「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「Jリーグ=プロサッカー」化に尽力された方の訃報がまた一つ

2022年08月28日 22時07分08秒 | FIFA、サッカー協会
当ブログが主宰しているwebサイト「サッカーの世界へようこそ・サッカー文化フォーラム」の中で、1980年代半ば以降の日本サッカーの流れを「ヒストリーパビリオン」というカテゴリーで詳細にひもといています。

その中で、特に1986年以降の日本のサッカー関係者の取り組みの二本柱になったのが「日本リーグのプロ化」と「ワールドカップの日本招致」でした。
前者は主として、当時の日本サッカーのトップリーグである「日本サッカーリーグ」の運営事務局で検討され、後者は主として日本サッカー協会で取り組まれてきたテーマです。

1988年に川淵三郎さんが「日本サッカーリーグ」運営事務局の代表者である「総務主事」に就任する前、1985年からその任にあたっていた方が「森健兒」さん。1986年にスペシャルライセンスプレーヤー制度、いわゆる個人レベルでのプロ登録選手制度をスタートさせ、奥寺康彦選手、木村和司選手の二人のプロ契約選手を誕生させたのも森健兒総務主事の時でした。

1988年3月には、森健兒総務主事、木之本興三事務局長のもとで「JSL第一次活性化委員会」がスタートしてプロ化への本格的な検討が始まったのです。その年の秋に総務主事が川淵三郎さんに引き継がれ、翌年には日本サッカー協会の場に検討が委ねられ、「日本リーグのプロ化」と「ワールドカップの日本招致」が一元的、相乗効果をもたらす取り組みとして加速していったわけです。

そのあたりのことは、「ヒストリーパビリオン」の「伝説のあの年」に詳しく書き込んであります。
その「Jリーグ」誕生に向けて先鞭をつけた方である森健兒さんが亡くなられたという記事を目にしました。

当ブログとして「サッカーの世界へようこそ・サッカー文化フォーラム」サイトは、こうした功労者の業績を称え伝えていくことを重視しています。

森健兒さんは1991年、「社団法人日本プロサッカーリーグ」が設立された時、川淵チェアマンのもと「専務理事」を務められ、1998年から4年間は日本サッカー協会の専務理事を務められました。
森さんにとって、そのポストが十分な、満足できるポストだったのかどうか、当方には、いまはまだわかりません。
いずれ、そのことも時間の流れの中で、少しづつ輪郭が見えてくるのではないかと思っています。

木之本興三さんに続いて、森健兒さん、Jリーグを誕生させた二人の功労者が鬼籍に入られたわけです。時の流れは待ってくれない、そう感じます。



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YouTubeによる動画公開のアクシデント

2022年08月28日 20時48分39秒 | サッカー文化
当ブログが主宰するwebサイト「サッカーの世界にようこそ・サッカー文化フォーラム」を構成する大きなカテゴリーが「データパビリオン」ということで、膨大なサッカー文化関連情報をデータベースとして公開している部分があります。

そのデータベースでは、それぞれの個別データが何らかの映像情報、記事情報などを伴うものですから、少しでもその内容を知っていただきたいという思いから、映像情報であればYouTubeに15分以内に短縮した映像を公開して、それに個別データに「サムネイルNo」をつけて、YouTubeにリンクさせています。

前回、このブログに書き込んだのが2ケ月半も前で、タイトルが「『ビートたけしのサッカー小僧』コーナーにすっかりハマりました」

つまりYouTubeに流し込むために、試合映像や番組映像を一つひとつ点検して「これはぜひ」というものを選んで短縮版に作業してアップしていた中で、番組名を変更しないで続いたサッカー情報番組としては最長年間放送された「スーパーサッカー」、その中で1994年で放送されたコーナーが『ビートたけしのサッカー小僧』。

放送当時は、ビートたけしさんの毒舌がキツく感じて、少し敬遠していたコーナーでしたが、今回、あらためて見直してみると、面白くて、すっかりハマったということを書き込んだわけです。

その後、2ケ月半のあいだにアップした画像は約130本ほどになりました。やはり、それぞれの画像には、それぞれの思いがある方々がいて、毎日のようにコメントが届き、楽しく読ませていただいておりました。

設定したYouTubeチャンネルの登録者の方も毎日のように増え続け、500人以上になりました。
そんな中、突然アクシデントが発生しました。

YouTube事務局から1本のメールが入り「このアカウントは著作権者からの削除要請を受けたため削除されました」という内容です。

すぐYouTubeにアクセスしてみましたが、あとの祭りです。跡形もなく消滅していました。130本ほどの動画、500人以上の登録者の方、すべて消えてしまいました。

正確に言えば、その前に2度の「警告」を受けていたのですが、その2度は一晩のうちに立て続けに告知されたものですので、実質的には1度という感覚です。

その警告を受けてとった対策は「非公開」扱いにするべきだったのかも知れませんが「限定公開」扱いでした。「限定公開」がどの程度の公開状態なのか、あまりイメージが湧かないままにとった対策でしたが、それから10日ほどで、突然アカウント削除処分を受けたわけです。

何も言えない処分なのですが、根本的な部分は未解決のままです。
根本的な部分というのは「公開に際して許諾手続きを行ない、必要な許諾を得た上で晴れて公開する手手だてはないのだろうか」ということです。

当然のことながらネット上で、いろいろと情報収集を試みましたが未解決のまま、見切り発車していたというのが実情です。

これからは「公開に際して許諾手続きを行ない、必要な許諾を得た上で晴れて公開する」ということにすべてのエネルギーを注がなくてはならないと思っています。

といいますのも削除要請してきた著作権者の側も、許諾手続きをとっていない違法公開だからこそ削除要請をしてきたわけで、使用許諾している映像であれば、何の問題もないからです。要は使用許諾を得る方法がわからないまま、違法公開しても通用しないということです。

まずは、YouTubeによる動画公開のアクシデントをご報告して、いずれ根本的な対策についての取り組み具合をまたご報告したいと思います。



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