「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

朝ドラ「らんまん」のエンディングテーマは「継承・引き継ぐ」というものでした。

2023年09月30日 16時33分07秒 | テレビ番組
昨日、9月29日(金)、朝ドラ「らんまん」は最終回を迎えました。

今週初め、9月25日の書き込みでも、朝ドラ「らんまん」のシーンのことを取り上げました。主人公・槙野万太郎博士の死後、膨大な標本資料を博物館に寄贈するにあたり、整理分類が必要ということで、アルバイトを募集したところ藤平紀子という女性が訪ねてきた時のシーンです。

この時、藤平女史は、その整理分類の難しさに尻込みして一旦は槙野家を辞するのですが、家を出てから「この標本は、関東大震災の時も東京大空襲の時、あの地獄のような中で、博士はもちろんのこと、皆さんが必死に守り抜いてきたっていうことですよね。それは、必ず残して次の時代の人たちに引き継がなければならないという気持ちがあったからですよね。それを考えたら、私が標本を整理分類するということは、次の時代の人々に渡すお手伝いをするっていうことなんだ」と考え直して役目を引き受けるというシーンでした。

このように、最終週のいろいろなシーンは「継承・この先に引き継ぐ」というテーマに収れんされていたようです。脚本を書いた長田育恵氏は、インタビューで、その意図を話していらっしゃったそうです。

当「夢追い人」が、自己紹介欄で述べていること「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたいと思います。」
まさに「継承・この先に引き継ぐ」というミッションです。

これほど濃密に見た朝ドラは珍しいと思うほどの朝ドラ「らんまん」でしたが、最後も当「夢追い人」のミッションにぴったりシンクロするテーマで締めくくってくれました。いろいろな刺激と示唆もいただき、感謝の気持ちで最終回を見ました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小野伸二選手が引退を表明しましたね。「日本サッカー史上最高」と評する人たちが多い選手でした。

2023年09月29日 10時48分13秒 | サッカー選手応援
一昨日、1本のニュースが日本中を駆け巡りました。コンサドーレ札幌に所属している小野伸二選手が自らのサイトを通じて今シーズン限りでの引退を表明したというものでした。

「サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました。」という、いかにも小野選手らしい言葉です。

ほぼ40年・・・。さもありなんですよね。

「長い間お疲れ様」の言葉に尽きると思います。
小野伸二選手は、日本のサッカーを愛する人たちの中で「日本サッカー史上最高の選手は誰か?」と問われた時「小野伸二!!」と迷いなく答える人が多い選手だったと思います。

彼が高校2年生の頃、まだ全国の舞台に登場していなかった当時「小野伸二という選手のプレーを見たことがあるか?」という会話がサッカー通のあいだで交わされたあたりから、表舞台への登場が待ち焦がれ、られていた選手でした。

ですから、当時の彼の試合の舞台であった静岡県の草薙球技場などて、彼のプレーを見たことがある人は、それだけで貴重な体験をした人として、鼻が高かったものです。

そして、彼がプロの舞台として浦和レッズを選択して、いよいよデビューというあたりになると、彼の一挙手一投足が注目を浴びましたが、それは早く彼のファンタスティックなプレーを見たいというサッカーファンの願望の表れでもありました。

そういう意味で、彼ほど、そのプレーが具体的に期待を集めた選手はいなかったように思います。プロ野球選手にしてもサッカー選手にしても、一挙手一投足が注目を浴びるほどの鳴り物入りでデビューした選手は多いのですが、ほとんどは将来性とかタレント的なスター性にスポットが当たっていました。
小野選手の場合は「すぐにでも試合を動かせるだけのプレーを見せてくれるかも知れない」「それがどんなプレーなのか、わくわくする」といった具体性を伴った期待感でした。

当「夢追い人」も、1998年3月、Jリーグ開幕直前のプレマッチ、大宮アルディージャ戦を見に行きました。いわゆるトップ下のポジションで堂々とプレーする小野選手、どこか歌手の森昌子さんのデビュー当時を思わせる可愛らしい顔立ちとのギャップが印象に残りました。

そのあとのJリーグデビュー、その年のフランスW杯デビュー、そして翌年の99年ワールドユース選手権準優勝と、まさに黄金世代のバンディエラ(旗頭)として、順風満帆でしたが、好事魔多し。

1999年7月5日、シドニー五輪アジア地区一次予選のフィリピン戦で、相手ディフェンダーからのタックルが左足を襲い、左膝靭帯断裂の重傷を負ってしまいました。小野選手自身がのちに「あれですべてが変わってしまった」と語っているように、それまで何の迷いもなく出来ていたプレーができなくなってしまったそうです。
そう、何の迷いもなく出来ていた時の小野選手のプレーは天才そのものだったのですが、本人も「あれっ、出来ないな」ということが増えて、徐々に見ている人も「天才というほどのプレーではないんじゃないの?」と感じることが増えてしまったように思います。

まさに「あのケガ、なかりせば・・・」です。
よく、ケガに見舞われる選手のことを「ガラスの選手」と評しますが、当「夢追い人」は「サッカー選手はガラスの舞台で舞う人たち」と評しています。実は彼らが表現者として舞っている舞台がガラスで出来ていて、いつ割れてしまうかわからない危険な舞台だと思うからです。

冒頭で「日本サッカー史上最高の選手は誰か?」と問われた時「小野伸二!!」と迷いなく答える人が多い選手、と書きましたが、そこには「あのケガ、なかりせば、間違いなく日本サッカー史上最高の選手になった選手」という叶わぬ願望も込められているはずです。

それでも、その後の小野伸二選手はフェイエノールトでのUEFAカップ制覇や、2002年日韓W杯での決勝T進出などに貢献して、日本のサッカー選手として十分成功した選手です。ですから、「あのケガ、なかりせば・・・」どれだけ凄い選手になったのか、想像が無限に膨らむ選手であることも確かなのです。

小野伸二選手が、多くの人たちから称賛される理由のもう一つの要因は、その人柄にあるといっていいでしょう。常にサッカーを愉しもうとする明るいふるまい、チームを組んだら、誰からともなく「チームの中心」と評価される様子は、裏表のない人柄から来るものでしょう。
コンサドーレ札幌が、とうにピークを過ぎたはずの小野伸二選手との契約を通算9年間も更新し続けたことが、それを物語っています。

彼ら黄金世代が世界を驚かせた1999年ワールドユース選手権以降、小野伸二選手、稲本潤一選手、高原直泰選手が、代わる代わる大会やリーグの主役の座をモノにしながら競い合う様(さま)は、まさに切磋琢磨の見本のような関係性でした。フジテレビは、そうした3人を「ワールドカップをめぐる冒険」と題した番組で毎年追い続けました。

2006年ドイツW杯には、この3人がどれだけ凄い選手になって日本代表を牽引してくれるか楽しみで楽しみで仕方がないところがありました。現実は、なかなか思い描いたようには運びませんでしたが、その中心に「小野伸二選手」という存在があればこその楽しみでした。

2006年以降の小野伸二選手の戦歴を見ていきますと、浦和、ボーフム、清水、ウェスタン・シドニー、札幌、琉球、札幌と来て今シーズンに至るわけですが、チーム戦術やケガの影響などによりシーズンを通してコンスタントに試合に出られた年が少ないようです。

それでも、やはり小野伸二選手がピッチに立てば、その日スタジアムに足を運んだサポーターが「今日は小野伸二選手のプレーを見た」「やっぱり、うまくて凄い選手だ」と満足したことと思います。

今シーズンの最終戦は12月3日、札幌ドームでの浦和戦だそうです。いまのところDAZNとNHK札幌ローカルだけの放送予定だそうですが、おそらくNHKか埼玉TVが急遽放映するに違いありません。

小野伸二選手の雄姿を名残惜しく記憶にとどめたいと思います。
「記録より記憶に残る選手」そのものですから。

【11.9追記】
フジテレビが「ワールドカップをめぐる冒険」と題した番組で毎年、小野伸二選手、高原直泰選手、稲本潤一選手の3人の活躍ぶりを追っていたことを紹介しましたが、2020年3月29日、同名の放送がありました。
サブタイトルには、彼ら3人の現在地を表す意味深なタイトルがついていました。
題して「ワールドカップをめぐる冒険~小野、高原、稲本~黄金世代に居場所はあるのか」

この放送では、小野選手はコンサドーレ札幌からJ2琉球FCに移籍、チームに合流したばかりの状況だがなかなか勝利に結びつかない日々、稲本選手はSC相模原所属、練習試合にはマイカーを運転して移動する日々、高原選手は沖縄で自分が立ち上げた沖縄SVの社長兼監督兼選手、三足の草鞋をこなす日々を紹介していました。

この「ワールドカップをめぐる冒険」は、2002年、日韓W杯イヤーの1月1日、元旦企画としてスタートしてから2007年まで毎年1回、正月番組として放送されてきました。その番組が、突然、13年の時を経て復活したのです。
どうやら、それは、フジテレビが、この企画のために取材を始めたのが1999年で、2019年はそれから20年、折しも彼らが40歳の節目を迎えたことで制作されたようです。

「不惑を迎えた今、彼らはいま、登った山をどう下りるか模索している。冒険はまだ終わっていない」ナレーションを担当したおなじみジョン・カビラ氏が彼らの心境を代弁していました。

「選手は誰もが心に冒険の地図を持っている。どこを旅の終わりとするか、それは自分次第だ」ジョン・カビラ氏は、番組の終わりに近くに、こう語っていました。

制作したフジテレビは、自身のサイトで「他のメディアには話さない本音をフジテレビは聞き出し、日本サッカーの成長の歴史的証人として記録に収めてきた。」と書いています。

まさに彼らは、日本サッカーの成長の歴史の体現者だと思います。
今回の番組でサブタイトルに「黄金世代に居場所はあるのか」とありましたが、40歳を迎えてなお現役を続けていること自体が「立派な居場所を持っている」ことであり、素晴らしいクラブハウスと待遇に恵まれたJ1クラブのようなところだけが居場所ではないことを、この番組がつくづく教えてくれています。

その3人が、今年8月、9月と相次いで選手として現役引退を発表したのです。黄金世代の一人である遠藤保仁選手など、まだ現役生活を続けている選手はいますが、この秋「黄金世代は終焉を迎えた」と言えるでしょう。

当・夢追い人のサッカーを愛する熱量も、1993年のJリーグスタートから熱量をあげていき、考えてみれば彼らが世界の舞台に躍り出た1999年あたりからは、ずっと高原状のピークを保っていたように思います。
それもそのはずです。2000年シドニー五輪ベスト8、2000年アジアカップ制覇、2001年コンフェデ準優勝、2002年W杯決勝トーナメント進出、2004年アジアカップ制覇と栄光を重ねてきたのですから。

しかしながら、2006年W杯で手痛い敗退を喫して、やや熱量が降下しました。それは紛れもない事実です。

ただ、日本サッカーの成長軌道は決して降下することなく、2010年W杯決勝トーナメント進出、2011年アジアカップ制覇、同年、女子W杯制覇、2012年ロンドン五輪、女子銀メダル、男子ベスト4、2014年U-17女子世界選手権制覇、2015年女子W杯準優勝と、留まることのない成果を積み上げています。

もはや、当・夢追い人のサッカーを愛する熱量は、揺るぎないものとなっています。
さる11月4日の書き込みで、2019年12月15日に放送された、テレビ東京の番組「その日、人生が変わった。サッカーがくれた未来」のことを書きましたが、まさに当・夢追い人は、黄金世代の中心である3人を描いた「ワールドカップをめぐる冒険」に出会って「人生が変わった。サッカーがくれた未来」といっていいかも知れません。

彼らは、これから、新たな人生を歩むことでしょう。そして折々、彼らのことはメディアが伝えてくれるはずです。3人ともサッカーに関わる人生を続けることでしょうから、これからも、この書き込みで、彼らのことを話題にしていきたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラ「らんまん」も最終週となりました。いろいろ示唆をもらいました。

2023年09月25日 09時57分59秒 | テレビ番組
前回の書き込みが9月11日、2週間前でした。当「夢追い人」が、朝ドラ「らんまん」から、いろいろな刺激を受けていることを書きました。
「らんまん」の主人公が、植物の収集と分類という作業によって、植物という存在の全体像を明らかにして、しかも、その植物が開発などのため消えてしまっても、次の世代の人々に記録として残すことに生涯を賭けた牧野富太郎博士の人生を描いたドラマです。
このドラマを毎日見ていけばいくほど、対象こそ違いますが同じように「収集と分類」そして「記録として残す」ことを生涯の役目として日々を過ごしている当「夢追い人」の手本になっているドラマだと思えてなりません。

今朝の放送で、昭和33年、牧野富太郎博士の死後、残された標本が東京都立大学に収蔵されることが決まり、収蔵前に学術資料としてキチンと整理分類し直す必要があるため、その役割を担う牧野博士の末娘の方が整理分類を手伝ったもらうアルバイトさんを募集したところ、藤平紀子という女性が応募してきます。その人が「ここに標本はどれぐらいあるのですか?」とたずねたところ「そうねぇ、40万点ぐらいかしら」と答えます。

たずねた藤平女史も驚いていましたが、当「夢追い人」も驚きました。当「夢追い人」は目下、映像資料のデータベース化を日々続けており、データベースに入力が必要なファイル数が1万を超えているところまでは確認できました。まだ未確認の映像関係ファイル数がおそらく1万近くとしても、映像関係が約2万ファイル、スポーツ紙関係も相当多いのですが、それでも1万ファイル、サッカー雑誌・書籍等はファイル数にすればおそらく5000ファイル、どう見積もっても4万ファイルに届かないと思います。

牧野博士の40万点がいかに膨大なものか・・・。確かに、かけた年数が牧野博士は60年いや70年ぐらいになるでしょう。それに比べたら当方はたかだか30年近く。牧野博士の、植物の収集分類一筋に賭けたエネルギーのいかに大きなことか、そしてその意思のいかに強いことか。「継続は力なり」と言うは易く行うは難しいものです。でも牧野博士という先人に少しでも学ぶことがあるとすれば「継続は力なり」と、あらためて我が身を励ますことだと感じました。

アルバイトの応募に来た藤平紀子さんは、一旦は「そんな重要なことをとても私には無理です」と断って槙野家を出たものの「この標本は、関東大震災の時も東京大空襲の時、あの地獄のような中で、博士はもちろんのこと、皆さんが必死に守り抜いてきたっていうことですよね。それは、必ず残して次の時代の人たちに引き継がなければならないという気持ちがあったからですよね。それを考えたら、私が標本を整理分類するということは、次の時代の人々に渡すお手伝いをするっていうことなんだ」と考え直し、牧野家に戻って「私も次の時代の人々に渡すお手伝いをさせてください」と申し出る場面がありました。

当「夢追い人」も、そのように言ってくださる方が現れるのを、ひたすら待ち続けて資料の整理分類、データベース化を進めています。これまでは「この資料を次の時代に残せればいいな」とか「残したい」といった願望、しかも緩やかな願望のレベルでしたが、そのような薄弱な思いだけでは、とても「私も次の時代の人々に渡すお手伝いをさせてください」と申し出る方など現れるはずがないわけで、次の時代まで残すことなど出来ないと感じました。

牧野博士のように「どんなに困難でも守り抜いて残す。そして次の時代の人に渡す」という強い意思が宿った資料・記録を残さなければならないと思いました。
当「夢追い人」に残された人生が果たして、あと何年あるか、神のみぞ知る、ですが、やり切った気持ちになるまではエネルギーを燃やし続けようと思います。

「やり切る]という強い意思を持ち続け作業に打ち込み続けなければ、決してその先が開けない。「これほどの記録なら絶対次の時代の人々に渡さなければ・・」と、自分以外の方からの共感を得られなければ、いくら自分の思いが強くても叶わぬ思いでしかない。
牧野博士の業績をドラマにした、今回の朝ドラから、このように多くの示唆をもらい自分のエネルギーに変えています。

最終回まであと4話、また書き込みたくなる刺激・示唆があるかどうか、楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当「夢追い人」は朝ドラ「らんまん」から、いろいろな刺激を受けています。

2023年09月11日 17時01分17秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」夢追い人は、自己紹介欄に書いていますように「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたい」という思いで、日々、作業を続けています。

克明に記録したものは、webサイト「ようこそ、サッカーの世界に」にアップして、皆さんに濃密な「日本のサッカー文化」を楽しんでいただくことにしていますが、ここ半年以上は新規のアップがストップしています。

その間、なにもしていなかったかというと、いわば舞台裏のほうで、こつこつと仕込み作業をしている状況が続いています。
NHKの朝の連続ドラマ「らんまん」の主人公、牧野万太郎が毎日ひたすら図鑑用の植物資料を製作しているのを見て、気の遠くなるような作業を続けていることを感じます。

このドラマは、主人公やその妻たちの会話からも、共感する言葉が発せられ、とても刺激を受けています。
ある日の万太郎と妻・寿恵子の会話にこんな場面がありました。

万太郎は、日本中のすべての植物を網羅した図鑑を完成させることを夢見ていますが、果たして、そんなことが実際できるのか不安も抱いていました。それについて寿恵子は「私の愛読書である滝沢馬琴先生の南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著です。滝沢先生は、それをやり遂げたからこそ、皆が喜んで愛読しているのです。未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのです。

私もハッとしました。人は誰でも何かをやりたいと考えます。けれども途中で辞めてしまったもの、未完に終わったものは評価しようがないことになります。「これをやりたい」と志を立てたなら、どんな困難があっても、どんなに苦しくてもやり遂げて、世に出してこそ、初めて評価の対象になるものです。
寿恵子は続けます。「何年かかっても、どんなに難しくても言い訳してはなりません」
そのとおりです。

史実の牧野富太郎博士が図鑑を完成させたのは78歳になった時だそうです。志を立ててから半世紀以上も時が過ぎた苦難の末の業績です。その間、関東大震災や戦争にも見舞われ、どれほどの困難を伴ったことでしょう。
けれども、志を果たすという「鉄の決意」があって、それはドラマでは妻・寿恵子の後押しがあってのことというわけです。

私などは、初めてからまだ30年、残された時間は牧野博士ほど長くはありませんが、少なくとも、あと10年以上は死ねないと思います。

そして、この会話からはもう一つ、貴重なアイディアをもらっています。滝沢馬琴先生は108冊にも分けて世に出したのですから、あなたも分冊にして、できたら世に出すというやり方をすればいいのです、長い時間がかかっても出し続ければいいというアイディアです。
私もこのアイディアをいただき「日本サッカー文化全集」といった全集をテーマごとにでも何冊かに分けて世に出すことにします。

「らんまん」から受けた刺激について、もう一つご紹介します。ちょうど今朝(9月11日)の放送の中で、万太郎が物思いにふけっているシーンがありました。そして寿恵子にこうつぶやいたのです。「図鑑はもう少しでできるけれど、完成しただけでは、ただの自己満足にしかならない。果たして、この図鑑は皆に愛されるのだろうか? 誰からも愛される図鑑なのだろうか」
これにもハッとさせられました。そのとおりです。自分の手がけたものが自己満足だけのものではなく、誰からも愛されるものにするには何が必要か? という問いかけなのです。

この答えはまだ知りません。明日以降のドラマの中で教えられることでしょう。ですから、この書き込みも未完のまま、一旦終わります。

最後にもう一つ、これは朝ドラから教えられたものではなく、今年8月6日付の産経新聞「古典個展」というコラム欄で、大阪大の加地伸行名誉教授が書いておられた「報告と論文の違い」という文章からのものです。

当「夢追い人」も正直、どういう内容を伴ったものが論文なのか、説明できませんでしたが、加地先生が明快に説明してくださっていました。
すなわち「「朝ドラ・らんまん」の内容をもって学問のイメージを持たれると困るなぁと思いました。牧野博士の仕事は優れた業績で大きな価値のあるものですが、あくまで「植物に関する報告」であって「植物に関する論文」ではないという点を心得ておいて欲しいのです。もちろん優れた報告には大きな価値があって、研究の重要な基礎資料ではあるけれど・・。学者が世に出す「研究論文」とは、さまざまな報告に基づいて、そこから見つけ出すか生み出すかした「新しい見解」を「説」として出す文献でありまして、ただ調べた結果をまとめただけの「報告書」ではありません。」

加地先生は「その点をお間違いないように」と教えてくださったわけで、当方は、目からうろこでした。当「夢追い人」の成果物は「研究論文」ではなく「調査報告書」なのだと、やることが明確になりました。
牧野博士と同じように、後世、サッカー文化について研究したいという研究者が、当「サッカー文化フォーラム」のまとめた報告書を価値ある報告として、新しい見解を見つけ出すか生み出す動機づけにしてもらうことを目指したいと思います。

加地先生は「牧野博士の業績にケチをつけるようなことになっては申し訳ない」という気持ちでいたかも知れませんが、むしろ、このように教えていただいて感謝します。当方は牧野博士を目指します。という者もいるということですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本代表がまたドイツを破った。日本が強いのかドイツが弱いのか・・・。

2023年09月11日 12時17分50秒 | サッカー日本代表
9月9日(土)、日本時間10日未明、ドイツで行われたテストマッチ ドイツvs日本戦、テレビ中継はなかったようなので10日(日)にネット検索で試合結果を知りました。なんとアウェーにもかかわらず4-1と快勝したそうです。

この結果をどう見るべきなのか、正直、すぐには思い浮かびませんでした。こんな経験、30年以上の日本代表応援経験で、 おそらく初めてでしょう。

日本がそれほど強くなったのか、ドイツがあまりにも弱くなったのか。
4点とった攻撃、1点に抑えた守り、仮にドイツが相当レベルダウンしていることを差し引いても、日本の力が相当上がっていることは間違いないでしょう。

ネットでは二人の選手にスポットがあたっていました。
一人は、MOMに押すサイトもあるDF冨安健洋選手、この選手の能力がこれからピークに向かっていくと、日本代表はしばらく「守り」という部分で相当自信を持つように思います。今回のスタメンで、中盤の底からDFラインにかけて、遠藤航選手、守田英正選手、伊藤洋樹選手、冨安健洋選手、板倉滉選手、菅原由勢選手の布陣は、これまで最強の布陣といえると思いますし、冨安健洋選手がゲーム全体をマネジメントしながら統率するという点で、かなり信頼度の高い「守り」が計算できると思います。

このまま、またW杯が来て欲しいところですね。

そして、もう一人は、スタメン落ちで後半残り15分からの出場でありながら、2アシストの活躍をした久保建英選手、ネットには「コンディションは僕史上、過去最高」「さすがに僕は100%(先発で)出ると思っていた。正直がっかりした」というコメントが飛び交い、すわ監督・チーム批判か? と思わせるような雰囲気でしたが、無理もないところです。スペインリーグでは開幕から4試合連続でMOMに選ばれ、自他ともに「きれっきれ」と認める状態だったようですから。

しかし、これについて元日本代表の武田修宏氏は「その理由は森保一監督の「チーム序列」にある」と指摘しています。森保監督の序列主義は、以前から知られていたスタイルで、少し調子がよさそうだからといって、簡単には変えないスタイルです。
もし、これでドイツに惨敗していたら「久保をスタメンで使わないからだ」と批判を浴びると思いますが、森保監督としては、決めた序列の選手に大きなアクシデントやコンディション不良がなく、いわば代える理由がなければ、そのまま使ったということであり、スタメンの選手もそれに応えたということになります。

ですから、武田修宏氏が指摘するように、久保建英選手もスタメンを張った三苫選手、鎌田大地選手、伊東純也選手の中に割って入り、序列を変えるだけのパフォーマンスを見せ続ける必要があるということでしょう。
久保選手もそれをわかっていますから、次を見据えて頑張ると思いますが「調子は水もの」で、いつまでも持続できるものではありませんので、まぁ、できるだけ長く持続して欲しいと願うばかりです。

今回は、久保選手だけではなく堂安律選手や田中碧選手も控えですし、ワントップのスタメンが上田綺世選手、浅野琢磨選手は控えといった具合に、誰がスタメンでも控えでも結果を出せそうな選手がズラリと揃っているという点では、強いチームらしくなってきたことは確かです。

ただ今回の久保選手の一件で痛感したのは、欧州にもスカウティング担当のコーチを専従で配置すべきではないかという点です。現在、森保監督、名波コーチ、前田コーチが分担して代表メンバーの状況をチェックしていると思いますが、欧州で活躍している選手の状況はどうしても把握が不十分になっているはずです。
欧州駐在の協会スタッフは、代表選手のスカウティングが主たる仕事ではないと思いますので、もう一人、専任のコーチを常駐で配置して欲しいところです。
今回の一件で、検討が加速することを願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩渕真奈選手、長い間お疲れさまでした。

2023年09月03日 13時48分56秒 | サッカー選手応援
9月1日(金)、岩渕真奈選手の現役引退について報道がありました。
当ブログが選手個人を特定して応援することは、基本的にはしない方針ですが、例外が二人だけいました。岩渕真奈選手と京川舞選手です。二人は1993 年生まれ、つまりJリーグがスタートした年に生まれた「サッカーに愛された少女」なのです。

そのうちの一人、岩渕真奈選手が現役を引退することにしたそうです。
欧州クラブの移籍市場がクローズになりましたので、新たな契約をせずに、心の区切りがついたのでしょう。

岩渕選手がまだ日テレベレーザに所属していた頃、西が丘サッカー場に足を運びました。岩渕真奈選手のプレーを見に行ったというよりは完全に「追っかけ」の心境でした。試合終了後、サポーター席に挨拶に来た時は、かなり近くで見れますからデジカメで何枚も撮影しました。試合内容や岩渕選手のプレーのことは全然覚えていませんが、忘れられない思い出です。

それにしても2008年のU-17女子W杯でのデビューはセンセーショナルでした。「リトル・マナ」「マナドーナ」などの愛称をもらい、一躍世界の注目を集めました。それでもマナ選手は、気負うことなく、いつも明るい笑顔で、まさに著書のタイトルにあるように「明るく自分らしく」プレーしていたのが素晴らしいところでした。

なにせ2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」ですから、そのあとを引き継ぐ選手たちは、少々の成績では「○○には及びませんでした」という評価になり、その中心選手だった岩渕選手は、難しい数年間だったと思います。

しかも、たびたびケガに見舞われ、その心境たるや、いかばかりだったことでしょう。
それでも、岩渕真奈選手が私たちにくれた「夢」や「希望」は十分すぎるほど大きなものでした。
「リトル・マナ」と呼ばれたように、決して恵まれないサイズでしたが・・・。

8日(金)には記者会見するそうです。ライブがあれば見たいものです。録画がネットで流れるかも。
今後についても何か話すのでしょう。
セカンドキャリアも、ぜひ素晴らしいものになればと願ってやみません。

あらためて、岩渕真奈選手、長い間、本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする