「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

30年目のJリーグが始まり、W杯出場権の決着も迫ってきました。

2022年02月21日 13時14分15秒 | Jリーグ・三大タイトル
いよいよJリーグが開幕しました。来年が30周年なのですが、シーズンとしては30年目にあたるのですね。
節目といえるシーズンです。
開幕戦は川崎FvsFC東京、「多摩川クラシコ」を呼ばれるようになった対戦でした。
川崎Fは、2017年シーズンにJリーグ初制覇を果たしてから5シーズンの間に4回チャンピオン、天皇杯、Jリーグカップを含めて6個のタイトルを取り続けている、まさに絶対王者です。

唯一3連覇の経験を持つ鹿島に比肩するクラブになりつつある川崎Fですが、1997年にJリーグ参入資格となる「準会員」となってから、Jリーグ昇格を果たすまで、あと1歩の悔しいシーズンを2年続け、1999年シーズンに昇格を果たした歴史を持っています。

2000年シーズンに初めてJ1での戦いを経験しましたが、あえなくJ2降格、次のJ1昇格まで4年を要しています。
2005年以降、J1での戦いを続け、徐々に強豪クラブへと変貌を遂げたわけですが、やはり1997年から2004年までの苦難が、当時、選手として味わっていた鬼木監督に骨の髄まで染み込んでいるのではないいでしょうか。
2004年のチームスローガンとなった「Mind-1 勝点1への執念―こころ1つに」は、いまも鬼木監督自身の指針であり、強烈な執念になっているのだと思います。

川崎Fが鹿島以来の3連覇を達成するのかが、最大の焦点になる楽しみな30年目のJリーグです。

そして、来月には、2022カタールW杯の出場権を勝ち取ることができるかどうか、運命の豪州戦が近づいてきました。
今月2日の書き込みでも触れましたが、次のオーストラリア戦、絶対に「絶対に負けられない」、負ければ2位以内での出場権獲得は絶望的と考えられますから、相当難しい試合になります。

3月24日の試合は、日本時間午後6時10分、シドニーでキックオフとのことですが、どうやらDAZNのみの配信になりそうで、テレビ放送のない相当昔の時代に戻った試合になりそうです。

「テレビの時代」がずいぶん斜陽になってきたとはいえ、まだ続いているように思いますが、日本代表中継の世界では、とうとう「テレビの時代」の終わりがきたといっていいのかも知れません。

そういえば、Jリーグの第一節、いままででしたらNHK-BSが「Jリーグタイム」といった番組名でダイジェスト放送をしてくれたのですが、今回は、それもなかったように思います。
「テレビ世代」としては、寂しい限りです。

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岡田監督の長く壮大な取り組みと1998年5月末の「あの事」について

2022年02月20日 14時06分11秒 | サッカー情報
2月26日のサッカーダイジェストwebに「成果を見せ始めた「岡田メソッド」・・・」というフリーライター・大中祐二氏によるレポートが掲載されました。

岡田武史監督は、8年前から中国の杭州緑城クラブのU-12世代に「岡田メソッド」による指導を続けてきたとのことで、その世代が8年後、U-20世代となって参加した中国版全国大会で優勝し、見事に成果を実証した形になったそうです。

この「岡田メソッド」という指導方法は、2年ほど前に書籍化されて話題になりましたが、今度はYouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として紹介されるとのことです。

こうした岡田監督の取り組みと、今治FCでの取り組みは一見別物のように見えていましたが、ここにきて、実はトップチームにも活かせるメソッドだということで、いまは今治FCが実証の場となりつつあるといいます。

岡田監督の、この長く壮大な取り組みの根っこにあるのは「どうして日本のチームは、強いと思っていても何かの拍子にガタガタと崩れてしまうのか」という根源的な問題に対する解を見出したいという渇望だと思います。

よく語られる日本人の精神性の部分ではないかと思うのですが、ことチーム強化においては育成年代でどう指導すべきか、トップチームではどう指導すべきかを、メソッドとして論理的に、体系的に組み立て、それを現場で実証していく必要があるということで、中国の杭州緑城クラブの取り組みがあり、今治FCでの取り組みがあるというわけです。

こうした岡田監督の取り組みを追い続けるたびに、やはり、私は1997年以降、岡田監督の身に降りかかった一連の出来事を思わずにはいられません。

1997年、フランスW杯アジア最終予選のさなか、突然、岡田監督は表舞台に立たされました。何の心の準備もないまま修羅場に立たされたわけです。

それを「ジョホールバルの歓喜」という形で凌ぎ、次はフランス本大会の指揮をとることになります。そして1998年5月末、いよいよ本大会メンバーとして最終エントリーする23名の中からカズ・三浦知良選手を外すという決断を下します。(ほかにも二人外されましたが)

しかもフランスでは3連敗で終わり、岡田監督に対するバッシングは強烈な形で降りかかってきました。
当時のことを、岡田監督が学んだ経営塾の主宰者・天外伺朗氏が、雑誌の取材に答える形て「自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きという状況になる中、『マスコミ』は私たちと違って『結果』に対して何の責任も持っていないのに・・(中略)つまらない批判、いい加減な報道を繰り返している・・と話していた」と紹介しています。

岡田監督のマスコミ不信、世間不信、ここに極まれりという感じです。

カズ選手を外した決断については、私も当ブログで「いまなお正しい決断だったのか?」と疑問を投げかけ続けていますので、岡田監督に同じことを指摘されそうです。

ご自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きというような事態は、ご家族にしてみたら、恐怖の日々でしたでしょうし、何かを書いてモノ申す的な立場の人間は、厳格に自らを戒めなければらないと思います。

その後の岡田監督は、Jリーグチームの札幌、横浜で成功を収め、オシム監督が病魔に倒れた後の日本代表監督を急遽登板のリリーフ投手のようにして引き受け、2010南アW杯で、決勝トーナメント進出に導くという結果を出して、まさに唯一無二の指導者となりました。

岡田監督は、これほどまでに優れた指導者だったのだと、驚嘆と絶賛の思いを強くしました。
ですから、将来には、さまざまな形で処遇される成功者の道が用意されていくであろうと考えていたのですが、それは私の浅はかさでした。

岡田監督は、協会役員などの名誉ある立場に目もくれず(とはいえ、そのまま在野の人にしておくわけにはいかない日本協会の推薦で、その後、副会長を1期つとめたが)、今治FCのオーナーに就任したことで、クラブ経営の道を選んだかにも見えましたが、それも正確な見立てとは言えませんでした。

ここにきて「岡田メソッド」というプレーモデルの指導法が徐々に認知度を高め、YouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として広まったことで、やっと岡田監督の長く壮大な取り組みの姿が理解できるようになったのです。

岡田監督にとっても、長年の日本チームの課題を解決する土台が作れそうだという手ごたえが出てきたのではないかと思います。

しかし、それにしてもです。
1998年5月のあの日、因縁が交錯した岡田監督と、その対象となった三浦知良選手、その二人は、いまなお日本サッカー界で際立った存在であり続けています。他の選手・指導者たちと比べても、本当に際立った存在だと思います。
こうなったのは、歴史の必然なのかどうかわかりませんが、本当に驚くべきことだと思います。

二人は世界に対しても誇れる日本サッカー界の輝かしい巨星です。
この二人は、おそらく100年経っても語り継がれる対象ではないかと思います。

※なお、本稿は投稿の翌日2月21日に、タイトルも含めて訂正と加筆させていただいております。

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webサイト「サッカーの世界へようこそ」にまもなく新規コンテンツの投入

2022年02月15日 20時39分27秒 | サッカー文化
当「サッカー文化フォーラム」のwebサイト「サッカーの世界へようこそ」を、作成途上ではありますが、2月10日、再アップしました。
このwebサイトは2010年に構想をスタートして2年後の2012年に最初のバージョンで公開しました。
2015年にはニューアル作業を行ない、現在のトップページの形にして再アップしました。
2020年夏、レンタルサーバーの契約更新に失敗して一度サイトを消滅させてしまいましたが、2021年夏以降、パートナーになっていただいたweb制作会社の方のご協力で、何とか復活させ2月10日に3度目のアップに漕ぎつけた次第です。

今回の再アップに際しては、中身のコンテンツを投入していくために必要な作業の打ち合わせを綿密に行ないました。
その結果、特に「データパビリオン」というページで、当フォーラムが所蔵している膨大なサッカー情報を網羅的に公開するのに必要な作業イメージが固まったことから、第一弾のデータコンテンツを投入できました。
このあとのデータコンテンツも、フォーマットが決まったことにより作業を加速できますので、初めてサイトを公開してから10年目にして、やっとデータコンテンツを次々と投入できる見通しが立ちました。

また「ヒストリーパビリオン」というページで、日本サッカーがようやく世界に目を向け始めた時期である1986年以降のヒストリーを「伝説の年」「伝説のチーム」「伝説の試合」「伝説の選手・指導者たち」という切り口でひもとくコンテンツについても「伝説の年」の部分の1986年、そのあとの1987年から1991年までの部分を、10年前のアップ時に投入しただけで終わっていましたが、次のコンテンツ投入に向けた作業ができる状況になりました。

その理由は、コンテンツ書下ろしの素材資料となるサッカー専門誌やスポーツ紙の点検が進み、2002年あたりまでは自在に確認作業ができるようになったためです。
今日などは「伝説のあの年1992年」の項を一気に書下ろしましたが、手元に関連資料をおいて繰り返し確認しながら書けましたので、自分でも驚くほどスムーズに作業が進みました。

次は「伝説のあの年1993年」です。この年はご存じのとおり「Jリーグ元年」の年です。そしてドーハの悲劇があった年です。おそらく1986年から50年後の2036年あたりまでを考えた場合でも、例えばワールドカップの日本単独開催とか、ワールドカップでのベスト4進出などの出来事があれば(ベスト4まで勝ち上がれば3位決定戦まで戦うことになるので)別ですが、やはり1993年に匹敵する歴史的な年は出ないのではないかと思われる年です。

来年2023年で、あれから30年を迎えます。その年に生まれた方は30歳になる訳で、30歳の方が知らない出来事ですから、もう立派に伝説化している年です。
そこを「サッカーの世界にようこそ」サイトは、克明にひもといて記録にとどめ、100年先まで伝えていきたいのです。
「伝説のあの年1993年」がサイトにアップされるのを、どうぞお楽しみに。
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フェルホーセン先生の慧眼

2022年02月14日 15時55分43秒 | サッカー選手応援
いろいろな事実関係を-確認するため頻繁にネット検索をしています。その検索の途中に思いがけない記事を見つけて寄り道をしてしまうことも頻繁にあります。

今回、2008年北京五輪サッカーのアジア予選突破や本大会の情報を検索していましたら、2つ新しい発見がありました。
二つともNumber-webサイトの記事で、
・北京五輪サッカー代表チームの反町監督が10年後の2018年にインタビューに答える形で語った記事「10年後に会おうと約束した年・・・」
・2018年ロシアW杯の主力選手となった本田圭佑選手、川島永嗣選手、吉田麻也選手が名古屋グランパス時代に監督として在籍していたフェルホーセン氏の慧眼を称えた記事「本田圭佑をVVVに推薦した"先生"。吉田と川島に通じる名古屋時代の秘話」
です。

このうち2つ目のフェルホーセン監督、この記事、4年も経った現在ではありますが、目にできて本当に幸運だと思いました。

といいますのは、いま当「サッカー文化フォーラム」のwebサイト「サッカーの世界にようこそ」で「ヒストリーパビリオン」というページの内容を一つひとつ吟味しているところで、さらにその中に「伝説のあの選手・指導者たち」というコンテンツがあります。

その「指導者」として誰が外せない人なのか、何を基準に選ぶべきなのか、明確な物差しを持っていないと、単なる「個人の好み」だけで選んでしまったり、優勝監督などの結果だけで選んでしまったりして、大切なことを見落としたり、見逃したりしてしまう恐怖を抱いています。

このフェルホーセン監督、名古屋の2年間の監督時代の実績だけを見れば、特筆できることは何もなく、監督当時、世間の耳目を集めるような話題もありませんから、到底「伝説のあの指導者」として拾い上げることがなさそうな監督さんです。

けれども、本当に「伝説の指導者」として当フォーラムが絶対外してはならない人とは、こういう人を指すのではないかと、さきほどのNumber-webサイトの記事が示しているような気がしてなりません。

当サイトは、一般的な名声を得た指導者もさることながら、よほどキチンと本質を見ていないと見逃してしまうような指導者の方も漏れなく網羅することが務めだと自負しています。

Number-webサイトのフェルホーセン監督の記事URLをそのまま貼り付けるのは、権利関係もあると思いますので避けて、記事タイトルを以下にお知らせしておきます。
関心を持たれた方は検索していただきご一読ください、
「本田圭佑をVVVに推薦した“先生”。吉田と川島に通じる名古屋での秘話。」

またフェルホーセン監督のWikipedia情報は以下のURLです。顔写真もついていますのでご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3

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気の抜けない戦いは、まだ続きます。W杯アジア最終予選

2022年02月02日 16時53分38秒 | サッカー日本代表
昨夜2月1日、サウジアラビアとの1位、2位対戦が終わり、日本代表が2-0で勝利しました。順位に変動はなく、残り2試合になりました。
次は3月24日と3月29日とのこと。最初がアウェーのオーストラリア戦、最後がホームのベトナム戦。
オーストラリア戦に勝てば本大会出場権獲得ですが、負けた場合どうなるか、です。
サウジも次戦勝てば勝ち点22で出場権確定。オーストラリアが勝ち点18、得失点差で2位、日本は勝ち点18で3位で、最終戦に臨みます。

最終戦、ホームのベトナム戦に負けるとか引き分けでは話にならないわけで、勝って勝ち点21、オーストラリアはアウェーでサウジ戦ですが、出場を決めてしまっているサウジとのモチベーションの差は明らか。オーストラリア勝利となれば、得失点差の勝負になり、日本はかなりの点をベトナムから奪わないとダメという状況になります。
したがって、次のオーストラリア戦、これまでも繰り返されてきたおなじみのフレーズ「絶対に負けられない戦い」となります。

次に、オーストラリア戦を勝つ気で戦い、結果引き分けならどうか。日本勝ち点19、オーストラリアは勝ち点16で最終戦になります。
そうなれば、日本はかなり有利になります。ベトナムに引き分けでも勝ち点20、オーストラリアはサウジに勝っても勝ち点19にしかならず、日本出場権決定です。

ここまでシュミレーションすると、次のオーストラリア戦、絶対に「絶対に負けられない」ことが確定します。負ければ2位以内での出場権獲得は絶望的と考えられます。

1997年のフランスW杯アジア最終予選から25年、四半世紀、日本代表は、どの大会も気の抜けない戦いの連続の中で、ここまで6大会出場権を獲得し続けてきました。2002年の日韓共催大会というアジア予選のない大会はあったものの、常に気の抜けないアジア予選の連続だったような気がします。

これまでは、苦しみ抜いても最後は「出場権獲得」という結果を出し続けてきました。けれども、これから先もそれが続く保証などどこにもないのが「W杯アジア最終予選」という世界です。それに挑み続けて結果を出し続けていこうとする「日本代表」という存在。

私たちは、彼らの連綿たる挑戦と、勝ち取った結果の偉大さに、ただただ頭が下がる思いです。
この日本において「サッカーを愛する人々」の一員として、すでに25年もの長きにわたり、彼ら日本代表の挑戦を共有できて、本大会出場権獲得という栄光に浸れた喜びは、人生を本当に豊かにしてくれました。

どうか、この先も、少しでも長い年月、日本代表が本大会出場権獲得という栄光を獲得し続けられることを願って止みません。

物事にはすべてに「終わり」が来ることを考えれば、いつかは、それが途切れることでしょう。おそらく、その時は、まるで「この世の終わり」かのように日本中が悲嘆にくれるに違いありません。
しかし、それはサッカー一流国と言われているイタリアも、イングランドもフランスもオランダも経験していることです。

それらの国も、悲嘆の大きさはハンパではなかったことと思いますが、そのあとズルズルと「サッカー後進国」に成り下がったわけではなく、相変わらず強豪国です。
その国に「サッカー文化」が根付いていれば、一度出場権を逃したからといって、土台が崩れるわけではありません。

日本では1993年に沸騰したJリーグ人気の真っ最中に、アメリカW杯の出場権をあと一歩のところで逃しました。その当時は、まだ社会全体に「W杯出場権」を逃したことの重みで悲嘆にくれるほどの雰囲気はありませんでした。

このあとのどこかの年に「W杯出場権」を逃すことになれば、1993年の時とは比較にならないほどのことになると思います。
フランスW杯本大会で1勝もできずに帰国した日本代表のエース・城彰二選手が成田空港で、心ないファンから生卵を投げつけられたことがありましたが、「W杯出場権」を逃すことになれば、代表イレブンにどのような指弾が浴びせられるか、想像がつきません。

代表イレブンへの指弾が、身の危険に及ぶようなことや、人格否定に及ぶようなことがあっては絶対なりませんが、それでも、わが日本に「サッカー文化」が根付いていれば、土台がガラガラと崩れるわけではありませんし、代表イレブンは、その批判をバネにもう一段、上のレベルに成長していくに違いありません。
その結果、日本は、これまでの歴史を塗り替えるような、さらに強い国になるに違いありません。

【一部、2/3に加筆補正しました】

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