「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

今更ながら知る中田英寿選手の偉大さ

2018年09月28日 18時34分34秒 | サッカー選手応援
一昨日26日の書き込みで、最新のN umber誌が、中田英寿選手の欧州挑戦20周年という節目をとらえて「越境フットボーラー欧州戦記」という特集を組んだことをお伝えしました。

そして、日本サッカー界不滅の偉業ともいえる欧州挑戦の成功者である中田英寿選手の偉大さを感じたと書きました。

実は、1年前の書き込み「日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先」では、中田選手について、こう書きました。

「かつて、中田英寿選手も中村俊輔選手も、ペルージャやレッジーナといった第一段階での成功は手にしました。しかし第二段階には進めなかったと思います。ACミラン、インテルあるいは他のリーグのビッグクラブに引き抜かれるところまでは行かなかったと言えます。

確かに中田英寿選手はASローマでスクデットを獲得できました。そのことをもって「成功を収めた」といっていいのかもしれません。けれども、私は、中田英寿選手自身には、それほどの達成感はなかったように思います。チーム内での彼の立ち位置は、フランチェスコ・トッティという絶対的なエースの次のセカンドチョイス的なものではなかったでしょうか。(中略)

つまり欧州挑戦の第二段階というのは、スタートが「プロビンチャ」(地方の弱小・中堅クラブ)であっても、最終的に世界最高峰のリーグのビッグクラブに引き抜かれ、そこで押しも押されぬレギュラーを張れることができた時だと思うのです。」

そして、次にこう続けています。
「いま日本選手は、そこを目指すところにきたといえます。乾選手や柴崎選手に続き・・・・」と。

つまり、20年前の中田選手の欧州挑戦は、今でいえば欧州挑戦の第一段階の成功だけであり、第二段階には進めなかった」といっています。

この書き込みは、今と20年前をごっちゃにした書き方になっています。20年前の世界最高峰のリーグだったセリエAで、第一段階も何も、いきなりペルージャで成功したことを成功と言わず、セリエAのビッグクラブといわれるACミラン、インテル、ユベントスに引き抜かれるところまで行けなかったのだからといっています。

それは、まるで小中学生のサッカー選手が、大人に交じって堂々と渡り合ったのに「プロ選手とやったわけではないので、たいした出来事ではない」といっているようなものでした。

20年前の、そうした挑戦と成功に憧れて、その後の選手たちが続くことができたのであり、中田英寿選手に対する現地の評価があったればこそ、その後の日本選手に道が開かれたことは、紛れもない事実です。

中田英寿選手は欧州で9年間プレーし続けた選手です。20年後の今日ですら、そこまで活躍し続けている選手は数えるほどしかいない偉業を「偉業」と呼ばずにいたことを恥じなければなりません。

今回のN umber誌特集の、中田英寿選手の部分を書き下ろしたのは、もはやサッカーライターとしては大御所といってもいい年代になったであろう、金子達仁氏です。

その金子氏が、こう書き出しています。
「(N umber編集部のメンバーには)中田のペルージャでのデビューを知らない子が多いんですよ。中田英寿って存在が当時の日本にとってどんな意味を持っていたのかも」

まさに20年の流れを端的に表現してますし、だからこそ、今、この特集を組む意味が分かるというものです。

そして、金子氏は、当時の中田英寿選手の置かれた状況について、つぎのように書いています。
「開拓者、先駆者の挑戦をリアルタイムで体感していない人たちには、ぜひとも想像していただきたいのだ。
自分以外はすべて敵といってもいい環境で、未踏の地に挑むことの困難さと偉大さを。」

金子氏が、こう訴えたのは、彼自身さえも初めて気付かされた、中田英寿選手のある話の持つ意味の重さを、伝えたかったからだと言います。

金子氏と中田英寿選手は、今年6月、この企画のこともあってイタリアを巡る旅をしたそうですが、その時に中田英寿選手が、20年前の同じ時期にスペインからイタリアに移籍した、当時、鳴り物入りだったデ・ラ・ペーニャという選手と自分とでは「覚悟がちょっと違ったのかも知れない」という話をしていたというのです。

つまり、デ・ラ・ペーニャ選手には、仮にうまくいかなくても帰れるリーグがある、という気持ちがあったのではないだろうか、「その点、僕の場合はイタリアに来た時点で、帰るという選択肢はまったくなかったから。

【ここからの書き込みは、10月1日に加筆したものです】

やるか、つぶれるか。そこの出発点というか、」

そのあとに続いた話こそが、金子氏が「こうやってもう一度中田英寿について書く機会がなければ、何も気づかないままスルーしてしまった可能性が高い」として、気付かされた「覚悟がちょっと違ったのかも知れない」という言葉だったというのです。

金子氏は続けています。「覚悟がちょっと違った? いまになって思えば、何と多くの意味の込められた言葉だったことか。」

中田英寿選手自身は、あのキャラクターです。力説風に言うでもなく、さりげない口調で言ったことでしょう。

けれども、その「覚悟」の重さというか深さというか、厳しさたるや、まさに本人の言葉を借りれば、「やるか、つぶれるか」ここでいう「やるか、」というのは、あらゆる障害を乗り越えて結果を出すということであり、「つぶれるか」というのは、いかなる事情があろうとも結果が出ずに終わってしまうかです。自分には、選択肢がそれしかない、という覚悟です。

おそらく、結果が出せなければ生きては帰れない、それぐらいの気持ちだったのでしょう。それを知ることができて、あのデビュー戦のユベントス戦での2ゴールという「(ハットトリックの可能性さえあった)衝撃的なパフォーマンスが20年目にして腑に落ちたところです。

この覚悟について金子氏はこう書いています。

「とはいえ、当時の中田英寿が内に秘めていた覚悟が、相当に異質なものだったのもまた事実である。
ペルージャのユニフォームに袖を通したとき、中田は21歳だった。失敗しても、まだ十分にリカバリーが効く年齢でもあった。にもかかわらず、彼は「Jリーグに戻って出直す」というリカバリーの道を、あらかじめ、そして完全に断ち切ってイタリアに渡っていた。
これがどれほど異様な決断だったかは、その後の挑戦者たちがたどった道のりを見ればわかる」

つまり、欧州挑戦に出た選手は数え切れないぐらいになったけれど、Jリーグに戻らずに現役を終えた選手は、中田英寿選手をおいて他にいないというのです。

メジャーリーグに挑戦した野茂英雄投手もそうだったように、改めて、彼らが抱えていた覚悟というものの重さ、凄みを感じざるを得ないと讃辞を送っています。

金子氏はまた、中田英寿選手が、サッカー選手としても、プロスポーツ全体においても、多くのものを変え、そして先駆者になったと書いています。

ことサッカーについていえば。中田英寿選手の成功により、雲の上のそのまた上だった世界最高峰の舞台・セリエAは、日本人にでも手の届くところにあると多くの人が知った、ということ。

そして金子氏は「彼がもたらした最大の変化は、アスリートの立場、ではなかったか。」と喝破しています。

すなわち、彼がある時期から、メディアとの関係に違和感を感じ始め、それに頼ることをせず、自らインターネットを通じて情報発信するようになった、そのことこそ、日本のアスリートとメディアとの関係に革命を起こした出来事だったと。

確かに。

彼はサッカー界のみならず、スポーツ界全体にとっても時代の先を行き、時代をリードした存在だったということがわかりました。

メディアという存在は、第4権力とも呼ばれ、一個人がまともに闘おうとして勝てる相手では決してありません。
ある個人が、何かのきっかけでメディアの標的になると、それこそ社会的に抹殺されかねないことになります。

中田英寿選手も、ある時期、そうした類のバッシングを受けたことについて、金子氏が詳しく書いておられますので、関心を持たれた方は、N umber誌961号をお読みください。

最後に金子氏は、こう自問しています。
「中田英寿は天才ではない。(中略)だが、天才ではない中田は、天才ですら届かなかった領域に足を踏み入れた。日本のサッカーだけではなく、スポーツ界全般にまで影響を及ぼす存在となった。
なぜそんなことが可能だったのかーーーずっとそのことを考えてきた。答えが見つかれば、第二、第三の中田英寿の出現を促すことができる。もう何年も、答えを探し続けてきた。
そして、まだ探し続けている。」

金子氏の書き下ろしは、ここで終わりではなく、氏自身なりに辿り着いている答えを紹介しています。それも本文をお読みください。

金子氏の書き下ろしを通じて、今更ながら知る中田英寿選手の偉大さをご紹介しましたが、今回のN umber誌には、もう一つ興味深い記事が載っていました。

それは、中田英寿選手の代理人でもあり、中田英寿選手のプロモーション一切を取り仕切った所属事務所社長でもある、サニーサイドアップの次原悦子氏の、ペルージャ入団交渉の真相ともいうべき「ペルージャ契約秘話」がそれです。

当時31歳だった次原社長、セリエAに精通しているわけでもなく、契約ビジネスのプロでもない彼女に全てを任せた中田英寿選手の信頼感たるや、やみくもな賭けなどとは無縁の中田選手、人を見る目の確かさに驚嘆してしまいます。

「中田と私はガウチの城に幽閉された」というキャプションがついているこの真相秘話、これもぜひ本文を。

N umber誌からの引用、特に金子達仁氏の書き下ろしからの引用が長くなり、ほとんど書き写しと言われてしまいそうな内容になりました。

けれども、「Jリーグ」というプロスポーツのジャンルに初めて登場したといっても過言ではない、本格的ライターの金子達仁氏が、日本におけるサッカー文化の醸成に果たした貢献を大いに顕彰したいが故のことであります。

最後に、そのことをお伝えして終わりたいと思います。

では、また。







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日本選手の欧州サッカー挑戦、これまでと、この先(2)

2018年09月26日 17時55分01秒 | サッカー選手応援
今回のタイトル、実は、ちょうど1年前、2017年9月14日付けの書き込みの続編ということになります。
なぜかといいますと、最新のN umber誌の特集が「越境フットボーラー欧州戦記」だからです。

この時期にこの企画を打ったのは、中田英寿選手のイタリアセリエAでの衝撃デビューから20年の節目だからだそうです。

N umber誌では、この通常版とは別に「中田英寿20年目のイタリア」という別冊を出しています。日本サッカー界不滅の偉業ともいえる欧州挑戦の成功者の足跡を辿るのにふさわしい企画です。

今回の通常版でも、中田英寿選手の偉大さをいまさらながら読み取ることができましたので、それについては、あらためて書き込みたいと思います。

このN umber誌では、中田英寿選手以後を紹介していますが、1年前の私の書き込みでは、Jリーグ以前とJリーグ以後という仕分け、例えていえば、紀元前と紀元後ということで、Jリーグ以後の欧州挑戦の流れを俯瞰して、さらには、今後、欧州で成功するということは、どういう姿なのかを予測してみました。

Jリーグスタート以後、ここまでの欧州挑戦の流れ、その意味合いといった点については、1年前に書き込んだ分析とN umber誌の視点は同じのようです。

そして、私は、今日、欧州サッカーで成功を収めたと評価されるためには、第一段階として、欧州4大リーグといわれるトップクラスのリーグであれば、まずプロビンチャといわれる地方の小クラブで実績を残し第二段階でビッグクラブに引き抜かれ、そこで堂々とレギュラーを張れる選手にならないといけないのでは、と書きました。

そして、スタートが必ずしもトップクラスのリーグでなくても、第二、第三ステップを踏んでビッグクラブに辿りつき、そこで活躍してもいいわけで、いわば、道のりが長いということです。

このことについて、今回のN umber誌の中で、スペイン在住10年になるというライターの豊福晋氏も、乾貴士選手が成功しつつある要因として「(欧州挑戦を)エイバルという田舎から静かに始めた彼のモデルは(成功の)ひとつの指針になるだろう」と書いています。

つまり、同じ中小クラブでも、バルセロナにあるエスパニョールのようなクラブではうまくいかない、という意味もあると思います。こういうクラブは、いろいろと騒がしいので、すぐ結果を求められ、余計なプレッシャーを背負ってしまう、ということだろうと思います。

このクラブを選んだ、西沢明訓選手、中村俊輔選手、当時は、なかなか、そこまでわからなかったと思います。そういう先人たちの経験が後に続く選手たちに学習効果をもたらしたということになります。(書き込み翌朝、訂正とお詫び 当初、城選手、大久保嘉人選手も所属と書きましたが、記憶違いでした。訂正してお詫びします)

さて、今回のN umber誌、欧州挑戦の最新の選手から堂安律選手と植田直通選手を選んで紹介しています。堂安選手などは、まさに20年前に生まれた選手だからのようです。
1年前の私の書き込みは、そのもっと先を考えていました。

バルセロナの下部組織にいた久保建英選手、レアルの下部組織にいる中井卓大選手をはじめとした、まだ十代の選手たちの10年後は、欧州にどのようなに挑戦して、どのような成功を手にするか、楽しみでなりません。

この書き込みを読んでくださった皆さん、せっかくですので、ぜひ2017年9月14日の書き込みも訪ねていただければと思います。

では、また。

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巨大マネーに支配されていくのか、全世界のサッカーは(2)

2018年09月13日 19時45分10秒 | サッカー選手応援
前回の書き込みで、欧州主要リーグの各チームが、アラブや中国などの巨大マネーに次々と買収されている状況をお知らせしました。

そして、それらは必ずや、自分たちの野望を実現するために、陰謀を巡らせ不正を犯してでも、という状況を作り出していくことになります。

さる7月に、日本語翻訳版が出版された、アメリカ人ジャーナリスト ケン ベンシンガー著の「レッドカード 汚職のワールドカップ」は、FIFAとその傘下の各大陸サッカー連盟を舞台に繰り広げられた、驚くべき不正の実態、それに使われた気の遠くなるような賄賂の構造を、ハリウッド映画顔負けのタッチで描いてくれています。

この書物については、さる7月15日の書き込み「『なぜ今回のW杯は“ロシア開催”だったのか』の世界と、スタジアムをきれいにして帰る日本人の世界との、あまりにも大きな落差」で、すでにご紹介しました。

そして今回、詳細のストーリーや汚職の実態について、どう描かれているのかをご紹介したかったのです。

英語で書かれたこのノンフィクションドラマを、翻訳版らしからぬ淀みないタッチで読ませてくださった翻訳チームの皆様にも敬意を表して、メンバーをご紹介します。北田絵里子氏、手嶋由美子氏、国弘喜美代氏のお3方、いずれも、複数の翻訳書実績を持つエキスパートの方のようです。皆さまもぜひ、早川書房出版の同書をお読みになって下さい。

読書意欲をそそるように、簡単に、どんな実録ドラマなのかご紹介します。

この本で取り上げられている事件は、すでに2015年に全世界のサッカー界を揺るがした汚職事件で、当時、FIFA副会長だったトリニダード・トバゴ出身のジャック・ワーナーという人をはじめ何人かの関係者が逮捕されるという前代未聞の出来事を、いわば、その真相究明、しかも内偵調査の段階からの長い長い闘いの道のりを描いているものです。

この事件を、執念深く粘り強く追跡し続けたのは決してサッカー大国とは言えないアメリカの税務当局の犯罪捜査チームと、FBI(連邦捜査局)のニューヨーク支局、そして検察当局のニューヨーク局でした。

本書の冒頭にはこう書かれています。
「FIFAとサッカー界を舞台にした汚職の物語は、果てしなく入り組んでいる。あまりにも壮大で、ここで包括的にまとめたり解明したりすることはむずかしい。数十年にわたる詐欺、贈収賄、私的金融取引、免責を含む腐敗の一方で、ひたむきなファンの熱情を追い風に、サッカーは世界的なひろがりを見せる一大スポーツとなり、数十億ドル規模の娯楽に成長した。

本書では、気の遠くなるほどの複雑さと規模で知られるただ一つの刑事事件、これまでだれもが、ーーとりわけ幻滅した世界のサッカーファンたちがーーあきらめていた領域にまで突き進んだその捜査の大筋を、できるだけ幅広くたどっていく。これはまた、この事件を世界最大のスポーツスキャンダルにした、やり手だが堕落しやすく、ひたむきだが軽率、謙虚にして傲慢、忠実にして不実な人々の物語である。」

その、「やり手だが堕落しやすく・・・・・」の主な中心人物とは、ユダヤ系アメリカ人にして、1970年代にニューヨーク州の小さなユースサッカー協会のボランティア事務局から、20数年後には北中米カリブ海サッカー連盟選出のFIFA理事のポストに就くまでに成り上がった、チャック・ブレイザーが一人。

その風貌が「私腹を肥やした」というのは、この人のことを言うのではないかと思うような感じなので、写真をつけておきます。真ん中の人は言わずと知れたブラッター前FIFA会長、右の人はフランツ・ベッケンバウアー氏、そして左側がチャック・ブレイザー



もう一人は、そのチャック・ブレイザーの智恵を借りて、北中米カリブ海サッカー連盟を舞台にあらゆる利権を独占的にあやつり、その政治的立場を利用してFIFAの舞台でも副会長として暗躍して、遂には司直の手に落ちたジャック・ワーナー。先ほど2015年に逮捕されたと紹介した人です。

この人も写真をつけておきます。



この二人以外にも法外なリベートや賄賂を受けていた人物として多くの人の名前が出てきますが、このノンフィクションドラマの主人公はこの二人です。

リベートや賄賂をもらった側がいれば、それを出した側もいるわけで、その主要な相手として、南米大陸から北米大陸にかけてのサッカーイベントを巨大な利権行事に仕立てあげることに成功したブラジルのスポーツマーケティング会社「トラフィック・スポーツ社」の創業者、ジョゼ・アビラという人が登場します。

このように、このドラマ、あくまでノンフィクションドラマですが、その主役が南北アメリカ大陸関係者ということで、アメリカの税務・捜査当局が長い間の内偵の末、摘発できたのかもしれません。

本の中でも触れられていましたが、関係者がヨーロッパ大陸の人間の場合には、それぞれの国の法の壁や、捜査当局間の連携の難しさがあり、こうも大規模な摘発はできなかったようです。

世界を揺るがすような、大スキャンダルを暴くのは、やはりアメリカ、そんな思いを強く抱かせるドラマ、捜査の仕方も「そこまでやるのか」と言った徹底ぶりです。

その代表的なものが、捜査の突破口になると目星をつけた容疑者、ここでは、チャック・ブレイザーですが、彼と司法取引することによって捜査協力を求めるというやり方です。日本の捜査ではなかなかお目にかかれない内容です。

せっかくですから2つほど具体的な場面をご紹介しましょう。

まず、チャック・ブレイザーに税務当局特別捜査官のスティーブ・ベリーマンが、司法取引を持ちかける場面。
【「あなたは何年も所得税を申告していませんね。総額数百万ドルの収入源がある証拠をいくつも見つけています。(中略)総合すると、あなたは税犯罪だけで最長30年の実刑に服すことになります。」

ベリーマンは捜査令状に目を通す時間をブレイザーに与えたのち、最後にこう言った。「力を貸していただきたいんです」そして捜査官ふたりはじっとブレイザーを見つめた。この瞬間こそが重要で、ここ数週間はノリスやヘクター(※検察当局の関係者)を交え、延々と出方を論じ合っていた。

このトランプタワー(※いま何かと話題のこのビルにブレイザーのオフィスがある)での対決は、試合の結果を左右するビッグブレーで、ブレイザーの選ぶ道はいずれかひとつだった。ブレイザーがこの取引に応じれば、いかようにも事件を進展させられる。彼がサッカー界の全容を見せてくれるだろう。(中略)これはとてつもなく大きな賭けだった。

やがてブレイザーが長くゆっくりと息を吐き、ベリーマンは体に熱っぽい緊張が走るのを感じた。
「力を貸しますよ」ブレイザーは言った。】
チャック・ブレイザーに究極の選択を迫る場面てす。映画を観ているようです。

次は、チャック・ブレイザーが、当局からの要請で賄賂を送った側の中心人物ジョゼ・アビラに接触し、彼に彼自身の違法行為を語らせて、それを極秘に録音しアビラ逮捕の動かぬ証拠にしようという作業の場面。これを捜査当局は「提供セッション」と呼んでいます。

【録音装置をこっそり身につけたブレイザーは、ロンドンでアビラと落ち合い、(事前に捜査当局と一緒に考えておいた)作り話を持ち出した。

いつものように挨拶を交わすと、ブレイザーはアビラに60万ドルの支払いについてスペイン語で尋ね、その金を最初はウルグアイの銀行から、つぎはパナマの会社から二度にわたって受けとったことも、録音のために忘れずに言い添えた。

そしてアビラに尋ねた。そのことを覚えているか? ひょっとしてその書類を持っていたりしないか? こんなことを尋ねるのは心苦しいが、FIFAの倫理委員であるガルシアから聞き取り調査を受けていて、逃れるにはその書類を見せる必要があるのだと言った。

ふたりは長年の知り合いで、馬も合った。(中略)ところが、どういうつもりなのか、アビラは支払いをしたことを否定し、そちらの頼みを聞く筋合いはないと言い張った。

ブレイザーがなおも食いさがると、この会話を終えたがっていたアビラは、ブラジルに戻ったら調べてみるとようやく約束した。

これはロンドンでブレイザーがおこなった最後の録音で、ベリーマン(税務当局特別捜査官)が段取りにかかわることのできなかったただひとつの録音だった。

四半世紀近くにわたってサッカー役員に賄賂を支払いつづけてきたアビラは、犯罪への関与をにおわせる発言を避けた。】

追いかける方も逃げる方も、 ギリギリの攻防です。

この攻防の主な舞台は、先に書きましたように、南北アメリカ大陸です。しかし、本の中では、2018年ロシアW杯、2022年カタールW杯開催地決定に関する不可解な動きについても取り上げおり、巨大マネーを繰るカタールの大富豪モハメド・ハマムが登場しています。

今回のテーマ「巨大マネーに支配されていくのか、世界のサッカーは」(1)では、カタール、U AEのマネーが席巻していることをご紹介しました。

その動きを見て黙っていないのが、アラブの盟主を自認するサウジアラビアです。いまやサッカー界の利権とマネーの震源地は、アメリカ大陸から完全に中東にシフトしたと言えます。

中東はすべて AFCすなわちアジアサッカー連盟の構成諸国です。したがって、これからのサッカー界における利権と巨大マネーの構造に、好むと好まざるとにかかわらず、我が日本も巻き込まれかねない時代に入ったと考えなければなりません。

それは、つまるところ、2022年W杯が、なぜカタール開催なのか、と言った釈然としないことが、これからもアジアでは平気で起こることを意味しています。

フェアプレーのフラッグの陰では、一体何が起きているのか、容易に窺い知れないということです。

では、また。










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巨大マネーに支配されていくのか、全世界のサッカーは(1)

2018年09月07日 20時42分17秒 | サッカー選手応援
9月4日の書き込みで「イニエスタのフィロソフィー」について語りました。

イニエスタが神戸に脈々と受け継がれるフィロソフィーをもたらし、楽天・三木谷社長の資金力で神戸の戦力が強化されれば、20年後ぐらいには、常勝軍団と呼ばれるクラブとなり、鹿島と覇を競い合う「Jリーグにおける宿命のライバル」と言われるようになるかもしれないと。

その書き込み動機を与えてくれた、スポーツN umber誌960号の、もう一つテーマは「全世界のサッカーを支配するかのような動きを見せている巨大マネー」についてでした。

かつて、私たちはロシアの大富豪アブラモビッチ氏が、イングランド・プレミアリーグのチェルシーを買収し、豊富な資金力で選手をかき集め、まわりを戦々恐々とさせたことを記憶しています。

それ以前は、自国の大富豪がクラブの経営権を握るケースしか知りませんでしたが、縁もゆかりもない外国人が乗り込んでくる時代になったのだと感じたのです。

そして近年、その動きは加速度的に広がっていることをN umber誌はレポートしています。プレミアリーグではマンチェスター・シティの経営権を握るU AEのアブダビ王族、フランスリーグではパリ・サン=ジェルマンを買収した同じ中東のカタールの国営投資会社、イタリア・セリエAではインテルの経営権を握った中国人オーナーといった具合です。

中国人による爆買いとも言える進出ぶりは、セリエA、リーガ・エスパニョーラ、プレミアリーグと、とどまるところを知らない勢いのようです。

彼らは、それぞれの野望を抱き、途方もないマネーを注ぎ込んでサッカーの世界を牛耳ろうとしています。これまでは、欧州サッカーの一部での出来事のように思われていたことが、全世界を巻き込みつつある様相を呈しているようです。

すでに日本のサッカーも無関係ではなくなってきています。例えば横浜マリノス、先ほどあげたマンチェスター・シティとの提携関係を結んでいます。もちろんマリノスのメリットも大きいwinwinの関係ですが、シティの世界戦略に組み込まれていることも事実です。

Jリーグは、まだローカルリーグ扱いで、巨大マネーにとって旨みのない感じですが、そのうち、何がキッカケになるかわかりませんが、どこかの巨大マネーのターゲットにされる日が来るかもしれません。

仮に巨大マネーが入り込んでも、クリーンなビジネスとして日本のサッカーファンに新たな夢を提供するだけなら大歓迎かも知れませんが、そんなことは幻想であり、巨大マネーが支配する世界には必ずと言っていいほど、腐敗、不正、陰謀といった、およそフェアプレーとは無縁の、闇の世界がうごめいています。

次回の書き込みでは、日本語翻訳版が今年7月出版された、アメリカ人ジャーナリスト ケン・ベンシンガー著の「レッドカード 汚職のワールドカップ」で克明に明らかにされた、FIFAとその傘下の各大陸サッカー連盟を舞台にした、驚くべき賄賂の構造についてレポートします。

では、また。
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G大阪の布陣に1人戻ってきただけで、強いガンバに変身

2018年09月07日 20時25分28秒 | サッカー選手応援
9月1日に行われたJリーグ第25節、降格圏に沈むG大阪は、優勝争いに絡んでいる川崎と対戦しました。最近の両チームの出来からして、ガンバに勝ち目なしと思っていましたが2-0で勝ちました。

3日発売のエルゴラッソ紙が、今野泰幸選手の写真を大きく掲載、彼の活躍を報じていましたが、まさに1人戻ってきただけで、強いガンバに変身したことを、まざまざと見せてくれました。

この日のガンバのメンバーをあらためて見ると、とても降格圏に沈む必要のない戦力のように思います。前線に渡邊千真選手が加入したのも大きいですが、何と言っても「コンちゃん」が戻ってきた効果が絶大だと思います。

次の26節、磐田戦が俄然見ものです。磐田は25節、名古屋に6失点と屈辱的な負け方をしていますから、こちらも負けが許されない立場です。

だからといってガンバが、ここで負けては川崎戦に勝った意味がなくなります。まるで、シーズン最終盤のような、ヒリヒリする試合になりそうですか、ここでガンバが勝ち切れれば、名古屋に続いてガンバも、降格圏脱出ロケットに点火されるかもしれません。

コンちゃんこと、今野泰幸選手の復帰によって得た勝利は、そう期待を持たせるだけの価値のあるものだと感じました。

では、また。
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「フィロソフィー」を語るイニエスタ、ついに現れた?鹿島のライバル

2018年09月04日 19時58分59秒 | サッカー選手応援
直近のスポーツNumber誌960号は、その名も「イニエスタ来た!」
イニエスタを獲得した楽天・三木谷社長の戦略を「イニエスタと楽天の野望」と銘打って紹介するとともに、イニエスタへの密着インタビューで、彼が考えていることを紹介しています。

これを読んで、私はジーコが鹿島に植えつけた「ジーコイズム」と言われるクラブのポリシーのもと、他の追随を許さない圧倒的な実績を誇る鹿島アントラーズと、いずれ覇を競い合う宿命のライバルとなるクラブが生まれる可能性を感じました。

実は、この宿命のライバルについて、当ブログでは、いまから5年前になりますが、2013年10月10日の書き込み「NHK-BSドキュメンタリー『宿命のライバル・マドリッドvsバルセロナ』に想う」で、Jリーグにおいて鹿島の宿命のライバルは、どのクラブになるだろうかと投げかけています。

その時あげた「ライバルたり得る条件」について、次のように書いています。
「この先Jリーグで、ナショナルダービーと呼ばれるような関係が生まれる場合、今後20年くらいの中で、鹿島と同程度の実績をあげるチームが出ることが一つの条件になる。しかも、そのチームを強くしたカリスマが出ることも必要だろう」と。

その当時は、磐田と名古屋に可能性を感じているとも付け加えていますが、ここにきて、「ヴィッセル神戸」がその「宿命のライバル」「ナショナルダービークラブ」への道をスタートさせるのではないかという期待感が湧いてきました。

N umber誌でインタビューを担当したサッカーライターの豊福晋氏は、イニエスタが「かつてヨハン・クライフがバルサにアイデアとフィロソフィーをもたらし、それが今ではクラブに根付いている。僕も何かをこのクラブに植え付けたい・・・」という考えを持っていることを聞き出しました。

そして「ヴィッセルにスタイルが築かれるとしたら、それはイニエスタが去った後も時を超えて生き続けることになるかもしれない。(中略)目の前の結果だけではなく、長期的に何かをクラブにもたらすことのできる存在。そうして発足したのがイニエスタ・プロジェクトだった」と書いています。

そうです。ヴィッセル神戸が、この先Jリーグチャンピオンになり、アジア制覇を果たしてF I FAクラブワールドカップでバルセロナと決勝を争うクラブになれば(このバルサとの決勝こそ、楽天・三木谷社長の夢なんだそうです。なにせ両チームともユニフォームにはR akutenの文字が書かれているわけですから、これはもう夢というより、野望ですな)というのが、前提ですが、そこに脈々とイニエスタイズムというフィロソフィーが受け継がれていけば、おそらく20年ぐらい先には、鹿島と神戸2強時代が来るでしょう。

では、また。


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申し訳ないぐらい耐えてくれた「なでしこ」金メダル

2018年09月04日 18時49分21秒 | サッカー選手応援
アジア大会女子サッカー、なでしこジャパンは準々決勝北朝鮮、準決勝韓国、決勝中国を、耐えて、我慢して、粘り強く戦って破り、見事に金メダルに輝きました。

海外組や阪口夢穂選手などを欠いて臨んだ大会ではありましたが、高倉麻子監督の手腕を改めて実感した優勝です。

それにしても、我が日本を取り巻く東アジア情勢をそのまま持ち込んだみたいな3連戦になってしまい、大和なでしこに、本当に申し訳ないぐらい苦しい思いをさせてしまった気がします。

欧州では、かつては隣国同士、不倶戴天の関係にあった歴史を持つ国はいくらでもありますが、いまはEUとして一体の国同士になっています。そういう国同士が欧州選手権を争うわけですから、東アジア4ケ国の状況とは、ずいぶん違っているように思います。

果たして東アジア4ケ国に、そういう時代などくるのだろうかと考えこんでしまいます。

そもそも「日本にだけは絶対負けたくない」という感情をむき出しにして挑んでくる相手と戦うのは、大変なエネルギーを要します。

そりゃ、どこの国も勝負には負けたくないですよ。しかし、そのスポーツ種目の真のライバル関係にある場合なら「あの国にだけは負けたくない」という感情があっても何の不思議もないわけですが、それとは別の感情から挑まれる勝負は、厄介千万です。

それだけに、なでしこジャパンの選手たちには、しなくてもいい苦労をかけている気がして申し訳ないのです。

決勝でも、身体能力で勝る中国の波状攻撃に何度もさらされながら、小柄な日本の選手たちが身体を張って守り抜いている試合を見ていて、高倉監督が言っていたように「粘り強く戦う「なでしこ」のDNAが受け継がれている」ことを、つくづく感じました。

形は少し違いましたが、準決勝の韓国戦、決勝の中国戦ともに、試合終了近くなってから決勝点を奪ったのも、なでしこらしい勝ち方でした。

何か、わだかまった関係にある日本と他の3ケ国。いつまで続くかわからないまま、なでしこの選手たちには、これからも頑張って欲しいですし、私は、ずっと申し訳ない気持ちを抱きながら応援していきます。

ては、また。


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アジア大会U-21日本代表、胸を張れる銀メダルです。

2018年09月02日 19時36分15秒 | サッカー選手応援
昨夜、アジア大会サッカー男子決勝が行われました。

宿命の日韓戦、韓国はアジア大会仕様のU-23代表に、プレミアリーグでプレーしているソン・フンミンをオーバーエージで呼びキャプテンマークを託す、金メダル絶対の布陣です。

韓国選手にとって金メダルは、兵役免除につながる道でもあるだけにモチベーションが半端ないわけです。それに「日本だけには絶対負けたくない」という「だけには」要因も重なり、U-21
日本代表にとっては、勝てる要素が極めて少ない対戦になりました。

しかし、試合は立派でした。攻勢攻勢の韓国に対して全員が体を張った守備を続け、少ないチャンスを果敢に攻めていました。いつ点をとられてもおかしくない試合を、とうとう延長戦にまでもっていったところで、十分彼らは戦えたと思います。

そして延長に入り2点をとられましたが、それでもなお戦いの意欲を落とすことなく1点を返し同点のチャンスも作りました。

1-2になってからの韓国は、同点にされたら・・・と、さぞ恐怖感を抱いたことでしょう。結果はそのままタイムアップでしたが、U-21日本代表、胸を張れる銀メダルです。

彼らが得た経験値は大変なものです。しかも海外組や何人かのケガ人でメンバーがベストとは言えない中での経験です。チーム力の底上げという成果は何物にも代えがたいものです。

彼ら自身も感じていることでしょう。この銀メダルは、これから足りないものを加えて東京で金メダルをとるための通行証のようなものだと。

それにしても、彼らの足元の技術の高さは半端ない感じがします。韓国の選手たちの強いプレッシャーの中で素早い判断を確かなものとする足元の技術です。DFから最前線までビルドアップの繋ぎが、U-23代表の韓国相手に、まったくひけを取らないレベルの高さです。

ロシアW杯のあと、西野監督が退任することになった会見で話していました。「日本のアンダー世代は、大変な才能に溢れています。すごい可能性を持っています」と。

私は、この韓国戦を見ながら、あの西野監督の言葉を思い出しました。「こりゃすごいわ、次のカタールまでに、どんだけ多くの才能が台頭してくるか」と。

今回の選手たちの中からフル代表に何人か招集される日が来るのも、そう遠くないのかも知れません。堂安選手や富安選手たちの世代だそうですから、五輪後には大挙してフル代表を占めるようになるかも知れません。

2000年シドニー五輪で中核を成したゴールデンエイジ世代が、2002年W杯メンバーに大挙引き上げられた時を思い出します。早いもので、あれから20年という周期になります。

あの時の1999年ワールドユース準優勝と今回のアジア大会銀メダルが重なるような気がします。韓国との決勝戦は、それだけの価値のある試合だったと思います。

では、また。



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