NHK-BSの番組に「奇跡のレッスン」というのがあります。最近放送された番組で、ラグビー日本代表の前監督エディ・ジョーンズさんが来日され、国内のラグビー指導者たちを対象にレッスンを行なった様子が放送されました。
現在はイングランド代表の監督(海外では監督という呼称は使わずヘッドコーチという呼称のようですが)をされているエディ・ジョーンズさん。2012年4月から2015年11月まで日本代表監督をされ、世界で戦えるチームを作り上げた方です。
今回の「奇跡のレッスン」の放送に先立ち、NHKの朝のニュースが要約版のような紹介をしてくれました。それを見て、私は「この人はラグビー界に現れたデットマール・クラマーさんだ」と思いました。
日本サッカーは、いまから57年前、西ドイツからデットマール・クラマーさんを招聘して指導を受け、その後のメキシコ五輪銅メダルにつながる成果をあげました。
デットマール・クラマーさんが偉大たったのは、長期的な視点にたった日本サッカー強化のための提言を残してくれたことで、現在につながる日本サッカーへの貢献から「日本サッカーの父」とまで呼ばれている方です。
今回、ラグビー指導者たちを前にしてエディ・ジョーンズさんは、こう話したそうです。「そもそも日本発祥でないスポーツのラグビーにおいて、日本的なチーム作りをしても勝てるわけがない。日本的な考え方を根本的に変えなければ勝てない。つまり自分たちを変えなければ勝てない。」
そして日本的であることの典型的な例としてコミュニケーションの問題、選手間の意思疎通の問題をあげたそうです。日本的な「阿吽の呼吸」ではダメなんです。一瞬にして攻守が切り替わってしまうラグビーの試合の中では、常に緻密で的確なコミュニケーションを積み重ねていかないと必ず負けてしまうというのです。
試合中によく声を出せ、という言い方をしますが、ただ声を出しても意味がないわけで「何を誰に伝えるのか」という意思が明確であることが、真のコミュニケーション・意思疎通だというわけです。
ラグビー界におけるこのような指導の様子を、日本のサッカー関係者が見たり聞いたりすれば「サッカー界では50年前のクラマーさんの時代から、それをわかっていましたよ」という反応が聞こえそうです。
つまり「ラグビー界もやっとデットマール・クラマーさんのような指導者を得たのですね」という反応です。おそらくサッカー界に身を置く方100人に感想を聞けば、98人はそう答えると思います。
けれども思考がそこで止まってしまっては、やがてサッカー界はラグビー界に人気スポーツの座を奪われてしまうのではないかと感じました。
W杯出場も、ラグビー代表が常連になり、サッカー代表は出場がおぼつかないような時代がくるのではという危機感です。ラグビー界の指導者たちは、いま必死です。エディ・ジョーンズさんの教えを、まるで吸い取り紙で全て吸い取ってしまわんばかりに吸収しようとしています。
サッカー界の指導者たちに、いま、そのような純粋な真剣さを求めても無理ではないでしょうか。だとすれば、それでは「まずい」と考える人が、先ほどの100人のうち2人ぐらいはいて欲しいと思います。
「これは、まずい。我々も今一度初心に返らなければ」という危機感を抱いて欲しいのです。
「あれは遅れているラグビー界の話」と感じるだけで思考が止まるのは、ある種の「驕り」があるからです。
常に他を見習い、初心に返り、わが身を振り直す気持ちがなければ、やがてツケが回ってくるに違いありません。
「ラグビー界のデットマール・クラマーさんであるエディ・ジョーンズさん」のニュースに接して、そのようなことを想いました。
では、また。
現在はイングランド代表の監督(海外では監督という呼称は使わずヘッドコーチという呼称のようですが)をされているエディ・ジョーンズさん。2012年4月から2015年11月まで日本代表監督をされ、世界で戦えるチームを作り上げた方です。
今回の「奇跡のレッスン」の放送に先立ち、NHKの朝のニュースが要約版のような紹介をしてくれました。それを見て、私は「この人はラグビー界に現れたデットマール・クラマーさんだ」と思いました。
日本サッカーは、いまから57年前、西ドイツからデットマール・クラマーさんを招聘して指導を受け、その後のメキシコ五輪銅メダルにつながる成果をあげました。
デットマール・クラマーさんが偉大たったのは、長期的な視点にたった日本サッカー強化のための提言を残してくれたことで、現在につながる日本サッカーへの貢献から「日本サッカーの父」とまで呼ばれている方です。
今回、ラグビー指導者たちを前にしてエディ・ジョーンズさんは、こう話したそうです。「そもそも日本発祥でないスポーツのラグビーにおいて、日本的なチーム作りをしても勝てるわけがない。日本的な考え方を根本的に変えなければ勝てない。つまり自分たちを変えなければ勝てない。」
そして日本的であることの典型的な例としてコミュニケーションの問題、選手間の意思疎通の問題をあげたそうです。日本的な「阿吽の呼吸」ではダメなんです。一瞬にして攻守が切り替わってしまうラグビーの試合の中では、常に緻密で的確なコミュニケーションを積み重ねていかないと必ず負けてしまうというのです。
試合中によく声を出せ、という言い方をしますが、ただ声を出しても意味がないわけで「何を誰に伝えるのか」という意思が明確であることが、真のコミュニケーション・意思疎通だというわけです。
ラグビー界におけるこのような指導の様子を、日本のサッカー関係者が見たり聞いたりすれば「サッカー界では50年前のクラマーさんの時代から、それをわかっていましたよ」という反応が聞こえそうです。
つまり「ラグビー界もやっとデットマール・クラマーさんのような指導者を得たのですね」という反応です。おそらくサッカー界に身を置く方100人に感想を聞けば、98人はそう答えると思います。
けれども思考がそこで止まってしまっては、やがてサッカー界はラグビー界に人気スポーツの座を奪われてしまうのではないかと感じました。
W杯出場も、ラグビー代表が常連になり、サッカー代表は出場がおぼつかないような時代がくるのではという危機感です。ラグビー界の指導者たちは、いま必死です。エディ・ジョーンズさんの教えを、まるで吸い取り紙で全て吸い取ってしまわんばかりに吸収しようとしています。
サッカー界の指導者たちに、いま、そのような純粋な真剣さを求めても無理ではないでしょうか。だとすれば、それでは「まずい」と考える人が、先ほどの100人のうち2人ぐらいはいて欲しいと思います。
「これは、まずい。我々も今一度初心に返らなければ」という危機感を抱いて欲しいのです。
「あれは遅れているラグビー界の話」と感じるだけで思考が止まるのは、ある種の「驕り」があるからです。
常に他を見習い、初心に返り、わが身を振り直す気持ちがなければ、やがてツケが回ってくるに違いありません。
「ラグビー界のデットマール・クラマーさんであるエディ・ジョーンズさん」のニュースに接して、そのようなことを想いました。
では、また。