「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

HDD化作業、500本達成です。一つの区切りです。

2013年01月14日 20時05分02秒 | インポート

ビデオ映像のHDD化作業は、本日2013年1月14日、500本を達成しました。国内であれば日本代表、Jリーグ、海外ものであればワールドカップ、イタリアリーグ、そしてスポーツ系の番組、バラエティ系の番組、さまざまなジャンルで、そのタイトル数は1000を超えていると思います。

タイトル単位の情報は、データベースソフト「ファイルメーカー」に積み上げているのですがHDD化作業と並行しているものの、なかなかはかどりません。

なぜなら、いまHDDに取りこんでいるビデオテープは、カビの発生がひどく、1本1本手作業でビデオカセットを分解、テープをアルコール液で洗浄してから再生しているため、その作業にずいぶん時間をとられているからです。

はやくカビのないところまで進みたいのですが、いま取りこみ作業の中心になっているのが1993年から1994年頃のテープで、カビの発生はそれ以降のものにも多数あるため、当分、除去作業が続くと思います。

500本まで来れば、次の目標は1000本です。HDDに取りこんだ500本のテープは順次廃棄していますから、テープを保管していたダンボール箱が幾らか減ったかと言えば、まだ目に見えて減った感じはありません。1000本まで廃棄が進んだ時の部屋の具合を楽しみにして続けるしかありません。

昨年6月14日がスタート日でしたから、今日で丸7ケ月です。丸1年まであと5ケ月、最近は無理なく続けるため、1日3本を目標にしています。1ケ月で90本ですから、5ケ月で450本、まぁ、6月末ぐらいには1000本が見えてくるでしょう。

はじめる前は5年ぐらいかかると思っていましたが、1000本のところでダンボールの減り具合を見てあとどれぐらいか、また予測したいと思います。

我が「サッカー文化フォーラム」も、これぐらいの映像がHDDに収納されれば、公開も含めて、さまざまな活用方法が具体化できる段階になるかも知れません。

そろそろ具体化プランを練り込みたいと思っています。皆さんからもご希望をいろいろお寄せいただくとありがたいと思っています。

さて、毎度恒例ですが、これまでの取りこみ作業で出会った映像のことを2つ。

一つは、93-94シーズンのイタリアリーグ。WOWOWの放送もすっかりおなじみになり、番組でもいろいろな企画を出してきます。その一つが「富樫洋一のカルチョの国からこんにちわ」

富樫洋一さんは、2006年2月、アフリカネーションズカップの取材先のエジプトで急死された方です。54歳の時だそうです。もう7年経ちますね。

いまでこそサッカージャーナリストというジャンルが、サッカーを愛する青年たちの憧れの職業といってもいいが、なにせ1990年代前半、特にフリーで十分な収入が得られる状態ではない時代に、フリーランスの草分けの一人だった方です。

同じジャーナリスト仲間の田村修一さんが、富樫さんの追悼文をNumber webに寄稿しており、その中で「サッカーの認知度が増し、メディアがそれにつれて大きくなっても、富樫さんはサポーター的な立ち位置を保ち続けた。取材者・ジャーナリストとしての活動よりも、サッカーを見ることの楽しみ、サッカーを愛することの幸せを、彼はメディアを通して表現していたように思う。」と述べています。

田村さんは「そうした浮世離れしたある種の純粋さが、誰からも愛された理由なのだろう。」という表現で富樫さんを惜しんでいましたが、私は、富樫さんのような立ち位置で活動する方がもっと増えて欲しいと願っている一人です。

そういう意味で、我が「サッカー文化フォーラム」がいずれ立ち上げるであろう「サッカー文化の殿堂」に富樫さんは「故人の部」ではあるが必ず入る方だと考えています。

亡くなられる頃は体重が90~100㎏ぐらいに太ったようでしたが、93~94年シーズンの頃は、まだまだシャープな感じのサッカー大好き少年がそのまま大人になった雰囲気でした。

もう一つの話題は、Jリーグ放送の解説陣について。

前にも申しあげましたが、1993年から始まったJリーグ。最初の2年間はCS放送「スポーツ・アイ」が全試合放送をやってくれましたから、映像ビデオのほとんどは「スポーツ・アイ」のものです。

HDD化していて気付いたのは、たとえばNHKとかTBSなどのアナウンサーが実況しているものを、そのまま「スポーツ・アイ」で流しているケースもあったということです。どういう場合そのまま流し、どういう場合スポーツ・アイの実況アナが担当するのか、区別がよくわかりませんが。

ただ、圧倒的にスポーツ・アイの実況アナウンサーの試合が多く、2シーズンの中でおそらく最も多く実況を担当したのは(実数確認していないが)渡辺謙太郎さんだと思います。

渡辺謙太郎さんという方は、スポーツアナの大御所的な方で、オリンピックの重要な場面の実況やプロ野球の実況を長く経験された方です。スポーツ・アイでJリーグを実況された頃は、すでに60歳を超えておられたようですが、とかく「ど忘れ」しがちな固有名詞でもスラスラと流れるように口に出てくる名調子です。

スポーツ・アイの実況担当は、この渡辺さん、土居壮さん、坂信一郎さん、八塚浩さんといったところでしょうか。94年シーズンになると倉敷保雄さんとかが登場してきます。

実況アナウンサーは比較的少ない布陣で対応していたような感じですが、解説陣は多彩です。さきに紹介した富樫洋一さんも何試合か担当していたのをはじめ、藤田一郎さん、両角秀夫さん、小森秀二さん、福井哲さん、林義規さん、アデマール・マリーニョさん、瀧井敏郎さん、渡辺公義さん、向笠直さん、コンスタンチン・テオさん、宇野勝さん、瀬田龍彦さん、福井謙太郎さん、川添孝一さん。

まだまだいらっしゃると思いますが、別の機会にキチンとリストアップしたいと思います。

放送の中で肩書きも紹介されるわけですが、大学や社会人チームの指導者の方が目立っていました。

この頃は、まだ直前までサッカー選手だった人がすぐ解説陣に回ることが少なく、奥寺康彦さんが希少例と言えた時代で、どの局からも依頼されていたようで、奥寺さんの人柄も手伝っていたのではないでしょうか。

1990~1991年シーズンで現役引退した金田喜稔さんが若くして堂々と解説しているのを珍しく思ったものですが、20年たった今は、地上波、スカパーとも現役引退したJリーグの選手たちが、各局の解説陣に名を連ねるのが主流になってきて、プロ野球と似た構図になってきました。

私がいつも思うのは、選手たちの世界も毎年100人単位でプロ選手になると同時に、同じ数だけ戦力外となってプロの世界を離れるわけですが、解説陣の世界も毎年少しずつ新陳代謝しています。

契約を切られた解説者さんが、次にどのような道に進むのかを、いずれは「サッカー文化フォーラム」の企画として追跡してみたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エル・ゴラ誌スタッフのツィート事件と2~3のテレビ番組に思う

2013年01月07日 19時35分27秒 | スポーツ

サッカー専門新聞「エル・ゴラッソ」のデザイナーをしている人がツイッターで「もうヨーロッパに日本人選手はいらないし、不快だ」などと発信していた件について、エル・ゴラ紙がどういう対応をとるのか関心を持っていた。

この発言、どこにでもある辛辣なサッカーフリークの発言だが、エル・ゴラ紙のデザイナーという看板を背負ってしまうと、当然問題にされる。

当の本人は、そのことをまだ理解できないレベルだったのだろうか? あるいは看板を背負っていても、あまり気にしないタイプだったのだろうか?  はたまた、よく、仕事に忙殺されたり失敗して怒られたりすると、ムシャクシャして会社を貶めるような行動に走る人がいるが、そのケースだったのだろうか? いずれ、そのあたりの情報も漏れてくるだろう。

で、私が関心をもっていたエル・ゴラ紙の対応だが、サッカーファンの皆様、及び関係者の皆様に対して極めて不適切なものであったことを深くお詫びいたしますとした上で、本人には厳しく注意し、今後ツイッターなどWeb上での発言は自粛するという。

まぁ、これはマイナーメディアの対応なので、エル・ゴラ紙は自ら「まだマイナーレベルです」と発信しているのと同じだ。

エル・ゴラ紙は、新聞タイプの唯一のサッカー専門誌なので、当サッカー文化フォーラムでも、とびとびにバックナンバーを保存している。この新聞はコアなファンに支えられているタイプの媒体だと思うので、別に営業的には大きな影響を受けないのではないか。

今回の対応も、そのような「影響の大小」を勘案して決められたように思える。

このように人も会社も「事件・事故が起きた時」、そのレベルが対外的にばれてしまうもので、はからずもエル・ゴラ紙がそうなってしまった。

ところで、そのツイッターで「不快だ」とこき下ろされたうちの一人、インテルの長友選手のことを、6日のフジテレビ21時からの「Mr.サンデー拡大版」が取り上げていた。

「ニッポンの底力スペシャル」というサブタイトルで、日本の素晴らしさ、日本人の素晴らしさを見直して、もっと自信をもってやっていこうよ、というメッセージの番組だろうと思う。

長友選手は、彼の地イタリアで「お辞儀を広めたジョカトーレ」であり、いまホームタウン・ミラノでは「日本といえばお辞儀」というほどのブームになっていると紹介している。

なんでも、以前「お辞儀」は、日本人を侮蔑的に表現する時の動作だったようだが、長友によって「お辞儀とは相手に感謝し敬意を払う日本人の心、特に武士道の心からきている素晴らしい動作なのだ」と理解されるようになったというのだ。

テレビでは「お辞儀とは、武士が、あなたに敵意はありませんよという意思を示すために、敵ならば切り落とされかねない『頭』を差し出すように下げるところからきている」という説明までついていた。

この番組をみていて思ったことがある。

1995年~1996年頃、来日したアーセン・ベンゲルやドゥンガなどが次々と単行本を出した。その前から日本でブレーしていたジーコも同様に単行本で語っている。

それらを読んで、世界のサッカー関係者は、単にサッカー論を語るのではなく「サッカーというものが、その国のもつ文化、精神を色濃く反映するものなので、異なる国でサッカーの仕事に就く場合には、その国の文化、国民性・精神といったことを理解することが不可欠だ」と口を揃えることに強い印象を受けた。

その後、私がサッカーのことを話したり書いたりする際には、これらの教えが常に念頭にある。

そして時は流れ、いま長友選手の話だ。日本のトップクラスの選手たちが徐々に海外での経験を積み、はじめは自然に自分を出すことに慣れていなかったところからスタートしたが、今は、彼のように自然に自分を出すことができるようなところまで来た。

日本人の持っている特質は、海外からも敬意を持って受け入れられるものなのだ。チームに対するあくなき貢献、それでいて決して奢らないふるまい、それがチームメイトからますます信頼を深め、いい形で進化していく。

「日本人は、なぜ、もっと日本の持つ素晴らしい文化、日本人が持つ素晴らしい特性に自信をもって、積極的に発信し行動していこうとしないのか、不思議で仕方がない。自分たちに自信をもってサッカーにも取り組みさえすれば、必ず日本サッカーにも素晴らしい未来が待っている」

かつて、そう予言していたベンゲルやドゥンガ、ジーコたち。まさしく、そのとおりになった。

そして、いま「ニッポンの底力」を表す一例としてジャパンフットボウラーが、テレビを見ている多くの日本人に紹介されている。誇らしい限りだ。

「もうヨーロッパに日本人選手はいらないし、不快だ」などと発信していたツイッター氏にはなかなか理解してもらえないかも知れないが、せめてエル・ゴラ社内で「サッカーというものが、その国のもつ文化、精神を色濃く反映するものなのだ」ということについて、どう思うか議論してもらえればと願う。

ところで、この一つ前のブログで、ビデオテープ映像のHDD取り込みで1982~1983シーズンのブンデスリーガ、奥寺康彦選手が活躍したベルダーブレーメンの試合のことを紹介したが、実は奥寺康彦選手も、当時ドイツで、日本人のメンタリティを持った素晴らしい選手と評価されていた。

献身的なチームへの貢献、奢らない謙虚な人間性などサッカー選手としての能力の高さだけでなく、日本人の素晴らしさへの称賛につながる評価だった。すでに30年前にして、そういう日本人選手を私たちは財産として持っていることを付け加えたい。

そのような切り口で紹介してくれるのかどうか不明だが、NHK-BSで「欧州サッカーの日本人先駆者・奥寺康彦選手の挑戦」という番組を11日(金)23時から放送してくれるという。

いまはサッカーの試合解説に登場することも少なくなった奥寺さんなので、現役当時のことをあまりご存じない方はぜひ見て欲しい。奥寺さんの活躍が日本人への敬意、日本文化への理解の深まりにも貢献したというあたりについても、誇張する必要はないが多少なりともわかる内容だといい。放送後、紹介できればと思う。

最後に正月のサッカー特番の話題を一つ。

BS民放5局共同制作の番組「STEP FORWARD~前進、その先 へ~: 世界の頂点へ~サッカー日本代表の軌跡~」という放送があった。

その名のとおり、BS民放の各社が、自分たちの番組編成で都合のいい日に再放送するので、いまだに同じ番組がBSの番組表に時々出てくる。

6日(日)は、BS-TBSで16時からの放送だったので「ながらテレビ」した。番組は2時間たっぷりのドキュメンタリータッチで、日本代表の節目となった試合・出来事などを、キーマンとなった選手へのインタビューを交えて見せてくれる。

番組は、1992年ハンス・オフト監督を迎えた日本代表が、アジアカップ広島大会で優勝、翌年の「ドーハの悲劇」へと続く時期から始まる。語り部は、闘将・柱谷哲二氏、ゴン中山こと中山雅史氏だ。あとに登場する宮本恒靖氏、遠藤保仁選手、長谷部誠選手も「あの時、わたしは・・・・」という形でインタビューに答える。遠藤保仁選手は全体を通してまんべんなくインタビューを受けていたように感じた。

そして1997年ジョホールバルの歓喜へと続き、1998年W杯初出場・フランスでの闘いへ。このへんの語り部はゴン中山氏、

次いで、トルシエ就任から2002年日韓W杯へ。さらにジーコ就任、2004年アジアカップ重慶大会、ドイツ大会での敗北へ。こりあたりの語り部は宮本恒靖氏、

さらにはオシム就任、オシム病魔後の岡田監督、2010年南アフリカW杯でのグループリーグ突破、遠藤保仁選手と長谷部誠選手へのインタビューが続く。

そして最終章、「日本代表の課題は?」と問われ、柱谷哲二氏は明快に「個です、個の力で得点力をあげること」と答えた。

柱谷哲二氏が「ワクワクするような選手」と評した香川真司選手、そしてサッカージャーナリストの多くが、日本人ナンバーワン選手と評価している本田圭祐選手、さらにはインテルで3年間の契約延長を果たした長友選手。

南アフリカ大会で足りなかった「個の力で得点力をあげる」課題が克服できそうな選手たちだ。

この番組のことを紹介したのは、日本代表の軌跡を辿る時に、歴史のどの部分を切り取るかに注目しているからだ。

この番組の場合、日本代表の出発点は1992年だ。わたしもそれが自然だと思う。これから先は、出発点は1992年もしくは1993年がスタート地点として定着していくと思う。

なぜ、そんなことを書いたかというと、どこから物語を始めるかということを結構議論すると思うからだ。ちょっと前の時代であれば、1985年のメキシコW杯アジア予選での木村和司選手の伝説のフリーキックあたりからスタートしていた。

このタイプの番組は、だいたい新年特番で、ここ10年以上、何回か、どの局かは別にして放送されている。私は、それらを並べてみたいと思っている。

テレビ局の切り口の違いもあるだろうし、時間の経過とともに埋没していった出来事もあると思う。またキーマンとして登場した選手の変化も見たい。いろいろな楽しみがある作業だ。

いずれ、その時は、このブログでも紹介したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末年始もHDD化ざんまいでした。

2013年01月06日 20時09分46秒 | スポーツ

あけましておめでとうございます。今年もサッカー文化がにぎわうよう、いろいろと話題提供していきたいと思います。皆さんからの反応もお待ちしています。

年末年始は、高校サッカーに天皇杯決勝、そして今日は大学選手権決勝と、切れることなく楽しんでいますが、一方で手持ち映像ビデオのHDD取り込み作業も進めました。

12月中旬に400本通過とお知らせして、まだ、それほど経っていませんので500本にはなっていませんが、成人の日あたりまでには500本通過といきたいところです。

その中で珍しい映像のことを幾つかご報告したいと思います。

1982~1983シーズンのブンデスリーガ最終節、ベルダーブレーメンvsボーフムという試合がテレビ東京で放送され、その映像を取り込みました。

どうです。30年前の映像ですよ。まだまだきれいな映像ですので、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。テレビ東京さんにはオリジナルが残っているのでしょうけど、我々のようなところが取り扱わなければ、もう日の目を見ることはないでしょう。

番組ホストはおなじみ金子勝彦さん、この日は、そのベルダーブレーメンでのシーズンを終えてオフの帰国となった奥寺さんもゲストにきていました。三菱ダイヤモンドサッカーの枠ではなく、1時間16分の映像ですので前後のCMを入れて1時間20分の枠だったのでしょう。

このシーズン、フレーメンは得失点差で惜しくも優勝を逃し2位だったそうですが、奥寺さんは全試合出場できたので、とても充実したいいシーズンだったと話していました。

つぎの話題は、1994年のJリーグ放送でのCMについてです。ご存知のように1993年と1994年の2シーズン、いまのスカパーになる前、CS放送はスポーツ・アイというチャンネル名でJリーグの全試合放送という快挙を成し遂げてくれたのです。

私が現在、膨大なサッカー情報を蓄積できたのは、この2シーズン全試合放送があったからこそといって過言でありません。

私の取り組みの最初の目標が、この2シーズン全試合放送をすべて収録することでしたから。

その全試合放送分の映像のHDD取り込みも、93年分はおおかた終わりました。放送では、前期のサントリーシリーズ、後期のニコスシリーズごとに全試合を通して同じCMを見ました。

どの試合にも同じCMが流れてきますので、いやでも目につきます。後期には結婚情報のOMMGのCMが流れましたが、正装した若い男女がタンゴを踊る内容です。

94年の前期に流れたのがコカ・コーラのCMなのですが、私はこの内容は禁じ手だと思っています。ラモス、武田、北澤といった面々のプレーシーンを絡めて「ゴーゴーヴェルディ、コカ・コーラ」とやる内容です。Jリーグのすべての試合を放送する前に、いやでもこのCMを見せつけられるわけです。

当代随一の人気チーム、ヴェルディのことですから、いろいろなCMにお呼びがかかった時期です。それはそれでいいのですが、この番組にそれを使うことは、やはり禁じ手を使ったと思わざるを得ません。別に規制があるわけでありませんから、いい悪いの問題ではないですが、だからと言って何をやってもいいというものではない、という意味で禁じ手を使ったと思うのです。

私は、このブログで何度も名門ヴェルディの凋落について触れてきました。そのこころは「驕れるものは久しからず、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす」です。

このCMそのものはヴェルディの驕りでもなんでもありません。そういう意味では不幸な使われ方をしたというのが妥当かも知れませんし、それらも含めて驕りのイメージが増幅したかもしれないなと感じたCMでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする