「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

20世紀末、世界のサッカーと日本サッカーのことを4時間にわたってノンストップで放送した番組を覚えていますか?

2023年12月11日 16時49分53秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」が、これまで30年にわたり収録してきたテレビ放送の試合・番組映像、サッカー専門誌、スポーツ紙、総合スポーツ誌などの記録を、一つひとつデータベースに集約していることは、何度かご紹介してきました。

特にテレビ放送の試合・番組映像内容は、その内容を再生して確認しないと、どんな内容だったのか伝えられないので、なるべく詳細にデータベース化しています。

日々その作業を続けている中で、試合映像でもない番組で、堂々4時間もの、しかもCMが入らない、いわばノーカット版とも言える番組の内容をデータベースに記録しましたので、空前絶後とも言える番組の内容を、当・夢追い人の書き込みでもご紹介したいと思います。

放送時期は1999年12月27日、この時期は1900年代最後の年ということで、この100年間はどのような時代だったかという、歴史的視点で制作された番組がいくつかあります。
今回ご紹介するのは、NHK-BSで制作された「スポーツの世紀」というドキュメンタリーシリーズの「サッカー編」とも言うべき放送でした。
正式な番組名は「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」というものです。

当時はビデオテープ録画の時代でしたから、4時間もの番組を標準モード録画で1度に収録することができず、区切りのことも考えて2時間毎に分けて収録しました。
そのためテープ2本に収められています。

内容が1930年に始まったワールドカップ大会、1936年に日本がベルリン五輪で起こした奇跡などから始まる長い歴史をひもとく内容ですので、放送時間経過とともに、どのような内容だったかを振り返ってみます。

【1999年12月27日放送NHK-BS「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」】
【1本目、2H01'01】
・番組進行・NHK山本浩アナウンサー
・オープニングナレーション 俳優・岡田真澄さん
・6分後、ワールドカップ物語Ⅰ、1930年第1回ウルグアイ大会から1954年スイス大会まで
(ナレーター・真中了さん)
・15分後、日本サッカーⅠ、1936年ベルリン五輪の奇跡
・33分後、日本サッカーⅡ、戦後ゼロからの出発
・49分後、ワールドカップ物語Ⅱ、1958年スウェーデン大会から1970年メキシコ大会まで
・66分後、日本サッカーⅢ、黄金時代到来の予感、デッドマール・クラマーの指導、1964年東京五輪
・1時間17分後、日本サッカーⅣ、メキシコの青い空、1968年メキシコ五輪銅メダル
・1時間38分後、ワールドカップ物語Ⅲ、1974年西ドイツ大会から1982年スペイン大会まで
・1時間55分後、日本サッカーⅤ、はるかなる玄界灘、サッカー低迷の時期

【2本目、1H59'54】
・1本目から続き、1986年W杯アジア東地区予選で敗退(1985年10月)
・2時間13分後、ワールドカップ物語Ⅳ、1986年メキシコ大会、1990年イタリア大会
・2時間27分後、日本サッカーⅥ、プロ化への道、1986年木村和司、奥寺康彦2選手ライセンスプレーヤー(プロ契約)誕生、1991年Jリーグ設立発表
(川淵チェアマンゲスト出演)、カズ帰国、ジーコ鹿島入団、日本代表ダイナスティカップ優勝、1992年アジアカップ優勝、サッカー人気急上昇、1993年5月Jリーグスタート
・2時間40分後、日本サッカーⅦ、ドーハの試練
(井原正巳選手ゲスト出演)、1993年秋、1994年W杯アジア最終予選4戦目で韓国に勝利した日本が最終戦、イラクに勝利すれば、悲願のワールドカップ初出場が決まるという試合、2-1でリードして迎えた後半ロスタイム(アディショナルタイム)、17秒後に悲劇。
ゲスト出演の井原選手をはじめ日本イレブンに起きた誤算が生んだ同点弾、一つはこれまでロスタイムをとった試合がなかったのにロスタイムに入ってからも試合が続いたという誤算、もう一つは、イラクが得たコーナーキックで思いがけないショートコーナーからのクロスが入ったという誤算、日本の選手たちは、まさかロスタイムにショートコーナーを入れるなんて、という気持ちになったが、イラクの選手はロスタイムに入ったという認識がなかったためショートコーナーを選択して、それがかえって意表を突く形となった。

・2時間53分後、ワールドカップ物語Ⅴ、1994年アメリカ大会
(ナレーター・岡田真澄さん)、マラドーナ、ドービング違反で大会追放、大会後、コロンビア・エスコバル選手が敗退の責任者とみなされ射殺、イタリアの苦しい戦いを何度も救ったバッジョの活躍、そのバッジョも決勝戦のPK戦、最後のキッカーとして登場したが外してしまい優勝は逃した。ブラジルが4度目の優勝
・3時間00分後、日本サッカーⅧ、マイアミの熱い夏
1996年3月、アトランタ五輪アジア最終予選を勝ち抜き、28年ぶりの出場権を獲得、本大会初戦はフロリダ州マイアミでブラジルと対戦
(アトランタ五輪代表・西野監督がゲスト出演)、守備を固めワンチャンスを狙う戦術がはまり、見事に1-0で勝利「マイアミの奇跡」と報じられた。第3戦目もハンガリーに勝利、2勝をあげたものの、得失点差でグループリーグ突破を逃した。西野監督にはハンガリー戦をどう戦うか葛藤があったが、同時に、世界と互角に渡り合った経験が財産として残った。

・3時間21分後、日本サッカーⅨ、98年フランスW杯、苦闘の270分
1997年秋、フランスW杯アジア最終予選、第3戦ホームでの韓国戦に逆転負け、続くアウェーのカザフスタンと引き分けたことから、日本サッカー協会は急遽、加茂監督を更迭、岡田コーチを昇格させる背水の陣を敷いた。続く5戦目、6戦目とも勝てず引き分けたが、7戦目アウェーの韓国戦で勝利、他国が勝ち点を伸ばせなかったこともあり2位、プレーオフ出場権圏内に浮上した。そして最終戦ホームのカザフスタン戦に快勝した日本はマレーシア・ジョホールバルでの第三代表決定戦に臨み、延長Vゴール方式の綱渡りの試合を、延長後半13分、中田英寿が打ったシュートのこぼれ球に反応した岡野雅行がスライディングでゴールに流し込み、遂にワールドカップ初挑戦から43年目、10回目のチャレンジで悲願の切符を手にした。
そして本大会、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦した日本は、わずか1得点3戦全敗で初挑戦を終えた。44年目にして立った初舞台は苦闘の270分間となったが、未来につながる初舞台として記憶される。

・3時間40分後、ワールドカップ物語Ⅵ、フランスはジダン、ブラジルはロナウドらの活躍で勝ち上がった。準々決勝アルゼンチンvsイングランド戦、準決勝ブラジルvsオランダ戦などの見ごたえある試合、新興国クロアチアの快進撃などの話題の中、フランスvsブラジルの決勝となり、ジダンの2ゴールなどでフランスが快勝、開催国としてワールドカップ初優勝を果たした。
・3時間55分後、エピローグ
世紀末の1999年、日本はワールドユース選手権で準優勝、シドニー五輪予選も圧倒的な力で突破、2000年シドニー五輪、2002年日韓W杯と続き、日本代表の活躍に大いなる期待をもって1900年代の幕を閉じることとなった。【完】

どうです。壮大なオデッセィですね。そして、それからさらに23年、日本サッカー協会は100周年を超え、天皇杯サッカーも103回まで数える年、日本サッカーは「ワールドカップ優勝をめざす」と夢物語ではなく語れるところまで来ました。

欧州ではクラブレベルでのチャンピオンズリーグ、国別レベルでのネーションズリーグが巨大ビジネス化して、ワールドカップ大会の意味合いも変容しつつあります。

この先の「サッカーの世界」がどのようなものになるか、ちょうどワールドカップ100年になる2030年あたりに、1999年から2030年までの日本サッカーの成長・進化・発展の歴史を追加してみたいものです。

それまで元気で頑張ります。

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