「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

サッカーマガジンが月刊化、次はテレビのどれが縮小か?

2013年09月30日 13時14分13秒 | サッカー文化

サッカーマガジンが月刊化されるとのこと。買っておいた直近号の「次週予告」ページの中ほどに、あまり大きくない囲みで告知されていた。

明日次号が発売になるが、まだ見てないところがあったと気付いたので、めくって判った。さっそくネットで「サッカーマガジン 月刊」で検索したら、すでに多くの投稿があった。

当・サッカー文化フォーラムにとっても受ける影響は大きい。現在、定期出版物となっている紙メディアで欠かさず入手しているのは、サッカーマガジンとサッカー・アイだけである。ナンバー誌もサッカー特集のものは欠かさず入手しているので準定期といった感じだ。

1995年からは2012年までは、本屋さんに届けてもらっていたが、今年からは毎号自分で買いにいく。それでも毎週火曜だと思えば、身についていて苦労はない。かえってサッカー・アイのように隔月刊のほうが、時々忘れてしまう。

サッカー・アイについていえば、忘れた時手に入る書店を抑えているので、1995年以降欠番はない。

サッカーマガジンは、1991年頃から欠かさず入手してきたが、長い期間の中に訪れる資金難にさらされ、2010年は49冊欠けている。49冊というのは、ほとんど年間すべてに近い数字だ。もし2010年のサッカーマガジンを持っておられる方で、譲ってもいいと考えてくださる方がいましたら、ぜひご一報ください。よろしくお願いします。それから2011年も1月から3月までのうち4冊欠けている。

まぁ、当フォーラムでは、サッカーマガジンについて、このような事情がありますということ。

このブログの2つ前には「『サッカー批評』64号のメインテーマは・・・」というタイトルで、サッカーメディアが苦労している点について書いたが、webメディアにスマホやタブレットで手軽にアクセスできるようになった今日(こんにち)、紙媒体を買うという行動は、ますます減少していくだろう。

別のブロガーの方も指摘していたが、月刊化すると、速報性という点では、ほとんど「三日前の古新聞」と同じになってしまう。したがって、大会概要・試合概要をニュースとして伝えるのではなく「記録」として長年の保存に耐えられる内容を扱う必要があり、その部分は、これからもニーズがなくなることはない。

昨今、紙媒体も電子化して、すべてサーバーに取り込むことが一つの流れになっている。当方も当然そのように進めていくのだが、現時点で大量の紙媒体を効率的にスキャンして取り込むには、雑誌の背表紙を裁断してしまう必要がある。

なので、まだ当方はスキャンにとりかかっていない。やはり現物の価値は得難いものだ。雑誌そのものを手にとれる状況は絶対残すべきで、サッカーに関する特集企画展示会をやろうとしても、それを紹介している雑誌の現物を展示できないのであれば画竜点睛を欠く。

ところで、サッカーマガジンとくれば、双壁をなすサッカーダイジェストの月刊化は発表されていない。しばらく週刊を続けるのだろうか? そういえば紹介した「サッカー批評64号」のサッカー専門誌編集長座談会という企画に、ダイジェストの編集長が参加していなくて話題になっていた。それと何か関係あるのだろうか。

もう一つはテレビ番組の縮小もあるのだろうかという関心だ。現在、週1回の定期番組はTBS「スパサカ」とテレビ朝日「やべっちFC」そしてテレビ東京「FOOT×BRAIN」といったところだ。日テレとフジは、なぜか仲良く、それぞれシーズン中「欧州CL」を毎週流しているほか月1番組を一つづつ持っている。

ちょうど秋の番組改編時期、上記の週1の各番組は続くようだが、来年春の改編期、どれかが縮小、終了等の憂き目に合うのか注意しておきたい。

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ACL準決勝1Lg 柏レイソル大敗に見る日本サッカー界の硬直的体質

2013年09月29日 22時21分55秒 | FIFA、サッカー協会

タイトルをご覧いただいておわかりのとおり、アジアチャンピオンズリーグ準決勝1Lg 柏vs広州恒大戦、柏レイソルはホームにもかかわらず、相手にアウェーゴールを4本も許して負けた。

かわいそうとしか言いようのない敗戦である。ネルシーニョ監督は気丈に「すべて言い訳になってしまう」と断りつつ、「事実として韓国、中国、イランのチームは国内リーグを休んで準決勝を迎えている」と述べたという。

どう思います? ホント、はらわたが煮えくり返って、どうにも怒りが収まらないんです。

準決勝進出4チームのうち、国内リーグを調整してもらえなかったのは柏だけですよ。こんな国のサッカー協会、リーグ機構なんて存在価値ないじゃないですか!!!

これほどクラブに冷淡な国のプロリーグに将来なんてあるわけないじゃないですか。

サッカー協会やリーグ機構は、ぐだぐだと言い訳を並べるでしょう。そういう言い訳を並べるのが小役人程度の連中なら、軽蔑すればそれで済むが、責任あるリーダーレベルがそれを言っちゃおしまいだ。リーダーレベルが小役人と同じ言い訳をするのであれば、サッカー協会やリーグ機構は存在意義を失う。

要はリーダーの問題なのだ。リーグの日程は、ずいぶん前から、さまざまな関係先の調整の上に成り立っているわけで、いわばコンクリートされている。これを変えるのは通常、容易ではなく小役人程度の調整でどうにもなるものではない。

では、日本以外の3チームが、どうやって日程調整したのか、それは「ACLでの戦いは国内リーグに優先する」という、極めて当然の考えに沿って、リーダーが調整するように指示しただけの話だ。要はリーダーが普通にリーダーシップを発揮すればいいだけのことで、日本ではそれがなかったのだ。日本では「ACLでの戦いは国内リーグに優先する」という、極めて当然のことが現実にならなかったのだ。これではクラブは、何をめざして戦えばいいのかわからなくなる。前を向いて戦いたくても、後ろから弾が飛んでくるのだ。

こうした失態は、もっと白日のもとに晒される(さらされる)べきだが、どうだろうか。すでに数日経過しているが、どこからも問題にされる気配はない。サッカー協会もリーグ機構も、糾弾されるかどうか冷や冷やしていたかも知れないが、そろそろホッとしているだろう。テレビ各社や主要新聞が問題視しなければ、あとはたいしたことはない。そう思っているのだ。

つまり、自分の身の安泰だけを考えて、自分たちがどれだけの失態をしでかしたか、などという責任感はない。せめて専門誌に詫びの寄稿でもしてくれれば許せるのだが・・・。

こんな風に幾ら書いても、前回紹介したように「サッカー村の掟」で、当・サッカー文化フォーラムは無視されるだろう。無視で済めばいいが、へたをすると報復や恫喝が来るかも知れない。ただ、先方がそれをやってしまうと、こちらの土俵に乗ったことになり、かえって不利に働くので、連中は徹底的に無視、あるいはデマや誹謗中傷情報を流して、こちらの口を封じようとするかも知れない。

いわば「サッカー村」で生きていけないようにしてやる、みたいな。

それだって、結局、自分たちの卑怯さを白日に晒す(さらす)ことになる。いまどき、口封じなんかできる時代ではない。

今回の柏の敗退を招いた問題と、前回、「サッカー批評」の事例で取り上げた問題は同根、つまり、根っこは同じなのだ。要はサッカー協会やリーグ機構が、本当は誰のためにあるのか、という基本的な部分をないがしろにして、というか、自分たちに真の力がないのに、組織の中で権力闘争の末手に入れた立場や地位にしがみ着こうとする連中が、協会やリーグを動かしているから、肝心な時にリーダーシップが働かないのだ。

どうして、こんなことになったか。ここ、数か月、日本柔道連盟が世間の指弾を浴びたが、サッカー協会やリーグ機構は、柔道連盟の失態を横目にしながら「自分たちも気をつけろよ、どこに落とし穴があるかわからないから」と組織を引き締めているだろう。組織の引き締めというより、上層部にいる連中が自分の地位を防衛しようとしているだけだが・・・。

今回の、柏の問題によって明らかになったのは、サッカー協会やリーグ機構といった、社会的に大きな影響力を有する組織・機構を牽引するのに、どのリーダーがふさわしいのかといった観点から、虚心坦懐にリーダーを選んだのではなく、次は誰、その次は誰といった、タテのつながりの中で決めている派閥同士の、権謀術数に勝って得た人たちがリーダーということだ。

それでも、今回の柏のケースの場合に、的確に対処してくれるのであれば、どんな泥仕合の中から生まれた陣容でも、文句は言えないのだが、一たび、こういう失態を犯したら、もう彼らの存在意義はなくなる。今回は、そうでないことが露呈してしまったのだ。

組織・機構といったものは、小さな、あまり社会的な影響のないものであれば、派閥同士の権謀術数が、ある意味、当たり前の世界だから気にもとめないが、サッカー協会やリーグ機構は、もはや、そういう存在ではないのだ。会社でも大企業になればなるほど、理にかなった将来を託せる人材をリーダーに据えないと会社消滅という危機され招きかねない大事な問題だ。

派閥だとか権力闘争などといった力学で、力量のない人間がリーダーになることほど組織を不幸にすることない。今回の柏の敗戦は、それほど本質的な問題を露呈したのだということをはっきり指摘しておきたい。

おそらく当事者たちや、その取り巻きたちは「リーダー選びなんて、そんな生易しいものではありません。キチンと透明性を保って、正しい手続きを経て、誰からも納得を得られるリーダー陣が選ばれているのです。それを「派閥だとか権力闘争などといった力学で選ばれた」と言われなき誹謗中傷するあなたは、何か確固たる証拠でもあってそう言うのですか、証拠もないのに、いいかげんなことを書くのは大問題ですよ」と言うだろう。

そういうのを問題のすり替えという。とにかく、今回の柏のような悲劇を二度と繰り返さないで欲しい。現在のリーダー層では無理なら、繰り返さないようにできる人たちに代って欲しい。ごく自然な願望でしかない。現在のリーダー層が今回のことを柏をはじめ関係先に詫びて「二度とこういうことは繰り返さない」と約束してくれるなら、それでもいい。怒りの核心はそこにあるのだから。

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「サッカー批評」64号のメインテーマは「サッカーメディアを疑え」

2013年09月28日 20時51分42秒 | サッカー文化

久々に専門誌「サッカー批評」に目を通した。季刊発行だったものを隔月刊にしたとのこと。こんな値段だったっけと思っていたら、値上げもあったようだ。

いろいろ示唆に富んだ記事、企画が多いのだが、当・サッカー文化フォーラムの重要な役割の一つだと思うので、その中から幾つか紹介しながら感想を書いておきたい。

まず「世にも不思議なサッカー村の掟」というレポート記事。海江田哲朗さんというライターによる。ライター仲間やクラブ側の人、Jリーグ関係者の人、スポーツ紙のベテラン記者の人などへの取材で構成されている。

ここで言う「サッカー村」とは、小さなムラとしての各クラブフロント、そして、それらを束ねるJリーグ機構や事務局というムラ、さらには日本ではもっとも大きなムラを形成する日本サッカー協会(JFA)、それぞれにも見られる「掟」ということでもあろだろうし、全体に共通する「掟」といったものを抉り(あぶり)出したいということのようだ。

その中で、Jリーグ関係者の人が、長年「サッカー批評」の愛読者ということで「こっそり話を聞かせてもらった」というくだりがある。

つまりJリーグや日本サッカー協会は「サッカー批評」という雑誌を本音ではどう見ているのか聞きたいという趣旨だろう。

出てきた本音は、結構、由々しき問題を孕んで(はらんで)いる。彼は「JFAやJリーグの一部では、業界ゴロ的なと言ったら言い過ぎだけど、そういう色合いの雑誌と思われているフシがありますね」と答えた。

記事でも「と、穏やかではない言葉。」と結ばれている。

ここを実際にお読みになった方でも、あまり気に留めなかった読者も多かったかも知れないが、日本サッカー協会やJリーグ機構などが、いかに一部かも知れないとはいえ、こと「サッカー批評」の紙面づくりについて、そういう認識(すなわち「サッカー批評」という雑誌は業界ゴロ的な雑誌だという認識)があるとしたら、ほとんどメディアの役割について無知だと断定するしかない。

公的な、きわめて社会的な機関、組織がメディアの役割について無知だとすると、そういう機関、組織が個々の選手やクラブに対して「メディアへの対応の仕方」等々、偉そうに指示・指導しているのはブラックジョークとしか言いようがない。

ここで、さきほどの「穏やかではない言葉」の中身を解説しておきたい。

話の中に「業界ゴロ的なと言ったら言い過ぎだけど・・・」という表現があったが、これが無知の核心だ。ここでは雑誌業界、その中のスポーツ誌業界、もっと狭く言えばサッカー雑誌業界という業界のことを指すわけだが、よく経済雑誌業界の中に、実は業界ゴロと呼ばれる雑誌社があることから来ている。「ゴロ」というのは「ゴロツキ」いわば、ならず者、ワルといった連中を指す。読者の皆さんにもご存知の方は多いと思う。

したがって「業界ゴロ」呼ばわりされるのは、侮辱もはなはだしいことなのだ。

経済雑誌といえば聞こえはいいが、個別企業のスキャンダル、恥部と言われる部分を暴露する取材力を持った雑誌社がわずかながらあり、そのような雑誌社は、スキャンダルや恥部の暴露を極度に嫌がる個別企業の弱みに付け込み、片方ではその可能性をちらつかせながら、片方では提灯記事(ちょうちんきじ:つまり、よいしょ記事)を書いて、その企業から多額の企画記事料をせしめるのを得意としている。

提灯記事の企画は、結構、知名度の高い雑誌でも一般的に行われる手法だが、弱みをちらつかせる部分がなければ、企画記事料は、いわば市場相場で決まる。しかし、そこに弱みに付け込むパワーが働くと、その料金は法外なものとなり、そこがまさにゴロツキの真骨頂ということになる。別に雑誌社が料金を提示しなくとも、企業のほうが「喜んでお願いします」と法外な記事料を出すからである。この状態は、警察などから見れば、違法な利益供与として摘発の対象になりかねない。

今回の「サッカー批評」に対する「業界ゴロ的なと言ったら言い過ぎだけど・・・」という話は、日本サッカー協会やJリーグ機構などにとって「世間にスキャンダルや恥部が暴露されるのを極度に恐れている態度から出ていることが、よくわかるが、問題は、法外なカネが絡んでいる一部の経済雑誌社と同列に並べた「ゴロツキ的な雑誌」と捉えているフシがある点である。

これは、日本サッカー協会やJリーグ機構にとって、自殺行為につながりかねない認識だ。言いかえれば「天に唾する行為」、つまり「サッカー批評」に対して唾を吐きかけたつもりなのに、それが日本サッカー協会やJリーグ機構自身に戻ってくる行為だということを意味する。

もし「サッカー批評」という雑誌あるいは、それを発行している双葉社という雑誌社に、そういう業界ゴロ的な行為が実際に存在する、つまり法外なカネを目的とした暴露行為が存在するのであれば、私は前言の全てを取り消し日本サッカー協会やJリーグ機構に謝罪しなければならないが。

実は、さきの「穏やかではない言葉」が発せられた取材の席に「サッカー批評」の森編集長も同席しておられたという。森編集長は「気に入らない記事もあるでしょうが、いいことも書いているのに。そんな風に思われると、つらいですよ」と、泣きを入れた。ライターの海江田さんは、その「泣き」を「いい泣きを入れていた」と書いている。

でも「サッカー批評」あるいは「双葉社」が、業界ゴロ呼ばわりされていることについて、一点の曇りもないのであれば、社内で密かに反撃のプロジェクトを立ち上げてもいいぐらいの侮辱を受けているのである。「いい泣きを入れていた」などというレベルの反応で済む侮辱ではないのである。

もっとも、編集サイドと経営・営業サイトとは、必ずしも思いを一(いつ)にしていないのがメディア業界の悲しいところで、あとは経営としての「サッカー批評」あるいは「双葉社」の答えを待ちたい。

しかしながら、JFAやJリーグ機構側も、別に「サッカー批評」をいわゆるゴロツキ雑誌だとまで見ていないにしても、このレポートにもあったように、出禁(特定のメディアを出入り禁止にする)や取材拒否などの報復手段をお手軽に使っていることを考えれば、相当、気に入らない雑誌と思っていることが白日のもとに晒された(さらされた)わけで、JFAやJリーグ機構という公的機関への信頼は瓦解したと考えるべきであり、このことを軽々しく受け止めていると、大きな禍根を残すことだけは指摘しておく。

というわけで、この「世にも不思議なサッカー村の掟」というレポート記事、なかなか示唆に富んでいた。

もう一つ、紹介したいのが「サッカー星人」という連載企画、

最後に紹介するのが「出禁」問題。

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テレビドラマを数段凌ぐ東京五輪招致ストーリー。さぁ、次はW杯単独開催招致だ!!!

2013年09月09日 23時19分29秒 | 世界のサッカー

2020年東京五輪招致成功で、日本中で明るいムードが一層増すことは間違いない。年明けからの円安傾向、株高で少しムードが変わったのに続き、次のギアチェンジになりそうだ。

そして、決定からまだ2日だが、五輪招致のキメ手は何だったのか、決定に至るプロセスでチームジャパンはどのような活動をしたのか、分析がかまびすしい。

さきほど放送されたNHKの「クローズアップ現代」は、さっそくJOCの竹田会長にインタビューしながら、ここ1年のロビー活動を追っていた。

竹田会長自身がIOC委員であること、最終プレゼンメンバーに高円宮妃、安倍総理も加えたオールジャパン体制を整えたことなど、やはり万全を尽くしたと思える状況があったことが、よくわかる。

それでも、勝てるかどうか、他候補地の状況との相対的な関係が左右するので、必ずしも確信のもてる状況ではなかったと思うが、「クローズアップ現代」の中であるIOC委員がインタビューに答えていたように「我々はずいぶん前から投票先を決めていました」と、おそらくIOC委員の半数以上はロビー活動の段階で決めていて、残りの未定委員が最終プレゼンまで帰趨を留保していたということだろう。

それにしても、番組の作り方もうまいのだが、竹田会長の1年間の活動の舞台裏、そして最終プレゼンメンバーの心打つスピーチ、極めつけが、安倍総理の、選考委員たちを安心させるスピーチと答弁、すべてが見事なまでに練られた準備だった。

その結果、テレビドラマを数段凌ぐドラマチックなストーリーの、招致活動ドキュメントを見せてもらうことになった。

そして、すでに放送された幾つもの番組を見ながら思うのは「さぁ、次はW杯単独開催の招致」だ。

私は2002年のW杯など、日本サッカー界そして当時の日本全体のスポーツ外交下手を世界に知らしめた事例として、我々日本全体が決して忘れてはならない出来事だと思っている。

やらないより、やれただけ良かったと、当のサッカー界が言ってはいけないと思う。なぜなら決定直前まで「単独開催」を模索していたわけで、共催は、いわば苦渋の選択だったのだから。周囲や多くのサッカーファンが、サッカー界の「残念な結果」の労をねぎらう意味で「やらないより、やれただけよかった」という言い方をしているだけで、間違っても当事者たちが自賛的に言うことではない。

スポーツ外交の当事者だった人たちは、その反省を長年引き継いで、次のW杯招致の時には絶対同じ轍を踏まないと言い続けなければならないと思う。

東京だって4年前失敗した上での今回なのだ。4年前だから引き続き失敗を活かせる期間となったとも言えるが、サッカー界として大切なのは、今回のキーワードにもなったレガシー、それも2002年の教訓を、レガシーコストつまり「負の遺産」として引き継ぎ、次回に活かすことだ。

さぁ、どうだろう、日本サッカーはJFA2005年宣言で、2050年までにW杯優勝を目指すこととしている。その間のW杯招致は盛り込まれていないが、2020年東京五輪の前になるか後になるかはわからないが、必ずW杯招致の機運が生ずるに違いない。その機運が生まれた時、どの時期をめざすか、2002年招致のキッカケは1986年メキシコW杯前のFIFA総会におけるアベランジェの「21世紀最初のW杯はアジアもしくはアフリカで」の発言である。つまり16年前ということだ。仮に2020年に何かアドバルーンが上がるとすれば、早くても10年後、つまり2030年W杯がターゲットになる。

2014年がブラジル、2018年がロシア、2022年がカタールと決まっている。2026年はEU圏ということだろうか、そうなると2030年は北中米アメリカか? 日本はむしろ、その次の2034年が目標として自然だろう。

また、その前に2022年のカタール開催問題というのも燻っている。開催時期との兼ね合いで夏のカタール開催はあり得ないという場合、冬変更か他国での代替開催をFIFAは迫られる。開催能力の高さを今回評価された日本が、2020年五輪のあと2022年W杯の開催、ブラジルW杯とリオ五輪の流れを考えれば、おかしい話しではない。

シリア問題の長期化で中東情勢が流動化するなどということになったらなおさらだ。

しかし、おくゆかしい日本のことだ。今のままなら2022年カタールの代替などと、自分からは口が裂けてでも言わないだろう。しかも2022年大会の投票で日本は韓国より先に脱落している。日本が名乗り出ようものなら韓国が黙っているわけがない「投票で我々より下だった日本になぜ開催する権利があるのか」と。

しかし、2002年の禍根を払拭するとしたら、そこで黙っていてはダメだろう。今のままではダメなのだ。そういう事態を想定して布石を打っていかなければならない。さしあたり必要な戦略はFIFA内に役員を送り込むことだ。「いつやるか?」「今でしょう」はやりのフレーズになるが、それがピッタリの状況だ。10年後を見据えるなら今動き出さなければ、何事もなし得ない。

私は、この問題については遠慮せず物を言うつもりだ。JFAが、せっかく川淵会長が後任に犬飼基昭氏を会長に据え、真に実力のある人を会長にという流れを作ろうとしたのに、犬飼氏は一期わずか2年で会長職を退いた。私は、このことが今に禍根を残していると考えている。

当時、次期役員候補推薦委員会なる会合の信任投票で、犬飼会長に対する信任票が少なかったため退く結果となったわけだが、いわば批判の動きの中心となった人物を果敢にあぶりだそうとした意欲ある専門誌もあり、知る人ぞ知る「事件」である。

しかし、その後、今年5月のFIFA理事選挙に、日本から予定されていた人物が出馬を見送っている。これについて関係者が「サッカーは政治ではなく、サッカーのための(アジア支援活動など)活動を地道に続けることが重要」と次の選挙への地盤固めを意識した選択であることを強調したと報道されている。

FIFA内部に人材を置いていないことが、どれほど情報過疎になるか、2002年招致活動で、片や日本は人脈なし、片や韓国はチョン・モンジュが次期会長と目されるヨハンソサン副会長にガッチリ食い込んで共催に持ち込んだ、あの失敗を犯していながら、そういう説明をしてその場を取り繕う。出馬見送り自体が、すでに、それまでのロビー活動で負けていた結果そのものなのに・・・。

彼らが、いくら次への地固めだと取り繕っても、次期選挙でFIFA理事を勝ち取ることはないだろう。例え気持ちとか意欲はあっても、仲間内だけの組織でうまくやれるほど、もう世界相手の交渉は甘くはないのだ。それこそ今回の東京五輪招致ではっきりしたように、オールジャパンで取り組む戦略とか、海外との豊富な人脈をすでに持っている(たとえば犬飼さんのような)サッカー人もしくはサッカー界とつながりの深い人を取り込む戦略を持たなければダメな時代なのに・・・。

川淵さんは、そのことを熟知していたからこそ犬飼さんに後を託したのに、当時「改革が急進的すぎる」だとか「やり方が独善的すぎる」だとか、結局、ひきづり降ろすための難癖をつけただけの話で、何んとも嘆かわしい限りだ。

そんなことをしていては、またどこかの隣国に足元をすくわれて、日本中が悔しい思いをさせられる。なんとか立ち上がりませんか?

東京五輪招致の次は、さぁ、W杯の単独開催招致なんですから。50万人署名活動でも始めませんか? 何処に問題の病巣があるのかはっきりさせる署名活動でも・・・。

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グアテマラ戦を見て、冬に思いをはせる?3人を思う

2013年09月07日 21時23分57秒 | サッカー日本代表

昨夜は、日本代表のグアテマラ戦が行われ、久しぶりに相手をゼロに抑えた。試合の評価などは私ができる立場でないので、やめる。

ファンとしての私のみどころは二つ。一つは本田、香川、柿谷が充実感のある終わり方ができるかどうか、もう一つは、守備陣。

守備陣の、誰と誰の組み合わせがいいとか、個々の能力がどうとか、これはもう、残された期間で頑張って欲しいと願うしかないだろう。

そんな中、攻撃の3人は、それぞれに思うところを抱えながらのゲームだったろう。

本田は例の移籍問題、それにしても変なクラブに身をおくことになったなぁと思っていたら、サッカー界とはおよそ縁のなさそうな鈴木宗夫センセイ、そう、北海道は足寄町を生涯大切にしている新党大地・代表の解説を見つけた。

おととい5日の日刊スポーツ朝刊を見たら、中ほどのページに「本田ミラン、今夏移籍破談の真相」という企画記事が載っていた。この日は(中)となっていたので、上中下の3回企画だろう。

話は脱線するが、スポーツ紙、以前なら一面トップがサッカー関連でなくても終面で扱っていれば入手していたが、ここ最近は一面トップにサッカーが来ない限り入手しないことにした。5日の日刊スポーツトップは「メッシが五輪招致でマドリードを支持」、ちょっと寂しい感じのサッカー関連だが、関連は関連だ。この記事がなけれぱ鈴木宗男センセイの記事には出会わなかった。それが、上中下の3回企画のうちの(中)というわけだ。

宗男センセイによれば、ロシアという国では「こっちの足元をみた」と思われたら絶対交渉が成り立たないとのこと、つまりミランはCSKAにそう思われるようなことをしたのだ、ということらしい。

私は、それより何より、先駆者・本田が「ここの国のリーグに移籍などするもんじゃない」と、後に続く選手たち、そして代理人たちの骨の髄まで沁みわたる教訓を残してくれたことのほうを重視している。わかりやすい言い方をすれば「ロシア? だめだこりゃ」である。

先駆者・本田圭祐が、VVVフェンロからCSKAに移籍する際、本人そして代理人がロシアのこのような交渉スタンスをどれぐらい知識として掴んだか、それが3年半後、これほど人生の足かせになることを予測できたか、これは検証に値する事案だと思う。

世界のトップチームでプレーする機会は、ごく短いしチャンスも限られている。本田圭祐は、いまキャリアのピークと言える時期にいる。その彼が、明らかな「飼い殺し」状態だ。チームの選択、代理人の選択がどれほど選手生活を左右するか、本田の事例は、サッカー界の内部事情に素人の私でも感じる教訓だ。

グアテマラ戦の彼を見ていて思うのは、エースとしてのプレーぶりがどうこうではなく、この件が影を落としているのかいないのかという1点に尽きた。

次に香川真司、彼はいま挫折期に入っている。セレッソのJ2時代にクルピの薫陶を受けて開眼して以来、上昇の一途を辿った彼のキャリアは、モイーズによってブレーキをかけられた。これもまた人生、さもありなんである。

私は、この夏の移籍市場でさっさとスペインに移籍すればよかったと思う。もし、そう動いてもマンUは引き留めなかったと思う。むろん、ファーガソンに仁義を切るというプロセスは必要だろうが、それでもファーガソンは香川の気持ちを大事にしてくれたと思う。

しかし、彼は日本人だ。彼にはそんなことはできない、考えもつかない。しかし、現実は冷酷だ。とにかく向こう半年、彼は冷や飯を食わなければならないだろう。これはトップチームの宿命だ。マンUがこの先、よほどつまずいて、モイーズが、ありとあらゆることを試さなければならない場面が来て、その時チャンスを得た香川が目の覚めるような活躍をする、そういうシナリオでも来ない限り、マンUでの香川に先はない。

したがって、彼も本田と同じ、冬の移籍市場に活路を見出すほかない状況にある。

グアテマラ戦の本田と香川、本田はすっかり自分の置かれた立場を熟知して、いわば達観しているのに対し、香川はまだ自分の立場を受け入れられないでいる。

グアテマラ戦後にセルジオ越後氏が、サッカーキングの取材に対し「(前段略)それから、香川の状態がよくないね。あれではマンチェスター・Uでベンチ外に置かれるのも納得だよ。相変わらずチームの戦術ともマッチしていないのも気になる。あるいはこれが彼の真の実力なのかもしれない。煽り報道による過度な期待とプレッシャーが、彼を潰してしまうんじゃないかと心配しているよ」とコメントをしている。

私は、因果関係が逆なのではないかと思っている。グワテマラ戦での香川がよくなかった理由は、しばらく実戦から遠ざかったからではないかと。彼はサブで力を発揮するタイプではない。試合に出続けて、自然に体が動く感覚を保ち続けてこそゴール前での、あの流れるようなプレーができる選手だ。

セルジオ氏が指摘した「煽り報道による過度な期待とプレッシャー」は、彼がドルトムントで見せた素晴らしいプレー、そして世界中の選手がそのクラブの一員になれることをめざして努力している最高峰のクラブ、マン・Uに誘われた流れを見れば、その間の報道ぶりが、煽りでも過度でも、なんでもなく、日本中の祝福と期待の表れとして当然の程度だと思う。

彼がプレッシャーに感じるところがあるとすれば、それは現在の彼の胸のうちに理解を示さず、ただ「プレーがダメなんだから、彼は期待に値する選手ではないのだ」と烙印を押されてしまい、代表などでの居場所を少しづつ失う可能性に対してではないかと思う。

このコメントを見返すには、香川が自分の居場所を早く見つけて、ドルトムント時代のような縦横無尽のプレーを取り戻すしかない。

最後は柿谷曜一朗、やはり伸び盛りの選手の未来を思うことほど楽しいことはない。得点こそなかったが、柿谷はすっかりザックジャパンの中に居場所を得たようだ。彼と本田が入った後半、攻撃が活性化して3得点という結果に結びついたことは誰の目にも明らかなのだから。この試合についてセルジオ越後氏が柿谷のことをコメントした記事は目にしていないが、さきの東アジア選手権、大会MVPは山口蛍選手だったが、セルジオ氏が「個人的には柿谷がMVP・・・」と言ったとか。

柿谷が今後、輝きを失った時「煽り報道による過度な期待とプレッシャーが、彼を潰してしまうんじゃないかと心配しているよ」などとコメントしないことを祈るばかりだ。もっとも柿谷自身は、ティーンエイジャーの頃「天才」ともてはやされたものの、その後、挫折の時期を送って、少しタフになっている。心のコントロールが、ある程度できるところまで成長しているように見える。

その彼もこの冬の移籍市場を賑わすに違いない。

そう、つまり期せずして、この3人は、この冬の移籍市場で話題になり、その後のパフォーマンスが来年のワールドカップの日本代表を大きく左右するという、重要な3人だ。

来週、今度はガーナ戦があるという。そして秋の欧州遠征、試合数は少ないが、この3人と守備陣、興味が尽きない秋になりそうだ。

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