「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「サッカーマガジン」誌ではなく「ZONE」誌登場に思う。

2013年11月25日 17時31分26秒 | サッカー文化

週刊サッカーマガジンが月刊化になり、最初の号が書店に並んだ。といっても宮本恒靖さんが表紙の「ZONE」誌がそれだと気づくまで、少し時間がかかった。

もうお読みになった方と同じ感想だと思うが、週刊サッカーマガジンとはまったく別物になった。サッカー専門誌ということで、いかに月刊化したとはいえ、日本代表やJリーグのレビューやスタッツ、リザルトといった関係の部分を多少は扱うだろうけれど、どのように扱うのかなぁと思っていたら、それらを見事なほど切り捨てた。

しかも、日本国内のチームや人を扱った部分もそう多くはなく「世界の一流フットボールマネジメント」というメイン企画に代表されるように、海外チームや人に焦点をあてたページが多かった。

表紙の宮本恒靖さんが特別編集長ということで、これから、この月刊誌作りに携わるようだ。

バックナンバーとしてはサッカーマガジン誌の通しナンバーである1484号にしてあるが、2014年1月号ということと相まって、基本的には、もう、あのサッカーマガジン誌ではなく、新刊「ZONE」誌登場と気持ちを切り替えたほうがいいようだ。

そこで対策を講じなければならないのが、当サッカー文化フォーラムのアーカイブスの継続性である。やはり試合レビューやリザルト、スタッツといった記録部分をキチンと残していかないと、あとあと困ることになる。

こうなると、週刊専門誌の最後の砦、サッカーダイジェストさんの価値がにわかに高まる。もはや11月7日付けのこの欄で書いたような「文化的な味付けをもう少し・・・」などというわがままは放棄します、レビューやリザルト、スタッツといった部分に特化した形でも構いませんので、よろしくお願いします、という感覚だ。

その「文化的・・・」という点について「ZONE」誌で宮本恒靖特別編集長が、「巻頭のことば」で所感を述べている。

「私がサッカー雑誌で、やりたいこと」と題する文で、宮本特別編集長は「サッカーはこの国でより大きなものになれる。私はそれを信じてやまない。」と特別編集長就任オファーを受けた動機を語った上で、日本のサッカーの発展が目を見張るものがあり、世界のサッカーを取り巻く環境も刻々と変化してきている中で、一貫して変わらないもの、「それはサッカーが文化としてあり続けていること、その重みである。」

そして、サッカー文化の質の高さをまざまざと感じた経験として、2005年コンフェデレーションカップ。ドイツ・ケルンで行われたブラジル戦のピッチで味わったスタジアムと、そこに集う人々の熱狂が醸し出す雰囲気への憧れをあげた。

そして、「この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く思った」という。

Jリーグ創設の最大の功労者といっていい川淵三郎初代チェアマンは、いまをさること40年前、場所も同じドイツで味わったサッカー環境の素晴らしさ、そこに集う人々が享受しているスポーツ環境の素晴らしさへの憧れ、そして、この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く願った。その思いがJリーグ創設、そしてtoto収益金によるスポーツ環境の整備に結実した。

宮本さんは、ドイツをはじめ世界のサッカーが、川淵さんが憧れを感じた時代から更に進化していて、いわば文化としての質を高めていることに憧れを覚え「この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く思った」のだ。

宮本さんは「そのためにはどうするべきか。」と続け、

日本サッカーのレベル向上はいわずもがな、誰でもがプレーできる施設の充実、子供たちへの教育指導などが挙げられるとしながら、加えて大切なこととして、「サッカーを取り巻く人々、環境、ビジネスが互いに影響しあいながら、より高みに向かって洗練されていくことだ。それがこの国の真のサッカー文化の形成につながるのではないか。」と提言している。

サッカー先進国、いやサッカー文化先進国で受けた「カルチャーショック」それは、人が大きなプロジェクトに向かって挑戦しようとする大きなモチベーションになる。宮本さんなら、かつての川淵さんのように、次世代の日本サッカーを大きく転換させるプロジェクトを打ち出し、多くの人々をその旗印のもとに糾合して、大きな仕事を成し遂げていくのではないかと予感させる所感だ。

何よりも、当サッカー文化フォーラムが抱いている夢を、よりリアルに語ってくれていることがうれしい。

宮本さんがおっしゃった、「サッカーを取り巻く人々、環境、ビジネスが互いに影響しあいながら、より高みに向かって洗練されていくことだ。それがこの国の真のサッカー文化の形成につながるのではないか。」という言葉。

私は、これほど簡潔明瞭に、サッカー文化を熟成進化させていく道筋を示した言葉はないと思う。

「サッカーを取り巻く人々」というのは、当フォーラムでも時々書き連ねているように、協会・リーグ・選手・スタッフ・チームフロント・代理人など直接的にサッカー界を動かしている人々だけでなく、サポーター、放送関係などのメディア、ジャーナリスト・カメラマンなど多くの関係者を含めた「取り巻く人々」であろう。

「環境」とはスタジアム環境、それを運営している組織機構、あるいは各チームの練習環境、青少年のプレー環境(単に練習環境のみならず学校とクラブの関係性なども含めての環境)ということであろうし、総合スポーツクラブに向けた取り組みなども含まれると思う。

「ビジネス」とは、放映権ビジネスであったり、選手の移籍市場ビジネス、大規模イベント招致に絡むビジネス、さらにはスポンサーシップであったり、スポーツ用品メーカーのビジネス、マーケティング会社の企画提案ビジネスであったり、飲食からグッズ類まで、ありとあらゆる関連ビジネスということであろう。

それらが互いに、よりよい方向を目指して影響しあうこと、それなくしては、より高みに向かって洗練されていかないことも確かだ。したがって、いかに多くの組織・団体・人々の糾合が必要かということだと思う。

私は思う。すでに日本国内においても、日本代表戦をはじめ、Jリーグチームにおいても、例えば浦和、鹿島、新潟、C大阪など、幾つかのチームの試合においては、宮本さんが2005年、ドイツでのコンフェデレーションカップで味わったようなスタジアムと、そこに集う人々の熱狂が醸し出す雰囲気に近いものが生まれつつあるのではないかと。

つまり1993年のJリーグスタート直後の熱狂とはまた別の、熟成された素晴らしい雰囲気が、幾つかはすでに醸し出されていると思っている。

スタジアムの規模こそ小さいが、仙台や柏、清水などの雰囲気も感動を誘うものがある。

一方で、プロ野球のスタジアムが次々とドーム化されたり、エンターテイメント性も高まり、いわば野球文化が着々と熟成の度を増しているように感じていることも事実だ。

日本には「野球文化」という大きな先行文化があり、なかなかサッカーが伍していくのは難しいのではないか、欧州・南米のようには、なかなかならないのではないかという人も多いかも知れない。

アメリカに四大プロスポーツがあると言われているように、社会が進化して文化の熟成が進めば、日本においてサッカーが野球と並ぶ存在になっても何ら不思議ではないのだ。私が「サッカー文化の殿堂」のようなものをめざしたいと考えているのは、それが少なからず、日本のサッカー文化の現在地を示す道標にできると確信しているからだ。

宮本さんは、日本のサッカー文化を高めていく牽引車になってくれる人だ。何よりワールドワイドの視座でサッカーというものを捉えている。つまり世界の最先端というものを念頭において日本サッカーの、日本のサッカー文化のありようを考えていくだろう。

今回の「ZONE」誌特別編集長就任は、その第一歩と受け止めたい。

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試合中の監督インタビューで絶対してはいけない質問

2013年11月18日 11時38分19秒 | テレビ番組

いつの頃からか、Jリーグや天皇杯などの試合で、ハーフタイムに監督を呼びとめて放送局のアナウンサーや解説者などがインタビューすることが普通となった。

わずか20秒とか30秒とは言え、監督は試合に向けた集中力を途切らされる。それでも各監督ともいやな顔をしないで応じている。

いまの時代はテレビ局の意向を無視できない時代ということで常態化してしまったことの一つだろう。そういうことは、たいていの場合「視聴者がそれを望んでいる」という理由のもとでなされることが普通だ。

私自身は、視聴者が本当に、監督が集中力を途切らせてまでインタビューに応じ、ナマの声を聞かせてくれと望んでいるかどうか、少し疑問視している。

監督の本音が「できれば集中力を途切らさないでロッカールームで選手に指示を出したいので、インタビューは遠慮願いたい、ハーフタイム時の指示などについては、広報を通じてできるだけ正確にお伝えするので、それで了解して欲しい」というところにあるとすれば、視聴者がそれでもなおインタビューに応じて欲しいと希望するだろうか。

テレビ局は、こういう場面が取れれは、より面白いはずだ、という自分たちの価値判断だけで監督をインタビューに引きづり出しているのではないかと思うが、もっと謙虚になって、放送のあり方を議論してほしい。

百歩譲って、インタビューが監督にとっても希望の場なのだとしても、聞いていい質問と絶対聞いてはいけない質問がおのずとあるのではないか。

土台、サッカーの試合に限らず、いつも、いろいろなテレビのインタビューの場面で思うのは、テレビの側が「絶対してはいけない質問がある」と考えてインタビューしているのだろうかという素朴な疑問である。

言いかえれば「絶対してはいけない質問などない、質問に答えるかどうかは相手次第だ。その対応時の表情も含めて、面白い絵がとれれば、それでいいのだ」とでも思っているのではないだろうか。

それはテレビメディアの自殺行為だと思う。そういうメディアを人々は必要としなくなるだろう。やはり、すべからく則(のり)というものがあり社会の公器と言われるテレビメディアには、自ら律して則(のり)を踏み外さないようにしなければならない。

先日、サッカーの試合放送の中で、この「絶対してはいけない質問」がインタビューアナウンサーの口から発せられた。

彼はこう聞いた。「試合前は、相手のウィークポイントを突いていきたいと話しておられましたが、相手のウィークポイントはどこですか、どこを突いていきますか」

私は思わずあいた口が塞がらなくなった。監督は答えるのだろうか。

ちょっと間があった後、監督は「それは答えられないですけど・・・」とやんわり拒否して、それでも、できるだけ丁寧にコメントしていた。

それにしても、いま試合中だというのに、監督も大変だ、対外的に言ってはならないことを言わないように、自分で頭を切り替えなければならないのである。こういう質問が飛んでくるから危なくてしょうがない世界なのだ。この試合中のヒリヒリした状態の中で、そういう頭の切り替えまで強いられる。それはテレビが試合の足を引っ張っていることと同じだ。

それにしても、このように絶対してはいけない質問が平気でアナウンサーの口から出てくるというのは、いったいどういうガバナンスになっているのか。

この質問がなぜ「絶対にしてはいけない質問」なのか。いままさに試合が続いているさなかである。勝つか負けるかの試合をしているのだ。その中に、第三者がずかずかと入り込んできて、相手の急所はどこなのか、見ているみんなに教えてくれと言っている。

このように、答えられる訳がないことを無理やり聞く、それは絶対してはいけないことなのだが、天下の公共放送のアナウンサーの口から、いとも簡単にこういう質問が出てくる。まさか、このアナウンサーまかせになっていたわけでもあるまい。局自体に、そういう自律的な抑制精神が失われているということだろう。

局には猛省してもらいたい。テレビ放送はサッカー文化の重要な一翼を担っている。ハーフタイムという限られた時間の中で、いかに気のきいたインタビューができるか、局も知恵の絞りどころだ。何人かでインタビュー項目をキチンと吟味する丁寧さを失わないでもらいたい。

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今朝のスポーツ紙、サッカー担当記者の歓声が聞こえてきそうです。

2013年11月17日 21時10分05秒 | サッカー文化

昨夜、日本代表が海外遠征でオランダ代表と対戦、0-2から追いついての2-2で引き分けた。

さて、今朝のスポーツ紙、日刊スポーツ、スポーツ報知、サンケイスポーツの3紙が1面に持ってきた。残るスポニチは競馬だ。

1面をサッカーが飾ったのは、ちょうど1ケ月前、10月16日付けだ。その時は世界ランク80位のベラルーシにさえ勝てなかったという内容でトップだった。

今回は、世界の強豪オランダ相手に引き分けてのトップ扱いだ。各紙のサッカー担当記者が久々に歓声をあげながら記事を仕上げたのではないかと、紙面をみながら思った。

いま、サッカー関係では、代表モノ以外、トップに持ってこれるネタはないようだ。Jリーグものではどうしようもないし、ひところの本田、そして香川もなかなかトップを賑わす状況ではない。つまり各紙ではそういう評価なのだ。

サッカー担当記者は、ご時勢とはいえ悲哀を味わっているに違いない。そうした中でのオランダ戦だ。これがもし惨敗なら仮にトップに持ってきてもらっても肩身が狭かったかも知れない。

まぁ、選手たちも私たちも「この試合であれば勝たなければならなかった」と皆思っているが、兎にも角にも「強豪相手に引き分け」だ。

もう一つ、すんなりトップの理由がある。それは本田が得点したことだ。やはり、なんだかんだ言っても、いま日本サッカーでの王様は本田だ。本田をトップの活字にできれば、おさまりがいい。まぁ、いま、それに肉薄するのは香川ぐらいであり、大迫勇也がいくら価値あるゴールを決めてもトップの大見出しは「本田弾」なのだ。

日刊スポーツは、貢献度の高い大迫に少し配慮して、トップの見出しに大迫の写真を小さくはめこみ「ボクは3面!!」と、吹き出しを入れてくれたが、3紙とも申し合わせたように「本田弾」なのは、彼が王様であることの何よりの証しだ。

本田を活字にした記事が書ければ、サッカー担当記者も立て板に水のように文章が書ける。そんなものだろう。

紙面から担当記者の歓声が聞こえてきそうな今朝のスポーツ紙朝刊トップだった。

それにしても大迫のゴールはスーパーだった。ネットで彼のコメントも紹介されていたが、2点先行されて彼も何んとかしようと集中していて、チャンスがくれば打つ気満々だったようだ。

彼は、その気にさえなれば、これほどスーパーなゴールを決める力があることを証明したし、東アジア選手権での活躍から、さらに一段ステップアップしたこのオランダ戦でのゴールは、彼に計り知れない自信を与えたと思う。あとは、今回のように「リードされてしまったので気持ちを集中させていた」という部分を、1試合に1回か2回しかこないチャンスを絶対に逃さないという具合に持っていければ、海外からオファーが来る選手になれると思う。

彼のように、五輪代表から漏れたりしながら、少しづつ確実に大きな舞台で結果を出せるようになっているのは、むしろ着実に成長している証しで素晴らしい。もともと高校選手権の得点記録を大きく塗り替えるほど、ボールを枠の中に蹴る技量には抜群のものがあった選手だ。

これまで、長らく日本代表の課題だった決定力不足を解消してくれる救世主となる可能性さえ秘めている。ここで、何かをつかんでくれれば、つまり、さきほど述べたように「1試合に1回か2回しかこないチャンスを絶対に逃さない」という冷静な集中力をつかんでくれれば、来年のブラジルW杯が楽しみになる。

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「サッカー文化フォーラム」のwebサイト、少しページを増やしました。

2013年11月17日 20時36分26秒 | サッカー文化

このブログの右側のタブにリンク先ホームページということで「ようこそサッカーの世界へ」のwebサイトにアクセスできますが、最近、4ページ増やしました。

そのうち2ページは、「ようこそサッカーの世界へ」というサイトが、どういうサイトなのか、全体像を知っていただくためのページです。

まず「サイトマップ」、トップページはもちろん、どのページに進んでいただいても、必ず一番右上に「サイトマップ」というボタンをつけてあります。いま見ているページが、全体の中で、どのようなカテゴリーのページなのか、おわかりいただけるようにしました。

「サイトマップ」のページに入っていただくと、大項目があって、それぞれに、また項目が枝分かれになっています。そして、大部分が「制作中」あるいは「未制作」の表示になっています。

全体が仕上がれば、webサイトでは他に類を見ない「サッカー文化の殿堂」になることを目指しています。

つぎに「サイト概要」のページ、これもトップページだけでなく、各ページの一番下に、小さな文字で「利用規約」「プライバシーポリシー」などと並んでいる中に「サイト概要」というリンクに飛べる項目を用意しています。

ここに「このサイトの目的」を書いておきましたので、ぜひご一読願います。

さらに「サイト制作の特徴」ということで、いわばウィキペディア方式のように、このサイトをご覧いただいた多くの皆さんのお知恵をお借りして、より幅広く深みのある情報サイトにしていきたいという希望も書いてあります。

ぜひ、参加していただきますよう、ご連絡をお待ちしております。

あとの2ページは、コンテンツです。

一つは「サッカー文化フォーラム」の中心的情報である「伝説の・・・・」シリーズのうち「伝説となったあの選手」の部分の最初のページを作りました。開いてみてください。

「世界のスーパースター」として、マラドーナ、オランダトリオ+クーマン、ゲルマン魂と称賛されたマテウス、ブレーメ。クリンスマン、イタリア・バッジョ、バレージ、マルディーニ、カンナバーロ、ブラジルのロマーリオ、ロナウド、カカ、ロナウジーニョ、フランス・ジダンなどを紹介していくことにしています。いずれ、メッシ、クリスティアーノ・ロナウドもこの殿堂に集うことになります。

ここでは、ベッカムやライアン・ギグズなども扱う必要があるでしょう。ベッカムはプレーヤーとしては同じ時代のジダンやロナウドに比べてスーパーな点に欠けると思いますが「サッカー文化」 への貢献という点では世界有数です。

ライアン・ギグスもそうです。彼は国別代表としてワールドカップに出場する機会には恵まれませんでしたが、もはやマンチェスター・Uの「生ける伝説」です。「サッカー文化フォーラム」が選ぶ「伝説の選手たち」は、そういう人たちを見落とさないところに特色があります。

そして、「Jリーグに参戦した外国選手」「日本サッカーを進化させた名選手」「世界を戦った女子サッカー選手」「世界の、日本の名指導者たち」「世界の、日本の名レフェリーたち」という具合に、男子だけではなく女子も、選手だけではなく監督、レフェリーも取り上げるのが「サッカー文化フォーラム」だということを知っていただきたく、このページを作成しました。

4ページ目の最後にご紹介するのはトップページを飾る4枚の背景写真のすぐ下、「サッカーシーンを彩るテレビ、雑誌、音楽、サポーター」というコーナーです。

この部分は、このサイトが焦点をあてている1986年頃から、テレビ、雑誌、スペーツ紙などでサッカーの扱い方がどのように変化してきたのか、テレビに登場したスポーツアナ、サッカー解説者、テレビタレントあるいはサッカー関係番組でのアシスタント陣の変遷に至るまで、ひもとくコーナーです。また、音楽とサッカーの結びつきも強いものがあります。まさにサッカーが文化だと思えるのも音楽との関係性があるからだと思います。

そして、サポーター、世界のサポーターから日本代表、そしてJリーグ各チームのサポーター、それにまつわるさまざまな出来事、それぞれのホームスタジアムとの関係も含めてひもといていきたいと思います。

サイトのページでは、それぞれ、もう少し詳しくご紹介していますので、ぜひアクセスしてみてください。

なお、以前にwebサイトについてご紹介した時、サイトの目玉として「サッカー情報アーカイブス」と名付けたデータベースにアクセスできるようにしました、と書きました。

確かにデータベースにアクセスはできるのですが、一番望んでいた映像へのアクセスができませんでした。データベースの、例えば各試合毎の情報カードに映像ファイルも乗せていますので、当方のLANの中では他のパソコンからも自由に映像までアクセスできます。しかし、一旦webサイトに乗せてしまうと映像ファイルまではアクセスできないことが判明しました。

そこでデータベースへのアクセス自体を一旦中止しました。これについては別途、何らかの方法でカバーしていく予定です。ご了承ください。

以上、「サッカー文化フォーラム」のwebサイト増ページに関するお知らせでした。

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サッカーダイジェストさん、もう少し文化的な味付けを濃くしてください。

2013年11月07日 12時35分14秒 | サッカー文化

週刊サッカーマガジンが月刊化となって最初の週だ。店頭には週刊サッカーダイジェストさんだけが(週刊ものとして)並んでいた。

サッカーマガジンが月刊化を誌上で告知した週から、ダイジェストも並行して入手していたが、今回、あらためてページを繰っていくと、幾つか気づいたことがある。

まず、サッカーダイジェストにはモノクロページがなかった。カラーページとモノクロページでは、以前ならコストの差でモノクロが安いといわれた時代もあったように思うが、現在は、どうなのか?

見るほうからすれば、写真などはカラーがいいに決まっているので、カラーに越したことはないが、サッカーマガジンでは、あの記事はモノクロページのどのへんという目印的な意味で、貴重だったかも知れない。

誌面づくりの特徴というか、我が「サッカー文化フォーラム」の視点で、誌面づくりを診断してみると、少しサッカーマガジンとの違いを感じる。

サッカー専門誌のキモは、やはり日本代表やJリーグあるいは海外で活躍する選手たちの、試合レポート、チーム状況や選手の動向に関する取材レポート、そして、いま読者が最も関心を持っているだろうトピックに関する企画記事、さらにはゲームリザルト、スタッツなどの記録、等々ということになる。

それは、マガジンさんもダイジェストさんも中心であることには変わりないので「サッカー文化フォーラム」では、それ以外の企画に焦点をあて、「連載コラム」の本数と「読者コミュニケーション的企画記事」のページ数について、2誌の違いを調べてみた。

10月中の同じ週の両誌を比較してみると「連載コラム」のうち、選手の連載コラムが、それぞれ2本づつで同じ、違うのはジャーナリストやその他の人たちのコラムの本数だ。

マガジンさんは、1ぺージ以上のスペースでコラムを執筆している人が13人、1ページを2人で分けて執筆している人が2人、合計15人、ダイジェストさんは1ぺージ以上が8人、1ページを2人で分けて執筆している人が4人、合計12人である。

マガジンさんには編集長コラムも含まれているので、必ずしも同じ集計方法とは言えないかもしれないが、やはりダイジェストさんはコラムの数が少ない感が否めない。

つぎに「読者コミュニケーション的企画」、これはどういうものを選んだかというと、まんが、読者投稿ページ、テレビ放送インフォメーションなどの部分である。

ダイジェストさんは「読者参加型ページ」というタイトルで1ページだけだったが、マガジンさんは、まんが、読者投稿ページ、テレビ放送インフォメーションページがそれぞれあって計3ページ。

このように、当「サッカー文化フォーラム」が、サッカー文化の香りが漂うページと考えている部分について、少しダイジェストさんは色が薄いなと感じた次第だ。

この要因の一つに、私は両誌の総ページ数の違いがあるとみている。マガジンさんが全104ページ仕立てなのに対し、ダイジェストさんは96ページ仕立てである。つまり、これは、サッカー専門誌本来の記事量では、両誌ほぼ同量だが、ダイジェストさんは総ページが少ない分、コラムと読者コミュニケーション的記事までページを配分できていないという感じだ。

では、しかたないか?

いや、そう簡単にあきらめたくはない。週刊で1誌となったダイジェストさんには、サッカー文化の担い手としての役割を、より一層追求していただきたい。

そういう意味でコラムや読者コミュニケーション的記事など、文化的な味付けをもう少し濃くしていただきたいと思う。総ページ数を増やしたりできないとすれば、おそらく、3ページ分入れ替えられれば、ずいぶん違ってくると思う。

お願いします。週刊サッカーダイジェストさん、企画の配分を少しだけでも見直していただきますようご検討をよろしくお願いします。

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今年は野球の年でしたね。

2013年11月04日 15時57分50秒 | サッカー日本代表

昨夜、プロ野球日本シリーズで、東北楽天が巨人を破り日本一を決めた。

震災復興に立ち向かう東北の「底力」を日本全国が後押しするような構図、星野監督が成し遂げていなかった日本一を、悲願だった巨人を倒して達成できるかが懸ったシリーズ、シーズンを無敗で投げ抜いた、マー君、神の子、不思議な子、田中将大投手がチームを日本一に導けるかどうかの関心、これほどドラマ性に満ちたお膳立てというのは、スポーツ全体を見渡しても、そうあるものではない。

しかも相手は、球界の盟主と言われ、今年も圧倒的な戦力の力を見せつけてセ・リーグを制覇した巨人だ。戦前の下馬評では、どうしても田中将大一人の楽天に対し、総合力で一枚も二枚も勝る巨人有利、致し方のない下馬評である。

最終の7試合までもつれ込んだシリーズ、ドラマは、これ以上ない展開で最終章を迎え、そのドラマの完結役に星野監督は迷わずマー君をもってくる。

前日160球投げたピッチャーをまた投げさせる云々の是非もかまびすしい。けれども、まさに織田信長が本能寺の変の際につぶやいたとされる「是非もない」心境での投入であることはよくわかる。

マー君はマー君で、自分が先発した前夜の試合で決め切れなかった自分のふがいなさを胸にしまい込み、二度と同じ轍は踏むまいという強い気持ちだけでマウンドに駆け上がっただろうし、そのとおり投げ切った。

楽天の勝因、巨人の敗因、いろいろと、その道の専門家が指摘してくれるに違いない。

こうして、野球シーズンが終わるのを見て、つくづく思うのは「今年は野球の年だったねぇ」ということだ。まさに嘆慨。

野球に関しては、記録づくめの、何十年に一度の年だったと言っても過言ではない。

海の向こうでは、イチローの日米通算4000本安打、上原浩治がワールドシリーズで最後の打者を打ち取ってのチャンピオン、日本では王さんの記録を塗り替えるバレンティン選手の60本塁打、マー君の昨年からの連勝記録を伸ばしたまま24勝無敗でレギュラーシーズン終了、そして楽天・星野監督の日本一である。

これほどの記録とビッグニュースが続けば、スポーツにあまり関心がなくとも脳裏にはインプットされる。

我が「サッカー文化フォーラム」としては、当然のことながら「サッカー界には、話題も何もなかったっけ?」という気持ちになる。

いやいや、そうではない。

サッカーにも、それなりにビッグな話題があった。我が日本代表のブラジルW杯アジア予選突破、天才・柿谷曜一朗の覚醒、カズ選手の最年長ゴール記録更新etc.

でも、いかにも印象が薄い。W杯出場権は獲得したものの、コンフェデ杯でも、その後のテストマッチでも不安にさせる内容ばかり。海外クラブの選手たちもマンチェスター・Uで出場機会を激減させている香川真司、なかなかビッグクラブ移籍が実現しない本田圭祐など、むしろフラストレーションが溜まるような話題ばかりだ。

昨年、楽天と本拠地を同じくするベガルタ仙台は、あと一歩のところで優勝を逃した。今年こそはという期待もあったと思うが、もはや優勝は望めない。そうした中での楽天優勝だ。ここにも流れをつかみ損ねたサッカー界の姿を見る。

マー君が先発で負けた土曜日にはナビスコカップ決勝があった。優勝した柏に対する敬意にはいささかも陰りはないのだが、相手の良さを消すことで勝利に徹した柏の戦いぶりより、攻めて攻めきる浦和のサッカーに期待したことは確かだ。

しかし、ここ3年間必ず何かのタイトルを取り続けている柏の実績には誰も文句が言えないし、いくら攻撃的な面白いサッカーを見せてくれる浦和でも、ここ一番で勝てないシルバーコレクター的なチームになっては浦和とサッカーを愛する人たちの共感もいまいちになってしまう。

いまの浦和には、楽しい攻撃的なサッカーをして、なおかつタイトルを取りきるために足りないものが、まだまだ多すぎる。以前、10月10日のこの欄で「宿命のライバル、マドリッドVSバルセロナ」について書いた時に、Jリーグにおいて、永遠のライバルと呼ばれる関係を待望すると書き、一つは鹿島だが、もう一つにどこが台頭するかと書いた。

そのチームの条件として、カリスマの存在と、その選手がもたらしたメンタリティー「・・・イズム」の存在をあげた。実は浦和にはギド・ブッフバルトというカリスマレジェンドがいる。そして彼がもたらしたファイティングスピリットは、かけがえのない「ギドイズム」といえる。

実は今の浦和にはそれが足りない。「絶対にゴールは割らせない」というギドイズムはいつの間にか失われてしまった。これはチームフロントの問題なのだ。チームフロントが歴史を貫く一本の哲学を持って、それを継承する思想がないと、いいものもすぐ失われる。鹿島とその他のチームの違いはその1点にあると言っても過言ではない。浦和が鹿島に比肩するライバルとなろうとするなら、いますぐ、ミシャ(浦和ベドロヴィッチ監督)のサッカーを継続しつつ、ブッフバルトのスピリットを加わえる方策をとるべきだろう。

まぁ、日本代表への思いや浦和への期待をいろいろ書いたが、サッカー界、いつもいつも「我が世の春」とはいかない。浦和にはリーグタイトルの可能性があるが、正直、難しいのではないかと思っている。

来年のブラジルW杯での日本代表の戦いにも、あまり期待できなくなっているが、年を越せばわからない。潮目が変わるということがある。

どうか来年は良い年でありますよう。来年は「今年はサッカーの年ですね」と言えるようになりますよう。気の早い年越し宣言です。

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