「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「WEリーグ」についてのシンポジウムにリモート参加しました。

2021年08月24日 20時24分56秒 | サッカー・ユース年代、女子
昨日「WEリーグを語ろう!」というシンポジウムがリモート形式で開かれ参加しました。
NPO法人「サロン2002」の主催で行われました。
この「サロン2002」については、当ブログでも何度かご紹介したことがありますが、しばらくご無沙汰していた中で、今回はJFA100周年記念事業:日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」を語ろう!という、触れ込みでしたので、参加しました。

「WEリーグ」の初代チェア岡島さんが出席され、じかに理念やリーグの内容をご説明いただいたので、そのことだけでも大変有意義でした。
出席者からチャット等でいろいろ質問・意見が出されましたので、いろいろな考え方を知ることができたのも有意義でした。

ここでは2つの視点から私の思いを書きたいと思います。
一つは「理念・ビジョン・ステートメント・設立の意義」という「WEリーグ」ホームページに掲げられているメッセージを、岡島チェアがかみ砕いて説明してくださったことが有意義でした。

説明をうかがって印象的だったのは、理念の中核となっている考え方が「ジェンダーの公平性」であり、特に「エンパワーメント」(日本語に直せば「権限を与えること」「自信を与えること」「力を付けてやること」など複数の意味があるようです)の部分を「WEリーグ」はアピールしたいというお話でした。

ここだけ聞くと、かなりラディカルな、プロスポーツの理念になじむのか懐疑的でしたが、岡島チェアが「パートナー(すなわちスポンサー)企業は、「WEリーグ」がどういう理念を掲げているかを見て賛同してくれており、私たちはパートナー企業とともに「WEリーグ」をやっていくことになった」と話したのを聞き、いわば得心した気持ちになりました。

何よりもプロスポーツの世界は、パートナー企業からの長期的なサポートがなければ成り立ちませんし、パートナー企業は、そのプロスポーツの何に価値を見出してサポートするかといえば、普遍的な理念に共感できるかどうかが判断基準になります。

その意味で、私が「ラディカルな」と感じているのは、いわばジェンダー後進国がゆえであり「これから先の時代」を見据えだ場合には、相当先をみた理念構築が必要で、10年後、20年後に「WEリーグスタート時に掲げた理念に少し時代が追い付いてきたね」と言われるようになることでしょう。

もう一つの視点は「WEリーグ」のプロモーションについてです。これは参加者からの質問・意見にもあったことなのですが、ついついJリーグとの比較でモノを考えてしまうわけで、あのJリーグスタート時点での大変な盛り上がりは、社会現象になったほどでしたから「それに比べて」ということになりますが、私は、あまり心配していません。

岡島チェアもおっしゃっていたように「要は中身、要はこれから」ということだと思います。
1年半も続いているコロナ禍によって、かなりプロモーション活動は影響を受けたと思いますが、それでも始まれば、かなり注目されるようになると思います。

これまで「なでしこリーグ」で戦っていた選手たち、強豪チームや中心選手たちは、かなり高い意識でプレーしていたと思いますが、これからはアマチュアではない、プロ選手です。かなりプレー面でも変わるでしょうし、もう一つは外国人選手の加入です。
Jリーグがジーコを筆頭に、世界的な選手の加入によって質的な魅力を増したように「WEリーグ」にレベルの高い外国人選手が加入することによって、日本人選手のプレーの質が向上し、ひいては「なでしこジャパン」を強化することにつながる。これはJリーグとまったく同じ効果を得ることになると思います。

私は、いま海外に出ている「なでしこジャパン」代表選手も「WEリーグ」に戻ってきてくれることを期待しています。そうやって海外に出たり「WEリーグ」に戻ってきたりという姿になればいいと思います。

9月12日(日)の記念すべき初日は、INAC神戸、日テレベレーザが、それぞれホームに埼玉の2チーム(大宮、浦和)を迎えて開幕試合を行なうそうです。ベレーザの試合会場・西が丘に行ってみたいところですが、入場人数制限がかかっているそうですから、おそらくチケットがとれないでしょう。テレビ放映してくれそうなので、自室の特等席で観ることにします。

プロ契約をした選手たち、身震いするような一日になることでしょう。

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望月三起也さんは2016年に逝去されていましたが、オフィシャルサイトは健在です。

2021年08月21日 14時15分13秒 | アート・文化
いま、2001年頃のサッカー番組系ビデオ画像をHDDに変換作業中です。音声の確認だけしたあとは、ほとんど無音にして変換していますから、画像だけチラチラと見ることがあります。

昨日、2001.9放送のBS朝日「サッカー2002」という番組画像をチラチラ見ていたら、座談会形式で何人かトークしている中に漫画家の望月三起也さんが出演していました。

望月さんの漫画そのものは、画風だけ見ればわかる程度で、作品そのものはほとんど知らないのですが、Jリーグ夜明け前の時代からサッカー大好きの方のようで、サッカーマガジンだったかサッカーダイジェストだったかにも連載されていたことがあると思います。

したがって、サッカー文化全体を見ている当ブログにとっては大変な功労者だと感じていますが、今回たまたま画像を拝見したことから、いまどうしていらっしゃるのかネット検索してみましたら、2016年に77歳で逝去されたとのことです。

お元気なあいだに何らかの形で顕彰させていただきたかったところですが、いずれ「サッカー文化フォーラム」として「サッカー文化の殿堂」を立ち上げた暁には、ぜひ顕彰させていただきたいと思います。

望月さん自身は逝去されましたが、ネットには「月刊望月三起也」というサイトが健在のようです。メタ情報を読むと『月刊望月三起也』はファンがつくるファンのための望月三起也オフィシャルサイトです。とのことです。
漫画家・望月三起也氏はコアなファンを持っていらっしゃったようです。

こういう人生を送りたいものです。生きていた証しを引き継いで後世に伝えてくれる人たちを得て、実際にwebサイトの形で残してくださっている。webサイトを拝見すると、複数の方が協力してサイトを運営しているようで、そこも大切な要素だと思います。

「サッカー文化フォーラム」も、膨大なサッカー情報をデジタル化して後世に伝えることを目指して作業を続けています。
いまはまだ、途中経過のためwebサイトへの公開に至っていませんが、一旦消滅してしまった「サッカーの世界へようこそ」サイトを復活させ、そこにどんどん公開して多くの皆さんに楽しんでもらいます。

いまwebサイトの復活をお願いするIT専門家の方を探しているところです。
またご報告します。

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五輪イベント自体が商業主義に毒されすぎてしまった悲劇

2021年08月14日 19時23分14秒 | FIFA、サッカー協会
前回の聞き込みの冒頭「東京五輪2020」は終わりましたが、いろいろな意見はまだ続いています。私は一点の曇りもなく「開催してよかった」と思っていますし、堂々と申し上げたいと思います。」と書きました。

そして「そもそも、オリンピックというイベントは、単にアスリートのためのものだけではなく、地球上に住む私たちすべての人々に何らかのポジティブな影響を与えずにはおかないイベントです。」とも書きました。

そのオリンピックというイベントが、その趣旨にそぐわない形で歪められる危険があるのが、かつてのベルリン五輪に代表される政治利用、権力のプロパガンダの道具になってしまうことですが、もう一つ危険なことが、商業主義に歪められることです。

8月12日の産経新聞に「TOKYO2020+1 次代への教訓」という短期連載が掲載されていますが、この日のテーマは「解けない『商業主義』の矛盾」です。

書き出しで「6日午前11時に開始予定だった東京五輪のサッカー女子決勝は、前夜になって午後9時半キックオフに変更された。・・・・」とあります。
そもそも、真夏の午前11時キックオフ自体が狂気の沙汰の設定てしたから、当然と言えば当然の変更なのですが、元はといえば、IOCがアメリカNBCテレビと2032年までに日本円に換算して約8400億円という巨額の放映権契約を結んでいるため、NBCとしては高視聴率が見込めるアメリカ大陸のゴールデンタイムに放送できるよう、試合のキックオフ時間が設定されるという、選手の試合環境などまったくお構いなしの決め方なのです。

さらに言えば東京五輪の7~8月開催自体も、57年前の前回大会が10月10日開会式だったことと比較しても「どうして?」ということになるわけですが、これもNBCが「7~8月は世界的なスポーツイベントとかぶる心配がなく高視聴率が見込めるから」ということからきています。IOCがアスリートファーストでオリンピックを開催するという期待は、とっくの昔に捨て去られた幻想で、IOCはスポーツ貴族といわれる幹部たちが手にできる巨額マネーという商業主義に完全に毒されている組織だということです。

記事は書いています。「IOCの収入の9割は各国・地域の五輪委員会や各競技連盟などに配分され、それによって特にマイナースポーツは助けられている」とのことです。確かにスポーツ振興に資金は欠かせませんが、ただ膨張させればいいというものではないように思います。

こんなやり場のない矛盾を解決する手立てはないのでしょうか?
同じことはFIFAにも言えますので、どうしても書いておきたいと感じました。
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吉田麻也選手、五輪代表の精神的支柱を証明した2枚の写真

2021年08月10日 18時28分15秒 | サッカー選手応援
「東京五輪2020」は終わりましたが、いろいろな意見はまだ続いています。私は一点の曇りもなく「開催してよかった」と思っていますし、堂々と申し上げたいと思います。

そもそも、オリンピックというイベントは、単にアスリートのためのものだけではなく、地球上に住む私たちすべての人々に何らかのポジティブな影響を与えずにはおかないイベントです。(ただし政治利用目的の、かつてのベルリン五輪、そして来年予定の北京冬季五輪は別扱いですが)

したがって、開催地に選ばれれば「中止」「返上」などの選択肢はあり得ないわけで、コロナ禍といっても、すでにサッカー欧州選手権そして南米選手権は開催されているわけで、それよりずっと感染リスクを低く抑えている日本(東京)が開催しないという選択肢はない、というのが私の明快な意見です。

そろそろ、この議論は終息して欲しいと思います。

さて本題ですが、我が五輪サッカー男子代表の戦いも終わって、サッカーシーンは新たな話題に移りつつあります。
その中で、手元に2つのスポーツ紙の写真がありますので、それをお見せしながら、キャプテンを務めたオーバーエイジ枠の吉田麻也選手が、いかにこのチームの精神的支柱であったかを書きたいと思います。

一つは、8月1日朝刊の「スポーツ報知」、もう一つは8月9-10日の「エルゴラッソ紙」です。
やはり写真は、文字で説明するより、かるかに雄弁に物語ってくれます。


2021.8.1「スポーツ報知」撮影・竜田卓氏


2021.8.9-10「エル・ゴラッソ」photo :Getty images

上の写真は、準々決勝ニュージーランド戦で勝負を決めるPKのキッカーとなった吉田麻也選手が、ゴールキーパーの谷選手のところに駆け寄った後を追うようにイレブンが集まり、ご覧のような歓喜の輪ができました。まるで年長の兄のもとに弟たちが先を競って集まっているようです。

下の写真は、3位決定戦メキシコ戦に敗れた後、ピッチにへたり込んで嗚咽を続ける久保建英選手に、吉田麻也選手ともう一人の選手が声をかけています。これも、まるで悲嘆にくれる弟を優しく慰める気丈な兄といった趣きです。

この2つの写真を見て私は、つくづく、このチームで吉田麻也キャプテンは、プレーもさることながら、そのキャプテンシーという精神的支柱としての存在を象徴していると感じました。

この2つの写真は、東京五輪サッカー男子代表を象徴する写真でもあり、吉田麻也キャプテンを象徴する写真でもあると感じてご紹介しました。



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五輪サッカー男子の最高峰を目指した挑戦が終わりました。4位は最高到達点だったと思います。

2021年08月06日 20時31分58秒 | サッカー日本代表
五輪サッカー男子三位決定戦、メキシコ戦が終わりました。「銅メダルならず」というのが日本全国の共通意識だと思います。

開催国としてメダルを目指す準備もしてきたし、それなりに仕上がって、日本全体としての期待も高まり、大会に入って見事にグループリーグを突破し、準々決勝も勝ち、準決勝まで進みましたから、まさにシナリオどおりに進んだわけです。

けれども、そこからの2試合は、世界のトップレベルに仲間入りすることの厳しさを、嫌という程味わわされた2試合と言えます。

試合が終わってからしばらく、私は選手たちをどう迎えてあげるべきかを考えていました。

話は急に脱線しますが、この際なので、どうしても許せない点を、思い切り糾弾しておきますが、試合が終わった直後の選手たちを、無理やりマイクの前に引きずり出して、ろくでもないインタビューをする企画の首謀者は誰なのでしょう。

今回の東京五輪に限らず、これまでも似たようなシーンを目にしたことがあって、無礼千万だと思っていましたが、今回という今回は、はっきり言わせてもらいたい思います。
二度とこういう傲慢な企画はやめにして欲しいところです。

話が脱線しましたが、元に戻して「選手たちをどう迎えてあげるべきか」です。
今回のチームは、「東京五輪でのメダル、それも金メダルを目指す」という十字架を背負って最高峰への到達を目指した旅路に出ましたから、いろいろな意味で過酷な旅路だったと思います。

どの国も同じ条件とはいいながら、やはり中二日での連戦、しかも連日、猛暑日続きの中の連戦でした。その中で残ったベスト4の4チーム、実は戦力的に一番劣るのは日本だったと言わざるを得ません。4チームの中で対戦していないのはブラジルですが、どこかで当たっていても、やはり同じだったでしょう。

特に攻撃面の力不足は、隠しようがありませんでした。久保選手、堂安選手の二人は、グループリーグでは通用しても決勝トーナメントでは力を封じられてしまいました。他の攻撃陣の選手は、まだまだ世界のトップレベルでは結果が出せる技術はありません。

ついつい、彼らに実力以上のことを期待してしまいますが、やはり現実を見せつけられたというところです。
オーバーエイジで参加して「ロンドン五輪で味わった悔しさを、今回の若い選手たちに味わわせたくない」と悲壮な使命感を抱いていたキャプテン・吉田麻也選手、酒井宏樹選手は、使命を果たせなかった自分を責めていることでしょう。

けれども、今回、ベスト4まで勝ち上がれたのは守備陣の安定した働きによるものであり、なんら自責にかられる必要はありません。
私が「選手たちをどう迎えてあげるべきか」について出した答えは「最高峰のメダルを目指して挑んだ戦いではありましたが、実はベスト4が、今回の日本代表が到達できる最高の到達点であり、それを達成した皆さんの今大会は、申し分ない戦いでした。過酷な状況の中、本当によくやってくれました。」という内容です。

メダル獲得、それも金メダル獲得を目標として掲げ、最大限の努力をすることがチームを高めることになるわけですが、大会そのものの結果は対戦相手の力量という相対的な力関係が、試合の結果として表れてきますから、目標通りにいかないことは、いくらでもあることです。

さきほども申しあげたとおり、実際に大会に臨んてみると、スペイン、ブラジル、メキシコより上回る成績をあげることはできないのが今大会の日本代表であることが明らかになりましたから、4番目が最高の結果だったといって間違いないところです。

残された検証課題としては、攻撃陣の力量を補完するという意味で、オーバーエイジの一人を、攻撃的な選手にするという選択肢の是非を検証するぐらいなものでしょう。
私自身は、オーバーエイジの選出を含めてのチーム編成、そして各試合での選手起用、いずれについても森保監督の采配はベストだったと感じていて、よくぞ、ここまで仕上げたものだというのが実感です。

ここからは、日本が世界の戦いで、もう一つ突き抜けるには、どうすればいいかについて書きたいと思います。

と言いますのは、W杯で言えばベスト16、五輪で言えばベスト4、ここまでは日本が到達できるところまで来た、というのが今大会の総括だと思うからです。
では、この先、どうか、ということです。

私は、こう思うのです。
世界のトップクラスに君臨しているのが、よく言われるW杯優勝経験国の8ケ国(ここでは、いちいちあげません)、日本は、その次のグループにランク付けされるぐらいのところに来ているのかと言えば、まだまだ、かなり難しいと、今回実感しました。
その好例が、今回のメキシコです。すでに五輪では金メダル2回を含めてメダル常連国のメキシコ、そのメキシコでさえ、まだW杯優勝国に近いかと言えば、やや疑問符がつきます。

つまりW杯優勝国になるということが、いかに難しいかを示しており、いかにサッカーが盛んになり人気が出ようとも、優勝国の持つ歴史、文化、国民性には、かなり足りない部分があるのではないかと思うのです。

W杯でベスト16の壁を突き破り、ベスト8に勝ち進むには、8ケ国の優勝国に加えメキシコ、オランダ、ボルトガルといった優勝経験こそないものの、日本よりはるかに歴史も経験も深い国を撃破しないとダメなわけで、過去に日本がベスト16で対戦した国、トルコ、パラグアイ、ベルギーでさえ、上記8ケ国+3に入っていない国なのです。

このうちベルギーは、8ケ国+4にしてもいいレベルですから、これからのW杯では仮にグループリーグを突破できても、ベスト16の相手として8ケ国+4のどこかと戦う確率がかなり高いですから、しびれるような本番で、こうした国と戦って互角以上の試合ができるレベルにならないとダメなんだということを、今回の東京五輪によって思い知らされた気がします。

それでも、将来は明るいというのが私の結論です。久保選手も堂安選手も、今回、決勝トーナメントでは通用しなかったわけですが、ここ数年の間に成長した結果、グループリーグでは見事な働きぶりでしたし、この先も成長していく選手でしょう。

守備陣に至っては、この先が本当に楽しみな人材が目白押しです。カタールW杯ではどういうチーム編成ができるのか不透明ですが、アジア予選を突破して本大会グループリーグを突破できるぐらいのチームは作れそうな気がします。その先の決勝トーナメントも期待できそうなチーム、そう思えるだけでも素晴らしいと思います。

願わくば、前線に二人ぐらいは身長180センチクラスの久保、堂安レベルの選手が欲しいところです。
そう願望を抱いて、今大会のしめくくりとしたいと思います。

五輪サッカー男子代表選手の皆さん、本当にご苦労様でした。お疲れ様でした。6試合を応援できた至福の贈り物に心から感謝申しあげます。
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五輪サッカー男子代表、これまでの準決勝とは明らかに違う敗退

2021年08月03日 22時52分03秒 | サッカー日本代表
五輪サッカー男子準決勝、スペイン戦が終わりました。延長後半、スペイン、マルコ・アセンシオに決められ敗退しました。

五輪サッカー男子の準決勝は、これで3度目、すなわち唯一の銅メダル獲得の1968年メキシコ五輪、そして2012年のロンドン五輪に次いで、ですが、明らかに違うのは、互角に近い戦いをして、あわよくば勝利の可能性を最後まで残した敗退だったということです。

ボールは圧倒的にスペインが持ちましたが、怒涛の如く攻められたかと言えば、決してそうではなく、吉田麻也キャプテンが言っていたように、泥臭く粘り強く守ってスペインを困らせた状況も相当感じました。

日本もボールをつなぐサッカーを標榜しているわけですが、ボールをつなぐ技術に関して言えば、日本はまだまだということをスペインに教えられた試合でもあります。

しかし日本は、あきらめずに相手に寄せて自由にさせない献身性と運動量で、その差を補い結果として互角に近い戦いになったと思います。

それにしてもスペイン、18歳にしてバルセロナそしてスペイン代表でも絶対的な存在と言われるペドリ選手は途中で退きましたが、試合を決めたのは数年前に「次世代のスペイン代表を牽引する存在になるであろう」と嘱望された、マルコ・アセンシオでありアシストしたのは、ミゲル・オヤルサバルです。

この二人、次の世代にとって代わられるものかという意地もあったことでしょう。2016~2017シーズンのリーガエスパニョーラでは、レアル・マドリーのアセンシオとレアル・ソシエダのオヤルサバルが成長株の双璧だったからです。

アセンシオが途中交代で入ってきた時「この選手を切り札として残していたか」と、いやな予感がしましたが、的中してしまいました。今日決めた、あの場所が彼の主戦場で、あのシュートは、いわば彼の「ゾーン」でした。

スペインのことを、いろいろ書いても空しいですから、気持ちを切り替えたいと思います。選手たちは切り替えられるでしょうか。
三位決定戦の相手はメキシコ。因縁満載の相手です。
けれども、もう泣いても笑ってもあと一試合。
私たちは、選手たちからもらった「応援できる」という「至福の贈り物」を「精一杯の応援」という形でお返ししたいと思います。
8月6日(金)がその日です。

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