「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

賀川浩さんのご逝去、その業績の大きさをあらためて偲びつつ、微力ながら継承をお誓い申しあげます。

2024年12月08日 11時54分49秒 | サッカー文化
2024年12月5日、賀川浩さんが99歳でご逝去されたとの報に接しました。1924年12月29日のお生まれだそうですから、それこそ、もう少しで100歳になられるところだったのに・・、です。

6日付の産経新聞によると「老衰のため」とありました。同紙には1979年に若き日のマラドーナ選手(ワイシャツ、ネクタイ姿)と握手していらっしゃる写真と、2019年3月、神戸で開催された日本代表vsボリビア戦のあと森保監督と握手していらっしゃる写真が掲載されていました。

2019年3月といいますと94歳の時のようです。ずいぶんお年を召されたようにお見受けする写真ですが、まだスタジアムに足を運ぶお気持ちをもっていらっしゃったということになります。

当「サッカー文化フォーラム」夢追い人は、賀川さんがFIFA(国際サッカー連盟)から日本人として初めて「FIFA会長賞」を贈られる前年の2014年8月に、神戸市立図書館内に開設されている「神戸賀川サッカー文庫」を見せていただくために訪問した際、賀川さんご自身も来てくださり面会させていただいたことがあります。

「神戸賀川サッカー文庫」を開設された神戸市立図書館の方、その文庫を支えていらっしゃる賀川さんのお仲間という感じのサッカー仲間の皆さん、「日本サッカー発祥の地」にふさわしい神戸に根づく分厚い「サッカー文化」の土壌、そこで90歳になろうかという高齢の方が、若々しく現役のサッカージャーナリストとして活躍されているご様子に接して、その時のことを2014年8月25日に、次のように書き込んでいます。

「この神戸市立中央図書館「神戸賀川サッカー文庫」の訪問でわたしが痛感したのは、サッカー資料の保存と広く利用していただく、一つのカタチが、すでに、ここにはあるんだなぁ、ということだ。
私が描いていたカタチがすでに現実にある。これは衝撃だったし、今後に光が見えた感じで、希望が湧いてくる訪問だった。
とにかく、辛抱強く保存・整理作業を続けていれば、きっと可能性が開けてくる。決意をあらたにさせていただいた。」

また翌2015年4月に東京・文京区の日本サッカーミュージアム(当時はJFAハウスという日本サッカー協会社屋内にあった)で開催されたトークショー「サッカー本事始め」に、賀川浩さんが、大住良之さんの進行で、牛木素吉郎さん、小倉純二さんとともに登壇されたのを拝聴したことがあります。

この時のことは2015年4月6日に、次のように書き込んでいます。
「登壇者4人の平均年齢が75歳以上、通常ならトークショーが成立しそうにない感じだが、なにせ、皆さん現役のサッカージャーナリスト。頭脳明晰、博覧強記、弁舌さわやかなトークに時間の経つのも忘れるほどでした。」

そして2015年10月には、日本サッカー協会の会議室で開催された「サッカー史研究会」に参加させていただいた。月例で行われているこの勉強会は、日本のサッカージャーナリストの大御所の一人、牛木素吉郎さんが主宰されているもので、私には敷居が高く入れない勉強会ですが、この日は、神戸から賀川浩さんをお招きして講演していただくということで、ふだんのメンバー以外にも門戸を開放してくださったことから参加できた会でした。

当「夢追い人」が、賀川浩さんの何に感銘を受けたのかといいますと、それは、賀川浩さんが70歳を過ぎても80歳を過ぎても90歳を過ぎても倦むことなく、ご自分ができることを続けられたという、その生き方です。

それまでの私は「そもそも自分は40歳代半ばにして、初めてサッカーの世界に関心を持ち、次第に魅せられ、最後には自分の生涯のライフワークにしようと始めた『サッカー文化フォーラム』の取り組みではあるものの、いつまで続くのか、いつまで続けられるのか、終わりの見えない暗い道を歩いているような60歳代半ばの年寄り」という気分でした。

けれども賀川浩さんは、初めてお会いした時にすでに90歳を目前にしたお歳、賀川浩さんから見れば息子の年代にあたる人間が「自分は年寄り」などと考えていることを、さぞおかしく思われたことでしょう。

当「夢追い人」も、目が覚めた思いでした。すでに当時、サミュエル・ウルマン作の「青春」という詩があるのは知ってしました。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。(中略)ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない 理想を失うとき初めて老いる。(中略) 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む(やむ)。」

この詩を言葉ではわかっていても、なかなか自分のこととして考えるところまではいきませんでしたが、この詩をまさに体現されているのが賀川浩さんであり、私も賀川さんを範として、この詩を事あるごとに口ずさみ頑張っていきたいと考えたものです。

また賀川浩さんからは当「夢追い人」の取り組みに対する大きな示唆もいただきました。それは、
「これから先、デジタル社会になり、ほとんどの記録はネット上を通じて手に入るが、紙媒体やビデオテープ媒体といったアナログ記録でしか残っていない記録は、保存・継承の作業をしないとデジタル社会になっても手に入らない。保存・継承されないまま失われては永遠に残らない。そのことを考えればビデオテープ媒体のものをデジタル変換して残す作業には大きな意味があるので、頑張って欲しい」という言葉です。

すでに当時はデジタル社会、ネット社会に入っていましたから、当「夢追い人」も、自分のやっている作業に対する意味、価値を、ともすれば見失いがちになっていた時期でした。
その時に賀川浩さんが指し示してくださった明確な道筋「アナログでしか残っていない記録はデジタルに変える作業をしないことには記録として残せない」。

この教えが、いま、こうして「サッカー文化フォーラム」を続けられているエネルギーになっています。

こう書き込んでいる中、テレビでは2024年シーズンJ1最終節、首位神戸vs湘南戦が始まりました。なんとありがたいことに試合会場の神戸・ノエビアスタジアム場内に「ここで賀川浩さんの功績を讃え1分間黙祷をささげたいと思います。ご来場の皆様、ご起立の上、ご協力願います」というアナウンスが流れました。

当「夢追い人」も、それに合わせてご冥福をお祈りして黙祷を捧げさせていただきました。ささやかなことですが、この巡り合わせに、あらためてご縁を感じます。

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ビデオテープの2025年問題というのを知りました。変換ご相談受け付けます。

2024年11月29日 13時21分31秒 | テレビ番組
先日、ネットに「ビデオテープが見られなくなる。2025年問題」という趣旨の記事が載っていました。それほど大騒ぎするような話でもないように思いましたが「ビデオデッキが入手できなくなる」とか「ダビングして保存する方法がわからない」といった困りごとが増えそうな気はしました。

当方は膨大なサッカー資料としてのビデオ映像を、数年がかりでデジタル変換して、今はもうビデオテープ再生の機会がなくなりましたが、ビデオテープをダビングしてデジタル保存するノウハウだけは残っています。

特に当方の場合は20年以上経過したテープの数量が多かったため、カビだらけになったものを除去する作業から始めて再生していましたので、かなりの時間と苦労がありました。

ネットの記事で感じたのは「そうか、今となれば、あの苦労が、困っている方の役にたつかも知れない」ということでした。
当方の場合、サッカー好きの方がこの書き込みを読んでいらっしゃると思うので、基本的にはサッカーの映像記録のダビングに絞るつもりですが、サッカー好きの方がご家族のビデオを持っているとか、他のスポーツの映像を持っていることもあると思います。

もし、ビデオテープの中身のダビング、デジタル変換でご相談したいと思っていた方がいらっしゃったらご相談受付から始めます。

以上、お知らせいたします。
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最近、書き込みがおろそかになっています。webサイト「サッカーの世界にようこそ」をおたずねください。

2024年11月11日 15時55分12秒 | ブログ
このブログのプラットフォームであるgoo blogから「先週の閲覧者・来場者数」というお知らせがありました。

最近、書き込みがおろそかになって、全然、更新していませんので、閲覧に来てくださった方には恐縮しております。

そのおろそかになっている間、当「サッカー文化フォーラム」のwebサイト「サッカーの世界にようこそ」のほうを毎日のように書き込んでいます。

このブログの左側に「ブックマーク」というのがあって「サッカーの世界にようこそ」サイトに飛べるようになっています。

いま、どこを書き込んでいるかといいますと、トップ画面のスタジアムの写真のすぐ下に青いナビゲーションタブがありますが、その中の「日本と世界のサッカー ヒストリーパビリオン」というのがあります。
そこにカーソルを置くと4つのタブがあり、最初の「伝説のあの年」というタブをクリックしていただくと、目次があり1986年から始まって、ずぅーっと何年も続いています。

最初の1986年の伝説のお話から始まって、次の「次の伝説までに何が1987~1991年」そして「1992年」「1993年」と続くわけですが、物語を延々と書き続けていて、1993年までを、ほぼ書き終えた段階です。

1994年も1995年も、ある程度は書き込んでいますが、まだまだ不十分なので、これから加筆していきます。

どうぞ、皆さまには、このサイトの「日本と世界のサッカー ヒストリー」をじっくりとお読みいただきにご来場いただきますよう、よろしくお願いいたします。

毎日、少しづつしか進みませんので、読んでみたら、いかにも「書きかけ」という場所に出会うかも知れません。その場合は、数日あとに、またアクセスしていただき、どんな仕上がりかご確認いただければと思います。

皆さんがご存じなかったり、お忘れになったようなことも細かく書き込んでいて、それが単にサッカーの試合のことだけではなく、テレビの番組内容のことだったり「サッカー文化」と思われることはすべて網羅しているヒストリーです。

面白かったとか、初めて知った、とお感じになりましたら、一行でも二行でも「コメント」をいただければ、さらにありがたいところです。

では、よろしくお願いいたします。
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なでしこジャパン代表監督選任と、WEリーグ幹部にサッカー界ツートップ就任をリンクさせて相乗効果を

2024年10月20日 13時44分28秒 | サッカー・ユース年代、女子
先月、WEリーグ理事長に野々村芳和氏、副理事長に宮本恒靖氏が就任することになったというニュースに接して、驚きの声をあげました。

日本サッカー界の代表者、ツートップがWEリーグの運営に携わるというのですから、その本気度が伝わってきます。

一方でなでしこジャパン代表監督がなかなか決まらないと思っていたら、web雑誌によると、FIFA女子W杯の誘致を進めるために、なでしこジャパン活躍で、FIFAに対し「わが国は女子サッカーが盛んで……」とか「多くの観客動員が見込めます」などという誘い文句で説得し、政府保証なしの特例を勝ち取ることが可能なので、再びなでしこブームを起こしたいと考えている、とのこと。

なでしこジャパンの活躍でFIFA女子W杯の誘致を進めたいなら、早く監督を決めるべきではないのかと思いきや、なでしこジャパンの選手たちがいくら活躍しても、観客動員やなでしこブームに結びつかないので、スター監督を据えてなでしこフィーバーを起こしたいからではないかと「ウラ事情」という見出しをつけて推測していました。

これで、WEリーグ理事長に野々村氏、副理事長に宮本氏が就任した意味もよくわかりました。とにかくFIFA女子W杯の誘致を進めるためには、WEリーグをなんとしてもテコ入れしなければならないということです。

しかし、なでしこジャパン代表にスター監督を据えたいというのは、違っているのではないかと思います。なでしこジャパン代表監督には、女子W杯で再び優勝に導けるような優秀な監督を据えることが第一だからです。

ところがweb雑誌には「なでしこジャパン代表監督の報酬予算は2000万円しかない」とありました。これもおかしな話です。女子W杯で優勝に導けるような優秀な監督を呼ぼうとしたら、2000万円限度では話にならない額だからです。
女子W杯で優勝に導けるような優秀な監督を考えた時、日本人監督には適任者がいないのではないでしょうか?

なでしこジャパン代表監督の選定に関しては、協会の女子委員長である佐々木則夫氏がもっぱら表に出ていますが、それこそ、JFA宮本会長もJリーグ野々村チェアマンも監督選定にコミットして、いわばWEリーグテコ入れとリンクさせるつもりで、もう少し戦略的な取り組みが欲しいと思います。

繰り返しますが、なでしこジャパン代表監督には、女子W杯で優勝に導けるような優秀な監督を据えることが重要なのであり、そのためには外国人監督も含めてペストチョイスを考えるべきであり、そのための報酬もベストチョイスができる予算が必要です。予算はスポンサーからの協力を視野に入れて確保していただきたいと思います。

一つ言えることは、いまのなでしこジャパンは、優れた監督の戦術、選手起用さえできれば女子W杯優勝が十分可能なレベルにあるということです。それを外国人の優れた監督も知悉していますから、なでしこジャパン代表監督のオファーは魅力あるものに映るはずです。

ぜひ、我々を納得させられるような、見事な監督選定をして欲しいと思います。
また、WEリーグをなんとしてもテコ入れしなければならないという命題に関しては、外部ブレーンによるマーケティング戦略が必要だと思います。
いまの時代、ブームは作り出す時代です。それが一過性のブームに終わるとか終わらないといった危惧を最初から抱くのではなく「まずはブームを作り出す」それを仕掛けるマーケティング戦略を能力の高い外部ブレーンに依頼すべきです。

WEリーグ集客にどんな仕掛けが出てくるか楽しみにしています。





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「男女揃って五輪2大会連続決勝トーナメント進出は、唯一日本だけ」という真実。全世界に誇れる、そして日本中に知って欲しい真実。

2024年08月11日 12時59分14秒 | サッカー日本代表
8月11日(日・祝)の今日、パリ五輪も最終盤のようです。サッカー競技は男女とも終わり、男子はスペイン、女子はアメリカが金メダルを獲得したとのことです。

日本五輪代表は、グループリーグ突破後の第一戦となった準々決勝で、男女とも金メダルをとった国に行く手を阻まれた形となりました。

いつも思うのですが、勝ち上がるための組み合わせの妙は、一つでも上に行くのに欠かせないファクターです。どの段階であれ、いずれは倒さなければならない相手だと思えば、準々決勝で当たったからと言って残念に思う必要はないという話がよく出ますが、気持ちとしては複雑です。

男子の場合、オーバーエイジを使わない戦力で、どの程度やれるのか期待半分不安半分の評価を、見事なまでに覆す3連勝で堂々たる1位通過、その結果として準々決勝はC組2位と対戦というわけですが、よもやスペインが来るとは・・・、です。

それでもエースストライカーの細谷真大選手が放った振り向きざまのゴールは、VAR判定で取り消されたとはいえ、よくやったと思うゴールでした。こうした不運も勝敗の行方を左右したと思いますから、結果だけ見れば完敗のようですが紙一重のように思います。

我らが辛口評論家のセルジオ越後氏にすれば「大きな壁があったね。細谷の1ミリで悔しいと思うなら、その考えは根本的に間違っている。スペインとは1メートル以上の実力差があった。(中略)悔しいけれど、完敗だ。」という総括になってしまいますが、当フォーラムは、そう言って選手たちを迎えようという気にはなりません。

「よくやったですね、お疲れさま。悔しい気持ちを今後の糧にして飛躍してください。」という言葉で迎えたいと思います。

今回指揮をとった大岩剛監督、五輪カテゴリーとはいえ国民の注目度の高い代表監督を引き受けたご本人にも、その力量を信じて託した協会にも、拍手を送りたいと思います。大岩監督がこれからどのようなキャリアを歩むのかわかりませんが、今回の経験は大きな財産になったと思いますし、それが生きるキャリアを歩んで欲しいものです。

一方の「なでしこジャパン」、こちらも準々決勝は結果的に金メダル獲得のアメリカでした。この試合を見ていて、東京五輪サッカー・男子準決勝の日本vsスペイン戦を思い出しました。スペイン戦は延長後半でのマルコ・アセンシオ選手の1発でしたが、「なでしこジャパン」は延長前半終了間際のトリニティー・ロドマン選手の1発でした。
どちらも選手の位置、ゴールの角度・コースがそっくりだと感じたのです。

「なでしこジャパン」の場合は、力のある選手が大会前から離脱して、大会に入っても清水梨沙選手が離脱するなど、ベストメンバーで試合させてあげたかったという思いを強く持ちました。
それでもグループリーグ第2戦のブラジル戦で、劇的な逆転ゴールを決めた谷川萌々子選手やDFの古賀塔子選手など、次々と高い能力を持った選手たちが堂々とピッチで躍動している姿は、本当に素晴らしいと思います。

2011年W杯優勝の時もそうでしたが、やはりベストメンバーが揃い、試合が進むごとに代わって入った選手も活躍するといった、すべての条件が整わないとメダルに届かないのが最高峰の戦いのようです。

「なでしこジャパン」には、次のW杯、次の五輪で、また、そのような条件が揃うことを期待したいと思います。
キャプテンの熊谷紗希選手の、代表での去就はどうなるのでしょうか。精神的支柱という言葉が
よく似合うキャプテンでしたから、次を担う人材のことが気になりますが、おそらく清水梨沙選手が引き継ぐのではないかと想像しています。

「なでしこジャパン」の皆さんも、男子と同様、「よくやったですね、お疲れさま。悔しい気持ちを今後の糧にして飛躍してください。」という言葉で迎えたいと思います。

これはもう何度も書いていることですが、つくづく私たち日本のサッカーファンは幸せです。男女とも五輪出場を果たし、男女とも決勝トーナメントに進出する国は、今回の場合日本のほか3ケ国(スペイン、フランス、アメリカ)しかありません。

前回東京大会の時は、男女とも決勝トーナメントに進出した国は日本とブラジルしかありませんでしたから、2大会連続で男女とも決勝トーナメントに進出した国は、世界広しといえども、私たちの日本しか成し得ていない快挙なのです。

驚きですよね、全世界に誇れる快挙ですし、日本中の皆さんに知って欲しい真実です。ですから私たち日本のサッカーファンは幸せなはずです。世界一幸せなサッカーファンです。





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2011年の川澄選手ロングシュートを思い出させる谷川萌々子選手のゴール!!

2024年07月30日 16時56分03秒 | サッカー・ユース年代、女子
2024年パリ五輪サッカーのことを書きたいです。
男子は「強さ」、女子は「あきらめない気持ち」を思い起こさせる活躍です。
男子についてはネットに論評が氾濫していますので、女子について書きたいと思います。

つい先日、NHK-TVの「プロジェクトX」が特別制作した「女子サッカー不屈のバトンリレー なでしこの花咲く日まで」を放送しました。

いまは録画をしていないため初回放送と1週間後の再放送をメモをとりながら見ました。
女子サッカー黎明期のレジェンドの一人、本田美登里さんと、ご存じバロンドール選手の澤穂希さんがスタジオ出演しながら、本田美登里さんが小学生の頃から、澤さんが2011年女子W杯で世界制覇するまでの苦難の30年間を辿った番組です。

そして日本時間7月29日早朝におこなれたパリ五輪サッカー女子、グループリーグ2戦ブラジル戦です。

3組12チーム(12ケ国)しか参加しないグループリーグ、そのうち4チーム(4ケ国)だけを振るい落とす戦いですが、かなり過酷です。日本の入ったグループは昨年の女子W杯優勝国スペイン、日本と世界ランキングがほぼ互角のブラジル、そしてナイジェリア代表、ランキング的には劣るものの異次元の身体能力を持つ侮れない国です。

初戦スペイン戦を落としました。そしてブラジル戦です。もう後がないと思わなければならない戦いでした。
結果はご存じのとおりでしたが、なでしこジャパンが1点のビハインドから同点、逆転に持ち込んだのは90分+アディショナルタイム8分の中でした。

よくぞ逆転勝ちしたものだと思います。
まさに「プロジェクトX」が番組を通して伝えてくれた「なでしこ」たちの「決してあきらめない気持ち」「このままでは終わらないぞという気持ち」が、この試合にも現れたと感じました。

早朝の生放送は、とても見れる年代ではなくなりました。夜9時台には寝床に入り、朝7時台には寝床から出るという基本パターンの生活は、もはや崩せません。崩してしまうと必ず副作用に見舞われる年代になりました。

それでも幸いなことにサッカー競技に関しては少し時間を短縮するものの再放送してくれていますので楽しめます。

なでしこジャパンの2つのゴールは、2011年女子W杯優勝時を思い出させるものがありました。

まず、同点に持ち込むPKを蹴ったのはキャプテン・熊谷紗希選手、2011年W杯優勝がTVで語られる時、必ずPK戦で優勝キッカーとなった熊谷選手のシーンが出てきます。

今回のPKの時、日本の多くのファンは、あの時と同じ角度・方向に蹴るのではと見守ったようです。結果は冷静にキーパーの動きを見極めて逆サイドに確実に流し込んだキックでした。あれから10数年を重ねた熊谷選手のキャリアが導き出したキックだったのです。

次に逆転ゴールとなった谷川萌々子選手のスーパーミドルロビングシュート、これを見た瞬間、2011年W杯準決勝で初スタメンを果たした川澄奈穂美選手が放ったスーパーミドルロビングシュートを思い出しました。

川澄選手のゴールはスウェーデンを3-1と突き放すゴールで、角度も距離も今回とは少し違ってはいましたが、意表をついて放たれ、見事にゴールに吸い込まれたという点で、今回の谷川萌々子選手のゴールも、まったく同じことが起きたと感じました。

川澄選手のゴールが長く記憶に刻まれているのは「あそこで、そういうシュートをよく打てるものだ」という衝撃と感嘆の気持ちからであり、今回の谷川選手のゴールもそうなのです。

2011年女子W杯と重なる2つのゴールは、今回のパリ五輪サッカーにおける「なでしこジャパン」の行く末を予感させるものだと書いておきます。

2012年ロンドン五輪、2020年東京五輪に続き男女ともグループリーグを突破してくれると、サッカーファンのみならず日本中がサッカー競技の行方に関心を深めてくれることになり、五輪の楽しみ方が濃密でしあわせなものになります。

ありがたいことです。ガンバレ日本サッカー・男子、女子!!!



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当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方、ご連絡ください。

2024年06月26日 20時34分34秒 | サッカー文化
前回の書き込みが3月28日でしたが、同じタイトルで、あらためて呼びかけさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

・当「サッカー文化フォーラム」夢追い人が、30数年前に見た夢は、次のようなものでした。

・1993年にJリーグがスタートすることになり、日本にも「サッカー文化」という新たな文化が育っていくのではないかという期待が湧きました。
このスタートの段階に、誰もやらない何かに挑戦して、やり遂げたいという夢をみたのです。

・Jリーグのスタートによって「サッカー文化」が芽生え、日々成長・進化して発展していくとすれば、その一部始終を「記録として残す」ことに取り組もう、その記録は後年、必ず日の目を見るに違いないと考えました。

・やるからには「徹底的に」と考え、最初は「Jリーグの全試合録画・保存」「サッカー専門誌のバックナンバー購入・保存」「スポーツ紙の購入・保存」という3分野の記録保存から始まりました。

・次第に「サッカー関連の番組映像の録画・保存」「ワールドカップなど関心の高い大会の録画・保存」「サッカー関連書籍の購入・保存」「日本代表の活躍など特集冊子の入手・保存」など「サッカーに関すること全般の記録収集・保存」に広がりました。

・10年、20年と、その記録・保存を続けていくうちに、特にアナログ時代の(映像も紙媒体も)記録は、保存の重要性が増していることを実感しました。

・ですから、録画作業も、活字媒体の点検も、文字どおり来る日も来る日も続けました。試合だけでなく番組系も含めた国内で放送されている、あらゆるサッカー関連の映像録画から、サッカー関連の紙媒体の文字情報まで、およそサッカー情報と思われるものを全て網羅的に収集・保存する作業は、日本広しといえども誰も手掛けていないと考えながら、自分だけは続けるんだと言い聞かせて続けました。

・一方で、当初はすべてアナログ資料でしたから、保存しているダンボール箱の数が増えるだけで、デジタル化により減量を図らないと記録・保存の継続性も危うくなりました。

・そこで、ここ10年間は、ビデオ映像とスポーツ紙のデジタル変換化に集中しました。サッカー専門誌のデジタル化は、まだ準備作業段階です。

・Jリーグスタートから30年が経過した最近は、新規の記録・保存を自分がしなくても、ネット上で入手できる時代になったと実感しており、2023年1月上旬以降、映像記録を終了しました。

・ビデオテープの画像は1TB~4TBのHDD20台ほどに収まっています。
このアナログ時代の映像というのは、特に保存価値が高いということを、年々時間が経つにつれ感じています。

・画像のHDDへの取り込み作業は、ビデオテープからの変換作業だけでなく、スカパー録画映像やブルーレイレコーダー録画映像など、チューナー付きHDDに紐づいてしまっている画像を、パソコン再生可能画像に変換してHDDに収め直すという形でも行っています。紐づいたままでは共有できないからです。

・こうしたHDDへの変換作業と並行して、個別のテープ内容を「ファイルメーカー」というデータベースソフトに入力する作業も行っています。その個別データベースによって、全体数量がいくらになっているのかカウントできます。

データの内訳は、
①Jリーグ関係(三大タイトル、ACL、日本リーグ時代含む)が3679タイトル(2024年6月現在)
②Jリーグを除く国内チーム試合関係(男女日本代表、男女五輪代表、アンダーカテゴリー代表、大学、高校、中学、小学生各全国大会等)が1323タイトル(2024年6月現在)
③海外チーム試合関係(W杯、各大陸別大会、海外クラブ関係等)が2146タイトル(2024年6月現在)
④サッカー番組関係(スーパーサッカー、やべっちFC、FOOT×BRAIN等の定期番組、各クラブ応援番組、サッカー特集番組、ドキュメンタリー番組のうちサッカーがテーマのもの、スポーツ番組のうちサッカー関連部分、バラエティ番組でサッカー選手やサッカーがテーマのもの等)が5385タイトル(2024年6月現在)
⑤合計12,533タイトル(2024年6月現在)です。

またスポーツ新聞をスキャナーでPDFに保存する作業も進めています。1990年頃から収集を始め2020年頃まで続けてから、A3版スキャナーでPDFに変換する作業を開始、2012年まで完了しました。A3版1枚のカラー画像は約1.6MB程度の容量ですが、取り込み済の容量が32.3GBですので、A3版にして20000枚ほど取り込んでいます。

サッカー専門誌はスキャナー取り込みの前処理として、綴じ込んでいるホチキスを外して残したいページだけを選び出す作業を進めており、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3誌からの選び出し作業を完了しました。最近、スキャナーでPDFに保存する作業も始まりました。

スポーツ紙とサッカー専門誌を合わせて、現在まで取り込んだ量は、A3版1枚のカラー画像が約1.6MB程度の容量、取り込み済の容量が32.3GBですので、A3版にして約20000枚ほど取り込んだ計算になります。

おそらく最終的には50000枚ぐらいにはなると思います。

ほかにサッカーai誌や、W杯特集冊子、Jリーグイヤーブック、そしてハードカバーの書籍類が現品のまま保存されています。これらはスキャナー取り込みをせずに現品のままにしておこうと考えています。

したがって最盛期には小さな賃貸住宅1戸分一杯の荷物だった物量も、現在は4畳半1部屋においてあるスチール製書架(幅90cm高さ180cm奥行25cm)6台に、すべて収納できる量まで減りました。


・以上のように、1993年のJリーグスタートをもって萌芽した、日本のサッカー文化が成長・進化・発展してきた歳月を、克明に、かつ網羅的に記録し続け、保存するという30年以上前に描いた夢は終わりに近づいていると思います。

・これまで記録・保存してきた資料は「日本のサッカー文化遺産」と言えるのではないかと思います。この資料を引き継いで継承していただき、100年先まで繋ぎ伝えていこうという志をもった方を探したいと考えるようになりました。

・ぜひ、このHDDに収めてある情報資産と現品資産を保管・管理・活用していただきながら、100年後まで継承して引き継いでいって欲しいのです。引き継いでいただける方が見つかり、引き継ぎができたところで、当「夢追い人」の役割を終わらせていただきます。

当然のことながら、引き継いでいただける方には、無償でお譲りします。引き継いでいただいた方は、時には自由に閲覧していただき、時には自由に有効活用していただいて構いません。

もし、そういう方に引き継げなければ、この4畳半のサッカー情報資産は、私の死亡によって資産として残らず、単なる廃棄物になってしまいます。
そうはしたくないのです。

この「サッカー文化フォーラム」夢追い人が見た夢を、引き継いで継承していただきたく、志をもった方が声をかけてくださるのをお待ちしています。

何かお考え、心当たり、あるいはお問い合わせでも構いません。何かある方は、ぜひご連絡ください。
お待ちしております。

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当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方、ご連絡ください。

2024年03月28日 13時26分40秒 | サッカー文化
昨年放送されたNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルになった植物学者の牧野富太郎博士の業績が、とにかく、こつこつと収集・保存・分類するという作業がベースになっていたということで、私自身と重なるように感じ、欠かさずドラマを見ました。
そして昨年3月末に迎えたエンディングテーマは「継承・引き継ぐ」というものでした。

当「夢追い人」が、自己紹介欄で述べていること「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたいと思います。」
まさに「継承・この先に引き継ぐ」というミッションです。

私の取り組みは、Jリーグがスタートした1993年から、まずJリーグ全試合の録画保存作業を本格的に始めたことが契機となっています。

この、日本におけるプロサッカーリーグの誕生であるJリーグのスタートによって、文字通り、日本にも「サッカー文化」という新たな文化が芽を吹き始めました。それがどのように育ち、成長・進化・発展していくのか、克明に記録に留め、後年、それをつぶさにひも解くことにより、さまざまな調査・研究が可能になるはずだという、確信めいた思いが動機になったのです。

そこで当「夢追い人」は、日本(東京キー局)で放送されたサッカーの試合のすべてを網羅的に録画すること、サッカー関連番組も定期・不定期を問わず可能な限り録画すること、地上波放送もBS放送も、CS放送もすべて録画し続けることにしました。

またスポーツ新聞は、毎日欠かさずチェックして1面を飾っている新聞はすべて購入し続けることにしました。

さらにサッカー専門誌は、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3紙を定期購入することにしました。

そのほか、総合スポーツ誌と言われる「Number」誌もサッカー特集になっていれば全て購入することにしました。

それを、来る日も来る日も続けました。試合だけでなく番組系も含めた国内で放送されている、あらゆるサッカー関連の映像録画から、サッカー関連の紙媒体の文字情報まで、およそサッカー情報と思われるものを全て網羅的に収集・保存する作業は、日本広しといえども誰も手掛けていないと考えながら、自分だけは続けるんだと言い聞かせながら続けました。

録画作業は最初の12年間ぐらいは、いわゆるビデオテープ録画、次にDVDディスクに録画、2016年頃からはHDDへの録画になりました。

このブログの書き込みは2012年から始めましたが、その年の6月からはビデオテープをデジタル変換してHDDに残す作業を開始しました。変換作業は2023年夏にすべて終了しました。
ビデオテープの画像は1TB~4TBのHDD20台ほどに収まっています。
このアナログ時代の映像というのは、特に保存価値が高いということを、年々時間が経つにつれ感じています。

昨今はYouTubeの普及により、アナログ時代のサッカー関係画像もずいぶん見られますが、それはごく一部でしかありません。

また、画像のHDDへの取り込み作業は、スカパー録画映像やブルーレイレコーダー録画映像など、チューナーに紐づいてしまっている画像を、パソコン再生可能画像に変換してHDDに収め直すという形でも行っています。これも、紐づいたままでは共有できないからです。

こうしたHDDへの変換作業と並行して、個別のテープ内容を「ファイルメーカー」というデータベースソフトに入力する作業も行っています。そのデータが全体の数量をカウントしてくれているので、それをお知らせします。

データの内訳は、
①Jリーグ関係(三大タイトル、ACL、日本リーグ時代含む)が3668タイトル(2024年3月現在)
②Jリーグを除く国内チーム試合関係(男女日本代表、男女五輪代表、アンダーカテゴリー代表、大学、高校、中学、小学生各全国大会等)が1138タイトル(2024年3月現在)
③海外チーム試合関係(W杯、各大陸別大会、海外クラブ関係等)が2076タイトル
④サッカー番組関係(スーパーサッカー、やべっちFC、FOOT×BRAIN等の定期番組、各クラブ応援番組、サッカー特集番組、ドキュメンタリー番組のうちサッカーがテーマのもの、スポーツ番組のうちサッカー関連部分、バラエティ番組でサッカー選手やサッカーがテーマのもの等)が5281タイトル(2024年3月現在)
⑤合計12,163タイトルです。

またスポーツ新聞をスキャナーでPDFに保存する作業も進めています。1990年頃から収集を始め2020年頃まで続けてから、A3版スキャナーでPDFに変換する作業を開始、2012年まで完了しました。A3版の画像は約1.6MB程度の容量ですが、取り込み済の容量が24.8GBですので、A3版にして1万5500枚ほど取り込んでいます。

サッカー専門誌はスキャナー取り込みの前処理として、綴じ込んでいるホチキスを外して残したいページだけを選び出す作業を進めており、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの3誌からの選び出し作業を完了しました。ほかにサッカーai誌や、W杯特集冊子、Jリーグイヤーブック、そしてハードカバーの書籍類がまだ現品のまま保存されています。

したがって最盛期には小さな賃貸住宅1戸分一杯の荷物だった物量も、現在は4畳半1部屋においてあるスチール製書架(幅90cm高さ180cm奥行25cm)6台に、すべて収納できる量まで減りました。

そこで、当フォーラム保存の映像・活字情報記録を引き継いでくださる方を本格的に探したいと考えている次第です。

期間にして30年分の保存の映像・活字情報記録をHDDに収めてある情報と書籍類の資産です。Jリーグがスタートしてから、日本のサッカー文化がどのように成長・進化して、大きな社会現象になっていったか、つぶさに記録されている「日本のサッカー文化遺産」です。

ぜひ100年後まで継承して引き継いでいって欲しいのです。当「夢追い人」の役割は、次の20年あるいは30年ぐらい、このHDDに収めてある情報資産を保管・管理していただける方に引き継ぐところで終了したいと考えています。

当然のことながら、引き継いでいただける方には、無償でお譲りします。引き継いでいただいた方は、時には自由に閲覧していただき、時には自由に有効活用していただいて構いません。

もし、そういう方に引き継げなければ、この4畳半のサッカー情報資産は、私の死亡によって資産として残らず、単なる廃棄物になってしまいます。
そうはしたくないのです。

何かお考え、心当たり、あるいはお問い合わせでも構いません。何かある方は、ぜひご連絡ください。
お待ちしております。


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2024年最初の話題は遠藤保仁選手、小野伸二選手、セルジオ越後氏

2024年01月11日 16時00分48秒 | サッカー選手応援
2024年1月1日、毎年恒例の天皇杯決勝にかわって今年は、日本代表国際親善試合、日本vsタイ戦が組まれました。

タイ代表監督は石井正忠氏で、日本代表のスカウティングを相当綿密にしていたと思いますが、日本は逆にスタメンに情報の少ない代表初出場選手をはじめ経験が浅い選手を多く起用して、経験豊富な伊東純也選手と田中碧選手にゲームコントロールを任せた布陣でした。

まだコンビネーションが不十分だったこともあり得点を奪うところまでは行きませんでしたが0-0でハームタイムを迎えると、後半頭から堂安律選手と中村敬斗選手を投入、すぐに効果が表れ後半5分田中碧選手がゴールを決め、試合のペースを掴みました。

その後も次々と選手を入れ替えながらゴールを重ね、終わってみれば後半だけで5得点、クリーンシートでの勝利となりました。

今回の相手国監督が日本人監督、次のアジアカップ初戦の相手、ベトナムの監督がトルシエ氏です。時の流れを感じるとともに、日本に立ち向かってくる相手国監督に、日本にゆかりのある方、つまりスカウティングをガチガチにしてくる監督が増えてきました。

タイとの試合が終わり監督インタビューも終わった頃の16時6分に、テレビ画面が突然「緊急地震速報」を報じ、能登半島地震が発生して、その4分後の16時10分に震度7の本震が襲い、サッカー中継は霧散してしまいました。

元日早々の災害で、あらためて地震が多発する国に住んでいる宿命を痛感しました。真冬の災害で救出活動が思うように進まず、未だに多くの方が安否不明になっているとのことです。少しでも捜索が進むことを願うばかりです。

避難所でご苦労されている多くの皆様にも心からお見舞い申し上げます。

さて、1月9日、ジュビロ磐田所属の遠藤保仁が現役引退を発表しました。43歳までレギュラー選手として活躍を続けた遠藤選手の引退で、いわゆる黄金世代の時代が終焉を迎えた感じです。稲本潤一と永井雄一郎選手が、地域リーグで現役を続けていますが、J3以上のカテゴリーからは消えたことになります。

遠藤保仁選手は、U-19世代からずっと代表メンバーに名を連ねていましたが、小野、高原、稲本らの中心選手から常に遅れをとっていましたが、2004年アジアカップでやっと本格的な活躍の機会を得た選手です。
その後は順調に代表レギュラーに定着するかと思われましたが、二列目でもボランチでも第一人者と言えない立ち位置のため、また控えの悲哀を味わい2006年ドイツW杯ではフィールドプレーヤーで唯一出場機会を得られないという屈辱も経験しています。

しかし遠藤選手という選手は、どんな時も喜怒哀楽が表に出ないタイプの選手で、黙々と自分のプレースタイルを貫くとともに足りない運動量の強化にも取り組み、2010年南アW杯アジア予選ではオシム氏の病気勇退を引き継いだ岡田武史監督をして「日本の心臓」と言わしめ、W杯本大会でも直接FKを決めるなどの活躍をしています。

翌2011年1月のアジアカップでもザッケローニ体制での初タイトルに貢献し、MVPを獲得した本田圭佑選手をして「個人的にはヤットさん(遠藤)だと思う。ああいう人がいなかったら勝負は紙一重だった」と言わしめる活躍でした。

すでに黄金世代の中では代表に名を連ねる選手がいなくなったこの時期、遠藤保仁選手はキャリアのピークを迎えた稀有な選手です。

日本代表キャップ数152試合、J1出場試合672試合は、当分破られそうもない不滅の記録ですし、特にJ1出場試合に限っては、J1で活躍すると海外に出ることが普通の時代になりましたから、おそらく何十年も残る記録になると思います。

イソップの寓話に「ウサギとカメ」の話がありますが、遠藤保仁選手と他の黄金世代の中心選手のことを思うと、この寓話を思い出します。
この寓話は、途中で油断して昼寝をしたウサギから「油断をしてはならない」という教訓をひいていますが、別の解釈として「ウサギがカメのことを見て油断したのに対し、カメはウサギには目もくれずゴールだけを目指してひたすら進んだ」という勝因についての教訓もあります。

遠藤選手もどちらかというとそのタイプで、早々と活躍する仲間に惑わされることなく、黙々と自分のスタイルを磨き上げ、自分なりの目指すべきゴールに向かって進んだ結果としての栄光ではないかと思います。

いずれにしても黄金世代の中心選手として不滅の立場を築いたことは間違いありません。

次に、時を同じくして総合スポーツ誌Numberが「Number PLUS 小野伸二のすべて」を発売しました。小野伸二選手は、この雑誌が特集を組んだ動機である「日本サッカーにおける最高のフットボウラーの一人」として、これからも称賛を受け続けるに違いありません。

それは、例えば日本代表としてW杯での勝利に中心的な役割を果たしたとか、浦和レッズで優勝に中心的な役割を果たしたといった類いの称賛ではないのですが、なぜか「日本サッカーにおける最高のフットボウラーの一人」という称賛に対しては、ほとんど異論がないという不思議な選手でもあります。

それが、どのような評価から導き出されているのか、あらためて、つぶさに見て、あらためてご紹介したいと思います。

そして最後ですが、1月8日にはテレビ番組にセルジオ越後氏が登場しました。BSトゥエルビ(BS12)というチャンネルで「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん」という番組が放送されています。

笑福亭鶴瓶さんと阿川佐和子さんが司会を務める番組で「昭和の大先輩と語る」シリーズで、セルジオ越後氏の登場は昨年12月11日に放送された番組の再放送だったようです。

セルジオ越後氏が以前登場したトーク番組で、1999年10月11日に放送された「いつみても波瀾万丈」という番組を見たことがありますが、今回は、その時までのエピソードに加え、その後20年余の人生経験が加わった話でした。

その中で当・夢追い人が知らなかった話が、アイスホッケーチーム「日光アイスバックス」の再建に携わった話でした。
関わるようになったのが2006年からだそうですから、すでに17年間も携わっているそうです。

セルジオ越後さんは、78歳になられた今でこそサッカー解説の仕事はほとんどないと思いますが、ごく最近まで「日本サッカー界のご意見番」として、どんな勝利にも必ず注文をつける方でした。

当・夢追い人は、何も注文をつけず「よくやりました。立派です」だけで終わるコメントを待ち続けた一人ですが、よく考えてみると、それだと「セルジオ越後」氏ではなくなるということなんですね。「よくやりました。立派です」だけなら誰にでも言える話で、それで済むならこんな楽なことはない、というのがセルジオ越後氏の考え方だったと思います。

「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん」でもこれまでの代表的な辛口コメントが幾つか紹介されました。
例えば。
・1年間に1試合ぐらいしか出場しない選手(=カズ(三浦知良)選手)とプロ契約を結んでいるのは、広告塔だからです。本人もそれを認めるべきです。
あるいは
・久保建英選手をスター扱いにしているけれど、バルセロナの下部組織育ちとかレアル・マドリーと契約したというブランドをありがたがって持ち上げているだけ、まだ何ものでもない選手にそんなに大騒ぎするのがおかしい。

といったようなコメントです。どちらも最近のものではなく何年か前のものですが、どちらも、なかなか一般のコメンテーターには言えないコメントです。

セルジオ越後氏が支援に入った日光アイスパックスでは、自ら広告塔を買って出て地元企業に対する出資に奔走する一方、選手をはじめクラブ関係者には「自分たちも進んで地域に認知してもらえるよう活動すること」を義務付けたそうです。

まさにJリーグのクラブが行っている取り組みを持ち込んだようです。
今回、番組を見ていて痛感したのは、セルジオ越後氏はビジネスマンとしても一流であることです。

その要因として、ご本人も強調しておられましたが「何が財産かといったら、それは人脈だと思いますね。長い間に培った人脈があるから仕事を頼まれます。人脈がなかったら、誰も頼みに来ませんし、自分が何かやりたいと言っても『あんた誰?』と言われるだけ、そんなの嫌です。」

「ある人から教えられたのですが、人に誰かを紹介するっていうことは、自分の財産をその人に分けることと同じなんだよ、と。それぐらいつながりの深い人脈がなかったら人は来ないし、仕事も来ないですよね」

日光アイスバックスに本格的に関わろうと思ったのは、地元のファンから「チームがなくなったらみんなに会えなくなるから、お願いします」と言われたことがキッカケだそうです。

つまり試合を見に行くアリーナに行けば、いつもの仲間に会える、チームが消滅すると会える場がなくなる。つまりチームとかクラブは、地域の人たちを結び付ける公共財だということを強く感じたからだそうです。

最初の3年間は累積赤字のため手弁当で立て直しに奔走して、代表取締役として現在に至っているようです。
2023年6月には「日本サッカー殿堂」入りも果たしたセルジオ越後氏、サッカー人としてもビジネスマンとしても成功者となった人だと認識しました。











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2024年は、次のW杯への道筋が決まる年、応援しましょう。

2023年12月31日 22時21分33秒 | サッカー日本代表
2023年もあと1時間半を残すところです。今年も1年間、ご愛読いただき、ありがとうございました。
来たる2024年は、まずアジアカップがありますが、そのあとは2026年W杯に向けたアジア予選が最後まで続き、本大会に向けた道筋が決まる年です。

応援しましょう。そして大いに語り合いましょう。
それでは、来年もよろしくお願いいたします。
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