今日、スマホでサッカー情報を流し見していたら、タイトルに書いた言葉に出会いました。スポーツナビサイトの対談企画でライター・元川悦子さんのレポートです。
題して「J開幕直前対談・ベドロヴィッチ×都倉賢」「深い絆を感じる教え子への宣戦布告」とあります。二人の対談形式で書いてあり、取材日は2月14日とあります。
この中で元川さんが最初につけたキャプションが「都倉『ミシャさんは選手を「戦士」に変える』」という至言です。
つまり、どんなに技術が優れた選手が揃っていても「選手」でしかないなら勝負には勝てない。「戦士」が揃ったチームにはかなわない。こんな当たり前のことなのに、「ミシャが指揮を執るクラブはどうして皆強くなるんだろう」と不思議に思っていた面があります。
ミシャことベドロヴィッチ監督は、常に攻撃的なチーム作りをすることで知られています。ともすれば、その戦術的な分析などに目を奪われ、彼が、選手の意識を変えてしまう「モチベーター」であることは、ほとんど知られていないかもしれません。
現に、この対談でも、都倉選手が「ミシャ監督から学んだことは?」と問われて「戦術的な部分はもちろんですけれど、ミシャさんは選手を『戦士』に変える指導者。マインドをリセットしてくれたと思うんです。」と答えています。
この「戦士」に変える指導、マインドをリセットする指導についてベドロヴィッチ監督はどう語っているかというと、実は何も語っていません。「毎日練習に来られてうれしい、という気持ちを抱いて活動してもらうことが大事だ」とか、「ミスを恐れずトライしなさい」とか、特別な言葉のようには思えないことを、ただ口を酸っぱくて言い続けました」と言っています。
都倉選手は「戦士」に変わった、そのココロについて次のように付け加えくれています。「ミシャさんに僕ら以上の情熱があったからだと思います。その熱量は今もよく覚えていますし、ありがたい1年だったと強く感じますね」と。
何も「君たちは試合という名の戦争をしているんだ」とか「生きるか死ぬかの瀬戸際にいる戦士なんだ」などと言われなくても、ミシャに「そこでどうしてトライしないんだ。なぜミスを恐れているんだ」といった言葉を毎日、毎日それこそ、大変なエネルギーを振り絞って言われ続けることによって、「あぁ、トライしなかった自分というのは、本気で戦おうとしてない自分だった」ということに思い至ったんだと思います。
これまで漠然とですが「ミシャ教信者」という言い方をするのを聞いたことがあります。サンフレッチェ広島時代に教えを受けた柏木陽介選手、槙野智章選手、森脇良太選手たちが、ペドロヴィッチ監督の後を追うように浦和レッズに移籍した頃だったと思います。
彼らは口々に「やはりミシャのサッカーがしたい」というような言い方をしていましたが、それは戦術的に攻撃的なサッカーをしたいということもさることながら、ペドロヴィッチ監督の持つサッカーへの情熱、都倉選手の言う「その熱量」に圧倒され信者になったが故の言葉だったのだと思います。
広島でも浦和でも、ミシャ監督が去って次の監督が優勝をもたらす結果になりましたから、なんとなくペドロヴィッチ監督の「結果を出せる力量」というものに懐疑的でしたが、選手と監督のしあわせな関係という意味では、ミシャの持つ魅力を思い知らされるレポートでした。
今回、私は、都倉選手の「ボキャ力」つまり見事な表現力にも舌を巻いています。「ミシャ監督は「選手」を「戦士」に変えてくれた」。優秀な監督であることを表す言葉として、いろいろな角度から表現されますが、今回のようなキーワードで見事に言い表わしてくれた都倉選手、そして、その言葉をしっかりと拾って活字にしてくれた元川悦子さんに最大限の賛辞を送りたいと思います。
都倉選手はもう一つ「マインドのリセット」という言い方もしてくれました。言語能力の大変高い人だと思います。
今回もう一つ面白い状況があります。広島から浦和には、ミシャ監督を慕って移籍がありましたが、今回、都倉選手は「ミシャ監督から独り立ち」するような形で移籍しました。ミシャ監督と選手の関係が新しい次元に入ったのかもしれません。
ミシャ監督を巡る話は尽きないのですが、今日はこのへんで。
では、また。
題して「J開幕直前対談・ベドロヴィッチ×都倉賢」「深い絆を感じる教え子への宣戦布告」とあります。二人の対談形式で書いてあり、取材日は2月14日とあります。
この中で元川さんが最初につけたキャプションが「都倉『ミシャさんは選手を「戦士」に変える』」という至言です。
つまり、どんなに技術が優れた選手が揃っていても「選手」でしかないなら勝負には勝てない。「戦士」が揃ったチームにはかなわない。こんな当たり前のことなのに、「ミシャが指揮を執るクラブはどうして皆強くなるんだろう」と不思議に思っていた面があります。
ミシャことベドロヴィッチ監督は、常に攻撃的なチーム作りをすることで知られています。ともすれば、その戦術的な分析などに目を奪われ、彼が、選手の意識を変えてしまう「モチベーター」であることは、ほとんど知られていないかもしれません。
現に、この対談でも、都倉選手が「ミシャ監督から学んだことは?」と問われて「戦術的な部分はもちろんですけれど、ミシャさんは選手を『戦士』に変える指導者。マインドをリセットしてくれたと思うんです。」と答えています。
この「戦士」に変える指導、マインドをリセットする指導についてベドロヴィッチ監督はどう語っているかというと、実は何も語っていません。「毎日練習に来られてうれしい、という気持ちを抱いて活動してもらうことが大事だ」とか、「ミスを恐れずトライしなさい」とか、特別な言葉のようには思えないことを、ただ口を酸っぱくて言い続けました」と言っています。
都倉選手は「戦士」に変わった、そのココロについて次のように付け加えくれています。「ミシャさんに僕ら以上の情熱があったからだと思います。その熱量は今もよく覚えていますし、ありがたい1年だったと強く感じますね」と。
何も「君たちは試合という名の戦争をしているんだ」とか「生きるか死ぬかの瀬戸際にいる戦士なんだ」などと言われなくても、ミシャに「そこでどうしてトライしないんだ。なぜミスを恐れているんだ」といった言葉を毎日、毎日それこそ、大変なエネルギーを振り絞って言われ続けることによって、「あぁ、トライしなかった自分というのは、本気で戦おうとしてない自分だった」ということに思い至ったんだと思います。
これまで漠然とですが「ミシャ教信者」という言い方をするのを聞いたことがあります。サンフレッチェ広島時代に教えを受けた柏木陽介選手、槙野智章選手、森脇良太選手たちが、ペドロヴィッチ監督の後を追うように浦和レッズに移籍した頃だったと思います。
彼らは口々に「やはりミシャのサッカーがしたい」というような言い方をしていましたが、それは戦術的に攻撃的なサッカーをしたいということもさることながら、ペドロヴィッチ監督の持つサッカーへの情熱、都倉選手の言う「その熱量」に圧倒され信者になったが故の言葉だったのだと思います。
広島でも浦和でも、ミシャ監督が去って次の監督が優勝をもたらす結果になりましたから、なんとなくペドロヴィッチ監督の「結果を出せる力量」というものに懐疑的でしたが、選手と監督のしあわせな関係という意味では、ミシャの持つ魅力を思い知らされるレポートでした。
今回、私は、都倉選手の「ボキャ力」つまり見事な表現力にも舌を巻いています。「ミシャ監督は「選手」を「戦士」に変えてくれた」。優秀な監督であることを表す言葉として、いろいろな角度から表現されますが、今回のようなキーワードで見事に言い表わしてくれた都倉選手、そして、その言葉をしっかりと拾って活字にしてくれた元川悦子さんに最大限の賛辞を送りたいと思います。
都倉選手はもう一つ「マインドのリセット」という言い方もしてくれました。言語能力の大変高い人だと思います。
今回もう一つ面白い状況があります。広島から浦和には、ミシャ監督を慕って移籍がありましたが、今回、都倉選手は「ミシャ監督から独り立ち」するような形で移籍しました。ミシャ監督と選手の関係が新しい次元に入ったのかもしれません。
ミシャ監督を巡る話は尽きないのですが、今日はこのへんで。
では、また。