「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「王様ペレ」がこの世を去り、年は暮れ、サッカーも新たな時代になります。

2022年12月30日 21時16分56秒 | 世界のサッカー
昨日12月29日、王様ペレ死去のニュースが世界中を駆け巡りました。ブラジルでは国をあげて3日間、喪に服することにしたそうです。

2022年カタールW杯の終了を見届けたかのような死去でした。明日31日2022年という年が暮れ、その翌日新年を迎えるというこの時期の訃報です。

すでに何度か書きましたように、今年をもってサッカーの試合・番組の映像記録保存、そしてスポーツ紙・サッカー専門誌の収集保存を、Jリーグ30年を区切りとして終わることにしました。

2年前マラドーナがこの世を去り、そして昨日ペレがこの世を去りました。年が明ければ、サッカーの世界が新しい時代、新しい世界になることを意味しています。

新しい時代の映像記録保存、スポーツ紙・サッカー専門誌の収集保存は、新しい世代の方にお任せする。そのタイミングとしては、この上ないタイミングのような気がします。

このあと当方がやるべきことは、Jリーグ30年のあいだに「日本のサッカー文化」が成長と発展を遂げ、進化してきた道のりを克明に記録として残す作業です。それは、まだ緒についたばかりです。

あと残された人生が何年なのか、神のみぞ知るですが、その期間の中で、何とかやり遂げなければという使命感だけはたぎっています。時間との戦いではありますが、日々こつこつと続けていきます。

随時、このブログでも作業の進捗をご紹介しながら、自分を鼓舞していきたいと思います。
応援、よろしくお願いいたします。

それでは、良いお年をお迎えください。そして新しい年もまたご愛読いただければと思います。
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川崎Fが鹿島と並ぶ「Jの双璧」になることを強く期待しています。

2022年12月29日 12時04分27秒 | Jリーグ・三大タイトル
2022年カタールW杯が終わり、もはやサッカーカレンダーは新シーズンに向かって歩み出しているようです。

26日(月)には川崎F・鬼木監督の続投が発表されました。そして昨日28日(水)には日本代表・森保監督の続投も発表されました。

当ブログは、鬼木監督の続投が発表されたのは、日本代表・森保監督の続投が固まったのを確認してのことだったと考えています。

スポーツ紙の報道には「他に元ドイツ代表監督のレーブ氏などをピックアップしていた」とだけ載っていて、鬼木監督の名もリストの中にあったのかどうか不明ですが、当ブログはカタール大会前から「もし森保監督が退任する場合には、国内の候補者として鬼木監督に勝る人はいない」という考えでした。

おそらく川崎Fサイドも「鬼木監督への代表監督オファー」の可能性を意識しながら、代表監督人選の行方を見守っていたと思います。

兎にも角にも来シーズンも川崎Fは鬼木監督が指揮をとります。
そうなったからには、今シーズン、残念ながら無冠に終わったタイトル、とりわけリーグ覇者のタイトル奪還に向けて、戦力を整えて欲しいものです。

当ブログが、あえて個別のクラブを名指しして応援するのは、川崎Fの活躍が、単に川崎Fだけではなく、Jリーグ全体にもたらす意味合いが大きいと考えているからです。

すなわち鹿島一強時代から、鹿島・川崎FがJリーグの双璧となる時代に向かって欲しいと願っているからです。Jリーグスタートから30年、鹿島は見事なまでのクラブ運営により、リーグ三大タイトル19冠という圧倒的な地位を築きました。

当ブログは、これまで何度も書いてきましたが、その鹿島と覇を競い合うクラブの存在なくしてJリーグの更なる進化・発展はないと考えてます。

それを川崎Fに期待するという意味です。

鹿島を追うクラブとして他に横浜M、G大阪がありますが、この2クラブへの期待感よりは川崎Fへの期待感が大きいものがあります。

理由は何かと問われれば、川崎Fが辿ってきたクラブの歴史が、それを可能にするのではないかという点です。

川崎Fが辿ってきたクラブの歴史には二つの特筆すべき点があると思います。
一つは「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点
もう一つは、クラブ草創期に起きた、一人の選手の選手生命にかかわる危機に適切に対応できなかった反省から出発して、クラブとして「ゆるぎないクラブ運営力」を備えていこうとする連綿たる努力を続けてきた点です。

川崎Fというクラブは、その両面で、他のJリーグクラブの追随を許さない特筆すべきクラブだと感じています。

まず「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」を着実に積み上げてきた点ですが、これは、多くの方がご存じのとおり、長い間「シルバーコレクター」と呼ばれるほど、強豪チームではあるもののタイトルは取れない期間を経て、2017年シーズンにリーグ初制覇を果たすと、堰を切ったようにタイトルを重ねるチームに変貌し、わずか5年のうちに8冠を獲得したチームです。

この、長い間のシルバーコレクター時代とその後の常勝軍団への変貌は、覇者の一つの形を持っていると感じているのです。

もう一つ「ゆるぎないクラブ運営力」の面で、当ブログは、長らく川崎Fに問いかけてきた問題があります。

それは、いわゆる「我那覇問題」といわれるものです。
2007年春、当時、川崎Fのエースストライカーだった我那覇和樹選手が「ドーピング疑惑」をかけられた問題です。

この問題は、最終的には国際スポーツ仲裁裁判所(CAS))まで持ち込まれた結果、我那覇選手が無実であることが証明された問題ですが、この時、我那覇選手は所属する川崎Fから十分な支援が得られず、私財を投じて孤独の戦いを続けるという苦難を味わいました。

この問題についてはサッカージャーナリストの木村元彦氏が2011年に「争うは本意ならねど」という著書を上梓されています。
当ブログは、この本を涙なしには読めませんでした。同時に、川崎Fというクラブは一体何をしていたのだろうか、という思いが、ずっと小さなとげのように心の中に突き刺さっていました。
この本の発行元である集英社のURLをお知らせしておきます。
http://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-745835-0

この問題から著書を読むまで10年以上の時が流れました。ですから当初の「川崎Fは一体何をしていたのだろうか」という思いから「川崎Fは我那覇問題を糧に進化したクラブになったのだろうか」という思いに変わりながら、クラブのありようを見ていました。

2019年というと、2017年のリーグ初タイトルから3年連続で三大タイトル獲得を果たし、すっかり強豪クラブになりつつある時期です。その時期だからこそ、どうしても「クラブとして、我那覇問題を乗り越えて、ゆるぎない運営力を備えたクラブになったのかどうか」確認したいと思い続けていました。

そして、最近になって、ようやく「川崎Fは我那覇問題を糧に大変な努力を連綿と積み重ね、いまやJリーグを代表する、あるいはJリーグをリードするクラブ運営力を持ったクラブだ」と確信できる出来事を知りました。

それは、今年、Jリーグチェアマンを勇退された村井前チェアマンが経済誌「プレジデント」誌のインタビューに応えて語った「中村憲剛選手に「Jリーグの努力は甘い」と言われ…村井チェアマンが厳しい言葉に深く感謝した理由」という記事で知ったものです。

それによりますと村井前チェアマンは、2016年9月「スポーツナビ」の企画で中村憲剛選手(元日本代表、川崎フロンターレ)と対談する機会があったそうです。

その席で中村憲剛選手がまるで挨拶がわりのように「チェアマンにぜひ伝えたいことがある」と切り出したそうです。
村井前チェアマンは軽い気持ちで「フロンターレは頑張ってるよね」と応じたら、中村憲剛選手は「誤解を恐れずに言うと、Jリーグの努力は甘いと思うんですよね」と続けたそうです。

さらに「Jリーグは(地域貢献活動を)一応やってはいるものの、非常に形式的なことに終始しているように見えるんです。生意気ながら、本気で体を張ってホームタウン活動をしている僕らの側からすれば、Jリーグがもっとアイデアを出してくれればと思うんですよね」と。

村井前チェアマンはこう感じたそうです。「憲剛選手たちには「チェアマンやリーグに言われようが言われまいが、俺たちはこうやるよ」っていう、自分の人生とか社会とかに対する強烈なオーナーシップを感じたんですよね。それが羨ましくもあり、「ああ俺は何をやってるんだろう」と思いました。」

それをインタビュアーのジャーナリスト・大西康之氏は「(中村憲剛選手そして彼のクラブである川崎Fは)自分の人生と社会に「圧倒的当事者意識」を持っている」と評しました。
村井前チェアマンは、2014年に就任してから、この対談の時期までには、まだ「Jリーグの社会貢献活動、Jリーグチームのホームタウン活動」というものに対する軸が定まっていなかったといいます。

ですから「正直に言うと「Jリーグにできることにも限度がある」とぼんやり考えていた時期だった。強烈なパンチを喰らい、目が覚める思いだった」そうです。

この村井前チェアマンと中村憲剛選手のやりとりのことを紹介している経済誌「プレジデント」誌のインタビューの部分のURLをお知らせしておきます。
https://president.jp/articles/-/63461?page=1

このエピソードを読んで、当ブログは「あぁ、川崎Fは10年以上も我那覇問題を乗り越えるために自問自答を続けながら、ひたすら地域貢献活動に打ち込んで来たんだ」そして「そのレベルはもはや地域貢献について司令塔となるべきJリーグチェアマンに対して、堂々と建言できるほどに進化していたんだ」と実感しました。

これほど強い地域とのつながりは「クラブのゆるぎない運営力」なくして生まれません。当ブログが10数年前の我那覇問題で川崎Fに対して抱いた疑念は晴れ、心に刺さっていた小さいトゲは見事に抜けました。

Jリーグ30年、かすかに残っていた心のわだかまりの一つが消え、晴れ晴れした気持ちになっています。

最後にもう一度繰り返します。川崎Fが辿ってきたクラブの歴史は「三大タイトルを賭けて戦うチーム力」の面と、「ゆるぎないクラブ運営力」の両面で特筆すべきクラブです。

それゆえに鹿島に並ぶ「Jリーグの双璧」と言われる実績を積み上げて欲しいと願うのです。

【ジャーナリストの木村元彦氏の著書「「争うは本意ならねど」」の上梓時期を2019年と記載していましたが、2011年でしたので、2023年1月28日訂正しました】





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本日、NHK放送の「カタールW杯総集編」を見ました。心揺さぶられました。

2022年12月25日 18時46分09秒 | 世界のサッカー
本日、NHK地上波放送の「カタールW杯総集編」を見ました。
焦点があたったチームは、日本代表をはじめ、優勝したアルゼンチン、クロアチア、ブラジル、ポルトガル、韓国、ポーランド、イランなどでした。

日本代表の戦いについて、日本にゆかりの深いドイツのブッフバルト氏、スペインのフリオ・サリナス氏、そして日本代表の試合を11年以上にわたって、つぶさに見てきたというスペインの指導者ミケル・エチャリ氏の目から分析していたのが印象的でした。

各国の戦いをおさらいして、心揺さぶられるシーンがいくつもありました。おもわず涙腺が緩んでしまうのです。

サッカーW杯という場が、サッカーに全身全霊を捧げている人たちにとって、いかに大きなものか。
戦いに勝利して極度の集中力と緊張から解き放たれた時の喜びが、いかに爆発的なものか、それにひきかえ、敗れ去った時の絶望感、喪失感もまた、いかに大きなものか、これからも何度見ても感じることでしょう。

もう一つ、つくづく思うのは、W杯優勝4回を誇るイタリアが2大会連続で出場権を逃し、同じく4回の優勝経験を誇るドイツが、これまた2大会連続でグループリーグ敗退、10年前には考えられなかったことが起きてしまうのもサッカーW杯という場です。

日本はいま、7大会連続出場、直近2大会はグループリーグを突破して、ベスト8進出目前という上げ潮の国ですが、これが、いつまで続くかわからないというのがW杯という場であることも肝に銘じる必要があります。

イタリアもドイツも、それなりに進化していたつもりだったと思いますが、どこかに、協会など国レベルの慢心や読み違い、あるいは選手のマインドの変化といったことが積み重なった結果が出たはずです。

おそらく、この両国とも、サッカー大国の威信を取り戻すべく、想像を超えたテコ入れを図ってくるに違いありません。そしてまた、アフリカ、アジアの新興国も、日本と同様、じわじわと力をつけてレベルをあげてくるでしょう。

そうした世界の流れを上回る進化・成長がなければ、さらなる成果が望めないことはもとより、あっという間に「グループリーグ敗退」あるいは「連続出場記録ストップ」といった屈辱を味わうことになります。

それは、国内を見てもすでに分かる話です。あれほど「サッカー王国」の名を欲しいままにしてきた静岡からJ1のクラブが消え、高校サッカーでも2019年に静岡学園が優勝したのが、1995年に同校が鹿児島実と優勝を分け合って以来、実に24年ぶりという具合です。

世界各国も、Jクラブも、高校チームも常に厳しく競い合っていて、少しでも気を緩めたら転落する世界に生きている。

すべからく人間社会の多くが競争社会の中で生きていますが、スポーツの世界、特にサッカーの世界は、競争の厳しさの度合いが相当強い世界だと思います。

こうした厳しい競争の果てに、新たな歴史は積み上げられていく。メッシは、極限までの厳しさに打ち勝って頂点に立ち、とてつもない栄光を手にした、そう感じながら見終えました。

【この書き込みは12月26日、イタリア、ドイツの話題以降の部分を大幅に加筆しました】

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Jリーグスタート以降、日本サッカー30年間の記録から(2) 日本代表サポーターの「スタンドゴミ拾い」は、いつから始まったのでしょう。

2022年12月25日 13時10分00秒 | サッカー文化
2022年カタールW杯の日本代表の活躍とともに、世界中から称賛されたのが日本代表サポーターの「クリーン活動=スタンドゴミ拾い」の行為です。

私たち日本のサッカーファンは、彼らの行動を知っていますから「今回も頑張ってるな」といった調子ですが、初めて目にした海外の人々にとっては「日本人というのはなんてスゴいんだ」といった論調になるようです。

ただ、先日、ネットに「W杯芸人「カカロニ」のすがや」という人を取材したスポニチアネックの記事が載っていました。

「日本サポ「ゴミ拾い」の原点は?W杯芸人・すがやが「背景」明かす「日本人の美徳はもちろんあるけど…」」というタイトルの記事です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b467ee43c769fabfb78b0c666b710843fd425877

それを読みますと、国内外の一部に「クリーン活動反対派」の声もあるそうですが、結局のところ「クリーン活動は、現地の人からも好評だといい「外国人にも喜ばれますし、現にスタジアムのカタール人の清掃スタッフの人から感謝されてました。真似をする国もあります」と話し「W杯に行くたびに、ああ、日本人って好かれてるんだなぁ…と実感する」と告白。」とのことです。

そして「この「ゴミ拾い」について、原点は日本代表の「応援グッズ」にあるという。「日本には、青いゴミ袋に空気を入れて、バルーンのようにして応援するというスタイルがあります。青いゴミ袋は軽くて安価、現地の外国人にも配りやすいし、日本人にも配りやすい」とこのスタイルが流行した理由を明かし「“せっかくゴミ袋なんだから、最後は掃除して帰ろうよ”となりました」と、経緯を明かした。」と続いていました。

さらに「「僕の記憶だと、日韓W杯の時に“ゴミ袋を応援に取り入れようよ”という発信があったような気がします」と、2002年ごろから生み出された応援スタイルであるという。」とのことです。

ちょうど、当方が過去30年のスポーツ紙をスキャンしてPDFに変換する作業の中で、これに関する記事を見つけました。

それは2002年日韓W杯からさかのぼること5年、1997年にフランスW杯への出場権を賭けて戦ったアジア最終予選を報じる記事の中にありました。

この1997年のアジア最終予選、9月に国立競技場でウズベキスタンを相手に6-3の勝利で始まった、ホーム&アウェーの8試合、第3戦目のホーム韓国戦を落としたあたりから、長く苦しい、絶望感に陥る試合と、かすかな希望を見出す試合が1試合ごとに交錯する戦いが続いたのですが、その様子がスポーツ紙各紙に、克明に記録されています。

これを紐解いていくと「うわぁ、ここまで追い詰められたのか」とか「よくぞ、こんなことが起きたなぁ」ということの連続です。

潮目が変わったのは、11月1日の第7戦、アウェー韓国戦でした。韓国は前の試合ですでにW杯出場権獲得を決めていました。

韓国には日本から約15000人が応援に駆け付けたとのことで、その中で日本は2-0と快勝、これで勢いを取り戻しました。

続く最終戦のホーム・カザフスタン戦に快勝した日本は、マレーシア・ジョホールバルでの第三代表決定戦イラン戦に臨み、延長後半13分、岡野雅行選手の劇的なVゴールで、歴史を塗り替えたのでした。

日本人サポーターの「青いゴミ袋」の記事は、第7戦のアウェー韓国戦に勝利して沸き立つサポーターの様子を報じた、11月2日付スポーツニッポン紙の中にありました。

記事には小見出しで「ゴミ袋も3600枚持参」とあり、本文には「日本代表応援グッズとしてすっかり定着した青いゴミ袋を3600枚持参してスタンドを青く染めた」とあります。

この記事では「サポーターがスタンドのゴミ拾いをした」という記述はありませんでしたが、持参したゴミ袋に自分たちのゴみを入れたと考えて間違いないでしょう。ゴみを拾って会場を後にするサポーター全体の行動として定着したかどうか、わからないまでも、自分たちのゴミは持ち帰ったに違いありません。

この頃のサッカー専門誌なども丹念に点検すれば、どの試合あたりから「青いゴミ袋」が登場したのか、詳しくわかるかも知れませんが、おそらくは、この年春のアジア一次予選あたりからと考えていいのではないかと感じました。

その後は、W杯の会場になったフランスでもドイツでも、南アフリカ、ブラジル、ロシア、どこに行っても日本人サポーターは全体の行動として律儀に自分たちの出したゴミを拾って、きれいにして会場をあとにしていたのだと思います。

かといって、他の国のサポーターにも広がり、W杯全体の風物詩になったかと言えば、そうでもないところが不思議なところです。


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Jリーグスタート以降、日本サッカー30年間の記録から(1)「ドーハの悲劇」は、いつから見出しになったのでしょう。

2022年12月21日 18時04分54秒 | サッカー日本代表
これからは、過去30年間続けてきた、サッカー試合・番組の録画保存や、スポーツ紙等の収集保存の中から、あらためて再発見したことなどをお伝えしていくシリーズを始めたいと思います。

今回のW杯、カタール・ドーハの地で、我らが日本代表はドイツ、スペインを撃破する快挙を成し遂げました。それは、かつて29年前にこの地で味わった「ドーハの悲劇」を上書きする形で「ドーハの歓喜」と呼ばれ、これから長く語り継がれていくであろう出来事でした。

これで「ドーハの悲劇」は、遠い歴史の一コマになり、次第に人々の話題から遠ざかっていくことと思います。
ちょうど、そのような時、1993年当時のスポーツ紙などの新聞をデジタル保存する作業を行ないました。A3サイズの複合機で新聞をスキャンしてPDFで保存する作業です。

実はスポーツ紙の大きさはA2サイズありますから、その大きさでスキャンをかけたいと長らく検討してきました。しかし、いろいろと調べてみて、A2サイズのマシンを用意するのは至難の技だということが明らかになりA3サイズでデジタル保存することに決め、今月からスタートしたところです。

能書きはそれぐらいにして、1993年のサッカーにおけるハイライトは、Jリーグ開幕と「ドーハの悲劇」という結末だったアメリカW杯アジア最終予選です。

アメリカW杯アジア最終予選を報じるスポーツ各紙の扱いは試合を重ねるごとにヒートアップしてきましたが、最後、出場権ならずというところでは「悪夢ドロー」や「日本呆然」「夢散った」といった見出しが躍りました。

その関連の一番最後に、試合翌日の「夕刊フジ」が「ドーハの悲劇」という見出しを打った記事が出てきました。

当方の保存資料では、これが一番最初に「見出し」になったようです。

ウィキペディアで「ドーハの悲劇」を検索すると、かなり長い説明があり、その中で、次のような記述があります。

「試合終了の数時間後に発行された読売新聞10月29日付朝刊では、すでに解説文中で「ドーハの悲劇」という言葉が使われていた[13]。現地で取材した読売新聞記者は、1986年のUEFAチャンピオンズカップ決勝で優勝候補のFCバルセロナがステアウア・ブカレストにPK戦で敗れた「セビリアの悲劇」を思い浮かべながら記事を書いたという[13]。その日以降、ほかの新聞や雑誌でも「ドーハの悲劇」というフレーズが用いられた。」
【出典[13]】
^ a b c 大西秀明 (2013年9月5日). “ドーハの「悲劇」と「奇蹟」”. ことばマガジン (朝日新聞DIGITAL) 2018年7月17日閲覧。[リンク切れ]

このウィキペディアが正しいとすれば、夕刊フジの編集部も、この読売の解説を読んで「これだ」と思い「見出し」につかったのかも知れません。

その後、これほど長く語り継がれることになろうとは、当時は想像もつかなかったことでしょう。
それも、今回の「ドーハの歓喜」により上書きされ、その役割を終えたのかも知れません。

では、次回のテーマをお楽しみに。
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神の恩寵を受けたリオネル・メッシ選手、マラドーナの時代が終わりメッシの時代に。

2022年12月19日 11時16分31秒 | 世界のサッカー
前回の書き込みで、2022カタールW杯決勝について「メッシが悲願の優勝を果たせるか、現在、最高レベルにあるフランスが連覇を果たすか、結果は神のみぞ知る、あまり物議を醸すような場面のない、すっきりした試合になって欲しいと願うばかりです」と願いました。

結果は想像の域を超えた壮絶な決勝戦となり、PK戦の末アルゼンチンが3度目の優勝を果たしました。

長らく「神の子」と呼ばれてきたリオネル・メッシ選手、その栄光に満ちた選手生活の中でただ一つ足りない栄冠がW杯優勝でした。

試合は、延長後半、メッシ選手が泥臭く押し込んでゴールをあげ、試合は決まったかに思えましたが、そのあとフランスのキリアン・エムバペ選手が、ハットトリックとなるPKを決めて同点に追いつくなど、メッシ選手のW杯優勝への道は苦難にさらされました。

これで、神様がどちらに味方するかわからないPK戦になりましたから、メッシ選手の悲願が、奈落に落ちる可能性もある、これ以上シビれる展開はないというところまで来ました。

そのような中、神はリオネル・メッシ選手に恩寵を与えたのです。本当にそうとしか言いようのない結末でした。長らく「神の子」と呼ばれてきたメッシ選手は、これで、少なくともアルゼンチン国内では神格化され、これまで36年にわたり敬愛されてきたディエゴ・マラドーナ選手に代わって「神」として敬愛されることでしょう。

NHKのラジオ中継を聴いていた中で、担当の小宮山アナウンサーと解説の早野宏史さんが「アルゼンチンのチームメイトが『メッシのために』というより『メッシとともに』戦い抜いた感じがします」と口を揃えていましたが、今大会のアルゼンチンを的確にあらわしているように思いました。

今大会、アルゼンチンのイレブンが、決してメッシ選手だけに頼るのではなく、各選手が『メッシとともに』主体的な戦い方をしたところに勝因があったように思います。

一方のフランス。神はこう呟いたように思います。「キリアン・エムバペよ、今回は君の大会ではない、リオネル・メッシを前にして君に恩寵を与える訳にはいかない。君にはまだまだ長いサッカー人生がある。必ず君の大会になる時が来る。」と。

決勝のフランスには二つほど、不運が見舞ったのではないでしょうか?
一つは、今大会、多くのチームの選手たちが陥った空調の効き過ぎによる体調不良、これが今大会の一つの「影の部分」だったと言えます。選手たちが思いもよらない体調不良に陥り、肝心な試合でのパフォーマンスを落としてしまうのは、何と不幸なことでしょう。

もう一つは、ベンゼマ、カンテ、ポグバという3人ものワールドクラスの選手が離脱した中で決勝まで勝ち上がってきたフランスですが、ここにきて、不在のツケが回ってきたように思います。

ただフランスは、今後も当分は世界のサッカーをリードしていく存在であるように思います。

大会の開催時期、施設の温度管理のこと、サポーターの宿泊の問題そして開催国の金満が何か闇で蠢いていたことはなかったのかという疑念など、さまざまな問題を引きずりながら開催された今大会、一方ではVARの本格的な運用によるテクロノジーが示した判定など、新しい時代になったことを実感させる大会でもありました。

4年後の大会は、出場国枠の大幅拡大など、これまでと大きく異なる大会になるようです。当方は、今回を区切りに試合・番組録画保存や、スポーツ紙等のの収集保存を終わることにしていますので、こうしたリアルタイムでの書き込みもなくなると思います。

今後は、前回の書き込みでもお知らせしたように、過去30年の記録をwebサイトに残していく作業を通じて得たり、再発見したことを、お伝えしながら現在進行形のサッカーの世界と重ね合わせて、つづって行きたいと思います。

それからもご愛読、よろしくお願いいたします。



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当ブログの「カタールW杯日本代表に対する思いについての総括」

2022年12月17日 18時03分43秒 | サッカー日本代表
2022年カタールW杯も、いよいよ三決戦と決勝を残すだけとなりました。決勝のフランスvsアルゼンチン戦は、今大会でもっとも華のあるカードと言えます。

メッシが悲願の優勝を果たせるか、現在、最高レベルにあるフランスが連覇を果たすか、結果は神のみぞ知る、あまり物議を醸すような場面のない、すっきりした試合になって欲しいと願うばかりです。

そんな中、我らが森保ジャパンは戦いを終え、さまざまなメディア出演などを通じて、今大会を振り返り次にどうつなげるかを語っています。

当ブログは、大会前、グループリーグの対戦相手である、ドイツ、スペインとの戦いで、勝てないまでも十分守り切る力があり、それほど悲観したものではありません、というスタンスでした。

このうち、各ポジションの構成については、当方の見立てが少し違っていた部分があり、何人かの選手には「申し訳ありませんでした」と申しあげなければなりません。

まずGK、当ブログはシュミット・ダニエル選手がいいのではと感じていて「権田選手なのか、シュミット・ダニエル選手なのかわかりませんが」とボカしていました。けれども森保監督のチョイスはこれまでの序列どおり権田修一選手でした。

その権田選手、ドイツ戦、スペイン戦のマンオブザマッチに選出されたのですから脱帽です。川口能活選手や川島永嗣選手のように闘志が前面に出るタイプではありませんが、その分、冷静沈着、たとえミスしても引きずらないメンタル、見事でした。

次にDF陣、まず私の知識不足はキャプテン・吉田麻也選手の高さでした。冨安選手や板倉選手に比べて高さがないと思い込んでいたところに当方の基本的な誤りがありました。

十分に高さのあるキャプテン・吉田麻也選手の経験、リーダーシップ、身体能力は守りの要として欠かせない存在でした。大会前、当ブログは「冨安選手、板倉選手のどちらかがケガで間に合わなければ、吉田麻也選手で行くしかない」というスタンスでしたが誤りでした。

今大会、逆に吉田選手を要として板倉選手、冨安選手そして谷口彰悟選手が、入れ替わり組み合わさって構成した最終ラインは、これまでのどの大会よりも安定感のある布陣で、惚れ惚れするぐらいの仕事をしてくれました。

日本代表のDF陣もここまで来たか、という感慨にも似たものを感じました。

そしてMF陣、特筆すべきは遠藤航選手と守田英正選手が組むボランチです。この二人がいてこそ日本の守りが支えられたと言えます。

このどちらかが出られない場面では鎌田大地選手が入っていました。鎌田選手がこのポジションも十分こなせることをあまり知らなかった当ブログは「大丈夫なのかしら」と見ていましたが海外クラブの評価は上がったようです。

今大会、鎌田選手はトップ下のポジションでスタメンでしたから多くのファンが得点に絡む活躍を期待したでしょうし、その点では本人も不本意だったかも知れません。
ただ当ブログは、鎌田選手の4年後、今大会のグリーズマン選手のような、攻守にわたる、まさに司令塔として試合を支配できる選手への成長を期待したいと思います。

最後は前線の選手について、当ブログは以前の書き込みで「森保監督が記者団の質問に答えて『FW陣にはW杯経験者が一人もいないが、彼らが、このW杯で何かをやってのけたいという野心を持っており、それに期待したい』と述べました。

まさに、そのとおりだと思います。当ブログでは以前から、守備陣がベストコンディションで臨めば、持ちこたえる可能性はあるので、あとは前線の誰かが、あっと驚くようなことをしてくれることを期待するしかありませんと、考えています。」と書きました。

その「前線の誰かが、あっと驚くようなこと」を堂安選手が、そして浅野拓磨選手、三笘薫選手、田中碧選手、前田大然選手がやってのけたということになります。森保監督は「経験のある選手ではなく経験はないけれど野心に満ちている選手」を選択しましたが、見事に、それに応えてくれたと思います。

「あっと驚くようなこと」をやってのけた要因は、野心を持った選手をチョイスしただけではありません。その選手たちの沸々たるエネルギーがMAXになったところでピッチに解き放つ、絶妙のタイミングでカードを切ったという点でも見事だったと思います。

すなわち監督の「ここだ」というタイミングと選手たちの「いまこそ」というタイミングが見事にシンクロしたことによって生み出された結果でもあります。

このシンクロ感がなければ、実は「笛吹けど踊らず」状態になり、結果は付いてこないのです。多くの監督がうまくいかないのが、このシンクロ感を見極めるという点です。

森保監督の場合、1度だけ、そのシンクロ感がずれてしまった場面がありました。ベスト8を賭けて戦ったクロアチア戦、同点にされた時が選手と監督の思いがシンクロするタイミングだったと思います。

あそこで監督は9分ほど時間を空けました。それによって投入される筈の選手もピッチにいる選手も「さて、どうなるのだろう」と真空状態になってしまいましたが、同点にされてすぐ間髪を入れず投入していれば全員が「よし、また取りに行くぞ、取るぞ」という気持ちの切り替えができたのではないでしょうか。

あの9分間が、監督と選手の思いがシンクロせずに、選手たちのエネルギーをMAXに仕切れなかった唯一の采配の迷いだったように思います。

若い選手たちの野心に期待して、それを結果に結びつけるためには、監督の用兵を通じて選手のエネルギーをMAXに引き出す監督と選手の思いのシンクロ感が欠かせないと痛感させられました。森保監督はドイツ、スペインを撃破する采配を通じて、それを見事に成し遂げ、全世界から高い評価を受けました。

よく、交代選手が結果を出し「監督の采配ズバリ」と称賛を浴びますが、それは交代時期が、まさに選手のエネルギーをMAXに引き出すタイミングとシンクロしたからにほかなりません。

名将と言われる監督たちは、それを、どの場面でも冷静に的確に間違いなく決断して、結果を残してきた人たちです。森保監督も、その資質と可能性をもった楽しみな監督です。

日本代表監督が、野心に満ちた若い選手に期待する考え方は、小野伸二選手や本田圭佑選手を抜擢した岡田武史監督の時から引き継がれているスタンスですが、今後の代表監督も継承して欲しいと思います。

前線の選手でもう一人コメントしておきたい選手に伊東純也選手がいます。今大会、守りでの奮闘が目立った分、点に絡む場面を作れなかったことについて、鎌田選手同様、不本意だったことと思います。

当ブログは、縦へのスピードもさることながら、強引にカットインしてベナルティエリアに持ち込む数が少なかったように感じていて、なぜなんだろうと思いました。やはり守りを意識するあまり自重ぎみにプレーしていたのかなと思いながら。

同じことは久保建英選手にも感じました。守りへの貢献を意識しすぎてはいなかっただろうかと。

さぁ、そして、今後のことですが、クロアチア戦のあとの最後の夕食の場で、選手たちから出された声が「ドイツ、スペインに勝ったものの、それは守り勝ったというだけのことで、将来につながる勝ち方ではないと思う。やはり日本として攻めて勝ち切るパターンを構築しないと、次には進めないと思う」というものでした。

そして多くのサッカー評論家たちも同様の意見を述べています。しからば、それを求めていった場合の落とし穴について、過去の大会を知るベテラン選手たちが、その食事の場で正鵠を射た話を出したそうです。

すなわち「2010年南ア大会も守りを固めてグループリーグを突破したものの、攻めのパターンを持たなかったためにベスト16どまりになった。そこで攻めを重視する戦いに軸足をおいた結果、2014年ブラジル大会は1勝もできなかった」と。

そういった話し合いの帰結として、やはり、しっかりした守りの基盤を持った上で攻めの形をどう作るかというふうに次の4年を使おう、ということになったそうです。

選手たちは、しっかりと次にやるべきことを整理して前を向ける状況になったと言えます。
そうなった時、当ブログが心配するのは、やはり監督を誰に託すべきかという明確な道筋が見えないことです。

しっかりした守りの基盤を持った上で攻めの形を作れる監督さんとは誰なのか、森保さんなのか、他の日本人、あるいは外国人監督なのか、収れんしないまま誰かに決まる感じがして怖さを感じています。

森保監督の今大会における采配を通じて明確になったことは、全員が守りにハードワークをすることが必須であり、攻めの形という点については、フレッシュな状態の両サイドからの崩しに頼るという戦術です。

例えば日本人で最高のプレースキッカーをチョイスして、デザインされたセットプレーを持つといった点が疎かになったことは否めません。
またポストプレーヤーを使わなかったことも戦術の幅を狭めたと思います。森保監督が続投した場合、それらを改善する戦術転換があるかどうか、です。

一方、他の監督になった場合、これまで積み上げてきたものが瓦解しないかどうかという懸念があります。なかなか難しい問題です。

最後の課題は、やはり個のレベルの部分でしょう。メッシやエムバペのようなスーパーな選手とは言わないまでも、前線から一列下がった位置で新境地を開いたグリーズマン選手のように、この4年の間に「大化け」してくれる選手が2人か3人は欲しいところです。鎌田大地選手が、その一人になって欲しいという点は、すでに書いたとおりです。

次回大会、日本が出場権を失うことは、まず考えられないアジア枠になりましたが、その分グループリーグ突破の難しさは増すと言われています。

歴史上初めて2大会連続でグループリーグを突破した日本代表には、国内から「グループリーグを突破して当たり前」という風潮が醸し出されることは間違いありません。

つまり「あとはどこまで勝ち上がれるのか」という風に要求基準が上がったとも言えます。そうは言っても、いざ大会前になれば「いかにしてグループリーグを突破するか」の議論に花が咲き、また1試合ごとに日本列島が一喜一憂するでしょう。

そうやって「日本におけるサッカー文化」が大会を重ねるごとに深く厚みを増していきます。今大会も、スペイン戦とベスト16クロアチア戦をフジテレビが放映したこともあり、フジテレビを中心に民放のW杯サッカー露出ぶりは、まさに4年ぶりの喧騒状態でした。

2002年日韓大会あたりから形作られたワイドショーやニュースショーでのW杯サッカーの番組パターンが4年に一度復活するという感じです。

一つだけ違うのが専門的な解説をしたりコメントするサッカー関係者が、大会を重ねるごとに多彩になってきて楽しい限りです。

また今大会はネット配信による試合が大幅に増え、本田圭佑氏(氏と付けるのにまだ慣れていませんが)がネット配信の解説で出番が多かったということで、その活躍ぶりがテレビで取り上げられたりSNSで話題になるなど、新たな時代に入ったことを実感させられました。

そんなことを思いつつ、当ブログとして「今大会の総括」としたいと思います。

さる12月6日の書き込みでも申し上げましたが、この年末をもって、試合や番組等映像の新規録画保存、スポーツ紙・サッカー雑誌等の収集保存は区切りにします。

したがって、旬のネタで当ブログに書き込みする場面は激減するかも知れません。やはり年々歳々、情報量が少ないまま書き込みをして、トンチンカンな中身にしてしまうリスクが高まっています。
本日のブログでも吉田麻也選手の高さを見誤っていましたし、前回の書き込みでもフランス代表選手の主力でケガのため出られない選手の情報を持たないまま、ということがありました。

やはり旬のネタに関する情報を十分持たないまま書き込むのは危険だと痛感しています。
これからの書き込みの中心は、現在進めている「サッカー文化フォーラム」のwebサイト「ようこそ、サッカーの世界へ」に盛り込むコンテンツのための基礎データのデジタル化そしてデータベース作り、さらにはテキスト作成の過程で感じたこと、再発見したことが中心になると思います。

一例をあげますと、今回、カタール・ドーハで行なわれた試合で、過去に味わった「ドーハの悲劇」を「ドーハの歓喜」に変えたわけですが「ドーハの悲劇」というフレーズが最初にメディアに現れたのを見つけました、というような具合です。

これは日をあらためて書き込みしたいと思います。

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ベンゼマ、カンテ、ポグバ不在でも盤石、フランス黄金時代かも知れません。

2022年12月14日 16時55分05秒 | 世界のサッカー
今朝12月14日の産経新聞朝刊スポーツ面に「躍進モロッコ 次は王者と」という見出しが躍っていましたが、その脇に「フランスのグリーズマン」が取り上げられていました。

一般紙でグリーズマン選手が取り上げられたのは、おそらく初めてだと思いますが、今大会フランスが優勝すれば、メッシ、エムバペ、ネイマール、Cロナといった、これまでのビッグネームに代わりグリーズマンの記事が増えるかもしれません。

今大会のフランス代表は、エース・ベンゼマ、中盤の要のカンテ、ポグバがケガで離脱したにも関わらず、代わってセンターフォワードを務めているジルーをはじめ代わりの選手が大活躍、そして両サイドのエムバペ、デンベレが相手をズタズタに切り裂き、どこからでもゴールに迫る盤石のチームとなっています。

普通の国であればワールドクラスの選手が3人も離脱すれば、大きなダメージとなりますが、この国は代わりの選手たちが遜色ない働きを見せています。

どれだけ選手層が厚い国なのでしょう。とんでもない国です。まさにフランス黄金時代といえるかも知れません。

そして、それら前線の選手を繰る司令塔がグリーズマンというわけです。この産経新聞の記事も書いていましたが、確かにこれまではフォワードもしくは1.5列目の選手と言うタイプでした。

当ブログは、すでに2016年時点でグリーズマン推しでした。2016年7月9日の書き込みでは「明暗くっきりメッシとCロナ。そして躍り出たグリーズマン」というタイトルで彼に対する期待を厚く語りました。

あれから6年、いつの間にかグリーズマンも31歳だそうです。メッシ、Cロナの後を担うどころか、2019年に鳴り物入りで加入したバルセロナで輝けず、すっかり名声を落としていたのですが、昨夏にアトレチコ・マドリーに戻り、10月以降、契約上アトレチコに完全移籍したあと、パフォーマンスを取り戻したみたいです。

バルセロナでの苦しい経験が彼を成長させたのかも知れません。ピッチ中央で、攻撃面はもちろん守備面でも奮闘する姿が目立つようになったそうです。アトレチコでも、そのプレースタイルを貫いてくれればシメオネ監督も目を細めるに違いありません。

もともと攻撃を繰る才能は高い選手ですから、ピッチ中央で攻守両面でタクトを振る選手になれば、かつてのプラティニを超える存在になれるかも知れません。いまつけている背番号7は、かつてデシャンがつけていた番号だそうです。

現フランス代表監督デシャンも選手時代は、ちょうどピッチ中央で攻守両面でタクトを振り、前線のジダンに自由に攻撃させていた選手でした。その境地になった時、グリーズマンにも新たな栄光が訪れるかも知れません。

かってグリーズマンと同じ時期にスターダムにのし上がったベルギーのエデン・アザール。片やバルセロナ、片やレアル・マドリーに加入して、さぁ両雄の時代到来かと期待に胸を膨らませたものですが、アザールもレアル・マドリーで輝けず名声をさげてしまいました。

それでも今大会、彼はベルギー代表キャプテンとして優勝候補の一角とみられていました。ところがグループリーグでモロッコ、クロアチアの後塵を拝してしまい敗退の憂き目を見ました。

グリーズマンとアザール、この二人も明暗がくっきり分かれたようです。

準決勝の最初のカード、アルゼンチンvsクロアチア戦、さしものクロアチアも力尽きたようでアルゼンチンが決勝に勝ち上がりました。
もう一つはフランスvsモロッコ戦、どう考えてもフランスと言いたいところですが、今大会、軽々な予想は痛い目に遭います。
それでも、やはりアルゼンチンvsフランス戦のカードが見たいですよねぇ。

【12月15日一部加筆について】
この書き込みで、当初、カンテ、ポグバ選手のケがによる離脱のことを触れていませんでしたが、ベンゼマ選手の離脱に先立って、これらの選手も離脱したことを知りましたので、あえて加筆しました。ご了承願います。


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決勝カード予想まったく外れ。タイトル付けての予想でなくてよかったです。

2022年12月11日 13時53分34秒 | 世界のサッカー
カタールW杯ベスト8が出そろったところで、前回の書き込み「カタールW杯日本代表新語・流行語3選」の文末で、決勝予想をしてみました。

一度「どうやら決勝はブラジル、もう一つはフランスなのかアルゼンチンなのか、という感じがします」と書いたのを、勝ち上がりの山を確かめずに間違いに気が付き、わざわざ訂正していました。

しかしベスト4に残ったのは、プラジルを破ったクロアチアや、ポルトガルを破ったモロッコ。フランス、アルゼンチンは残ったものの、大本命のブラジルが消えたりモロッコが勝ち上がったり、予想の無意味なことこの上ない感じです。

本当にW杯は何が起こるかわかりません。
わざわざタイトルを付けて一項目費やして仰々しく予想しなくて本当によかった感じです。
もう、決勝予想はやめます。また外れそうですから。
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2022カタールW杯日本代表の「新語・流行語3選」

2022年12月08日 20時12分12秒 | サッカー日本代表
2022カタールW杯が始まってまもなく、日本ではこの時期恒例の「新語・流行語大賞」が発表されました。
いろいろなノミネート語の中から「村神様」が大賞に選ばれたそうです。

その後、スポーツ紙などが2022カタールW杯日本代表の「新語・流行語」を10語ノミネートしてくれて「新語・流行語大賞」の時期とずれてしまったのが残念とコメントしてくれました。

その中から、後世まで語り継がれるであろう日本代表の「新語・流行語」を3つあげて、記録しておきたいと思います。順不同です。

1.三笘の1ミリ
2.新しい景色
3.ドーハの歓喜

いずれも説明の必要がないフレーズです。とりわけ「ドーハの歓喜」は、あの「ドーハの悲劇」を完全に拭い去ったという意味で、今大会を象徴していると思います。

逆に「新しい景色」は、今大会見ることができず、次回以降に持ち越しとなったという意味で、今大会を総括する言葉かも知れません。

また「三笘の1ミリ」は昨日の書き込みでも話題にしたように、世界のサッカー史に残る画像を生み出したという意味で、日本代表の「新語・流行語」の枠を超えて、2022カタールW杯全体の「新語・流行語」になると思われます。

すでに大会は、ベスト8が出揃いました。カードは、
・オランダvsアルゼンチン
・イングランドvsフランス
・クロアチアvsブラジル
・モロッコvsポルトガル
とのことです。

どうやら決勝はブラジル、もう一つはフランスなのかアルゼンチンなのか、という感じがしますが、あまり「これで決まり」感はありません。
やはり、日本代表の挑戦が終わったことによる喪失感は大きいものがあります。

【上記、決勝カード予想の訂正】
ベスト8からの勝ち上がりの山をよく確認しないで書いてしまいました。ブラジルとアルゼンチンは勝ち上がれば準決勝でつぶし合いますので、以下のように訂正します。
どうやら決勝はフランス、もう一つはブラジルなのかアルゼンチンなのか、という感じがしますが、あまり「これで決まり」感はありません。

ところで、この3チームにはPSG(パリサンジェルマン)の三銃士がいますね。フランス・エムバペ、アルゼンチン・メッシ、ブラジル・ネイマール。PSGはカタール資本とのことですから、決勝のピッチに三銃士のうち二人が立てば、まさに絵にかいたような話になりそうです。
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マラドーナの「神の手」ゴールを伝説の座から引きずり下ろしたテクノロジー画像「三笘の1ミリ」

2022年12月06日 21時25分36秒 | 世界のサッカー
2022年カタールW杯では、ビデオアシスタントレフェリーやゴールラインテクノロジーなどが本格導入されましたが、それによって生まれた「最初の歴史に残る一枚」の画像が日本vsスペイン戦の試合で公表されました。

「三笘の1ミリ」というキャプションがつく、ゴールラインテクノロジーが映し出した1枚です。これを見て私は、マラドーナの「神の手」ゴールが伝説の座から引きずり下ろされた感覚を抱きました。

少なくとも、今回の「三笘の1ミリ」画像の出現によって、過去にレフェリーの誤審だったのではないかと思われるすべての出来事が「伝説の出来事」ではなく「前世紀の遺物」に追いやられたように思います。

そのような意味で、「三笘の1ミリ」画像は、ワールドカップ史を完全に塗り替えたことになり、三笘選手はもちろん日本代表も「あの出来事をもって判定の仕方が完全に変わった」その主人公として、歴史に名を残すことになりました。

2022年カタールW杯の歴史的な出来事の一つと言えます。

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森保監督とその選手たちと共に「新しい景色を見に行く」長い旅路が終わりました。

2022年12月06日 18時47分54秒 | サッカー日本代表
本日12月6日未明、2022年カタールW杯決勝トーナメント1回戦・クロアチアとの試合は1-1のまま延長PK戦までもつれ込み、森保ジャパンは力尽きる形で大会を去ることになりました。

4年以上もの長い間、森保監督とその選手たちとともに「決勝トーナメント1回戦の壁を突破して、日本中のみんなで、新しい景色を見に行こう」という合言葉を掛け合いながら続けた長い旅路は、未完のまま終わりました。

それにしても何という壁の厚さでしょう。今回もまた何かが足りなかったということになりますが、少なくとも、あと4年をかけないと次の挑戦の場に立てません。

しかもアジアの壁を突破して、グループリーグの壁を突破するという大変な挑戦を、一から出直さなければならないのです。

サッカー日本代表は、もはやワールドカップに出るのは当たり前、グループリーグ突破も折り込み済みといったところまで実力をあげては来ましたが、イタリアが本大会に来れず、ドイツやベルギーがグループリーグで敗退といった具合に、どんな強豪国にも約束された地位などなく、ひたすら勝ち取って積み上げていかなければならないことを考えると、本当に大変なエネルギーが必要なんだということがわかります。

これまで4年以上もの間で、森保監督が成し遂げたこと、結構、日本サッカー史に刻まれることが多かったと思います。

代表的なことをあげれば、一つは既に11月20日の書き込みで触れた「代表監督が新チームを結成してからW杯本大会に臨むまで交代なし」で来た史上初の監督であること。これは、この先もどれだけの監督が成し遂げられるかわからない、かなり希少な偉業だと思います。

もう一つは、ベスト8進出こそ逃したものの、2大会連続となるグループリーグ突破を果たしたわけで、これは、1998年の初出場以来、グループリーグ敗退と突破が交互にやってきた歴史を塗り替えた点です。これは偶然ではなく2018年ロシア大会の成果と反省を無駄にすることなく、継続性のもとチーム作りを進めてきた結果です。

今後、この継続性をどれだけ保てるのか、JFA協会の問題でもありますが、対応を誤ると、せっかく築き上げてきたものが瓦解するリスクもある部分です。

それにしても、今大会、ドイツ戦、スペイン戦、クロアチア戦それぞれ出場したメンバー、特に守りのメンツはレベルの高い選手が揃ったなぁ、という感慨を持ちました。各試合とも一人か二人はベストメンバーが欠けましたが、代わりに出た選手の質を見ると、つくづく感じます。

また、あたかも前半と後半のターンオーバーのような選手の入れ替え策も、大会レギュレーションの変更やタイトな日程をにらみながら、うまく機能しました。

惜しむらくは、クロアチア戦、後半10分、同点に追いつかれたあとの交代投入が間髪を入れずというタイミングではなく、さらに10分ほど引っ張ってしまい、相手に行った試合の流れを取り戻すことに失敗したように思いました。
あそこで、すぐ前線の選手を投入していたら、チームとしての攻めの意識共有がすばやくなされ、攻撃が活性化したと思います。残念でなりません。

やはり、これぐらいの大一番になると、ほんのちょっとの躊躇が命取りになることを、まざまざと見た気がします。

さて、日本の選手たち、冬の移籍市場でどれぐらいキャリアアップするか楽しみです。冨安選手のアーセナルはそのままでしょうが、遠藤航選手、板倉滉選手、三笘薫選手といったところは、あらたなオファーを受けるように思います。

そして4年後、これからの選手たちの成長、例えば松木玖生選手やレアルマドリーのカスティージャにいる中井卓大選手などの逸材が、どんな姿で新たなメンバーに加わるか、楽しみでなりません。

最後に、私事ですが、この年末をもって、試合や番組等映像の新規録画保存、スポーツ紙・サッカー雑誌等の収集保存は区切りにします。

これは今年年末が、Jリーグ丸30年経過、来年は31年目に入るということで、録画保存や収集保存も丸30年で一区切りということからです。

このあとの録画保存や収集保存は、あとに続く方に託します。
私は、これまで蓄積した資料をひたすらデジタル化すること、そして「サッカーの世界にようこそ」のサイトに反映して、日本のサッカー文化の萌芽と成長・進化の歴史を、余すところなく記録して100年先まで伝え残す作業に、残された人生のすべてを捧げることとします。

自分の余生があと何年かわかりません。けれども90歳台半ばにしてなおお元気に活動をされていらっしゃる神戸の賀川浩先生のように、ひたすら伝え残す作業を続けたいと思っています。

その間に、どなたかに「伝え残す作業」に加わっていただき、並走しながらバトンを渡せることを、ひたすら願っています。
このブログを始めてから10年になりました。まだまだ呼びかけ続けなければならないと思っています。
よろしくお願いいたします。



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1ミリでも可能性があれば・・・。報われた三笘選手のチャレンジ

2022年12月02日 11時17分52秒 | サッカー日本代表
これまで日本代表は、惜しい試合をしても勝てない経験を長い間何度も重ねてきました。その違いを「その1㎝の違いが世界との差」といった表現で知らしめてくれた解説者もいました。

そして今「この1ミリの可能性をモノにできるかどうかが世界との差」と表現できるようなプレーが実際に起こりました。

田中碧選手が飛び込んで決めた逆転ゴールのおぜん立てをした、三笘薫選手のタッチラインぎりぎりからの折り返しです。

テレビ観戦していた多くのファんは「どうやらラインを割っていただろうからVAR判定でゴールは取り消されるだろう」と結果を待っていましたが、その判定結果が「ゴール」だったのです。

むしろVAR判定だったからこそ、まさにタッチラインの白線に1ミリぐらい残っていたことが確認されたのです。朝のワイドショーの解説に来ていた松井大輔さんも「もしVAR判定が取り入れられていなかった、副審の旗があがってレフェリーもゴールを認めなかった可能性が高いです」と話していたとおりです。

そして私たちが痛感したのは三笘薫選手が試合後に答えていた「1ミリでも可能性があればと思って蹴りました」という、そのあきらめない戦いぶりです。三笘選手のチャレンジが報われたのです。

長い間「その1㎝の違いが世界との差」に泣いてきた日本代表が、今度は「1ミリの可能性をモノにした」瞬間でした。

このタッチライン上の画像は日本サッカー史に残るプレーとして長く語り継がれることでしょう。私たちは、また、そういう歴史的瞬間を共有できました。

つくづく思います。いろいろな意味で日本が強くなった、と。
合言葉は「新しい景色をみんなで見よう」です。
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今度はスペイン撃破です。見たことのない景色を見に行く旅が続きます。

2022年12月02日 06時25分14秒 | サッカー日本代表
早朝の日本列島が歓喜に沸き返りました。初戦のドイツ戦に続いて、今度はスペインを撃破して、堂々の首位通過での決勝トーナメント進出。

コスタリカ戦に敗れてしまい、どうしても懐疑的な思いが拭えない中、監督・選手たちは違っていたのですね。

スペインだって、戦い方を間違えなければ勝てる相手なんだという確たる分析に裏付けられた自信が監督・選手たちにはあったんですね。

どうしても私たちは、ドイツやスペインを相手にすると「勝つのはかなり難しい」と見てしまいますが、それは10年前の感覚であって、すでに五輪などで互角の戦いをしている選手たちの肌感覚は、相当進化していたということです。

次はクロアチア戦とのことです。ドイツ戦のあとの、なんとなく浮かれたような感覚、これを拭い去って、またスペイン戦前のような強い気持ちで臨めるかどうかです。

監督・選手とも、このクロアチア戦を乗り越えるために、ここまで頑張ってきたののだから、ここで負けたら何の意味もないという強い気持ちになってくれることでしょう。

日本列島のW杯ウィークは、まだ、さらに1週間続くことになりました。私たちを、まだ見たことのない景色を見に連れていってくれる森保監督の旅は続きます。
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