「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

本田圭祐と中田英寿 私論Part-2

2013年05月30日 11時31分43秒 | インポート

前回に続き、本田圭祐と中田英寿について述べてみたいが、そのためには1993年から現在までの、日本代表におけるピッチの王様の系譜に触れる必要があると思う。

それについては、あまり異論が出ないと思うが、カズ、中田英寿、中村俊輔、本田圭祐と切れ目なく受け継がれたと思う。

受け継がれたと書いたが、いわば力で凌駕し移行したケースが、カズから中田英寿、そして中村俊輔から本田圭祐ではないだろうか。

カズから中田英寿への移行は、前回書いたジョホールバルの時点である。カズは1-2と劣勢の中、交代を命じられピッチを去った。オレ?オレが交代なの?といぶかしがったカズ選手の仕草は、まだピッチの王様の座を明け渡す自らの運命を、にわかには受け入れがたい気持ちをよく表していた。

そして彼が去ったピッチ上では、中田英寿が、誰にも気兼ねする必要がなくなったといわんばかりに、縦横無尽に動き回って、城の同点弾をアシストし、延長に入っても、これでもかこれでもかというほど動き回って岡野にパスを供給し、最後は「オレが決めるしかないのか~~~~」といわんばかりのシュートを放ち岡野のゴールに結び付けた。

これで、文句なしにピッチの王様は交代したのだ。

ところが中田英寿から中村俊輔への移行は、ドイツW杯のグループリーグ敗退が決まったピッチ上に仰向けとなってしまい、そのまま唐突な引退を発表した、中田英寿の燃え尽き引退によってもたらされた。中村俊輔は自らの力を誇示することなくピッチの王様の座を得てしまったのだ。

これが次の悲哀を生む伏線になったとも言える。

ちょうど、サッカーマガジン誌の最新号(No1459)での連載記事「日本代表裏戦記」が、フリーキックを巡る中村俊輔に対する本田圭祐の挑発事件というのが紹介されている。東京スポーツの三浦憲太郎氏の執筆だ。

時は2009年9月の国際親善マッチ・オランダ戦のピッチ上、後半から出場した本田圭祐がFKのキッカーを志願した時に生じたやりとりが、一つの事件だったと紹介している。

この時は、最終的に本田圭祐が降りて中村俊輔がFKを蹴りゴールには結びつかなかったが、当時の本田圭祐への取材から、オレが蹴ると5回ぐらい言ったこと、さらに後日「俊輔さん、最近FK決めていないでしょう」と言い放っていたことが判明したという。

記事では、これを機に、ポジションを争う二人の関係にヒビが入り、次第に中村俊輔は精彩を欠くようになって、結果的には南アフリカW杯で本田がスタメン抜擢、中村俊輔はベンチ、と結んでいる。いわば完全にピッチの王様の座が交代したわけだ。

この本田からの挑発をバネにできなかった中村俊輔の弱さは、まさに自らが力でその座を奪った経験のなさから来ているといえる。本田はまさに自らの力を誇示する形でその座を奪い、王様となったのだ。

これで中田英寿と本田圭祐が、自らの力で王様の座を勝ち取ったカリスマだということがわかったが、私は中田英寿に、いま一つギラギラ感が足りなかった試合を指摘せざるを得ない。それはもあたかも「自分はジョホールバルですべてのエネルギーを出し尽くした。あとは残っていなかった。歴史は一つ作るだけでも大変なことなのだ」とでもいうかのような、淡泊ぶりだった。それは2002年W杯決勝トーナメント1回戦のトルコ戦。

あの試合、トルシエ監督の戦意のなさという、日本代表における彼の監督歴のすべてを台無しにするような問題があったが、ピッチの上での中田英寿の淡泊さは意外と語られていない。

あの頃、中田英寿は26歳、まさにマラドーナやジダンがW杯を制した時と同じ年代、もっとも選手として充実してるはずの年代だ。ジョホールバルのような気持ちになれなかったのか、聞いてみたい。あるいはそれを問うたジャーナリストがすでにいたのかも知れないし、2002年当時は読んだのかもしれないが、だとすれば再度確認してみたい。

そして本田圭祐、彼はブラジルW杯の時28歳、少し歳は多くなったが、それでもまだ全盛期といっていい。彼が本当に歴史を作る試合を持てれば、明らかに中田英寿を凌駕したと言われるかも知れない。

まもなく、その出場権を賭けたオーストラリア戦が来るが、それもまた決してゆるがせにはできない関門だ。みんなで力を合わせて勝ち取った上でのブラジルの舞台ということだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本田圭祐と中田英寿、私論

2013年05月29日 21時11分57秒 | インポート

本田圭祐と中田英寿、これは最新号のスポーツ誌「Number」(829号)の企画記事のタイトルだ。

筆者は金子達仁氏、いまやサッカージャーナリストの重鎮的存在といったら怒られるだろうか。

確かに、日本代表における存在感は比肩するものがあり、それぞれの代表時期の、他のどの選手も一目、二目おくカリスマ的存在だ。

企画ものとして、よくありがちな「どちらが上なのか」という問いは、いつの時代も読者の興味をそそる。私も、この二人の比較ならワクワクする。

金子さんは、彼の豊富な取材情報と核心をつく洞察力でテキストを仕上げておられた。

私は、1993年以降の日本サッカーにおいて、誰が真に画期的な仕事を成したか、という観点で見た場合、1997年のジョホールバルがまず頭に浮かぶ。あの試合、中田英寿は「何がなんでもこの試合は勝つし、勝てるはずである」という信念の塊と化して試合をしていたことが、何年たっても手にとるようにわかる。

その意味で、中田英寿は、紛れもなく真に画期的な仕事をした選手だ。

では、今回、比べられる本田圭祐は、真に画期的な仕事を成し遂げただろうか? おそらくあげられる試合が、2010年南アフリカW杯における決勝トーナメント進出の立役者としての仕事だろう。カメルーン戦における松井大輔のクロスに合わせたゴール、デンマーク戦におけるブレ玉FKによる先制点、これだけでも、この大会の立役者にふさわしい活躍といえるだろう。

ただ、この大会、結局はR-16でパラグアイの壁を突破できなかったことを思えば、画期的な仕事をしたとまでは思えない印象だったことも確かだ。つまり本田圭祐の時代、単にW杯突破だけでは話題にも上らないうえ、本大会でグループリーグを突破してすら、評価が得られない面がある。

現実には、私たちは、W杯に4回も連続して出場権を獲得した偉業が、どれほど大変なことかよく知っている。「W杯には、もう出て当然」なんて軽はずみに言えないことをよくわかっている。

ただ、歴史的な評価というものは、より進化した姿について下されるのも事実で、1997年に史上初めてW杯出場権を勝ち取った試合を支配した中田英寿の偉業と、2010年に自国開催ではないW杯でグループリーグを突破したチームを支配した本田圭祐の偉業を、同様の評価、あるいは本田のほうがより高いレベルに達したものとして評価する気持ちにはなれない。

私の中では、1993年以降、真に画期的な仕事をしたサッカー選手は二人だ。一人はジョホールバルの中田英寿、もう一人はアトランタ五輪最終予選のサウジ戦をモノにした前園真聖。

アトランタ五輪出場、ある意味、フル代表よりワンランク下のカテゴリーということになるが、日本における五輪出場の意味合い、そしてメキシコ五輪以来28年ぶりの出場というのは、もはやカテゴリーを超えた意味を持つ。

その出場権を賭けた試合における前園真聖の戦いは、まさに「何がなんでもこの試合は勝つし、自分の手で決めてやる」という決意を、そのままパフォーマンスに現わして、まさに画期的な仕事をした選手だ。

私は、あの試合における、前園選手のキラキラした目の輝きを今も忘れない。あの目の輝きは、完全に動物的な目だったと思う。狙った獲物は絶対に逃さない、そのためには自分の全神経を集中して戦いに臨む、そういう本当の戦士の目だ。もし、前園選手に「もう一度、あのような目つきになれますか」と聞いても、おそらく「難しい」と答えるのではないだろうか。

彼が、あの試合において、そのような集中力を持って戦ってくれたことで、日本は新たな扉を開いた。それ以後、五輪代表権も連続して獲得しているが、その扉を開いたのだ。

中田英寿と前園真聖、この二人に本田圭祐は比肩するのか、私の中では、そういうことになってしまう。

幸いなことに、本田圭祐にはまだ未来がある。日本サッカーにおける画期的な偉業を成し遂げる試合を得る可能性がある。彼にはそういう期待をかけられる。それもまたサッカーを愛する一人として、たまらない喜びだ。

さらには、かれに続くカリスマ候補生としての香川真司への期待も、しばらく持ち続けられそうだ。日本サッカーの幸福な20年に身をおける喜び、何物にも代えがたい喜びだ。

突然、話が変わると思われるかも知れないが、今日見た1994年ブラジル全国選手権グループリーグのパルメイラスvsパラナ戦にも、日本サッカーはつくづく恵まれたのだなぁ、と思わせられる。

この試合、パルメイラスのスタメンには、ジーニョ、サンパイオ、エバイール、エジムンド、ロベルト・カルノス、リバウドが名前を連ねている。

このうち、ジーニョ、サンパイオ、エバイールの3人は同年のアメリカW杯優勝メンバーであり翌1995年からJリーグ・横浜フリューゲルスに所属している。エジムンドもヴェルディに所属歴がある。そしてロベルト・カルロス、リバウドは、のちにW杯優勝を果たすブラジル代表メンバーでありインテル、レアル・マドリー、バルセロナといった世界的ビッククラブで成功した選手たちだ。来日した助っ人外国人と言われる人たちが、いかにハイレベルな人たちだったか、Jリーグが、その後の日本人選手たちのレベルを引き上げる場になったことか。

それがジーニョ、サンパイオ、エバイールをチームメイトに持った横浜フリューゲルス・前園真聖の偉業に、そして前園の偉業を五輪チームの弟分として目の当たりにした中田英寿の偉業に引き継がれている。

日本サッカーにおけるJリーグ20年というのは、本当に幸福な歴史だと思わされる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HDD化作業、900本達成です。年間1000本が目前です。

2013年05月21日 15時52分38秒 | インポート

今年1月に、録画サッカービデオのHDD化作業が500本に到達しましたと報告してから、毎月100本上乗せするたびに報告して、いよいよ900本を超えました。これで昨年6月14日から開始して、1年間で1000本のビデオテープをHDDに変換する作業が完了するめどがついてきました。

言い換えれば1000本のビデオテープを廃棄したということです。1000本廃棄して、どれほどスペースが空いたかというと、さほど空いていません。

実はビデオテープの分量というのを、私は保管している紙袋の数で計っています。紙袋というのはビックカメラという家電量販店の袋で、長年緑地に横文字で細かく電気メーカーの名前が印刷されている袋でした。

それの大きめのものには、実はVHSテープが24本入ります。それを引越しなどで使用するダンボールに詰めると、4袋でダンボール1個になります。つまりダンボール1個96本、約100本です。したがって、これまで廃棄できたのはダンボール10個分だけということになります。

昨年夏に保管先の倉庫を引き払ってきた時、ダンボール箱は150個ぐらいありました。そのうち約4割がサッカーマガジン、サッカーダイジェストなどの雑誌、スポーツ紙など紙類が入っていましたから、ビデオテープの箱が90個から100個程度だろうとみています。そのうちの10個減ったという段階です。いまのペースでいけば、あと8~9年かかるという計算です。

果たして元気で続けられるでしょうか。いや、どこかの段階では、どなたかに引き継ぐようにならざるを得ないでしょう。

そのためにも、HDD化した映像をテータベース資料とリンクさせて、さらにネットに乗せられるようにして、どなたでも、このサッカー映像アーカイブスにアクセスできるようにしようと思います。

そもそも、映像関係だけHDD化すればそれで終わりではなく、雑誌資料もスポーツ紙資料もHDD化して、そのすべてをリンクさせて、たとえば、1997年の「ジョホールバルの歓喜」の時、どのような映像が流れ、雑誌・書籍にはどのような記事が載り、スポーツ紙ではどのように報じられたか、サッカーにおける一つの出来事を、よく言う横串にして総覧できるようにしたいのです。

そうすれば、我が「サッカー文化フォーラム」も、どこに出しても誇れる資料館を有することになると思うのです。

一応、あと5年程度のうちには、いろいろなことを進めて、形にしていきたいと思っています。さまざまな形で参加・ご協力いただけるとありがたいと思います。ご連絡をお待ちしています。

さて、ここまでの作業で、一つ区切りがついたのは、1993年と1994年のJリーグ、つまりスタートして1年目と2年目のJリーグの試合映像を、ほぼHDD化完了したということです。

ほぼ完了と言いましたが、なにせビックカメラの紙袋に保管してあったテープです。何度か引越ししましたから、その途中でポロリとこぼれて、別な紙袋に収まったり、ダンボールに収納するのに区切りをつけるため、一部を別のダンボールに移したのだと思います。

今回、確認しましたら1993年シーズンでは前期、後期合わせてリーグ戦180試合のうち前期3試合分だけがまだHDDに変換されていませんでした。1994年についても同じく3試合、内訳は前期2試合、後期1試合ですが、リーグ戦全264試合のうち3試合が未変換です。

以前、ご紹介したかどうか忘れましたが、1993年と1994年シーズンは、当時のCS放送チャンネルだった「スポーツ・アイ」が全試合放送をしてくれたおかげで、ことらも全試合収録にチャレンジ、リピート放送もしてくれたにもかかわらず、なんやかやで録り損ねた試合もありましたが、ほとんどの試合を収録することができました。20年を経た今、こうしてHDD化できるのも、そのおかげといっても過言でありません。

さらに、録り損ねた何試合かをどうしたかというと、それがまた素晴らしい取り組みがあって、レントラックジャパンという会社が、全試合ビデオテープ販売という画期的なことをしてくれたのでした。ですから、どうしても足りない試合はそれを入手してあるわけです。

いま考えてみてどうでしょう。いまのご時世、成り立つ企画でしょうか?

私は、二度とあり得ないと思われる二つの企画にうまく乗れたと自負しています。それもそれも、先に報告した残り6試合分が出てきて完全にHDD化できた段階で言えることだと思いますが・・・・。

いよいよ本日からは1995年Jリーグ分のHDD化をスタートさせています。

1995年から数年間は、スポーツ・アイさんも3~4試合分しか放送しなくなりましたから全試合入手は風前の灯になりました。

それでも「埼玉テレビ」「神奈川テレビ」「千葉テレビ」といった、いわゆるUHF局が全部見られるようにしたほか、特に静岡、名古屋、大阪、福岡などに住んでおられるサッカーファンの皆さんにご協力いただき、地方限定の放送分をできるだけ入手しました。もちろんNHK-BSも毎節1試合は放送しますが、ほとんどは他の方法で収録・入手した試合と重複していました。

果たして全試合の何割HDD化できるか、です。95年シーズンは毎節7試合ありました。おそらく平均して6試合、ですから比率にして85%といったところではないでしょうか。1996年、1997年と進む毎に比率は少しづつ下がっていったと思います。そして、また全試合放送が復活したのは何年でしたか、1998年でしたか1999年でしたか、いずれかのシーズンだと思います。

ところで1993年のJリーグが全180試合、1994年のJリーグが全264試合といいましたから、合計444試合、そのうち6試合が未変換ですが、それにチャンピオンシップやその年のナビスコ杯、天皇杯、さらにはJFLも加えると、ほぼ500試合ぐらい、900本のうち約500本を占めているということになります。

残り400本が過去のワールドカップ、これも試合数の多いのが1982年スペイン大会からですが、1986年、1990年とほぼ終わっていますし、1992年頃から増えたサッカーを話題としたニュース、情報番組も含まれています。1994年あたりからは、NHK-BSの「Jリーグダイジェスト」、TBSの「スーパーサッカー」、テレビ朝日の「Jリーグ・A・GOGO」といったサッカー専門情報番組も登場していますから番組タイトル数は1000タイトルを超えていることは間違いありません。

そして、それらの数は1996年のアトランタ五輪出場、1997年の「ジョホールバルの歓喜」、1998年のワールドカップ初出場と、時が進むにつれ激増していきます。果たしてどれだけの規模になるやらです。

いずれ全容が明らかになるのは、HDD化が進んでからになります。というわけで経過報告でした。次回は1000本達成の時ご報告させてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本サッカー界は誤審根絶で世界をリードすべきだ。

2013年05月14日 21時46分02秒 | インポート

Jリーグ20周年を記念してアニバーサリーマッチが企画された。なかなか洒落た企画だ。Jリーグ誕生記念マッチがヴェルディ川崎vs横浜マリノスで、当時、自他ともに、それこそ誰もが認めるカードだった。

記念すべきJリーグ初ゴールが期待された人気選手の誰でもなく、無名のオランダ人・マイヤー選手だった。これだけが、記念マッチで唯一予定調和を破った出来事だったと思うのは私だけだろうか。いずれにしてもご愛嬌だった・・・・・。

今回のカードは浦和レッズvs鹿島アントラーズ、なぜこのカードか、ヴェルディvsマリノス戦に比べれば、多少説明が欲しいと思うカードではあったが、説明を聞けば頷けるカードといえる。

20年を経た今、あの2チーム、横浜マリノスは強さこそ保ってJ1を戦っているが、ヴェルディ川崎はチーム名も東京ヴェルディと、念願の「東京」という名を冠することはできたものの、J2から這い上がれずにいる。

20年後にJリーグを代表するクラブとなったのは、Jリーグ草創期にお荷物と言われたほど弱小だったチームを変わらず応援し続けた熱狂的サポーターに支えられた浦和レッズ、Jリーグ初年度のチャンピオンシップで、ジーコがボールにつばを吐きかけるほど怒り心頭に発した判定の数々もあって、あたかも奪われてしまったかのような初代チャンピオンの座、その屈辱にもめげず、というか、むしろそれをバネにして、その後、国内三大タイトル16冠という圧倒的な成績を残している鹿島アントラーズ。

両チームは地域に根ざしたクラブというJリーグの理念を体現しているという意味でも代表的なクラブだ。

そのチームの対戦を「アニバーサリーマッチ」としたまではよかったが、試合において誤審が発生した。そして、それを日本サッカー協会が認めたことで、誤審は歴史的事実となってしまった。

さて、ここからが今日の本題となる。ここでは、アニバーサリーマッチが誤審でケチがついたとか、審判のレベルを云々するのではなく、いよいよもって誤審根絶は日本サッカー界の至上命題になったということを指摘したい。

もともと、誤審問題は日本だけではなく世界的な問題だ。これまでもワールドカップをはじめさまざまなレベルで発生し、さまざまな明暗を引き起こしてきた。

世界のサッカー基準を統括するFIFAも、いろいろな改革を検討してはいるが、そもそもが純粋にサッカーの誤審問題根絶に取り組んでいるかどうか、という組織である。また、誤審で分け隔てられる栄光と挫折の多寡より、人間という生身のジャッジがかかわるという、フットボール競技の根源的な部分を失うことのほうを問題にしているフシもある。

しかし、かといって手をこまねいて見ている必要はまったくない。日本という国、あるいはJFAという日本におけるサッカーの世界は、まだワールドカップで優勝を争うほどのレベルにまで達しているわけではないが、少なくともフェアプレーの面では世界トップクラスのレベルにある。

したがって、誤審根絶を日本が世界に先駆けて取り組むのは、なんらおかしいことではなく、むしろ、日本方式が世界標準に取り入れられるような道をめざすべきなのだ。

私は、ここで一つの例えを出したい。いま国際政治の中で世界をリードするアメリカに次いで中国の存在感が高まっており、あらたな二大超大国の時代になるのではないかと言われている。

その中で、中国からさまざまな圧力や理不尽な態度を突き付けられる日本の、今後の国際社会での行き方について、普遍的価値観の部分で共鳴できない国とは一線を画す、けれども普遍的価値観を共有する国々とは、より結びつきを強固にしていく、そういう行き方が日本の進むべき道であり、その行き方を愚直に国際社会に訴えていくことが国益であるという考え方がある。

普遍的価値観とは、自由主義、民主主義、基本的人権といった面である。ある国が、その部分を基本的に保障していないならば、基本的、最終的に国際社会から受け入れられるのは難しい、そういう考え方である。

私は、サッカーにおける誤審根絶への取り組みについても、決してサッカー大国と言われる欧米の言いなりの中で済ます必要はないと思っている。日本が普遍的価値観を大切にする国として誇っていいように、フェアプレーの大国を誇りに堂々と、日本発の誤審根絶を実践すべきだと思う。

この主張は、私が、JFAには、そのような実行能力があると考えているから成り立つ主張である。もし、実はJFAにも、FIFAやUEFAの小型版のような、誤審根絶に真剣に取り組めない事情というか、根本的な問題があるのだとしたら何をかいわんやである。

なにせ、ハイテク機器を駆使して判定するシステムは、陸上、水泳などの競技はもとよりフェンシングなどの競技を観ても驚くほどの方法が導入されているのだ。どうみても合理的、論理的な手法のうち一つか二つ導入しただけでも、おそらく飛躍的に誤審は減少するだろう。

このブログは火付け役になって議論が始まり、実践に移されることを願ってやまない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HDD化作業、800本達成です。年間1000本、現実味です。

2013年04月24日 15時46分14秒 | インポート

ビデオ映像のHDD化作業は、本日2013年4月24日、800本を達成しました。700本を達成してから、まだ1ケ月たっていませんが、1000本の目標が見えてきましたので張り合いが違います。

明日25日と26日、秋田県と宮城県に出かけるため、2日手つかずになるので何とかその前に800本まで漕ぎつけたいと考え、この数日猛スパートをかけました。

27日土曜日からはゴールデンウィークに入りますから、この期間だけで60~70本進めたいところです。そして5月14日までに900本に届けば、あと1ケ月で1000本、つまり昨年6月14日にスタートした作業が丸1年で1000本ということになります。

テープのカビ取り作業に手間どり、厳しいスケジュールですが、ここを乗り切るとカビ取りが必要なテープも徐々に減ってくると思っています。

まずは800本達成のご報告です。

ところで、毎年この時期の楽しみ、欧州チャンピオンズリーグのベスト4の激突、今年はスペイン2強とブンデスリーガ2強が勝ち上がってきたんですねぇ。

世界のサッカージャーナリズムが、スペインの覇権は続くのか、ドイツが新たな盟主になるのか、いろいろ書きつのっています。そうした中、今朝行なわれたバイエルンvsバルセロナの1Lg、バイエルンの完勝でした。もうバルセロナの息は止まったでしょう。いくらなんでも4-0では。

次のドルトムントvsレアル・マドリー戦も楽しみです。2日間の遠出から戻ったら書きたいと思います。書かずにはいられないでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BS日テレ「アスリートの輝石」(宮間あや)を観て

2013年04月09日 21時09分32秒 | インポート

久しぶりで宮間あや選手を観ました。なでしこへの関心が続いているとはいえ、結局はINAC神戸が中心です。

まさにJリーグ草創期のヴェルディ川崎と同じです。あの頃、つまり1993年、1994年。ともに前期は鹿島、広島と、ヴェルディ川崎、横浜マリノス以外のチームが制したのですが、年間としてはヴェルディ川崎が王者になりました。

勝負としてはそうなっているのですから、どこからも文句が言えない歴史ですが、私は決して自然な成り行きだとは思っていません。薄々そう感じている方がどれぐらいいるのか知りたい気持ちもありますが、それはそれとして、私の気持ちは揺るぎません。要するに、あの連覇は歪んだ形で作られた、それを何が証明しているか、それは、その後のヴェルディの退潮が証明していると私は言いたいのです。要するに、あれは作られた歴史だと。

そうして歪んで作られると、必ず歴史の洗礼を受けると言いたいのです。

では、本来、作られるべき歴史とはどのようなものだったのか、そんなことを論じるつもりはさらさらありません。しかし、現在、Jリーグに冠たる歴史を有しているのは、紛れもなく鹿島です。Jリーグ三大タイトルと言われるリーグチャンピオン、天皇杯、ナビスコカップを15冠、他の追随を許さない歴史です。これが自然な成り行きというものでしょう。

では、それが宮間あや選手とどう結びつくのでしょうか。

私は、湯郷ベルというチームが鹿島アントラーズと同じ道を歩むべきチームではないかと感じたのです。少なくとも宮間あや選手は、あと20年後には「湯郷ベル」にジーコイズムならぬ「あやイズム」を根付かせた選手として湯郷ベルの歴史にその名を刻む選手だと直感しているのです。

ただ、湯郷ベルが鹿島アントラーズになれる素地は、今のところありません。けれども湯郷ベルには、鹿島アントラーズをめざして欲しいのです。なぜなら、湯郷ベルに宮間あや選手がいるからです。

そこで全国の皆さんに相談です。湯郷ベルが鹿島アントラーズをめざすために何が必要か、一緒に考えていただき、一つのムーヴメントにできないと思うのです。

サッカー文化フォーラムを主宰して未来を考えている「サッカー大好きおじさん」のたわごとかも知れませんが、ぜひ智恵と力を貸してください。

ご連絡をお待ちしております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザックジャパン、ヨルダン戦敗戦の苦さが消えて

2013年04月09日 20時25分39秒 | インポート

ザックジャパンの、ブラジルW杯出場権世界最速決定がかかったアウェーのヨルダン戦に負けて、最近負けることに慣れていないせいもあり、また本田圭祐、長友佑都がいない時の弱さに唖然として、少し苦い日々を送っていました。

最近、やっと、それが消えてきましたので、今日、Number誌826号「緊急特集こんな日本代表が見たい。」をめくってみました。

その中で緊急提言「ザックジャパンで試したいランキング」のコーナーでは、なるほど。ずいぶん魅力的な選手が豊富だなぁと感心しました。

柿谷曜一郎、柴崎岳といった旬の選手、佐藤寿人、豊田陽平、闘莉王といった実力者などに加え、小野伸二の名前も出ていました。そうか、まだ「過去の人」ではなかったかと嬉しくなりました。日本のテレビに映らなくなってから久しいですが、豪州では好調にやっているようです。

ただ、こういう企画も空しく感じるところです。私は1年以上前の段階で、ザッケローニ監督には、どうも今一つ信頼できないと感じていました。その後、勝ち点を重ね、結果で私を黙らせている感じですが、決して、彼に対する信頼が高まってはいません。

何よりの理由は彼のチームは選手層が薄いことです。彼はメンバーをあまりに固定しすぎます。交代出場させる時間があまりに短いです。これは、彼が怖がってスタメンを引っ張りすぎるためです。そのため、バックアップメンバーの試合経験値がなかなか上がっていきません。

招集メンバーもそうです。闘莉王などは間違っても呼ばれないでしょう。佐藤寿人などもとっくに常連になっておかしくありません。

彼の一つの価値基準は海外組偏重ですし、次の基準がレギュラー組偏重です。チームとして厚みを持たせることにあまり意を用いていません。余裕がない証拠です。つまり名将とは勝ちつつチームの層も厚くできる監督なのです。層を厚くすることを考えると目の前の勝利が心配になる監督は、レベル的に少し落ちる監督ということです。

小野伸二とか闘莉王、柿谷曜一郎、柴崎岳といった選手をもし招集したら、それはもうザッケローニに対する見方が180度変わります。でも、それはないものねだりです。

あとは本田圭祐、長友佑都が揃って、次の豪州戦で決めてくれるのを願うしかないということです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長嶋茂雄さん、松井秀喜さんの国民栄誉賞受賞に思う

2013年04月07日 12時44分07秒 | インポート

長嶋さん、松井さんが国民栄誉賞同時受賞とのこと。

長嶋さんは、まだだったの?と思えるほど当然のことだと思うし、松井選手の場合、ややギモンとの声もあるやに聞くが、そもそも受賞基準が「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方」という、恣意的なものだし、先頃の引退が大きな話題になったことや、長嶋さんの子弟関係のことを思えば、なかなか味な選出ともいえます。

国民栄誉賞、サッカー界では、なでしこジャパンが男子を出し抜いて選出されたことが記憶に新しいところです。サッカーが国民を熱狂させた歴史は、1993年以降ですから、個人で国民栄誉賞レベルの選手がまだ現れないのは、やむを得ないかも知れません。

プロ野球界では、王選手、衣笠選手がすでに受賞しているほか、二人が受賞を打診されたにもかかわらず辞退しているというのですから、サッカー界とは比較にならないほど国民的な素地がある分野といえます。

その辞退者の中に、今回、書こうと思った一人がいます。辞退者の一人はイチロー選手ですが、彼ではありません。彼の辞退理由は「まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」というものです。イチロー選手らしい聡明な考えです。

もう一人は「世界の盗塁王」、福本豊選手です。当時の世界記録となる通算盗塁記録を達成した時、中曽根内閣から受賞を打診されたそうですが、その理由というのが、いわばイチロー選手と対極にあるともいえる、庶民的・生身の人間的理由で「受賞したら、簡単に呑み屋にも行けへんようになるし、へたな失敗もできない窮屈な生活をしなければならない」と伝えられています。

そして、このコメントはいわば公式発言向けに脚色されたもので、実際のコメントは「そんなもんもろたら立ちションもできんようになる」だったようです。福本さんは、現在、関西地区の野球中継の解説者をされていらっしゃるそうで、その解説も関西のお笑い芸人顔負けの、ボケ、ツッコミのオンパレード、抱腹絶倒もののコメント数知れずという人気解説だそうです。

これは羨ましいことです。世界を極めた達人アスリートの誰もが、紳士然とした人ばかりでなくとも、何の不思議もありませんし、紳士然としていなくとも国民栄誉賞に値いする、というところがホッとさせられます。

サッカー界には、まだ世界を極めたり、前人未到の記録で国民を熱狂させたりする選手は現われていませんが、これから10年、20年の中で、国民栄誉賞に値する選手が何人か出てきた時、そのうちの一人ぐらいは、福本選手のようなキャラクター、何も辞退しなくてもいいですから、そういう人が含まれるといいなぁ、と思ったものです。

ちなみに、福本選手は、国民栄誉賞は辞退されたわけですが、大阪府知事からの賞は受けられたそうで、人は「日本の英雄」より「大阪の人気者」であることを選んだと評しています。

福本さんの解説の楽しさに思いをはせれば、やはり「サッカー界の福本豊」の出現も関西出身に期待するのが自然かも知れません。

ここからの書き込みは、4月9日に追加したものです。

なぜ追加で書きたかったかと言いますと、いま、サッカー界に福本豊さんにもっとも近い人が一人いたと思ったからです。

ずばり、その人はドラゴン久保こと、久保竜彦さんです。なぜ彼に気づいたかといいますと、スカパーのJリーグ放送で、彼の解説を耳にしたからです。久保選手現役時代の超人的な能力はサッカー選手なら誰しも認めるところで、決して福本豊さんほどではないにしても、ドラゴン久保と命名されたその魅力は、このブログでも取り上げたことがあります。

その久保さん、かねてから無口さと、数少ないコメントの奇抜さでもサッカーファンを楽しませてくれたものですが、その魅力を彼の地元、広島のテレビ局が見抜いていたようです。

その結果、こうして私たちは、独特の解説ぶりを楽しめることになったようです。おそらく、彼が解説者としてキャリアを積んでいけば名言集なのか迷言集なのかわかりませんがサッカー界における福本豊さんのような域に近づけるのではないかと予感させられました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HDD化作業、700本達成です。めざせ1000本。

2013年03月29日 20時35分38秒 | インポート

ビデオ映像のHDD化作業は、本日2013年3月29日、700本を達成しました。目標としていた3月末までを何とかクリアしました。

HDD化作業を始めてから1年後の、今年6月14日までに1000本を達成したいという目標は、厳しいスケジュールですが、あきらめずチャレンジしたいと思います。

サッカー関係の放送をまるごと録画保存しておくという、20年以上の取り組みの中で、今月、新たな変化がありました。これまでの録画媒体は、最初の10年がビデオテープ、次の10年がDVDということになります。そして、今回、ついに直接HDDに録画保存する作業を始めたのです。

2013年Jリーグ、つまり21年目のJリーグを、スカパー放送から直接RECOBOXという商品名のHDDに取り込むことにしました。これはスカパー放送の番組EPGとタイマー録画をネット経由で連動させることができるものです。RECOBOXというのは「I-O DATA」社製のもので、値段が2万円以上と高いのが難点です。

今シーズンのJ1全試合と、J2からは1試合だけ収録していく予定ですが、シーズンを通して、このRECOBOXが何台必要か、やってみないとわからない状況です。いちいちDVDをセットする手間が省け、しかも省スペースですから3台ですめば、まずまずと思っています。

さて、お約束の、これまでの取り込み作業で出会った映像の紹介です。

最近取り込み作業が増えてきたのが、1994年から1995年あたりの毎週定期的に放送されるサッカー情報番組です。この当時、代表的なサッカー情報番組は、NHK-BSが「Jリーグダイジェスト」、TBS「スーパーサッカー」、テレビ朝日「Jリーグ・A・GOGO」といったところです。

民放各局の中で、日本テレビは、勝手な想像ですがヴェルディ川崎の関係がありますので、なかなか全般的なサッカー情報番組は組みにくかったのでしょう。フジテレビは、この頃まだ「プロ野球ニュース」という看板番組を持っていましたから、サッカーはその中で扱われていました。ただ、カズ選手がイタリアに渡ってから「セリエAダイジェスト」という番組を始めました。テレビ東京は、Jリーグが始まる以前から唯一サッカー情報番組をやっていた局ですが、Jリーグが始まっても、ことさらカラーを変えることはなく、ダイヤモンドサッカー、ダイナミックサッカーなどの番組名で試合中心の放送でした。

実は私自身は、1993年にJリーグがスタートしてから3年ぐらいは、「Jリーグダイジェスト」も「スーパーサッカー」も「Jリーグ・A・GOGO」も、毎週キチンと収録する作業はしていませんでしたが、いずれの番組も長続きしているのを知って、番組スタート時点からバックナンバーを揃えておけばよかったという気持ちが強くなってきました。

そのうち、全国のいろいろなサッカーファンの方と交流するようになり、北海道の方が複数の仲間で、それら番組をキチンと収録していらっしゃることを知り、何かの時は、その方にいろいろと相談するようになりました。

そしてJリーグがスタートして5年ぐらい過ぎた頃でしょうか、その方たちが、そろそろ収録作業を辞めたいし、溜まったビデオテープもできれば処分したいということになったのです。それで私は、喜んで譲り受け、その後、いままでダンボールの中にずっと眠っていたのです。Jリーグがスタートして3年ぐらい、私が収録していなかった時期の、これら番組は、北海道で収録されたものですから、コマーシャルには札幌や定山渓、旭川など北海道の会社・商品・サービスのものがふんだんに出てきます。

こうしたサッカー情報番組の楽しみの一つは、ステキな女性キャスターの存在です。NHK-BSの「Jリーグダイジェスト」では勝恵子さん、TBS「スーパーサッカー」では三井ゆりちゃん、テレビ朝日「Jリーグ・A・GOGO」では最初が鈴木杏樹さん、次が山内木の実ちゃんという具合です。勝さん、そういえば最近どうしておられるかと思ってネット検索してみたら、1番目にyahoo検索(人物)の勝恵子さんが相変わらず美しい写真付きでヒットしました。クリックしなくても生年月日も出身地も書いてあるので、そこまででやめました。

やはり、おじさんにとっては限りない美形です。

三井ゆりちゃんは、見事、野口五郎氏と結婚して素晴らしい家庭を築いているのが、最近の野口五郎氏の言動から伝わってきます。

ついでに山内木の実ちゃんも検索してみたら、やはり1番目にyahoo検索(人物)の写真付きがヒットしました。

勝さんも、三井ゆりちゃんも、木の実ちゃんも、番組の中にいまも輝いています。

珍しいというか、人によってはお宝映像といえるのが、映画です。「シュート」という映画は、何を隠そう、この作業をするまではSMAPのメンバーによる映画とは知りませんでした。オープニングのシーンで、公衆電話をかけているのが中居正広クンなんですね。同名の漫画の実写映画化というわけです。ネットで、この映画に関する情報を見てみると、この作品でキムタクさんが石原裕次郎新人賞を受賞しているとのこと。

映画でもう一つ、「Jリーグを100倍楽しく見る方法」、これは「プロ野球を10倍楽しく見る方法」のサッカー版になるわけが、製作がTBSというのが面白いですね。したがってアニメキャラクターの声優陣には、TBS系の番組を担当していた森本毅郎さん、生島ヒロシさんたちが名を連ねています。

この映画に登場するJリーガーは、ラモス、福田正博、シジマール、磯貝洋光、リネカー、加藤久、井原正巳、ジーコ・アルシンド、高木琢也等々の選手ですが、こうした映画は、実は5年おきぐらいにPart2、Part3と続けていくべき企画だと思います。5年ぐらい経過していくと、チーム数も増えていますしスター選手、楽しいキラの選手も増えているからです。

私が「サッカー文化フォーラム」をスタートさせたら、ぜひ実現したい企画の一つです。

では、今回はこれぐらいにします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HDD化作業、600本達成です。少しペースダウンです。

2013年02月25日 19時11分51秒 | インポート

ビデオ映像のHDD化作業は、昨日2013年2月24日、600本を達成しました。500本からの100本上乗せに、1ケ月と10日要しました。1月下旬に親戚の来訪があり、そのあと東北出張が続き6日間作業が止まったこと、ビデオデッキが不調で2回も秋葉原の修理業者さんに持参したことが影響しました。

このあとも2月が28日しかありませんので、またペースが落ちると思いますし700本達成は、3月末日目標といったところでしょうか。

HDDといえば、現在使用しているのが2TB容量のもので、4本目を先日購入しました。最初の3本はBAFFALO製の約13000円のものでしたが、4本目を買いにビックカメラに行きましたらWESTERN DIGITALという会社のHDDが11000円台で登場しました。さっそく、それに切り替えました。いままでお目にかかったことがないメーカーですが、どうやら、この会社はHDDなどでの世界的企業らしいです。

HDDの場合、ビデオテープと決定的に違うのは、データが何かのトラプルで消失してしまい。それっきりという恐ろしいリスクがあることですが、それを心配していたら、そもそもデジタル化なんてできない話しです。本当はバックアップをとればいいのですが、そのために倍の予算をかけるほど資金力がありません。

現時点では、データ消失がないことを神に祈りながら積み上げていくしかありませんし、HDDのコストをできるだけ抑えたいところですので、13000円が11000円になっただけでも朗報です。

もう一つ目についたのが、3TB、4TBのHDDです。すでに2TBを2つ組み合わせた4TBというのは出ていましたが、価格も高いので、わざわざそれを買う必然性がありませんでした。今度出た4TBというのは正真正銘の4TBということで、価格的にも手が出るところです。

ただ、3TB、4TBは、OSがWindows8でないとダメということで、まだXPの私は使ません。もう少し3TB、4TBの価格が下落したきたらWindows8搭載のパソコンを入れようと思っています。

さて、毎度恒例ですが、これまでの取り込み作業で出会った映像のことを2つ紹介します。

一つは放送当時の映像の中に流れるテロップ。いわば「臨時ニュース速報」なので、おゃ、何かなと思わず見てしまいます。

いま作業中の、テレビ東京の番組「ダイナミックサッカー」の93-94プレミアリーグ39週マンチェスターUvsマンチェスターC戦の中でもテロップが出ました。「TXNニュース 向井千秋さんを乗せたスペースシャトルが打ち上げられました」という内容です。

へぇ。そうなんだ。向井さんが宇宙に行ったのがこの時なんだ。という感じです。

95-1.9の第73回全国高校サッカー決勝市立船橋vs帝京の試合放送中にもテロップが流れ、何かと思ったら「埼玉愛犬家云々」というものでした。そういえば埼玉県の熊谷だったか深谷だったか、犬のブリーダーをやっていた夫婦が起こした事件があったような気がしますが、今となってはどうでもいいニュースですから、気をつけて読もうという気にはなりませんでした。

もう一つの話題、95年1月に放送されたNHK総合テレビ「クローズアップ現代」、夜7時30分から今も放送されている長寿番組です。この20年の中でもサッカーを取り上げた回が何度がありますが、この回のテーマは「外国人選手の去就問題」。93年シーズン、94年シーズンの2シーズンを終えたJリーグ各クラブが軒並み外国人選手の契約を打ち切った時期でした。番組での紹介によると、94年シーズンに在籍した61人の外国籍選手のうち、この放送日までのあいだに28人が解雇、横浜フリューゲルスは5人全員、この中に記録的な距離のFKを決めたエドゥー、楽しいキャラクターのモネールが含まれています。名古屋グランパスも6人中5人を解雇したとのことです。

一方では、ブラジル代表としてアメリカW杯優勝メンバーとなったジョルジーニョの鹿島入り、同じくジーニョの横浜フリューゲルス入りなど華々しい入団も報じられている時期です。

番組では、3つの視点から、この問題を取り上げています。

一つは、解雇されても帰国せず何とか国内で次のチームを探す選手の苦労ぶり、ジェフ市原を解雇されたチェコ出身のフランタ選手が、当時JFLの甲府クラブのテストを受け厳しい条件提示も受け入れて入団するまでの様子を追っていました。

次に、海外のクラブからひきもきらず寄せられる選手売り込みの話題。代理人からのもの、選手自身からのもの。代理人のブビッチ氏は「日本での年俸は欧州に比べてもズバ抜けて高い」と証言しています。

キャリアの終わりに近い高年俸の選手たちが、欧州などで年俸を維持していくのが難しいことから、最後の2年ぐらいを日本でプレーしてもいいと考えているとのことです。具体例として当時パリSGに在籍していたライー、サンプドリアに在籍していたルート・フリットのインタビューを紹介していました。

スタジオゲストのセルジオ越後さんは「世界でこれほどの年俸を払えるのは日本ぐらいだろうけど、リーグのレベルとあまりかけ離れ過ぎているので、むしろ外国人枠を撤廃して自由競争にしたほうが年俸に見合うレベルになっていくのではないか」とコメントしていました。

そして、最後に取り上げたのが外国籍選手の帰化の動きでした。ご存じ高校サッカーのヒーローになった東海大一のアデミール・サントス。清水エスパルスに入団したものの、ブラジル籍のままなので、外国人枠の制約に阻まれ出場機会に恵まれないでいました。その彼が帰化を決意して動き出した様子を追っていました。

最後にキャスター・国谷さんが「これだけ優秀な外国人選手がいれば日本のレベルアップにつながるでしょうか」と水を向けたのに対し、セルジオさんは「日本のレベルアップに貢献したのはジーコだけ、ということではいけない。チームは外国人選手を単なる助っ人と考え、選手たちは自分のポジションを脅かすライバルとして見ていて、外国人選手と接するのは練習と試合の時だけ、ということも多い。チームも選手も外国人選手のすべてを吸収するんだという考え方で接していかなければ、日本のレベルアップにはつながらない。彼らのほうが近づいてくるのを待つのではなく、もっと自分たちから言葉のことも含めて、私生活全般にわたって彼らに近づいて「プロ」そのものの生活から学んで欲しい」と結んでいました。的確に指摘です。

ほかにもトッピックがありましたが、またの機会にします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこよりも早い、2015年女子W杯、なでしこメンバーピックアップ

2013年02月11日 20時01分52秒 | インポート

前のブログで、京川舞選手のうれしい復帰を書いた。その流れで、どこよりも早い2015女子ワールドカップ・カナダ大会のなでしこジャパンメンバーをピックアップしてみたい。

FW 大儀見優季、京川舞、岩淵真奈、ここまで当確、あとは道上彩花、柴田華絵あたりか。

MF 大野忍、川澄奈穂美、宮間あや、田中陽子、楢本光、阪口夢穂

DF 熊谷紗希、田中明日菜、鮫島彩、

ここまで書いて、あとが出て来なくなったので、一旦終わりにしたい。

あとだわかったことだが、DFの岩清水梓は、まだ25歳とのこと。もう30歳前後と思っていたので、まったく対象にしていなかった。このように、情報不足が目立っており、ピックアップなどとはおこがましいことだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はずむ京川、待ってたよ。

2013年02月11日 19時03分34秒 | インポート

最近、スポーツ紙の一面にサッカーが来ることは滅多になくなった。海外の選手たちも、それほどニュースバリューのあることばかりではなく、国内もオフ状態なので、致し方ないところか。

もしかしたら終面で扱われていることもあるのかも知れないが、もう1面トップしかチェックしないことに決めたので、まったく様子がわからない。

先日、日本代表vsラトビア戦があった翌日2月7日は、さすがにニッカン、スポニチ、サンスポ、トーチュウの4紙がトップ扱いだったが、それ以前のトップ扱いは1月12日のニッカンが扱った「本田、ケニアランナーと極秘トレ」まで遡らなければならない。

そんなわけで日常のサッカー関係の出来事は、定期購読している産経新聞のスポーツ面に頼っている。

2月10日、その産経新聞に、うれしい記事が載った。タイトルは「はずむ京川 完全復活へ『アピール』」

それだけでウキウキする。大けがをして戦線を離脱したのが昨年5月とのこと。それからの長い期間、記事を読むと本人が「メンタル的には、ずっと強くなった」と受け止めているという。そして「約1年ぶりに代表のジャージーに袖を通してピッチを駆け回る姿は喜びにあふれている」という。

当ブログは、昨年5月16日、「京川舞選手、下を向かないで」というメッセージを贈った。京川選手に直接届いているとは思っていないが、ちょうど多くの舞サポーターたちが「勇気」の気を送ったと同じようにメッセージを贈らずにはいられなかった。

その一部を再録しよう。

「京川舞選手。下を向かないで。決して焦らないで。まだ先は長いから。ロンドン五輪のチャンスを逃したぐらいで悲しまないで。澤選手は代表デビューからW杯優勝まで18年だよ。1年かかっても完全に治るまで無理しないで。完全に治したら、その後のサッカー人生の中で絶対、あなたが世界中にその名を轟かせられる日が来るから。

それを信じなければ、へんに焦ったり無理をしたりして、かえってあなたのサッカー人生がおかしくなるって。ひたすら信じること。そのあとの10何年かの為に、この1年ぐらいの期間は、ひたすら休み、鍛えられるところ(身体と心)を鍛え、よりたくましく、より強くなって帰ってきてください。

そういうあなたを、何万人ものファン、いや何十万人ものファンが待っていることを忘れないでください。」

新聞のレポートによれば、「京川選手は『サッカーがやりたくてもできなかった』という初めての体験を無駄にはしなかった。『自分にはサッカーが必要だと感じたし、だからこそ、もっとうまくなりたいとも思った』」そうだ。

うれしい、とても嬉しい。待ってたよ。舞選手っ!

気が早いが、2015年女子ワールドカップ、カナダで開催されるそうだが、なでしこジャパンのメンバーをピックアップしてみよう。次のプログをご覧ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HDD化作業、500本達成です。一つの区切りです。

2013年01月14日 20時05分02秒 | インポート

ビデオ映像のHDD化作業は、本日2013年1月14日、500本を達成しました。国内であれば日本代表、Jリーグ、海外ものであればワールドカップ、イタリアリーグ、そしてスポーツ系の番組、バラエティ系の番組、さまざまなジャンルで、そのタイトル数は1000を超えていると思います。

タイトル単位の情報は、データベースソフト「ファイルメーカー」に積み上げているのですがHDD化作業と並行しているものの、なかなかはかどりません。

なぜなら、いまHDDに取りこんでいるビデオテープは、カビの発生がひどく、1本1本手作業でビデオカセットを分解、テープをアルコール液で洗浄してから再生しているため、その作業にずいぶん時間をとられているからです。

はやくカビのないところまで進みたいのですが、いま取りこみ作業の中心になっているのが1993年から1994年頃のテープで、カビの発生はそれ以降のものにも多数あるため、当分、除去作業が続くと思います。

500本まで来れば、次の目標は1000本です。HDDに取りこんだ500本のテープは順次廃棄していますから、テープを保管していたダンボール箱が幾らか減ったかと言えば、まだ目に見えて減った感じはありません。1000本まで廃棄が進んだ時の部屋の具合を楽しみにして続けるしかありません。

昨年6月14日がスタート日でしたから、今日で丸7ケ月です。丸1年まであと5ケ月、最近は無理なく続けるため、1日3本を目標にしています。1ケ月で90本ですから、5ケ月で450本、まぁ、6月末ぐらいには1000本が見えてくるでしょう。

はじめる前は5年ぐらいかかると思っていましたが、1000本のところでダンボールの減り具合を見てあとどれぐらいか、また予測したいと思います。

我が「サッカー文化フォーラム」も、これぐらいの映像がHDDに収納されれば、公開も含めて、さまざまな活用方法が具体化できる段階になるかも知れません。

そろそろ具体化プランを練り込みたいと思っています。皆さんからもご希望をいろいろお寄せいただくとありがたいと思っています。

さて、毎度恒例ですが、これまでの取りこみ作業で出会った映像のことを2つ。

一つは、93-94シーズンのイタリアリーグ。WOWOWの放送もすっかりおなじみになり、番組でもいろいろな企画を出してきます。その一つが「富樫洋一のカルチョの国からこんにちわ」

富樫洋一さんは、2006年2月、アフリカネーションズカップの取材先のエジプトで急死された方です。54歳の時だそうです。もう7年経ちますね。

いまでこそサッカージャーナリストというジャンルが、サッカーを愛する青年たちの憧れの職業といってもいいが、なにせ1990年代前半、特にフリーで十分な収入が得られる状態ではない時代に、フリーランスの草分けの一人だった方です。

同じジャーナリスト仲間の田村修一さんが、富樫さんの追悼文をNumber webに寄稿しており、その中で「サッカーの認知度が増し、メディアがそれにつれて大きくなっても、富樫さんはサポーター的な立ち位置を保ち続けた。取材者・ジャーナリストとしての活動よりも、サッカーを見ることの楽しみ、サッカーを愛することの幸せを、彼はメディアを通して表現していたように思う。」と述べています。

田村さんは「そうした浮世離れしたある種の純粋さが、誰からも愛された理由なのだろう。」という表現で富樫さんを惜しんでいましたが、私は、富樫さんのような立ち位置で活動する方がもっと増えて欲しいと願っている一人です。

そういう意味で、我が「サッカー文化フォーラム」がいずれ立ち上げるであろう「サッカー文化の殿堂」に富樫さんは「故人の部」ではあるが必ず入る方だと考えています。

亡くなられる頃は体重が90~100㎏ぐらいに太ったようでしたが、93~94年シーズンの頃は、まだまだシャープな感じのサッカー大好き少年がそのまま大人になった雰囲気でした。

もう一つの話題は、Jリーグ放送の解説陣について。

前にも申しあげましたが、1993年から始まったJリーグ。最初の2年間はCS放送「スポーツ・アイ」が全試合放送をやってくれましたから、映像ビデオのほとんどは「スポーツ・アイ」のものです。

HDD化していて気付いたのは、たとえばNHKとかTBSなどのアナウンサーが実況しているものを、そのまま「スポーツ・アイ」で流しているケースもあったということです。どういう場合そのまま流し、どういう場合スポーツ・アイの実況アナが担当するのか、区別がよくわかりませんが。

ただ、圧倒的にスポーツ・アイの実況アナウンサーの試合が多く、2シーズンの中でおそらく最も多く実況を担当したのは(実数確認していないが)渡辺謙太郎さんだと思います。

渡辺謙太郎さんという方は、スポーツアナの大御所的な方で、オリンピックの重要な場面の実況やプロ野球の実況を長く経験された方です。スポーツ・アイでJリーグを実況された頃は、すでに60歳を超えておられたようですが、とかく「ど忘れ」しがちな固有名詞でもスラスラと流れるように口に出てくる名調子です。

スポーツ・アイの実況担当は、この渡辺さん、土居壮さん、坂信一郎さん、八塚浩さんといったところでしょうか。94年シーズンになると倉敷保雄さんとかが登場してきます。

実況アナウンサーは比較的少ない布陣で対応していたような感じですが、解説陣は多彩です。さきに紹介した富樫洋一さんも何試合か担当していたのをはじめ、藤田一郎さん、両角秀夫さん、小森秀二さん、福井哲さん、林義規さん、アデマール・マリーニョさん、瀧井敏郎さん、渡辺公義さん、向笠直さん、コンスタンチン・テオさん、宇野勝さん、瀬田龍彦さん、福井謙太郎さん、川添孝一さん。

まだまだいらっしゃると思いますが、別の機会にキチンとリストアップしたいと思います。

放送の中で肩書きも紹介されるわけですが、大学や社会人チームの指導者の方が目立っていました。

この頃は、まだ直前までサッカー選手だった人がすぐ解説陣に回ることが少なく、奥寺康彦さんが希少例と言えた時代で、どの局からも依頼されていたようで、奥寺さんの人柄も手伝っていたのではないでしょうか。

1990~1991年シーズンで現役引退した金田喜稔さんが若くして堂々と解説しているのを珍しく思ったものですが、20年たった今は、地上波、スカパーとも現役引退したJリーグの選手たちが、各局の解説陣に名を連ねるのが主流になってきて、プロ野球と似た構図になってきました。

私がいつも思うのは、選手たちの世界も毎年100人単位でプロ選手になると同時に、同じ数だけ戦力外となってプロの世界を離れるわけですが、解説陣の世界も毎年少しずつ新陳代謝しています。

契約を切られた解説者さんが、次にどのような道に進むのかを、いずれは「サッカー文化フォーラム」の企画として追跡してみたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日のブログで川淵さんの開会式挨拶のことを書いたら今日の新聞一面に川淵さんのコラムが

2012年08月12日 11時48分55秒 | インポート

昨日のブログで、93年のJリーグ開幕セレモニーの感動のことを書き、川淵チェアマンの簡潔かつ過不足ない挨拶のことを書きましたら、今朝の新聞一面に川淵さんのコラムが掲載されていました。

「スポーツ先進国へ」というテーマのコラムには「一握りの力より底辺広く」というサブタイトルがついていました。

ロンドン五輪での日本選手の活躍に絡めたコラムですが、川淵さんが長年力を尽くしてこられた地域の隅々までスポーツが根付いている姿、その裾野の広がりに支えられてトップアスリートを輩出していく姿、それこそがスポーツ先進国への道というわけです。

我が「サッカー文化フォーラム」も、サッカーという分野だけではありますが、サッカーが好きでしようがない多くの人々とともに底辺を広げていく活動に貢献していこうと思っています。

ますます盛り上げていきましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国から日本全体に、冷たい水をバサッとぶっかけられた心境です

2012年08月11日 19時42分16秒 | インポート

先のブログにも書きましたように、オリンピックで男女サッカーの快進撃が続き、合計12試合も楽しませてもらえるお祭り騒ぎに耽っていた日本中。その最後の試合で、韓国から日本全体にいかにも冷たい水をバサーッとぶっかけられた感じです。

これまでのお祭り騒ぎが一気に覚めてしまって、沈み込んでしまいました。私は三位決定戦の試合は見ていません。テレビ画面の時計表示が60何分かの時にチラッとみましたら0-2でしたから「こりゃダメだ」と、また寝ました。

しかし、このあとのことを考えれば、どのカテゴリーもそうですが、韓国は特異な国として試合に臨まなければ道は拓けないということになります。そうしないと、こんな具合に日本に立ちはだかる国が隣国なんです。連中は「日本よ、ざまぁ見ろ」と叫んでいるのです。

なでしこジャパンは前回五輪で「ベスト4に残りながら自分たちだけがメダルを持って帰れなかった」と悔しがりました。その悔しさの大きさ、深さが今回につながってします。男子の場合、次回五輪のチームは別のメンバーになってしまいますので、その悔しさの継承は難しいでしょうけれど、難しいで済ませていては、いつまでも進化できないでしょう。

日本も、これからは「韓国だけには絶対負けられない」という気持ちで臨まないと、これからも日本全体に冷や水をぶっかけられ続けるでしょう。なにせ、大統領が不法占拠している島に上陸して何ら恥じない国です。もはや、韓国が第二次世界大戦時のことを、今なお蒸し返して言いたい放題、やりたい放題なら、日本が何の遠慮がいるでしょう。そういう国が隣りにいるのですから、友好? 韓流ブーム? フン!くそくらえです。

サッカーは別にしましょうよとか、スポーツはスポーツでとか、能天気なことを言っている日本人が多いものですから、どんだけ韓国にやりたい放題やられる国になったか、です。

それは中国もロシアも同じですけれど。

まぁ、何はともあれ、日本全体に氷のように冷たい水をバサーッとぶっかけられ、オリンピックのお祭り気分はすっかり冷めてしまいました。なでしこの偉業は冷めませんが、男子のこれまでの5試合がすっかり、かき消されてしまいそうです。

相手が韓国でさえなければ立派な4位といってもらえるのに。これからも日本はそういう避けられない宿命と向き合っていく強い気持ちを持ちましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする