「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

【至言】ミシャは選手を「戦士」に変えてくれた人by都倉賢選手

2019年02月21日 18時27分32秒 | サッカー選手応援
今日、スマホでサッカー情報を流し見していたら、タイトルに書いた言葉に出会いました。スポーツナビサイトの対談企画でライター・元川悦子さんのレポートです。

題して「J開幕直前対談・ベドロヴィッチ×都倉賢」「深い絆を感じる教え子への宣戦布告」とあります。二人の対談形式で書いてあり、取材日は2月14日とあります。

この中で元川さんが最初につけたキャプションが「都倉『ミシャさんは選手を「戦士」に変える』」という至言です。

つまり、どんなに技術が優れた選手が揃っていても「選手」でしかないなら勝負には勝てない。「戦士」が揃ったチームにはかなわない。こんな当たり前のことなのに、「ミシャが指揮を執るクラブはどうして皆強くなるんだろう」と不思議に思っていた面があります。

ミシャことベドロヴィッチ監督は、常に攻撃的なチーム作りをすることで知られています。ともすれば、その戦術的な分析などに目を奪われ、彼が、選手の意識を変えてしまう「モチベーター」であることは、ほとんど知られていないかもしれません。

現に、この対談でも、都倉選手が「ミシャ監督から学んだことは?」と問われて「戦術的な部分はもちろんですけれど、ミシャさんは選手を『戦士』に変える指導者。マインドをリセットしてくれたと思うんです。」と答えています。

この「戦士」に変える指導、マインドをリセットする指導についてベドロヴィッチ監督はどう語っているかというと、実は何も語っていません。「毎日練習に来られてうれしい、という気持ちを抱いて活動してもらうことが大事だ」とか、「ミスを恐れずトライしなさい」とか、特別な言葉のようには思えないことを、ただ口を酸っぱくて言い続けました」と言っています。

都倉選手は「戦士」に変わった、そのココロについて次のように付け加えくれています。「ミシャさんに僕ら以上の情熱があったからだと思います。その熱量は今もよく覚えていますし、ありがたい1年だったと強く感じますね」と。

何も「君たちは試合という名の戦争をしているんだ」とか「生きるか死ぬかの瀬戸際にいる戦士なんだ」などと言われなくても、ミシャに「そこでどうしてトライしないんだ。なぜミスを恐れているんだ」といった言葉を毎日、毎日それこそ、大変なエネルギーを振り絞って言われ続けることによって、「あぁ、トライしなかった自分というのは、本気で戦おうとしてない自分だった」ということに思い至ったんだと思います。

これまで漠然とですが「ミシャ教信者」という言い方をするのを聞いたことがあります。サンフレッチェ広島時代に教えを受けた柏木陽介選手、槙野智章選手、森脇良太選手たちが、ペドロヴィッチ監督の後を追うように浦和レッズに移籍した頃だったと思います。

彼らは口々に「やはりミシャのサッカーがしたい」というような言い方をしていましたが、それは戦術的に攻撃的なサッカーをしたいということもさることながら、ペドロヴィッチ監督の持つサッカーへの情熱、都倉選手の言う「その熱量」に圧倒され信者になったが故の言葉だったのだと思います。

広島でも浦和でも、ミシャ監督が去って次の監督が優勝をもたらす結果になりましたから、なんとなくペドロヴィッチ監督の「結果を出せる力量」というものに懐疑的でしたが、選手と監督のしあわせな関係という意味では、ミシャの持つ魅力を思い知らされるレポートでした。

今回、私は、都倉選手の「ボキャ力」つまり見事な表現力にも舌を巻いています。「ミシャ監督は「選手」を「戦士」に変えてくれた」。優秀な監督であることを表す言葉として、いろいろな角度から表現されますが、今回のようなキーワードで見事に言い表わしてくれた都倉選手、そして、その言葉をしっかりと拾って活字にしてくれた元川悦子さんに最大限の賛辞を送りたいと思います。

都倉選手はもう一つ「マインドのリセット」という言い方もしてくれました。言語能力の大変高い人だと思います。

今回もう一つ面白い状況があります。広島から浦和には、ミシャ監督を慕って移籍がありましたが、今回、都倉選手は「ミシャ監督から独り立ち」するような形で移籍しました。ミシャ監督と選手の関係が新しい次元に入ったのかもしれません。

ミシャ監督を巡る話は尽きないのですが、今日はこのへんで。
では、また。
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サッカー情報のパソコン取り込み、その先について

2019年02月19日 18時51分18秒 | サッカー選手応援
さる1月28日の書き込みで「サッカーのビデオ画像、紙媒体情報、パソコン取り込み再開です」とお知らせしました。

なにぶん、日本サッカー25年のあらゆる情報をデータ化する作業ですので、まだ、いつ頃完了できるか見当がつきませんが、その先のことは夢と希望を持っています。

一つは、インターネット上で誰もがアクセスして、試合画像や番組画像、雑誌・新聞等の情報を検索して自由に楽しんでもらったり、調査研究の資料に活用していただいたりすることです。

もう一つは「サッカー情報アーカイブス」の拠点をどこかに確保してカフェを併設して、そこのマスターとして余生を送ることです。拠点といっても個人レベルのことです。よく長年のコレクションを、私財を投じて展示している個人資料館のような施設がありますが、せめて、それぐらいの拠点にはしたいものです。

最初の構想を具体化するため「サッカーの世界へようこそ」というサイトを開設して、そこでどんどん公開していく考えなのですが、画像一つとっても権利関係の問題で、すぐ削除されてしまうようで、なかなか難しいらしく、3年ぐらい前から全くメンテナンスしていません。

もう一つの拠点構想も、すでにデータ化されているものを皆さんに活用していただきたいのですが、私財などない身ですので拠点がなく、公開できておりません。

ですから、今はただコツコツとパソコン取り込みの作業を続けることしか出来ない状況です。
もう数年前から、こうした構想に共感してくださり、何らかの参加を希望してくださる方を呼びかけていますが、いまだ、名乗りをあげてくださる方はいません。

あらためて、呼びかけさせていただきます。
関心を持たれた方のご連絡をお待ちしております。

拠点で思い浮かんだことがあります。
静岡県東部、駿東郡長泉町というところに「静岡県サッカーミュージアム」という施設がありますが、ご存知でしたか?

ここは、最近、経営問題が指摘されているスルガ銀行が開発した「クレマチスの丘」という美術館などもある観光地の一角にあり、ミュージアムもスルガ銀行が設置、運営を静岡県サッカー協会が行なっている施設です。

静岡県最大のサッカースタジアム「エコパ」ができてからは、そのスタジアム内にあるミュージアムがメインになっていると思いますので、こちらの施設は次第に忘れ去られるのてはないかと思っていたところにスルガ銀行の経営問題です。

施設を処分する話でも出ているのではないかと思い、ホームページをのぞいてみましたが、まだ存在しているみたいです。

あそこなどは、気の利いた民間事業者なら集客の仕掛けをいろいろ講じて、立派な収益事業にできそう施設です。ただ何となくある、というだけではもったいないと思っています。


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2019年Jリーグキックオフカンファレンスから

2019年02月18日 19時23分45秒 | サッカー選手応援
先週、2019年Jリーグキックオフカンファレンスが開催されたようで、Jリーグ全クラブの監督さんたちが勢揃いしたようです

NHK-BS土曜夜のサッカー情報番組「Jリーグタイム」がJ1全クラブの監督インタビューを放送してくれました。18クラブ(最初16クラブと書いてしまいました)ですから一人あたりのインタビュー時間は微々たるものでしたが、経験豊富な外国人監督と若手有能な日本人監督という図式が見えて興味深く見ました。

つくづく思うのは、外国人監督も誰でもいい時代は完全に終わり、アジアトップクラス、欧州リーグに肉薄しようかというレベルの高いリーグで仕事をするに相応しい監督さんが自然に集まる時代になったということです。

神戸・リージョ監督やセレッソ・ロティーナ監督などスペインを主戦場にしてきた監督さんが増えてきた理由はよくわからないのですが、選手もそうですから、何となくJリーグが世界最高峰のリーグからも認められてきた感じがして、うれしいものです。

いま、過去のビデオ映像のデジタル変換作業の中で、98-99欧州チャンピオンズリーグの試合を見ていますが、この頃のレアル・マドリー、ラウル、ロベカル、レドンド、イエロなどのキラ星のような選手たち、その当時は別世界のリーグという感じでしたし、そのあとまもなく、城彰二選手や西沢明訓選手がスペイン挑戦を果たしたとはいえ、スペインを見る目が今とは全く違っていたと思います。

まさに、彼らの挑戦を皮切りに、多くの選手がスペインで戦いを続けた20年の積み重ねの末、ここまで接近したということだと思います。また当時、浦和レッズにベギリスタイン選手というスペインの選手が在籍したことがあります。

当時とすれば極めて珍しいスペインリーグ経験者であり、不思議に思ったぐらいですが、彼なども日本とスペイン、日本と欧州の架け橋になってくれて、今のつながりに結びついているのだと思います。

やはり20年もの積み重ねというのは、いろいろな変化をもたらすものだと痛感します。

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トルシエ元監督から届いた「闘争心に欠ける日本の文化」敗因論

2019年02月05日 17時46分47秒 | サッカー選手応援
敗因というのは、もちろんアジアカップ決勝カタール戦のことです。森保監督のチーム作りが、ここまて順調に来ていたことに気持ちが行き過ぎて、敗因を的確にイメージ出来ないでいたところに、トルシエ元監督からのコメントが届きました。

フランス語ならこの人・田村修一氏がトルシエ氏のインタビュー記事をまとめてくださいました。この後、いろいろ示唆に富んだ部分をご紹介しますが、N umber webの「トルシエ、カタール戦の森保Jを嘆く。『優しさに満ちて無味無臭だった』」の原文もぜひお読みください。

カタール戦の敗因について、モヤモヤしていたことが、霧が晴れるようにスッキリしました。やはり日本代表を率いた経験と、その後の世界を見続けた経験によって、実に的確な指摘です。

もちろん、それは田村氏が「トルシエ氏かく語りき」と、自分の納得のもと活字にしているので、田村氏も的確に敗因を認識できたことを意味します。

私は試合中、原口選手、南野選手、堂安選手の2列目に大迫選手を加えた4枚の前線が、1-2でリードされた局面で、どうしてもっと強引にドリブルで仕掛けていかないのだろうかと気になっていました。ペナルティエリアの中あるいは直前なのに、まだパスでばかり崩そうとしている、誰かがリスクを負って突っかける場面も織り交ぜればいいのに、と感じていました。

これなどは、まさしくトルシエ氏の言う「ヨーロッパでプレーする日本人が、帰国して日本の環境の中に入ると日本の価値観を再度身に纏う。鋳型から出ることをヨーロッパでは求められるが、日本では自分たちの価値観の虜になっている。そこに私は問題があると思う」ということなのだろう。

また、あれだけ多くのCKを得たのに、こぼれ球をミドルシュートで叩き込もうという意思はどこへ行ったのだろうと思いました。

塩谷選手が今度こそ打つかとずっと見ていましたが、ピッチ上の塩谷選手は、どうだったのでしょう。繋ぎに徹しなければ、という気持ちだったのでしょうか。こぼれ球は絶対キャノンシュートだと決めていたら3本か4本は打てたのではないでしょうか。

でもトルシエ氏に言わせれば、森保監督という「日本的な価値観とシステムの体現者」のもとでは、個人主義的なプレーは生まれないだろう」ということであり、それを打ち破るほどの規格外の選手がいない限り無理だろう」というわけです。

やはり現時点では、そういう規格外のプレーをする選手がいないことも含めて力不足だったということです。
「これが敗因です」

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香川真司選手、新天地で再び輝きを取り戻したぁ。

2019年02月04日 20時14分40秒 | サッカー選手応援
冬の移籍市場最終日にトルコの強豪クラブ・ベジクタシュへの移籍が決まった香川真司選手。たった3日後には早速リーグ戦デビューを、ド派手に飾りました。

なんでも、香川真司選手の投入は後半も残り少ない36分、まぁ顔見せ程度の出場だったのかもしれませんが、たった1分ご、ファーストタッチをゴールに結びつけたばかりか、その2分後、今度はF Kを叩き込んで、あっという間の2ゴール、名刺がわりにしては、あまりにもド派手なデビューでした。

私は、香川真司選手の持っている能力の高さに、あらためて驚嘆しました。この選手は働き場所にさえ恵まれれば、とてつもない能力を発揮する選手であり、問題は、その働き場所になかなか恵まれなかったところにあります。

恵まれなかった理由は、といえば、ある意味「運」ではないでしょうか。

香川真司選手本人は、欧州での仕事が、まだまだ不完全燃焼でしょう。まずはベジクタシュで、目覚ましい復活を遂げないことには、何も始まらないと思います。

その上で、日本代表でも「若手三銃士」プラス「香川」という存在に甦って欲しいものです。このまま世代交代では、あまりに寂しいですから。

これから、しばらく目が離せないですね。
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