「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

望月三起也さんは2016年に逝去されていましたが、オフィシャルサイトは健在です。

2021年08月21日 14時15分13秒 | アート・文化
いま、2001年頃のサッカー番組系ビデオ画像をHDDに変換作業中です。音声の確認だけしたあとは、ほとんど無音にして変換していますから、画像だけチラチラと見ることがあります。

昨日、2001.9放送のBS朝日「サッカー2002」という番組画像をチラチラ見ていたら、座談会形式で何人かトークしている中に漫画家の望月三起也さんが出演していました。

望月さんの漫画そのものは、画風だけ見ればわかる程度で、作品そのものはほとんど知らないのですが、Jリーグ夜明け前の時代からサッカー大好きの方のようで、サッカーマガジンだったかサッカーダイジェストだったかにも連載されていたことがあると思います。

したがって、サッカー文化全体を見ている当ブログにとっては大変な功労者だと感じていますが、今回たまたま画像を拝見したことから、いまどうしていらっしゃるのかネット検索してみましたら、2016年に77歳で逝去されたとのことです。

お元気なあいだに何らかの形で顕彰させていただきたかったところですが、いずれ「サッカー文化フォーラム」として「サッカー文化の殿堂」を立ち上げた暁には、ぜひ顕彰させていただきたいと思います。

望月さん自身は逝去されましたが、ネットには「月刊望月三起也」というサイトが健在のようです。メタ情報を読むと『月刊望月三起也』はファンがつくるファンのための望月三起也オフィシャルサイトです。とのことです。
漫画家・望月三起也氏はコアなファンを持っていらっしゃったようです。

こういう人生を送りたいものです。生きていた証しを引き継いで後世に伝えてくれる人たちを得て、実際にwebサイトの形で残してくださっている。webサイトを拝見すると、複数の方が協力してサイトを運営しているようで、そこも大切な要素だと思います。

「サッカー文化フォーラム」も、膨大なサッカー情報をデジタル化して後世に伝えることを目指して作業を続けています。
いまはまだ、途中経過のためwebサイトへの公開に至っていませんが、一旦消滅してしまった「サッカーの世界へようこそ」サイトを復活させ、そこにどんどん公開して多くの皆さんに楽しんでもらいます。

いまwebサイトの復活をお願いするIT専門家の方を探しているところです。
またご報告します。

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あるアメリカ人旅行客との会話

2016年06月04日 10時07分13秒 | アート・文化

私が小さな店を始めた河口湖は、素晴らしい富士山を間近に見れる観光地だけに、昨年あたりから急増した外国人観光客の多くが訪れる地で、半年前の真冬でも河口湖駅前は多くの外国人で賑わいました。

店を始めて3ケ月あまりしかたっていない私の店にも、ちらほらと外国人観光客の方が来られます。

一昨日の夕刻、一人のアメリカ人女性が来店されました。「タバコを吸いたいのでテラス席でいいです」といって、ビールとタバコと持参した本を楽しみながら、しばらく一人で過ごしていました。

そのうち「オサケを注文します」といってきたので「cold or hot?」と聞きました。本来なら「cold or warm」と聞いてあげるべきだったのでしょうが、それでも「hot」と答えてくれました。

私は、この人がお燗をつけたお酒のことを知っているのだと驚き、思わず「Wow!」と小声をあげましたが、彼女はにこやかに「ok!」と言いました。

お燗をつけたお銚子とお猪口を出して「どうぞ一杯」と注いでから、会話が始まりました。最初のうちは、私も怪しい英語でやりとりしていましたが、まもなく「これはダメだ」とばかりタブレットを持ち出しました。

たまたま、その日の午後、音声通訳アプリなるものをダウンロードしておき、1,2回試しておきましたので「これで続けましょう」ともちかけたのです。

そこからは、まるで通訳をはさみながらの会話でしたが、その女性の話す具体的な内容がわかり、どんどん話は発展していきました。

彼女がアメリカ人だということは、その会話を通じてわかったことですが、驚いたのは、今回の旅の長さでした。

彼女はすでにアメリカを出発して9ケ月ぐらいなるというのです。タイ、マレーシア、インドネシア、韓国などを旅してきたそうです。

その間、特にタイには半年ぐらい滞在して、一般家庭で、その家の犬の世話(トリマー的な世話)をすることを条件に食事と寝るところの提供を受けながら生活していたとのことです。

彼女はそのことを「ボランティア」と表現していました。つまりボランティアをさせてもらえれば、自分は別にアルバイト料が欲しいとかでなく、自由に出かけて、その国の文化にいろいろと触れることができるというのです。

日本のように、食事をするのにレストランやコンビニにお金を払い、寝泊まりするために宿泊施設にお金を払うことが条件となれば、なかなか長期間滞在できない、日本の文化にいろいろと触れたくても長くいられない、というのです。

それが証拠に、9ケ月間のうち日本への滞在はたった5日だというのです。別に日本に興味がないからではなく、長く滞在するため、どこかの家でのボランティアを条件に、食事と寝泊まりを提供してくれるところがないだめだというのです。

タイでの6ケ月をはじめ、マレーシアでもインドネシアでも、そうやって長期滞在してきたと彼女は話しました。

私は思わず「ウーン」と唸りながら「確かに日本では宿泊するためには、必ず専用の施設にお金を払わなければなりませんし、食事をするにもお金が必要ですものね」と話しました。

すると彼女は「Yes、Japan is money、」「money、money、money」と、我が意を得たりとばかり繰り返しました。アメリカでの映画やテレビドラマで日本のことを描く時は、必ずといっていいほど「ビジネスとお金ばかりを追いかけている日本人」が描かれているとも話しました。

日本への滞在一つとっても、「お金なしには長期滞在できない日本」というわけです。

彼女はまた、こういう新鮮な話をしてくれました。ボランティアでその国の人たちとつながれれば、必ずその国の人たちと愛情で結ばれ、お互い平和にやれるとわかる、というのです。

それを聞いて、私は心の中で「フットボールの世界と同じだ」と思いました。丸いボールが一個あれば、それを蹴りあうだけで、その国の人たちと愛情で結ばれ、お互い平和でやれる。「ボランティア」という言葉と「丸いサッカーボール」という言葉を置き換えただけで、同じ体験ができるのだと思いました。

日本では「ボランティア」というと、災害支援や弱者支援などハンディを抱えた人たちを助ける、あるいは自然環境を守ったり、公的なことについて無償の精神で奉仕するという意味にとらえられているように思います。

彼女にもタブレットを通じて「日本ではそういうことがボランティアだと考えられている」と伝えました。

ところが、彼女の言うボランティアは「自分のしたいことのために時間と自由が欲しいので、食事と寝るところさえ提供してもらえれば、必要な労働なり知識の提供(例えば英語を教えるなど)をします。それで相手と取引が成立すれば、それがボランティアなのだ」というのです。

日本では英語をうまくなりたい人が大勢いますが、英語教室に行くとお金がかかります。当然、外国人旅行者にもお金を払わなければならないと決めてかかっているところがあります。

現に彼女は「お金はいりません。食事と寝るところを提供してくれればいいです。」といって日本での長期滞在を期待したようですが、どこも受け入れてくれるところがなかったといいます。

こういう形での長期受け入れは、日本での法制度など、さまざまな規制の網があって、たぶん、明日から誰にでもできるというものではないでしょう。

けれども、私は彼女に言いました。「そのボランティアの考え方を日本でも広めていきたい。来日しても、それは短期滞在、いわゆる観光だけの来日で、日本の文化や日本の人たちの考え方を理解できるほど滞在する人は少ない。それでは、真に日本の文化や日本人を理解してもらえる交流にはならない」

いま、自治体などは国際交流を図るといって、町の予算で海外から人を招いて1年間滞在してもらうような試みが増えている。要は、自治体などだけでなく、一般家庭でも希望すれば自由に受け入れられるようにならなければ・・・。

彼女との会話を通じて、あらためて私は、河口湖で店を開いて新しい発見・経験をしている自分を感じました。

ずいぶん長話をしてから「あなたはFacebookかblogなどのSNSを何か使ってますか?」と聞いたところ、Blogはやっているとのことでした。

そこで、私は自分の、この「サッカー文化フォーラム&・・・」のブログアドレスを知らせました。彼女は「自分の持っているタブレットは日本語で書かれたブログも英語に変換して読めるので、ぜひ読んでコメントする」と言ってくれました。

果たしてコメントが何か返ってくるでしょうか。あとのお楽しみです。

今回の話し、フットボールの世界とは直接関係なさそうな話題だと思うかも知れませんが、日本のサッカー好きの若者も結構、特に南米あたりに長期に出かけて異文化体験をしているのではないでしょうか。

彼らのうち何人かは、それこそ、どこかの家で働かせてもらって、食事と寝泊まり場所だけ提供してもらい、地元のサッカーチームなどでサッカーがうまくなりたいと頑張っている人がいると思います。

私たちは、そういう若者を「お金や仕事のアテもなく・・・」といって眉をひそめがちになりますが、そもそも、そういう考え自体が国際基準に至っていないと考えたほうがよさそうです。

彼らは、帰国すると、ほとんどの人が口を揃えて「南米の若者たちの、サッカーで成功したいというハングリーさ、真剣さを痛感した。彼らは死にもの狂いだ。」と言います。それこそが現地の文化や現地の若者たちの真の姿を長期滞在で、肌で学んだ実感でしょう。

そのことを、帰国した若者は自分の人生の財産にしていると思います。「何をしてきたんだか」と言って片付けてしまう大人には、永遠に理解できないのかも知れません。アメリカ人女性が話してくれた「ボランティア」の考え方を理解できないうちは、永遠に無理でしょう。

それにしても彼女、お銚子を3本あけました。途中からおつまみも食べずに。私はというと、次第に冷えてきた外の空気で、足元が寒くて大変でした。

私がタブレットに日本語で話しかけ、翻訳反応が遅いと「wifi sabotage !!」と言うと、彼女も大声で笑いながら「Oh sabotage !!」と繰り返してくれました。

あとで「sabotage」を辞書で調べると、日本では「仕事をさぼること」という意味で使っていますが英語ではそうではなく「何かを妨害する」という意味で使われるようです。

ずいぶん、怪しい英語を発しながらの交流でしたが彼女のほうが上手に付き合ってくれたようです。この場を借りて彼女にあらためて感謝したいと思います。

「いろいろと勉強させてもらいました。ありがとうございます。またお会いできることを楽しみにしています。」

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「サッカー批評」誌と「フットボール批評」誌

2015年05月21日 17時12分11秒 | アート・文化
私は、これまで「サッカー批評」誌と「フットボール批評」誌は、国内版と海外版かと思っていたら、最近になって違うらしいことを知った。海外版にあたるのは「欧州フットボール批評」のようだ。少しややこしい。

「フットボール批評」誌が発刊されて、もう1年近く経つので、情報感度が意外に鈍感になっている自分を感じた。

「サッカー批評」は双葉社の出版だが、編集実務はカンゼンという会社がやっていたのを知らなかったので、それを呑み込むまで少し時間がかかった。

「フットボール批評」を昨年9月から発刊するにあたって森哲也編集長が、ネットで「刊行のお知らせ」というメッセージを出してくれていたので、読ませていただいた。読んでいない方はぜひ『「フットボール批評」刊行のお知らせ』で検索して一読されるといい。

私が知っている「サッカー批評」は、森編集長の言葉を借りれば「日本サッカーの長所と短所を冷静に見極めながら、タブーなく常に問題提起していく」「戦うメディアでありたい」そのものである。

それが昨年7月発売の69号をもって全面リニューアル、つまり70号からは内容一新ということになったらしく(私は、まだ70号以降をよく読んでいないので)、森編集長はじめ従来のコンセプトを大切にしたい編集陣が、カンゼン社出版による「フットボール批評」という誌名で、再出発することにしたという。

私などは類似誌名で、悶着が起きなかったのかしらと心配になったが、あまり、そういう声は聞こえてこないように見える。「サッカー批評」の双葉社も割り切っているのだろうか。

ネットで、最近の両誌の掲載内容を見たが、リニューアルされたという「サッカー批評」のほうにあまり変化は感じなかった。まずは、両誌が並立してから現在までの掲載内容をじっくり読み比べ、なにがどう変わったのかをつかんで、またの機会にレポートしてみたい。

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W杯サッカー、多くの選手にみられる「入れ墨」に眉をひそめる

2014年07月02日 16時06分15秒 | アート・文化

入れ墨、または刺青と日本では呼ぶものを、最近はタトゥーと呼んで、なにかファッションとか自己表現的なものとみる向きが、徐々に増えているのだろうか?

ここでは、言葉を「入れ墨」と統一して表現させていただく。

日本では、長らく入れ墨は、いわゆるヤクザの世界の人たちが、強い自分であることを自他ともに誇示するために彫るもので、そういう人たちは、一般社会とは隔絶した世界に住むことを、それこそ自他ともに認めて過ごしてきた。

したがって、公衆浴場や温泉など、多くの人たちが裸を見せ合う場では「入れ墨の方お断り」というのが日本の文化的常識だったし、それゆえ、私を含めて多くの人たちが生理的に「入れ墨」を入れた人たちと生活を共にするのは受け入れ難いものになっている。

もちろん、過去にも「遠山の金さん」の背中には見事な桜吹雪の模様が彫ってあったとか、任侠映画のヒーロー、高倉健さん演じる主人公の背中にも見事な唐獅子牡丹の模様が彫ってあったなどと語られることはあっても、あくまで遠い存在、フィクションとか作り話的なこととして見せられているわけで、身近なことではないのだ。

それが、いつのころか、おそらく21世紀に入ったころからではないかと思うが、少しづつ、タトゥーという言葉とともに足や手の見えにくいところにアクセサリー的に入れ墨をする人たちが出てきて、その場所も、最初は見えにくいところだったのが、次第に、いわば年を追うごとに見える場所に、形も大きくなって、また、している人も、女性にも見られ、つまりは抵抗感がなくなってきているように感じる。

おそらく、20歳台前半より若い人たちに「タトゥーをどう思うか」と聞けば「別にいいんじゃない、その人の自由で・・・」と答える人が過半数を超えそうに思う。21世紀に入る前、まずピアス、つまり耳に穴をあけてアクセサリーをすることが、最初は「親からもらった身体に傷をつけてまでオシャレとかファッションなんて」と眉をひそめられたことが、そのうち、どうということがなくなり、その抵抗感が薄れた頃、今度はタトゥーに進んだように思う。そして、それも、ここにきて、日本でもあまり抵抗感のない現象になってきているのだと思う。

つまり、昔の価値観、規範意識では説得できない時代の変化というものを感じざるを得ない。おそらく先の若い人たちに「タトゥーとは入れ墨のことで、そう思っている大人は、生理的に受け付けないものなのだよ」といっても、「ヘェー、入れ墨?、わかんなぁ~ぃ、いまはファッションだと思う」と言って取り合わないだろう。

そういう中で、W杯サッカーの選手たちの入れ墨である。これも大会毎に派手さを増している。

2006年大会で、イタリアvsフランスの決勝、例のジダン頭突き事件の当事者だったイタリアのDF、マテラッツィ、彼がいろいろと、ジダンが我慢ならないことを小声で呟き続けた結果の頭突き行為だったということで、マテラッツィとはどういう男だと注視してみたら、彼の腕には大きな入れ墨が施してあって「このヤクザな野郎」と眉をひそめたことがある。このチームのキャプテン、ファビオ・カンナバーロの腕にも入れ墨があり、イタリアリーグで流行ってきたのかと感じていたが、今年の大会では、そこにもかしこにも入れ墨選手だらけだ。

私が今回、こうして入れ墨の話を書いたのは「日本代表の今後」を考えたからだ。現在の日本代表にも、見えない程度に入れ墨をしている選手は何人かいるに違いない。ただ、あからさまな入れ墨の選手は、まだ見当たらない。

どうなのだろう、今回のW杯に出場している外国選手のような、あれほどギドギトした入れ墨を日本代表選手たちがするようになったら、多くの日本人が、いまのように応援するだろうか?

試合を応援していても、その都度目に入る、あのドス黒い色の肩や腕を見て、心底応援する気持ちを持ち続けられるだろうか?

おそらく一人でもそういう選手がピッチに立ったら、まず賛否の嵐でマスコミが飛びつく大事件になるだろう。その時の容認派は「世界で当たり前のことだから」「選手の自由意思の範囲内だから」ということになるのだろう。果たして、そういう容認派が多数派になるのだろうか?

もし、議論が分かれた時、日本サッカー協会は、そういう選手は代表に呼ばないなんてことをやるだろうか? あるいはそういうことができるのだろうか?

私は近未来、そういう悩みを抱える時がくるであろうことを予測だけしておきたい。

これは、大きな意味での文化の問題でもあることから、当サッカー文化フォーラムでも無関心でいようとは思わない。ただ、子供たちに夢を与える存在の日本代表チームの選手たちの逞しい腕にドス黒い入れ墨が入っている姿を、見せても仕方がないと思うべきか、いや、規範というものがなくては、元も子もないと言うべきか、議論に一石を投じておきたい。

それは、日本代表だけの問題ではない。Jリーガー、つまり子供たちのあこがれの存在であるプロサッカー選手として、どうなんだ、という点でキチンとして欲しいのだ。一人ひとりの選手はもちろん、各チームも協会も、逃げないでもらいたい。いずれ、避けて通れない場面が出てくるに違いないから。

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