「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方、ご連絡ください。

2024年06月26日 20時34分34秒 | サッカー文化
前回の書き込みが3月28日でしたが、同じタイトルで、あらためて呼びかけさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

・当「サッカー文化フォーラム」夢追い人が、30数年前に見た夢は、次のようなものでした。

・1993年にJリーグがスタートすることになり、日本にも「サッカー文化」という新たな文化が育っていくのではないかという期待が湧きました。
このスタートの段階に、誰もやらない何かに挑戦して、やり遂げたいという夢をみたのです。

・Jリーグのスタートによって「サッカー文化」が芽生え、日々成長・進化して発展していくとすれば、その一部始終を「記録として残す」ことに取り組もう、その記録は後年、必ず日の目を見るに違いないと考えました。

・やるからには「徹底的に」と考え、最初は「Jリーグの全試合録画・保存」「サッカー専門誌のバックナンバー購入・保存」「スポーツ紙の購入・保存」という3分野の記録保存から始まりました。

・次第に「サッカー関連の番組映像の録画・保存」「ワールドカップなど関心の高い大会の録画・保存」「サッカー関連書籍の購入・保存」「日本代表の活躍など特集冊子の入手・保存」など「サッカーに関すること全般の記録収集・保存」に広がりました。

・10年、20年と、その記録・保存を続けていくうちに、特にアナログ時代の(映像も紙媒体も)記録は、保存の重要性が増していることを実感しました。

・ですから、録画作業も、活字媒体の点検も、文字どおり来る日も来る日も続けました。試合だけでなく番組系も含めた国内で放送されている、あらゆるサッカー関連の映像録画から、サッカー関連の紙媒体の文字情報まで、およそサッカー情報と思われるものを全て網羅的に収集・保存する作業は、日本広しといえども誰も手掛けていないと考えながら、自分だけは続けるんだと言い聞かせて続けました。

・一方で、当初はすべてアナログ資料でしたから、保存しているダンボール箱の数が増えるだけで、デジタル化により減量を図らないと記録・保存の継続性も危うくなりました。

・そこで、ここ10年間は、ビデオ映像とスポーツ紙のデジタル変換化に集中しました。サッカー専門誌のデジタル化は、まだ準備作業段階です。

・Jリーグスタートから30年が経過した最近は、新規の記録・保存を自分がしなくても、ネット上で入手できる時代になったと実感しており、2023年1月上旬以降、映像記録を終了しました。

・ビデオテープの画像は1TB~4TBのHDD20台ほどに収まっています。
このアナログ時代の映像というのは、特に保存価値が高いということを、年々時間が経つにつれ感じています。

・画像のHDDへの取り込み作業は、ビデオテープからの変換作業だけでなく、スカパー録画映像やブルーレイレコーダー録画映像など、チューナー付きHDDに紐づいてしまっている画像を、パソコン再生可能画像に変換してHDDに収め直すという形でも行っています。紐づいたままでは共有できないからです。

・こうしたHDDへの変換作業と並行して、個別のテープ内容を「ファイルメーカー」というデータベースソフトに入力する作業も行っています。その個別データベースによって、全体数量がいくらになっているのかカウントできます。

データの内訳は、
①Jリーグ関係(三大タイトル、ACL、日本リーグ時代含む)が3679タイトル(2024年6月現在)
②Jリーグを除く国内チーム試合関係(男女日本代表、男女五輪代表、アンダーカテゴリー代表、大学、高校、中学、小学生各全国大会等)が1323タイトル(2024年6月現在)
③海外チーム試合関係(W杯、各大陸別大会、海外クラブ関係等)が2146タイトル(2024年6月現在)
④サッカー番組関係(スーパーサッカー、やべっちFC、FOOT×BRAIN等の定期番組、各クラブ応援番組、サッカー特集番組、ドキュメンタリー番組のうちサッカーがテーマのもの、スポーツ番組のうちサッカー関連部分、バラエティ番組でサッカー選手やサッカーがテーマのもの等)が5385タイトル(2024年6月現在)
⑤合計12,533タイトル(2024年6月現在)です。

またスポーツ新聞をスキャナーでPDFに保存する作業も進めています。1990年頃から収集を始め2020年頃まで続けてから、A3版スキャナーでPDFに変換する作業を開始、2012年まで完了しました。A3版1枚のカラー画像は約1.6MB程度の容量ですが、取り込み済の容量が32.3GBですので、A3版にして20000枚ほど取り込んでいます。

サッカー専門誌はスキャナー取り込みの前処理として、綴じ込んでいるホチキスを外して残したいページだけを選び出す作業を進めており、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3誌からの選び出し作業を完了しました。最近、スキャナーでPDFに保存する作業も始まりました。

スポーツ紙とサッカー専門誌を合わせて、現在まで取り込んだ量は、A3版1枚のカラー画像が約1.6MB程度の容量、取り込み済の容量が32.3GBですので、A3版にして約20000枚ほど取り込んだ計算になります。

おそらく最終的には50000枚ぐらいにはなると思います。

ほかにサッカーai誌や、W杯特集冊子、Jリーグイヤーブック、そしてハードカバーの書籍類が現品のまま保存されています。これらはスキャナー取り込みをせずに現品のままにしておこうと考えています。

したがって最盛期には小さな賃貸住宅1戸分一杯の荷物だった物量も、現在は4畳半1部屋においてあるスチール製書架(幅90cm高さ180cm奥行25cm)6台に、すべて収納できる量まで減りました。


・以上のように、1993年のJリーグスタートをもって萌芽した、日本のサッカー文化が成長・進化・発展してきた歳月を、克明に、かつ網羅的に記録し続け、保存するという30年以上前に描いた夢は終わりに近づいていると思います。

・これまで記録・保存してきた資料は「日本のサッカー文化遺産」と言えるのではないかと思います。この資料を引き継いで継承していただき、100年先まで繋ぎ伝えていこうという志をもった方を探したいと考えるようになりました。

・ぜひ、このHDDに収めてある情報資産と現品資産を保管・管理・活用していただきながら、100年後まで継承して引き継いでいって欲しいのです。引き継いでいただける方が見つかり、引き継ぎができたところで、当「夢追い人」の役割を終わらせていただきます。

当然のことながら、引き継いでいただける方には、無償でお譲りします。引き継いでいただいた方は、時には自由に閲覧していただき、時には自由に有効活用していただいて構いません。

もし、そういう方に引き継げなければ、この4畳半のサッカー情報資産は、私の死亡によって資産として残らず、単なる廃棄物になってしまいます。
そうはしたくないのです。

この「サッカー文化フォーラム」夢追い人が見た夢を、引き継いで継承していただきたく、志をもった方が声をかけてくださるのをお待ちしています。

何かお考え、心当たり、あるいはお問い合わせでも構いません。何かある方は、ぜひご連絡ください。
お待ちしております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方、ご連絡ください。

2024年03月28日 13時26分40秒 | サッカー文化
昨年放送されたNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった植物学者の牧野富太郎博士の業績が、とにかく、こつこつと収集・保存・分類するという作業がベースになっていたということで、私自身と重なるように感じ、欠かさずドラマを見ました。
そして昨年3月末に迎えたエンディングテーマは「継承・引き継ぐ」というものでした。

当「夢追い人」が、自己紹介欄で述べていること「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたいと思います。」
まさに「継承・この先に引き継ぐ」というミッションです。

私の取り組みは、Jリーグがスタートした1993年から、まずJリーグ全試合の録画保存作業を本格的に始めたことが契機となっています。

この、日本におけるプロサッカーリーグの誕生であるJリーグのスタートによって、文字通り、日本にも「サッカー文化」という新たな文化が芽を吹き始めました。それがどのように育ち、成長・進化・発展していくのか、克明に記録に留め、後年、それをつぶさにひも解くことにより、さまざまな調査・研究が可能になるはずだという、確信めいた思いが動機になったのです。

そこで当「夢追い人」は、日本(東京キー局)で放送されたサッカーの試合のすべてを網羅的に録画すること、サッカー関連番組も定期・不定期を問わず可能な限り録画すること、地上波放送もBS放送も、CS放送もすべて録画し続けることにしました。

またスポーツ新聞は、毎日欠かさずチェックして1面を飾っている新聞はすべて購入し続けることにしました。

さらにサッカー専門誌は、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3紙を定期購入することにしました。

そのほか、総合スポーツ誌と言われる「Number」誌もサッカー特集になっていれば全て購入することにしました。

それを、来る日も来る日も続けました。試合だけでなく番組系も含めた国内で放送されている、あらゆるサッカー関連の映像録画から、サッカー関連の紙媒体の文字情報まで、およそサッカー情報と思われるものを全て網羅的に収集・保存する作業は、日本広しといえども誰も手掛けていないと考えながら、自分だけは続けるんだと言い聞かせながら続けました。

録画作業は最初の12年間ぐらいは、いわゆるビデオテープ録画、次にDVDディスクに録画、2016年頃からはHDDへの録画になりました。

このブログの書き込みは2012年から始めましたが、その年の6月からはビデオテープをデジタル変換してHDDに残す作業を開始しました。変換作業は2023年夏にすべて終了しました。
ビデオテープの画像は1TB~4TBのHDD20台ほどに収まっています。
このアナログ時代の映像というのは、特に保存価値が高いということを、年々時間が経つにつれ感じています。

昨今はYouTubeの普及により、アナログ時代のサッカー関係画像もずいぶん見られますが、それはごく一部でしかありません。

また、画像のHDDへの取り込み作業は、スカパー録画映像やブルーレイレコーダー録画映像など、チューナーに紐づいてしまっている画像を、パソコン再生可能画像に変換してHDDに収め直すという形でも行っています。これも、紐づいたままでは共有できないからです。

こうしたHDDへの変換作業と並行して、個別のテープ内容を「ファイルメーカー」というデータベースソフトに入力する作業も行っています。そのデータが全体の数量をカウントしてくれているので、それをお知らせします。

データの内訳は、
①Jリーグ関係(三大タイトル、ACL、日本リーグ時代含む)が3668タイトル(2024年3月現在)
②Jリーグを除く国内チーム試合関係(男女日本代表、男女五輪代表、アンダーカテゴリー代表、大学、高校、中学、小学生各全国大会等)が1138タイトル(2024年3月現在)
③海外チーム試合関係(W杯、各大陸別大会、海外クラブ関係等)が2076タイトル
④サッカー番組関係(スーパーサッカー、やべっちFC、FOOT×BRAIN等の定期番組、各クラブ応援番組、サッカー特集番組、ドキュメンタリー番組のうちサッカーがテーマのもの、スポーツ番組のうちサッカー関連部分、バラエティ番組でサッカー選手やサッカーがテーマのもの等)が5281タイトル(2024年3月現在)
⑤合計12,163タイトルです。

またスポーツ新聞をスキャナーでPDFに保存する作業も進めています。1990年頃から収集を始め2020年頃まで続けてから、A3版スキャナーでPDFに変換する作業を開始、2012年まで完了しました。A3版の画像は約1.6MB程度の容量ですが、取り込み済の容量が24.8GBですので、A3版にして1万5500枚ほど取り込んでいます。

サッカー専門誌はスキャナー取り込みの前処理として、綴じ込んでいるホチキスを外して残したいページだけを選び出す作業を進めており、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3誌からの選び出し作業を完了しました。ほかにサッカーai誌や、W杯特集冊子、Jリーグイヤーブック、そしてハードカバーの書籍類がまだ現品のまま保存されています。

したがって最盛期には小さな賃貸住宅1戸分一杯の荷物だった物量も、現在は4畳半1部屋においてあるスチール製書架(幅90cm高さ180cm奥行25cm)6台に、すべて収納できる量まで減りました。

そこで、当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方を本格的に探したいと考えている次第です。

期間にして30年分の保存の映像・活字情報記録をHDDに収めてある情報と書籍類の資産です。Jリーグがスタートしてから、日本のサッカー文化がどのように成長・進化して、大きな社会現象になっていったか、つぶさに記録されている「日本のサッカー文化遺産」です。

ぜひ100年後まで継承して引き継いでいって欲しいのです。当「夢追い人」の役割は、次の20年あるいは30年ぐらい、このHDDに収めてある情報資産を保管・管理していただける方に引き継ぐところで終了したいと考えています。

当然のことながら、引き継いでいただける方には、無償でお譲りします。引き継いでいただいた方は、時には自由に閲覧していただき、時には自由に有効活用していただいて構いません。

もし、そういう方に引き継げなければ、この4畳半のサッカー情報資産は、私の死亡によって資産として残らず、単なる廃棄物になってしまいます。
そうはしたくないのです。

何かお考え、心当たり、あるいはお問い合わせでも構いません。何かある方は、ぜひご連絡ください。
お待ちしております。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20世紀末、世界のサッカーと日本サッカーのことを4時間にわたってノンストップで放送した番組を覚えていますか?

2023年12月11日 16時49分53秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」が、これまで30年にわたり収録してきたテレビ放送の試合・番組映像、サッカー専門誌、スポーツ紙、総合スポーツ誌などの記録を、一つひとつデータベースに集約していることは、何度かご紹介してきました。

特にテレビ放送の試合・番組映像内容は、その内容を再生して確認しないと、どんな内容だったのか伝えられないので、なるべく詳細にデータベース化しています。

日々その作業を続けている中で、試合映像でもない番組で、堂々4時間もの、しかもCMが入らない、いわばノーカット版とも言える番組の内容をデータベースに記録しましたので、空前絶後とも言える番組の内容を、当・夢追い人の書き込みでもご紹介したいと思います。

放送時期は1999年12月27日、この時期は1900年代最後の年ということで、この100年間はどのような時代だったかという、歴史的視点で制作された番組がいくつかあります。
今回ご紹介するのは、NHK-BSで制作された「スポーツの世紀」というドキュメンタリーシリーズの「サッカー編」とも言うべき放送でした。
正式な番組名は「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」というものです。

当時はビデオテープ録画の時代でしたから、4時間もの番組を標準モード録画で1度に収録することができず、区切りのことも考えて2時間毎に分けて収録しました。
そのためテープ2本に収められています。

内容が1930年に始まったワールドカップ大会、1936年に日本がベルリン五輪で起こした奇跡などから始まる長い歴史をひもとく内容ですので、放送時間経過とともに、どのような内容だったかを振り返ってみます。

【1999年12月27日放送NHK-BS「スポーツの世紀『サッカーは海を越えて・蹴球100年浪漫』」】
【1本目、2H01'01】
・番組進行・NHK山本浩アナウンサー
・オープニングナレーション 俳優・岡田真澄さん
・6分後、ワールドカップ物語Ⅰ、1930年第1回ウルグアイ大会から1954年スイス大会まで
(ナレーター・真中了さん)
・15分後、日本サッカーⅠ、1936年ベルリン五輪の奇跡
・33分後、日本サッカーⅡ、戦後ゼロからの出発
・49分後、ワールドカップ物語Ⅱ、1958年スウェーデン大会から1970年メキシコ大会まで
・66分後、日本サッカーⅢ、黄金時代到来の予感、デッドマール・クラマーの指導、1964年東京五輪
・1時間17分後、日本サッカーⅣ、メキシコの青い空、1968年メキシコ五輪銅メダル
・1時間38分後、ワールドカップ物語Ⅲ、1974年西ドイツ大会から1982年スペイン大会まで
・1時間55分後、日本サッカーⅤ、はるかなる玄界灘、サッカー低迷の時期

【2本目、1H59'54】
・1本目から続き、1986年W杯アジア東地区予選で敗退(1985年10月)
・2時間13分後、ワールドカップ物語Ⅳ、1986年メキシコ大会、1990年イタリア大会
・2時間27分後、日本サッカーⅥ、プロ化への道、1986年木村和司、奥寺康彦2選手ライセンスプレーヤー(プロ契約)誕生、1991年Jリーグ設立発表
(川淵チェアマンゲスト出演)、カズ帰国、ジーコ鹿島入団、日本代表ダイナスティカップ優勝、1992年アジアカップ優勝、サッカー人気急上昇、1993年5月Jリーグスタート
・2時間40分後、日本サッカーⅦ、ドーハの試練
(井原正巳選手ゲスト出演)、1993年秋、1994年W杯アジア最終予選4戦目で韓国に勝利した日本が最終戦、イラクに勝利すれば、悲願のワールドカップ初出場が決まるという試合、2-1でリードして迎えた後半ロスタイム(アディショナルタイム)、17秒後に悲劇。
ゲスト出演の井原選手をはじめ日本イレブンに起きた誤算が生んだ同点弾、一つはこれまでロスタイムをとった試合がなかったのにロスタイムに入ってからも試合が続いたという誤算、もう一つは、イラクが得たコーナーキックで思いがけないショートコーナーからのクロスが入ったという誤算、日本の選手たちは、まさかロスタイムにショートコーナーを入れるなんて、という気持ちになったが、イラクの選手はロスタイムに入ったという認識がなかったためショートコーナーを選択して、それがかえって意表を突く形となった。

・2時間53分後、ワールドカップ物語Ⅴ、1994年アメリカ大会
(ナレーター・岡田真澄さん)、マラドーナ、ドービング違反で大会追放、大会後、コロンビア・エスコバル選手が敗退の責任者とみなされ射殺、イタリアの苦しい戦いを何度も救ったバッジョの活躍、そのバッジョも決勝戦のPK戦、最後のキッカーとして登場したが外してしまい優勝は逃した。ブラジルが4度目の優勝
・3時間00分後、日本サッカーⅧ、マイアミの熱い夏
1996年3月、アトランタ五輪アジア最終予選を勝ち抜き、28年ぶりの出場権を獲得、本大会初戦はフロリダ州マイアミでブラジルと対戦
(アトランタ五輪代表・西野監督がゲスト出演)、守備を固めワンチャンスを狙う戦術がはまり、見事に1-0で勝利「マイアミの奇跡」と報じられた。第3戦目もハンガリーに勝利、2勝をあげたものの、得失点差でグループリーグ突破を逃した。西野監督にはハンガリー戦をどう戦うか葛藤があったが、同時に、世界と互角に渡り合った経験が財産として残った。

・3時間21分後、日本サッカーⅨ、98年フランスW杯、苦闘の270分
1997年秋、フランスW杯アジア最終予選、第3戦ホームでの韓国戦に逆転負け、続くアウェーのカザフスタンと引き分けたことから、日本サッカー協会は急遽、加茂監督を更迭、岡田コーチを昇格させる背水の陣を敷いた。続く5戦目、6戦目とも勝てず引き分けたが、7戦目アウェーの韓国戦で勝利、他国が勝ち点を伸ばせなかったこともあり2位、プレーオフ出場権圏内に浮上した。そして最終戦ホームのカザフスタン戦に快勝した日本はマレーシア・ジョホールバルでの第三代表決定戦に臨み、延長Vゴール方式の綱渡りの試合を、延長後半13分、中田英寿が打ったシュートのこぼれ球に反応した岡野雅行がスライディングでゴールに流し込み、遂にワールドカップ初挑戦から43年目、10回目のチャレンジで悲願の切符を手にした。
そして本大会、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦した日本は、わずか1得点3戦全敗で初挑戦を終えた。44年目にして立った初舞台は苦闘の270分間となったが、未来につながる初舞台として記憶される。

・3時間40分後、ワールドカップ物語Ⅵ、フランスはジダン、ブラジルはロナウドらの活躍で勝ち上がった。準々決勝アルゼンチンvsイングランド戦、準決勝ブラジルvsオランダ戦などの見ごたえある試合、新興国クロアチアの快進撃などの話題の中、フランスvsブラジルの決勝となり、ジダンの2ゴールなどでフランスが快勝、開催国としてワールドカップ初優勝を果たした。
・3時間55分後、エピローグ
世紀末の1999年、日本はワールドユース選手権で準優勝、シドニー五輪予選も圧倒的な力で突破、2000年シドニー五輪、2002年日韓W杯と続き、日本代表の活躍に大いなる期待をもって1900年代の幕を閉じることとなった。【完】

どうです。壮大なオデッセィですね。そして、それからさらに23年、日本サッカー協会は100周年を超え、天皇杯サッカーも103回まで数える年、日本サッカーは「ワールドカップ優勝をめざす」と夢物語ではなく語れるところまで来ました。

欧州ではクラブレベルでのチャンピオンズリーグ、国別レベルでのネーションズリーグが巨大ビジネス化して、ワールドカップ大会の意味合いも変容しつつあります。

この先の「サッカーの世界」がどのようなものになるか、ちょうどワールドカップ100年になる2030年あたりに、1999年から2030年までの日本サッカーの成長・進化・発展の歴史を追加してみたいものです。

それまで元気で頑張ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本がW杯で優勝するようになる条件、公園でのサッカーが日常風景に、それだけでしょうか?

2023年12月04日 18時01分03秒 | サッカー文化
前回の書き込みで「日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」」と申し上げました。

書き込みの最後近くでは「サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうです」と付け加えましたが、そもそも、公園でのサッカーが日常風景になれば、それだけで「サッカー文化が根付いた」と言えるのか、についてもよく考えてみる必要がありそうです。

といいますのは、ヨーロッパにしても南米にしても、スポーツ全体を見渡した場合、他のスポーツが「サッカー」に肩を並べている、もしくはそれ以上になっている状況が、あまりないということも考慮していく必要がありそうだからです。
それを考えると、ヨーロッパや南米は、日本とずいぶん違う事情ではないかという気がします。

日本には昔から「相撲」という、まさしく日本の文化の一つと言えるスポーツがあった他、野球も戦前からの長い積み上げで、すっかり日本に定着しており、文化といえるレベルのものだと思います。

もちろんヨーロッパでもイギリスならクリケット、フランスからロード自転車というように国によって、サッカーに勝るとも劣らない人気スポーツがあるようですが、大きなスタジアムに大勢の観客を集めて、テレビ放送なども含めて圧倒的なマーケットを形成しているのは、やはり「サッカー」であり、それは南米でも同じです。

日本ではメディアの露出を含めた国民的スポーツに位置付けられているのは「プロ野球」であり、そこから巣立っている大谷翔平選手をはじめとしたメジャーリーガーも、サッカーで欧州に活躍の場を求めている日本人選手たちとは、注目度がまるで違う状況になっています。

大谷翔平選手が世界ナンバーワンの地位に登り詰めている活躍は喜ばしく誇らしい限りですが、サッカーと比べた場合の世界ナンバーワンの意味合いは、少し違うのではという気もしないではありません。

やはり世界最大のプレー人口と世界最大の祭典を持つサッカーの世界や、そしてヨーロッパの各国リーグチャンピオンが集結する欧州チャンピオンズリーグなどの規模感、マーケット感を見れば、サッカーの世界でナンバーワンを目指すことも重みは断然違うように思いますが、日本人のメンタリティはそうではないように思います。

冒頭申し上げた「公園でのサッカーが日常風景にしていく取り組み」は連綿と続けられると思いますが、サッカーに携わる人々の飽くなき努力が、なかなか実を結ばない、何かが引っ掛かるのではないかと思うのです。
その要因として、日本人の「スポーツ全体の中でサッカーをみるメンタリティ」にあるように思うのです。

ですから、サッカーをプレーで楽しむ人々の裾野を広げる努力を後押しする形で、日本人のサッカーに注目するメンタリティも高めていくことも重要なのではないかという気がします。

サッカーに注目するメンタリティを高めるって、どういうことかを考えてみます。
わかりやすいのが、昨年11~12月に行われた2022年カタールW杯と、そのあと年明けすぐに行われたWBC、すなわちワールドベースボールクラシック、これに対する日本人の熱狂度の差を見ると、日本人のメンタリティが、よくわかると思います。

昨年11~12月のカタールW杯で、日本代表はグループリーグでドイツ、スペインといったW杯優勝経験国を撃破するなど歴史的な活躍でしたが、年が明けてワールドベースボールクラシック(WBC)が始まるとテレビも新聞もネットも連日連夜、WBC日本代表の活躍を取り上げ、まさにお祭り騒ぎのレベルに達しました。

そして日本が劇的な形で優勝を果たしましたから、日本列島の興奮は頂点に達しました。
2023年はその後も大谷選手のメジャーリーグでの活躍、国内プロ野球では阪神タイガースの日本一などが続き、まさに野球の1年になりました。
こうしたメディアの扱いに乗せられた日本人のメンタリティというものは、そう簡単にサッカーに向けることが難しいと痛感した次第です。

「サッカーも野球のように強くなれば注目度はあがるよ」という意見もあるかも知れませんが、これも鶏が先か卵が先かのような議論になりそうです。

かつて2002年日韓W杯で、私たちは「サッカーを愛する人間」であることの喜びを、これでもか、これでもかというほど味わいました。メディアの扱いは、まさにサッカー一色だったのですから。当時のプロ野球関係者をはじめ他のスポーツの多くの人たちは、サッカー、サッカーの毎日に無力感を味わったに違いありません。

それほどメディアの扱いによって、日本人のメンタリティは動かされていたように思います。あの大会に先立つこと4年前、とうとう日本はフランスW杯で初めてW杯の舞台に立ちました。そこに至るまでの苦難も道も日本中の人たちが知っていますから、それだけ厳しいW杯の舞台が日本にやってくるとなれば、メディアも別格の扱いだったと思います。

今年初めのワールドベースクラシックのメディアの扱い、ニュースやスポーツ系番組はもちろんのこと、朝、昼のワイドショー系番組、スポーツ紙なども含めて日本列島WBC一色の状況をみて、あの、2002年日韓W杯の期間を思い出しました。

サッカー日本代表は、その後も24年間、7回連続でW杯連続出場を続け、2002年をはじめ4度もグループリーグを突破してますが、多くの日本人のメンタリティは「まだ、そこまでだよね」ということになるのでしょうか。

そこから一つ勝ち上がることがどれだけ難しいことか、2002年までの苦難の歴史を知っていれば想像がつくのですが、それはサッカーの世界を知っている人間だけの話で、多くの日本人には関心の薄いことなのかも知れません。

サッカーが、世界の舞台で結果を出せばメディアの注目も集め日本人のメンタリティが変化するのか、あるいは、サッカーという地球上最大のスポーツにメディアも日本人のメンタリティも関心を示してくれればおのずと結果もついてくるのか、これまた鶏が先か卵が先かのような問答になりそうです。

ただ一つ確かなことは、欧州や南米の国の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティと日本の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティには明らかな違いがあり、「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」という欧州や南米の国で普通に見られる風景を、日本で実現させるのは、そう簡単なことではないと思います。

日本がW杯初出場まで68年もの歳月を要したように、初出場から優勝までも、それぐらいの苦難の道になるであろうと肝に銘じて、サッカーを愛する人の輪を広げ裾野を広げ、親子・孫の3世代にわたってサッカーを愛する人たちを増やしていくんだという、息の長い時間軸で取り組むことにしようではありませんか。

「W杯優勝」が先でも「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景」が先でもいいではありませんか。できるだけ早く、そういう喜びが到来するように、私たちは、ただ、ただ頑張りましょう。
こうやって語り合い、志の輪を広げながら・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」

2023年12月01日 18時24分33秒 | サッカー文化
日本がサッカーW杯で優勝できる日はいつ来るのか、もうすぐなのか、まだまだ先なのか、まだ見ぬ未来に思いを馳せて、我が日本代表が世界一に上り詰める姿を「サッカーを愛する」多くの日本人が夢見ていることと思います。

そんな未来の夢に明確に道筋をつけてくれるような考えを、最近、二人の指導者が持っておられることを知りました。

一人は、東京国際大学サッカー部の前田秀樹監督、もう一人は大阪・興国高校サッカー部の内野智章監督です。

前者は、元日本代表のキャプテンも経験され現役引退後は、それこそジュニア世代から、ユース、そしてプロクラブまで、すべてのカテゴリーでの指導経験を持つ稀有なキャリアの方です。

前田監督の著書に竹書房刊の書籍『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』という書物があるようですが、うまい具合に「REALSPORTS」社のサイトが「変わりつつある『大学』の位置付け。日本サッカーの大きな問題は「19歳から21歳の選手の育成」」というタイトルで、この書籍からエッセンスを抜粋してくれました。

その中で前田監督が述べているのは、
「スポーツは社会にとって必要なのか、必要ではないのかと考えた時にスポーツが必要だということを多くの人に理解してもらわないといけない。だから、サッカー経験者を増やすことが大事なんだと私は考えています。」

そして、
「サッカーの輪を広げるために、東京国際大学は部員の枠を作らず、希望者全員を入部させることにしています。4年合計約350人の大所帯のチーム編成となっているのです。我ながら、すごい人数だと思います(笑)。毎年100人以上が入部してくるので、10年で1000人以上のサッカーファミリーを生み出していることとなります。」

さらに、
「すべての選手がプロの選手になるわけではありません。大事なのは、すべてのカテゴリーの選手がサッカーを好きであり続けること。卒業後にJリーグの試合を見に行くようになり、将来的に結婚をして子どもができた時にサッカーをさせて人口を増やしていってくれれば、サッカーはメジャースポーツに近づいていきます。」と述べています。

前田監督は、こう締めくくっています。
「普及活動はすぐに結果が出るものではありません。成果が表れるのは10年後か20年後かもしれません。でも、短期的なものではなく、長い目線で見ていく必要があると思います。ワールドカップで優勝することはそんなに簡単ではありません。

なぜ、ブラジルが強いのか。サッカーが国民に浸透していて、日常にあるからなんです。それが強さの秘訣だと思います。一人でも多くサッカーを経験する人を増やすことが大切なんです。そして、サッカーを文化にしていくことが大事なんです。それをこの大学でやっていきたいんで
す。」

次に大阪府の興国高校サッカー部の内野智章監督。
興国高校サッカー部は、冬の全国高校サッカー選手権の常連校ではない学校ですが、プロを目指す若き才能が数多く集まることで注目を集めています。

内野智章監督は、体育教師の傍ら2006年、監督に就任すると、同校を「関西のバルセロナ」と呼ばれるほどの強豪校に成長させました。

加えて、日本代表で、スコットランド・セルティックに所属して得点王に輝くなどの活躍をしている古橋亨梧選手を始め、この10年間で30人以上のプロ選手を輩出(Jリーガーは27人)していることから、その指導が注目を集めています。

今年6月、監督を退任して同校のジェネラルマネージャー(以下GM)に就任、部員の進路に関するサポートや有望選手のスカウティングをはじめ多岐にわたってFC KOKOKUのプロモーターとして尽力されることが学校から発表されました。そこで、ここからは「前監督」と表記します。

サッカーの技術だけでなく、高校生が高校生らしく、本来持ち合わせているべき感覚を尊重する指導法が特徴とのことですが、その内野前監督が、2020年8月15日放送のテレビ東京サッカー番組「FOOT×BRAIN」に招かれました。

番組でのトークのメインは内野監督(当時)の指導法でしたが、最後に「夢はどんなことですか?」と質問されて答えた内容が、

「日本全国どこの公園に行っても、おじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいるぐらいになるのが夢です。それぐらい裾野が広い、サッカーが日本の文化になってくればW杯で優勝することができるのでは・・・。いや、それぐらいにならないとW杯で優勝できないのではないかと思います。」というものでした。

前田監督も内野前監督も、それぞれの立場で違う考え方でサッカーの指導をされていますが、未来を見据える夢は同じだということに、目からウロコが落ちる思いでした。

前田監督がブラジルのことを例にしていましたが、実はお二人とも同じ体験をされていて、研修のためドイツに行った時「スポーツシューレ(複数の競技種目に対応できる大規模な滞在型総合型スポーツ施設)」で、まさに、おじいちゃんと孫が楽しそうにサッカーボールで遊んでいる光景を見て同じことを考えたそうです。

「日本もこうなればいいな、サッカーが日常にある姿、サッカーがその国の文化になっているというのは、こういうことを指すのだろう。日本がこういう姿になるように、自分も少しでも貢献したい」と。

当・夢追い人も「日本にサッカー文化が根付くために」という思いでおりますが、では「サッカー文化が根付いている姿」が実際にはどのような姿か、なかなか一言では言い表せないでいました。

これからは、わかりやすく「日本全国どこの運動公園に行っても、芝生の広場があり、そこでおじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいる光景、サッカーが日常に普通になっているぐらい、サッカーを愛する人たちが多い状況、これが『サッカー文化が根付いている状況』です」とお話ししていきたいと思います。

お二人に共通だったもう一つの点は「それぐらいサッカー文化が根付いていないとW杯優勝は大変だと思います。ドイツもブラジルもサッカー大国なのは、サッカー文化が根付いているからだと思います。」というお話です。

サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうですが、少なくとも2023年末時点では、まだW杯優勝が現実味を帯びているようには思えません。

けれども次の北中米W杯までに森保ジャパンが私たちに大きな夢を見させてくれる期待感はあります。代表に招集されるレベルの選手たちがグングン成長して、しかも切磋琢磨して分厚い選手層が作られ、チーム内競争が高いレベルで続いている状況を見ると、このまま成長していって欲しいと願うばかりです。

日本中の津々浦々、芝の公園が普通になり、そこでおじいちゃんも、おばあちゃんも、孫とサッカーボールで遊んでいる様子が普通の光景、そして、W杯ではいつも優勝争いに絡む常連国になっている光景、どちらも、いつの日か現実になることでしょう。ここ3~4年後か、10年ぐらい後か、それ以上にまだまだ先か・・・。

忘年会の口角泡を飛ばす激論のテーマになればと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年12月15日放送、テレビ東京「その日、人生が変わった。サッカーがくれた未来」を昨日見ました。

2023年11月04日 17時04分56秒 | サッカー文化
昨日、2019年12月15日に放送された、テレビ東京の番組「その日、人生が変わった。サッカーがくれた未来」というドキュメンタリーを見ました。かれこれ4年も前の番組です。

当「夢追い人」がサッカー関係の番組などを収録し続けてきたことは、何度か紹介しました。最終的には今年(2023年)1月初めで、一切の録画作業を終了しました。昨年暮れのカタールW杯の収録と、その余韻が残った番組の収録をもって終了した感じです。

その後は、収録済の試合、番組等のHDDへの格納と、データベースである「ファイルメーカー」への記録作業に全力をあげているところです。
今回ご紹介するテレビ東京のドキュメンタリー番組は、その点検作業で出てきたものです。

もともとテレビ東京さんは「FOOT×BRAIN」という番組で「この国にサッカー文化を」を合言葉に、当「夢追い人」が考えている「サッカー文化フォーラム」を、番組上で体現してくれています。この「FOOT×BRAIN」という番組をフォローしておけば「サッカー文化」として扱うべきテーマの太宗を掴むことができる感じです。

この2019年12月15日放送の番組は「FOOT×BRAIN」の拡大版というか、年末特集版といった趣きで、4人の方を紹介しながら、その方が「サッカーというものに出会って、いかに人生が変わったか」を伝えてくれています。
その4人は、
①「熱血課長、街とクラブをつなぐ51歳」というタイトルで、FC東京のホームタウンの中心地であり「味の素スタジアム」の所在地でもある東京都調布市役所の、産業振興課長をされている方
②「夢は日本一の芝」というタイトルで、湘南ベルマーレの本拠地である「レモンガススタジアム・平塚競技場」のピッチメンテナンスに心血を注ぐ湘南造園の社長さん
③「会計士からJリーグ理事へ」というタイトルで、「Jリーグを使おう」とJリーグの改革と社会連携に全国を飛び回っている若き女性理事の方
④16歳「僕はあきらめない。アンプティサッカーで日本一の夢」というタイトルで、足に障害を抱えカナディアンクラッチ(松葉づえのような用具)で体を支えながらアンプティサッカーに青春を賭けている16歳の方

どの方も、何かの縁でサッカーと出会い、サッカーの持つスポーツとしての素晴らしさ、世界的な広がりを知り、特にJリーグが地域との関わりをとりわけ重視していることに、人生が変わるほどの大きな刺激を受け、サッカーの世界にのめり込んでいる方々です。

当「夢追い人」は、中年に差し掛かった頃、サラリーマンとして終わる人生に見切りをつけ、当時、仕事で関わることができた「まちづくり、むらおこし」の分野で、自立していこうと脱サラをした人間です。

それがちょうどJリーグスタートの時期と重なりましたので、例えば鹿島アントラーズのホームタウン地域の皆さんが、何とかJリーグ参入を認めてもらうために、大変な努力と団結で必要なミッションを完遂して、見事にスターティング10チームの枠に滑り込んだいきさつなどを、つぶさに見ていました。

そして、Jリーグが次第に参加チームを拡大していく方針であったことから、一般の産業誘致と同様、Jリーグ参入に向けた取り組みも、まちづくりの大きなチャンスであることを、自分が関わった「まちづくり、むらおこし」関連のセミナーなどで提言してきました。

ですから、30年を経た現在、多くの地域で、Jリーグクラブの存在を、そのホームタウンの人々が「わがまちの誇り」「わがまちの起爆剤」「わがまちが一つになれる存在」として大切にしてくれる時代になってきたことを、実感しています。

プロサッカーリーグというのは、勝負の世界であり、1部リーグから2部リーグ、現在は3部リーグまで、成績によりふるい分けられる世界です。1部リーグであれば注目度も高く、有名選手も多いわけですが、そういう華やかな部分を望むだけなら、決してJリーグクラブは地域に根付かないでしょう。

Jリーグ30年の歴史にも、スタート当初、全国ナンバーワンの人気を誇ったクラブが、その分、地域を大切に思わないかのようなふるまいに終始して、結局、下部リーグに落ちて、地域からの支えも十分に得られない悲哀を味わっている例があります。

海外には3部リーグだけでなく4部リーグ、多いところでは5部リーグぐらいのプロクラブがいくらでもあります。そういうクラブが、その地域で成り立っていないかと言えば、熱烈にサポートする人々に支えられ、いつかは上位リーグに上がる日を夢見て何十年も戦っているクラブがあります。

結局プロサッカーグラブは、勝負の世界で勝ち上がる目標は持ちつつも、地域になくてはならない地域文化の一つとして存在するようになってこそ、初めてプロサッカークラブなのです。

それには、プロサッカーの歴史も、最低でも50年以上、イングランドやイタリア、スペインなど欧州のクラブは100年以上の歴史を積み上げてこそ「地域文化」として根付いていますから、日本でも、そのような継続の力で「地元のクラブが地域文化の誇り」となるまで育てていく必要があると思います。

サッカークラブの運営には、ある程度の資金が必ず必要になります。クラブの収支だけでやっていけるクラブは一握りです。ですから「地元のクラブが地域文化の誇り」となるまで育てていくには、地域の経済界をはじめ多くの人々が資金面でも支えクラブを守り抜いていくという思いが必要であり、クラブ側には「このクラブは守ってやりたい」と思ってもらえる日頃からの努力が不可欠です。

それには「技術・体力などでは他のクラブにかなわないが、このクラブの選手たちは決して最後まであきらめない。その頑張りには本当に頭が下がる」といったプレー面の努力が第一ですが、サッカーの指導や交流、そしてボランティア活動など、地域との積極的な交流による信頼と親近感も欠かせません。

Jリーグの若き女性理事が「Jリーグを使おう」と呼びかけたのも、地元のサッカークラブが持っている、さまざまなリソース、アセットといったものを地域の皆さんに知っていただいて、ぜひ、使えるものは使ってくださいということで、それが地域におけるクラブの価値をあげることにつながると考えてのことです。

30年を経た今日、J2やJ3のクラブは、そうして重要性をどのクラブも深く理解しています。そして、地域の側にも調布市の課長さんや湘南の造園会社社長さんのように、サッカーとの出会いによって、クラブを支えることに自分の未来を見つけた人たちが、どの町のクラブにも出てきています。

Jリーグの村井前チェアマンは、川崎フロンターレ・中村憲剛選手からかけられた「Jリーグは「地域密着」と言っていますが、川崎Fは一生懸命、それこそ必死にやっています。Jリーグはどんなことをしてますか?」という一言にガーンと頭を殴られた気がして、Jリーグ本体も地域貢献・地域連携というものについて旗を振り直さなければならないと決意したそうです。

その具体的な作戦が、上記番組の③「会計士からJリーグ理事へ」すなわち米田恵美さんの招へいです。彼女の行動力、オーガナイズ力は「Jリーグを使おう」という刺激的なキャッチフレーズに見事に集約されています。

当「夢追い人」は、最近つくづく思います。Jリーグもそうですしサッカー界における経営感覚が、ずいぶんMBA的になってきたなと。MBAというのはご存じのように「経営学修士」と呼ばれる大学の学位のことですが、つまり、打ち出される施策が極めて論理的というか、唸ってしまうことが多いのです。

例えば、Jリーグ理事に招へいされた米田恵美さんが打ち出した2つのコンセプト。
1 .ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)、個々の「違い」を受け入れ、認め、活かしていくこと。
2. トライセクター・リーダー(Tri-sector Leader)、民間・公共・社会の3つの垣根を超えて活躍する人材のこと。
これらの言葉選びもそうですし、その言葉が表している考え方が、とても、当「夢追い人」の及びもつかない内容です。

ですから、当「夢追い人」のような草の根の「ただサッカーを愛するだけの人間」には、JリーグやJFAで構想されているようなことは、別世界のことで、とても自分がその議論の中に入れるような気がしなくなっています。
昔「サッカー」と「まちづくりむらおこし」を結びつけることに関われればと願っていた当「夢追い人」が、何の能力もない「ただサッカーを愛するだけの人間」だということを、最近、いやというほど思い知らされているところです。

やはり、社会的なこれだけ大きな存在になった日本のプロサッカー界をリードしていくには、相当の経営感覚が必要なのだ、相当能力の高い人でないと務まらないのだと、つくづく思わざるを得ません。

ちなみに「Jリーグをつかおう」というキャッチフレーズで全国を駆け回った米田さんは、2022年にJリーグチェアマンが野々村氏に交代して、役員体制も一新されたのを機にJリーグ理事を退任されました。

「シャレン」や「Jリーグをつかおう」という合言葉が彼女の退任とともに消え去ることなく引き継がれていくことを願ってやみません。そのあたりは「FOOT×BRAIN」でもフォローしてもらえるとありがたいのですが。

ところで、今回取り上げた2019年12月15日放送の番組ですが、あれっと思ったことがあります。それは、放送された日付です。思い起こすと、この放送からまもなく、年が明け1月末から新型コロナウィルス禍が全世界にひろがり、日本国内でも、まったく様相が変わってしまった直前の番組です。この時は、まだ、なんの憂いもなく未来を見据えていられた時です。

あれからほぼ4年、やっと元通りの日常が戻ってきて、やっと、また何の憂いもなく未来を見据えられそうなところまで来ました。世界的に見れば戦争が暗い影を落としています。それこそ「日本有事」にでもなって、私たちの日常がまた破壊されるようなことにならないことを願うばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ASモナコが日本のオンラインカジノサイト「カジノシークレット」と「公式オンラインゲーミングパートナー」契約を結んだというニュースをどう読み解くか。

2023年10月31日 11時47分36秒 | サッカー文化
我らが南野拓実選手が、さる8月のリーグ・アン月間MVPに選出されたニュースがまだ記憶に新しい中、実は、所属するASモナコと、日本のオンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」とのパートナー契約に関するニュースもリリースされていたようです。
とりあえず、事実関係を見るため、ASモナコのCEO(最高経営責任者)名で出されたニュースリリースから引用します。

「ASモナコは、数週間前に日本出身の国際的プレイヤーの南野拓実選手の到着ニュースと共に日本語Twitterアカウントを立ち上げた後、さらにリジョナルパートナーの1つとして、カジノシークレットを迎え入れました。

日本で最も急成長している革新的なオンラインカジノの1つであるカジノシークレットは、今後2シーズンにわたり、ASモナコの日本公式オンラインゲーミングパートナーになります。日本市場にフォーカスする企業と提携する事により、ASモナコは日本のサッカーファンにアプローチする新たなステップを進んだ事となります。

カジノシークレットとASモナコは共にこの新たなパートナーシップを記念し、日本のオーディエンスを対象に、一連のインパクトの高い限定デジタルキャンペーンを展開していきます。」

つまり、ASモナコは、南野拓実選手の活躍とともに日本における認知度をあげつつ、「カジノシークレット」サイトを通じて、日本からオンラインカジノに参加する顧客を取り込もうというビジネスの相乗効果を狙ったパートナー契約ということです。

ただ、ここに一つ大問題が潜んでいます。日本からオンラインカジノに参加した人が、カジノゲームにお金を賭ければ、そのこと自体が違法であるのに、どんどんオンラインカジノでお金を使って欲しいと誘っているわけです。

こうしたパートナー契約に至る下地として、オンラインカジノについて一つの誤った考えが流布してしまったという指摘があります。それは、今回パートナー契約を結んだオンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」が、政府機関から正式なカジノライセンスを取得しているので、安全に「ギャンブル」を楽しめるサイトだという考えです。

単純に読めば「政府機関からライセンスを得ているのであれば、違法とは無縁だと考えていい」という感じになります。
しかし、そこには「日本にいながらオンラインを通じて海外のカジノに参加すれば、そのこと自体が違法」なのだという視点が抜け落ちていたようです。そもそもカジノのメッカであるモナコでは、よもや日本でカジノに参加すると違法だなどとは思いもよらないことなのでしょう。

もし「日本にいながらオンラインを通じて海外のカジノに参加すれば、そのこと自体が違法」だとわかっていれば、カジノに日本の顧客を集めて利益をあげようとは考えないと思います。

ASモナコにしてみれば、オンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」が正式なカジノライセンスを取得しているのだから、それでよし、という感じだったことでしょう。
日本から見ると、この「政府機関から正式なカジノライセンスを取得している」という謳い文句自体も非常に紛らわしいというか、できることならカジノで遊びたいと考えている日本の顧客に、妙な安心感を植え付ける謳い文句です。

政府機関というと、うっかり日本の政府機関のことだと思いますが、違います。
オンラインカジノに詳しい人の間では「キュラソーライセンス」というのがあるそうですが、これはカリブ海にあるオランダ領・キュラソーというところにある「キュラソー政府」が出しているライセンスということのようです。

このことを指して「政府機関から正式なカジノライセンスを取得し、安全に「ギャンブル」を楽しめるサイトです。」と言っていることをまず理解しなければなりません。
今回ニュースになった「カジノシークレット」も、このキュラソーのライセンスを取得しているので合法的なカジノサイトということになります。国際的にみれば、このように、どこかの政府機関のカジノライセンスを取得しているカジノサイトは合法で、取得していないカジノサイトは非合法、つまり闇サイトということになっているようです。

繰り返しますが、ASモナコは、もともと日本のサッカーファンには知名度の高いクラブです。そこに今回、南野拓実がリパプールから移籍したことで、モナコ側が日本でのマーティング戦略を練ったことは容易に想像できます。

地中海の小国・モナコは、国全体がリゾート地といえるところで、いま日本で導入が進められようとしている統合型リゾート地のモデルのようなところです。
当然カジノも物凄く盛んで、ASモナコにとってカジノは、何の問題もない娯楽ということになっているはずです。

しかし問題は日本でそれをやるというところにあります。日本の警察は「オンラインカジノ」を通じて日本人がゲームに賭ければ、それ自体が違法であると明言していています。

さらに、記憶に新しい山口県の阿武町役場で、新型コロナウィルス対策の特別臨時給付金が、町内全世帯分4630万円を一人の20歳代の口座宛てに誤送金してしまった問題、実は振り込まれた人間がオンラインカジノに入り浸っていた男で、この問題が国会で取り上げられた際、岸田総理も「オンラインカジノでの賭けは違法、厳正に取り締まる」と明言しています。

ということで、現時点で、ASモナコの日本でのマーケティング戦略は「日本の顧客に違法行為をしてもらうこと」を前提にしていることになります。

当「夢追い人」のこの書き込みの結論はここで終わりではありません。当「夢追い人」は、かつて「サッカーくじ」と呼ばれて導入が検討された時期のことを思い起こしています。

現在totoと呼ばれて、すっかり定着した「サッカーくじ」も、検討が公になった時期には「結局、賭け事、ギャンブルの助長、絶対反対」とヒステリックに主張する人たちに、かなり攻められていたものです。

しかし、制度的に、例えば八百長防止策や購入時の規制など、いろいろなハードルを設けたこと、そして、大きな変化が、いわゆる宝くじ方式、つまりコンピュータが弾き出した対戦結果の組み合わせを「当たるも八卦当たらぬも八卦」とばかりに買う方式にしたことで、不特定多数の愛好者獲得につながったという歴史を持っています。
現在「BIG」という愛称で販売されている「サッカーくじ」です。

もっとも、本当のギャンブル好きにしてみれば「そんな宝くじ方式みたいなものは、面白くもなんともない」わけで、やはり競輪・競馬・競艇といった自分が賭けて愉しむギャンブルを好みますし、そうした層は、社会に一定程度、かならず存在します。

カジノでのギャンブルは、さらに一攫千金のチャンスがあるということで、日本国内では愉しめないカジノをオンラインで愉しもうとする層は決してなくなることはないでしょう。
問題は、カジノでの遊びが、例えオンラインでも日本では違法であるといって、終わりにしたままにしておくことだと考えています。

いまやオンラインで、世界と自由にいつでも繋がる時代であり、またカジノ文化も、日本でも「統合型リゾートの一つの要素」として受け入れる時代になったのであれば、オンラインカジノに対して、日本的なカスタマイズを加えて、門戸を拓く努力をしなければ、いつまでもグローバル化に対応できる日本ではなく、鎖国のような異質な日本と受け止められてしまうでしょう。

日本が青少年に対するギャンブル依存の未然防止や、ギャンブル依存症による自己破産、あるいは山口県阿武町の事例のように、間接的にでも犯罪を誘発することを防止するため、極めて厳しい態度で臨んでいることは、日本の誇りであり世界的に見ても受け入れられる姿勢だと思います。

しかし、一方では「ダメなものはダメ」と言って門戸を閉ざしたままにしているだけでは、無策の誹りを免れないでしょう。
統合型リゾートの一つの要素としてカジノ文化が日本に入って来ることを見据えて「日本ではどういう形なら「オンラインカジノ」が認められるのか」という前提で、かつて「サッカーくじ」導入時に経験した工夫と努力をする必要があると思います。

当「夢追い人」は「サッカーくじ」導入検討が始まった当初から「宝くじ方式」を唱えていたこともあり、今回の「オンラインカジノ」についても、日本ならどういう対応がいいのか、「日本型オンラインカジノ」とはどういうスキームで可能なのか、何としても提案したい思いを持っています。

しかし、当「夢追い人」は、カジノそのもの、そしてオンラインカジノについても知見がほとんどありませんので、相当勉強しないとできない課題でもあります。読者の皆さんから、いろいろとアドバイスや提案があればと思っています。

大事なことは「違法だ。以上終わり。」にすることではなく、否応なしに押し寄せてくるグローバル化の中で「じゃぁ、日本ではどうすればいい? どうすれば許容範囲なの?」という議論を始め、日本らしい成案を得ることだと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当「夢追い人」は朝ドラ「らんまん」から、いろいろな刺激を受けています。

2023年09月11日 17時01分17秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」夢追い人は、自己紹介欄に書いていますように「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたい」という思いで、日々、作業を続けています。

克明に記録したものは、webサイト「ようこそ、サッカーの世界に」にアップして、皆さんに濃密な「日本のサッカー文化」を楽しんでいただくことにしていますが、ここ半年以上は新規のアップがストップしています。

その間、なにもしていなかったかというと、いわば舞台裏のほうで、こつこつと仕込み作業をしている状況が続いています。
NHKの朝の連続ドラマ「らんまん」の主人公、牧野万太郎が毎日ひたすら図鑑用の植物資料を製作しているのを見て、気の遠くなるような作業を続けていることを感じます。

このドラマは、主人公やその妻たちの会話からも、共感する言葉が発せられ、とても刺激を受けています。
ある日の万太郎と妻・寿恵子の会話にこんな場面がありました。

万太郎は、日本中のすべての植物を網羅した図鑑を完成させることを夢見ていますが、果たして、そんなことが実際できるのか不安も抱いていました。それについて寿恵子は「私の愛読書である滝沢馬琴先生の南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著です。滝沢先生は、それをやり遂げたからこそ、皆が喜んで愛読しているのです。未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのです。

私もハッとしました。人は誰でも何かをやりたいと考えます。けれども途中で辞めてしまったもの、未完に終わったものは評価しようがないことになります。「これをやりたい」と志を立てたなら、どんな困難があっても、どんなに苦しくてもやり遂げて、世に出してこそ、初めて評価の対象になるものです。
寿恵子は続けます。「何年かかっても、どんなに難しくても言い訳してはなりません」
そのとおりです。

史実の牧野富太郎博士が図鑑を完成させたのは78歳になった時だそうです。志を立ててから半世紀以上も時が過ぎた苦難の末の業績です。その間、関東大震災や戦争にも見舞われ、どれほどの困難を伴ったことでしょう。
けれども、志を果たすという「鉄の決意」があって、それはドラマでは妻・寿恵子の後押しがあってのことというわけです。

私などは、初めてからまだ30年、残された時間は牧野博士ほど長くはありませんが、少なくとも、あと10年以上は死ねないと思います。

そして、この会話からはもう一つ、貴重なアイディアをもらっています。滝沢馬琴先生は108冊にも分けて世に出したのですから、あなたも分冊にして、できたら世に出すというやり方をすればいいのです、長い時間がかかっても出し続ければいいというアイディアです。
私もこのアイディアをいただき「日本サッカー文化全集」といった全集をテーマごとにでも何冊かに分けて世に出すことにします。

「らんまん」から受けた刺激について、もう一つご紹介します。ちょうど今朝(9月11日)の放送の中で、万太郎が物思いにふけっているシーンがありました。そして寿恵子にこうつぶやいたのです。「図鑑はもう少しでできるけれど、完成しただけでは、ただの自己満足にしかならない。果たして、この図鑑は皆に愛されるのだろうか? 誰からも愛される図鑑なのだろうか」
これにもハッとさせられました。そのとおりです。自分の手がけたものが自己満足だけのものではなく、誰からも愛されるものにするには何が必要か? という問いかけなのです。

この答えはまだ知りません。明日以降のドラマの中で教えられることでしょう。ですから、この書き込みも未完のまま、一旦終わります。

最後にもう一つ、これは朝ドラから教えられたものではなく、今年8月6日付の産経新聞「古典個展」というコラム欄で、大阪大の加地伸行名誉教授が書いておられた「報告と論文の違い」という文章からのものです。

当「夢追い人」も正直、どういう内容を伴ったものが論文なのか、説明できませんでしたが、加地先生が明快に説明してくださっていました。
すなわち「「朝ドラ・らんまん」の内容をもって学問のイメージを持たれると困るなぁと思いました。牧野博士の仕事は優れた業績で大きな価値のあるものですが、あくまで「植物に関する報告」であって「植物に関する論文」ではないという点を心得ておいて欲しいのです。もちろん優れた報告には大きな価値があって、研究の重要な基礎資料ではあるけれど・・。学者が世に出す「研究論文」とは、さまざまな報告に基づいて、そこから見つけ出すか生み出すかした「新しい見解」を「説」として出す文献でありまして、ただ調べた結果をまとめただけの「報告書」ではありません。」

加地先生は「その点をお間違いないように」と教えてくださったわけで、当方は、目からうろこでした。当「夢追い人」の成果物は「研究論文」ではなく「調査報告書」なのだと、やることが明確になりました。
牧野博士と同じように、後世、サッカー文化について研究したいという研究者が、当「サッカー文化フォーラム」のまとめた報告書を価値ある報告として、新しい見解を見つけ出すか生み出す動機づけにしてもらうことを目指したいと思います。

加地先生は「牧野博士の業績にケチをつけるようなことになっては申し訳ない」という気持ちでいたかも知れませんが、むしろ、このように教えていただいて感謝します。当方は牧野博士を目指します。という者もいるということですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jリーグ30周年の年だからか、1993/5/15開幕セレモニー映像にコメントつぎつぎ。

2023年06月10日 21時56分42秒 | サッカー文化
今年はJリーグ開幕30周年ということで、いろいろなメディアで回顧する特集が見られます。
その関係なのか、当フォーラムがYouTubeに流している映像の中で、わずかに公開中として残っているのが、1993年Jリーグ開幕の5月15日の開幕セレモニーの映像で、この映像に、最近急にコメントが増えました。

2015年にアップしてから再生回数は11万回ぐらいなのですが、ここまでコメントは数えるほどしかありませんでした。
それがなぜか今年、しかも、この2ケ月ぐらい、ずいぶんコメントが届くようになりました。
2015年にアップした時は、開幕第1節の記念すべき5試合も同時にアップしたのですが、開幕戦の横浜マリノスvsヴェルディ川崎戦をはじめ、試合の視聴回数はあまり多くなく、コメントもありません。

やはり、TUBEのギタリスト・春畑道哉さんが作った「Jのテーマ」がセレモニーを彩ったことで、歴史的・普遍的な価値をもたらしたのだと思います。

コメントした何人かの方は「今も色褪せない」「何年たっても素晴らしい」と感じておられるように、この曲とともにJリーグが生まれ、育ったという、密接不可分の関係にあります。
40周年でも50周年でも、そして100周年までもJリーグを語る時は、この「Jのテーマ」が流れると思います。

当ブログのサブタイトルが「1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。」となっているのも、この「Jのテーマ」のサウンドとともに、日々、記録を残し続ける作業を重ねてきたからに他なりません。

そしてまた、サッカーの世界が「試合」を核にしているには違いないのですが、開幕セレモニーのようなサウンドと視覚効果によって彩られる舞台装置もまた、文化的価値を高める大きな魅力なのです。
W杯の開幕セレモニーや欧州チャンピオンズリーグの試合前のサウンド効果、そして、さまざまなアンセムなど、サッカーの世界には「世界最大のスポーツ」にふさわしい舞台装置が数多く用意されています。
当ブログは、それらを含めたトータルの魅力としての「サッカー文化」を伝えていきたいのです。
ここ最近増えた「1993年5月15日のJリーグ開幕セレモニー」の映像に寄せられたコメントを読ませていただくにつけ、そのように取り組んできてよかったと、つくづく感じます。

開幕セレモニーのことはそれぐらいにして、お約束している「トルシエの4年間」の書き込み、遅れに遅れています。
けれども、下調べは順調に進んでいて、いまでは、1冊の本を上梓したいと思うほどの内容になってきています。
決して、書き込みをあきらめたわけではなく、下調べが深みを増しているだけですのでご報告しておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jリーグスタート以降、日本サッカー30年間の記録から(2) 日本代表サポーターの「スタンドゴミ拾い」は、いつから始まったのでしょう。

2022年12月25日 13時10分00秒 | サッカー文化
2022年カタールW杯の日本代表の活躍とともに、世界中から称賛されたのが日本代表サポーターの「クリーン活動=スタンドゴミ拾い」の行為です。

私たち日本のサッカーファンは、彼らの行動を知っていますから「今回も頑張ってるな」といった調子ですが、初めて目にした海外の人々にとっては「日本人というのはなんてスゴいんだ」といった論調になるようです。

ただ、先日、ネットに「W杯芸人「カカロニ」のすがや」という人を取材したスポニチアネックの記事が載っていました。

「日本サポ「ゴミ拾い」の原点は?W杯芸人・すがやが「背景」明かす「日本人の美徳はもちろんあるけど…」」というタイトルの記事です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b467ee43c769fabfb78b0c666b710843fd425877

それを読みますと、国内外の一部に「クリーン活動反対派」の声もあるそうですが、結局のところ「クリーン活動は、現地の人からも好評だといい「外国人にも喜ばれますし、現にスタジアムのカタール人の清掃スタッフの人から感謝されてました。真似をする国もあります」と話し「W杯に行くたびに、ああ、日本人って好かれてるんだなぁ…と実感する」と告白。」とのことです。

そして「この「ゴミ拾い」について、原点は日本代表の「応援グッズ」にあるという。「日本には、青いゴミ袋に空気を入れて、バルーンのようにして応援するというスタイルがあります。青いゴミ袋は軽くて安価、現地の外国人にも配りやすいし、日本人にも配りやすい」とこのスタイルが流行した理由を明かし「“せっかくゴミ袋なんだから、最後は掃除して帰ろうよ”となりました」と、経緯を明かした。」と続いていました。

さらに「「僕の記憶だと、日韓W杯の時に“ゴミ袋を応援に取り入れようよ”という発信があったような気がします」と、2002年ごろから生み出された応援スタイルであるという。」とのことです。

ちょうど、当方が過去30年のスポーツ紙をスキャンしてPDFに変換する作業の中で、これに関する記事を見つけました。

それは2002年日韓W杯からさかのぼること5年、1997年にフランスW杯への出場権を賭けて戦ったアジア最終予選を報じる記事の中にありました。

この1997年のアジア最終予選、9月に国立競技場でウズベキスタンを相手に6-3の勝利で始まった、ホーム&アウェーの8試合、第3戦目のホーム韓国戦を落としたあたりから、長く苦しい、絶望感に陥る試合と、かすかな希望を見出す試合が1試合ごとに交錯する戦いが続いたのですが、その様子がスポーツ紙各紙に、克明に記録されています。

これを紐解いていくと「うわぁ、ここまで追い詰められたのか」とか「よくぞ、こんなことが起きたなぁ」ということの連続です。

潮目が変わったのは、11月1日の第7戦、アウェー韓国戦でした。韓国は前の試合ですでにW杯出場権獲得を決めていました。

韓国には日本から約15000人が応援に駆け付けたとのことで、その中で日本は2-0と快勝、これで勢いを取り戻しました。

続く最終戦のホーム・カザフスタン戦に快勝した日本は、マレーシア・ジョホールバルでの第三代表決定戦イラン戦に臨み、延長後半13分、岡野雅行選手の劇的なVゴールで、歴史を塗り替えたのでした。

日本人サポーターの「青いゴミ袋」の記事は、第7戦のアウェー韓国戦に勝利して沸き立つサポーターの様子を報じた、11月2日付スポーツニッポン紙の中にありました。

記事には小見出しで「ゴミ袋も3600枚持参」とあり、本文には「日本代表応援グッズとしてすっかり定着した青いゴミ袋を3600枚持参してスタンドを青く染めた」とあります。

この記事では「サポーターがスタンドのゴミ拾いをした」という記述はありませんでしたが、持参したゴミ袋に自分たちのゴみを入れたと考えて間違いないでしょう。ゴみを拾って会場を後にするサポーター全体の行動として定着したかどうか、わからないまでも、自分たちのゴミは持ち帰ったに違いありません。

この頃のサッカー専門誌なども丹念に点検すれば、どの試合あたりから「青いゴミ袋」が登場したのか、詳しくわかるかも知れませんが、おそらくは、この年春のアジア一次予選あたりからと考えていいのではないかと感じました。

その後は、W杯の会場になったフランスでもドイツでも、南アフリカ、ブラジル、ロシア、どこに行っても日本人サポーターは全体の行動として律儀に自分たちの出したゴミを拾って、きれいにして会場をあとにしていたのだと思います。

かといって、他の国のサポーターにも広がり、W杯全体の風物詩になったかと言えば、そうでもないところが不思議なところです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビデオテープ録画情報のデジタル変換、2002年末まで完了です。

2022年09月12日 18時39分51秒 | サッカー文化
このブログを開設したのが2012年3月、そしてテレビから録画収録してきたビデオテープのデジタル変換作業を始めたのが、その年の6月。

以来、ちょうど10年かかって2002年の年末までのビデオテープの録画情報の変換を試合ビデオ、番組ビデオを含めてすべて完了しました。

この作業、途中確か2年ぐらい中断した時期がありましたが、コロナ禍に入ってからは外出の機会が激減したこともあり変換作業に拍車がかかりました。

一方で1998年頃からはビデオテープの量が激増した時期ですし、2000年に入ってからは、さらに一段、量が増した感じで、変換すれどもすれども終わらない感じでしたが、いつか終わりは来るもので、遂にその日を迎えました。

かといって、収録したビデオテープがすべて完了したかといえば、まだまだ残っています。
しかし変換作業は、一旦区切りにしたいと思います。

思い描いている「サッカー文化フォーラム」夢追い人の完成形までは、いろいろな作業を終わらせなければなりません。

皆さんにも共有していただきたく、その作業を書きだしてみます。
・「サッカー文化フォーラム」夢追い人が進めているプロジェクトの完成形は、1993年のJリーグスタートを契機に日本に芽生えたサッカー文化、その成長と進化の姿を、さまざまなメディアで伝えられた記録を網羅して、しかも10年、20年と積み重なった記録を継続的に網羅して、あたかも万国博覧会のパビリオンのような形で、リアルな世界でも展示により、ネット空間でも既に開設している「サッカーの世界にようこそ」サイトのようなバーチャルパビリオンの形で具体化することです。

しかも、それは期間限定型ではなく、30年後、50年後も積み上げられて継承され、100年後まで引き継がれる形にすることが最終形です。

・そのパビリオンは次の4つから構成されます。
①映像データ、雑誌・新聞データを網羅的に整理した「データパビリオン」。一口にデータパビリオンと片付けてしまいますが、そのデータ量の膨大さに圧倒されてしまうでしょう。冒頭に申し上げた映像のデジタル化、2002年までの分だけでもサイトにアップし終わるのが、いつになるか見当もつきません。映像だけではなく、雑誌・新聞のデータがそのあと待っています。

映像データは、多少なりとも内容を感じていただきたいと思い、YouTubeを通じて15分以内に編集したものを公開し、それと「データパビリオン」の各データ表の該当項目をリンクさせて、これまで約130本の動画を公開したところで、ある著作権者から削除要請があり、YouTubeのアカウント停止処分というペナルティを受けたため、その部分のみならず130本すべてご覧いただくことができなくなりました。前々回の書き込みをお読みいただいた方は覚えていらっしゃることと思います。

当方では、著作権侵害をしてまで公開しようという考えはありませんので、著作権の許諾手続きをとりたいのですが、いまのところ、どこにどうすれば可能になるのかわからない状況です。
このあと、この問題にも力を入れなければなりません。データ表だけあっても、どういう中身の動画なのかわかってこそ、はじめて展示パビリオンだと思いますので。

②1993年以前から萌芽し始めた日本サッカーの流れを、世界とのかかわりを含めて、年ごとに、あるいは、チームごと、試合ごと、人物ごとの切り口で紹介していく「ヒストリーパビリオン」。

③サッカーの世界を彩るフォトグラフ、サウンド、アートそしてサッカーライターといった書き手、さらにはメディアを舞台にサッカー文化を発信し続けるタレントなどの生き生きとした姿を紹介する「アートギャラリー」。

④そして最後は「サッカーを愛するが故に、その時その時に感じた驚き、憤り、理不尽さといったことを網羅して、将来にわたる検証の材料としていただくための「サッカー文化フォーラムセミナールーム」。

このプロジェクトはサイト上のバーチャルなものだけでなく、リアルな展示館としても完成させたいと思っています。
しかし、現実には、2つの難題が当方の前に立ちはだかっています。
一つは、寿命という名の時間的なリミットです。このプログで、時々、現役最年長のジャーナリストとしてFIFAからも顕彰された神戸在住の賀川浩さんのことを取り上げます。

当方の作業を進める上での良きお手本、目標が賀川さんだからです。賀川さんがご健在でご活躍されていればいるほど頑張れます。あと20年近くは頑張りたいということになります。

もう一つの難題は、資金的な制約です。ネット上のパビリオンは何とか構築できるかも知れませんが、リアルなパビリオンは、果たして作れるのかどうか、作ってもその維持・継続はどうするのか、何もイメージが持てません。

当方の一番の弱点は、誰も仲間の方ができないまま作業していることです。志を引き継いで、ご自分の人生を、このプロジェクトに賭けてくださる仲間の方がいないまま現在に至っています。

仲間づくりの方法もわからず、どうしていいかわからず、ただ、このブログで声を出してるだけという状態です。
いつかは、どなたかが名乗り出てくださるに違いないという願望だけは捨てないでおります。
何か、参考になる情報、参考になるアドバイス、参考になる何かを、いただければと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTubeによる動画公開のアクシデント

2022年08月28日 20時48分39秒 | サッカー文化
当ブログが主宰するwebサイト「サッカーの世界にようこそ・サッカー文化フォーラム」を構成する大きなカテゴリーが「データパビリオン」ということで、膨大なサッカー文化関連情報をデータベースとして公開している部分があります。

そのデータベースでは、それぞれの個別データが何らかの映像情報、記事情報などを伴うものですから、少しでもその内容を知っていただきたいという思いから、映像情報であればYouTubeに15分以内に短縮した映像を公開して、それに個別データに「サムネイルNo」をつけて、YouTubeにリンクさせています。

前回、このブログに書き込んだのが2ケ月半も前で、タイトルが「『ビートたけしのサッカー小僧』コーナーにすっかりハマりました」

つまりYouTubeに流し込むために、試合映像や番組映像を一つひとつ点検して「これはぜひ」というものを選んで短縮版に作業してアップしていた中で、番組名を変更しないで続いたサッカー情報番組としては最長年間放送された「スーパーサッカー」、その中で1994年で放送されたコーナーが『ビートたけしのサッカー小僧』。

放送当時は、ビートたけしさんの毒舌がキツく感じて、少し敬遠していたコーナーでしたが、今回、あらためて見直してみると、面白くて、すっかりハマったということを書き込んだわけです。

その後、2ケ月半のあいだにアップした画像は約130本ほどになりました。やはり、それぞれの画像には、それぞれの思いがある方々がいて、毎日のようにコメントが届き、楽しく読ませていただいておりました。

設定したYouTubeチャンネルの登録者の方も毎日のように増え続け、500人以上になりました。
そんな中、突然アクシデントが発生しました。

YouTube事務局から1本のメールが入り「このアカウントは著作権者からの削除要請を受けたため削除されました」という内容です。

すぐYouTubeにアクセスしてみましたが、あとの祭りです。跡形もなく消滅していました。130本ほどの動画、500人以上の登録者の方、すべて消えてしまいました。

正確に言えば、その前に2度の「警告」を受けていたのですが、その2度は一晩のうちに立て続けに告知されたものですので、実質的には1度という感覚です。

その警告を受けてとった対策は「非公開」扱いにするべきだったのかも知れませんが「限定公開」扱いでした。「限定公開」がどの程度の公開状態なのか、あまりイメージが湧かないままにとった対策でしたが、それから10日ほどで、突然アカウント削除処分を受けたわけです。

何も言えない処分なのですが、根本的な部分は未解決のままです。
根本的な部分というのは「公開に際して許諾手続きを行ない、必要な許諾を得た上で晴れて公開する手手だてはないのだろうか」ということです。

当然のことながらネット上で、いろいろと情報収集を試みましたが未解決のまま、見切り発車していたというのが実情です。

これからは「公開に際して許諾手続きを行ない、必要な許諾を得た上で晴れて公開する」ということにすべてのエネルギーを注がなくてはならないと思っています。

といいますのも削除要請してきた著作権者の側も、許諾手続きをとっていない違法公開だからこそ削除要請をしてきたわけで、使用許諾している映像であれば、何の問題もないからです。要は使用許諾を得る方法がわからないまま、違法公開しても通用しないということです。

まずは、YouTubeによる動画公開のアクシデントをご報告して、いずれ根本的な対策についての取り組み具合をまたご報告したいと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーシーンを彩るアンセムの話2題

2022年04月18日 18時20分47秒 | サッカー文化
当方が運営しているwebサイト「サッカーの世界へようこそ」では、さまざまな切り口でサッカーの世界の素晴らしさをご紹介していますが、その中で当方が保有している膨大な映像記録を紹介している「データパビリオン」というページがあり、1993年のJリーグスタート以降の試合映像データも紹介しています。
そのデータの一番最初にあるのが「1993年Jリーグ開幕セレモニー」というデータですが、そのサムネイル画像をYouTubeにリンクさせて流しています。

いまサムネイル画像としてYouTubeに流しているもの自体は少ないのですが、この「1993年Jリーグ開幕セレモニー」については「Jのテーマ」を奏でる「TUBE」の春畑道哉さんの演奏の素晴らしさにコメントをくださる方が多く、あらためてサッカーシーンを彩るアンセムの素晴らしさを感じています。
以下のURLから見れますのでアクセスしていただきコメント欄もご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=c7bcScJYX5A&lc=UgxPhhL6Eg6gz_W79Wl4AaABAg

アンセムに関して、もう一つの話題は1990年イタリアW杯の大会アンセムです。このアンセムは、その時の開会式映像をサムネイル画像に編集していた時、イタリアの2人のロック歌手が歌っているのを見て「あぁ、この歌か」と気が付きました。
この曲は、実はスカパーがセリエAの試合放映権を持っていた1998年頃からスカパーの放送の中で、いわばブレイクタイムのBGMとして流れていたことから、いい曲だなぁと思って口ずさんでいたのですが、もともとはイタリアW杯の大会アンセムで「イタリアの夏」というタイトルがついていたことを初めて知ったわけです。

今さらながらサッカーシーンを彩るアンセムの素晴らしさを実感しました。この曲はまだYouTubeにリンクさせていませんので、URLは貼り付けられませんが、いずれどういう曲かお知らせしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

webサイト「サッカーの世界へようこそ」にまもなく新規コンテンツの投入

2022年02月15日 20時39分27秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」のwebサイト「サッカーの世界へようこそ」を、作成途上ではありますが、2月10日、再アップしました。
このwebサイトは2010年に構想をスタートして2年後の2012年に最初のバージョンで公開しました。
2015年にはニューアル作業を行ない、現在のトップページの形にして再アップしました。
2020年夏、レンタルサーバーの契約更新に失敗して一度サイトを消滅させてしまいましたが、2021年夏以降、パートナーになっていただいたweb制作会社の方のご協力で、何とか復活させ2月10日に3度目のアップに漕ぎつけた次第です。

今回の再アップに際しては、中身のコンテンツを投入していくために必要な作業の打ち合わせを綿密に行ないました。
その結果、特に「データパビリオン」というページで、当フォーラムが所蔵している膨大なサッカー情報を網羅的に公開するのに必要な作業イメージが固まったことから、第一弾のデータコンテンツを投入できました。
このあとのデータコンテンツも、フォーマットが決まったことにより作業を加速できますので、初めてサイトを公開してから10年目にして、やっとデータコンテンツを次々と投入できる見通しが立ちました。

また「ヒストリーパビリオン」というページで、日本サッカーがようやく世界に目を向け始めた時期である1986年以降のヒストリーを「伝説の年」「伝説のチーム」「伝説の試合」「伝説の選手・指導者たち」という切り口でひもとくコンテンツについても「伝説の年」の部分の1986年、そのあとの1987年から1991年までの部分を、10年前のアップ時に投入しただけで終わっていましたが、次のコンテンツ投入に向けた作業ができる状況になりました。

その理由は、コンテンツ書下ろしの素材資料となるサッカー専門誌やスポーツ紙の点検が進み、2002年あたりまでは自在に確認作業ができるようになったためです。
今日などは「伝説のあの年1992年」の項を一気に書下ろしましたが、手元に関連資料をおいて繰り返し確認しながら書けましたので、自分でも驚くほどスムーズに作業が進みました。

次は「伝説のあの年1993年」です。この年はご存じのとおり「Jリーグ元年」の年です。そしてドーハの悲劇があった年です。おそらく1986年から50年後の2036年あたりまでを考えた場合でも、例えばワールドカップの日本単独開催とか、ワールドカップでのベスト4進出などの出来事があれば(ベスト4まで勝ち上がれば3位決定戦まで戦うことになるので)別ですが、やはり1993年に匹敵する歴史的な年は出ないのではないかと思われる年です。

来年2023年で、あれから30年を迎えます。その年に生まれた方は30歳になる訳で、30歳の方が知らない出来事ですから、もう立派に伝説化している年です。
そこを「サッカーの世界にようこそ」サイトは、克明にひもといて記録にとどめ、100年先まで伝えていきたいのです。
「伝説のあの年1993年」がサイトにアップされるのを、どうぞお楽しみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サッカーの世界へ ようこそ」リニューアル再アップです。

2022年01月11日 20時52分01秒 | サッカー文化
当ブログと対をなすのがwebサイト「サッカーの世界へ ようこそ」です。一昨年、アップしていたレンタルサーバーの1年契約更新の告知メールが「迷惑メール」のほうに振り分けられ、いつの間にかwebサイトがネット上から消えてしまってから1年あまり。

やっと昨年9月に再アップして、その後、データ類を補強してリニューアルを進めていました。まだまだwebサイトの目指す中身とは程遠いのですが、牛歩の歩みながら、肉付けしていきたいと思います。
webサイトURL https://fc-forum.com/cms/

(1月13日訂正書き込みいたします)
上記URLは、まだサイトにあっぷされていませんでした。大変失礼いたしました。アップいたしましたら、あらためてお知らせします。
訂正書き込みは以上です。

今回、再アップしたサイトの目玉の一つは、webサイトにアクセスしていただいた時に現れるスタジアムのシルエット画像にサンバのリズムが軽やかに流れるサウンドをかぶせたことです。
よく、パビリオンタイプの施設に入った時に迎えてくれる映像とサウンドのわくわく感を出したいと考えたからです。

このあとも、なるべく施設タイプのパビリオンを疑似体験できるような作りにしていきたいと思っています。皆さんからのご意見・ご希望もお待ちしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする