「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

なでしこリーグカップ決勝観戦に絡めて、いくつか。

2018年07月24日 19時51分05秒 | サッカー選手応援
先週21日(土)、西が丘味の素フィールドで行なわれた、2018なでしこリーグカップ決勝戦を観に行きました。

ナマで観戦して、いろいろな思いが浮かびましたので、書きたくなりました。

決勝は、日テレベレーザvs INAC神戸。会場で配られていた「エル・ゴラッソ」紙号外版でも紹介されていましたが、今月下旬からのアメリカ遠征と現地て開催される国際トーナメントに、日テレから8名、 INACから5名を送り出すチームの戦いですから、ゴールデンカードといっていいでしょう。

実はリーグ戦の日テレホームの試合が、10月20日に予定されており、行こうと思っていましたが、ラッキーにも、もう1試合楽しめることになったわけです。

この観戦には、もう一つ密かな楽しみがありました。それは、なでしこジャパン、なでしこリーグを精力的に取材、レポートしている松原渓さんが、この試合をどうレポートされるか、という楽しみです。

松原さんの取材レポートは、オフィシャルブログを通じて、欠かさず拝読させていただいてますが、同じ試合を見て抱いた感じ方の違いを、味わってみたかったからです。

一旦終わりにします。(例によって、出先でipadで書き込み、時間切れになりました)

今日は8月20日です。一旦終わりにしてから、1ケ月近く書けませんでした。日々の生活に追われていると大好きなサッカーのことが書けず、もやもやして、どうも精神衛生上、よくありません。

今ごろになって、なでしこリーグカップ決勝の話でもないでしょうし、アメリカ遠征も終わりました。

松原渓さんのレポートも読みましたし、松原さんの著書「日本女子サッカーが世界と互角に戦える本当の理由」も読みました。

ですから、書きたいことは、山ほどあったのですが、またの機会にゆずることにします。
では、また。

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メッシもCロナもネイマールもいないW杯ベストイレブン。歴史的な大会、完結

2018年07月19日 19時25分01秒 | サッカー選手応援
ワールドカップ月間の締めは「完全保存版」特集誌の購入です。本日発売のNumber誌とワールドサッカーダイジェスト誌を選んで、これでロシアワールドカップ関係が完結です。

いや、ちょっと待って。テレビの総集編がまだ未放送ですよね。おそらく今週末? と思って調べてみましたけど、それらしい番組が見当たりません。

これまで、キホン、NHKが「総集編」を放送してくれていたのですが・・・。

総集編の放送予定を調べている中で、笑えるエピソードを見つけました。

16日(月)の夜、TBSが放送した「日本国民が選んだ歴代カッコいい選手ランキング」という番組。

司会の加藤浩次サンが「きょう僕、総集編を絶対見れると思っていたんですけど、こういったトリッキーな企画で、竹内くん、ビックリしているんだよねー」と、同じく司会の俳優・竹内涼真さんに話を振ったというのです。

そして、加藤さんはさらに大声で、「ねー。ビックリなんだよー。こんな企画を最後にやるかっていうのが。私、きょう聞いて本当にビックリしているんです! なぜなんだ!!」

このTBSのエピソードに表れているように、どうやらテレビでは、決勝が終わった途端「もう、ワールドカップは終わり!!」ということのようです。

さて、気を取り直して、特集誌を点検してみました。

その中で隔日刊のサッカー専門紙「エル・ゴラッソ」が18日発売の紙面で、大会ベストイレブンを選んでいました。

各誌・紙によって、選ぶ選手に若干の違いはあると思うのですが、私もエルゴラ紙のイレブンを支持したいと思います。

まずイレブンをあげておきます。

GK スバシッチ(クロアチア)
DF 長友(日本)、ビダ(クロアチア)、バラン(フランス)、フェルナンデス(ロシア)
MF カンテ(フランス)、デブライネ(ベルギー)、モドリッチ(クロアチア)
FW アザール(ベルギー)、グリーズマン(フランス)、ムバッペ(フランス)

さてさて、今大会のベストイレブン。大会前にあげられていたイレブン候補とは、大幅に入れ替わったというのが実感です。

まずメッシ、Cロナ、ネイマールといった当代随一のスーパースターが一人も入っていないことです。いかに今大会が波乱含みの大会だったかを物語っています。

次に目につくのは、小柄な選手が多いということです。長友佑都選手もそうですが、特に前線のアザール、グリーズマン、モドリッチ、まさに「ちびっ子トリオ」と呼んでもいいような選手たちですが、優勝、準優勝、3位のチームの中心選手であり、文句なしの活躍でした。

ちなみに、FIFAのオフィシャルアワード、つまり公式表彰では、ゴールデンボール賞(大会MVP)がモドリッチ選手、シルバーボール賞がアザール選手、ブロンズボール賞がグリーズマン選手のようです。「ちびっ子トリオ」が大会の顔だったことになります。

さて、エルゴラ紙選出のベストイレブン。中盤の底にカンテという選手の写真が映っています。そこについているキャプションが凄いです。ぜひご紹介したいです。

「「地球の7割は海が覆っているが、それ以外はカンテがカバーしている」という冗談が真実に聞こえるほど、脅威の運動量を見せた」

カンテのプレーぶり、実はフランスの試合放送の中でも、ずいぶん評価されていましたが、とかくムバッペやグリーズマンのプレーにばかり目が行って、どんだけ凄いのか、なかなかイメージできないでいます。

でも、この例えを読めば、一度はカンテのプレーだけを追いかけて録画を見直したいものだ、と思います。

「ワールドサッカーダイジェスト誌」編集部も、大会MVPにカンテを選んでいます。

日本でプレーした経験を持つサッカー界のレジェンド、ゲーリー・リネカー氏が、決勝戦を前にして「私にとって、今大会のペストプレーヤーはエヌゴロ(カンテ)だ。フランスには選手が12人いるようなものさ。彼が2人分の仕事をしてくれるからさ・・・」と語ったというのです。

さきほどの「それ以外はカンテがカバーしている」という話も「彼が2人分の仕事をしてくれるからさ・・」という話も、驚異的な活躍をしている彼を実によく表現していると思います。

カンテ選手のことを読んでいるうち、私は20年前のフランス初優勝メンバーのリリアン・テュラム選手を思い出しました。

彼は右サイドバックの選手ですから、決して脚光を浴びる立場の選手ではなかったのですが、準決勝のクロアチア戦で2ゴールをあげ、決勝進出の立役者になりました。そのこともあって「陰のMVP」と評価された選手です。

フランスの2度の優勝、いずれも「スーパーな働きをする縁の下の力持ち」の存在なくしてあり得なかった感があります。

(このあとのムバッペ選手、フランス代表のことは翌朝加筆したものです)

最後はムバッペ選手のことです。彼については、すでに7月1日の書き込み「10年間覇を競った、メッシとCロナ、同じ日にW杯を去り、この勝負引き分けか」のところで次のように書きました。

「まさに「ペレの再来」と言えるのではないでしょうか。ペレに始まり、ベッケンバウアー、クライフを経て、マラドーナ、ジダン、怪物ロナウドと受け継がれ、メッシ、Cロナの時代から、いよいよムバッペの時代になるかも知れません。」

これは、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦のあとに書いていますが、その後、準々決勝、準決勝、決勝と出場を続け、決勝ではアルゼンチン戦で決めた2点目と同じような走り込みで、クロアチアの心を折る4点目を叩き込み、スーパースターの階段を駆け上がるにふさわしいパフォーマンスを魅せました。

FIFAのオフィシャルアワードでは「ベストヤングプレーヤー賞」ということですが、このあと10年の中で、どれだけの栄光を重ねることだろうかという楽しみを思えば、まずは、この賞を皮切りにというところでしょう。

※ムバッペ選手のことは、最近、エムバペ選手と表記することが多く、私も最近はそう表記してきました。今日はエルゴラ紙の表記をそのまま使わせていただく関係で、ムバッペとさせていただきます。(話は横道にそれますが、そもそもムバッペでもエムバペでもなく『ンバッペ』が一番近い発音だと思うのですが、日本では絶対そう表記しないみたいで・・・)

優勝したフランスについても、書き加えたいと思います。7月15日の書き込み「まもなく決勝戦、それは「壮大な祝祭の終り」の前の最後の楽しみ」の中で、こう書いています。少し長くなりますが再録します。

「今夜半、ロシアワールドカップは決勝を迎えます。フランスvsクロアチア戦、普通に考えればフランス優勝と予想するでしょう。

クロアチアは決勝トーナメントに入ってからの3試合、すべて延長線まで戦っており、しかも決勝まで中3日、フランスより1日短いハンディキャップがあります。

こうした条件を覆してクロアチアが優勝したら、それはもう歴史的な出来事ですし「ワールドカップ20年周期の法則」、すなわち20年毎に初優勝国が誕生するという説に見事に合致するになります。

したがってフランスが、この大会の主役であることを見せつけるためにはエムバペがヒーローとなり「ペレの再来」と言わしめる活躍をしない限り、退屈な優勝国と言われかねません。」と。

けれども決勝戦を4-2、アルゼンチン戦も4-3と、華々しい打ち合いを制したり、、一方でウルグアイ戦、ベルギー戦を完封するなど、実に攻守がかみ合った盤石な勝ち上がりをしてきました。

フランスが戦った決勝トーナメントの山には、他にもポルトガル、ブラジルが同居していて、決勝までの勝ち上がり自体が大変な山でした。

そこを考えないで「退屈な優勝国と言われかねません。」と書いていた私は、少し分析が足りなかったと反省しています。

大会前にフランス優勝を予想した方は少数派だったと思いますが、試合を重ねるごとに力を増していったチームで、終ってみれば、優勝にふさわしいという感じがします。

こんなふうに書きつづってくると、やはりテレビ版総集編をやって欲しいですよね。私の予感では、やらないまま終わるってことはないと思います。

やらないと、歴史的な記録が途切れてしまいます。映像記録には、そういう価値がありますし、それをテレビの人たちは、百も承知だと思います。

では、今回はこのへんで。







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香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評③

2018年07月15日 19時51分18秒 | サッカー選手応援
このタイトルで、最初に香川真司選手、次に本田圭佑選手について、私なりに印象に残った論評をとりあげてきました。

最後に川島永嗣選手について取り上げたいと思います。

私自身の今大会のスタメン表の中で、GKは川島永嗣選手ではありませんでした。7月3日の書き込み「今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません」の中で、スタメン表に入れなかった二人のうちの一人、大迫選手については懺悔の言葉を述べました。

しかし、もう一人の川島永嗣選手について、私は「いわば見解の相違というところでしょう。」と書いています。西野監督も川島選手も、いろいろと思うところはあるかも知れません。

そうした中、ネット論評に次のような記事を見つけました。これは、まさに「警鐘」と言えるかもしれません。

「「GKやる子供消えます」 川島永嗣へのW杯異常バッシング、専門家警鐘」
これは「Jcastニュース」というサイトが、元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣氏に取材した内容をもとに書き下ろした7月8日付けの記事です。

川島選手の今大会のパフォーマンスについては、コロンビア戦のFKをグラウンダーで蹴り込まれた場面、セネガル戦でパンチングしたボールを目の前にいたマネに当てる形になって決められた場面、ベルギー戦で1失点目となったフワリとヘディングされた場面での位置取りなど、いろいろな場面が議論の的になっています。

これらのプレーについて、山野さんがGKコーチの立場から客観的に語ってくれていますが、何より山野さんが鳴らした警鐘は「強豪国のGKを美化しすぎではないか、その分、川島選手を感情的に叩きすぎているのではないか」という点です。

そして「「W杯で見えた「最大の問題点」は、「川島批判が高じて、良いプレーまで叩く風潮ができたこと」」なのだそうです。

ここから先は、このテーマの大切な論点なので、少し長くなりますが引用します。

「スマートフォンやPCが普及している時代です。ネットで理不尽に叩かれているのを今の子どもたちは見るでしょう。それでGKに魅力を感じるでしょうか。」

「GKは失点した時、自分に過失やミスがなくても叩かれたり、後ろめたさを感じたりします。その中でいつ喜びを感じるかと言えば、一番はファインセーブでゴールを守り、『ありがとう助かった!』と周りが称えてくれる時です。」

「その励ましがモチベーションになるのに、今の川島に対するような評価をされたらGKのやりがいがありません。川島はプロとして強靭なメンタルで己の仕事をやり抜きましたが、他の日本人GKならメンタルが崩壊していたかもしれません。ファインセーブまで粗探しをされ、価値を落とされる。極めて危険な流れだと思います。GKをやろうという子どもが消えますよ」

「 GK人気が高いドイツのサッカー専門誌『キッカー』では、ロシアW杯GL第3戦ベスト11のGKに川島を選出した。日本人選手が同誌でベスト11に選ばれたのは、今大会では川島が初めてだった。」

「「ポーランドとの大一番で、日本のGL突破を確実なものにした」との評価だ。「優れたプレーは最大限称賛するという文化があります。それが『GK大国』たる由縁なのかもしれません」と山野氏は話す。」

キッカー誌の評価が日本でもっと報道されていたら、川島選手へのバッシングは少しは弱まったかも知れません。

そして記事は最後に「次代を担うGKの育成は急務だ。ファン・サポーターやメディアにできることは何か。」という問いに対する、山野さんの次の提言で締めくくっています。

「悪いプレーやミスがあった時に厳しい目で論じるのは、もちろん重要です。同時に、良いプレーをした時は最大限に称賛する。感情的にではなく、根拠をもって冷静に評価していくことが必要です。」

「メディアは、失点したら問答無用で採点を低くするのではなく、ミスが失点に直結する責任あるポジションだからこそ、活躍した時は英雄になれるような土壌をつくっていってほしい。テレビも、ゴールシーンだけでなくGKのファインプレーまで流してやる。そういった積み重ねがあれば、『GKをやりたい』と思う人が増えてくるのではないかと思います」

ネットで川島選手をサンドバックのように叩いた人たちには、このメッセージは届いたのだろうか?

「ああいえばこういう」式の議論は尽きないのですが、「GKをやろうという子どもが消えますよ」という警鐘はもっともなことで「GKをやりたいと思う人が増えてくる」ような形で論じたいと思う気持ちは共通していると信じたいと思います。

以上、最近のネット記事で目立った3選手を取り上げたシリーズでした。

ちなみに今日15日(日)は、12時ちょっと前から書き込み初めて、いま21時30分ですから、延々9時間半、途中30分ほど買い物に出かけただけで、それを除けば9時間、合計6本、これまでに書こうと思っていたことを、一気に書き込みました。お楽しみいだたければと思います。

では、また。

(ここからは、7月17日に追記しました)
6月30日付けのスポーツ報知の配信ですが、吉田麻也選手が川島永嗣選手への思いを、次のようにツィートしたという記事が掲載されたのです。

吉田麻也選手は、ピッチ上で後ろ姿の川島選手と映る写真をアップして「ミスした者をこれでもかと叩きのめす悪しき風潮が蔓延しているこの国で、子どもらに本当に見てほしいのはチームスポーツで仲間が苦しんでいる時にいかに助け合えるか、そして1人の選手が批判や重圧から逃げずに立ち向かう姿勢。そこに何故、日本人で唯一欧州でGKとしてプレー出来ているか隠されている」とツイートしたそうです。

私は、この記事を読んで、一つのシーンを思い浮かべました。

それは、どこかのホールみたいなところでの討論会の場面です。日本代表のことがテーマということでしょう。議論が川島選手のミスについて白熱して、とうとう会場の雰囲気も「川島選手のミスさえなければ」みたいな雰囲気に傾きかけた時、会場の一人が挙手して立ち上がり、吉田麻也選手からのメッセージを読み上げたのです。

それまでヒステリックな議論で「川島戦犯論」一色に盛り上がっていた会場が、発言を聞いた途端、シーンと水を打ったように静かになったのです。

吉田選手のツィートは、それだけの説得力を持っている内容だと思います。

川島選手について、どうしても、これだけはと思い追記しました。

私は「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で執筆する人たちは、ネット上で付和雷同的に発信してくる人たちによって、一つの論調が過激に増幅されてしまう時代の中で記事を書いていることを、強く意識して自覚して書いて欲しいと警鐘を鳴らしたくなりました。

記事を書いた自分はさほど強い気持ちで書いたのではなくとも、それを読んだ人たちが、自分の持っているSNSという発信装置を使って「そうだ」「そうだ」の連呼を発信した時、世間の論調は「これでもかと叩きのめしている」状況に増幅してしまいます。

「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手が「現代は、自分の軽はずみな論調が、いたずらに増幅されてしまうリスクをはらんでいるのだ」と自覚して欲しいのです。

「個人個人がSNSで同調して増幅されてしまうことまで、かまっていられない」と思ってしまうと、「これでもかと叩きのめしている」状況に、何の責任も感じないということになります。

もしそうだとすると「時代の変化に伴う役割の変化を自覚していないのですよ」と言いたいのです。

「報道」とか「ジャーナリズム」と呼ばれる分野で最初の論調を発信する担い手の人たちからのご意見もお聞きできればと思います。

「追記が長くなりましたが、では、また。
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香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評②

2018年07月15日 16時45分05秒 | サッカー選手応援
同じテーマで前回は香川選手のことを取り上げました。もっともっと評価されるべきです、と。
今回は、本田圭佑選手選手です。

本田圭佑選手は、大会中、スーパーサブ的な使われ方で、その中でも結果を出してきました。ですから、それまで本田選手をケチョン、ケチョンに言っていたネットの論調でも「本田さんゴメンナサイ」「本田△(サン カッケー)」といった手のひら返しに合っていました。

それと合わせて異彩を放っていたのが、本田選手の人柄というか、人間味について触れた論調です。

思わずニヤッとしてしまうのは「清々しい(すがすがしい)」と表現すべき単語を「きよきよしい」と話したところです。

あとで自分で「感じが苦手で間違って覚えていました。でも、もう覚えました」と率直にコメントしたことで、その潔さがまた評価されるオマケがつきました。

7月4日付けの東スポwebは「日本快進撃の裏に本田のキャラ変」というタイトルで、今大会のチームで果たした本田選手の“イジられ役”ぶりを紹介しています。

長友選手の本田評が面白い「圭佑はだいぶやわらかくなったというか、丸くなった。スポンジのような心でね」
つまり、どんなことも受け入れる器の大きさという意味でしょう。

「NHKで放映された映像素材を取り寄せて選手たちが“ケイスケホンダ”のフレーズで本人をイジったりして盛り上がっていた」といった具合に、かつて周囲を寄せつけなかった“オレ様”ぶりは鳴りを潜め、率先して同僚と輪を作ったというのです。

東スポwebハ「これまでの姿からは想像できない本田の“キャラ変”。「本当に他の選手のことを好きになったし、こんなに好きになれるとは思わなかったというくらい好きになった」と語った背番号4がまさに潤滑油となってチームの歯車を回していた」と締めくくってしましたが、キャラ変ではなく、自分の置かれた状況に応じて身を処すことができる器の大きさということでしょう。

まさに長友選手が語ったスポンジの心の持ち主だったのだと思います。

そのあたりを、スポーツライターの元川悦子さんが「フットボールチャンネル」サイトに7月4日付けで寄稿しています。

「『ホントに日本人が想像できひんような努力をして、この場にいるということをしっかり見てほしい』と6月24日のセネガル戦で一刺しを決めた後、彼は厳しい表情で語ったが、本当に凄まじい集中力と闘争心でここまでやってきたからこそ、偉大な記録を叩き出すことができた。その厳然たる事実には改めてリスペクトを払うべきだろう。」

「「エース」と呼ばれる人間は点取り屋かゲームメーカーとして君臨する傾向が強く、過去の日本のエースたちもそうだった。が、本田はどんな仕事でも受け入れ、その役割の中で自分の持つマックスの力を発揮する。そういう職人魂を持った選手なのだ。」

「今回のスーパーサブ的な仕事は、28日のポーランド戦に象徴される通り、出番が訪れることなく終わってしまう可能性もゼロではない。同じく南アからの盟友である長友佑都が全試合フル出場するのを間近で見れば、複雑な思いも湧いてくるだろう。それでも本田はベンチで仲間を盛り上げ、チーム全体を鼓舞できる。」

「この日もタイムアップの笛が鳴り、倒れ込んで号泣した昌子源や乾貴士らのところに駆け寄って声をかけていた。世間一般では「本田はエゴイスト」というイメージが先行してきたが、彼ほど献身的で仲間を第一に考えるフットボーラーもそうそういない。」

「『ホントにこのチームの選手みんなが好きになった。こんなに好きになれると思わないくらい好きになった』という言葉が口を突いて出るあたりが、彼の人間臭さなのだ。」

「ブラジル大会を目指していた頃はメディアともほとんど喋らない時期もあったが、それはあくまでセルフコントロールの一貫だった。」

「報道陣側ももともとの気さくなキャラクターを理解していたから、本田の振る舞いを受け入れた。まさに彼は多くの人に愛される男だったのだ。」(以下略)

引用が長くなり、元川さんからクレームが出そうですが「誰からも愛される男、本田圭佑。イメージと異なる実像。その精神力が日本にもたらしたもの」と題されたこの寄稿を、ぜひ皆様にもお読みいただきますようお願いして、ご容赦いただこうと思います。

日本代表が決勝トーナメント進出を果たしたことと、本田選手が代表の中で果たしたことが、見事にシンクロしていることがわかります。

本田選手については、このへんで。
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香川、本田、川島各選手たち日本代表の、印象に残るネット論評①

2018年07月15日 15時27分37秒 | サッカー選手応援
ワールドカップにおけるドラマチックな日本代表の戦いぶりについては、テレビ、スポーツ紙、ネット等で、さまざまな取り上げられ方をされ、個別の選手たちについても、ヒーローがかわるがわる出たこともあり、賑やかな取り上げられ方でした。

その中で、特にネット記事中心に、何人かの選手について印象に残った論評を取り上げて、私なりの「まとめ」をしてみたいと思います。

①今大会に果たした香川真司選手の働きをもっと大きく評価して欲しいと思います。
今大会の個別選手の取り上げられ方は、初戦・コロンビア戦は「大迫半端ない」、第2戦セネガル戦は、「さすが本田さん、悪く言ってごめんなさい」と「川島のミス」そして決勝トーナメント1回戦ベルギー戦は「原口、乾で2点」といった感じでした。

しかし、今大会の日本代表を流れにうまく乗せたという点で、香川真司選手のPK獲得につながるプレー、そしてPKによる先制点は、もっともっと大きく取り上げられ、大会の立役者の一人として評価されるべきだと感じています。

そんな中、大会直前の6月7日付け「スポーツ報知」の記者コラムで中村健吾さんがレポートしているネット記事を読み、このコロンビア戦のプレーからPKによる得点に香川選手の活躍が、単なる偶然ではなく必然であったことを痛感しました。

一部その記事から紹介してみます。

その記事には「香川の言葉「恐れるものがないくらい準備ができている」を信じてみよう…今始まるW杯日本代表の大冒険」というタイトルがついています。

まだ、この時期、日本国内は総じて「西野ジャパン勝てるの?」「引き分け一つぐらいでも取ってくれるだろうか」程度の評価でしたが、すでに選手たちは、すっかり自信を取り戻して、戦う準備万端といった様子だったことがわかりますし、中村記者も「信じてみよう」という思いで筆を運ばせたと思います。

香川選手は、6月1日の日本代表23名発表後の会見で、こう述べていたというのです。「(4年前)ブラジルのピッチで感じた悔しさや、あの結果が自分たちを強くしてくれたと、ロシアで証明したい。本当に恐れるものがないというくらい、僕自身は準備ができています。皆さんに自分たちが戦ってきた4年間を証明したい」

中村記者は、この香川選手の話と、もう一つ、ベテランの女性スポーツライター・増島みどりさんから聞いた話を紹介しています。

中村記者が、期待の持てない西野ジャパン叩きについて増島さんに聞いたところ、

「日本代表とは勝つための集団とみんな言う。でも、私が(仏W杯で)3連敗した彼らから教わったことは、代表は人々の共感とともに歩むっていうことだと思う。うまく行かない時とか苦しい時とかどうやって振る舞っていくかの最も偉大なサンプルが、彼ら代表。彼らは自分たちを現している存在。だから、日本選抜じゃなくて日本代表。・・・・・」という答えが返ってきたそうです。

そいて、中村記者は、レポートを次の言葉で締めくくったのです。
「そう、これからの1か月間、香川の、この言葉を信じてみませんか。そして、代表の23人と思いっきり“伴走”してみませんか。彼ら代表は自分たちの夢や希望、もっと言うなら一筋縄ではいかない人生というものを、そのまま投影してピッチで戦ってくれる存在なのだから」

中村記者は、今ごろ「信じて良かったぁ」と、スポーツ記者としての自分が新たなステージにたったことを実感していることでしょう。

私が思うのは、すでに香川選手は1点の曇りなく自分を信じて大会に臨み、PKの場面も、何の迷いもなく蹴り込むことができたのだということです。

このエースとしての心の強さ、以前、私が本田圭佑選手について感じた強さを、この時、香川選手が発揮してくれたのだと、あらためてリスペクトしたいのです。

次に本田圭佑選手についての論評を紹介しますが、次の書き込みで。
では、また。


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「なぜ今回のW杯は"ロシア開催"だったのか」の世界と、スタジアムをきれいにして帰る日本人の世界との、あまりにも大きな落差

2018年07月15日 14時05分16秒 | サッカー選手応援
ネットの「プレジデントオンライン」にアメリカ人ジャーナリスト、ケン・ベンシンガーの著書『レッドカード 汚職のワールドカップ』(早川書房)の一部を再編集した記事が載っていました。

著書のテーマは文字通り「なぜ今回のW杯は"ロシア開催"だったのか」であり、開催権獲得の裏には、ありとあらゆる不正な取引が行われていた。その背後にいたのは、ロシアの億万長者で、英チェルシーFCオーナーのアブラモヴィッチと、プーチン大統領だと、あぶり出しています。

FIFA(国際サッカー連盟)の腐敗については、今に始まったことではなく、ブラッター前会長、さらには、その前のアヴェランジェ会長時代から数々の不正疑惑が指摘されながら、その都度、代替わりによりリセットされてきたのではないかと思います。

特にワールドカップ開催地決定の問題は、国の威信を高めようとする権力者が絡むことから、表向きは公明正大な選出方法を装いながら、裏では利権と権謀術数が絡み合う、凄まじい戦いの世界が繰り広げられる問題です。

私たちは、日韓ワールドカップの開催地決定が行われた1996年に、釈然としない思いで決定を受け入れた記憶を持っています。

どの大会でも、開催地争いに敗れた国は、多かれ少なかれ苦い思いで受け入れざるを得ない経験をしています。

FIFA(国際サッカー連盟)を牛耳る幹部たちの世界が、いかにオモテとウラの世界の行ったり来たりしているかということなのだと思います。

それは、マフィア映画を見ると、わかりやすいと思います。マフィア映画にはオモテの部分とウラの部分が、実によく描写されています。オモテの部分は無垢な家族の姿を描く場面であり、ウラの部分は、まさにマフィアそのものの姿です。

サッカーの世界も、オモテの部分はフェアプレーアンセムに導かれて集う選手たち、サポーターたち、ジャーナリストたちの姿であり、ウラの部分は、今回紹介した書物に描かれているようなFIFA(国際サッカー連盟)と、それに連なる権力者たちの姿です。

前回書き込んだ「世界に示した日本人の国民性」といった部分は、マフィア映画で言えば、純真無垢な家族・子供といった場面であり、FIFA幹部たちから見れば、まさに「子供のような純粋無垢な存在」、言い換えれば「何も知らない無邪気な存在」ということではないかと思います。

世界最大のスポーツイベントを差配することができるFIFAという組織の幹部は、著者ケン・ベンシンガーが指摘するように「豊かで多様で非情な組織で勢力を保つための費用を熟知していた。世界で最も人気のあるスポーツを運営する巧妙なやり口をだれよりも知りつくし・・・」という特殊な能力に長けていることが不可欠です。

だからこそ、ブラッター前会長も、ジャンニ・インファンティノ現会長も、事務局長からの昇格という形で権力者に上り詰めているのです。彼らは組織のテクノクラートとして忠実に仕事をこなしてきた中で、権謀術数のすべを学び、少しづつ権力の階段を上がってきています。

したがってオモテとウラ、それぞれでの一挙手一投足の使い分けも見事なほどです。オモテでは、見事に演じきれるといったほうがいいのかも知れません。

そういう連中の差配のもとで、やれフェアプレーだの、やれ品格だの、やれマナーだのと言って満足そうにしている私たち日本人は、どう考えるべきなのでしょうか。

あくまで、それは別世界のこととして、純粋に誇りを持っていればいいのでしょうか。それとも、そういう魑魅魍魎の世界の中で、もて遊ばれることを快よしとせずにいくべきなのでしょうか。
そこが、私には永遠の課題のように思われるのです。

では、また。

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「その国の国民性を映す」と言われるサッカー、今大会、日本代表はその見本のようでした。

2018年07月15日 12時46分28秒 | サッカー選手応援
ワールドカップサツカーが国民を熱狂させ、国中に一体感を醸しださせるパワーを持つことを、4年に一度ではありますが、今回も、まざまざと見せてくれた日本代表。

特に今大会の日本代表は、世界に「日本という存在」「日本という国の国民性」「日本人の思考と行動」を強く発信したのではないでしょうか。

初戦のコロンビア戦に勝利したあたりまでは、まだ世界の耳目を集めるほどではなかったのですが、第3戦のポーランド戦に見せた「リスク覚悟の最後の10分+アディショナルタイムの戦術」、そしてラウンド16のベルギー戦で見せた「2-0のリードからの悪夢の逆転負け」は、強烈なインパクトを世界中に残したと思います。

過去のワールドカップでは、日本代表は、基本的には、世界の中でまだまだ弱い国が見せる共通の戦い方をしてきたと思います。決勝トーナメントに勝ち上がるためには、目の前の試合に全神経を集中して、基本的に守りを固めて少ないチャンスをモノにして試合を終わらせる、そんな感じの戦い方です。

しかし、今大会、日本代表は、少なくともガチガチに守りを重視して少ないチャンスをモノにするという弱小国共通の戦い方を、初めてやめました。

その結果、はじめてサッカーを通じて「「日本」という国はそういう国なんだ」「ポーランド相手にああいう試合をした日本が、こういう試合ができるんだ」ということを世界に発信することができたのです。

ポーランド戦で見せた試合の終わらせ方などは、まさに世界が初めて知った日本の国民性だと思います。会場のブーイングを浴びることはわかっていても、器用には立ち回れない。やることが実直なのです。

まさにマリーシアとは真逆の試合運びです。特に日本が順位争いの対象となったセネガルとの差が、フェアプレーポイントという皮肉なポイントだったことから、あの、あからさまな時間稼ぎが「フェアプレーと言えるのか」という批判につながりました。

日本には「正直者がバカを見る」という諺があるとおり、まさに正直にプレーしたことで「バカ者」扱いされたのです。

ベルギー戦では、優勝候補の一角ベルギーに2点リードの局面を作り、あわやという思いを世界中に抱かせました。結果は残酷な逆転負けでしたが、堂々と渡り合っての玉砕という感じで世界を驚かせたと思います。

ここにも日本的な正直さが出ています。アディショナルタイムの戦い方は「いいところまでは行くけれど勝てない」という、これまでの日本の弱さが、そのまま出た感じですが、堂々と打ち合ったという意味では、これまでの日本が示したことがない、全く新しい姿だったと思います。

世界に「日本という存在」「日本という国の国民性」「日本人の思考と行動」を強く発信したのは、ピッチ内だけではありませんでした。

今大会、ピッチ外の2つのエピソードが世界に強く日本というものを印象づけました。一つは日本代表がベルギー戦で使用したスタジアムの控室(ロッカールーム)の写真と、添えられたメッセージ。

「日本はClass(品格)がある」「素晴らしいマナーだ。いつか日本に行ってみたい」などの反響を呼ぶ投稿でした。試合に敗れてなお保つ、この「Integrity(気高さ)」、まさに日本という国の国民性を余すところなく世界中に発信しました。

サッカーというスポーツが世界に大きな影響力を持つがゆえに、日本代表チームのこの行為を誇りに思うのです。

この投稿には後日談があって、今日のネットで「この投稿の主、すなわち大会スタッフだった女性は、守秘義務違反により解雇されてしまった」そうです。

FIFAにもロシア組織委員会にも「大岡裁き」という日本的なやり方は通じないのでしょうか。JFAの心ある人ならば、この女性がそういう咎めを受けるかもしれないということを感じていたかも知れません。

そう感ずるのが「感受性」というものでしょう。その時に「大岡裁き」という解決方法を思い出した欲しかったのです。日本人ならばわかるでしょう。

「普通に処理すれば守秘義務違反なのだけど、彼女の思いを無にしない方策はないか、考えて欲しい」そうFIFAなりロシア組織委員会なりに掛け合ってくれればと、惜しまれる話です。

日本人の品格、気高さは、スタジアムのゴミをきれいに拾い集めて帰るサポーターの態度でも、世界中の称賛を浴びています。

私たち日本人は、そういうマナーや配慮を大切にする国民です。昨今は、都内を歩いていて、すれ違う人が平気でゴミのポイ捨てをする場面に出くわし、暗澹たる気持ちにさせられますが、それは、ほんの一握りと思い直すようにしています。

日本中の町や村で、子供の頃からマナーや思いやりの心を教え続ける気風は失われていないのだと思います。私はそれを思うと、つくづく日本という国は誇らしい国だと思いますし、日本人というのは、素晴らしい国民性を持った国民だと思います。

そのような日本文化のことを、アメリカでのスポーツ取材歴が長いジャーナリストの高柳昌弥さんという人が「何も残さず何かを残す日本の文化、サッカーのW杯で感じた無形の財産」という記事を書いていて、ネットの「スポニチアネックス」で紹介されています。

「何も残さず何かを残す」というフレーズが印象的です。彼が海外での経験から日本人の行動が際立っていることを書いている部分があります。それは1980年代にアメリカツァーに参戦していた女子プロゴルファーとの、ちょっとした「やりとり」のことです。

高柳さんがそのゴルファーから「コピー5枚とって欲しい」と頼まれて、とったコピーと原紙をクリアファイルに入れて渡した時「どうしてこんなに早く、しかも親切にしてくれたのか」と聞かれたそうです。

彼にとっては、ごく普通のことだったのに、彼女にとっては不思議な体験だったらしいというのです。つまり競争社会に身を置くと、周りが全て敵に見えてしまうほど、異なる文化の中で生活している過酷さを味わっていたらしく、彼女の目が大げさではなくちょっと潤んでいたというのです。

日本人にとっては、当たり前のような何気ないことでも海外では「あり得ない、どうして、そこまでできるかわからない」というほどの違いがあるということの例です。

高柳さんは自分のレポートをこう締めくくっています。楽しみな話です。
「ベルギーに勝てなかった日本代表。でも、いつかサポーターが優勝時に舞う紙吹雪をひとつ残らず片付ける日々が来ることだろう。そのときまで、日本の“色”は失ってはいけない。違っているからこそ尊いものが、世の中にはまだたくさん残っている。」

「バカ正直」なことしかできず、かえってバカにされる。それでいいじゃないか、という気持ちです。それを恐れて、大切なものを失っては元も子もないということのようです。

それにしても、感慨深いものがあります。1997年のジョホールバルで、初めて世界の舞台へのキップを手にしたサッカー日本代表。その後の活躍とサポーターを含めた日本人としての「ふるまい」が、これほどまでに世界に影響を与えることになろうとは、思いもよらなかったことです。

20年の歳月は、日本人の礼儀正しさ、品格といった国民性が、サッカーを通じて世界に影響を及ぼすことが可能なことを示してくれたのです。

「サッカーというスポーツは、その国の国民性を、実によく映し出す」とは、よく言ったものです。

このテーマはこのへんで。

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まもなく決勝戦、それは「壮大な祝祭の終り」の前の最後の楽しみ

2018年07月15日 11時53分53秒 | サッカー選手応援
今夜半、ロシアワールドカップは決勝を迎えます。フランスvsクロアチア戦、普通に考えればフランス優勝と予想するでしょう。

クロアチアは決勝トーナメントに入ってからの3試合、すべて延長線まで戦っており、しかも決勝まで中3日、フランスより1日短いハンディキャップがあります。

こうした条件を覆してクロアチアが優勝したら、それはもう歴史的な出来事ですし「ワールドカップ20年周期の法則」、すなわち20年毎に初優勝国が誕生するという説に見事に合致するになります。

したがってフランスが、この大会の主役であることを見せつけるためにはエムバペがヒーローとなり「ペレの再来」と言わしめる活躍をしない限り、退屈な優勝国と言われかねません。

片やクロアチアには、モドリッチという、小柄にもかかわらずチームを牽引している選手がいますから、この選手を凌ぐためには、グリーズマンやジルーでは役者として物足りないと言われる舞台になりつつあるのです。

モドリッチ選手、まるでクライフを縮小形にしたような体つきと顔立ちです。歴史上のスーパースターに重ね合わせることが好きなサッカーファンにとっては「ペレの再来か」「クライフの再来か」と思いを巡らせることのほうが、よほど楽しいのです。

グリーズマンも「プラティニの再来」と言われれば、負けてはいないのですが、ワールドカップの栄光に恵まれなかったプラティニの再来と言われても、少し困るかも知れません。

こうした想像を巡らせているあたりまでが、ワールドカップという「地球上最大の、壮大な祝祭」の楽しみであり、あとは日に日に「宴のあとの寂寥感」が増してくるわけで、この、4年に一度の祝祭は、必ずそういう喪失感(いま風に言えば「ワールドカップロス」というヤツ)を伴うものでもあります。

日本がベルギーと死闘を演じてから2週間、いろいろな観点から書きたいことは山ほどありましたが、日々の忙しさにかまけて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

これから、少しづつ、書き込んでいきたいと思います。
では、また。

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少しづつ見えてきた西野采配の検証事項②

2018年07月04日 23時22分23秒 | サッカー選手応援
「西野ジャパン、よくやった。感動をありがとう」という,日本中の称賛の中、それに抗うようですが、ベルギー戦での西野采配について、ないがしろにできない二つのテーマを、前回の書き込みに続いて指摘しておきます。

前回指摘したのは「相手チームの二枚替え」に対する、変幻自在の手当て。

今回指摘する、もう一つの問題点は、試合の最後の局面における細心の指示です。後半アディショナルタイム、まさにラストプレーに近い時間、本田圭佑選手のFKが相手GK・クルトワにセープされCKになった場面です。

最後のプレーで勝ちに行くということで、吉田麻也選手も昌司源選手もゴール前まであがりました。本田のCKがもっと細心の注意を払ったキックであれば、すんなりホイッスルがなったかも知れません。

ですから本田のCKには、イタリアの世界的名将・カペッロが「私が関係者としてあそこにいたらホンダを殴っている。なんで、あんなボールを入れるんだと」酷評しています。

それは別の問題ですが、やはりベンチからの細心の指示があってしかるべきでしょう。「吉田と昌司は上がらなくていい。上がっちゃダメだぁ」と。

よく「神は細部に宿る」といいます。ギリギリの細かいところにまで研ぎ澄まして対応しないと、得たいものは得られないということなのだと思います。

まして、相手は身体能力、技術ともに日本を大きく凌駕する世界ランキング3位、ここ1年以上無敗のチームです。こちらの戦術・采配に少しでもアバウトなところがあれば、スキを突かれると思って対応しなければなりません。

別に日本が勝てたはずだと思って言うつもりはありません。しかし、この2点、つまりベルギーの二枚替えに対する手当ての問題と、後半アディショナルタイムのCKの指示の問題、これは、明らかに反省点といえると思います。

おそらく、これからも、サッカー関係者の間では、何らかの形で議論のテーマになることでしょう。この書き込みが、その「たたき台」になればと思います。

西野監督自身は、ベルギー戦後の会見で「2点のリードをひっくり返された責任は選手にあるのではなく、明らかに指揮官の責任です。けれども、何が問題だったのか、まだ、わからないところです。時間をかけて考えてみます」と答えていました。

そのとおりだと思います。それは我々のような、よく見える立場の人間のほうが、かえって的確に指摘できることもあるのです。これをよく「岡目八目」といいます。

西野さんも、おそらく、今後じっくり自己分析することで、この二つが「足りなかった部分だ」と吐露する機会が出てくることと思います。

前々回の書き込みでは「何日かあとに代表選手が帰国します。(中略)そして日本中の人たちが「よくやった」「感動をありがとう」と言ってくれるシーンが見られると思います。もう少し、感動の余韻を味わえると思うと、これもまた楽しい限りです。」

と、西野ジャパンを称賛した自分です。つまり、ベルギー戦での采配の問題というのは、そこまで導いた西野監督の功績を何一つ打ち消すものではなく、ある意味「ないものねだり」なのです。

私は、前々回の書き込みで紹介した、夕刊フジのコラム・清水秀彦さんの、プロの指導者としての姿勢に共感していて、今回の検証事項というのは、やはり日本代表が前進していくために、ゆるがせにできない部分は、キッチリと検証する必要があるという立場での意見です。

ですから、日本中は「西野ジャパン、よくやった。感動をありがとう」と沸き立っていて、まったく構わないのですが、しかるべき立場の人たち、特に、今後の監督について議論すべき立場の人たちにとっては、なんとしても克服すべき課題だと言えるのかも知れません。

今日はこれぐらいにして、また。

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少しづつ見えてきた西野采配の検証事項①

2018年07月04日 20時55分41秒 | サッカー選手応援
西野ジャパンは、今日、キャンフ地・カザンを離れたそうです。書き始めたこの時間、日テレが「ベスト8決定、西野ジャパンの激闘をもう一度」という特番を放送しています。

まさに「西野ジャパン、よくやった。感動をありがとう」という仕上がりでしょう。

ただ、一方では、ベルギー戦での西野采配について若干の指摘が出ていることも事実で、私も、ないがしろにできないテーマを二つ持っています。

今回は、そこをキチンと検証しておきたいと思います。

一つは、後半20分にベルギーが二枚替えで交代をしてきたことに対する対応です。私は、西野監督に、こうした局面に対する変幻自在の采配があったらと残念なのです。

西野監督は、結構、ベースを変えないタイプの監督ですので、変幻自在の対応を求めるというのは、ある意味「ないものねだり」かも知れません。西野監督の戦術のベースは「攻めのスタイル」ですから。

けれども、ベルギーが投入した身長19cmのフェライニと、186cmのシャドリに対して、何の手当てもしないというのは指摘されるべきではないでしょうか。

誰の目にも明らかにように、フェライニを長友の近くに置くというのですから、手当てをしないのは無策と批判されるべきでしょう。

ベンチには、植田直道選手と遠藤航選手がいます。彼らの働きに賭ける采配を考えるべきでしょう。

問題は、彼らを入れることによって「攻め続ける」というコンセプトが霧散してしまい「守りに入る」という最も忌み嫌うメッセージをピッチのイレブンに与えるというリスクです。

西野さんは、この、ピッチの選手たちに誤ったメッセージになるリスクを回避したかったのと、植田選手、遠藤選手たちが持っていない大舞台での経験値の部分を懸念したに違いありません。

しかし、だからと言って、彼らの高さに蹂躙されていいという道理はありません。めまぐるしく変わる局面に、変幻自在に手当てを施す、これも監督に求められる重要な部分だとすれば、西野さんに足りなかったものは、ここだと思います。

西野さんは会見で「何が足りなかったのか自分で見つけたい」と語ったそうです。間違いなく、その一つは、この短い時間の中で頭を巡らせて、変幻自在に手当てを施す、思考の柔軟さだと思います。

手当てすべきフォーメーションを示してみましょう。

後半20分、ベルギーが二枚替えをしてきました。であれば、22分、日本は植田と遠藤航を入れます。原口に代えて植田、長谷部に代えて遠藤です。いかにも守備的に行くぞというメッセージに見えます。

しかし、フェライニとシャドリが入っているのです。遠藤は長谷部のあと、そのままですが、高さ対策だという理解ができます。

植田は原口に代えていますが、原口のところに柴崎をあげます。そして植田は長友の位置に入り、長友と遠藤航が中盤の底を形成します。

手当てするということは、そういうふうに選手の配置を変えて相手のストロングに対抗することだと思うのです。

おそらく西野監督は、DF系の選手はスタメン選手がケガでもしない限り使う意思がなかったと思います。その固定観念が西野さんの限界だったと思います。

どうしたって、長友選手のところにフェライニがいるというのはおかしいでしょう。それに対して何も策を講じないなんて批判の対象になると思います。

守備的にならないこと、それは二人が入って選手たちに伝えれば、何とかできることではなかったのではないでしょうか。

とりあえず、一つ目の検証事項ということで、ここまでにします。
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今回は「リアルタイム書き込み」できませんでした、敗因かも知れません。

2018年07月03日 09時43分12秒 | サッカー選手応援
今回、私も日本敗退の要因を作ってしまった気分です。これまで「リアルタイム書き込み」をしていれば、いい試合になるというジンクスがあったのに、眠さに負けてできませんでした。

もう一つ、試合の途中から見始めると、なぜか点を入れられてしまうというジンクス。
これもやらかしてしまいました。

なんか、やらなければいけないことをやらず、やってはいけないことをやってしまった私、まさに日本の敗因を作ってしまったかも知れません。

難しいものですねぇ。
人生って、不思議なものですね。

懺悔がもう一つあります。
スタメンに大迫選手を入れなかったことです。
日本代表の初戦、コロンビア戦の2日前、私が選ぶスタメンを以下のようにしました。

GK 中村航輔
DF 長友佑都、吉田麻也、昌司源、酒井宏樹
MF 長谷部誠 柴崎岳、香川真司、乾貴士、原口元気
FW 武藤嘉紀
※岡崎慎司のコンディションが良ければ、FWに岡崎、武藤を一列さげ、原口ベンチ

ワントップとGK、二人を除けばズバリですが、ワントップ・大迫勇也選手だけは見極められませんでした。いま、あれこれと言い訳するのはやめます。大迫選手にお詫びすることはもちろん、多くの大迫ファンの皆さんにもお詫び申しあげます。

それにしても、大迫選手の活躍はワントップのエースとして盤石の働きでした。その結果として「大迫、半端ない」という、あの名セリフが日本中に知れ渡ることになりサッカーを愛する者として、こたえられない社会状況を作ってくれました。

このような見立て違いをしないよう、まだまだ精進が必要です。

もう一人、GKも違ったわけですが、これは、いわば見解の相違というところでしょう。GKを中村航輔選手でいった場合の結果、これはもう「たられば」の世界でしかありませんので、ここでは書きません。

一つ言えるのは、西野監督は、とにかく「経験重視主義」だということです。そこは絶対譲らない采配であり、それがグループリーグ突破をもたらしたのですから、周りは何も言えないでしょうが、その経験主義がベスト16での敗退につながったことも確かです。

難しいものですねぇ。
今日の「書き込み」は、私の失敗、判断ミスをお詫びして、懺悔する書き込みでした。
では、また。




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これほどまでに日本中を熱く感動させてくれる日本代表、その夢の中に浸れる、この幸福、ただ、ただ、ありがとう。

2018年07月03日 08時27分32秒 | サッカー選手応援
朝8時半ちょっと前です。

日本代表の戦いが終わり、ロシア大会から去らなければならなくなりました。ドイツが去り、アルゼンチンが去り、スペインが、ポルトガルが去ったあと、我らが日本も去ることになりました。

選手たちが、いかに勝ち抜く強い意思を持って挑んでいたか、それを思うと、終盤の逆転負けは、どれほど悔しかったことか、そこに、6回連続でワールドカップに出場し続けてきた日本サッカーの進化した姿を見るのです。

結果はベスト16で、過去2回の経験と同じですが、紛れもなく過去最高の終わり方をしたチームです。

そして思うのは、ワールドカップサッカーに挑む日本代表は、私たち何と幸福にさせてくれる存在なのでしょう。

これほどまでに日本中を熱く感動させてくれる日本代表、サッカーを愛する者として、その夢の中に浸れる、この幸福、ただ、ただ「ありがとう」と声をかけてあげたい、それだけです。

日本中の多くの方が、同じ思いではないでしょうか。

今回の代表も、日本社会にいろいろなモデル的な材料を提供してくれました。

例えば、監督交代によってチームが一つの方向にまとまるプロセス、そのメカニズムは何なのか。あれほど期待が薄かったチームが短期間のうちに、それを覆すことができた要因は何なのか。

例えば、強豪チームを倒せる力というのは、選手も口ぐちに言ってましたけれど「一つにまとまればできる」、それが現実にできるということを日本社会はどう生かせるか。

例えば、それぞれの試合について分析チームが行なったスカウティングによって、緻密に攻略方法を決め選手たちに浸透させる組織力、チーム力、これは、ますます厳しい国際競争にさらされている日本社会が勝ち抜くために、スポーツの域を超えて生かしていくことではないのか、どうなのか。

などなど。

さぁ、何日かあとに代表選手が帰国します。またワイドショーや新聞・雑誌が監督・選手たちに群がることでしょう。そして日本中の人たちが「よくやった」「感動をありがとう」と言ってくれるシーンが見られると思います。

もう少し、感動の余韻を味わえると思うと、これもまた楽しい限りです。
今朝は、このへんで。


【夕方 追記】
そのあと、いつものようにスポーツ紙をチェックするためコンビニに立ち寄りました。今朝の通常版は、歌丸さん死去が全紙ともトップです。

朝のテレビで、各スポーツ紙とも「日本代表 特別版」を、一部の店頭のみで販売すると聞いて
いましたので、コンビニで確認してみたら、ちょうど入荷したばかりの各紙がラックに並べられるところでした。

日刊、スポニチ、報知の3紙が特別版を刷ったようです。ついでに東スポと夕刊フジを久しぶりに買いましたら、夕刊フジの終面に、面白い見出しを見つけました。

「「感動ありがとう!」は、もうやめよう」

それを見て、私は瞬間的に「何か捉え方が違ってなぁ」と感じました。

清水秀彦さんの連載コラムの見出しだったのですが、清水さんは「1998年に初出場して以来、よくやった、頑張ったの繰り返しで、全然進歩がない。もう、お涙ちょうだい、感動ありがとう、なんてことだけはやめようぜ」という趣旨で書いておられたのです。

案の定です。まさにそのとおりです。日本サッカーが前進したのかと言われれば、今回もまた16強どまりだったわけで「よくやった。感動ありがとう」という結果ではないだろう、というわけです。

ところが、私の(私に限らず多くの人が同じだと思いますが)「感動ありがとう」には、そういう「前と比べて前進したのか」などといった事情がまったく入り込む余地のない、ただ、ただ「よくやった」「幸せな時間を共有させてもらった」という心底から思いが込められているのです。

したがって、これからも、仮にグルーフリーグ敗退で終わる大会があろうとも、心底「よくやった」「感動的だった」という試合を見せてもらえぱ、「よくやった。感動ありがとう」という言葉が口をついて出るに違いないのです。

そりゃぁ、大会を総括して検証する立場の人が自己弁護的に「よくやった。感動ありがとう」というなら、清水さんのように「そんな言い方、もうやめようぜ」と言ってやればいいのですが、純粋にサッカーを愛し日本代表を応援しようとしている多くの人からは、自然に、素直に「よくやった。感動ありがとう」と口をついて出てきます。

ですから、それはやめる必要もないし、やめさせることはできないと思います。
「何か捉え方が違ってなぁ」と感じた見出しでしたので、書き足しておきました。







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おいおい、スペインも負けちゃったよ。

2018年07月02日 08時29分16秒 | サッカー選手応援
メッシ、Cロナショックも癒えないうちに、今朝のニュースがスペイン敗退を伝えてきました。
まさかです。

ウ~~~ん。ベスト8にアルゼンチン、ドイツ、スペイン、イタリア、オランダ、ポルトガルがいない大会。

残る伝統国は、ブラジル、フランス、イングランド。

これで、ロシアかクロアチアのどちらがベスト4に進むことが決まって、ブラジルとフランスのどちらかがベスト4では姿を消す。

伝統国が一つもベスト4にいない大会になるってことはないと思いますが、その可能性も残っています。

例えばのシュミレーション。準決勝のカード、ウルグアイvs日本、コロンビアvsクロアチア。こういう組み合わせになったら、日本にとっては夢のような大会になりますがワールドカップ史上、例のない伝統国丸つぶれの大会と言われてしまうでしょう。

もちろんウルグアイが優勝経験国であり、クロアチアもベスト4経験国ですが、いま伝統国と言われるチームは、先にあげた国々でしょう。

ますます目が離せなくなりましたね。
さぁ、今夜というか明朝というか、いよいよ日本vsベルギー戦。

真夜中にもかかわらず日本中が応援だぁ。
さすがに、この時間帯「リアルタイム書き込み」は自信がありませ~~~ん。

では、また。
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これは呼びかけです。誰か「サッカー展覧会」を実現して欲しいのですが。

2018年07月01日 16時13分56秒 | サッカー選手応援
昨夜のアルゼンチンvsフランス戦の試合はTBSが放送しました。試合前の特番で、TBSさんはメッシの自宅を訪問して単独インタビューを行なうという企画を実現しました。

メッシ選手の自宅に向かう車中、それはタクシーの運転手さんなのでしょうか、それとも先方の関係者なのでしょうか、「メッシが自宅にテレビ局を呼ぶなんて初めてだよ!!」と驚嘆していました。

TBSのナレーションも「メッシ選手は、これまでTBS番組「筋肉番付」などで数多くの種目、例えば60メートル先の小さな丸い的の中にボールを蹴り込む種目とか、高さ20メートルのバーを超えてボールをリフティングさせる種目とか、まさにスーパープレーを披露してくれたつながりの中で実現したインタビューです」と説明していました。

そして、自宅に作られた「メッシミュージアム」には数々の栄光のトロフィーや記念の品々がぎっしりと並んでいて、それをメッシ選手が丁寧に説明してくれていました。

私は、それを見て目が輝きました。その品々の一部でいいから、日本の展覧会で展示したいのです。何もそれは「メッシ展」でなくともいいし、「メッシ展」でもいいかも知れません。

現在のスーパースター、そして、これまでのスーパースター、さらには各国のサッカーミュージアム、あるいはクラブのミュージアムから展示物を借りて、日本で展覧会を開きたいのです。

どういう発想かといいますと、私は美術展が好きで、絵画に限らず写真、建築など、いろいろな展覧会を見るのを楽しみにしています。

それが常設の美術館で開催される場合もありますし、百貨店など民間のギャラリーで開催される場合もあります。

それの「サッカー版」をやりたいのです。メッシ選手から「バロンドールトロフィー」を1個借りられるだけで、目玉展示になります。

それに欧州ゴールデンブーツ賞の、金のシューズが加わればサイコーです。

そういう展覧会企画を常時やれるようにするためには、展示物について交渉できるような相当のネットワーク、スポンサー獲得などをはじめとした資金面の交渉力、そして何よりも、日本で「サッカー展覧会」というスタイルの文化を定着させようという志が大切です。

私にあるのは、そのうちの「志」だけです。どうか、どこかの組織でも個人の篤志家でもいいです。あるいはベンチャー的にチャレンジ精神旺盛な皆さんの行動力でも構いません。

入り口は「メッシ展」でもいいかも知れませんが、それの単発の話ではなく、年に何回か、2~3回程度のペースで継続していく「サッカー展覧会」です。

展示会のようなものが、すでにあることは確かです。「日本サッカーミュージアム」でも企画展はありますし、キャノンフォトギャラリーなどで「サッカー写真展」などが行われることがあるのを知ってします。

でも「日本サッカーミュージアム」の企画展が全国何か所か巡回することはありません。キャノンフォトギャラリーの「サッカー写真展」も、キホン、写真展示だけです。やはり、ワクワク感のある展示が、東京だけでなく他の都市でも見られるようにすることが「サッカー展覧会」なのです。

「ワールドカップトロフィー巡回」というのもあります。あのおなじみのトロフィーが全国を巡回するイベントです。あれとコラボできないものかと感じることもあります。

私がこうして書きつづっている願い。何らかの形で叶うことを夢見ています。夢見るだけで終わってしまうか、夢が実現するのか、神のみぞ知る、かも知れません。

では、また。

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NHK日曜討論にワッキーさん呼ばれ、本人が一番ビックリ?

2018年07月01日 15時08分30秒 | サッカー選手応援
毎週日曜朝9時からの「日曜討論」と言えば、政治家のお歴々が居並び議論する番組という固定観念がありましたが、なんと今朝の「日曜討論」は、政治家が一人も出ないどころか、ワッキーさんが呼ばれ、本人も「何で呼ばれたのかビックリしています」と反応していました。

何でも今回のテーマは「W杯決勝トーナメント、日本のスポーツ何が求められる」ということです。

司会者の冒頭の説明を聞いてしましたら「サッカー日本代表は決勝トーナメント進出を果たして日本全体が盛り上がっています。来年はラグビーワールドカップが、そして再来年は東京オリンピックが開催されるということで、日本国内はもとより海外からも日本のスポーツが注目される時期がきます」というのが、背景だそうです。

それにしてもW杯の盛り上がりに、やや便乗気味ではないかと感じながらも、サッカー関係者として水沼貴史さん、森岡隆三さん、そしてワッキーさんが居並ぶ姿は、悪い気はしませんでした。

そして、ワッキーさんが言っていた「お歴々の皆さん」には、スポーツ庁長官の鈴木大地さん、陸上競技のメダリスト・為末大さん、横浜DeNAベイスターズ社長の池田さん。

ここでは、どういうことが論じられ、それがどういう意味を持つのかといったことには触れないでおきたいと思います。

この種の討論は過去にも何年かおきに行われており、私は20数年の中で類似の討論番組を時系列的に並べて討論内容の変遷といったことを分析したいと思っており、特にサッカーについて、論じられ方の変遷を浮き彫りにしたいと思っています。

今回の出席メンバーも時代の変化の表れなのかどうか、例えばスポーツジャーナリストの玉木正之さんや、日本サッカー協会あるいはJリーグ機構関係者あるいはJOC関係者など、スポーツ団体の重鎮がだいたい呼ばれると思っていたのが、違うメンバー構成でした。

ことほど左様に、日本代表の決勝トーナメント進出は影響力を持ったのだと関心しました。

4年に一度のワールドカップサッカー、日本代表が6大会連続で出続けてくれているおかげで、日本中が盛り上がり、テレビ、新聞等のメディアを通じて、それが日本中あるいは海外にまで伝えられています。

その4年に一度の状況を、時系列的に並べて、それを分析することによっても、日本国民のサッカー観がどのように変っているのか、日本における「サッカー文化」がどれほど深く根付いているのかを知ることができます。

何度も申しあげていることですが、その作業をすることが、私の終生のテーマでもあります。その作業内容を100年先まで引き継いでいきたいのです。

そのために、私は健康で、なるべく長い期間、作業を続けられるようにしなければと、気持ちを新たにしています。

最後に、お約束の話題。日曜討論が終わったあと10時からはフジテレビ「ワイドナショー」、今週、ワールドカップをどのように取り上げ、前園さんはどうイジられるのでしょう。

相変わらず東野氏や松ちゃんの関心事は「前園さんのテレビ出ずっぱりは半端ない」という点、確かに半端ないレベルまでに来ましたね。

でも前園さんがブレイクしている武器が一つわかりました。「スイーツ解説」という、うけるネタを武器にしていることです。次に対戦するベルギーをスイーツに例えると何ですかと問われて「ベルギーと言えばチョコレート、その一粒一粒が極上のものを集めたようなチームです」と、見事に表現して見せました。

それが出ずっぱりの要因ですね。やはり何かアピールするネタを掴んだのは大きいことです。
頑張って前園さん。22年前にテレビCMになった「前園さんの言うとおり~~~~」あれが復活すればサイコーです。

では、また。




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