「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

アギーレ問題、サンスポだけ論陣を張り続けている感じ

2015年01月10日 21時34分23秒 | サッカー日本代表


12月15日のアジアカップ代表メンバー発表後、スペイン発で飛び込んできた「アギーレ八百長関与」問題。

翌16日、主要スポーツ紙のうち3紙が一斉に1面トップで報じて以来、今日1月10日まで26日間経過した。最初の4日間は連日3紙以上が1面トップで報じていたが、12月20日以降、1面トップは、1月5日の2紙以外、1紙取り上げる日が何日かある程度だ。そうそう毎日ネタがあるわけではないだろうから。

12月23日から1月4日までの13日間は、アギーレはおろかサッカーネタが1面に来る日がなかった。

12月23日に、当ブログの書き込みでは、たまたま日刊スポーツ紙が、中のほうのページで、見出しと本文に「FC東京」のことを言っているのに「東京」とだけしか記述せず、あやうく「東京ヴェルディ」なのか「FC東京」なのか判断がつかない記事を書いたと指摘したが、この時期あたり、アギーレ問題の報道では日刊スポーツ紙が一歩リードしていると感じていた。

その日刊スポーツも、1月5日を最後にアギーレ問題を1面トップから外している。
翌1月6日は、どういう風の吹き回しか、スポニチ紙だけがサッカーをトップに持ってきたのだが、ネタは武藤嘉起選手だった。他紙はアギーレ問題はもちろんのことサッカーを1面にしていない。

すると、日刊スポーツ紙と入れ替わるように、1月7日からはサンスポ紙だけがアギーレ問題をトップに据えるようになった。7,8,10日と3回だ。その間、他紙は全くサッカーを1面に持ってきていない。サンスポ紙も12月21日から1月6日まで17日間アギーレ問題をトップにしていなかった時期があったわけなので、何か理由があってスタンスを変えたような感じだ。

私は、サッカーファンの間でアギーレ問題は議論が二分していると思う。まだ責任問題を追及するのは時期尚早だという意見と、そもそも協会がろくに調査もせずに招へいしたことが間違いだ。協会の責任も含めて、早めにケジメをつけるべしという意見だ。

アジアカップが近づくにつれて他紙が少し静観気味になっているのに、サンスポ紙だけが論陣を張り続けている理由も、おそらく矛先を協会に向けているからであろう。

協会が一番恐れているのは、マスコミを通じて、事が大きくなってしまうことだ。マスコミさえ騒がなければ、政治問題になる心配もないし、ある意味痛くも痒くもない。けれどもスポーツ紙から火がついて、次に週刊誌などのメディア、そして、一般新聞やテレビなどにも取り上げられる事態になってしまうと大変なことになる。

スポーツ紙は、そういう流れに持っていければ、その口火を切ったメディアとして存在をアピールできる。

12日からアジアカップの日本の戦いが始まる。協会は、アジアカップでそれなりの結果が出て、とりあえずアギーレ問題を一旦沈静化させたいところだが、期間中、スポーツ紙は日本が勝っても負けてもアギーレ問題と絡めて報道するに違いないし、グループリーグでも日本が負けたりすれば、次の試合まで何日間か各紙とも1面トップが続くに間違いない。

サンスポ紙のアギーレ問題論陣を読みながら、そんなことを感じた。



9位になったこともあるFIFAランキングと、どう付き合っていこうか

2015年01月09日 21時43分10秒 | 世界のサッカー
いま、1998年のサッカー関連映像をHDDに取り込んでいるが、何かの番組を見ていたらセルジオ越後さんが「日本はFIFAランキングで9位になっているんですが、それは日本のサポーターの評価じゃないかと思います」とコメントしていた。

日本のFIFAランキングの変化について、細かく数字をつかんでいたわけではなかったので、それを聞いて「えェー、9位になったことあるの?」と驚いてしまった。

日本代表が9位になったことがあるというのは、どういうことか、そう思ってネットで調べてみたら、フットボールチャンネルというサイトが2013年10月に配信した「世界で9番目に強かった時期も? 日本代表とFIFAランキング」という記事がみつかった。

記事によれば、9位という順位は、1998年2月と3月に記録したとのことだが「とはいえ、この順位には但し書きがつく。当時のFIFAランキングは算出方法が現在のものと異なっており、試合の重要性や対戦国にレベルは関係なく、国際試合で得た勝ち点を累計するような方式だったのだ。そのため親善試合を多くこなしたことでランキングが上り、このような順位になっていたと言われている」

また、ウィキペディアによれば、1999年と2006年に算出方法の変更が行われ、日本の順位もその都度、変動している。

現行方式になってからの最高順位は、2011年4月にランクされた13位とのこと。9位というのがあまり客観的でなかったとしても、13位なら立派なものだ。
それが、現在の日本のランキングは54位だ。そんなに下がってしまうものなのか。

現行のランキング決定方式について、ウィキペディアでは「新方式の評価と問題点」という項目で、概略つぎのように紹介している。

「強豪国の揃う欧州・南米諸国では、それぞれで国際Aマッチを行なえば、すべてポイント計算の基礎に参入され、従来より客観的なランキング算定になったが、欧州・南米のチームと対戦する機会が特に少ないアジア勢にとっては、W杯本大会で多少いい成績を残したとしても、それ以外のアジア内の試合によってランキングを上げることは相当困難な算定方式になっている。

一方で、アフリカ地域や北中米地域の国は、ランキングを上げやすくアジアの国々が、それらの国に相当抜かれている。」

なかなか完璧な算定方式というのは難しいのかも知れないが、なにやらFIFA内でのパワーゲームの産物ではないかという気もする。

ただ、日本が2011年に13位になったのは、2010年南アフリカW杯ベスト16進出と2011年1月アジアカップ優勝が相当効いているということがわかり、今度アジアカップで優勝すれば多少順位を持ち直すことができるということも理解できる。

逆に、昨年のブラジルW杯でグループリーグ全敗したこと、その前の年のコンフェデでも全敗したことで、ポイントの高い世界大会でのランキングアップができなかったということもわかってくる。

FIFAランキングを、たいして気にする必要ないのでは、という人もいると思うが、ワールドカップ出場国数の大陸別配分を変更したりする場合、この各大陸の毎に、1位から50位までに何カ国入っているかといったデータがモノを言ってくる。やはり欧州・南米中心のサッカーパワーを反映していると言わざるを得ない。

要は、大陸毎の力関係に影響を与えるバロメーターになるわけで、FIFA内での発言力とランキング算定方式はコインの裏表のような関係にあるといっていい。どれもこれも政治力ということになるが、政治力を増すこととアジアカップ、ワールドカップなどの国際大会で好成績を収めることもまた、コインの裏表の関係にあるといえる。

私たちがそんなことを論じる以上に選手たちは、自ら、選手としての意地とプライドを懸けて戦うだろう。そんなことを思い、近づくアジアカップ初戦を待ちたい。

女子高校サッカー準決勝常盤木学園vs藤枝順心戦の価値ある壮絶さ

2015年01月07日 22時14分43秒 | サッカー・ユース年代、女子
高校サッカーといえば男子、という時代ではなくなったと思う。女子も価値ある大会になっている。まだサッカー誌では男子のように選手名鑑や大会注目選手などを網羅した綴じ込み版を作ったりしていないが、来年あたりからは、ぜひ、そうしてもらいたいと思う。

なにせ、お姉さん格の「なでしこジャパン」に続いて、U-17世代もワールドカップ制覇を果たしたのだから、世界レベルの実績で言えば男子以上ということになる。

女子高校サッカー選手権は、今回、第23回大会とのことだが、その間、なでしこジャパンやなでしこリーグに選手を送り込む土壌を着実に培ってきたといっていいのではないか。

この女子選手権を、テレビではTBS系列がCS、BSそして地上波を駆使して連日放映しているが、TBSとしては、先物買いのつもりで始めたのではないかと思う。フジテレビが「春高バレー」という知名度の高いコンテンツを有しているから、うちも何か育てたいと思う気持ちがあったに違いない。

今大会あたりを、コンテンツとしてどう評価をするのか、地上波の視聴率と合わせてTBS局の論評に注目してみたい。

さて今日は、たまたま準決勝・常盤木学園vs藤枝順心戦を地上波で短縮版を放送していたので見た。そうしたら、何と、まぁ、歴史的な試合を見た気がする。

この両校、過去2年連続対戦して、いずれもPK戦にもつれ込んでいる。おととしの第21回大会は準々決勝で対戦、両校無得点のままPK戦へ、この時は常盤木学園が勝ち、そのまま優勝、大会最多の5度目の栄冠を獲得している。

昨年は準決勝で対戦、後半アディショナルタイムに藤枝順心が同点に追いつきPK戦に、この時は藤枝順心がPK戦を制して決勝進出を果たしている。

そして今回である。試合は藤枝順心が交替出場の元気印・児野楓香(このふうか、と読むのだそうだ、なんてファンタスティックな名前の選手だろう)が先制ゴールを決めたので、これは藤枝順心の試合で終わるかと思ったら、なんと今回も後半アディショナルタイム、今度は常盤木学園が同点ゴールを決め、またもやPK戦にもつれ込んだのだ。

選手たちには過酷な試練だ。2度ならず3年連続してPK戦を戦わなければならなくなったのだ。しかも過去1勝1敗、決着の3度目みたいなことになってしまった。

ここまで来ると、どちらが勝ってもドキュメンタリーになるのだが、むしろ、見る側も威儀を正して、従容として結果を受け入れなければならないという気持ちになる。

結果はご存じのとおり、今回は常盤木学園が制した。敗者となった藤枝順心の選手たちの中には必ず自らを責める選手もいるに違いない。私は、軽薄な言葉や気持ちで、なぐさめを言うべきではないと思っている。

願わくば「勝負」という場に身を投じた自らを、さらに磨いていく動機づけになれば幸いだと思うし、これを、これから先長い人生の、一つの通過点としてぜひ糧にして欲しいと願うばかりだ。

そのようなことまで感じさせる、非常に価値のある試合を見せてもらった。感謝の気持ちで一杯だ。




リバプールの赤と青

2015年01月07日 12時52分19秒 | 世界のサッカー
NHK-BSプレミアムというチャンネルで「世界ふれあい街あるき」という番組をやっている。どこかの都市の街路をぐるり歩きながら、その街の人とふれあい、街の雰囲気を伝えるという番組だ。

昨日6日の朝は、イギリス・リバプール編を見た。リバプールと言えば言わずと知れたビートルズを生んだ街であり、イングランド・プレミアリーグのリバプールFCとエバートンのホームタウンだ。どうやら先月12月23日に初回放送があったようだ。

私は、いかにも知った風に書いているが、実は、エバートンもリバプールのチームだと知ったのは、この番組を見たからだ。なので、とうにご存じのサッカーファンの方には当たり前の知識だと思うので申し訳ないが、赤と青の話に少々お付き合い願いたい。

貼り付けた画像は、リバフールFCのエンブレムとエバートンのエンブレムだ。



赤と青、つまりリバプールFCの赤とエバートンの青、それぞれのチームカラーだ。最初にその話をしてくれた人が「この街では、家族でも友達でも何人か集まっていれば、その中に、それぞれ赤と青のサポーターがいるから、試しに、どのグループでもいいから、赤ですか?青ですか?と尋ねてみるがいい」と教えてくれた。

そこで番組の取材陣(画面では取材陣の姿は映らず、日本語のナレーションだけで、その様子を伝えてくれる、この日のナレーターの一人は俳優の小倉久寛さん)は、さっそく何組かのグループに「すみません、突然ですが、赤ですか?青ですか?」と尋ねてみる。すると、最初の人が教えてくれたとおり、どのグループも、赤と答える人、青と答える人、まちまちで、何組か聞いたいずれも、だいたい半々といった答えだった。

もちろん家族の中でも友達同士でも、答えは分かれていた。取材陣は、たまらず「けんかにならないんですか?」と尋ねると「NO、リバプールFCとエバートンのサポーターは友好的なんだ」と返事が返ってきた。付け加えて「リバプールFCのほうがトロフィーの数が多いと言ってるけどね」だった。

トロフィーの数が少ないエバートンもサポーターの数では全然負けていない風だった。この雰囲気は驚きだ。普通、同じ街にあるサッカーチームは「あのチームだけには負けたくない」という意識を選手もサポーターもむき出しにしているものだと思っていた。

そしてダービーマッチ、つまり、同じ街、同じ地域どおしのチームの試合ともなれば、他の試合以上にヒートアップするものだと思っていたから、むしろ拍子抜けした。

この番組では、たとえばダービーマッチの時の、家族の中の表情や友達同士の表情までは追跡してくれなかったので、私は機会があれば、ぜひ、もっと詳しくリバプールFCとエバートンのサポーターの、お互いのチームについての態度などを知りたくなった。

つまり、他の地域とは異なる、何か特別な環境や歴史によって友好的な態度が育まれたのか、実際は他の地域と同じ程度に熱いのか、まず、それを確かめて、もし他の地域と異なる独特の友好的な雰囲気があるなら、他の地域にも伝えられるようなモデルを見いだせるのか、そんなことを突きつめてみたいと感じたのだ。

これも、当サッカー文化フォーラムとして研究テーマにしていきたい、そんなことを感じさせる番組だった。

サッカーダイジェスト、いよいよ週刊から月2回刊に

2015年01月06日 22時10分58秒 | サッカー情報
月2回刊となって最初のサッカーダイジェスト誌が、8日(木)に発売される。ちなみに当サッカー文化フォーラムは、1993年以降、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの全バックナンバー収蔵をめざして収集を続けてきた。

その後、一番最初にストライカー誌が、一時期の月2回刊を経て月刊だったものを隔月刊にしたところで収集活動をストップした。

このストライカー誌は私にとって大切な雑誌だった。実は1989年、まだJリーグ以前の「日本リーグ」だった当時、川淵さんもチェアマンではなく総務主事という肩書で活動しておられた頃、ストライカー誌で「日本サッカー活性化のための論文」募集という企画があって、応募したら優秀賞という、最優秀賞の次の賞に選んでいただいた。

確か1989年9月号だったと思うが、当時マンチェスター・Uにいたブライアン・ロブソンを表紙にした号の中に、最優秀賞はじめ、私のものを含めて何作か掲載していただいた。最優秀賞の作品の選評がどなただったか覚えていないが、私の論文の選評を川淵さんにしていただいたことで、特に誇らしく思っている。

そういう愛着のあったストライカー誌が隔月刊になった時は、とても残念な思いをした。紙面づくりがサッカー情報全般を扱う方針であれば、隔月刊でも収蔵を続けたかも知れないが、いわゆる技術論に特化するという方針が示されたため、サッカー文化を極めていこうとする当方の方針と合わず収蔵をストップしたのだ。

残ったサッカーマガジン誌、サッカーダイジェスト誌も、時代が変われば、いずれは隔週刊など縮小されることは覚悟していたが、先にサッカーマガジン誌が、しかも隔週刊化を通り越して月刊化、さらに誌名も「ZONE」に変更したのには驚いた。あれから1年以上になると思うが、ZONE誌も雑誌としてのコンセプトが固まってきた感じが伝わり、いまは「これもあり」だなと思っている。

実はサッカーマガジン誌は、当方の懐事情が極端に悪くなった2009年頃、ダイジェスト誌とマガジン誌のいずれかを中断せざるを得ない状況になり、私なりの紙面づくりの評価でマガジン誌を切った経緯がある。マガジン誌が月刊化に踏み切った最大の原因が売れ行き不振だったことは明らかなので、なにがしか、読者の評価が低下していたのだろう。

そして、唯一、週刊で残っていたダイジェスト誌が、今回月2回刊にするという。週刊として最後から1つ前のバックナンバー1318号で、連載コラムを書いておられる宇都宮徹壱さんも「今回の決定には、言葉にならないぐらいの寂しさを禁じ得ない」と述べておられるが、宇都宮さんは、そのあと続けて「禁じ得ない一方、やはり時代の必然というものは認めなければなるまい。」と書いておられる。

20年前なら、私たちがサッカー情報を得るには、ほとんど雑誌・新聞などの紙媒体かテレビが衷心だったが、いま情報収集の中心はネットであろう。それだけ変化したのだ。

ただ、私は、手にとって現物を確かめられる雑誌・新聞といった媒体の価値を重視しているので、月2回刊や月刊になったからといって、さほど悲観はしていない。

もともと隔月刊で発行を続けているサッカー・アイという雑誌も収蔵を続けているが、1991年秋の創刊以来、1992年と1993年分合わせて4冊欠品しているだけで全て揃っているから、20年以上ともなれば120冊を超える量で、これらの中から表紙を選んで企画展示をしただけでも、いろいろな企画が可能だ。やはり現物があればこその可能性である。

サッカーダイジェスト誌の月2回刊化に寄せて、感じたことをご紹介した。8日に発売になったら、冒頭に表紙画像も載せたい。

最近読んで感銘を受けたシメオネ監督本

2015年01月05日 19時24分02秒 | 世界のサッカー
ディエゴ・シメオネ監督本、この画像のとおり日本では「シメオネ超効果」というタイトルで出版された。

サッカー好きなら誰しも、あのリーガ・エスパニョーラのレアル、バルサ2強をさしおいて13-14シーズンのリーガを制し、欧州チャンピオンズリーグでも決勝まで勝ち上がったアトレチコ・マドリーの快挙はなぜ成しえたのか、少なからず関心があると思う。

したがって、そのチームの監督であるディエゴ・シメオネについて論じられる本が出るのは自然な流れだ。

私がディエゴ・シメオネの存在を知ったのは、アルゼンチン代表で1990年代はじめに、ほんの短かい期間だがマラドーナの跡をついで背番号10をつけて試合に出た頃からだ。その後背番号は8とか変わったが、セントラル・ミッドフィールドもしくはボランチあたりの、いわば汗かき屋的なイメージでみていた。

シメオネの悪名が世界に轟いたのは、1998年フランスW杯の決勝トーナメント1回戦イングランド戦、イングランドの若き貴公子デビット・ベッカムに対する挑発が報復攻撃を呼び、ベッカムを退場処分に追い込んだことだ。

この試合、イングランドがPK戦の末に敗退したこともあり、イギリスの主要日刊紙デイリー・ミラーが「10 heroic lions one stupid boy(10人のライオンと1人の愚かな若者)」という標語をつけて、ベッカムを戦犯扱いしたことから、ヒール役としてのシメオネも歴史に名をとどめている。

選手時代のシメオネは、お世辞にも甘いマスクとはいえない悪役然とした風貌だから、そのインパクトも大きかった。

私も彼のプレースタイルは、激しさでならすアルゼンチンサッカーを体現しているようなところがあると思ってみていたが、その人となりまでは正直良く知らなかった。

今回、この本を読んでみて、なんと指導者として資質の高い人だろうというのが一番の感想だ。
スペイン代表監督として2008年、44年ぶりのEURO優勝を果たしたルイス・アラゴネスが、この本の「巻頭の言葉」を飾っているが、彼がシメオネの人物像をシンプルに表現している。

いわく「私にとってシメオネのことを話すのは簡単だ。第一に、率直で精神も心も魂も誠実な人間であってくれたことに感謝したい。それらは私が人として最も価値をおいているものだ。(中略) 第二に、彼が選手として、今は監督として成し遂げたすべてのことをあらためて確認しておきたい。まだ若いのに偉大な監督の器であることを示している。結果を見れば明らかだし、特に彼の選手たちがどんなことを言っているかに耳を傾ければわかる。(以下略)」

具体的な内容ももっと書きたいが、むしろ本を実際に読んでみるのがいいと思う。
まだ44歳とのこと、これからビッグクラブでも指揮をとっていくだろうし、何よりアルゼンチン代表監督としての采配も見てみたい。

選手時代のイメージとの落差が大きいこともあって、自分自身がまるで変節したようにシメオネファンになった。

年末年始のスポーツバラエティ、ネイマール、メッシ、ロドリゲス

2015年01月04日 22時45分47秒 | テレビ番組
年末年始の特番には、スポーツバラエティ番組も多くサッカー選手も出演の機会が多い。
この年末年始、目立ったのは、ネイマール、メッシ、ハメス・ロドリゲスといった世界のサッカー界のスーパースターが登場したことだ。

大みそかに、紅白の裏番組でTBSの「KYOKUGEN」という番組で、ネイマールがBOX SHOOTという技に挑戦、元日にはメッシがTBSの「炎の体育会」という番組で、リフティングハイという技に挑戦した。
2日にはハメス・ロドリゲスがテレビ朝日の「とんねるずのスポーツ王は俺だ」という番組でPK対決をしたという。これは見ていない。

こうしたテレビのバラエティ番組企画にサッカー界のスーパースターが出演するということについて考えてみたい。

日本のテレビに、サッカー界のスーパースターが出演するというのは、今に始まったことではないし、昨年夏にもクリスティアーノ・ロナウドとネイマールがほとんど同時期にCMキャンペーンのため来日して、多忙な日程の中、いろいろな番組をはしご出演したことがある。

私が思うのは、日本の企業そしてテレビ局の、サッカー界のスーパースターに対する関心の高さ、そして彼らに支払うギャラと費用対効果の思い切りの良さについてだ。

言い換えれば、外国ではどうなのだろう、例えば海外のテレビ局も、似たようなスポーツバラエティ番組をいろいろと企画して、メッシ、ネイマール、そしてクリスティアーノ・ロナウドを出演させているのだろうか。

海外、特に欧州、南米あたりであれば、日本よりはるかに企画をたてやすいし、費用対効果も高いように思われる。日本でこれだけ呼んでいるとすれば欧州・南米ではもっと多く呼んでいるような気がする。実際はどうだろうか。

このことは、一種の調査研究対象にしたいテーマだ。日本は海外と比べて、こうした番組にこうしたスターを起用したがるのか、そうではなく、海外でも一般的な企画で、似たような番組が放送されているのか。

もし、日本で起用したがる傾向が強いようなら、それはなぜか? テレビ文化あるいはスポーツ文化(サッカー文化)の土壌に何か違いとか特異性があるのか、そういったことを明らかにしたい。

日本では、サッカーが一般化した1990年代半ばから、例えばTBS「筋肉番付キックターゲット」や日テレ「とんねるずの生ダラ・PK対決」のような、サッカー選手を出演させる企画の歴史があり、海外のスーパースター出演の歴史もある。

今回書いた思いは、結構以前から抱いていたもので、海外のいろいろな国での類似例を探したり、スポーツバラエティ番組へのサッカー選手の出演に対する、その国の視聴者の嗜好などを調べたいと思っていた。

「サッカー文化フォーラム」という取り組みを進めている当ブログならではの課題だと。


新年おめでとうございます

2015年01月03日 11時26分41秒 | Jリーグ・三大タイトル
新年おめでとうございます。
元日から書き込みたかったのですが、やはりビデオ映像のHDD取り込み作業という、もっとも優先順位の高い仕事を少しでも進めたいと、ブログ書き込みが後回しになり、ギリギリ三が日に間に合いました。

さて、毎年、新年の楽しみといえば、元旦の天皇杯決勝と、年をまたいで開催される全国高校サッカーですが、今年はその二つとも変化がありました。二つとも変わるということは、大きな節目の年といってもいいかも知れません。

どちらも国立競技場の改築によるもので、天皇杯決勝は横浜国際に(いまは日産スタジアムと呼ぶのが正しいのでしょうが)、高校サッカーの「夢の国立」と呼んでいた準決勝・決勝は埼玉スタジアムに変更されました。

天皇杯決勝に至っては、1月早々に開催されるアジアカップの日程との兼ね合いで、12月13日に終わってしまいました。

何事も終わりのないものはなく、変わらないままでいられるのは不可能に近いわけですから、こうした変化も受け入れなければならないということですね。

元日のテレビ番組を確認するまでは、サッカーの放送はなく、NHKの午後1時50分の恒例のフレーズ「NHKの新年最初のスポーツ中継は天皇杯決勝から始まります」も、もうおしまいと思っていたら、なんと皇后杯決勝を午後2時から放送してくれた。

会場の東京・調布市、味の素スタジアムのバックスタンド側に観客がほとんどなかったのは少し寂しかったが、それでもNHKの恒例のフレーズは天皇杯が皇后杯に置き換わっただけで途切れなかったことのほうが嬉しかった。

一足先に世界制覇を果たした女子サッカーにしてみれば、これまで天皇杯決勝の前座の位置づけだった皇后杯決勝が、全国中継される主役となれたことも、大きな節目と感じていると思います。

男子に比べれば、スピードや肉弾戦の激しさが一回り緩いのは当たり前としても、ボールさばきの華麗さや身のこなしの小気味よさは、素晴らしいものがあり、最後のセレモニーでベレーザイレブンが皇后杯を高々と掲げた瞬間に紙吹雪が吹きあがった演出を見て、やはり元日の午後はサッカー中継だな、と感じたものです。

高校サッカーのほうは「夢の国立」というフレーズが使えず、選手たちにとっては目標の喪失感が大きいのではないかと思っていたら、ちゃんと、その辺のことを考えて、日テレの今大会キャッチフレーズは「蹴都移転」、月刊ZOON誌の大会ガイドプック表紙には「君が立つ、そこが聖地」となっていた。これなら気持ちの切り替えがうまくできるのではないだろうか。

そして、高校サッカー決勝が終わる日の1月12日にはアジアカップ第1戦が始まる。いつもの年は、高校サッカーが終わると国内のサッカーシーンがオフ状態に入るが、今年は切れ目なくつながっていく。サッカーカレンダーをよく見ると、アジアカップが終わる2月はじめから2月下旬のACL開幕まで3週間ちょっとだけ隙き間がある程度で、その後はまたサッカーシーン目白押しだ。

もっとも、国内に隙き間がある期間にも、欧州各国リーグはシーズン後半の佳境に入り、話題には事欠かない。そんなことを思いながら、新年を過ごしています。

私は、当面の目標を、ビデオ映像のHDD取り込み作業を2002年まで終わらせることにしようと思っています。現在1998年分を作業中ですが、この年から日韓共催W杯の2002年までの5年間で、日本におけるサッカーの地位が飛躍的に高まったといえます。日本代表への期待、ワールドカップへの関心など現在の姿は、この5年間で醸成されたといってもいいと思います。

それだけに、その間の情報量もハンパではなく、とても半年やそこらで終わらせることはできないと思います。どれぐらいかかるのか見当がつきませんが、来年半ば、つまり2016年夏あたりまでにと漠然と考えています。

それでは、また作業を再開します。