご紹介したとおり、すでに5200タイトルのデータになっているわけですが、一つひとつのデータを、データベースソフト「ファイルメーカー」にカード化しているからこそ累計5200という数字が出てくるわけです。

この作業もルーチンのようなものですが、欠かせない作業です。ビデオ画像などは、試合や番組のタイトルから始まり、放送もしくは試合年月日、放送時間、放送局、試合であればその「結果」、番組であればその「内容」等々、いろいろな情報をデータベースに記録しなければならず、結構な作業になります。

後々まで頼りにされる記録を残すためと思えば、もう、ずいぶん年寄りですが、気力・体力を出来る限り長く保ち続けたいと思います。

デジタルの恩恵は、私のような一般個人でも志を抱けば、そこそこのことが出来るという点にあります。
これからまた、折々、作業の進み具合を書き込ませていただきます。アナログ情報の減り具合に皆さんもお付き合いいただければと思います。


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まもなく「ようこそサッカーの世界へ」の表紙をかけかえます。

2015年09月19日 15時39分24秒 | サッカー情報
前回の書き込みが2ケ月ぶりでしたが、そこからまた1ケ月ぶりの書き込みです。
3ケ月で2回しか更新しないプログなど、あまり読まれないのは当然かも知れません。

前回お知らせしたように、webサイト「ようこそサッカーの世界へ」を大幅リニューアルすべく、新たなコンテンツ作りに時間を費やしてきたのですが、コンテンツ作りに手間取り、10月リニューアルオープンは、とてもできない状況にあります。

とはいえ、今日、動画が当たり前のネット時代ということで、動画をとりこんだサイトにしよと取り組んだものが、少しはできているので、現段階までできた分をサイトに接続する作業をしています。

おそらく、あと1週間もすれば「ようこそサッカーの世界へ」で検索していただくと、これまで見ていただいたのと、ずいぶん趣きの異なるサイトにアクセスできることと思います。

実は、現在のサイトのトップページの上に、あらたなトップページを乗せて、いわば表紙をかけかえる形にしました。これまでのトップページは、新しいトップページからコンテンツメニューをクリックしていただくとつながるようになっています。

一度、ぜひ、お試しください。新しいトップページのコンテンツメニューに「データパビリオン」という項目を設けていますが、これが、さまざまな試合などのデータと動画にアクセスできるようにしています。

お見せできるのは、まだ1993年Jリーグ開幕、前期第1節の5試合ダイジェストだけですが、プランとしては、1993年からこれまでのJリーグすべての試合ダイジェストはもちろん、当「サッカー文化フォーラム」のアーカイブスに保存されているすべての試合・番組等の動画をそれぞれのデータカードからアクセスして楽しめるようにするというのが究極のカタチです。

いまは、幸いなことに動画をwebサイトに直接埋め込むなどという負荷のかかる作り方をしなくとも、YouTubeという便利なサイトがあるので、それに流し込んでアクセスすることができます。

10年前に思い描いていた、試合・番組画像を多くの皆さんに楽しんでいただくという夢が可能になったと思うと、本当に感慨深いものがあります。

それでも、前回も書きましたが、膨大な試合・番組データのカードをwebサイトに載せ、さらに動画を加工して、そのデータにぶらさげる作業は、もはや個人レベルでできることではありません。

100年先まで繋ぎ引き継ぐという視点にたてば、サッカー文化に関する学術研究に資するということで、どちらかの大学で引き継いでくれればとも思いますし、いわゆる図書館事業の一環として、サッカーを大切にしてくださる図書館でで引き継いでくれればとも思います。

肝心の日本サッカー協会(JFA)はどうなの? と思われる方も多いと思いますが、JFAはJFAの価値基準でしかアーカイブ事業をやらないので、当方の取り組みは門前払いです。

JFAでは「各自が済んでいる地域の図書館に引き受けてもらえるような関係を作って引き受けてもらうことをお勧めします」と、丁寧なアドバイスをしているので、さもありなんと理解しています。

わたし、ここしばらくはサッカーの情報整理作業から遠ざかります。でも決して投げ出さないつもりです。天童よしみさんのCMソングの替え歌ではありませんが「やめたらアカン、やめたらアカン、人生やめずに、あきらめぇずぅ♪ 100年先まで繋ぐぞぉ」です。

そして、志に共感してくださり、この取り組みを一緒にやろうとおっしゃってくださる仲間の方を待ちます。なにせ、私はせいぜいあと20年ですから。どうか、お気持ちが湧いた方はご連絡ください。

お待ちしています。
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約2ケ月ぶりの書き込みとなりました。

2015年08月20日 18時11分38秒 | サッカー情報
前回の書き込みは6月27日でした。まもなく2ケ月経過します。この間、何をしていたかというと、来年春からの仕事の、いわば仕込み作業に追われていました。

それがサッカー関連のビジネスでしたら、逐一、この欄でご報告するのですが、結局「サッカーでは稼げない」と決断せざるを得ない状況です。

この欄でも再三書いていますように、我が「サッカー文化フォーラム」の取り組みの中心は、「日本のサッカーが、世界の舞台に本気になって挑戦するようになってから、積み重ねてきた、さまざまな伝説的な経験、さらには、その時々のサッカー関係者が下してきた判断、決断、その結果として表れた出来事などを検証しながら、100年先まで「サッカー文化」の歴史的遺産として繋ぎ、引き継いでいく」ということです。

その決意には、いささかも変わりはないのですが、問題は資金的、経済的に立ち行くかどうかです。できることなら、資金的、経済的に自立しながら100年先までの長丁場を乗り切っていきたい。

私自身は、せいぜい、あと20年程度だと思いますが、後を引き継いでくれる方が資金的・経済的に不安のない形で取り組めるようにしたい。

そう考えて、webサイト「ようこそサッカーの世界へ」も大幅リニューアルすべく、新たなコンテンツ作りにも時間を費やしてきた。本来なら、このサイトリニューアルによって、何らかの収入源を作りたいと考えているのだが、いかんせん、コンテンツ作りには、相当の時間がかかっている。

さる6月14日の書き込みでは「10月にリニューアルオープンするサイトで公開したい」と宣言しましたが、なかなか思うように進んでいないのが実情です。

そのうち7月に入ってから毎週のように週末に出かける日が続き、ますます作業が遅れている状況です。なんだか言い訳がましいのですが、正直なところ食いつなぐためには、どうしようもないところです。

今回、久しぶりに書き込まなければならないと思わせてくれた出来事があります。それは、このサイトと連動させているFacebook事務局から送られてくるメールで、これほど書き込みが空白になっていても毎週、何人かの方がアクセスしてくれていることを知ったからです。

これまでは、自分自身がこのサイトを開かないと、どれぐらいの人がアクセスしてくれているかわからなかったのですが、Facebookからのメールが、それを変えてくれたと言えます。

実はFacebook事務局からは、毎日のように「この人は知り合いではありませんか」的なメールが入り、ほとんど無視しているのですが、たまには、ありがたい情報もあるものだと感じました。

今回の書き込みを自分のエネルギーに変えて、またホームページのコンテンツ作りに励んで、少しでも充実したサイトをお見せしたいと思います。
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映像・活字媒体の削減に踏み切りました

2015年06月27日 19時36分55秒 | サッカー情報
さる6月14日の書き込みで「今日を「サッカー文化フォーラム」の次の取り組みのキックオフ日にします。」と宣言しました。

具体的には、まず「ようこそサッカーの世界へ」というタイトルのwebサイトを大幅リニューアルします。と書きました。

実は、もう一つ取り組んでいることがあり、それは際限なく膨張し続けている映像収録の削減と、時代の変化の中で存在意義が薄れてきている活字媒体の収蔵削減です。

映像収録でやっかいなのは、ズバリ、スカパーです。Jリーグにしても海外サッカーにしても結局、PPV(ペイパービュー)の時代になってしまいました。スカパーというプラットホームが全てを囲い込み寡占していますから、料金はスカパーの意のままです。

スカパーのカスタマーセンターに電話をすると「17年間ご利用いただき、ありがとうございます」と感謝されます。冗談じゃない。こっちは23年間、CS放送を利用してるって。と言いたくなります。

その間、年々歳々、感じることは、とにかく少しづつ形を変え値上げされてきたということです。サッカー関連のチャンネル・パック料金というのがあって、毎年、少しづつ契約形態が変更され、高い料金を払わないと見れないシステムにされてきました。

したがって、そういう理不尽なやりかたに対抗するためには「スカパーは契約するだけの価値なし」と決断して、契約を削減するしかないと覚悟を決めたわけです。

もう一つの取り組みは活字媒体の削減ですが、これはスカパーとは違う理由です。活字媒体の中心はスポーツ紙とサッカー専門誌ですが、どちらもネットとの兼ね合いで存在意義をずいぶん低下させています。

つまり、あらかたの情報は活字媒体に頼らなくともネットでカパーできる時代になったのです。
そのことはスポーツ紙とサッカー専門誌も、ずいぶん前から理解して、しかるべき対応策をとっています。

にもかかわらず、当「サッカー文化フォーラム」が、これまで活字媒体に寄り添ってきたのは、やはり現物の魅力に尽きます。スポーツ紙の紙面の大きさ、サッカー専門誌の選手特集の楽しさ、これは、やはり手にとってみてわかる感覚です。

けれども、今回、その魅力を捨ててまで活字媒体の収蔵を削減するのは、現物であるがゆえ避けられない保管・保存の難しさ故です。

このブログでもたびたびご紹介しているように、これまで蓄積してきた23年間分の活字媒体の物量は、公的図書館で担うべき量に達しております。正直、これ以上蓄積を継続するのは困難です。

ただ幸いなことに、その多くをネット上で入手することができネット上で保存できる手ごたえがあります。これがなければ活字媒体の削減には踏み切れなかったでしょう。

したがって、単に活字媒体を削減するというのではなく、ほとんどをネット媒体に置き換える感覚です。

このあと、活字媒体の現物が手元にない感覚に、果たして慣れることができるか、若干の不安があります。これは、生まれてこの方、メディアのほとんどを活字に囲まれて生きてきた年寄りならではの不安だと思います。

時代は確実に変化していくわけですから、それに対応することを試されているとも言えます。
これからも、いろいろな変化に対応して「サッカー文化フォーラム」を進化させていこうと思います。
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まとまった作業ができるゴールデンウィークがきました

2015年04月27日 18時56分37秒 | サッカー情報
2015年になってから、早いもので4ケ月が過ぎようとしています。この間、「サッカー文化フォーラム」の商標登録が認められたということについては、3つ前の書き込みでお知らせしましたが、そのほか、目立った動きがなかったことも確かです。

こういう時は、だいたい、稼ぐために時間を費やしていて「サッカー文化フォーラム」について、仕事をしていない時でもあります。

けれども、ルーチンとしての手持ちサッカー映像のHDD取り込み作業だけは黙々と続けています。3月15日の書き込みでもご紹介しましたが、現在進めている1998年分の映像が膨大で、そろそろ終わる予定が、まだ続いています。

余談になりますが、1998年のフランスW杯に日本が初出場を果たして、メディア狂想曲とも言えるほどの情報洪水が一段落したあと、地上波放送は静かになりましたが、いわゆるCS放送で、海外発のサッカー番組がいろいろと出てきたという変化がありました。

この時期のことを覚えていらっしゃる方には懐かしいかも知れませんが、それまで海外発のサッカー番組といえば「フットボールムンディアル」ぐらいでしたが「FIFA-TV」「アジアサッカーダイジェスト」が次々と放送された時期です。

そのほか国内製作の日本代表応援番組「オフサイド2002」も始まりました。

ほとんどは1~2年で姿を消しましたが、毎週放送でしたから、一時期、ずいぶん忙しかったのを思い出します。

話が脱線しましたが、HDD取り込み作業以外の作業がなかなか進んでいませんでした。それでも100年先までサッカー情報を連綿と引き継いでいくためにやるべきことは、山のようにあります。

当面、手がけたいと考えているのは、ホームページ「サッカーの世界へようこそ」の活性化です。ご覧になった方はお気づきのとおり、予定ページは多いのですが「ただいま制作中」ばかりで約2年近く放置したままです。これではホームページの体をなしていませんし、恥ずかしい限りです。

忸怩たる思いを抱きながら時間が過ぎていましたが、このゴールデンウィークをキックオフとして、ホームページの活性化に取り組もうと考えています。

具体的なコンテンツとして2つ予定している。一つは「伝説の年」と言われる年に起きた出来事を中心に、日本のサッカー文化について歴史的検証を試みる「仮称・日本サッカー文化塾」です。

もう一つは、手持ちのサッカー映像を中心としたサッカー情報コンテンツのデータをなるべくビジュアルに公開することです。

日々、出来上がった順に公開していきますし、この欄でも順次お知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。
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サッカーを広報する知られざるスペース・都道府県会館

2015年03月28日 21時02分23秒 | サッカー情報
手元に「ナンバー」誌創刊35周年記念号がある。カズさんとヒデ・中田英寿氏が笑みをこぼしながら写真に収まっている表紙だ。

記念号のタイトルは「日本サッカーへの提言」
この号の読後感については、別の機会にしたい。

この冊子をめくると「創刊35周年記念イベント」という告知ページがある。3月27~29日の3日間、丸の内の「丸ビル1F・マルキューブ」で行なわれるとのこと。

この告知を見て、広報力を持っている、あるいは広報力を発揮することの威力を感じた。丸ビルのイベントスペースなので、集客力もあり告知が十分であれば、さぞ賑わうに違いない。

一方、丸の内からさほど遠くない平河町というところに都道府県会館がある。
その名のとおり全国ほとんどの都道府県が東京事務所を置いている集合ビルのようなところだ。

そこの地下1階からは地下鉄有楽町線・半蔵門線・南北線などが乗り入れている「永田町駅」に直接行ける通路がある。その通路の最初のコーナーに、各都道府県のPR用パネルが1枚づつ、計47枚ずらりと並んでいる。会館側に一番近いほうから沖縄県、駅に一番近いところに北海道という具合だ。

大きなパネルに各地域のアピール写真が飾られているのを一つひとつ見るだけでも旅情をそそる楽しいコーナーだ。

私は、この通路をいつも急ぎ足で通過することが多いので、じっくり足をとめることがないが、この3月は1ケ月間、各都道府県をホームタウンとするサッカーチーム、J1、J2、J3、JFLのチーム紹介といった期間だった。



私はJ3あたりになると二つ三つしかチーム名を覚えていないので、各パネルを見て「あぁ、そうか、ここにもある」という具合だし、JFLチームは初めて知るチームがほとんどだった。

まだ全国すべての都道府県にチームがあるわけではないので、サッカーチームのパネルを貼れなかった県は残念だったと思うが、いずれは参入したいと考えて地元で頑張っているのではないかと思った。

この都道府県会館の試み、今年だけでなく毎年続けてもらいたいと思うが、果たしてどうだろうか? 来年も気をつけてみたい。

ちなみに、パネルで気にいったところを2~3紹介しておきたい。









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フェイスブックページを開設しました

2015年01月23日 22時42分07秒 | サッカー情報
昨日、都内・錦糸町の「フットボールサロン4-4-2」を訪ねました。さきほどアジアカップ準々決勝日本vsUAE戦が終わりましたが、今日は大型プロジェクターの前で大勢のサポーターが声援を送っていたでしょう。

私は、意見交換のためだったので、むしろ静かな昨日がよかったのです。

そこで、サロンの支配人の方と、いろいろお話しをしたのですが、初めてFacebook Pageのことを知りました。

フェイスブックは、一度2010年当時登録したのですが、あまり意義を感じることができず、辞めました。その後の4年で、私の周りの人たちもどんどん登録していきましたので、サッカー文化フォーラムとして、どう活用していくか考え始めていたところでした。

要するに、会社・団体向けのページとして使えるのがFacebook Pageだということを教えていただきました。

さっそく今日開設しました。まだ何も内容を加えていませんが、このブログの「ブックマーク」にリンクを貼っておきましたので、よろしくお願いします。

サロンの方からは、これからの取り組みとして、いろいろ興味深いプランをお聞きしました。
皆さんも、フットボールサロン4-4-2の取り組みをウォッチしておかれたほうがいいと思います。yahoo検索などで「フットボールサロン4-4-2」と入力してください。
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本田、香川そろい踏み、百聞は一見にしかず

2015年01月21日 22時41分05秒 | サッカー情報
昨日20日、アジアカップ・ヨルダン戦に2-0で勝利、そして今日、また、それを話題にして、しかも「本田、香川そろい踏み」というタイトルをつけるということは・・・・。

百聞は一見にしかず



はやくアップしたいと思い、カメラの位置がいいかげんになってます。
でも、素直にうれしい限りです。

アジアカップの盛り上がり、錦織選手が応援にきてくれたここまでか・・・。なかなか優勝までは願望すら難しいと思うが、NHK-BSで解説に来てくれた岡田元監督は「決勝トーナメントに勝ち上がったチームを見比べてみると、結構、日本はいい感じ」とコメントしておられた。

それでも、この先、なかなか楽観的に見れないが、ここまで、十分楽しませてもらっている。そして、この4紙の紙面だ。それぞれ打ち合わせて半々にしたわけではないと思うが、本田、香川そろい踏みだ。


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スポーツ紙、見出しはカズでなく、どうしても本田か

2015年01月18日 22時32分29秒 | サッカー情報
昨日の書き込みで、阪神淡路大震災チャリティマッチでのカズ選手2ゴールとカズダンスパフォーマンスがテレビでも取り上げられたことから「明日のスポーツ紙の1面トップはカズかな」と締めくくったが、今朝、サッカーを1面トップにもってきてくれたスポニチとスポーツ報知の2紙、いずれも見出しは「本田」だった。

私たちが何を言っても、変わらないのだろうが、要するに「カズでは売れない、サッカーなら本田しか売れない。野球、錦織、競馬、サッカー、その他のうち、明日のトップをサッカーで行くなら見出しは本田しかない」という考えが見え見えだ。

ちょうど同じ豪州で、テニス錦織選手の全豪オープンが始まるのとセットの見出しにしてある。どちらかというと本田と錦織のダブル見出しかも知れない。

それで本当にいいのだろうか? 「明日はカズではないのか、カズでは本当に売れないのか」そういう議論は出ないのだろうか? それとも編集デスクの鶴の一声なのだろうか?

私は、一般市民の目線で見た読者感覚からずれていると思うが、どなたか、そのへんの業界事情的なことがわかる方からコメントをいただければ幸いだ。

ちなみに、カズ選手は、スポニチでは5面に大きく、スポーツ報知では2面に小さくという扱いだった。一般市民目線での感覚についても、これをお読みになった方からコメントをいただければと思う。

せっかく1面トップにサッカーを持ってきてくれた2紙に対する感謝の気持ちは、いささかも変わらないし、上げ足取りみたいな議論で申し訳ない気持ちもあるが、かといって遠慮するのも何かと思う。

よくマスコミの論調に「マスコミが委縮して自己規制してしまうのは自殺行為だ」というのがある。まぁ、それにならって、一つの議論のネタにしたい。

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4ケ月ぶりにスポーツ4紙1面トップそろい踏みです。明日の1面はカズ?

2015年01月17日 19時34分41秒 | サッカー情報
昨日、アジアカップグループリーグ第2戦、イラク戦に勝利した日本、今朝のスポーツ紙は主要4紙とも、1面トップにその記事をもってきました。(4紙だけではなかったのですが)

1月10日の書き込みでもご紹介しましたが、アギーレ問題でスポーツ紙のうち3紙がトップに持ってきた日は何日かあったのですが、4紙まではなかなかいきませんでした。

一応、当サッカー文化フォーラムが継続チェックの対象にしているスポーツ紙は、日刊スポーツ、スポーツニッポン、サンケイスポーツ、スポーツ報知の4紙です。



では、どれぐらい久しぶりかといいますと、前回4紙そろい踏みだったのは、昨年9月6日(土)です。では、この前日の話題は何だったか覚えていらっしゃいますか?

実はアギーレ監督としての初戦、ウルグアイ戦のニュースでした。試合は0-2で負けたのですが、一応、初戦ということで各紙とも本田の写真をつけるなどして「よいしょ」的な論調でした。

それ以来、4ケ月以上、4紙そろい踏みがなかったのです。まぁ、ここしばらくはアギーレ問題が絡んでの論調になるでしょうから、少し複雑ではありますけど。

ちなみに、画像につけた4紙のうち、最後のスポーツ報知だけは、画像の下に英単語らしき活字が映っています。新聞を二つ折りにして写したので下が切れて申し訳なかったのですが「TRUST!!」と印刷されています。

記事によれば「試合後、外国メディアから英語で矢継ぎ早に(アギーレ問題について)質問が飛んだ。エースは表情を引き締めて言い放った。『TRUST!!(信頼している)』。指揮官を信じ、自身のゴールと日本の勝利を疑わない、決意表明だったのかも知れない。」とあります。

読者をこの本文まで誘導した、この見出しは出色の出来です。外国メディアは容赦してくれません。そんな中で、メディアを黙らせる的確な対応ができる本田圭祐選手は、ただの選手以上の価値を持っています。

そのことを、この記事は伝えてくれていますし、この見出しがそれを可能にしています。当「サッカー文化フォーラム」がスポーツ紙を大切にしているのは、それぞれの紙面に、それぞれの思いが込められていることを知っているからです。


ところで、ガラリを話題を変えますが、アギーレ監督の初戦が昨年9月5日だったと書きましたが、今日たまたま、トルシエ監督の初戦という映像をビデオテープからパソコンに取り込みました。1998年10月28日に行われたエジプト戦です。

この試合は1-0で勝利したのですが、なぜ、この試合のことを書きたかったかと言いますと、試合後の監督インタビューで通訳していたのが、おなじみのフローラン・ダバディ氏ではなかったからです。

つまり、ダバディ氏が最初から通訳として前面に出ていたわけではないということに気付いたからです。ちなみに、この時の通訳は日本人でした。おそらく協会が手配した方でしょう。まぁ、どうでもいい雑学かも知れませんが、トルシエ監督とフローラン・ダバディ氏のコンビは、日本代表史の中でも、研究に値するコンビだと思うので取り上げました。

今日は、1995年の阪神・淡路大震災から20年、チャリティマッチが神戸で開催され、キング・カズが2得点で、カズダンスも2回披露とのこと。絵になり華がある選手がヴィッセル神戸に在籍経験があるというのも、主役の主役たる所以です。明日のスポーツ紙は、何紙がカズを1面にもってきてくれるでしょうか?

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